わたしは森を歩いていた。

 わたしは仲間達と手分けして、わたし達の、いやこの世界にとって、とても大事なある物を捜す為に、旅をしていた。

 仲間達と、特にファルと、永い永い間離れ離れになっていて、漸く会えたと思ったら、また別行動を取らなければならないのは、正直残念であったけど、でも苦痛ではない。これはほんの一時の事。この世界を覆う混沌の闇が晴れた時には、きっとまた一緒に過ごせる。あの時間が、きっと、永遠に……

 ならば今は我慢する時だと、わたしはわたし自身に言い聞かせた。

 先程も言ったように、別れ別れに行動せねばならないこの時間は、ほんの一時の事。私やファルが越えてきた時間に比べれば、儚い程の一瞬でしかない。それに、今が辛ければ、きっとその先にある時間は、わたしに、いやわたし達にとって、本当にかけがえのない物である事を再認識出来るはずだ。いわばメインディッシュの前の、苦い前菜のようなもの。

 そう信じて、今のわたしは動いている。

 わたしは、それだけを願って、還ってきたのだから。

 そしてわたしの自惚れでなければ、きっとファルも……







 わたしは、自分の割り当てられた地域を捜す内に、このムーアの大森林に辿り着いた。近くの村の人達の話では、この森に500年程前、何かとても美しい物が運び込まれた、という伝説があるという。

 それが、わたし達の捜し物である可能性がある。わたしはそう考え、この森に足を踏み入れた。

 殆ど隙間もなく木が生えていて入り口らしい入り口もなかったが、それでも無理矢理に体をねじ込んで、最初の一歩、と言えるだろうか。この森に入った瞬間、私はこの森が普通の森とは違う、と言う事を思い知る事になった。

 木々の枝がざわめき、侵入者を捕らえようとしているのだろう。ひとりでに動き出して、わたしの体に巻き付いたのだ。

 だが、この程度でわたしを縛ったつもりとは。

「ファイガ」

 わたしがしたのは、そう呟いて、ほんの少し魔力を解き放っただけの事だ。

 次の瞬間には、わたしの体は太陽のように光り輝き、瞬間的にだがその太陽の表面と同じぐらいの熱を発した。わたしを絡め取ろうとした枝は、為す術もなく燃え尽きて、灰や塵も残さず、無に還った。だが、この森の防衛本能は、それで終わりではなかった。

 次には風も無いのに木が揺れたかと思うと、無数の葉が落ちてきて、それがまるで意志を持っているかのようにわたしに向かってきて、まるで鋭利な刃のように、触れる物全てを切り裂いた。確か極東の国の忍法に同じような技があったかな……?

 こんな状況だというのに、全く関係の無い事がわたしの頭をよぎった。

 そうこうしている間にも、森の攻撃は止まらない。

 わたしは無数の木の葉の刃を跳んで避けていたが、だが、ここでも森はわたしに良いようには働きかけなかった。わたしの避けた先に、まるでわたしの動きを封じるようにして樹が生えているのだ。これは偶然ではない。近くの村の人が、この森は生きていると言っていたが、わたしはそれがどういう事なのか、身を以て理解する事が出来た。

 そして理解出来たが故に、そこに恐れは無い。

『ストップ』

 わたしが、今度は心の中でそう呟いて手をかざすと、わたしに向かって跳んできていた幾百幾千の木の葉の刃は、まるでそれらだけが時間の止まった世界に入り込んだかのように空中に静止した。そしてそのままわたしが少しだけ指を動かすと、わたしの指先から灼熱の炎が走り、木の葉の刃を一枚残さず焼き払った。

 障害を排除して、わたしは先に進もうとしたが、まだ森からの攻撃は続いていた。

 今度は不気味な地鳴りが聞こえて、地震でも起きたのか? とわたしが視線を下げると、地面から無数の触手、いや違う、樹木の根が無数に飛び出てきて、わたしの体を空中に持ち上げ、がんじがらめに縛り上げた。

