第二十五話 ジムリーダーの真の実力
 太陽が西の向こうに消えていったのは、何時間前の事だったろうか。
 ジムのないシオンタウンを通り過ぎたサトシタたちは、ろくに休むことなく歩き続けてタマムシシティへと足を踏み入れた。
 タマムシシティは、一言で言うと煌びやかな都会であった。
 大きなデパートから商店が何車線も用意されている道路に立ち並び、そこを行きかう車の数もまた多い。
 商店の明かりや車のライトが途切れることなく、更に街灯も点々としており歩くのに全く支障はなかった。
 マサラタウンはもとより、クチバシティやハナダシティでさえもタマムシシティに比べたら田舎に見えてしまうぐらいである。
 これほど賑やかな街は始めての三人であったが、圧倒されるよりも前に、足を向けたのはジムであった。
 強行軍と言えるほどに休みなく歩いてきた三人であったが、地図と睨めっこしながらタマムシジムへと向かう。
「あ、あそこ。あれがそうなんじゃないの……たぶん」
 地図と同じ場所に見えてきたジムらしき建物を指差したルカサの言葉が、尻すぼみに消えかけ、かろうじてたぶんと付け足した。
 なぜならタマムシジムらしき建物は、木々に囲まれ建物自体にもつる系の植物が絡み覆おうとしていたからだ。
 ジムと言うよりは、植物園と言った方がしっくりくるように見えた。
「あそこで間違いないよ。タマムシジムは草系ポケモン専属のジムだからね。つまりは」
「フシギダネで真っ向勝負すれば、俺が本当に強いのかわかるって事だな」
「そう言うこと。まあ、もう夜遅いし開いてるかどうかが解らないのが問題だ」
「無理に言ってでも、バッヂなんか賭けなくていいからバトルしてもらうぜ」
 そう言ったサトシは、シゲルやルカサが止める間もなくタマムシジムへと向けて駆け出していった。
 もっともサトシがゆっくり歩いたとしても、シゲルとルカサが無理に頼みこもうとするサトシを止めたかと言えば微妙な所であった。
 二人もまた自分達が強いのか、それをサトシを通じて知りたがっていたからだ。
 小走りに二人も駆け出すと、一足先にジムにたどり着いたサトシが、係員の人と押し問答をしていた。
「本の少しで良いんだ。バッヂは賭けなくてもいいから」
「そういわれてもね、ジムバトルの時間は決まってるから。そんなに慌てなくても、また明日来れば良いだろう」
「一分一秒でも時間が惜しいんです。ジムリーダーはもう帰っちゃったんですか? 出来れば直接話したいんだ」
「だから……って、そっちの二人もかい?」
 遅れてやってきたシゲルとルカサを見て、係員の人が大きく溜息をついた。
 どうにもサトシだけでも持て余しているのにと物言わぬ顔が語っていた。
「どうかされましたか?」
 これから更に押し問答をしようという矢先、出鼻を挫いたのは鈴の音の様な声であった。
 係員が居るジムの玄関の奥から、桜色の着物を纏った女の子がどうしたのかと頬に手を当てながら歩いてきた。
「エリカさん、実はその……困ったことに今からジム戦をしてくれとこの子たちが」
「別にジム戦じゃなくても良いって言ってるだろ。戦いたいんだ、ジムリーダーと。本気を出したジムリーダーと。頼むよ!」
 誰だか解らないが、ジムの中に居るのなら関係者だろうとサトシは更に声を大きくして言った。
 それだけではなく、女の子がそっと開けたスライド式のドアに足を踏み込む図々しささえ見せた。
 係員の方もさすがにそこまではとサトシを押さえ込もうとするが、特に慌てもせず着物を着た女の子は答えてきた。
「そうですわね、バッヂを賭けなくてもと仰るのなら、特例としてバトルをお受けいたしましょう。申し遅れましたが、私がこのタマムシジムのジムリーダーを務めさせて頂いております、エリカです」
「君が、ここのジムリーダー?」
「ええ、そうですわ。準備がよろしければ、こちらへおいでください」
 ジムリーダー本人のエリカがそう言うのならと、係員の人もサトシたちがジムへ足を踏み入れる事を見逃してくれた。
 先を歩くエリカの後を追って、サトシたちもジムの奥へと歩いていく。
「この奥がバトルフィールドとなっております。バトルを行うのは、三人でよろしいでしょうか?」
「私たちはサトシの付き添いだから、バトルはサトシだけよ」
「そこで申し訳ないのだが、一つお願いがある。サトシと、本気でバトルしてくれませんか?」
