第二十六話 ポケモンとの付き合い方
 長時間放置した炭酸水の如く、サトシは気が抜けきっていた。
 タマムシシティにあるとある公園のベンチの上で、あんぐりと口を開けたまま空を見上げている。
 そんなサトシの膝の上ではプリンが甘え、その横ではフシギダネが丸まり日向ぼっこをしており、正面にはかしずく様にユンゲラーがいた。
 唯一見当たらないポッポといえば久方ぶりの大空を楽しんでいた。
 持ちうる全てのポケモンをモンスターボールに放ってサトシが何をしているのかと言えば、何もしていなかった。
 まともに思考する力も残ってないように、ただ口を開けて空を見上げている。
「サトシ、本当に行かないの? タマムシデパート。私とシゲルだけで行ってきちゃうよ」
「あ〜」
 サトシの目の前で手を振りながらルカサが言うも、まともな返答は返ってこなかった。
 昨晩遅くになってポケモンセンターに現れた時はまだよかったが、翌朝になってからずっとこのままである。
 処置なしだとルカサがシゲルに振り返り肩をすくめた。
「元々何かに思い悩むのに慣れてないからな。脳みそがオーバーフローでもしたんだろう。補充しなきゃいけないものは大体解ってるし、僕らだけで行こう」
「聞こえた、サトシ。私たちタマムシデパートに言ってくるから、って聞こえてないわね。フシギダネ、サトシがふらふら何処かに行かないようにお願いね」
「ダネ」
 了解と言いたげに、チラリと瞳を覗かせたフシギダネがつるのムチをふりふりふって来た。
 他にもユンゲラーもそばに居るし、危ない事もないだろうと二人は本当にサトシを置いてタマムシデパートへと足を向けた。
 カントー地方でも最大級のデパートと言われるのが、これから向かおうとしているタマムシデパートである。
 ここで買えない物は他でも買えないが売り文句のデパートであり、先ほどまでのサトシの様子を早速忘れたルカサの足取りがやけに軽い。
 反対にどうなる事やらと、ルカサの様子を見てシゲルが不安そうにしていた。
「さ〜て、荷物持ちが一人減っちゃったけど何を買おうかなぁ」
「さっそく不安な言葉をありがとう。ルカサ、言っておくけど無駄な荷物を増やさないでくれよ。一応はコレから旅を続けるのに必要なものをそろえるのが目的なんだ」
「解ってるわよ。私たちもバトルするようになって、傷薬とかもへってきてるしね。でも、個人的な買い物も外さないわよ。頼りにしてるわ、シゲル」
「こういうときだけ、頼りにされてもね。もしかしてサトシ、狙って来なかったわけじゃないよな」
 サトシにあらぬ疑いをかけながら、見えてきたタマムシデパートは二人の想像以上に大きかった。
 カントー地方最大のデパートだけあって、見上げれば首が痛くなるほど高い。
 人の流れも出て行く人、入っていく人と途切れる事はなく、デパートに足を踏み入れる前からはぐれないようにとルカサが一歩シゲルに近寄る。
「ちょっと想像以上だったかも。どうやってみて回ろうか?」
「こういう場合は上からだよ」
 人の流れに揉み洗いされるように案内板までたどり着き、タマムシデパートの構造を頭に入れる。
 どうやら一つのフロアーには一つのジャンルのお店が詰め込まれているようである。
 ポケモン関連は六階、食料品や旅に必要な小物はまた後日に回すことにして二人はエレベーターで六階を目指した。
 エレベーターガールの声に見送られて六階へと降りると、そこはポケモン関連の商品の宝庫であった。
 ポケモンの毛並みをそろえるブラシから、医薬品、ポケモンフーズまであらゆるポケモン関連の商品が陳列されている。
 同時にそれらを求めるトレーナー達の姿も多く見られた。
「皆考える事は一緒か。折角タマムシシティに来たんだから、色んなグッズみたいもんね」
「とりあえずは薬か、そこはルカサに任せるよ」
 天井からつるされた看板によって医薬品のコーナーへと向かう。
 その途中にあるポケモンフーズのコーナーに、見覚えのある姿を捉えたシゲルがその足を止めた。
「シゲル?」
 なんだろうとルカサもその足を止めると、タマムシジムのジムリーダーであるエリカが商品を手に取り選んでいる姿が見えた。
 特に親しいわけでもなく、二人でどうしようかと顔を見合わせているとエリカの方が先にこちらへと気付いて頭を下げてきた。
 同じように頭を下げて立ち去ってもよいのだが、二人はエリカの方へと歩いていった。
「確か昨日のサトシ君の付き添いの方たちですよね?」