 しかもそれだけではなく、わたしの体に、その根の先端のいくつかが根を張り、養分を吸い始めた。成る程こうして、わたしをミイラのようにひからびさせて殺すつもりか。そう思って少し視線を動かすと、根っこが飛び出てきた地面の下には無数の白骨が見えた。恐らくは彼等もわたしと同じ侵入者で、この根によって何もかもを吸い取られ、死んだのだろう。

 だが、わたしの命はそう簡単ではない。

『ドレイン』

 既に、念には念を入れてくびり殺そうとしているのか、首にも根の一本を巻き付けられていて喋れなかったので、わたしは再び心の中で呟いた。すると、わたしの中に何かが流れ込んでくる感覚があった。それはわたしに巻き付いている無数の樹の根が持つ、その生命力。生きる為のエネルギー、命そのもの。

 数秒して、その流れが消えた。根を通して、わたしは自分の体に巻き付いていた樹が持つ生命力を、逆に全て吸収し尽くした。わたしに巻き付いていた根がボロボロに朽ち果てて、解き放たれたわたしは、フワリ、と大地に降り立った。ちらっと見ると、周りの樹の数本が、同じようにして朽ち果てていた。命の全てを、わたしによって吸われた為だ。

 まだまだ色々な物が来そうだが、正直そろそろ飽きてきたし、遊んでいる時間も無い。いっそのことこんな森丸焼きにしてやろうか。一瞬、物騒な思考が頭をもたげるが、わたしはそれを却下した。この森は侵入者を排除しようとしているだけ。悪いのは勝手に立ち入ったわたしの方なのだ。必要以上に命を奪う事は、したくない。ファルならきっとそう言うだろう。

 ならば。わたしはしばらく大人しくしていてもらう事にした。両手を前に出すと、そこに魔力を集中させ、精神を統一する。

「言葉去り偉大なる忘却の手に委ねん。意識無き闇に沈め……スリプジャ!!」

 詠唱と共に、わたしの両手に集中し、増幅されていた魔力が解き放たれ、森の全域に行き渡る事が感覚を通して分かる。わたしが再び周囲を見回しても、もう、わたしを襲ってこようとする意志や気配は感じられなかった。

 これでよし。わたしは更に森の奥深くへと、足を進めた。





第10章 長老の樹に眠るもの





「ここが……ムーアの森か……なんてデカさだ……」

 ギードのテレポによって、森の入り口にまで飛ばされた4人。今まで見た事もないような巨大な森を前にして、バッツは思わず、そんな呟きを漏らした。

 だがそれも無理の無い事。レナ達も、同じ物を感じていた。一体これ程の規模の森となるのに、どれ程の年月を費やしてきたのだろう。千年か、万年か。気の遠くなるような永い永い悠久の刻をかけて、この森はここまでの大きさになったのだろう。まさに人の手の及ばない、秘境。そんな言葉が相応しいと、バッツは思った。

 入ってみようと思ったが、森には縦横無尽に木々が覆い茂り、全く入れそうな場所がない。まあ、猫や小さな子供なら、何とか隙間を通るようにして入れるかも知れないが。ミニマムを使って、小人になって入ってみるか? とも思ったが、すぐに却下する。こんないつ、どんな化け物が出てくるか分からないような場所で、非力な小人になるのは危険が大き過ぎる。

 と、考えていると。バッツの懐に仕舞われていた、ギードより受け取った長老の木の枝が光を放った。その光に応えるかのように、木々が左右に動き、まるで海が割れるように、さっきまでは無数の樹が立ち並んでいたそこに、まさに”道”が出来た。これには全員、あんぐりと口を開ける事しかできなかった。

