第三十二話 セキチクジム
 サイクリングロードでの騒動を経て、サトシたちはセキチクシティへと足を踏み入れていた。
 街の名前になっているセキチクとは、花の名前であり、花の色がそのまま色名となっているものである。
 であるからしてセキチクシティのイメージカラーはピンク色。
 ここがセキチクシティだと知らせる看板も、本来は白色が一般的な家屋の壁もほんのりピンク色、ありとあらゆるものにピンク色が使われていた。
「可愛い、街。いいなぁ、ここに住んでみたいな」
 両手を握り合わせ瞳を輝かせるのはルカサであるが、男二人にとっては少々居ずらい街であるようだった。
「俺には少しくどいと言うか、ちょっと勘弁してもらいたいぜ」
「余計なことを言うな、サトシ。今のルカサの機嫌は損ねないのが懸命だ」
 こそこそ放す二人の目の前では、アレが可愛い、これが可愛いと大はしゃぎのルカサが居た。
 ガーディとの仲直りが完全に成ったおかげもあるのだろうが、珍しいほどの浮かれぶりである。
 だがその浮かれようが、幼馴染である二人にとっては逆に地雷にも見えていた。
 何事も反動と言うものは恐ろしい。
 浮かれている分、もし仮に機嫌を損ねることでもあれば何が待っていることやら。
 浮かれるルカサと戦々恐々としている二人であるが、その足だけはしっかりと目的地であるセキチクジムへと向けて歩いていた。
 サトシが手にしたバッヂの数も折り返しの四つ目となり、後半戦スタートとなる五つ目のバッヂを手に入れるためである。
「シゲル、セキチクジムのトレーナーはどんなポケモンを使うんだ?」
「毒タイプ、らしい」
「マジか」
「大マジだ」
 よりにもよってと頭が痛そうにした二人の視線の先には、やっぱり浮かれるルカサがいた。
 足を踏み入れて数歩で大のお気に入りとなった街のジムが、ルカサのもっとも苦手な毒タイプを主流とするジム。
 地雷だと思っていたものは、実は時限爆弾であったようだ。
「サトシ、速攻だ。何としてでも、爆弾が爆発する前に勝負を決めるんだ。観客席でルカサと二人きりになる僕を察してくれ」
「おう、任せとけ。爆弾は爆発しないに限る、俺にまかせとけばどうにかなる」
 二人がより友情を深めながら決意を固め歩んでいくと見えてきたのは、一風変わった概観のジムであった。
 塀から屋根から焼き物の瓦をのせ、他の家と同じようにややピンク色がかかった壁も材質が別物で、どこか異国の風靡を纏わせている。
 ジムは大抵コンクリート製の建物であるはずが、木造建築にも見えた。
「さすがにちょっと微妙よね。でも心の広い私は許してあげるわ」
「それはどうもありがとう。ガイドブックには忍者屋敷も兼ねていると書かれているが、屋敷はともかく忍者とは……なんだろう?」
「入ってみればわかるさ、頼もう!」
 開いていた門から玄関へと進み、何故か引き戸となっていた扉を開いてさらに奥に進んでいく。
 まだまだ浮かれが抜け切らず足取り軽いルカサを先頭に、後からサトシとシゲルが続く。
 屋内もやはり普通のジムとは違い、木造のようで床にはかなり長い長方形の板が何枚も並べられた造りとなっていた。
 ほぼ一本道であるその廊下を奥へ奥へと歩いていくが、受付どころかジムの人間一人見つからない。
 一体何処まで続くのか、時限爆弾のタイマーが入ったのかにこやかさの中に何かを含めたルカサが振り返る。
「サトシ、思い切りやっちゃいなさい。私が、許す」
「お、おう。俺にまかせとけば、なあシゲ……シゲル?」
 フォローを頼みたい一心で友情を固めたばかりのシゲルに振り向くも、そこにすでにシゲルの姿はなかった。
 まさかルカサの機嫌が悪くなるのを先に察して逃げたのかとサトシが青ざめていると、ポンッと言い様のない力を込めた手が肩に置かれる。
「何処行ったのかしら、シゲル。でも、サトシはバッヂがあるから逃げないわよね」
「もちろんだ、ぜ」
 ジムからは逃げないが、ルカサからは逃げたいと言う言葉を喉でとめたサトシが何とか頷いていた。
 それにしても急に何処へ行ったのかとサトシだけが首を傾げながら再び奥へと進み始めた。
 終わりの見えない廊下を進み続け、した事といえばそれぐらいのものである。
「ああ、もう面倒ね。サトシ、なんとか……サトシ? ちょっと二人とも何処行ったのよ」
