第二話 異世界からのグローリア

 窮地を救い出してくれた女性に見とれていたのは本当であるが、孝也は大事な事だけは忘れていなかった。
 ハッと我にかえるや否や、未だ肩に手を当てている信博へと駆け寄っていく。
「ガンちゃん、肩は。怪我とかしたのか?」
「大丈夫、痛いことは痛いけれど。骨が折れたとかじゃないみたいだから、ほら」
 服の襟首を伸ばして信博が傷に近い場所を孝也に見せる。
 確かに赤く腫れ上がり小さな擦り傷のようなものも見えるが、紫色に変色したりと大怪我の兆候は見当たらない。
 ほっと孝也が息をついたのを見て、信博が大丈夫だと言う事を光輝も確認する。
 もっとも自分達のような素人の見立てなので医者に見せるまでは完全に安心できないが、多少の怪我よりも優先すべき事があった。
 ゴクリと一度唾を飲み込んでから、光輝は助けてくれた女性の前へと歩み寄る。
「危ない所を助けてくださり、ありがとうございました。もしかすると変に思われるかもしれませんが、少しこの世界の事を僕らに教えてもらえないでしょうか?」
 頭を下げてから丁寧にお願いした光輝であったが、目の前の女性は答えてはくれなかった。
 常識で考えれば無視されてもおかしくない程に馬鹿な質問だったかと思ったのは一瞬、女性の瞳が険しくなっている事に光輝は気付いた。
 それは見間違いなどではなかった。
 女性は一度鞘に納めたはずの剣を再度抜き放ち、膝をついている信博へと歩み寄りその切っ先を突きつける。
「家族に言い残す言葉はあるか? 可能な限り、私が伝えよう」
 化け物を見た時とは別種の恐怖が三人の中を駆け抜けた。
 とても冗談で言っているような響きはなく、本気である事が直感でわかったからだ。
「待ってください。僕らは決して怪しいものじゃ」
「ガンちゃんに何するつもりだ!」
 必死に光輝が女性を説得しようと試みるも、孝也が信博に突きつけられた剣の前に立つ方が速かった。
 目の前にあるのが刃物とわかっての行動か、これには女性の方が少し戸惑っていた。
「何を考えている。剣の前に駆け出す奴があるか。それに、お前達も知っているだろう。ヴァリアーに傷をつけられた者は感染し、やがて人を襲うだけのヴァリアーとなる。そうなる前に殺してやるのが一番なんだ」
「そんなの知らねえよ。ガンちゃんを殺すって言うなら、姉ちゃんに思い切り噛み付くぞ!」
「私に噛み付けば、お前の気が済むのか? ならば思い切り噛み付くが良い、その間に私はその子を殺す。それがドラグナーである私の役目だ」
 鋼の小手を外すと、女性は陽に焼けていない真っ白な腕を孝也の前に差し出した。
 今の女性の瞳は険しいだけでなく、感情を押し殺すように冷え切っていた。
 そう言う相手に感情論は通用しない。
 女性の瞳と行動に気圧された孝也の前に光輝が割り込んだ。
「少し時間をください、僕らが納得できるだけの。ヴァリアーでしたっけ、それから貴方の役目と言うドラグナー。僕らはこの世界の知識がないんです。だから貴方が常識として捉えている事の重大さが理解できないんです」
「この世界の常識だと? 何を言って……その格好、見た事のないいでたち。お前達まさか、グローリアか? 向こう側の世界からの来訪者」
 また知らない単語を女性が呟くと、信博に突きつけていた剣をひいて鞘に納めるなおした。
「まだ希望はあるようだな。説明してやろう、この世界とお前達の事を」
 女性の話が本当であれば、元は人間であるはずのヴァリアーの死骸を焼き払い、それから一度場所を変えた。
 それから直ぐに話してくれるかと思いきや、適当な岩に腰を下ろした女性が信博を手招いた。