「森が……」

「俺達を受け入れてくれるのか……?」

 レナとファリスが、開かれた”道”を見て、呟く。ガラフも、同じ事を考えているようだ。

「考えていても仕方ない。エクスデスに先を越される訳には行かないんだ。先へ進もう」

 と、バッツ。これにレナ達も頷き、4人は彼等に道を開いた大森林の懐へと、足を踏み出した。







 ムーアの大森林は、外から見るのと内から見るのとでは、また違った形でその巨大さを、そこに足を踏み入れた者達に痛感させた。

 見上げると、まるで天にも届くような木々が無数に生えており、前後左右、どちらを見回しても、目に映る物は一面の緑。全く同じ風景に、うっかりしていると、方向感覚や距離感が麻痺しかねない。ある物と言えば、苔むした岩に、日の光が巨木に遮られて十分に届かない為だろうか、異形の形の木々ぐらいのもの。

 そしてバッツ達を取り巻く空気は、やはり日の光があまり届かない為だろう、ひんやりと湿っている。先刻、バッツはこの森に”秘境”という印象を持ったが、彼は心の中で、それを”魔境”に訂正した。この森には、妖気が漂っている。

 しかし、だからと言ってこの森がただ不気味な所なのか、と言えば、決してそれだけではなかった。はるか上方から差し込む微かな木漏れ日は、それだけで一枚の絵画のような、幻想的な風景を創り上げているし、立ち込める霧は、その光を反射させ、これもまた人の手では創り出す事の出来ない、不思議な美しさを生み出している。

 そしてその空気は、怖いぐらいに澄み切っていた。それを穢す者が、ここに立ち入っている自分達であると、バッツ達にも確かに分かる程に。

 ここでは、その空気すらもが侵入者を拒むのだろうか。だが、それを感じる一方で、バッツはもう一つの事を確信していた。これ程までに頑なに侵入者を排除しようとするという事は、それ程に重要な”何か”が、この先にあると言う事。エクスデスはそれを狙っている……?

 と、バッツがそこまで考えた時、ガラフが足を止め、ぼそりと呟いた。

「妙じゃな……」

「え?」

「不思議に思わないか? ワシ等がこの森に入ってから、未だに一匹のモンスターとも出くわさん。いやそれどころか、殺気や気配は勿論、それ以外の動物、鳥や獣の、囁く鳴き声や蠢く音も、何も感じない……」

「生きている者がこの森にはいないって事か?」

 と、ファリス。だがその言葉を受けて、隣に立っていたレナが、

「いいえ……少し違うと思うわ、姉さん……生きている者がいないんじゃなくて………ただ、眠っているのよ。鳥も獣も虫も、植物でさえも……」

 手近にあった樹に手を当てながら、言った。

 眠っている。言われてみればと、バッツやファリスは周囲を見回してみる。確かに今のこの森からは、ギードが言っていたような侵入者を排除しようとするような、そんな動き、もしくは敵意や殺意は感じ取れない。それどころか、森全体が死にも近い安らぎの中にあるような、そんな風にも感じる。

「だが……何で眠ってるんだ? 長老の樹の枝を持っているとは言え、俺達は侵入者だろう? それが入ってきているというのに、どうして排除しようとせずに、呑気に眠っているんだ?」

 首を傾げるバッツ。3人も彼の疑問には同じ事を感じていたので、首を捻る。それだけ長老の木の枝が持つ影響力が強いという事なのだろうか? あるいは……

「自然に眠っているんじゃなくて、誰かに眠らされている……?」

 と、ファリスが口走った。それに成る程、とバッツ達も頷く。森全体が一斉に眠りに落ちているという状況は、いくら何でもかなり不自然だ。だがそれが、何者かによって眠りに落とされている、と言うのなら、辻褄は合う。

「だが、そんな超人的な真似を、一体誰が……!?」

 そう言いかけた時、バッツは異常に気付いた。

「おい……何か焦げ臭くないか……?」

 鼻を鳴らしながら、周囲に目をやるバッツ。レナ達もそう言われて周りに意識を向けると、確かに、ほんの僅かではあるが、何かが燃えているような臭いが風に乗って漂ってくる。まさか、と思い、顔を見合わせる4人。正直それは当たって欲しくない嫌な予感、と言う物だった。