 シゲルの申し出に、やはり先ほどの入り口でのサトシの言葉が嘘ではなかったのかとエリカは驚くような表情を見せていた。
「私と本気でですか?」
「頼む、知りたいんだ。俺が今どれだけ強いのか。それとも弱いのか」
 真剣な眼差しで拳を握りながら言ったサトシを見て、エリカは一瞬だけもの悲しそうな顔を見せた。
 その表情が何を意味するのか、ドキリとさせられたサトシであったが、今は目の前のジムリーダーと全力で戦う事だけを頭に入れた。
 少しばかり耳に痛い沈黙が続き、やがて正面に見えてきたドアをエリカが開けた。
 目の前に広がるのは、バトルフィールド一体に敷き詰められた草花であり背丈はないものの木々も植えられていた。
 草ポケモンに最適なバトルフィールドを前にして、サトシは早くもフシギダネのモンスターボールを腰のベルトから取り上げていた。
「サトシ、気を抜くなよ」
「私たちは何時も通り、上の観客席で見てるから」
 声をかけて離れていく二人を見送り、サトシはエリカへと向いた。
 エリカの方もモンスターボールを一つ手に取っており、トレーナーのフィールドへと向かいながら言った。
「バッヂは賭けませんので、普通のトレーナーバトルとなります。手持ちは一つずつ、ポケモンが先頭不能か、トレーナーの参ったの宣言で終了で構いませんね?」
「ああ、しつこいかも知れないけど、これだけは言っておきたい。全力でバトルしてくれ」
「善処いたしますわ。さあ、お行きなさい。ナゾノクサ」
「ナーゾ」
 やはり出てきた草タイプのポケモンを見て、サトシはモンスターボールを振りかぶった。
「フシギダネ、君に決めた!」
 バトルフィールドへと放り投げられたモンスタボールの口が開き、ナゾノクサの前にフシギダネが飛び出した。
 後出しでありながら同じ草タイプのフシギダネを出してきたサトシを見て、エリカはようやくサトシが本気で戦いたいのだと理解した。
 本気で自分が強いのか確かめたいのだと理解し、そして寂しげな笑みを浮かべた。
「それではバトルスタートです」
 静かな宣言に反比例するように、サトシは力強く叫んだ。
「草タイプ同士で、草タイプの技は効きにくい。フシギダネ、体当たりだ!」
「妥当な判断ですわ。ですが、ナゾノクサ距離をとってかわしてください。そしてすいとるです」
 地面に植えられた草花と体をこすらせ、細かな音を幾つも重ならせながらフシギダネがナゾノクサ目掛けて駆けて行く。
 対するナゾノクサは指示通り距離を取ろうとやや身を屈ませる。
 だがフシギダネとの距離の目算が甘く、飛び退るよりも前にフシギダネの体がナゾノクサを吹き飛ばした。
 体重差から大きくナゾノクサが吹き飛ぶが、空中で上手くバランスを整えると、頭の上の葉っぱがさわさわと不自然な揺らめきを見せた。
 明るいライトで照らされたこの場では解りにくかったが、すいとるでフシギダネの体力を吸い取っているようだ。
「草タイプ同士で効きにくいはずだ。フシギダネ、体当たり!」
「もう一度、すいとるです」
 効き難いはずの草タイプの技をエリカは再度指示していた。
 本気を出していないのかとサトシの顔が僅かに歪むが、こちらも一貫して体当たりを指示していた。
 直線的な動きでフシギダネがフシギソウへと突っ込み、あわやと言うところでフシギソウは距離を取って頭の上の草を揺らす。
 淡い光がフシギダネからフシギソウへと流れていく。
「サトシ、どうして居合い斬りをつかわないの。あれもノーマルタイプの技でしょ?」
「エリカさんが一貫して距離を保とうとするから使いたくても使えないんだ。居合い斬りは待ちの技だから、どうしても向こうから来てもらわないといけない」
「そっか。それにしても妙にエリカさんのバトルが消極的ね。本気を出してないのかしら」
 ルカサもサトシと同じような結論に達していたが、一人冷静にバトルを見つめていたシゲルは別の結論へと達しようとしていた。
 最初は景気良く当たった体当たりも、二度目以降は良くてかする程度。
 しかも効きにくいとは言えすいとるを継続するナゾノクサは、最初に受けたダメージでさえ回復しきっていた。
 一方フシギダネは、距離をとろうとするナゾノクサとの間をつめては間を開けられ、さらにすいとるで体力を奪われていた。
 一度として決定打を打たれていないのにも関わらず、大きく息を乱し、体力をすり減らしていた。
「サトシ!」
