倒れこんだフシギダネは、荒く息をつくでもなくまるで眠っているかのようであった。 サントアンヌ号のわずかな揺れがゆりかごの様でもあったが、そんな悠長な事は言っていられなかった。 静か過ぎることが逆に不安を増加させ、サトシは必死にフシギダネの名を呼んだ。 「フシギダネ、しっかりしろ。フシギダネ」 バトルに負けたとは言え、傷ついた自分のポケモンを心配するのは当然である。 なのにコレ幸いにとサトシへと向けられたのは周りのトレーナーたちからの嘲笑であった。 「勘違いしてマチスに挑戦なんかするからだ。これで身の程がわかったってもんだろう」 「そうそう。ちょっとポケモンが傷ついただけでオタオタしやがって。本当に素人丸出しだな」 サトシや治療に専念しているルカサは別にして、立ち上がり罵り言葉を放つトレーナーたちを睨み付けたのはシゲルであった。 もうここまで来れば、この船に乗り合わせたトレーナーたちが突っかかってくる理由も知れたものだ。 要はたいした功績もないサトシや自分達がこのサントアンヌ号に招かれた事が気に入らないのだ。 単純な嫉妬であるが、傷ついたポケモンを心配するサトシを詰るのは絶対に間違っている。 今度は自らポケモンバトルを行う事を辞さない覚悟でモンスターボールに手を伸ばそうとすると、静観していた人物の声が割って入った。 「ヘイ、ライチュウ。十万ボルト」 「ラーイ!!」 厳かとも言える威厳に満ちた指示の後で、辺り一体が光に包まれた。 ライチュウの放った十万ボルトが天を突き、反転して落ちてきたかと思うと先ほどまで詰り言葉を放ってきたトレーナーたちの目の前に落ちたのだ。 直撃ではないものの肌の産毛が逆立ち、運の悪いものは多少の痺れを受けていた。 それを指示したマチスは野太い腕を胸の前で組んで、不機嫌そうに仁王立ちしていた。 「ボーイズを笑ったトレーナーは前へ出な。ボーイ並みに俺と渡り合えるか試してやる」 誰一人として前へ出るトレーナーはいなかった。 誰もが俯きマチスと目を合わせないように俯いていた。 「ボーイ、ユーのバトルは欠点も多いが、ここにいるトレーナーたちとは違ってガッツがある。その気があるなら何時でもこの街のジムに来な。何時でもバトルを受けてやるぜ」 サトシへと向けてマチスはそう言うと、ライチュウをモンスターボールに戻して去っていった。 完全にパーティ会場は静まり返っており、沈黙を破ったのはフシギダネを看ていたルカサであった。 フシギダネを抱きかかえサトシに預けると言った。 「電光石火が綺麗に入りすぎて気絶しちゃったみたいね。でもモンスターボールに戻すよりは、何処かで寝かせてあげた方が良いわ」 「よし、船の何処かで部屋を借りよう。事情を説明すればどこか貸してくれるだろう」 「説明するまでもない、部屋を貸して欲しければワシのところへ来るが良い」 サトシたちへと歩み寄りながらそう言ってきたのは、何処か上級職を思わせる水兵服を着た初老の男の人であった。 加えパイプに目深に被った帽子と立派な顎ヒゲ、基本的な船長のイメージから飛び出してきたような人であった。 「怪しいものではない。見ての通りこのサントアンヌ号の船長だ。一部始終見ておった、ついてきなさい」 「ありがとう、船長さん」 差し出された好意にサトシは飛びつき、先を歩き出した船長の後をついていった。 パーティ会場から船内へと移動し、そのまま階段を上って奥へと進む。 突き当たりにある部屋のドアを船長が開けてくれ、指示されたテーブルへとサトシはフシギダネを降ろした。 もう一度しっかりルカサにフシギダネの状態を看て貰っていると、自分の部屋なのか執務机の椅子にどっかり座り込んだ船長が言ってきた。 「それ程心配なくても良い。あれでマチスはクチバジムのジムリーダーだ。ちゃんとライチュウに手加減するよう命じていたはずだ」 その言葉にホッとさせられもしたが、サトシの心には手加減されてなお敗北した事がのしかかってきた。 オーキド博士の言う通り、自分の未熟さを痛感するサトシであったが、そんなサトシを見て船長は笑っていた。 「確かに悔いが残るバトルではあったが、中々良い線を行っておった。そこのフシギダネの暴走がなければ、マチスとて手加減など悠長な事は言っていられなかっただろう」 「そう言えば、フシギダネが急にサトシの言う事を聞かなくなったわね。これでもう二度目、本格的にケアに当たった方がいいんじゃない?」 「そうは言うけれど、肝心の原因がわからないんじゃ対処のしようがない。旅立った当初とは違うんだ。