「昨晩はお世話になりました。僕はシゲルです」
「私はルカサです。エリカさんもお買い物ですか?」
 そうとしか見えないのだが、社交辞令を用いてルカサが会話を促した。
「ええ、今日はジムのポケモンたち用のポケモンフーズを買いに。出来れば個々のポケモンたちに専用のポケモンフーズを用意したいところなんですけれど、数が数だけにとても手が回らなくて。せめて自分で選んだものをと定期的に買いに来ているんです」
「へえ、でも結構な量になるんじゃないですか? ジムにいるポケモン全部のポケモンフーズってなると」
「そこはお店の人に頼んで配送してもらいますから。所で、サトシ君は別行動なのですか?」
 辺りを見渡しながら、急にエリカが話題を変えてサトシの名を上げてきた。
 近くに居ない事は見れば解りそうだが、何か話したいことでもあったのかシゲルが答えた。
「サトシなら近くの公園で呆けてますよ。なんだか朝から様子がおかしくて、迷子になられるよりはって置いてきました」
「あの馬鹿、昨日はバトルの後もジムに居たみたいだけど、何か変なことでもしたんですか?」
「いえ、そのような事は特に。ただ、私の方が少し八つ当たりのようなものを……その、してしまいまして」
 申し訳なさそうに、頬に手を当てて恥じているエリカの姿から、どういうことだとシゲルとルカサは首をかしげた。
 八つ当たりも何も、バトルの敗者であるサトシが行うのはまだわかるが、勝者であるエリカが何故八つ当たりなどをしなければいけなかったのか。
 一度場所を変えて詳しく聞かせてくれるようにエリカに話すと、エリカも快く頷いてくれた。
 昨日の事を話すというよりは、自分が抱えているものを誰かに話してみたかったのかもしれない。
 三人は買い物を中断すると、エリカの勧めにしたがってタマムシデパートの屋上へと向かった。
 屋上には休憩のためのベンチや自販機、小さな子供の為の遊具が設置されており、特に小さな子供連れの家族が多く見られた。
「あ、エリカお姉ちゃんだ!」
 幾つかあるベンチのうちの一つに三人が腰を下ろそうとすると、一人の子供が駆け寄ってきたかと思うと、また一人、また一人と駆け寄って来る。
「お兄ちゃんとお姉ちゃんは、エリカお姉ちゃんのお友達?」
「ポケモン持ってるの、ポケモン?」
「え、なに。なんで寄って来るの?!」
「う、ニビシティでの嫌な思い出が蘇る」
 わらわらと寄って来る子供達に動揺するルカサとシゲルとは違い、エリカはわかっていますとばかりにモンスターボールを取り出した。
 子供達の視線はそのモンスターボールに注がれており、放たれたウツボットやナゾノクサといった草系ポケモンに群がっていく。
「もしかして、たまにここにきては子供達に?」
「ええ、あの子達は純粋に触れ合う為にポケモンたちに触れ合ってくれますから」
 少しもの悲しそうな表情を浮かべたエリカを見て、シゲルとルカサも手持ちのポケモンを何体か放って子供達の遊び相手を命じた。
 多少手荒くもまれるポケモンもいたが、我慢と言う辛い指示を出してシゲルとルカサはベンチに座りなおした。
 数秒の間、自分達のポケモンが子供達の遊び相手になっている光景を見ていると、まずは昨晩のサトシとの会話をエリカが話してくれた。
「サトシ君は、バトルでの勝利にのみ目を奪われすぎていました。トレーナーであれば、自分で育てたポケモンでバトルに勝ちたい。そう思うのも当然の事です。なのに私は彼にそれ以外の答えを求めてしまいました」
「それがさっき言ってた八つ当たりって奴ですか?」
 ルカサの確認にエリカは頷き、続けた。
「あの子たちを見てください。彼らは目の前にいるポケモンたちを見て、強いか弱いかは二の次、三の次。触れ合う事のみが目的なんです。先ほども言いましたが、純粋なんです。でも、この地方でのポケモンの最大イベントはポケモンリーグ。バトルでの勝敗が一番なんです」
「残念ですけれど、それはある程度仕方のないことではないですか? ポケモンには人にはない力がある。ルールに乗っ取った試合の中でなら、僕は気にはなりませんが」
「私もシゲルの言う通り、ルールに乗っ取った上での勝負なら……多少は仕方がないかなって思う」
「私だってポケモンバトルを、ポケモンリーグを全否定しているわけではありませんよ。だから昨日サトシ君に言ってしまったのは八つ当たりなんです」
 快く賛同をもらえると思っていなかったようで、エリカは別の事例を例に挙げた。
