相変わらず新緑の眩しいトキワの森であったが、その森も終わりが見えようとしていた。 まだまだ辺りには茂みや木々が途切れる事はなかったのだが、その密度が明らかに下がり始めていたのだ。 とは言うものの注意してみていなければ解らない程度であり、地図を見ながら先頭を歩くサトシへと、ルカサが急かす様に問いかけた。 「ねえ、まだトキワの森を抜けないの? この森って一晩の野宿で抜けられるはずよね。もう今日で三日目よ?」 「お前が言うなよ。そもそも時間がかかったのは、初日にキャタピーと喧嘩したお前のせいだろ」 「うぐ、言い返す言葉もないけど。はーやーく、抜けたいの!」 相変わらずのルカサの虫ポケモン嫌いに溜息をついていると、シゲルがサトシの持っている地図を覗き込んできた。 「それで正直な話、あとどれぐらいで抜けられる目処なんだ? もう抜ける直前ぐらいにはきていると僕は思うんだけど」 「地図で見ると直ぐなんだけど、まだ一時間ぐらいは歩く必要がありそうだ」 「うぇー、なんだか歩く気なくなっちゃうわよ。ん?」 地面の上にへたり込んだルカサが、何かに気付いたように再び立ち上がり木々の向こうを覗き込もうと四苦八苦し始めた。 事情を知らないサトシやシゲルからは、ルカサが奇妙な踊りを始めたように見えたが違った。 ルカサの手招きについていき、少しばかり道を外れて森の中へと入っていく。 視界をさえぎっていた邪魔な木の枝をルカサが押しのけると、一人のトレーナーが一匹のポケモンを前に身構えていた。 「お、どうやら野生のポケモンとバトルするみたいだぜ。ちょっと休憩がてらに見学させてもらおうぜ。おーい、見学させてくれよ」 「ちょっとサトシ、いきなり堂々と出て行きすぎ。ごめんね、嫌だったら嫌って言ってくれていいから」 ガサガサと茂みを掻き分けサトシたちが出て行くと、小柄なトレーナーは妙な戸惑いを見せていた。 「え、あの……僕は、別に」 イタズラが見つかった時のように脅えたかと思うと、覚悟を決めたようにポケットの中からモンスターボールを取り出した。 「なんか妙だな」 そうシゲルが呟いたのには幾つが理由があったが、一先ずは様子を見ることにした。 小柄な少年の前にいるのは、両手とお尻に鋭く大きな針を持ったスピアーであった。 好戦的で凶暴な性格をしており、一匹だけと侮っていてはいつの間にか大勢に囲まれている事さえある。 サトシたちのような初心者が迂闊に手を出して、酷い目にあうことが多いポケモンでもある。 「イシツブテ!」 対する少年がモンスターボールから取り出したのは、石ころに顔と腕だけがくっついたポケモンであった。 代表的な岩、地面タイプのポケモンであり、堅い防御力を誇る事が多い。 飛び出したイシツブテは、キョロキョロと辺りを見渡し、少年の姿を確認して僅かに硬直するような姿を見せた。 「なあ、ルカサ。どっちがタイプ的に有利なんだ?」 「そうね、地面と虫タイプはお互いが不利って言う微妙な関係なんだけど、イシツブテは岩タイプでもあるからイシツブテかな」 「ああ、ややこしいな。なんで複数タイプのポケモンが居るんだよ」 「私に言われても知らないわよ。そう言うポケモンなんだから仕方がないじゃない」 サトシが今さらタイプの相性についてルカサに質問している間に、バトルは本格的に始まろうとしていた。 「体当たりだ、イシツブテ」 トレーナーの言う通り、イシツブテが浮いた体を加速させスピアーに向かっていった。 だが動きは明らかにスピアーの方が速かった。 向かってきたイシツブテの体を華麗に避けると、両手の針を連続してイシツブテに繰り出した。 