今日だってサトシはトレーナーとしてちゃんと指示を出していた」 「でもやっぱりフシギダネが言う事を聞いてくれないなんて、俺が何かしたのか?」 三人で頭を捻って考えるも、これといった事は思いつかなかった。 ハナダジムでのバトルを前後して、フシギダネは何処か様子がおかしくなり始めていた。 一体何が切欠だったのか、以外にもヒントをくれたのは船長であった。 「トレーナーに不満がないとすれば、答えは一つだ。不満なのは自らの力不足だろう。先ほどのバトルでは、最初違うポケモンを出そうとしておったな」 「フシギダネの調子が悪い事は知ってたから、一番攻撃力の高いユンゲラーを出そうとしてフシギダネが……アレ、そう言えばハナダジムの時も」 サトシが引っかかった点には、ルカサもシゲルも同感であったようだ。 「そうだ、ハナダジムでもサトシがユンゲラーを出そうとしたらフシギダネが勝手に飛び出した。そもそもフシギダネの様子がおかしかったのは、ユンゲラーが仲間になってからだ」 「自分の力不足。そう、サトシ言ってたわよね。フシギダネが壊せなかったケーシィたちが捕まっていた檻を、ユンゲラーが壊したって。もしかしてそれが相当悔しくて、ユンゲラーに過剰なライバル意識を持ってたんじゃない?」 フシギダネはサトシの一番最初のポケモンであり、付き合いが長い分だけ手持ちポケモンの中のエースであった。 だがある日突然ユンゲラーのような強力なポケモンが現れれば、そのエースの座も危うくなる。 フシギダネにエースとしての意識があればなおさらである。 「ダ、ダネェ」 フシギダネの不調の原因がわかり声が大きくなっていたのか、起こされるようにフシギダネが鳴き声を上げた。 まだまだきちんと起き上がる元気はないようだが、サトシはフシギダネの正面に回りこむとその頭をゆっくりと撫で付けた。 「ごめんな、フシギダネ。お前の気持ちに気付いてやれなくて。俺も強い力を持ったユンゲラーに頼りきりになろうとしてたみたいだ」 「ダネダネ!」 違う違うとでも言いたげにフシギダネは首を振っていたが、そんなに必死になって否定すれば肯定したも同然である。 「まあ、兎に角原因がわかったんだから、一件落着ってところかしら」 「それはどうだろう。結局フシギダネが自分の力不足を吹き飛ばせるだけの力を手に入れない限りは、無理なんじゃないだろうか」 「そこでだ!」 急に船長が大きな声を上げた為、ルカサもシゲルも耳を押さえて体を縮こまらせていた。 「そこのフシギダネ、新しい力が欲しくはないか? 自らの力不足が不満なのだろう?」 「ダネ、ダネダーネ!」 船長の問いかけに食いつくほどにフシギダネは激しく鳴いていた。 まだ体の具合が思わしくないのに、立ち上がろうと四肢に力を込めて体を起こそうとしていた。 慌ててフシギダネを支えようとしたサトシであったが、そこはグッと我慢して船長に振り返った。 「どうすれば良いんですか。どうすれば俺のフシギダネは、今よりももっと強くなれるんですか。お願いします、教えてください!」 「ダネ!」 「ポケモンは自ら技を覚えるだけでなく、人から教わる事もできる。つまりはそう言うことだ。さて、ここからは秘伝中の秘伝。そこの二人にはしばらく船内でも散歩してもらおうかの」 最初からフシギダネに何かを教える事が目的であったのか、そう疑えるほどに船長はシゲルとルカサを部屋の外へと追い出してしまった。 余りにも急な態度の変わりように二人ともしばらくドアの前で呆然としており、やがてお互いに顔を見合った。 散歩してこいと言われたのは良いが、どうしようかと。 たいした時間悩んだわけでもないが、シゲルもルカサもせーのでタイミングを合わせて言い合った。 「「甲板に戻って、馬鹿にしてきたトレーナーたちとバトル」」 ピッタリ息が合った言葉に、互いに手を挙げてパチンと叩きあった。 まだパーティ会場を後にしてそれ程時間が経っていなかったせいか、ほとんどのトレーナーが会場に残っていた。 トレーナーたちがお互いに情報交換、もしくはゲットしたポケモン自慢などの話に華を咲かせている所へ戻り、辺りを見渡してすぐに見つけた。 一番最初にシゲルたちに絡んできたトレーナーである。 早速そのトレーナーの下まで歩いていくと、目前でシゲルとルカサはじゃんけんを行い、勝ったルカサが話しかけた。 「そこの貴方、私とポケモンバトルしない? まだまだ素人の私たちにご教授願えないかしら」 「はっ、お断りだね。何で俺がお前らなんかと」 「残念だったな、ルカサ。どうやら彼はバトルするのが怖いらしい」 突っぱねてきた相手に絶妙のタイミングでシゲルが言った。 