 いい加減に浮かれが抜けきり、普段のルカサが戻ってきた頃に振り返ってみれば、今度はサトシの姿が消え去っていた。
 ありえない、サトシがジムを前に何処かへ行ってしまうはずがない。
 冷静になって考えてみても、サトシとシゲルが何処へ行ってしまったかまではルカサには思いつくことができなかった。
 とにかくジムの関係者にあって話を聞くべきか、意を決したルカサはさらに廊下を奥へと進み、ようやく長かった廊下の終わりが見えてくる。
 本当にただ長いだけで、一直線の廊下、その先に待っていたのはバトルフィールドのある大部屋であった。
 今度こそなんの変哲もない土を敷き詰めただけのバトルフィールドであり、そこで待っていたのは四十台近い黒い衣装を纏った男の人であった。
「あの、セキチクジムの人ですよね?」
「拙者、セキチクジムのジムリーダー、キョウ。何事もなかったかのようにこの忍者屋敷を突破してくるとは、さぞかし名のあるトレーナーのことだろう」
「そう言えばシゲルがそんなこと、私は」
「さあいざ尋常に勝負。出て来い、ドガース!」
 問答無用と言うよりも、キョウと名乗ったジムリーダーはルカサの話を全く聞いてはいなかった。
 何かカラクリのあるらしき場所をルカサが無傷で突破してきたことで、なにやら妙な期待を持たせてしまっているらしい。
 普段のルカサであるのならばここで懸命に弁解か、もしくは自分は挑戦者でないと説明したことだろう。
「ドガース」
 だがキョウが取り出したポケモンがドガースであったことが運のつき。
「ど、毒タイプ。どうしてこんな時に二人ともいないのよ、役立たずなんだから。誰でも良いから、お願い!」
「フリー!」
「むっ、不利な虫タイプでありながらバタフリーはエスパー技が使える。奥深い選択、できる」
 なんだかますますキョウをやる気にさせてしまったようだが、ルカサは慌てたままモンスターボールを掴んだだけだった。
「待って、タイム。私はバトルする気は」
「さあドガース、小手調べだ。毒ガ」
「だから、タイムって。ああ、もう。バタフリー風起こし!」
 どちらも相手の言葉を遮りながらであったが、ルカサはキョウの指示が終わる前に指示を終えていた。
 ドガースがふよふよと浮きながら体中から吐き出した毒ガス、それをバタフリーの羽が生み出す風が押し流し消していく。
 まるでキョウの手を読んでいたかのような指示に、キョウだけでなくルカサ自身もまた驚いていた。
 確かにバトルは幾度となく経験してはいるのだが、ジムリーダーを相手に奇妙な感覚に襲われる。
「バタフリー、ヘドロ爆弾が来るわかわして」
「フリー」
「ドガース、ヘドロ攻、なにまたしても!」
 またしても一歩先を読んだルカサの指示に、ドガースのヘドロ爆弾はバタフリーが移動した後の場所を通過していく。
「そのまま超音波!」
「フリィッ!!」
 先手先手をうったルカサの指示から繰り出されるバタフリーの技が次々に決まっていく。
 ドガースを混乱させたあとは距離を取るように風起こし、決して近付かせず、飛び道具であるヘドロ爆弾も容易く避けてしまう。
 ジムリーダーとしてキョウが加減していることを差し引いたとしても、ルカサは先読みが出来る理由を掴み取っていた。
 並大抵の毒使いに負けるはずがないと、ルカサは最後の一手を指示した。
「これでとどめよ、サイケ光線」
 バタフリーの羽の美しさ、それに劣らぬ輝きが触覚から放たれドガースを吹き飛ばしていく。
 毒タイプの弱点であるエスパー技であり、吹き飛ばされたまま地面に落ちたドガースは目を回し動かなくなってしまう。
 やっと終わった、兎に角これで話を聞いてもらえると思ったルカサは、甘かった。
 ルカサの実力を過大に捕らえたキョウは、ジムリーダーとしてではなく、一人のトレーナーとして勝負を望んでいた。
「さあ、負けはしたがこのバトルは三体勝ち抜き、次はこいつだ。出て来い、ベトベトン」
「ベートー」
 モンスターボールから飛び出したのはヘドロが生命を持ったと言われているベトベトン。
 粘性を持ったぬるりとした体に、若干だが臭って来るのは形容しがたい不快な匂い。
 毒タイプだとか、ヘドロだとかそう言う問題ではなかった。
 ブチンッ、確かに聞こえたその音に、サトシかシゲルがここにいて聞いていたならば、一目散に逃げていたことだろう。