 さすがに先ほど剣を突きつけられたばかりの信博は逃げ腰であったが、女性がやわらかく微笑んだ。
「脅えられるだけの事はした事はわかっているつもりだ。だが、君の怪我は治療しなければならない。話は治療しながらでもできる」
「ガンちゃん、彼女にも事情があったみたいだし、余り脅えちゃ可哀想だよ」
「う、うん……でも」
「なら俺がそばで見ててやるよ。姉ちゃんが何かしてきたら助けてやるから、安心しろって」
 本人の目の前でどういう安心のさせ方だと光輝が目も当てられないと顔に手を当てていた。
 女性も多少気にしていたようだが苦笑一つで済ませると、おずおずと近寄ってきた信博の服を脱がせ傷薬を肩に塗りつけていく。
 最初は用心棒のつもりでそばにいたはずの孝也も、傷の治療に目を奪われているので、代わりに光輝が切り出した。
「あの、それで……え〜っと」
「私はセレスティナと言う名だ。面倒ならばセレナとでも呼んでくれ」
「じゃあセレナさん、説明してもらえますか。この世界の事、先ほどのヴァリアーという怪物や、僕らの事をグローリアと呼んだ事も」
 すでに信博の治療は包帯を巻きつける所まで進んでおり、包帯が崩れないように気をつけながらセレナは説明してくれた。
「この世界そのものについては取り立てて説明する事もない。いくつかの大陸といくつかの国。大きな争いも特になく、平和の一言だ。だが一つだけ、この世界にあってはならないものがある」
「それってさっきの怪物の事か?」
「ヴァリアーか。アレは人が感染した結果でしかない。本当に滅するべきは。人を異形へと変えてしまう源であるウィルスだ」
 ウィルスと聞いて感染の恐れのあった信博が一瞬身震いをしていた。
 ヴァリアーは聞き覚えのない言葉であったが、偶然か感染するウィルスと聞いて単純に病気を思い出したのだ。
 そんな信博に気付いてセレナが信博の頭を撫でると、巻き終わった包帯を切って、適用な長さで結び合わせる。
「あ、ありがとうございます」
「私こそ驚かせてすまなかった。まさか感染の恐れがあった人物がグローリアだとは思いもしなかった」
 一度脱いだ服を信博が着終わるのを待ってから、セレナは続けた。
「ウィルスに人間が感染すると、ヴァリアーという異形になる。ヴァリアーはウィルスと同じように人を求め、人に二次感染を起こさせる。可哀想だが、ヴァリアーとなった人間は元に戻れないため処理される。その処理を行うのが私のようなドラグナー。ウィルスに対する抵抗力を持つ人間だ」
「抵抗力……という事はグローリアである僕らも、その抵抗力を持つ人間なんですか?」
「半分は正解だ。グローリアとは、別の世界からこの世界に足を踏み入れた人間。理由は解明されていないが、ウィルスに対する強い抵抗力を持っていることが共通して確認されていると言う」
「グローリアなんて言葉が確立されていると言う事は、いくつかの前例があるはずだ。セレナさん、僕ら以外のグローリアはどうやって元の世界に帰るかご存知ですか?!」
 ウィルスやヴァリアーと言ったこの世界での脅威を知る事も大切であったが、一番大切なのはそこであった。
 元の世界に帰る事が出来るのか。
 少なくともグローリアと言う前例があるのならば、試みた者が居たはずだ。
 大きな期待を込めてセレナを見た光輝であったが、望んだ返答は得ることが出来なかった。
「すまない。私はグローリアに会うのは初めてで、ドラグナーの本部に戻れば情報があるかもしれないが……子供の足では歩いて半年はかかるぞ」
 半年と言う言葉が重く、光輝の体にのしかかってきた。
