第四話 勇気をふりしぼれ

 孝也と信博が次に目を開けたそこは、薄暗い屋内であった。
 部屋を満たす灯りは松明の僅かな灯りで、それに照らし出されるのは石畳の床と同じく壁。
 鉄格子で廊下と区切られたそこはどう見ても牢屋にしか見えなかった。
「ここ、また変な場所に出ちまった!」
「孝也君落ち着いて。持ち物を確認しようよ」
 言われて確認しようにも、孝也は元々金属バットしか持ってきていない。
 確かに金属バッドを手に持っていた事は安堵できることだったが、確認は一瞬で終わってしまった。
 しかたなくリュックを下ろして中身をチェックし出した信博の手元を覗き込むように、何を持ってきたのか見る。
 何があって何が欠けているのかは孝也にわかるはずもなく、面倒になってからここは何処だともう一度辺りを見渡す。
 床は泥か汚れか判別できないほどに汚く、何処かかび臭いようなすえた臭いがする。
 そして最も重大な、部屋と廊下を区切る鉄格子の扉に手をかけて揺さぶる。
 押しても退いてもガチャガチャと金属同士がぶつかる音しかでず、鍵がかけられている事がわかる。
「俺たちって確か逃げてから穴に落っこちて、これってやっぱり捕まったって事だよな。ガンちゃん、どう思う」
「ちょっと待ってね」
 一度出したものを再度リュックに詰めなおした信博が振り向き、孝也と同じように鉄格子に向かう。
「孝也君と同じ意見だけど、捕まった事になってるんだろうね。元の世界に居た間、こっちで僕らがどういう扱いなのかわからないけど」
「捕まったんなら抜け出せばいい。とりあえず、ここを出てセレナさんを探そうぜ」
 言うや否や、孝也は持っていた金属バットを牢屋の入り口目掛けて振り上げた。
 その行動にギョッとしながらも信博が両耳を急いで塞いだ直後、硬い音が牢屋の中だけでなく外の廊下の奥の奥にまで響き渡った。
「痛ぇ〜……かた、痛ッ」
「人を捕まえておく為の場所だから。手、大丈夫?」
「これぐらいなんでもない。一度で駄目でも、何度でも試してやるよ!」
 心配そうに手を掴もうとしてきた信博を押し止め、孝也はもう一度金属バットを振り上げた。
 今度はさっきよりも勢いをつけるために、大げさに体がそりくり返らせる。
 そして振り下ろそうとした所で、以前にも聞いた憶えのある音が二人の耳に届いてくる事となった。
 ずりずりと、袋に砂を詰め込んだものを引きずるような音に、孝也と信博が顔を見合わせる。
「ガンちゃん、これってもしかしてアレだよね」
「騒ぎすぎたんだよ。どうしよう、こんな場所じゃ逃げ場なんてないよ」
 大きな体を小さな孝也の後ろに隠そうとする信博を庇いながら、孝也は脅えそうになった自分に活を入れて息巻いた。
「違う、もう逃げない。倒してそのままここを出るんだ」
 ギュッと金属バットに力を込めて握る孝也であるが、作戦とは呼べもしない考えであった。
 鉄格子の外側から攻撃されたら、そもそもここを開く鍵を持っているのか、鍵などと言うものをヴァリアーが認識できるのか。
 細やかに物を考える事が苦手な孝也はそのような事を思い浮かべるよりも、ただ倒す事だけを考えていた。
「きたよ、孝也君」
 独特のまだら模様を持ったヴァリアーが両足を引きずりながら、鉄格子の前まで現れた。
 すると牢の扉を開けるでもなく、まっすぐ部屋の中へ入ろうとずりずりと足を鳴らす。
 このままではぶつかるのではという考えは無用な心配であった。
 泥と言うよりも半液体の体なのか、鉄格子の形に一度は凹んだからだが、鉄格子を潜り終えた時には元の形へと戻っていた。
 だが、孝也は驚きに体を硬直させる事はなかった。
「喰らえッ!」