鋭い針を利用した乱れ突きだ。 一回、二回、三回と確実にイシツブテの体にヒットしていく。 「イシツブテ、大丈夫?」 「ツブテ」 一度は地面にたたき起こされたものの、イシツブテは直ぐに立ち上がり平気だとでも言うように両の腕で力コブを作って見せた。 「うおお、すぐに起きたぞあのイシツブテ。すっごい硬そうだな」 「体が岩なんだからって言いたいけれど、それは別にしてもかなり育てられてそうね」 「イシツブテ、まるくなるだ」 次にトレーナーが発した指示に、ルカサだけでなくサトシまでもがエッという顔をしていた。 どう見ても単純な力押しで勝てそうな場面での防御力アップの選択が信じられなかったのだ。 硬いイシツブテの防御力をさらに挙げて堅実に行くつもりなのか、イシツブテが自分の体に磨きを掛け始めた。 だがスピアーの方はこれ幸いにと、体をわなつかせて気合を入れ始めた。 次の行動で勝負を決めるつもりなのであろう。 「サトシ、ルカサ。いつでもフシギダネとゼニガメを出せるようにしておいてくれ。危険になったら、すぐに助け出せるように」 「だってアイツまだ他にもポケモン持ってるかもしれないぜ。大丈夫だろ」 「僕の感が正しければ、そんな場合じゃないはずだ。出来れば今すぐにでも勝負をとめるべきなのかもしれない」 妙に確信づいた言葉に、仕方なくサトシもルカサも何時でもモンスターボールを投げられる準備をした。 確かにそろそろ決着をつけなければスピアーの仲間がきてしまうかもしれない。 だがシゲルの確信はまったく別の方向へと向いていた。 「イシツブテ、体当たりで今度こそ倒すぞ」 硬くなった体で防御力と共に攻撃力も上げたのか。 もう一度スピアーへと体当たりを仕掛けるイシツブテであったが、スピアーの方が素早いのは一度目の攻撃で解りきっている事であった。 今度はイシツブテよりも先に鋭い針を繰り出し二度貫いた。 イシツブテの表面を削り取るほどの威力は、気合を十分に込めたダブルニードルであった。 体を深くえぐられたイシツブテは、体当たりを実行するよりも前に地面に落ちて目を回してしまった。 「ああ、イシツブテ。戻って」 イシツブテの丸くなるよりも、スピアーの気合を貯めた一撃の方が勝っていた事がわかった瞬間でもあった。 またしてもズボンのポケットからトレーナーがモンスターボールを取り出すが、投げつける前に一度躊躇していた。 それでも決心して投げつけたモンスターボールからは、イシツブテと同じ岩タイプのイワークが飛び出した。 周りの木々よりも大きなイワークが、太陽の光をさえぎるほどに大きくそびえていた。 あまりの大きさに絶句したサトシたちであったが、驚くのはまだ早かった。 イシツブテのときと同じように辺りを見渡したイワークが突然その大きな体を地面へとたたきつけたのだ。 まるで地震の様な揺れにサトシとルカサは地面に投げ出され、ある程度何かが起こると確信していたシゲルは辛うじて近くの木に体を預けやり過ごす。 「きゃぁッ、なに。なんであのイワーク怒ってるの?」 「痛ぇ、思いっきりケツ打った」 口々に文句を言っても、イワークの怒りが収まる様子は見られなかった。 おさめられるとしたらトレーナーだけのはずであるが、 「イワーク、落ち着いて。イワーク!」 「ウガァー!」 指示を一向に聞こうとせず、あろう事かトレーナーまでもを巻き込むかのように暴れ出した。 「シゲルの言ってたのはこれの事だったのか?!」 「僕もここまで予想していたわけじゃない。けれど、まずはイワークを落ち着かせないと。二人ともフシギダネとゼニガメを出してくれ、僕のヒトカゲじゃタイプ的に不利なんだ」 「よーし、フシギダネ君に決めた!」 