 期待を沢山込めていた分だけに、打ち砕かれたダメージは大きかった。
「半年……、しかも歩いて。新幹線とかないよな…………ないよな」
「半年かあ、長い旅になりそうだな。危ないのもいるみたいだし。さっきは運良くセレナ姉ちゃんが通りかかってくれて助かったよな。あのままじゃ、俺やばかったもんな。あ、セレナ姉ちゃんの名前は聞いたけど俺らはまだ自己紹介がまだだったよな。俺、孝也。鳳 孝也」
「僕は小岩 信博です。ガンちゃんって二人には呼ばれてます」
「んで、そこで打ちひしがれてるのが氷室 光輝」
「どうも……」
「グローリアだけあって、変わった名ばかりだな。タカヤにノブヒロ、コウキだな。しばらくは一緒にいる身だ。憶えておこう」
 突然のセレナの台詞に、孝也も信博も、打ちひしがれていたはずの光輝もえっと声と顔を上げていた。
 何時の間にそう言う話になったのか定かではないが、もっと順を追って話して欲しかった。
「意外そうな顔をするな。理由は二つほどある。まずノブヒロ、確かにグローリアはウィルスに対する抵抗力が高いと聞く。大丈夫だとは思うが、このままお前を放り出すのは心もとない。お前だけは絶対そばにおいておく」
「僕だけですか?!」
「安心しろ、残りの二人も連れて行くだけの理由はある。お前達が元の世界に帰る情報はドラグナーの本部にしかないだろう。だが距離もそうだが、子供だけでいける道のりでもないし、場所もドラグナーしか知らない。私と別れて運良くドラグナーに会える保証もないぞ」
 全てが最もな話ばかりであり、即返事を返しそうな孝也の襟首を掴み光輝はしゃがみ込んだ。
 もちろん、信博を手招きするのも忘れない。
「痛ぇな。なんだよ、光輝。セレナ姉ちゃんについていくしかねえだろ?」
「考えなしに答えようとするな。決断は落ち着いてくだせ。場所はセレナさんに聞けば良い。歩いて半年でも乗り物、機械的なものはなくても馬のようなものがあればもっと早い」
「でもどうやってそれを用意するの? 僕ら、この世界のお金持ってないよ。それに僕らみたいな子供には保護者が必要だと思う。セレナさんみたいな優しい人ばかりとも限らないし」
「んじゃ、結局セレナ姉ちゃんについていくしかねえじゃねえか。相談の意味がねえよ」
「うるさいな、納得できるだけの意見が出ただけマシだ。即答よりはな」
 結論が出たところで、三人はそろってセレナに頭を下げた。
 お願いしますと言う言葉と共に。





 子供とは言え、三人も道連れが増えたと言う事で、物品の調達に近くの村に寄るとセレナは言った。
 一時間かそこら歩くだけで辿りつけると聞いて喜んだものだが、甘かった。
 見渡す限り荒野の道のりを、何の目印もなく歩くと言う行為は、現代の街中で育った孝也たちにとって過酷であった。
 景色が殆ど変わらないせいで進んでいるのか立ち止まっているのかわからず、足場もゴツゴツと石ころが転がっていて歩きにくい。
 同じ距離でも普通にアスファルトの道を歩くよりも倍以上の負荷が足に掛かってきている気がした。
 極めつけは、時折現れるヴァリアーであった。
「あ……ヴア…………ォ」
「また出たぞ、逃げろー!!」
「こっちにこないで。あ、でも孝也君と光輝君の方にも行っちゃ駄目だ」
「孝也の奴、元気良すぎ。そろそろ、僕は体力の限界……」
 助けを求めるように両の腕を孝也たちへと伸ばしながら歩いてくる。
 ヴァリアーを見かけるたびに孝也たちは注意を引くように三人でバラバラに逃げ回り、その間にセレナがヴァリアーを葬り去る。