「ポケモンコンテストというものをご存知ですか? カントー地方ではまだ名前すら聞かれませんが、他地方ではポケモンリーグと同じぐらい有名な大会です」
「コンテストって言うぐらいだから、何かを競いあうってことだよね? シゲルは知ってる?」
「小耳に挟んだ程度には。単純なバトルじゃなくて、ポケモンの美しさや力強さ。ポケモンが持っている魅力を競う大会だったかな?」
「そうです。ポケモンが持つ力を戦う事ではなく、一つの魅力として競う。素晴らしいとは思いませんか?」
 今まで憂いを帯びていた顔を一転させ、力強く同意を求めてきたエリカを見て、ようやく二人はエリカが何を悩んでいたのかを知った。
 エリカは単純にポケモンで力比べを行う事が余り好きではないと言う事だ。
 そのエリカが何故ジムリーダーなどをしているかはともかくとして、ジムリーダーの仕事は挑戦者とバトルをし、その力量を見極める事。
 日々バトルを申し込まれ、自分の理想とはかけ離れたバトルを行い、心に鬱憤が溜まっていたのだ。
 そこへ運が悪いのか何なのか一際勝敗に拘ったサトシが現れたと。
「本当にサトシ君には申し訳ないことをしてしまいました。もしよろしければ、サトシ君の所へと案内してもらえませんか。昨晩の事を一度謝罪しておきたいもので」
 その申し出に真面目な人だと思った二人は、だからこそ自分の心とは違ったバトルを日々行いストレスが重なっていったんだと勝手に納得していた。





 買い物を中断したまま、シゲルとルカサはエリカを連れて公園へと戻る事になった。
 少し前にサトシを置いて行ったベンチへと戻るが、そこに何故かサトシの姿はなかった。
 最後に見た姿は呆けたまま空を見上げていた姿であり、一人で勝手に何処かへ行ってしまったとは思えない。
 それ以上に、サトシを任せたフシギダネやユンゲラーがこの場にいない。
「まったく。呆けていたらいたらで心配させられるが、姿が見えないのもそれはそれで不安にさせてくれるな」
「待ちくたびれて、勝手にポケモンセンターにでも戻っちゃったのかしら」
 ベンチだけでなく、遊具がある公園の敷地内や、樹木を植えられた林の中も目の届く範囲で見渡していく。
 本当にポケモンセンターに帰ってしまったのか、最後にもう一度だけ辺りを見渡していると、ベンチの後ろの茂みがガサっと音を鳴らした。
 三人の視線がそちらへと注がれると同時に、一匹のポッポが茂みの中から飛び出してきた。
「プリー!」
 続いてプリンが飛び出してきたと思えば、今度は探し人の声が林の奥から聞こえてきた。
「うおおお、待て!」
「ダネダーネ」
「……」
 一目散に声の主から逃げているポッポとプリンが行ってしまうと、フシギダネとユンゲラーが遅れて茂みの中から飛び出した。
 直後茂みを押しつぶすように林の置くからサトシが飛び出してきた。
 まるでポケモンたちを捕獲するように突き出した両手は、何も掴むことなく空を切っていた。
「プリプリー!」
「ポーッ」
 茂みに突っ込んだ形で倒れているサトシにあびせられるのは、笑いのこもった鳴き声である。
 それを聞くや否や、シゲルたちが唖然としているのにも気付かずに立ち上がったサトシが走り出そうとする。
「今度こそ、捕まえてやるぜ!」
 中々捕まえられないサトシをはやし立てるように鳴いていたポケモンたちが、一斉にバラバラの方角へと逃げ出した。
「あ、こら。それは卑怯だろ」
 誰から追いかけるか迷ったサトシが立ち止まっていると、ようやく我に返ったシゲルがその肩を掴む事に成功する。
「サトシ、楽しんでいる所悪いが。何をしているんだ?」
「おお、シゲルにルカサ。っとエリカ?」
 何故二人と一緒にタマムシジムのリーダーが居るのか首をかしげたのは一瞬、満面の笑みでサトシは答えてきた。
「鬼ごっこだよ。鬼ごっこ。俺が鬼で、あいつらの誰かを捕まえたら交代。知ってるだろ?」
「ダメね、話が通じてない。あのね、サトシ。珍しく落ち込んでるんだか、考え込んでるんだがしてた貴方が、何で急にそんな元気一杯なのかを聞きたいのよ」
「ああ、そっちか」
 他にどっちがあるのか、あきれ果てるルカサを前にしてもサトシは笑顔を絶やさなかった。
「頭が痛くなるほど考えたんだ。エリカに言われた俺がアイツラに何を求めていたのか。考えて悩んで、それで気付いたんだけどさ。俺はポケモンマスターになりたかった。世界で一番、ポケモンたちと仲の良いポケモンマスターになりたかったんだ」