「お願いゼニガメ、あの子を落ち着けさせてあげて!」 二人がそれぞれフシギダネとゼニガメを出すと、イワークの視線が二体のポケモンへと向いた。 一時的にイワークの暴れる行動がおさまると、シゲルが駆け出した。 またゼニガメの人見知りの発動でルカサが騒いでいたが、それよりも先にとイワークを出したトレーナーの下へと走りその手を握って駆け出す。 「君はこっちだ。とりあえずイワークのそばから離れるんだ」 「でもイワークが、兄ちゃ」 思わず口に出た言葉を咎める事はなく、シゲルは安全な場所まで離れると言った。 「下手に戻そうとするともっと暴れるかもしれない。少しだけイワークを弱らせてくれ。イワークは草と水タイプに弱いはずだ」 「そう言うことなら、行けフシギダネ。つるのムチ」 「フシァ!」 「ゼニガメ、そろそろ貴方人見知りを直しなさい。あわで攻撃よ」 「ゼニゼニガ!」 虫や毒、蛇ポケモンが苦手な自分を棚に上げてルカサが言うも、ゼニガメはルカサの足からなかなか離れようとはしなかった。 その間にもサトシのフシギダネのつるのムチがイワークの体を強かに打ちつけた。 ぐらりと傾いたイワークへと遅れてゼニガメのあわが当たり連続してはじけていく。 「ああ、駄目だよ!」 「大丈夫だ、手荒にするつもりはない。少し弱らせるだけだ」 「違うよ、兄ちゃんのイワークはあの程度の攻撃じゃ怒らせるだけだ。ほら、見てよ!」 自分のポケモンではないという暴露よりも、少年の指差したイワークへとシゲル、そしてサトシやルカサの目が釘付けとなった。 明らかに不利なタイプの攻撃を受けたイワークが、わずかに体をぐらつかせるだけで直ぐにフシギダネやゼニガメをにらみつけたからだ。 効果は抜群のはずなのに、余り効いたようには見えなかった。 あまつさえ咆哮を空へと向かって高らかにあげると、自らの首を地面に突っ込ませ大きく土を舞い上がらせた。 岩場ではない為に岩の数が少ないが、まぎれもなく岩落としであった。 「サトシ、ルカサ!」 フシギダネやゼニガメどころか、二人をも巻き込んでイワークの岩落しが降り注いでいく。 空から降り注ぐ落下物に二人と二匹の悲鳴が重なり、地面へと倒れこんだ。 幸いだったのは岩よりも土が多かった為に、泥まみれになる程度で済んだことだろう。 だがまだ終わりではなかった。 土を被り直ぐには逃げ出せない格好となったサトシとシゲルの前に、イワークがその大きな体で立ちはだかった。 「仕方が無い、ヒトカゲ。二人を」 「そこまでだ、イワーク!」 タイプの不利を承知でシゲルがヒトカゲを出そうとすると、鋭い声が当たりに響き渡った。 するとそれまで暴れることしか頭になかったようなイワークの動きがピタリとやんだ。 それだけには留まらず、高く上げていた頭を下げて現れた青年の前に差し出すようにしてじゃれついた。 「ようし、いい子だ。ジロウ、イワークのモンスターボールを」 「兄ちゃん!」 少年が青年に駆け寄る時、そう呼んでいた。 言われて見れば逆立ったブラウンの髪や、細めの瞳は似通った雰囲気をかもし出していた。 そこでようやくシゲルのなかでは全てが繋がった。 ポケットからモンスターボールを出したトレーナー、現れたときのイシツブテやイワークの妙な態度、二匹が鍛えられている割には甘いトレーナーの指示。 弟が勝手に兄のポケモンを持ち出したのだ。 そう言うことかとシゲルがへたり込んでいると、複数の羽ばたき音が耳に届く事となった。 ハッとして辺りを見渡すと、先ほどのスピアーがいつの間にか居なくなっていた。 