第二十四話　イワヤマトンネル
　サトシたちが一目散にポケモンセンターに逃げ戻ると、蜂の巣を突いた様な騒ぎとなっていた。
　河と山に隔てられた場所に無人発電所があったとはいえ、何らかの方法で雷鳴と共に空を飛ぶサンダーが確認できたらしい。
　元々トレーナーたちが詰め掛けていた事に加え、研究家や、報道陣なども詰め掛けてポケモンセンターは人が居ない場所を探す方が難しいほどに人であふれていた。
　疲れ果てていたサトシたちがゆっくりと休める場所もなく、一時間と少しの待ち時間を経てようやく食堂の一つのテーブルへと着く事ができた。
　言葉なく席に座り込んだ三人は、空腹でお腹が悲鳴を上げながらも目の前の食事になかなか手を付ける気になれなかった。
「僕らは、何も出来なかった」
　天井を見上げだらしなく口をあけたまま、シゲルが呟いた言葉が今の三人の思いの全てであった。
　ロケット団に歯がたたない事は知っていたし、予想もしていた。
　コレまではずっと歯がたたないながらも事は良い方向に流れて最悪の事態にはならなかった。
　ロケット団との最初の出会い、お月見山では二つの強奪された化石のうち一つを取り戻し、ハナダシティではコイキング詐欺を止め、捕まったケーシィたちを逃がす事ができた。
　だが今回ロケット団幹部のムサシとコジロウに歯がたたないどころか、助けようとしたサンダーに逆に助けられる始末。
「私たちがのこのこ無人発電所に行かなければ、サンダーがわざわざあの時出てくる必要はなかったのよね。何やってるんだろ、私たち」
　伝説のポケモンに出会ったという興奮もなく、ただただ後悔だけが波のように打ち寄せてくる。
「俺たち、少しでも強くなれてたんじゃなかったのか？」
　そう呟いたサトシの右手は、上着の胸辺りを握りつぶしていた。
　丁度裏側にジムバッヂがつけられている場所である。
　強くなったはずの証であるジムバッヂが、互いにぶつかり合ってギリっと音を鳴らす。
「そうよ。サトシはジムバッヂを三つもゲットしてるのよ。なのに……」
「確かにマサラタウンを出た頃に比べればね」
　引っかかりのある物言いをしたのはシゲルであった。
「確かにサトシは、タケシさんやカスミさん、マチスさんに勝ってきた。だけど、あくまでそれはジムリーダーとしての彼らに勝っただけだ」
「どういうことだよ」
「タケシさんに聞いただろ。ジムはトレーナーが学ぶ為の場所だって。ジムリーダーはあくまで、トレーナーの能力を伸ばすためにバトルをする。必ずしも全力で戦う必要はないんだ。タケシさんのイワークは竜の息吹が使えたはずだ。なのにサトシとのジムバトルでは体当たりと岩落としぐらいしか使わなかったのが良い証拠だ」
「そう言えば、そうね。カスミはわからないけど、マチスさんは足を怪我したライチュウで態々技の早撃ち勝負を仕掛けてきた」
　ジムバッヂを持つという事は、ジムリーダーを越えたわけではなく、あくまで認められたという意味という事であった。
　以前ならばそれでも十分と思えたはずだが、サトシは悔しくて堪らなかった。
　思い上がっていた自分がである。
　今まで出会ったジムリーダー達を越えたと勝手に思い込み、自分に強くなって欲しいと願っているであろう彼らの気持ちを踏みにじった気がしたのだ。
「サトシ、余り」
「おい、そこのお前ら」
　声に含まれた棘が何処へ向いているのか、考えるまでもなく三人は声が聞こえた方へと振り向いていた。
「後ろがつかえてるんだよ。見りゃ解るだろ。飯食わねえのなら、席を空けろ」
　そう自分達もまた長い時間を掛けてようやくこのテーブルへと腰を落ち着ける事が出来たのである。
　それでもまだ立ち並び席を待っている人が居れば、そこから怒りの声が飛ぶのは解らないでもない。
　ただ今のサトシにとっては余りにもタイミングが悪かった。
　自分の中へと向かっていた苛立ちを向けられる格好の相手が現れたからだ。
「おう、なんだよ」
　無言で立ち上がりモンスターボールへと手を伸ばしたサトシの腕を、シゲルが掴んだ。
「何を考えてるんだ。馬鹿な喧嘩にポケモンを使ったりなんかしたら、それこそタケシさんたちに申し訳ないだろ」
「さっさと食べて、次の街を目指しましょう。ここに留まっていても、良い事は何もないわ。特に精神的にね」
「悪い」