 だが、そういう物程えてして良く当たるのだ。今度は風に乗って、黒い煙が流れてきた。もう疑う余地も無い。火事だ。この森が燃えているのだ。しかも炎はかなりの勢いで燃え広がっているようだ。数分としない内に、バッツ達の肌に熱気が伝わってきた。自然に起こった火災にしては、火の勢いが強すぎる。

「まさか……エクスデスが森を燃やしているのか!?」

「とにかく走るんじゃ!! 炎に追いつかれたらそれでお終いじゃぞ!!」

 ガラフがそう叫ぶのとほぼ同時に、全員が駆け出していた。

 だがこの森はどちらを向いても同じ木々、おなじ緑、同じ風景しかない。だから逃げるにしても方向感覚などは殆ど役に立たない。今回の場合、火が迫ってきているのは分かるので、4人はそれとは逆方向に、とにかく逃げた。少なくともあのまま立ち止まっていたとしても、そこに待つのは死、それ一つなのだから。

 しかし、魔力によって呼び起こされた炎はムーアの大森林の巨大さも手伝って、彼等の予想をも越えた速度で森全体に広がりつつあった。煙もどんどんと彼等の周りに、まとわりつくようにして広がりつつあり、だんだん視界が利かなくなっていく。

「くっ………」

 バッツ達はハンカチやマントで、煙を吸わないようにして鼻や口を覆うと、出来るだけ姿勢を低くして走った。既に彼等の周りにまで炎は及んでおり、その熱気によって、肌が焼かれるような感覚を覚える。

「ゴホ、ゴホ……」

 ファリスが咳き込んで、地面に膝をついた。レナが慌てて姉に駆け寄る。バッツとガラフが、次はどの方向に逃げるべきか、そう考えながら辺りを見回すものの、既に煙と炎しか、彼等の目には入ってこない。そうだ、ブリザガを使えば……

 と、バッツの頭に考えが浮かぶが、即座に彼の中の冷静な部分によってその案は却下される。

 既に自分達の周り一杯が炎に囲まれているこの状況では、如何に冷気系魔法の中で最高の威力を持つブリザガでも、何の意味も持たない。それは大火に如雨露で水をかけているようなもの。逆に体力を消費して、ますます状況が悪化するのが目に見えている。

 ここまでか……

 彼等の頭にそんなイメージが思い浮かんだその時、再び、バッツの懐にあった長老の木の枝が浮かび、光を放った。その光は船に方角を示す灯台のように、炎と煙の中に一筋の、光のラインを伸ばす。

「これは……」

「こっちに行け、と言う事なのか?」

 この炎に囲まれている状況で、どちらに進んでもほぼ焼死は間違いない。それでも進めと言うのだろうか。尤も、その光が”進め”という意志を表しているのかは、まだ彼等にも分からないが。だが、どのみち留まっていても死。闇雲に逃げ惑っても死。ならば、少しでも可能性のある方向へと進むべきだ。彼等の判断は一致していた。

「行こう!!」

 叫ぶバッツ。それにレナも、ファリスも、ガラフも頷き、4人は長老の木の枝が指し示す方角へと、走り出した。

 ムーアの森を包む炎は、未だに衰える気配は微塵も無く、それどころか更に燃え広がり、森全体を紅く包んでいった。







「おじいちゃん……みんな……」

 その頃バル城、飛竜塔の天守閣では、クルルが跪き、一心に祈りを捧げていた。サーゲイトの援軍に、祖父とその仲間達がこの城を出てから、一週間近くになる。その間、ガラフ達の身に何かがあった、などという知らせは未だに入ってきてはいないが、それでも、何の音沙汰もなく待ち続けるというのは、辛い事だった。

 こうして彼等の祈りを捧げる事は、彼女に出来るせめてもの事。

 大丈夫だ。おじいちゃんも、バッツさん達も強いんだから。きっと今にエクスデスを倒した、と言って、元気にこの城に帰ってくるに決まっている。

 クルルはそう自分に言い聞かせて、無理に不安を抑えようとした。だが、

「!! ………!?」

 不意に胸を押さえ、彼女はそこに倒れ込んでしまう。

 クルルは立ち上がると、今、自分の胸の中に沸き上がった衝動を反芻する。

『何……!? 今のは……まるでおじいちゃんがわたしの体の中を通り抜けていったような………』

 まさか、祖父達の身に何かが………?