「まずい、皆早くこの場から逃げるんだ。さっきのスピアーが仲間を呼んできたみたいだ!」 「ちょっと待ってくれ、体が。フシギダネってお前も埋まってるのかよ」 「ダネ」 「重い……ゼニガメ、引っ張って。痛い、やっぱり引っ張らなくて土をどけて」 スピアーが現れると聞いてサトシやルカサは慌てて土くれの中から逃げ出そうとしていたが、のしかかってきた土の量が量である。 なかなか逃げ出せずにジタバタしているうちにスピアーたちが現れてしまう。 「ここは俺に任せてくれ。イワーク、竜の息吹!」 が次の瞬間、目の前が爆発と言う大きな嵐に見舞われた。 風圧でサトシたちを覆っていた土は吹き飛ばされ、サトシとルカサの二人をゴロゴロと地面の上を転がさせるほどであった。 その圧倒的な威力に技を撃たせた青年とイワーク以外は呆然とその光景を見ていた。 出会いがしらに放たれたイワークの渾身の技が、スピアーたちの怒りを打ち砕き、大人しく森の奥へと帰っていく。 よくよく見てみれば直撃させずにスピアーたちが現れた直ぐ目の前の地面が抉れており、直撃は避けていたようである。 なのに大勢やってきたスピアーのうち一匹とてこの場に留まるものはいない。 これがイワークの本当の凄さなのか、安全となってもサトシたちはしばらくの間身動きをとる事が出来なかった。 トキワの森から歩く事三十分と少し、サトシたちの目の前には大きくニビジムと書かれた看板が掲げられている建物があった。 疑いようもなくあのニビジムであり、そこへと案内してくれたのはイシツブテやイワークの正統な持ち主であった青年、タケシであった。 簡単な謝罪と自己紹介の後に改めて謝罪を行いたいのでと連れられてきたのだが、予想外すぎる事実である。 特にニビジムを指差して震えていたサトシはゆっくりとタケシへと振り向き聞いた。 「ここってまさか」 「ああ、一応このニビジムを任されているジムリーダーだ。家はこの裏手にあるから、こっちへきてくれ」 「ちょっと待った俺はここのジムに挑戦するためにきたんだ。俺の挑戦を受けてくれないか?」 「そうか、それは是非と言いたい所だが明日まで待ってくれないか。イワークはともかく、イシツブテの状態は看てやらないといけないからな」 やんわりと断られてから、サトシはイシツブテがスピアーに倒された事を思い出した。 その後のイワークの竜の息吹の威力と派手さにすっかり抜け落ちていたのだ。 「タケシさん、私少しなら治療の心得あるから看ましょうか?」 「僕も……手伝っていいかな、兄ちゃん」 ルカサが立候補した後におずおずと言い出したのは、タケシの弟であるジロウだった。 勝手にポケモンを持ち出したことをこっ酷く叱られた影響で、未だ乾かない涙を瞳に浮かべながら申し出てきていた。 「そうだな、それもちょうど良い罰になるだろう。ジロウ、お前はイシツブテの気が済むまで体を磨いてやれ。スピアーの攻撃でかなり体を削られたそうだからな。ルカサさんは、その間ジロウをお願いします」 「うん、ありがとう兄ちゃん」 「よかったね、ジロウ君。タケシさんが許してくれて」 実は勝手にタケシのポケモンを持ち出しただけではなく、ジロウは十歳に満たない年齢でもあった。 一応今回の事は皆の心の中にしまうことで決着はついているのだが、あえてシゲルは口にした。 「蒸し返すようで悪いですけれど、もう少しポケモンの管理をしっかりした方が良いのではないですか? 僕らはポケモンリーグへ告げ口するつもりもありませんが、何かが起こってからでは遅いですよ」 「返す言葉もない」 「違うよ、兄ちゃんは何も悪くないんだ。他の兄弟たちの面倒を見てて」 「他の兄弟?」 