 凹んだヴァリアーの体が元に戻りきる前に孝也は金属バットを振り上げて殴りかかった。
 人間の時の記憶なのか、腕で体を庇うような動きを見せたが、ヴァリアーの動きは緩慢であった。
 腕が上げられきる前に金属バットが顔の部分に当たり、たわんで歪んだ。
「どう、だッ?!」
 勝ち誇る孝也をヴァリアーの腕がなぎ払った。
 牢屋の壁に叩きつけられる直前で、信博が孝也と壁の間に自分の体を滑り込ませる。
 孝也を受け止めた代わりに、信博のリュックが壁に押しつぶされパキンッと何かが割れる音が響いた。
「ガンちゃん、大丈夫か?」
「平気、たぶんリュックの中の酒瓶がどれか割れただけだから。それよりも」
「くそ、もう逃げないって決めたのに。俺たちに、何が出来るんだ」
 不意を突いて渾身の力で殴りつけても、ヴァリアーは何事もなかったかのように殴り返してきた。
 たった一匹しかいないのに、外には恐らくもっと多くのヴァリアーが居ると言うのに。
 本当は光輝の言い分が正しかったのか。
 何も出来ないから行くべきではないと言う、助けに行こうなどと言う蛮勇を示すべきではなかったのか。
 唇を噛みながら孝也がヴァリアーを睨むと、まごついている様な様子のヴァリアーが目に入った。
 手を出したくても出せないような、好物なものと自分の間に嫌いなものがあるような。
 ふいに足元をみた孝也はチロチロと後ろから流れてくる水とその匂いに気付いた。
「これってガンちゃんが持ってきたお酒?」
「もしかして、ウィルスから感染したヴァリアーだからお酒が、アルコールの類が苦手なんじゃないのかな」
「だったら」
 孝也はヴァリアーを警戒しながら足元を流れるお酒を手の平でさらい、持っていた金属バットに塗りつけた。
 そしてそれが乾かないうちに殴りかかる。
 ヴァリアーの反応は明らかなもので、悲鳴のようなだみ声を挙げて逃げ出そうとした。
 牢屋の中に入ってきたようにもう一度鉄格子を潜り抜けようとしたが、孝也の金属バットが当たる方が速かった。
 まるで刃物で斬られたかのように、金属バットが当たったそばからヴァリアーの体が溶けるように切断されていく。
 コレに驚いたのは孝也も同じで、あっさりとヴァリアーの体を通り抜けた金属バットの勢いに流されてそのまま一回転して転んでしまう。
「孝也君!」
「いてて。ガンちゃん、ヴァリアーは?!」
「えっ、あ……これって死んで、溶けちゃってる」
 言われて直ぐにヴァリアーを確認した信博は、体を切断されて本当に泥のようになって乾いていくヴァリアーを見た。
 二人の推察はどうやら正しかったようで、ヴァリアーはお酒のような消毒効果をもったものが苦手なようだ。
 それに気付いた信博は、急いでリュックを下ろして割れた酒瓶と無事な酒瓶の確認をし出した。
 割れた酒瓶にはガムテープで補強を施し、流れ出して床に溜まったものは残念ながら諦める。
 その間孝也は何をしていたのかと言うと、ヴァリアーの死体の中に気になる輝きを見つけていた。
 始めは気のせいかとも思ったのだが、念のためにと金属バットで死体をあさってみると鍵の束が出てきた。
 人体ではない為感染はしなかったようで、よくよく確認すれば衣服の切れ端や貴金属などが死骸の中にあった。
「ガンちゃん、鍵だよこれ。もしかしたらここから出られるかも。俺はちょっと試してみるから、ガンちゃんは酒瓶の確認が終わったらヴァリアーを燃やしておいて」
「こんな屋内で燃やして大丈夫かな。煙とか、後で大変な事になりそうだけど」
「んじゃ、セレナ姉ちゃんを助け出したらこの建物ごと燃やしちゃおう。あ、開いた!」
 鍵の束から試した数本の目の鍵で、牢屋の扉は無事に開いた。