 彼女の中に、今までの物よりもずっと強い、理性では抑える事の出来ない程の大きな不安が生まれた。

 それは喪う事への恐怖。幼い頃に両親を亡くしているクルルにとって、祖父であるガラフはこの世でたった一人の肉親だ。城の者達も彼女に優しく接してくれてはいるが、そこには隔たりがあった。それは彼女が生まれながらに持っていた、動物と心を通わす事の出来る、その異能の力。その力故に、彼女は皆に囲まれていても、どこかで孤立しがちだった。

 それでも彼女がその力に押し潰されずに、今まで何の陰も知らず、健やかに育つ事が出来たのは、ガラフが彼女の支えとなっていたからに他ならなかった。そしてだからこそ、彼女の中には強い恐れがあった。祖父を、ガラフを喪う事への恐れが。

 その時、彼女の傍らにいたモーグリが何かを伝えようとするかのように、「クポッ」と鳴いた。クルルにはその力によって、このモーグリが何を伝えようとしているのか、それが鮮明に分かった。

「ムーアの大森林……そこにおじいちゃん達が……?」

 モーグリは「そうだ」と言うようにして、もう一度「クポッ」と鳴く。僅かな逡巡の時があって、クルルは顔を上げた。その愛らしい瞳には、今は決意の光が宿っている。自分の力が微力なのは分かってはいるけど、でも、それでもただ待っている事など、もう、出来ない。そしてその決意を、行動に移す。

 彼女は飛竜を呼んだ。その呼び声に応えて、飛竜が彼女のすぐ側に滞空する。クルルは素早くその背に飛び乗り、叫んだ。

「飛竜、ムーアの大森林へ飛んで!! 私、おじいちゃん達を助けたいの!!」

 少女のその切なる願いに、飛竜は「分かった」と言うように一声、強く嘶くと、その翼を羽ばたかせ、飛び立った。







 そうしてクルルもまたムーアの大森林へと飛び立っていたその頃、同じ目的地へと、疾風の如き速度で向かう二つの影があった。

 その二つの影が最短の距離を走っているのは、もし、その姿を捉える眼を持つ者が見たとしたら、一目瞭然だった。

 二つの影は眼前にそびえ立つ岩山の中を、岩から岩へと飛び移り、およそあらゆる常識を無視した速度と跳躍で踏破していく。一歩でも足を踏み外せば、それこそ火葬場へ直行か、運が良くても一生ベッドの上で暮らす事になるだろう。そんな危険と隣り合わせでありながら、二つの影には全く臆する様子も無かった。

 二つの影、アレクとファルは、彼等が持つ最高の速度で以て、大地を疾駆していた。

 その速度は極上のチョコボよりも遥かに速く、まさに一陣の疾風。普通の人間の眼には、その残像すら映らないだろう。彼等の走り去った後には、上空高くまで巻き上げられた砂塵が舞い、障害となる物はその全てが粉砕される。

「アレク、ムーアの大森林に封印された物の事、あなたやソフィアは何も知らなかったのですか?」

 そのような速度で走りながらも、汗一つかかず、呼吸も全く乱れていないファルが、同じく猛スピードで走っているというのに、まるで、椅子に腰掛けてお茶でも飲んでいるかのようにリラックスした調子の相方に話しかけた。話しかけられたアレクは、苦笑して返す。