「ポケモンマスターが世界で一番ポケモンと仲が良い、ですか?」
「エリカさん、その辺りは軽く流してやってください。サトシにとってはその二つがイコールで結ばれてしまうんです」
「だから俺は強くなる前に、あいつらともっと仲良くなりたい。もっと遊んで笑ってお互いの事を知って、強いとか弱いとかはその次。俺はポケモンマスターになりたいんだ」
「うん、ある意味で本当の本当に初心にかえったわね。アンタらしいわ。大体解ったから、アンタは行ってきなさい」
「言われるまでもないぜ!」
 犬を追い払うように追い払われながらも、サトシは何事かとこちらを覗き込もうとしていたフシギダネたちへと視線を向けた。
 こりゃいかんと逃げだしたポケモンたちを追いかけて、サトシなりのコミュニケーションは進んでいく。
「っと言うわけで、エリカさん。貴方が八つ当たりと言った言葉も、サトシにとって無駄ではなかったようですよ」
「本当、心配して損した感じよね。勝手に悩んでとは言わないけど、勝手に解決して遊び呆けてるんだもの。ここで謝りなんてしたら、謝り損よ」
「その、ようですわね。でもとても楽しそうです。サトシ君だけでなく、あのポケモンたちも」
 エリカの言う通り、サトシが大好きなプリンは言うまでもなく、比較的クールな性格のユンゲラーでさえも鬼ごっこに興じている。
 まるで三つも四つも年齢が下がってしまったようなサトシのはしゃぎっぷりであるが、見ていて悪い気分ではなかった。
 シゲルやルカサは口ではなんと言おうと、サトシに元気が戻った事を喜んでいる。
 そしてエリカはと言うと、目先の勝敗や強さにとらわれずにまず仲良くなる事を選んだサトシを眩しそうに見ていた。
「確かに、ここで謝罪を入れるのは無粋な様子です。私はこれでお暇させていただきますね。サトシ君にお伝えください。今ならば何時でもジム戦をお受けいたしますと」
「しっかりと、伝えておきますよ。恐らく明日にでもジムにお邪魔させていただきます」
「また明日ね」
 ペコリと頭を下げてエリカが去っていくと、シゲルとルカサはベンチへと腰を落ち着けた。
 何しろ遊び尾ふけているサトシが遊び疲れるにはまだまだ時間がかかりそうだったからだ。
 事実、サトシとポケモンたちが遊びつかれたのは、夕暮れ近い空に赤みが掛かった頃であった。
 くたくたの泥だらけになったサトシをベンチに座らせると、シゲルとルカサは今日エリカから聞いた悩みの事をサトシに伝えた。
 もちろん八つ当たりと言う所は省いて伝えた。
「随分悩んでたみたいよ。昨日のサトシみたいに、ポケモンに強さばっかり求める人が多くて」
「まあ、僕やルカサも十分に耳が痛いんだけどね。言い訳にするならば、ロケット団に出会ったことで拘らざるを得なかったんだけど」
「それは俺も気がついた。ポケモンを自分達の言いように利用するような奴らの考えを否定したくて。だけどそんな奴らにバトルで負けて。認めたくないから、強くなりたかった。勝って俺たちの方が正しいんだって言ってやりたかった」
「でもポケモンに関する主張が正しいかどうかなんて、バトルの勝敗にはまったく関係ない話よ」
 ルカサの言葉に、サトシもシゲルもその通りだと頷いていた。
 ロケット団の悪事に対して、必ずしも力で対抗する必要はないのだ。
 もちろんロケット団を捕まえてしかるべきところで罰せられるのならそれも良いのだが。
 罪のないポケモンがロケット団に捕まってしまったら、バトルで勝てないまでも逃がせられればいいのだ。
 ポケモンが悪事に利用させられていれば、そのポケモンを説得し悪事を止めさせれば良い。
 ロケット団をバトルで打ち負かさなければいけないというのは、思い込みでしかないのだ。
「ようし、明日は早速タマムシジムでジム戦だ。生まれ変わった気持ちで、思い切りバトルするぜ!」
「思い切りバトルするのも良いけど、良いヒントくれたエリカ相手に思い切り戦えるわけ?」
「それはそれ、これはこれ!」
「いやまあ、そうなんだけど。微妙に恩が足りなくない?」
 サトシの言いようにルカサが突っ込んでいると、シゲルが何か思いついたように手の平に拳を打ち付けていた。
 そして必要があるとも思えない耳打ちを、サトシとルカサへと行い始めた。

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