暗がりの大部屋の中で映画が映し出されていた。 人とポケモンとの触れ合いを描いた作品であり、サトシの好みとまるまる合致した映画である。 これが家で見ているのならリラックスしつつも画面を食い入るようにしてみるのだが、今はとても出来そうになかった。 まず一つは、ここが家ではないと言う事である。 特別映画館が嫌いと言うわけではないのだが、さらにもう一つの要素がサトシを軽い混乱に陥れていた。 上映前に買っておいたジュースのストローを口に含みながら、サトシは隣の席に座るエリカをチラリと盗み見た。 「どうかされましたか?」 盗み見ている所に振り向かれて、思わずジュースを吸い込んでいたストローがズッと音を立てた。 すぐになんでもないと伝えると、内容が余り入ってこない映画を眺めた。 だが気がつけばサトシは映画ではなく、今何故自分がこうしてエリカと映画を見ることになったかを思い出していた。 本当ならば、今日はシゲルやルカサと一緒にタマムシデパートへと向かうはずであった。 ジム戦を追え次の街を目指すにあたって、旅に必要なものを買い揃えようということであった。 一応ジム戦の前にシゲルとルカサが二人で行ったのだが、結局何も買わずに帰ってきた事も関係している。 その予定を崩したのは、出掛けにポケモンセンターに訪れたエリカの言葉であった。 サトシに今日一日付き合って欲しいという言葉である。 意味ありげなシゲルとルカサの瞳に送られ、出かけたわけだが何故か二人で映画館にきていた。 そして二人の後を追う形で、この二人も映画館に足を踏み入れていた。 「これって、思いっきりデートよね?」 「間違いなく。ただ、サトシがなぁ……」 「絶対に分かってないと言うか、思いっきり取り乱してる顔ね」 四人のうち三人が映画をそっちのけで考え事、覗きをしている間にも映画は滞りなく進み終了していった。 その後も、エリカは混乱気味のサトシをタマムシデパートまで連れて行き、一通りお店を見て回った後屋上にて休憩のためベンチに座り込んだ。 原因はサトシがぐったりし始めたからだった。 「サトシ君、もしかしてお体の具合が悪かったのでしょうか?」 「いや、そうわけじゃない。俺は何時も通り、のはず」 心配そうに覗き込んでくるエリカにそう答えるサトシであったが、表情はとてもそう見えなかった。 何故自分がエリカと一緒に映画やショッピングをしているのか、デートと言う事実に気付き始めなおさら混乱している。 「私、そこの自販機で何か冷たいもの買ってきますね。何かリクエストはおありですか?」 「炭酸のスカッとする奴」 一時的にエリカがこの場を離れた事で、サトシはベンチの隅に後ろ手をついて空を仰いだ。 何度も何度も考えたが、やはりコレはデートとしか思えなかった。 ただ何故自分が急に誘われたのか、サトシにはさっぱり思い至る事が出来なかった。 エリカとは会ってまだ数日であるし、夜中近くのジムに押し入って無理にバトルを申し込んだり、変則的なジムバトルを仕掛けたりと好印象が思い浮かばなかった。 少しばかり、もしかするとかなりの居心地の悪さをサトシが感じていると、何かやわらかいものが足に触れている感触があった。 「クーン」 庇護を求めるような声に下を見ると、一体のポケモンらしき動物が足元に擦り寄ってきていた。 「なんだお前、誰のポケモンだ?」 つい先ほどまでの緊張感は何処へやら、サトシは笑顔と共にその小さなポケモンを抱き上げた。 大きさにして三十センチあるかないかで、ふさふさの毛並みから思ったほどの重さもなかった。 愛嬌のある顔立ちから、ルカサ辺りがすきそうなポケモンだと眺めていると、ジュースを買いに行っていたエリカが戻ってきた。 「サトシ君、そのポケモンは……」 「なんかコイツから寄ってきて、誰もとりに来ないって事は迷子なのか?」 「見たところイーブイですわね。かなり珍しいタイプのポケモンなので、野良と言う事はないはずです。迷子でしょうね」 エリカの言葉を聞いて、不安そうな顔を浮かべるイーブイを高く持ち上げサトシはあやし始めた。 その随分と自然な笑顔にエリカがさり気に頬を膨らませているとも知らず、サトシはイーブイを抱えたまま立ち上がった。 「悪いんだけどさ、こいつの飼い主かトレーナー探してやりたいんだけど。いいよな?」 一切の悪気のない言葉に、エリカは頷くしかなかった。 「これがサトシ君らしいというところでしょうか、わかりました。