「うん……まあね……500年前なら、僕はソフィアと一緒に研究を続けていたから……」

 その返答に、今度はファルが苦笑気味に息を吐き出して、肩を竦めた。

「賢者ギードを700年しか生きていない赤ん坊とか言っていましたが、確かに、ね……あなた達から見ればそうでしょう……彼の人生よりもずっと永い間、あなたもソフィアも、ただの一度も外の世界に出ずに、自分達の居城に引き籠もっていた……だから30年前に起こったという、エクスデスと暁の四戦士との戦いにも、あなた達二人は干渉しなかった……」

 皮肉っぽく言い放たれたその言葉を聞いて、アレクはクスッと微笑む。

「まあ、ね。お陰ですっかり、世間から取り残されてしまったよ」

 半分冗談、半分本気。そんな様子で、少年はアハハと笑う。その笑顔を見て、彼の隣を併走する青年もまた、優しい笑みを浮かべた。

「……あなた達がそうしてくれなかったら、私もミヤも、今こうしてここに在る事は出来なかったでしょう……」

 先程の皮肉っぽい口振りではなく、真剣な表情、口調で、ファルは言う。アレクもまた、真顔でその言葉を受け止める。

「感謝しています」

 走りながら頭を下げるファル。が、アレクは鼻を少し鳴らすと、頭を振った。

「礼なんか必要ないよ。子供を助けるのは、親の務めだから。後はお前がその体を元通りにするだけだ」

「はい……」

 相鎚を打ち、更に何かを言おうとして、ファルは躊躇ったように、そっぽを向いてしまった。そんな彼を見て、アレクは楽しそうな笑みを浮かべながら、首を傾げる。しばらくそうしていたが、ファルの方が何も言ってくる様子も無いので、諦めたように視線を前に戻した。

「……でも、ありがとう……父さん……」

「ん? 何か言ったかい?」

 小声で聞き取れなかった為、ちらっと息子の方に目をやる父親の少年。だがファルは何も答えなかった。ただ前方を見据え、走り続けるだけ。が、気のせいだろうか? その顔がいつもより紅潮しているように、アレクには思えた。二人は速度を全く緩めず、むしろ加速させながら、ムーアの森へと走った。







 ひんやりとした空気の漂う空間に、荒い呼吸音が反響した。

「ど……どうやら、助かったみたいだな……」

「はあはあ……あ、ああ……」

 全力疾走した事によって、肩で息をしている状態のバッツ達4人。体力を回復させようと、その場に座り込んでいる。

 今、彼等がいるのは、ムーアの森の最深部。長老の樹と呼ばれる、樹齢何千年か何万年か、想像も付かない。それ程の大きさを持つ巨木の、その内部だった。

 ギードから渡された枝の、その光に導かれ、炎の中をまるで掻き分けるように走っていた彼等を待っていたのが、この長老の樹だった。さしもの炎も、この長老の樹を燃やす事には遠慮しているのだろうか、その周りにだけは、火の粉さえも飛んではこなかった。

 そして木の枝が一際強い光を放ったかと思うと、巨木の幹に、ちょうど人一人が通れるぐらいの大きさの穴が開き、4人ともそこに飛び込んで助かった、と言う訳である。

「……それにしてもここは……」

 やっと呼吸が少し落ち着いてきたガラフが顔を上げ、そして、

「………」

 言葉を失う。それを不審に思ったのか、バッツ達もガラフの視線を辿るようにして視線を動かし、そして同じ物が目に入った時、やはり、彼等もまた同じように、その言葉を失った。そこにあった物は、

「クリスタル……?」

「これが封印されし物?」

「この世界にもクリスタルがあったのか!?」

 彼等は口々に、自分の中の驚きを口にする。長老の樹の内部には、明らかに自然に出来た物ではない、小さな祭壇のような物が4つ程配置されており、そしてそこに祀られていた”それ”は、バッツ達には見慣れた形をした物。