 だがキョウはルカサの幼馴染でもなければ知り合いですらない。
 その音が何を意味するのか、理解しようとさえしていなかった。
「ブチン? よくわからないが、勝負、勝負!」
「戻って、バタフリー」
「むっ、勝ち抜きなのにポケモンを変えるとは余程の自信。次はどんな手練のポケモンが」
 キョウは逃げるか、もしくはちゃんとルカサを止めるべきだったことだろう。
「好きなだけ暴れて良いわよ、イワーク」
「グァーッ!!」
 ルカサが無表情のまま放り投げたモンスターボール、その中から飛び出したのはイワークであった。
 先日サイクリングロードにてシゲルのギャラドスと互角の戦いを繰り広げた剛の者である。
 さらに未だルカサの手にはありあまるポケモンであり、できることと言えば野性のイワークと変わらない本能のままのバトルである。
 イワークの咆哮がジム全体を包み込み、建物をビリビリと振るわせた。
 気の弱いものならばそれを聞いただけで腰を抜かしそうだが、ルカサはイワークの怒りでさえも心地良さそうに笑っていた。
「き、君このイワークをちゃんと扱えて」
「人の話を聞かない人の疑問に答えてあげる義務はないわ」
 まるでイワークの凶暴性が乗り移ったかのように、無慈悲な言葉がルカサの口から飛び出した。
 言葉の意味がイワークに届いていたのかはともかくとして、抑え切れない野生を宿しながらイワークが巨体で跳んだ。
 岩落とし、動きの鈍いベトベトンの上に次から次へと岩が積み重なり牢獄のようにして閉じ込めてしまう。
 一応は液体である事から抜け出すこと事態は難しくないのだろう、だがそれで十分であった。
 イワークが大きなその口を岩の牢獄へと向け、喉の奥に宿るのは灯火。
「待たれよ、この勝負」
「イワーク、やっちゃえ」
 必死に止めるキョウの制止も聞かず、むしろルカサは可愛く命令してみていた。
 ルカサの怒りも加えたそれが容赦なくベトベトンを、後ついでにキョウをも吹き飛ばしていった。





 時限爆弾の他に、まさか各種罠が仕掛けられているとは想像すらしなかった。
 長い廊下で落とし穴に落とされ、地下で合流しながら迷路の中で飼われているポケモンとバトルすること十数回。
 サトシとシゲルはお互いに肩を貸しながらボロボロの状態で、ジムの最奥、バトルフィールドがある部屋へとたどり着いた。
 そこで待っていたのはジムに罠を仕掛けたことを悪びれもしないジムリーダーではなかった。
 ジムリーダーらしき男の人はバトルフィールドの中央にて正座をさせられており、本来ジムリーダーが居るべき場所にルカサがいた。
 とぐろを巻いたイワークに背中を預けてふんぞり返りながら、二人を見て真っ先に怒鳴ってきた。
「遅いわよ、どれだけ待ったと思ってるの!」
 まだ爆発炎上中だったかと身を竦めた二人であったが、何故そこでジムリーダーの人までも身を竦ませるのか。
 そもそも扱いきれて居ないはずのイワークに背中を預けどういうことか、疑問ばかりが残る中でこの場の支配者たるルカサが言った。
「サトシ、さっさとバトルしちゃいなさい。最高の毒使いと戦いなれてる私たちなら楽勝だから」
「最高のって、もしかしてあいつらか。なんていう名前だっけか」
「ロケット団のムサシとコジロウ。思い返してみれば彼ら以上の毒使いはそうそういないんだろうな」
 サトシやシゲルは知らぬことだが、ジムバトル初挑戦のルカサがキョウを圧倒できた理由はそこにあった。
 並大抵の毒使いの行動が稚拙に見えるぐらい洗練されたバトルを見て、実際に戦ってきた。
 恐らくムサシとコジロウを覗けば、そんじょそこらの毒使いには負けないぐらいの対毒タイプのバトルができることだろう。
「イワーク、ありがとう。もう戻って良いわよ」
「グアッ!」
 イワークをモンスターボールへと戻したルカサが、無言のままシゲルへと顎で指示して観客席へと誘う。
 本当に一体何があったのか、気にはなるがやぶ蛇になるとサトシはようやく正座から解放されたキョウへと話しかけた。
「ルールを確認させてください」
「本来は三体勝ち抜きバトルなんだが、あの色々と凄い子に」
「私がなにか?」
 観客席から見下すような視線が降ってきた為、キョウの口調が若干変わる。
「あそこの可愛らしくも麗しいお嬢さんに免じて、一対一のバトルと行こうか」
「それって……ルールの変更は」