絶句しかけたトレーナーを前にして、ルカサもまた阿吽の呼吸で言い放つ。 「怖がりやさんをバトルに誘うなんて私が馬鹿だったわ。ごめんなさいね、怖かったでしょう? もう誘わないから安心してちょうだい」 「そこまで言ったんだ、後悔するなよ!」 上手く挑発に乗ってくれたトレーナーが距離をとって、先にモンスターボールを放り投げた。 モンスターボールの中から現れたのはワンリキーであり、自らの筋肉を誇示するかのように筋肉をみなぎらせていた。 さすがに何のポケモンが出てくるかまでは予想していなかったが、迷うことなくルカサはモンスターボールを放り投げた。 地面に垂直に突き立てられたように立っているポケモン、トランセルの登場に距離を取って観客に回っていたトレーナーたちの忍び笑いが漏れた。 進化前のキャタピーか最終進化系のバタフリーならともかくとして、進化途中のトランセルをバトルで出すのは本当に素人の証だからだ。 「トランセルが硬くなるしか使えないのを知らないのか。ワンリキー気合溜めだ。次の最初の一撃で終わらせてやれ」 「トランセル、硬くなるよ。相手の言葉なんか気にしないで」 相手のトレーナーの指摘通りルカサはトランセルに硬くなるを指示していた。 早くも決着が見えたかのように観客に回っていたトレーナーたちは詰まらなさそうに眺めていた。 だがルカサは勝機を見失うことなく、後ろで控えていたシゲルへと微笑みかける余裕さえ見せていた。 なぜなら相手がわざわざ気合溜めを選択したことから、こちらの術中にはまっていることが解ったからだ。 「さあ、トランセルを引っ込めるなら今のうちだぞ」 「心配後無用、そっちこそワンリキーを引っ込めるなら今のうちよ」 「後悔しろよ、ワンリキー空手チョップ!」 トレーナーの指示に従って、直立不動のトランセルへとワンリキーが駆け出した。 小刀のように手の平を振り上げ突進してくるが、ルカサの指示はまだ出なかった。 「ワン、リキー!」 ワンリキーが距離を見定め、振り上げていた手の平をさらに引き絞るように振り上げた。 ルカサの指示が飛んだのはその瞬間であった。 「トランセル、大きく飛び跳ねて糸を吐く!」 空気を裂く様にワンリキーの空手チョップが放たれるが、寸前でトランセルが上空へと飛び上がった。 トランセルは動く事が出来ないという固定概念を持っていた多くのトレーナーたちが、トランセルの跳躍に驚きの声をあげていた。 確かにトランセルは通常動くことはないが、全く動けないわけではないのだ。 空手チョップを外し、さらに気合十分だったためワンリキーは大きくバランスを崩していた。 そこへ飛び上がったトランセルが上から糸を吐きかけ、ワンリキーの動きを封じてしまう。 「そんな、馬鹿な!」 「さあトランセル。しっかり硬くなった貴方の攻撃を見せてあげなさい。体当たり!」 空へと飛び上がっていたトランセルが、くるんと一回転した。 また一回転、さらにもう一度と回転し続ける。 落下を始めたトランセルは高速に回転する事で円盤のように見えるまでになっていた。 そのまま糸にまごつくワンリキーへと回転付きの体当たりを食らわせ吹き飛ばした。 「ワンリキー、立て。まだいけるはずだ」 立ち上がろうにも糸はまだ絡まったままで、身動きの出来ない状態での体当たりはかなりのダメージであった。 もがく力も段々になくしていき、やがて力尽きたワンリキーは大量の糸の中で気絶してしまった。 「やった、トランセルお疲れ様。シゲルもありがとうね」 「まあ、相手が侮ってくれるのは十分予想できた事だからね」 船長の部屋の前でと同じように、ルカサが掲げた手の平にシゲルがパチンと手を合わせた。 もしも最初のジャンケンでシゲルが勝っていたならば、コイキングを出す予定であった。 あまり強くないポケモンを出す事で、心の隙をつく作戦であったのだ。 それにまんまとはまってしまったトレーナーは、ワンリキーをモンスターボールに戻すとすごすごと引き下がっていった。 シゲルもルカサも、次は誰だと周りのトレーナーを見渡したが、どう考えても同じ手は通用しない目つきを皆がしていた。 それは油断どうこうと言うよりも、シゲルやルカサを対等に見るような目つきであった。 「思ったよりやるじゃねえか。よし、次は俺だ。俺のニドランとバトルしようぜ」 「おい、抜け駆けするなよ。次は俺だ!」 「男は下がってなさいよ、女は女同士。私のピカチュウと勝負よ」 もうそこに嫉妬に覆われた雰囲気はなく、ただただ良いバトルがしたいトレーナーたちがいた。 