 何年も使っていなかったのか錆付いて多少硬くなっていたが、外に出るには何の関係もなかった。
 牢屋などと言う始めての場所からの開放感からか、牢屋を出ると孝也は思いっきり背伸びをした。
 それは牢屋から出た事に対する開放感だけではなく、こちら側に来てセレナを助けられるのかというプレッシャーから解放された解放感でもあった。
「さあ行くぜ、ガンちゃん。セレナ姉ちゃんを助けに。ついでにウィルスを倒しに」
「なんだか目的が一つ増えてる気がするんだけど……でも、できるかな?」
「弱点がわかったんだ。怖くない、大丈夫。俺ら二人でセレナ姉ちゃんを助けて、ウィルスを倒して。来なかった光輝にどうだって言ってやろうぜ」
「もう、光輝君は絶対に来るって言ったのに。来るよ」
「アイツが来る前に倒す。これならガンちゃんも文句ないだろ」
 二人の妥協点を見つけるとすぐに、外へと向けて走り出した。
 牢屋ばかりの通路を進むとやがて階段に突き当たり、そこを駆け上ると陽の光が見え出した。
 階段を上りきった先にあったのは、何処かの屋敷かと思うような廊下であった。
 一体何処の屋敷なのかと窓の外に駆け寄ってみれば、外に広がるのは岩ばかりの荒れ果てた大地。
 その中にぽつんと民家が立ち並ぶ、最初にセレナと訪れた村であった。
「こんな大きな屋敷なんてあったっけ?」
「あの時は大勢のヴァリアーで慌てていたから。村長さんの家なんかじゃないのかな」
 村長、つまり偉い人の家だから大きいのだと納得した孝也は、外を眺める事をやめて長い廊下を見渡した。
 この屋敷の何処かにセレナは捕らわれているはずである。
 最後に見たセレナが武器を取りこぼし、ヴァリアーに後ろから殴りつけられた場面は見ていた。
 どう考えてもその後に無事に逃げ出せたなんて考えは浮かばない。
「どうやって探そうか。手当たり次第に探してちゃ、ヴァリアーに出くわしちゃうだろうし」
「でも手当たり次第に探すしかないだろ。もしくは」
「う……ァ、ヴァ」
 まだ話し合っている途中なのに、近くの部屋の中から一匹のヴァリアーが途切れ途切れの声を挙げながら現れた。
 早速孝也は金属バットにお酒をたらすと、ヴァリアーへと向けて駆け出す。
「暴れていればまたあのウィルスの方から現れてくれるかも!」
 最初は向かってきていたヴァリアーが、急に方向転換を行った。
 孝也の金属バットにたらされたお酒に気付いたのだろうが、もう遅い。
 背中、と言うべきなのか、後ろから孝也に殴りかかられその寸胴な胴体を金属バットで斬り裂いていった。
 余裕が出てきたのかヴァリアーを斬り裂いた後に、まるで刀の血を払うかのように孝也は金属バットを振ってから振り返る。
「だってアイツ、俺たちの事うるさいって何度も言ってただろ。なんか受験に追い詰められた受験生みたいにさ」
「そう言えば……あのウィルス、僕らの世界の服を着てたよね。学生服」
「やだなー。光輝とかも数年後にはあんなふうに病んじゃうのかな。そうなったら、思いっきり笑ってやろ」
「決して人事じゃないんだけどね。あ、孝也君!」
 信博が指差したのは、奥から沸く様に現れてくるヴァリアーの集団のさらに奥。
 陽炎のように空間が揺らいでいく。
 その光景を見たのは二度目であり、予測通りあの学生服を着た姿のウィルスが現れた。
「せっかく静かになったと思ったのに。だから子供は嫌いなんだ。人の迷惑も考えないで喚いて、騒いで。大嫌いだ!」
 呪詛でも篭りそうな声が弾けると同時に、ヴァリアーたちが孝也へと向けて動き出した。
 さすがに数が多い為に、足を止めるために信博がコップ一杯分のお酒を半円状に振りまいた。