 逃げ回るナゾノクサを追いかけるのに夢中なサトシとフシギダネは、相当体力が奪われている事に気付いていない。
 それを伝えようとシゲルが立ち上がり叫ぼうとしたが、エリカが指示を出す方が早かった。
 どうやらサトシだけでなく観戦していたシゲルたちにも気を配っていたようだ。
「ナゾノクサ、距離をつめて」
 一転してナゾノクサを前に出させようとすると、コレにサトシが目をつけた。
 逃げ回っていた相手がようやく距離を詰めてくれたのだ。
 ここで出さずに何時出すのだと、声高に指示を飛ばす。
「フシギダネ、居合い斬りだ!」
「ダネ!」
 向かってくるナゾノクサから目を離さず身構えるが、とても居合い斬りを出せるような状況ではなかった。
 知らずに体力が減っていたことで、集中力を極端に欠いていた。
 それだけではなく踏ん張ろうとしていた後ろ足が崩れ、伸ばされる一瞬を待っていたつるがふにゃりと力を失う。
 せめてつるのムチだけでもと伸ばそうとするが、ナゾノクサの方が早かった。
「花びらの舞です」
 跳びかかってきた空中で力強いな舞を見せたナゾノクサは、宙に浮かぶ花びらのように不規則な動きを見せた。
 その動きに惑わされたフシギダネは、防御のために体を硬くすることも出来ず連続した攻撃を受ける結果となった。
 同じ草タイプの技とは言え、強力な技を受け続けたフシギダネはついには耐え切る事もできずに吹き飛ばされた。
 到底立ち上がれるような力もなく、沈黙するフシギダネを見てサトシは一言まいったと降参の言葉を呟いた。





 バトルから一時間後、サトシは一人灯りの消えたジムの入り口の前で立ちすくんでいた。
 シゲルとルカサはすでにポケモンセンターに向かったが、サトシには戻って休むと言う考えが思い浮かばなかったのだ。
 体から間まだまだバトル時の熱気が冷めず、かと言って今一度ジムに乗り込んでエリカを探そうと思うほどでもない。
 何処か中途半端な気持ちを抱えたままで気持ち悪ささえ感じていた。
 ジムリーダーであるエリカに負けた。
 それ自体は悔しいものの、今自分が抱えているもやもやとは全く関係ないものに思えた。
「あ〜、ちくしょう。あんまり考えるの得意じゃないんだよな!」
 胸のもやもやの正体がわからず、サトシは帽子の上から頭を掻き毟った。
 気持ちが悪い、耐えられない、じっとしていられない。
 足が自然と動き出し、ジムの壁に沿って走り始めた。
 考えるのが得意ではないのだからとりあえず動いてみよう程度の考えによって走り出したサトシは、ジムの壁に終わりが見えると当然のように九十度に曲がった。
 再び壁に沿って走り出そうとしたところで、ジムの窓から光がこぼれている事に気付いた。
「フシギソウ、剣の舞」
 光に次いで窓からこぼれてきたのは、つい先ほどバトルをしたばかりの相手の声であった。
 小走りから忍び足へと歩調を変えてサトシは明かりの漏れる窓へと近寄っていく。
 そっと覗いた屋内はトレーニングルームらしく、バトル時の時のようにフシギソウが力強い踊りを披露していた。
 それが次の技の効力を高める踊りだと唸ったサトシであったが、予想だにしない叱責がエリカの口から飛んでいた。
「ダメですわ、フシギソウ。剣の舞への入りが遅いです。貴方には強力な攻撃技がないので、剣の舞一つに全てがかかっていると言っても過言ではありません」
「ソウ!」
「さあもう一度、剣の……」
 エリカの指示が途中で途切れ、急に窓の外を眺め出した。
 フシギソウも同じ様子を見せ、何か外に見えるのかとサトシは振り返ったが後ろに誰か居るわけでもない。
「貴方は、先ほどの。まだお帰りにならなかったのですか?」
 窓越しの声はやや通りにくかったが、バトル時とは違う落ち着いたエリカの声が伝わってきた。
 それでようやくエリカとフシギソウが見つめていたのが自分だと言う事に気付いたサトシは、照れ隠しを含めて笑った。
 笑うしかないと言う状況でもあり、上手くいったのかエリカの方も微笑を向けてくれた。
 勝手にトレーニングを覗き見てしまった事に怒っているわけではなさそうである。
「あの、別にバトルに物言いをつけるつもりとかじゃなくて。なんだかすっきりしないって言うか。まだ良く解ってないんですけど……」
 自分で呟いてしまった物言いと言う言葉に焦り、身振り手振りを交えて慌てるサトシ。
 混乱とは違うが、先ほどのバトルに思うところがあるらしきサトシを見て、エリカが言った。