　一言ポツリと二人へと向けて謝ったサトシは、大人しく席についてすっかり冷めてしまった食事に手を伸ばした。





　ルカサの提案通り、食事を終えて直ぐにサトシたちはポケモンセンターを後にした。
　サンダーが発見された事で盛り上がるあの場所では、どこでどうしていても無人発電所での出来事を思い出されてしまう。
　そうなればその場所を離れるしかないが、それだけですっかり忘れられると言うわけでもなかった。
　イワヤマトンネルの暗い洞窟を通る三人の足取りは、普段の半分以下に遅くなっていた。
　お喋り一つなく、三人がそれぞれの考えに没頭しながら進んでいく。
「あ〜、もう。暗い、暗い、くーらーいー！」
　あまりにも三人らしくない雰囲気に最初に耐え切れなくなったのは、ルカサであった。
　元々暗がりは苦手であることに加え、重苦しい雰囲気にストレスが掛かっていたのだろう。
　無意味に手足をぶんぶん振り回し、一回か二回程度はサトシやシゲルをぶったりしていた。
「痛ッ、こらルカサ。危ないだろ、暴れるな」
「やだやだ、暗すぎる。もっと明るく行こうよ、楽しく行こうよ。辛い事はあった。けどそれを引きずる必要なんてないじゃない」
　主に殴られているのはシゲルであったが、俯きながら聞いていたサトシの背筋が伸び始めていた。
「そうだよな。解らなければ次のジムで試せばいい。頼み込んで手加減抜きで戦ってもらおう」
「決意はわかった、だからサトシもルカサを止めてくれ」
「さあ後はシゲルだけよ。元気出しなさい」
「僕はサトシほどに落ち込んでない。むしろすでに通常の状態だ」
　いつの間にか殴る蹴るから、ルカサはシゲルの背後に回りこみその首に腕を巻きつかせていた。
「ぐえ……くるしッ」
「元気元気、元気だせー！」
「目指す街はどっちだ。次のジムは何処だー！」
　サトシが両腕を上げながら洞窟の奥へと叫び、シゲルは相変わらずルカサに喉を絞められたままである。
　暗がりのせいでわかりにくいが、その顔は酸素を失い白く血の気まで失い始めていた。
　震える手でルカサの腕を掴むと、渾身の力でルカサの拘束を解き始めた。
「苦しいと言うか、離してくれ。僕は君らほど落ち込んでない。元気すぎるほどに、元気だー！」
　抗えば抗うほど力を込めてくるルカサの腕を振りほどいたシゲルは、肺が破裂するほどに息を吸い込んで叫んだ。
　余りの声の大きさにビックリしたサトシが振り返り、ルカサは解かれた手で両耳を押さえていた。
　ぜえぜえと荒い息をしていたシゲルは、まだまだ怒りが収まらないと耳を押さえていたルカサを睨みつける。
　サトシもルカサもストレスを溜めたままいなせるほど器用でない事は解っていた。
　だがやってはいけない事もあると、アーボのヘビ睨みに近い目つきで耳を押さえていたルカサを睨みつける。
「あは、落ち着きましょう。ね、シゲル。暗いところに加えて、シゲルにそんな目を向けられて、私泣いちゃいそうよ」
「君らの僕に対する態度は改めさせる必要があると思っていたところだ。覚悟は良いね、ルカサ。それとサトシも」
　両手を胸の前で開いてストップを駆けるルカサを無視して詰め寄ったシゲルは、次に忘れては居ないとサトシを見た。
　そのサトシがモンスターボールに手を伸ばし、辺りを警戒している姿を見て、頭に上った血を一時置き去りにする。
「サトシ？」
「今、揺れなかったか？」
　何か野生のポケモンが近づいているのか、口元に人差し指を置いたサトシがそんな事を言ってきた。
　直後、天井から落ちてきた小石がルカサの頭を直撃した。
「痛い。も〜、なんなのよ」
　ルカサに続いてサトシ、シゲルが天井を見上げると、砕けた天井の破片がさらに落ちてきた。
　それだけに留まらず、岩に亀裂が入り広がっていく音が続いた。
　天井が崩れる、そう感じて直ぐに三人はその場から駆け出していた。
　抜ける天井、舞い上がる粉塵、最後にとてつもなく大きな何かが天井より落ちてきた。
　大きな柱のような、だが洞窟のさらに天井に柱などあるはずがない
「ひええ〜、もう、シゲルが大声なんて出すから崩れたんじゃないの」
「また君はすぐに僕のせいに……アレは」
「イワークだな。うん、なんか前にも似たような事があったよな」
　以前タケシが持っていたイワークを見たことがあったが、このイワークは野生であるからなのか更に大きく見えた。