「それじゃあ次は僕だ。同じ手は通じない以上、コイキングには少し荷が重いかな。ならヒトカゲ、君の力を貸してくれ!」 ルカサと交代したシゲルが、モンスターボールからヒトカゲを出した。 周りのトレーナーたちの中でも順番を決め、シゲルの前に立ってモンスターボールを放った。 シゲルのバトルが終われば次はまたルカサがバトルを行った。 時にはダブルバトルを交えながら、シゲルとルカサは多くのトレーナーたちとバトルを行っていった。 シゲルもルカサも手持ちのポケモンが少ないため、途中から観戦に回る事が多くなっていた。 船上パーティがいつの間にかバトルパーティへと変わり、それが終わる頃にはすっかり夕暮れとなり海の向こうに夕日が落ちようとしていた。 「疲れた、シゲルは三体いるからいいけど、私なんて二体よ。しかも一方はトランセルだし、ね? 疲れたよね?」 「トランセル」 船べりに持たれる様にへばっていたルカサが尋ねると、足元にいたトランセルが鳴いていた。 最初は勢いもあって勝ちを収めることが多かったが、やはり経験差からか最終的には勝率は五割以下となっていた。 サントアンヌ号に招待されるだけの力を持ったトレーナーばかりだったからかもしれない。 「二体も三体もかわらないよ。それにこっちは海の上でイシツブテの動きが鈍かったし。ヒトカゲも微妙に怖がってたしね」 「カゲ……」 バトルの暴れっぷりとは違い、ヒトカゲはシゲルのズボンから手を離さないようにしていた。 その姿を二人して笑っていると、キョロキョロと辺りを見渡しながら歩いてくるサトシが見えた。 どうやら自分達を探しているようで、二人は手を挙げて知らせてやる。 駆け寄ってきたサトシは開口一番、驚いたように言ってきた。 「二人とも何かあったのか? ここまで来る間に、アレだけ冷たかったトレーナーたちが普通に話しかけてきてビックリしたぜ」 「ちょっとね、トレーナー同士の交流って奴かな」 「早い話がバトルしてただけだけどね。結構楽しかったわよ」 「ああ、俺が居ないうちに。ずるいぞ、二人とも」 いつものサトシらしい台詞に、どことなくフシギダネの事は解決したような空気を感じた。 「それで船長さんの秘伝って一体なんだったんだ?」 「そうそう、気になるじゃない。こっちはいきなり部屋を追い出されたんだから」 「まだ未完成だから秘密だ。しばらくはこのクチバシティに留まって、可能な限り船長さんに教えてもらう予定。いいだろ?」 基本的に旅路はサトシのジム戦を基本にしているため、二人とも文句はなかった。 沈みかけだった太陽が、今は八割方沈みこんでおり、今日はもうポケモンセンターへ行こうと言う事になった。 さっそくシゲルはヒトカゲを、ルカサはトランセルをモンスターボールに戻そうとした。 二人がそれぞれにモンスターボールを向けたとき、ヒトカゲ、トランセルの体が光だし、輝きに包まれ出した。 「ちょっと、これって」 まさかというルカサの呟きを肯定するように、ヒトカゲはその体が急成長をはじめ、トランセルは硬い殻が割れて中から大きな羽が広がり始めていた。 二匹同時に訪れた進化にシゲルもルカサも言葉なく、サトシは一人悔しげにその光景を見ていた。 やがて滞りなく進化は終了し、ヒトカゲはリザードに、トランセルはバタフリーへと立派に進化を遂げた。 「あはは、ついにバタフリーよ。綺麗、これが貴方の最終進化系なのね。よろしく、バタフリー」 「フリー、フリー!」 伸ばした腕にバタフリーを下ろさせたルカサは、その綺麗な羽を褒めまくっていた。 「リザードか。これからもよろしく頼むよ」 「グアッ!」 一方リザードは、ヒトカゲの時とは比べ物にならないほどに鳴き声が低くなっていた。 体も丸っこい印象から鋭角的なものへと変化しており、鋭かった爪も一段と厚く立派に鳴っていた。 「いいな。色んなトレーナーとバトルしただけじゃなく、進化まで。俺も残ってバトルすればよかったぜ」 「何言ってんのよ。アンタは船長さんから秘伝を教わるんでしょ。何の秘伝か解らないけれど、それでフシギダネが強く慣れるならそれでいいじゃない」 「まあそうだけどさ」 「ほら、サトシ。ポケモンセンターへ行こう。あまり遅くなると部屋に空きがなくてロビーで寝泊りになるぞ」 欲張りなサトシの言動に苦笑しつつ、二体をモンスターボールに戻したシゲルとルカサは、サトシの背を押してポケモンセンターへと急がせた。
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