少し手分けをして聞き込みをして見ましょう」 「たった二人で見つかるかな。でかいデパートだけあって、人も多いけど」 「人手不足の解消と言うわけではありませんが、あの二人にも手伝ってもらいましょうか」 「あの二人?」 一体誰の事だとエリカが指差した先を見ると、慌てて物陰に隠れようとするシゲルとルカサの姿があった。 どうやらエリカは二人の尾行に早くから気付いていたらしい。 「おーい、二人ともそんな所で何してるんだ。ちょっと手伝って欲しいことがあるんだけどさ」 まったく尾行に気付いていなかったサトシが声をかけると、しばしの沈黙の後で気まずそうに二人が出てきた。 「あ、あらとっても偶然。二人ともこんな所でどうしたのかしら?」 「ルカサ、言い訳すると余計つらいぞ」 一転明るくルカサが言うが、サトシは首をかしげているもののエリカは少しじと目になっていた。 シゲルがあきらめる事を促すようにルカサの肩に手を置いて直ぐ、イーブイの鳴き声が四人の耳に良く通っていった。 「それ、サトシが抱えてるのイーブイじゃない。どうしたのこの子、可愛い私にも抱かせて!」 「良いけど、乱暴にするなよ。迷子らしいんだ。これから飼い主かトレーナーを探そうって事になったんだ」 「つまり、人手が欲しかったって事か。僕もルカサも構わないから、エリカさん。とりあえずサトシに隠れて睨むのは止めてくれないかな?」 「さあ、何のことでしょうか?」 ルカサがイーブイを手放さなくなったり、少々エリカの機嫌が悪くなったりなどしたが、手分けしてイーブイの飼い主かトレーナーを探す事になった。 複数人いる場でリーダーシップを発揮するのはシゲルであった。 まずは今一度、言いえて妙であるが、二手に別れ一定時間飼い主かトレーナーを探し、その後デパートのサービスセンターで放送をかけてもらうことになった。 二手に別れた人わけはサトシとシゲル、エリカとルカサであった。 決めたのはシゲルで、約一名から言葉なき抵抗が見受けられたが早速探そうと声をあげたサトシの勢いに飲まれて消えていった。 こうして今ルカサは、件のイーブイを胸に抱きながら少々凹み気味のエリカとデパート内を歩いていた。 「エリカさん、一つ聞いていいかしら?」 「はい、なんでしょうか?」 「面倒だから、ストレートに聞くけど。サトシの何処が良いわけ? なんか昨日のアレで好きになっちゃったんだよね?」 「そんな、好きだなんて!」 一転顔を赤くして、両手を振り出したエリカであったが、そんなに慌てては肯定しているも同然であった。 「照れなくて良いわよ。知ってて私とシゲルは後をつけてたんだもん。でも、サトシねえ。あんまりお勧めしないけどなぁ」 「そのような事はありません。サトシ君はとても素晴らしい人です。トレーナーとしての強さよりも、まずポケモンとの交流を優先する。解ってはいてもなかなか実戦できるものではありません」 聞き様によれば、そう言う考え方の人であれば誰でも良かったようにも聞こえる。 両頬に手をつけて顔の火照りを取り払おうとするエリカを見ながら、それでもコレからどうなるか解らないかと結論付けた。 どう転ぼうと他人の、ましてや幼馴染の恋愛話は面白いものである。 「ま、苦労するだろうけど頑張って。応援してあげるから。それよりも今は、この子ってアレ?」 「どうなさいましたか、ルカサさん」 「アハ……ハハハ、どうしよう。気がついたらいつの間にか」 そう言ってルカサが両腕を広げた。 居るはずのイーブイがいつの間にか居なくなっており、両腕は空いていた。 慌てて辺りを見渡すも、イーブイの姿は何処にも見えなくなっていた。 「嘘、何で逃げるの? 私のイーブイが!」 「あの、飼い主の方を探していたのでは?」 「現れなかったら私が引き取るつもりだったのよ。イーブイ、出ておいで!」 さらりと浅ましい考えを放ったルカサは置いておいて、居なくなったイーブイを探さなければならなくなったのは変わりなかった。 だが先ほどまで居た屋上ならまだしも、この広いフロアの中でイーブイが何処へ行ってしまったのか探すのは一苦労どころではない。 どちらへ行ってしまったのか、二人がオロオロとしている所へ一人の男が歩み寄ってきた。 茶色に染め上げた髪をオールバックにして、スーツに身を包んだ何処かの会社の重役のような雰囲気を持った人であった。 「すまないが、君たち。イーブイを見たのかね?」 「はい、つい先ほどまで一緒に。