　サトシたち三人ぐらいなら一口で飲み込めてしまいそうである。
　崩れた天井から落ちてきたイワークは、目を回しているのか眠っていたのか瞳を閉じていた。
　そのイワークがゆっくりと瞳を開けたとき、目を回していたのか眠っていたのかは一目瞭然であった。
「に、逃げろ！」
　言われなくてもと、シゲルもルカサも続いて走り出した。
　眠りを邪魔されたイワークは、真っ先に逃げ出したサトシたちを犯人だと定めて追いかけてくる。
　岩の体をうねらせて、多少の障害物は踏み潰し砕いて駆け抜けた。
「僕らは岩タイプに何か運命的なものでも持ってるのか。お月見山でもこんな事、あっただろう。サトシの言う通りだ」
「今はあの時の比じゃないわよ。今度こそぺちゃんこになっちゃう！」
　走りながら、サトシはシゲルとルカサの言葉を頭の中で反芻していた。
　確かに自分もお月見山での似たような場面を思い出した事は間違いない。
　だがあの頃とは違う。
　違っていたいと、サトシは足を硬い地面へと叩きつけて走ろうとする体を止めた。
　帽子の唾を押さえて深く被ると、ベルトのモンスターボールへと手を伸ばして迫り来るイワークをにらみつけた。
「まだ自分が強いのか、弱いのかさえわからないけれど。確実に言えるのは、あの頃とは違うって事だ。フシギダネ、君に決めた！」
「何やってるのよ、もう。ゼニガメ、お願い」
「リザード、君の力を貸してくれ！」
　サトシに続いて慌ててルカサとシゲルが一番慣れ親しんだモンスターボールを放り投げた。
　久方ぶりにそろう三体のポケモンは、お互いに見合ってから迫り来るイワークをにらみつけた。
「「「体当たり！」」」
　そろうサトシたちの三つの声を聞いて、フシギダネたちが駆け出した。
　向かってくるイワークを相手に物怖じせず、正面からぶつかっていった。
　イワークの方もさらに体を加速させて、自分よりも小さいながら向かってくる三体のポケモンへと頭を低くして突っ込んだ。
　一対三とは言え、明らかに体格に差がある事から互いの体当たりは互角であった。
　むしろイワークの方がやや優勢であったかもしれない。
　ジリジリとフシギダネたちが押され始めていた。
「体格に勝る相手に体当たりは厳しいか。サトシ、ルカサ」
「直接がダメならね、解ってるわ」
「行くぞ」
　このままではいずれ押し切られると、三人は同時にフシギダネたちを下がらせた。
　そしてすぐさま似て非なる指示を下す。
「フシギダネ、葉っぱカッター」
「リザードは火炎放射」
「ゼニガメ、水鉄砲よ」
　その声を聞いて誰よりも早く動いたのは、イワークであった。
　体当たりの為伏せていた体を起こし、そのまま反りあがらせる。
　体を反らせた上体絵睨みつけるのは、迫り来る葉っぱに火炎、放水である。
　イワークの口が開き、その口内にエネルギーの奔流が見て取れた。
　放たれた竜の息吹が葉っぱや火炎、水鉄砲にぶつかり互いのエネルギーを喰らいあって爆発を起こした。
　エネルギーが白煙となって洞窟内へと広がっていき、サトシたちの方でもフシギダネたちの姿が煙の中に消えてしまう。
「くそ、この煙じゃイワークを見失ってしまう。気をつけるんだ」
　せめてフシギダネたちが混乱せぬようにシゲルがそう叫んでいると、サトシがしゃがみ込んで地面に触れた。
　もともとはっきりとした意図があってその行為をしたわけではなかったようだが、僅かが揺れが腕を伝わった直後立ち上がり叫んだ。
「イワークは地面の中だ。下から奇襲してくるぞ！」
　サトシの叫びと時を同じくして、地面が割れる音が洞窟内に響いた。
　あたりに充満していた煙が荒々しい奔流を描き薄れていっき、視界が取り戻された頃には床下から突き上げてきたイワークに打ち上げられているフシギダネたちがいた。
　余りの急展開に動けたのは、やはり一番バトル慣れしているサトシであった。
　フシギダネの目も多少のダメージを移しながらも死んではいなかった。
「フシギダネ、居合い斬りだ」
　背負った種の下から風を切るような速さでつるのムチが振り切られた。
　追撃をしようとするイワークの横っ面を叩き、今先ほど飛び出した来た床へと叩き落した。
　空中に打ち上げられた状態での居合い斬りは、普段の半分も威力を発揮する事は出来なかった事だろう。