 ”それ”は、世界の礎を支える物。土、水、火、風。4つの力を象徴し、一つは高貴さを。一つは静けさを。一つは猛々しさを。一つは優しさを。それぞれ感じさせる輝きを放つ、4つのクリスタル。バッツ達のいた世界で、エクスデスの復活と共に失われたものと、寸分変わらぬ形と輝きを持った物が、彼等の眼前にあった。

「ファファファ……長老の樹の封印の解除、ご苦労であったな……ここだけは、如何に我と雖も、勝手に立ち入る事は出来ぬのでな。お前達を利用させてもらった。流石はクリスタルに選ばれた戦士達だ……」

 突如、背後から聞こえてくる声。「誰だ!?」などと間抜けな質問をする者は、いなかった。この声と、そしてこの邪悪な気配は、一度聞いて、そして感じたら忘れられるものではない。振り向くとそこにはやはり、白銀の甲冑にその身を包んだ、エクスデスの巨体があった。

「くっ!!」

 バッツが咄嗟に、懐から取り出したナイフを投げつけようとするが、それより早く、エクスデスの腕が動いた。すると、バッツ達の背後にあったクリスタルがフワリ、と浮き上がり、エクスデスの周りに、太陽を巡る星のように集まる。そして、

「ハッ!!」

 一声叫んでエクスデスが手をかざした。瞬間、4人の体は見えない力によって空中に持ち上げられ、そのまま壁に叩き付けられた。

「がっ!!」

「ああっ!!」

 そしてそれでも力は弱まらず、彼等の体を壁に押しつけ、このままミンチにまで分解せんとするかのように、放出し続けられる。この力はエクスデスから放たれているものだが、それにしてもこれまでの物とはパワーが段違いだった。壁に押しつけられ、苦しむバッツ達を見て、エクスデスは楽しそうな笑い声を上げた。

「皮肉な物だな。クリスタルによって選ばれたお前達が、そのクリスタルの力を得た我によって殺されるのだから……せめて、我の力の強大さを存分に味わって、そして逝くがいい……」

 エクスデスが僅かに指を動かす。すると、バッツ達にかかる圧力がより強くなった。だがその変化は、即座に彼等の体を粉砕し、死に至らしめるような、そんな急激な物ではない。徐々に徐々に、気付かない程の緩やかさで、力は強くなり続ける。こうする事で、バッツ達が味わう苦痛は、より長く、より苦しい物となる。エクスデスはそれを楽しんでいるのだ。

「ぐ、ぅ、ああああ……」

 強くなり続ける圧力に、骨や筋肉の軋む音が、バッツの中で聞こえる。視線を動かすと、既にレナは意識を失っているようだった。ファリスも必死で抵抗しているが、力が強すぎる。ガラフはその歯を血が出る程に食い縛りながら、この圧力に耐えていた。

「くっ……」

 バッツは自分に残された最後の力を使い、レナへと手を伸ばそうとする。だが、彼等にかかる絶対圧力は、それすらも許さなかった。全身にかかる力によって、既に指一本を動かす事すらままならない。遂には、意識すらもが朦朧としてきた。バッツの視界が、徐々にブラックアウトを始める。

 エクスデスは勝利を確信していた。もうこの状況になっては、彼等に逆転など有り得ない。今まで散々煮え湯を飲ませてくれた礼だ。地獄の痛みの中で、ゆっくりと嬲り殺しにしてくれる。

 そうして4人を苦しめる事のみに意識を集中していた為だろう、普段なら絶対に気付いているはずの闖入者の存在に、今のエクスデスは気付かなかった。

「暗雲に迷える光よ、我に集い、その力解き放て!! サンダラ!!」

 詠唱文が聞こえたかと思うと、横合いから雷光の刃が飛んできた。虚を衝かれたエクスデスは防御も回避も間に合わず、その直撃を喰らい、吹き飛ばされ、今度は自分が長老の樹の内壁に叩き付けられた。それに伴い、バッツ達に送られていた力の流れが途絶える。彼等は糸の切れた人形のように、力無く床に落ちる。クルルは慌てて、彼等に駆け寄った。