もしかしてあのイーブイのトレーナーの方ですか?」 まさかと嫌そうにしているルカサはともかく、エリカがそう尋ねると男はその通りだと告げてきた。 「少し気晴らしにデパート内を歩いているうちにはぐれてしまったのだ。普段余り一人で出かける事はなくてね。年甲斐もなくキョロキョロしすぎたようだ」 「でも、その肝心のイーブイが。何処行っちゃったのかしら」 「そうか、それは困ったな。だがこの辺りで見失ったのなら、もう少し探してみる事にするよ」 「あの探すのでしたら、私たちもお手伝いしますわ。元々保護しておきながら、逃がしてしまったのはこちらの落ち度ですから」 「ま、仕方ないわね。逃がしちゃったのは私だし」 ルカサとエリカに、イーブイの飼い主と名乗る男を加え歩き出したのだが、イーブイは案外あっさり見つかる事となった。 なぜなら、居なくなったはずのイーブイをサトシが抱え、シゲルと一緒に歩いてきたからだ。 「ルカサ、連れて行ったならちゃんと見てろよ」 文句を言うサトシの腕の中には、確かにあのイーブイが気持ち良さそうに丸くなっていた。 一番最初に屋上でサトシに擦り寄った事からも解っていた事だが、妙にサトシになついているイーブイである。 それを裏付けるようなことをシゲルが言った。 「そう言うな、サトシ。どうもお前を探して逃げ出してきたみたいだし。ルカサが目を離したのも悪い事は悪いけどね」 「ごめん、ごめん。ちょっとエリカさんと話してたら、ね」 迷子からまた迷子になったイーブイの事を伝え合うと、ようやくサトシとシゲルは二人の後ろにいる男の人に気付いた。 どうやら話が一段落するのを待っていたようで、会話の区切りを見つけると少しだけ近寄り声をかけてきた。 「私のイーブイが迷惑を駆けたようだね。君たちの名前を聞かせてもらえるかい? タマムシジムのジムリーダーであるエリカ君の事は知っているのだがね」 「マサラタウンのサトシです」 「同郷のシゲル。こっちが」 「ルカサです」 エリカだけは、軽く会釈で挨拶を終えたが、サトシたちは一人ずつ名前を継げた。 ただマサラタウンと言う町の名前と、サトシという名前に男の人が微妙な反応を見せたのは誰も気づく事がなかった。 「しかし本当にイーブイは君になついているようだね。何か特別な事でもしたのかい?」 「いや、別に。普通にベンチに座ってただけで。さっきも歩いてたら、コイツが」 「そうなのか。君はもしかすると、すごくポケモンに好かれやすい体質なのかもしれないね」 男の人にそういわれても、サトシにはいまいちピンとくるものがなかった。 確かにこのイーブイには好かれているようだが、コレまで最初から好かれた状態でゲットしたポケモンは一匹も居なかったからだ。 特にフシギダネやポッポなどは、余り好かれていない状態から徐々に絆を深めてきたのだ。 シゲルやルカサの方を見ても同様の意見のようだった。 だが男の人はサトシにそう言う才能があるのだと思ったようで、驚くべき事を口にしてきた。 「もしよかったら、サトシ君。そのイーブイを貰ってくれないか?」 余りにも唐突な申し出に当のサトシは驚く事すら出来なかった。 「私には、このイーブイを一生膝の上で遊ばせるぐらいの事しかできない。だが、君たちはポケモントレーナーだろう? このイーブイを強く、望めば進化させることだってできる。どうだろうか?」 「本当に、いいんですか?」 「ああ、どうやらイーブイも君に貰われる事を望んでいるようだ」 男の人の言葉通り、サトシに貰われると言う事を理解しているのかイーブイはサトシの腕から首を伸ばして顔をこすりつけて甘えていた。 大いに戸惑いつつも、飼い主と本人の意思があるのならとサトシはイーブイを貰い受ける事を決心した。 自分が何処まで育てられるかは解らないが、このイーブイを育ててみたいと言う気持ちが確かにあった。 「いーなー、私が欲しかったのに」 「って、イーブイを連れて行ったかと思えばやっぱり狙ってたのかルカサ」 「当たり前でしょ。イーブイを欲しがらないトレーナーなんていないんだから」 ねちねちとしたルカサの嫌味をかわしているサトシを見ていた男の人は、時計を気にしながら呟いた。 「喜んでもらえて何よりだ。私はそろそろ行かねばならない。サトシ君、イーブイの事を頼んだよ」 そう言い出して去ろうとした男の人をサトシタたちはデパートの外まで見送る事にした。 