 そんな図式がいつの間にか出来上がり、数匹目のヴァリアーを倒した所でセレナが考え込み始めた。
「おかしい、ヴァリアーが現れすぎる。思い過ごしであれば良いのだが」
 幾多のヴァリアーと戦ってきた経験から来る違和感の正体を掴もうと頭を悩ませるが、その考えを邪魔する声が容易く割り込んでくる。
「セレナ姉ちゃん、ヴァリアーになっちゃった人の死体ってまた燃やすのか?」
「光輝君、大丈夫?」
「僕は、平気だ。それよりも早く燃やした方がいいんじゃないか。見ていて気持ちの良いものでもないし、感染が危険だしね」
 子供特有の順応力からか、孝也たちはすでにヴァリアーを恐怖の対象と見なくなっていた。
 元人間とは言え気味の悪い怪物で、確かに自分達だけでは怖い相手だが、セレナがいる限り大丈夫だとでも思っているのだろう。
 セレナが携帯用の火種が入った箱を渡してやると、受け取った孝也が動かなくなったヴァリアーを燃やし始めた。
 燃え上がるヴァリアーが放つ煙を吸い込まないように風上に回り込んだりと、四苦八苦して燃やす。
 燃え尽きるまで十数分と、休憩にはちょうど良い頃合である。
「さて、もうあと少し歩けば村にたどり着く。陽がくれる前に急ぐぞ」
「村に着いたら、とりあえず飯が食べたいな。しっかり歩いて腹減らすぞ、ガンちゃん、光輝!」
「さすがに色々ありすぎて食欲が……」
「右に同じ。僕の場合は体調的なものから」
「なさけねえな、二人とも。ほら、しっかり歩け!」
 追い立てる孝也と、追い立てられる二人を後ろに引き連れて歩くセレナであったが、慣れない子供の引率に大事な事を後回しにしてしまっていた。
 先ほど浮かんだヴァリアーに遭い過ぎるという点を考えるのを中断し、そのまま放置してしまっていた。
 それは本来ならば決してしてはいけないミスであった。
 ドラグナーとして、特に戦えない孝也たち三人の子供を引き連れた道中では。
 セレナ自身がその失態に気付いたのは、たどり着いた村の状況をその目で見て確認からであった。
 まるで何年も前から人の営みが消えたように村は静かで、木造の家は傾き、中途半端に開き半分砕けているドアは僅かな風にさえ揺らぎ蝶番が音を鳴らす。
 やせ細った樹木は枯れはて、岩肌に生える雑草も黄色く変色してしなだれている。
 極めつけは、足元一杯に広がっているヘドロのような緑や灰色の粘着質の液体。
「タカヤ、コウキ、ノブヒロ。私のそばを離れるな」
「すみません、セレナさん。凄く嫌な予感がするんですけど、もしかして……」
 言われたとおりセレナの後ろに隠れるようにした三人の中で、光輝が震える声で言おうとするとセレナが先に言ってきた。
「ヴァリアーの大群に襲われたか、もしくはウィルスがこの村で発生したかのどちらかだ。タカヤ、先ほど私が渡した火種は持っているな?」
「おう、ポケットにしっかり入ってる」
「いいか、今まで燃やしてきた通り、ヴァリアーは火が弱点だ。民家の壁を壊して人数分の薪を作れ。ノブヒロ、壁を破壊するのを手伝ってやれ」
「はい、わかりました」
 セレナは辺りを警戒しながら腰に下げていた剣を抜いて、ヴァリアーの襲撃に備える。
 もちろん民家の壁を破壊しに行った孝也と信博への注意も怠らなかったが、それは突然であった。
 孝也が嬉しそうに民家の壁を蹴り壊そうと足を持ち上げた瞬間、壁が向こう側から破壊された。
 伸びてくるのはヴァリアーの腕であり、孝也の足を掴みあげた。
「孝也君!」
「チッ、コウキそこを動くなよ!」
 勢い良く地面を蹴って体を加速させたセレナが、孝也を振り上げようとしていたヴァリアーの腕を斬り飛ばす。