 孝也が倒すまでの時間が少しでもと考えてとった行動であったが、ヴァリアーたちが怯んだのはほんの一瞬。
 ウィルスの言葉に強制させる何かがあるようで、すぐに遅い足を進ませ出した。
「ちょっと数が多いなこりゃ!」
「孝也君、バットが乾きそうになったらすぐに言って。それと、僕も手伝うからウィルスを逃がさないようにしよう」
 そう言った信博がリュックの中から取り出したのは、刃渡りが二十センチあるかどうかのサバイバルナイフであった。
 どうやらキャンプセットの中に入っていたようで、そのサバイバルナイフにお酒をしみこませヴァリアーに向かっていく。
 元々が刃物である事やお酒の効果、それに加えて信博の腕力も加わり切れ味は孝也の金属バットを優に超えていた。
 惜しむらくは性根が優しい信博が元人間のヴァリアーを相手に気遣いを見せるところである。
 もう戻れないとセレナが言っていたとしても気遣わずには居られない信博を、孝也がなんとかフォローをしていく。
 二人で協力してヴァリアーを倒していくと、ウィルスまで後数匹と言うところでウィルスが一瞬姿を消した。
 すぐに姿を現したが、少し距離を置いた通路の先に現れ、手をかざすふりをみせるとヴァリアーがまたぞろぞろと現れた。
「くそ、馬鹿にしやがって。こら、お前がやれよ!」
「孝也君、お酒。金属バット乾いてるよ!」
「うわッ、危ね。ガンちゃん、ちょっとの間お願い」
 次から次へと現れるヴァリアーを協力して倒すも、またもや後数匹と言う所でウィルスに距離をとられてしまう。
 そしてさらに屋敷中、村中から現れるようにヴァリアーたちが現れてしまう。
 金属バットとサバイバルナイフにお酒をしみこませながら何匹ものヴァリアーを倒し、ウィルスが距離を取り、またヴァリアーが現れる。
 何度それを繰り返した事か、息も絶え絶えになってきたところで、それの終わりが見え出した。
 通路が一つの扉に突き当たっており、ウィルスをその部屋の中に追い詰めたのだ。
「これで袋のなんとかって奴だ。ざまあ見ろ、楽するからそう言う目にあうんだ。っと言うわけで、お前で最後だ!」
 渾身の力で最後のヴァリアーを叩き斬る。
 最初は何匹目だと数えていたヴァリアーも三十を過ぎた頃から解らなくなっていた。
 振り返ってみれば泥のように崩れたヴァリアーの死骸が幾つも廊下に転がっていた。
 額から滴り落ちてくる汗を拭った孝也は、タオルで汗をふき取っている信博に言った。
「ガンちゃん、行くよ。やっとアイツを追い詰めたんだ」
「一分でいいから待って。息が……」
 孝也のように闇雲に振り回せばよい金属バットと違って、刃渡りが二十センチもないサバイバルナイフを使っていた信博の疲れは孝也の倍以上であった。
 しっかり握っていなければ滑って刃を握りそうになってしまうのだ。
 一瞬も気が抜けず、さらには思いリュックさえ背負っているのだからなおさらである。
「じゃあ、深呼吸しようぜ。吸って、吐いて」
 孝也に言われるままに息を吸って吐いた信博は、しっかり床を踏みしめて無理やり息を整えた。
「ごめん、もう大丈夫。行こう、孝也君」
「よし、それじゃあ景気良く。蹴り破れ!」
 助走をつけて思い切りドアを蹴り破った孝也は部屋へと入り込み、その後から信博が入っていく。
 すぐさまウィルスは何処だと辺りを見渡すが、ウィルスよりも先に目に入ってきた光景があった。
 と言うよりも、目を奪われたと言う表現の方が正しかった。
 それは泥の翼をもった人間であった。
 吹き抜けの天井から両腕を吊り下げられ、首が下を向いていることから意識はないのだろう。