「よろしければ、お伺いいたしましょうか?」
 その申し出を受けたサトシは、エリカの指示通りさらにジムの裏手へと、裏口からジム内に足を踏み入れた。
 一端トレーニングルームでエリカと合流すると、そこからはエリカの案内で自販機のある休憩所へと向かった。
 エリカが自分とフシギソウの飲み物を買う姿を眺め、なんとなくサトシも缶ジュースを買ってからベンチに座る。
「何時もこんな時間までトレーニングをしてるんですか?」
「え、私のお話ですか?」
 自分が話を聞くつもりで、逆にサトシから話を振られたエリカが一瞬驚いていた。
「いや、まだ自分が何を抱えてたのかまとまらなくて」
「こんな遅くにまでトレーニングをする事は稀です。それにこの子は先ほど貴方とバトルをしたばかりで、本来なら訓練よりも休息が必要なのですが。少し思うところがありまして。貴方と同じですね」
 何かを抱えていると自らのたまったエリカが苦笑すると、今度はサトシの方が驚いた顔を見せていた。
 ジムリーダーと呼ばれるほどの力を持った人がバトルに関して悩むなどと考えたこともなかったからだ。
 そして種類は違うかもしれないが悩みと言う点で共通点を持ったエリカに、可能な限り言葉を形にして吐き出してみた。
「俺、これでも三つバッヂを持ってるんです。グレー、ブルー、オレンジ。ジムリーダーとバトルするたびに強くなったはずなのに、全然歯がたたない奴らが居た。悔しくて、辛くて。知りたかった、本当に自分が強いのか。でも、さっき貴方とのバトルで負けて……でも、何か。今までのジムでのバトルとは違う気がしたんだ」
 バッヂを賭けたか、賭けていないかの違いではない事ぐらいすぐにエリカも理解していた。
 自分の強さを知りたくて挑んだ戦い。
 エリカはここにもまた、強さと言う言葉に取り付かれたトレーナーが一人居ることに苦みばしった顔をしていた。
「サトシさん、でしたわね。貴方はポケモンに何を求めていらっしゃるのですか?」
「何を求め?」
「貴方がトレーナーである以上、ポケモンに強さを求める事は間違いではありません。所詮ポケモンバトルは力と力のぶつけ合いなのですから」
 はっきりと力と力のぶつけ合いと言い切りながらも、サトシはそう言ったエリカの表情の中に言葉とは違うものを感じ取っていた。
「ですが、自分のたもとにポケモンも折らず、たった一匹のポケモンを受け取るその日まで、待ちに待っていた貴方は何を考えていましたか?」
 強さとは全く関係のない問いかけに、サトシは戸惑いつつ言われた通り思い出そうとした。
「初めて受け取ったポケモンで相手を打ち倒すことを真っ先に考える人は稀です。貴方は何を考えていましたか? 受け取るはずのポケモンの種族ですか? ニックネームですか? それとも仲良くやっていけるか心配していましたか?」
「ちょっと待って、そんなに一変にポンポン言わないでくれ」
「いいえ、これは大切なことです。そこに貴方がポケモンに何を求めていたのかと言う答えがあります。そして出来れば今の自分との矛盾があってほしいものです」
 そこでようやくエリカの言葉の猛襲は終わりをつげた。
 だが依然としてサトシの頭の中では、エリカが放った言葉がグルグルと駆けずり回っていた。
 矛盾とまでは行かないが、確かに今の自分には違和感を感じるところがある。
 自分が強いのか、トレーナーとして何処まで強いのか知りたがる自分。
 何処までも強くありたい、ロケット団に背を向けず返り討ちに出来るぐらい力を欲している自分が居る。
 だが違和感が残る。
 ロケット団に襲われるポケモンが居れば助けたい。
 そこには違和感を感じない。
 ならばポケモンを襲うロケット団に打ち勝ち、追い払いたいか。
 追い払いたい、バトルでコテンパンにやっつけて打ち勝ちたい。
 そこに違和感を感じる。
 ロケット団からポケモンを助ける事と、ロケット団を追い払う事は同じではないのか。
「答えが直ぐそこにあるはずなのに、全く見えない。思い出せ、俺は何を考えていた。自分が強いのか、最初からそれを知りたがってたのか?」
「貴方の思い悩みの答えはそこにあるはずです。よくよくお考えください、そして答えが出た時にこそ正式なジムバトルをお受けいたします」
 エリカははっきりとそう約束してくれてはいたが、サトシは自分の中に潜む矛盾を見つけられそうにはなかった。
目次