小さな兄弟が他にもいるのか、タケシに促されジムの裏手にある家に向かうとそれはすぐわかった。 立派なジムに比べてあまり裕福と言えそうにない一軒屋があり、その庭にたくさんの兄弟たちがいた。 男だけではなく女の子も、ジロウ以下八歳から一歳ぐらいまでそろっていそうであった。 「タケシ兄ちゃんと、ジロウ兄ちゃんだ!」 「お帰りなさい、イシツブテとイワークは?」 「この人達はだれ?」 赤子は年長組みに抱えられ、よちよち歩きの子は手を引かれ、わらわらと集まってくる。 コレだけの人数全てが兄弟なのか、声もなくサトシたちはタケシを見た。 「恥ずかしながら、全員が俺の兄弟だ。理由あって俺が全員の面倒を見てる」 「タケシ兄ちゃんお腹すいた」 「コレからこの人達を歓迎する為にご飯にするからな。あと少しだけ待っていてくれ」 ジロウの所業を黙っている為か、謝罪を歓迎と言葉を変えてタケシが言った。 「飯作るなら俺も手伝うぜ。コレだけの人数だと大変だろ」 「いや、しかし。君たちをもてなす為に」 「気にするなって。台所へ行こうぜ」 タケシが戸惑うのも当たり前であるが、気にするなと何度も言いつつサトシはタケシを台所へと押して行った。 「それじゃあ、私たちはタケシさんのイシツブテの具合を見ようか。ジロウ君。何処か良い場所はある」 「こっちだよ。ジムの中なんだけど、ポケモンをケアする部屋があるんだ」 家の中に案内される前に、サトシはタケシと共に、ルカサはジロウと行ってしまい、シゲルは所在無く突っ立っている事しかできなかった。 勝手に家に上がって待っていて良いものか。 悩んでいるうちにシゲルはすっかり子供達の好奇の視線にさらされていた。 「お兄ちゃんは暇なの? 皆の遊び相手になってよ」 「私おままごと」 「トレーナーとジムリーダーごっこ」 「ちょっ、ちょっと待ってくれ。僕は子守だなんてしたことが」 「遊んで、遊んで遊んで遊んでー!」 子供達の底知れぬパワーを前に、シゲルが断れるはずもなかった。 どう接すれば良いのか解らないままに、シゲルの子守が始まろうとしていた。 一方ルカサはというと、ジロウと共にジムの裏口から、ケアルームへと足を踏み入れていた。 そのうちの一つの治療台に歩み寄ると、ジロウがタケシから預かったモンスターボールの中からイシツブテを出した。 一度気を失ってからモンスターボールの中に戻したのだが、意識はしっかりと取り戻していたようだ。 傷の具合が良くなさそうに目元を苦痛に歪ませながら、治療台の上に寝転がった。 「まずどうするの、ルカサお姉ちゃん?」 「感謝する事ね。自分の主人じゃないのにイシツブテは戦ってくれたでしょ。その事についてありがとうって」 もうすでにジロウはイシツブテとイワークを持ち出したことで叱られている。 だからルカサは謝罪について口にする事はなく、単にポケモンへの感謝を促した。 「そうだね、イシツブテありがとうね。兄ちゃんの指示の方がよかったよね。怪我させてごめん」 「ツブテッ」 問題ないとでも言うように無理をしてイシツブテが微笑みかけ、ジロウも少し笑っていた。 「さあて、それじゃあ本格的に治療を始めましょうか。まずは削られた部分を埋めてあげないとね」 そう言うとルカサは自分のリュックの中を見てからケアルームの中を見渡した。 イシツブテは無機物タイプのポケモンなので治療スプレーなどの効きはあまりよくはない。 一般的なのはセメントなどで傷を塞ぎ、人為的なかさぶたを作ってやることである。 あとはイシツブテの自然治癒によって傷が治るに連れて、セメントなどは不純物となって排出されていく。 