「ノブヒロ、火種で民家に火をつけろ!」
 信博が言った通りにしたのも確認すらせず、セレナは空に投げ出され落ちてきた孝也を受け止める。
 バチッと火が弾ける音が聞こえたのはその直後であった。
 ヴァリアーが這いずり回った地面とは違い、人がいないせいですっかり乾燥していた民家は瞬く間に燃え上がった。
 脆くもなっていた民家は直ぐに崩れ落ち、中から火が燃え移ったヴァリアーが現れ悶え苦しむ悲鳴を挙げていた。
「よし、火の近くにいれば安全だ。襲われそうになったら、火を投げつけろ。二人はここに、コウキお前も」
「セ、セレナさん?!」
 村中の傾きかけた家々の中から次々とヴァリアーが湧き出てくる。
 大して距離は離れていないとは言え、一人残される形となったコウキが震えた声でセレナの名を呼ぶ。
 少しでも息をついて休んでいれば、光輝が瞬く間にヴァリアーに囲まれてしまう。
 まさにとんぼ返りと言った感で、セレナは光輝の場所へと駆けて戻っていく。
 ヴァリアーを斬りつけながら光輝の元へと行くと、その体を担ぐようにして燃える民家へと舞い戻り、光輝を降ろす。
「なんて数だ。これほどの数のヴァリアーを見るのはあの日以来だ。何処かにウィルスがいるらしいな」
 何かを思い出したように歯噛みするセレナは、握っていた剣にさらに力を込めているようであった。
 一箇所に集まった孝也たちを狙うように、村中のヴァリアーが集まってくる。
 幸いにして背後で燃え盛る家があるために完全に囲まれる事はなかったが、勢い良く燃える一軒の民家が何時まで燃え続けてくれるかわからなかった。
 セレナが一人奮闘してヴァリアーを倒してくれているが、討ち漏らしたヴァリアーが孝也たちを目指す事もあった。
 そうなればセレナに言われた通り、火のついた家の残骸を手に追い払ったり投げつけたりする。
 すると火に驚くようにして逃げるか、まともに当たれば気味の悪い悲鳴を上げながらのたうちまわっていた。
「なんだ、結構俺らもやれるじゃん」
「孝也、冗談を言う前に追い払え。手を休めるな。ガンちゃん、この柱みたいな大きい奴持てる?」
「重いし、ちょっと熱いけどやってみる」
 セレナが全力で自分達を守ってくれる事や、火でヴァリアーを追い払うといった単純化された作業を一心にこなす事で孝也たちの心は保たれていた。
 始めは見渡す限りと言う表現がぴったりなほどに、あふれていたヴァリアーの数も、目に見えて減ってきた。
 孝也たちがそう感じたのが間違いではない事を示すように、滴る汗を振り払いながらセレナが半分だけ振り返り言った。
「もう少しだ、お前達。火の方はまだ大丈夫か?」
「すっげえ勢いで燃えてるよ、セレナ姉ちゃん」
「曖昧な表現をするな孝也、セレナさんが混乱するだろ。もうすでに半分以上は燃えてるけど、ヴァリアーの数から言って大丈夫だと思います。ただ出来ればセレナさんに多めに倒してもらいたいです」
「やってみよう。ノブヒロはどうした、ノブヒロの声が聞こえないぞ」
 セレナの焦ったような声が届くが、信博もちゃんと無事であった。
 三人の中で一番リーチが長く力もあることから、ヴァリアーを追い払った数も一番多い。
 ただ信博は、ある地点に目を奪われていた。
 まだ十数匹はいるヴァリアーの奥の場所に、陽炎がのぼるような空間のゆらぎが見えたのだ。
「孝也君、高貴君、セレナさん。アレ、なんだろう?」
 信博が指差した方向に、四人の視線が集中する。
 今もなお孝也たちを襲おうとするヴァリアーたちの最後尾、そこが夏のアスファルトの上のように陽炎を生み出していた。