 背中からは泥の翼が垂れ下がり、良く見れば腕や足といった体の所々に翼と同じ泥のようなものが付着していた。
 最初はそれが誰かわからなかったが、孝也はすぐに叫んでいた。
「セレナ姉ちゃん!」
「そんな、ドラグナーの人はウィルスに対する抵抗力が強いって……」
 震える声で呟いた信博の声を背にして孝也は一目散にセレナが吊り下げられている真下へ行こうとしたが、目の前の空間が揺らいだ為足を止めた。
 立ちふさがるようにウィルスが現れ、苛立たしげに孝也と信博を睨みつけていた。
「俺は誰にも強制されず、誰にも邪魔されずにただ静かに暮らそうとしただけなのに、よくもやってくれたな。ガキが、お前達は殺してやる。二度と騒げないように、やかましい声を出せないように」
「お前の事情なんて知るか、バーカ。セレナ姉ちゃんは返してもらうからな!」
 ボコボコと膨れ上がるようにしてウィルスの体が変貌を遂げていく。
 相変わらず気味の悪い、背筋も凍る光景ではあったが、孝也も信博も逃げようとする足を踏み止め耐えた。
 耐えられるだけの自信が、目の前のウィルスを倒せるだけの自信があったからだ。
 お酒さえあれば決して怖い相手ではないことをすでに知っている、その事が大きく孝也は信博へと叫んだ。
「ガンちゃん、お酒用意して。それで思いっきりぶん殴ってやる」
「うん、ちょっと待って…………えっ?」
 リュックの中を見た信博の動きが一瞬止まり、膨れ上がった肉の中に消えていこうとしているウィルスの瞳が笑った。
「ガンちゃん、速く。どうしたの?!」
「お酒が、もう。これだけしかないんだ」
 信博が持ち上げて見せて瓶の中には、コップ一杯分程度のお酒しか入っていなかった。
 ただのヴァリアーだったらそれだけでも十分であったはずだが、目の前に居るのはその大元であるウィルスなのだ。
「だからガキは馬鹿なんだ。上手く行き過ぎて笑えると同時に腹立たしい。何も考えず化け物どもをけしかけたとでも思ってたのか?」
「うるさい、馬鹿って言う方が馬鹿なんだ。ガンちゃん、それだけあれば十分だ。貸して!」
「あ、孝也君!」
 嘲り笑う声に挑発されて、孝也は信博が持っていた瓶を奪うようにして金属バットに最後のお酒を注いでいった。
 まだ大事に使えば数回分はあるのにと、慌てて信博がサバイバルナイフを金属バットから滴り落ちるお酒にかざす。
「心配すんな、ガンちゃん。お前なんか、一撃で十分だ!」
 ウィルスが完全に異形になりきる前に、孝也が金属バットを抱えて走った。
 言葉通り一撃で終わる事を微塵も疑う事はなく、渾身の力を込めて金属バットを振り上げ体が伸びきった反動で振り下ろす。
 それだけで、ウィルスの醜い体を斬り裂き終わるはずであった。
 金属バットがぶつかる直前、孝也の顔に笑みが浮かび上がろうとするが直ぐに凍りつく事になった。
「嘘、だろ?」
 タイヤでも殴ったような弾力が腕に伝わり、金属バットとウィルスの肉の間で焼けるような煙が上がっているのも見た。
 だが斬り裂くことはなく、ダメージは限りなく小さいように思えた。
 その証拠に、孝也が殴りつけた場所の近くから腕のようなものが生えて、孝也を殴りつけた。
 今度は牢屋のように信博が間に合わず、床の上を殴り飛ばされた勢いのままに孝也が転がる。
「さすがに少し熱いな。自分の無力さもわからないガキは潰れてひしゃげながら、こちら側に来た自分を恨んで死んでいけ」
「孝也君!」
 まだ起き上がれない孝也目掛けて、ウィルスが先ほどとは違う本来の腕、丸太よりも太いそれを振り上げた。
 吹き抜けの天井にさえ届きそうな腕は、空気を押しのけるような勢いで落ちてきた。
 急いで駆けつけた信博が走りながら孝也の服を掴み、そのまま駆け抜ける。