「頼む、察してくれ。もちろんバトルは正式なもで本気を出す。だからバトルしてさっさと早くあの子を連れて帰ってくれ」
 耳打ちされた言葉から、具体的なものはともかくとして、同じルカサの被害者なんだろうなと想像することは難しくは無かった。
 互いに同情の視線を送りあいながらも、サトシとキョウはバトルフィールドの両端へと別れていく。
 トレーナーの立ち居地に立つと、まずはキョウがジムリーダーとしてポケモンを出してくる。
 バトルフィールドになげつけれたモンスターボール、その中から飛び出してきたのはドガースの進化系、マタドガスである。
 隕石のようなデコボコの岩の体に小さなドガースがもう一体くっついていた。
「マタドガー」
「それならこっちは、ユンゲラー。君に決めた!」
「ユンゲラー!」
 からめ手を得意とする毒タイプとバトルするに当たって、とるべき手段は二つ。
 毒ガスに対する吹き飛ばしなど技を無効化させる技を持つポケモンを出すか、絡めとられる前の速攻攻撃が出来るポケモンを出すこと。
 今回サトシが選んだのは有利なタイプの有利な攻撃技による速攻であった。
「一気に勝負を決めるつもりか。だがそう上手くいくかな。それではジムバトル、いざ尋常に勝負!」
「ユンゲラー、サイケ光線」
「速攻勝負と解ってさえいれば避けるのは難しくない。マタドガス、避けた後に煙幕」
 ユンゲラーのスプーンから七色にも見える輝きがほとばしるも、マタドガスが決して素早くはない身のこなしのまま避けきった。
 そしてすぐに体中の穴と言う穴から煙を吐き出し、煙の中に自分を隠していってしまう。
 マタドガスの姿を見失ってしまうが、サトシが慌てていないせいかユンゲラーもまた落ち着いていた。
「異常な落ち着き、だが隠れているマタドガスを見つけることなどできん。ヘドロ攻撃だ」
「ドガーッ!」
 見えない煙の中からマタドガスの声が届くが、それは同時に攻撃の合図でもあった。
「テレポートだ。その後直ぐにサイケ光線」
 ユンゲラーの姿がその場から消えた直後、煙の中から飛び出したヘドロが通り過ぎていく。
 全く別の場所へと姿を現したユンゲラーは、攻撃が行われた方向へと向けて煙の中へとサイケ光線を放った。
 だが効果は無かったのか、マタドガスが張った煙幕が晴れる事はなかった。
「いくら攻撃によって位置を察しても、おおざぱな狙いで早々あたるものではない。マタドガス、体当たり。エスパータイプは防御力に乏しい、一気に決めてやれ」
 キョウの指示を聞いて笑みを浮かべたのはサトシであった。
 ユンゲラーへの具体的な指示もなく、何処から攻撃が行われるかわからない状態でマタドガスの攻撃を待っている。
 バトルフィールド全体を包み込んだ煙幕、ユンゲラーを中心としたそれの一部が盛り上がった。
 ユンゲラーの真後ろである。
 不意のさらに不意を付いた一撃、ゆっくりと忍び寄ったマタドガスがユンゲラーへと一気に近付いた。
 痛烈な一撃が決まる、誰もがそう思った時、衝突の瞬間にユンゲラーの姿が忽然と消えた。
「テレポート、馬鹿な不意を付いた一撃を完璧に。まさか、未来予知。マタドガス、避けるんだ」
 避けるも何も、テレポートを行ったユンゲラーは何処にも現れなかった。
 体当たりの為に飛び出したマタドガスは、先ほどまでユンゲラーがいた煙幕の薄い場所におり、逆にユンゲラーは煙幕の中。
 完全に煙幕を利用されたマタドガスの頭上から、サイケ光線の一撃が降りそそぎバトルフィールドへと叩きつけた。
「ナイス、ユンゲラー。効果はバツグンだぜ!」
 地面にたたきつけられた後、ゴロンと顔を上へと向けたマタドガスはしっかりと目を回しており、バトル続行はどう見ても不可能であった。
「まさか、一日のうちに二人にも完敗させられるとは。君が闇雲に煙幕の中にサイケ光線を放ったのは私を油断させる罠だったんだな」
「ここに来るまでに散々罠で苦しめられたから。お返しですよ。ユンゲラー、また頼むぜ」
「ユンゲラー!」
 サトシに続いてキョウもまたマタドガスをモンスターボールに戻していく。
 そして代わりに懐から取り出したのはセキチクジムを下したことを示す、ピンクバッヂであった。

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