 見間違いか何度か孝也たちが瞬きを繰り返していると、セレナが何か呟いた。
 それが孝也たちの耳に届かないうちに、突如としてそれは現れた。
「煩いなぁ。ああ、煩い、煩い。煩い、煩い、煩い、煩い」
 繰り返し、繰り返し同じ言葉を繰り返す青白い肌を持った人間の男であった。
 瞳は半眼で暗く沈み、長い髪が顔の半分を覆うほどである。
 一目では人間にしか見えない、だがそれが人間ではない事は孝也たちにもはっきりと肌で感じる事が出来た。
 人の姿をとりながら人ではない雰囲気を放つそれに、孝也たちは一つ重大な事を見落としていた。
 その衣服がこちら側の世界のものではなく、孝也たちの世界で学生服と呼ばれるものだったことだ。
「やはり、ウィルスがいたか」
「煩いんだよ、僕の邪魔ばかりしやがってお前ら。むしゃくしゃするんだ、消えちゃえよ。いらないんだよ、お前らなんか!」
 完全に白目を剥いたウィルスの瞳が孝也たちを射抜くように睨みつけた。
 そして人型であった形が崩れ、異形の者へと変わり始める。
 体中の肉という肉が膨張して膨れ上がり学生服は、はち切れる様にして千切れ跳んで消えた。
 腕はデコボコの丸太のように変わり果て、胴体は盛り上がった土の山となり、頭髪などずり落ちてすでになく何処が顔すらわからない。
 人が人でない異形へと変わっていく。
 最初から異形として目の前に現れたヴァリアーとは違う。
 ウィルスなのかもしれないが、人にしか見えなかったものが変わっていく。
 背筋が凍ると同時に、ありえない光景に身震いが止まらない。
 一番最初に耐え切れなくなったのは、ヴァリアーに傷をつけられ、自分もそうなっていたかもしれない信博であった。
「う、うわあああああッ!!」
 ヴァリアーの数が少なくなって出来た包囲の隙間を縫って逃げ出した。
「ガンちゃん!」
「ぼ、僕も行く!」
 逃げ出した信博を追って孝也が動くと、一緒に光輝までもが燃える民家の前から駆け出した。
 子供達の突然の行動に驚いたセレナは、何が起こったのか振り返り確認してしまった。
 走り去ろうとする子供達の背中、何故と疑問符を浮かべた瞬間、背後から激しい衝撃に見舞われる。
 前のめりに倒れこみながら横目で見たそれは、ウィルスではなく残っていたヴァリアーの腕であった、殴られたのだ。
「グッ!」
 衝撃にセレナの視界がぶれて、手のひらの中から剣の柄が離れていく。
 倒れこみながらも顔から地面に落ちる事を何とか避けると、唯一立ち止まっていた孝也が目に入る。
「何をしている、逃げろ。お前達は逃げろ!」
 ある意味それは免罪符であった。
 見知らぬ世界で危ない所を救ってくれ保護者とまでなってくれたセレナを信じず、逃げ出した孝也たちへの。
 恐怖から逃げ出した自分達に与えられた免罪符を手に、孝也たちは本当に逃げ出した。
 後ろを振り返らずに襲われた村から遠ざかる為に走り去る。
 何処まで行くのか、何処へ行くのかという事は三人の中で誰一人口にする事はなく、乱れた呼吸の声だけが唯一のものであった。
 だがそれもある地点で突然信博が姿を消した事で終わる事となった。
「うわっ!」
 踏み出した先に地面がなかったことに気付いて、悲鳴を挙げたのは光輝であった。
 岩の大地が裂けてできたクレバスの中で落下する体。
「ガンちゃん、光輝!」
 そう叫んだ孝也もまた、その体中で落ちていく浮遊感と暗い闇へと吸い込まれていく感覚だけを感じていた。

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