デパートの外に着くと丁度男の人を迎える為の車がやってきた。 サトシは当然の事としてシゲルやルカサもイーブイを譲り受けた事に礼を述べ、男の人を見送った。 走り去っていく車へと手を振り終えた頃には、イーブイはサトシの腕の中でこくりこくりと夢うつつであった。 「サトシ、イーブイも眠そうだしそろそろモンスターボールに入れてやれよ」 「あ、そうだった。眠ってる所悪いけど、入ってもらうか」 「ちょっと待って、最後にひとなで。可愛い、サトシ今後もちょくちょく触らせてね」 イーブイをモンスターボールに入れて、サトシが小さくゲットだぜと呟くと三人で誰ともなくほっと息をついた。 そして、当初自分達が何をしていたのかを思い出した。 サトシは自分がエリカとデートしていた事を、そして二人は見つかっていないつもりで尾行していたことを思い出した。 「イーブイの飼い主さんも見つかり、サトシ君が譲り受けて。めでたしめでたしですね」 もちろん、エリカが棘を含みながらそう言ったからである。 なし崩し的にシゲルとルカサを手伝わせはしたものの、尾行していた事実を許したわけではないらしい。 だが今にも謝ってきそうな二人を見てふっと息を抜いて笑った。 「少し色々ありましたがサトシ君、今日は楽しかったです」 「俺の方こそ、楽しかったよ。おかげでイーブイとも出会えたし」 イーブイと出会えたことの方が比重の大きそうな言い方に、ますますエリカは溜息交じりの笑みを見せた。 解ってはいたのだ、サトシが恋愛云々よりもよっぽどポケモンとの触れあいを求めている事は。 自分もそう言う面がないわけではないが、サトシとは比重がかなり違ってきている。 その事を残念に思いつつも、エリカは一度ペコリと頭を下げた。 「今のジムリーダーとしての仕事を引き継ぎし終えたら、他の地方へコンテストを学びに旅立ちますけれど、またいずれ何処かでお会いしましょう。シゲル君も、ルカサさんも」 「コンテストの話を楽しみにしてます」 「私も興味あるんで、楽しみにしてるわ」 気まずい雰囲気を一掃し笑いあうと、エリカは最後にイーブイが居なくなり空いたサトシの両手を手に取った。 「本当に、ありがとうございました。サトシ君も、まずはポケモンリーグへの出場権の取得まで頑張ってください。応援してます」 「おう、バッヂは後半分。言われなくても頑張るぜ。お互い夢に向かって頑張ろうぜ」 ポケモンリーグに持ち込めるポケモンは六体であり、サトシの手持ちはイーブイを加えて五体目。 ますます意欲に燃えたサトシは、握られた手に力を込めて言葉と共にエリカに答えた。 一方、サトシたちと別れた男は、迎えに来た車の後部座席で意味深な笑みを見せていた。 隠すことのない笑みに運転手をしていた部下が気付かないはずもなく、正直に尋ねてきた。 それはタマムシデパートに出迎えに上がった時に、上司と一緒にいた少年達が気に掛かったからだ。 運転席からでは良く見えなかったのだが、何かひっかかるものがあったのだ。 「何か喜ばしい事でもあったのでしょうか?」 「以前にお前達の報告にあった少年達に会った。恐らくは彼らがそうなのだろうな」 運転手を務めていた青みがかかった髪を持った青年が、アクセルを緩めながら僅かに後ろを返り見た。 もちろんすぐに前を向きなおしたのだが。 ほとほと自分達と縁のある少年達だと幾度か見えた子供達の顔を一人ずつ思い出す。 「お前達が手を焼いたと言うと語弊があるかもしれないが、ある意味では仕方のない事だったのかもしれないな」 「っと、言いますと?」 「私が知る限り、最高のポケモントレーナーの息子。あの中に奴の息子がいた」 上司の言う最高のポケモントレーナーとは誰なのかは解らなかった。 ただし、今の言葉からまたいずれあの三人とは出会う定めにあるのかもしれないと、予感じみたものを運転手は感じていた。 「帰ったら、ムサシの奴に教えてやらないとな。俺よりも、ムサシの奴が彼らを気に入ってるからな」 車のハンドルを指先でトントンと叩いてから、青みがかかった髪を持つ青年、コジロウは上司の指示を仰いで車を走らせた。 今彼が後部座席に乗せて運んでいる男こそ、彼が所属するロケット団の総帥であるサカキである。 そのサカキからポケモンを受け取ったことが何を意味するのか、サカキの正体を知らないサトシが知る由もなかった。
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