ニビジムは石や岩タイプを扱うジムだけあって、思ったとおりケアルームの中にセメントが用意されていた。 「ジロウ君は、このセメントを水で溶かしてあげて。私はその間にイシツブテの傷が何処にあるか正確に看ていくから」 「わかったよ、ルカサお姉ちゃん」 苦しそうに唸るイシツブテの体を丹念に見ていくと、大きな傷はやはりダブルニードルで受けた傷であった。 大きく罰の字に体が抉られており、最初の連続突きなどは傷が見つからないぐらいに傷が小さかった。 恐らくは直前の気合溜めのおかげで急所に当たってしまったのだろう。 「ルカサお姉ちゃん出来たよ」 「ありがとう。それじゃあ傷を埋めていくから、イシツブテを軽く抑えていて」 イシツブテの傷跡に溢れるほどセメントを流し込みはじめた。 「このセメントが乾いてからが本番。タケシさんに言われた通り、イシツブテの体を磨いてあげないとね」 セメントが乾くまで結構な時間がかかるのだが、不用意にイシツブテが動かないようにじっと抑えておかなければならない。 地味で辛い作業を紛らわせようと、ルカサは何か話題を探そうとした所で、一つ気になっていたことを見つけた。 ジロウがモンスターボールを持ち出したのは解っているが、遊び半分で持ち出したようには見えなかったのだ。 誰かに見せびらかすでもなく、わざわざ一人でトキワの森まで来てスピアー相手にバトルしようとしていたからだ。 「ねえ、ジロウ君。よかったらで良いんだけど、どうしてタケシさんのモンスターボールを持ち出したのか聞いて良い?」 「うん……十歳になるまでポケモンを持っちゃいけない事は知ってたんだ。ただそれでも、僕だってちゃんとバトル出来る事を証明したかったんだ」 「証明って、誰に? 友達とか?」 予想に反して自慢の為かとも思いなおしたルカサであったが、それこそ間違いであった。 「兄ちゃんに。ルカサお姉ちゃんも見たでしょ? イシツブテは僕のせいで負けちゃったけど、イワークの凄さとか」 「確かに私とサトシなんか有利なフシギダネとゼニガメ二人掛かりで危なかったわ。ジムリーダーって凄いのね」 「違うんだ。確かに兄ちゃんはすごいけど、元々ジムリーダーじゃなくてブリーダーになりたかったんだ。だけど、次男の僕でさえ十歳になってないから、兄ちゃんは自分の夢を諦めるような形でジムリーダーをしてるんだ。ジムリーダーなら挑戦者が居ない間は家の近くに居られるし、収入も安定してるから」 そこでルカサはタケシがとある理由から自分が面倒を見ていると言っていた事を思い出した。 つまりジロウは自分でもジムリーダーが務まることを証明したくて、タケシのポケモンを持ち出したのだ。 恐らくはタケシが不在の間はジロウが他の兄弟の面倒を見ているのだろう。 その辺りの自覚からポケモンを持ち出したのだ。 本当にしっかりした、さらにしっかりしようとするジロウを見て、思わずルカサはジロウを抱き寄せていた。 「なんだかそう言う、背伸びし続けようとする所ってとっても可愛い!」 「あ、ルカサお姉ちゃん!」 本能に逆らえずに行った行動のおかげで、体を固定していたイシツブテがゴロンと転がってしまった。 おかげでまだ固まる前のセメントがイシツブテの傷の上から流れ出してしまう。 「ツブテ」 「ルカサお姉ちゃん……」 「あはは、やっちゃった。ごめんねジロウ君、イシツブテ。もう一回やり直そうか」 照れ笑いしつつ謝ったルカサは、治療のやり直す為にセメントを作り直し始めた。
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