　だが空中で無防備な姿をさらしていたリザードやゼニガメが地に足をつけて、体勢を立て直すには十分な効果があった。
　さらに、居合い斬りをくらい地面に落ちたイワークと違い、リザードとゼニガメは直ぐにでも先手を取れる格好となった。
「今だ、リザード。アイアンクロー」
「ゼニガメ、もう一度水鉄砲よ」
　倒れているイワークへとゼニガメの水鉄砲が当たり、苦悶の声が広がる。
　更に水鉄砲が途切れる直前に、鋭い爪にエネルギーを溜めたリザードが迫っていた。
　振り切られる爪がイワークの岩の肌を砕き削っていく。
　もはや勝負は見えた、その時だった。
　真っ赤なモンスターボールが倒れているイワークへと向けて放たれたのは。
「「え？」」
　声を重ねて疑問の声を挙げたのは、サトシとシゲルであった。
　なぜならばそのモンスターボールを投げたのは、可愛いポケモンにしか目がないはずのルカサであったからだ。
　モンスターボールはイワークに当たると、その口を開けてイワークを取り込んでいった。
　地面に落ちると、ゆらゆら、ゆらゆらと揺れる。
　最後に大きな人揺れの後、ボーンと言う低い音がなって揺れが収まった。
　イワークを捕まえたモンスターボールを拾うと、目の前まで持ち上げたルカサが一言呟いた。
「ごめんね、皆でよってたかって攻撃しちゃって。大きな声を出してビックリさせちゃったのは私たちなのに」
　頭を下げたルカサの額が、モンスターボールにコツンと当たる。
　ルカサの姿を見て、特にサトシは自分達が変わってしまったことを感じていた。
　まだ明確にそれが何とは言えないが、歓迎できない方向に自分達は変わってしまっていた。
　イワークの眠りを邪魔した挙句、向かってくるからと複数のポケモンを向かわせてしまった。
　そんなものポケモンバトルなんかではない。
　ルカサの言った通り、寄ってたかって攻撃するなど、ロケット団と何も変わりはしない。
　酷く自分にイラついたサトシは帽子の唾を押さえて目深に被っていた。
「サトシも、シゲルもごめんね。怪我させたまま放っておけなくて、ゲットしちゃった」
「ルカサがそれでいいのなら、僕は何も言わないよ。確かに、あのまま放っていくのはちょっと思うところがあるし」
「俺も別にいいぜ」
　短く呟いたサトシは、先へ、洞窟の奥へと歩き出してしまう。
　慌ててシゲルもルカサもその後を追いかける。
「でもいいのか、ルカサ。言っちゃなんだけど、可愛いポケモン以外余り持つつもりはないんだろ？」
「だからって放り出すわけにも行かないでしょ。ちゃんとこの子も育てるわよ。十分強い気もするけど……」
「三体がかりだったからね。野生のポケモンでも、トレーナーが育てるよりよっぽど強いポケモンがいるんだな」
　シゲルがしみじみと呟いた言葉に、サトシはますます自分が何を感じて何に苛立っているのか解らなくなった。
　ロケット団に成す術もなく負けた自分。
　あまつさえ野生のイワークにでさえ三人がかりでようやくと言ったありさまで。
　ただ自分が弱いという事実に苛立っているだけではない。
　だとすれば何に苛立っているのか、それが解らずサトシは振り返り言った。
「シゲル、次のジムがある街ってこの洞窟を抜けたら直ぐあるのか？」
「いや、この洞窟を抜けた先はシオンタウン、ジムはない。シオンタウンを抜けた次の街、タマムシシティに次のジムがあるはずだ」
「そうか、よし！」
　ジムに行けば、この苛立ちの意味が何かつかめるかもしれない。
　そう思ったサトシは足を速めるだけに留まらず、この暗いイワヤマトンネルの中を駆け出していた。
「あ、ちょっと待ちなさいよサトシ。何で急に走るのよ」
「そんなの早くジム戦がしたいからに決まってるだろ。のろのろしてると、置いていくぞ」
「まったく、そんなに慌てると転ぶぞ」
「シゲルが一番運が悪いんだから、まず自分が気をつけなさいよ」
　前を走るサトシを追いながら、気にしていたのかシゲルが胸に手を当てながら恨めしそうにルカサを見た。
「ちょっと気にしてるんだ。ずばずば、言わないでくれ」
「ずばずば言わなきゃ、私たちらしくないでしょ。今さら遠慮なんて言葉ないわよ」
　それもそうかと、納得するしかなくシゲルもまた足元に注意しながら駆け出した。
前 目次 次