 孝也を前方に放り投げてから自分も跳んだ直後に、ウィルスの腕が落ちた。
 建物だけではなく、地面も地震が起きたように揺れていた。
「痛ッ、くそ……ガンちゃん? ガンちゃん!!」
「大丈夫、なんとか無事だよ」
 短い間気絶でもしていたのか、投げられたおかげで意識が戻った孝也が叫ぶと、ウィルスの腕のすぐそばから信博の声が届いた。
 ホッと息をついたのも束の間、まだ何も終わっては居なかった。
 安堵と同時に再び恐怖に飲み込まれていきそうになる。
 ヴァリアーを倒す事ができた時から、思い上がっていたのだ。
 お酒と言う力を借りて倒してきただけで、決してそれは己の力ではなかったのだ。
 それにも気付かずウィルスを倒してしまおうなどと考え、孝也と信博の頭の中にまた逃げてしまおうかと言う誘惑が降りてくる。
「なにを、何故戻ってきた。はやく、逃げろ」
 その誘惑を振り払う切欠を与えたのは、奇しくも再び逃げろと呟いたセレナの声であった。
「私はもう、駄目だ。ドラグナーはグローリアと違って、長くウィルスやヴァリアーの近くにいれば感染してしまう。そして感染した人間は、二度と戻れない」
 体痛みでもあるのか、声は途切れ途切れで一言言葉を放つのさえ辛そうであった。
 そんな姿のセレナを見て、逃げようなんて気は吹き飛んだ。
 ここで逃げたら、二度と自分に胸を張って生きていくことなんてできなくなる。
 自分自身に胸を張っていられる今が最後のチャンスなのだ。
「もう少しだけ、待っててくれセレナ姉ちゃん」
「僕らが絶対に助けるから。もう、逃げない。そうだったよね、孝也君」
 立ち上がる二人であったが、有効な手が思い浮かんでいるわけではなかった。
 助けると言う思いが先立って体がついてきてくれているに過ぎない。
 ウィルスもそれが解っているのだろう、今はもう肉に埋もれて見えなくなってしまった顔を歪めて叫ぶ。
「どうして気付こうとしないんだ。もう十分解っただろ、自分達の無力さが!」
 今度は二人一緒に潰そうと地震さえ起こした腕を振り上げる。
 その間も二人は必死に考えていた。
 何も出来ないと嘆くのではなく、何か自分に出来る事はないのかと必死に考えていた。
 無常にもウィルスの腕は振り下ろされようとしていたが、二人の考えに応えるかのように彼は現れた。
「伏せてろ、孝也にガンちゃん!」
 部屋の入り口から何かが投げつけられると、振り下ろされる前のウィルスの腕にぶつかりガラスが割れる音が響いた。
 直後周りの酸素を食い荒らすように炎が燃え上がり、ウィルスの体の表面を焼いていく。
 続いて巻き起こるのは連続した破裂音、間近で見なくては見えないぐらいに小さな異物がウィルスの体の中に埋もれていく。
 ダメージこそ少なそうであったが、ウィルスを怯ませるのには十分であったようだ。
 急いでウィルスの攻撃可能範囲から逃げ出した二人は、やれやれと肩をすくませている彼を目に留めた。
「全く、この僕と言うブレーンを置いていく君らの考えがわからないよ」
「光輝ってなんだよ、その格好は」
 思わず突っ込んだ孝也の言う通り、光輝の格好はホルダー付きのベルトに液体の入った瓶や、もちろんモデルガンなのだろうが拳銃が納められている。
 それだけに留まらず先ほど連続して撃ち放ったのはマシンガンタイプの銃だったりする。
「光輝君、やっぱりきてくれたんだね」
「まあ、一人で三人を助けるんだったら割と合理的な考え方だからね」
 そう言った光輝は、少し照れくさそうに笑っていた。

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