「おじいちゃん、バッツ、レナ、ファリス!!」

「う……クルル……エクスデスは……?」

 息も絶え絶えになりながらも、ガラフが聞く。

「大丈夫、しばらくは動けない筈………えっ!?」

 クルルが祖父を安心させようと、そう答え、その言葉を裏付けるように振り向いたそこには、

「小娘が……やってくれるな」

 既に立ち上がり、異様な程の殺気を全身から放ちながら、一歩、また一歩と近づいてくる、エクスデスの姿だった。油断している所に直撃した為、流石に無傷とは行かなかったらしく、甲冑はあちこちが焦げて、隙間からは黒い煙が出ているが、それは重傷や致命傷には程遠い物らしい。弱るどころか、ますます怒りに猛りながら、クルルに近づいてくる。

 クルルはちらっと、自分の後ろに倒れている4人を見た。まだ全員、先程のプレッシャーによるダメージから、全く回復していない。今、まともに動けるのは自分だけ。自分が皆を護らなければ。勝てる相手ではないが、それでも、もう、戻れない。

 悲壮なまでの決意を固め、少女は再び攻撃魔法を放とうと、その手をかざす。だが、魔導士として、エクスデスと彼女との技量の差は歴然であり、力の差は無慈悲だった。

 クルルが詠唱文を唱えるよりも早く、エクスデスが腕を一薙ぎする。それだけで、少女の体はまるで金縛りにあったかのように動かなくなった。この形になってしまえば、後は煮ようが焼こうがこちらの物。エクスデスはそれを確かめると、先程4人に対してやったのと同じように、彼女の体を魔力で中に持ち上げた。

「な、何を……」

 クルルは唯一自由になる口を使って、精一杯の抵抗をする。だが、如何に強い精神力を持っていたとしても、所詮彼女は14歳の少女。その幼さ故か、恐怖を御し切れていない。その声は震えていた。

「すぐに分かる」

 エクスデスが指を、まるで見えないピアノの鍵盤を叩くようにして動かすと、クルルの小さな体は勢い良く飛ばされ、鈍い音を立てて壁に叩き付けられた。

「うああっ!!」

「やめろ、エクスデス!!」

 悲鳴を上げるクルル。倒れたまま、必死に立ち上がろうと藻掻くガラフ。そんな二人に構わず、エクスデスは指を動かし続ける。その度にクルルは壁に激突し、傷付いていった。

「ああっ!! うっ!! ああっ……」

 何とか金縛り状態から脱しようと、体を出鱈目に動かそうとするクルルだが、壁にぶつけられる度に、その抵抗は弱々しくなっていった。そして、更に幾度か壁に叩き付けられた後には、

「……ケ……テ……い……ちゃ……」

 最早悲鳴を上げる力も残ってはいないのだろう、その体をぐったりとして、譫言のように何かを呟くのみ。エクスデスの拘束力に逆らう事もしなく、いや出来なくなっていた。エクスデスは溜飲を下げたように、その姿を見ていたが、そろそろ飽きてきたのか最後の一撃を加えんと、クルルに向けて手をかざし、そこに魔力を集中させる。そして今にも魔法を発射しようというその時、

「ぬ、う、お・おおおおおお!!!!」

 気迫のこもった雄叫びを上げて、ダメージの回復していないその肉体を無理矢理動かし、ガラフが立ち上がった。エクスデスもこれには多少なり驚いたのか、身動ぎする。が、すぐに気を取り直したように、クルルに向けて放つつもりだった魔法をガラフへと撃ち出した。放たれた魔法はファイラだ。だが、ただの中級魔法であってもエクスデスの魔力であればそれは必殺の威力を持つ。

 獄炎がガラフの体を直撃し、倒れ伏しながらそれを見ていたバッツ達は息を呑み、思わず目を逸らす。だが、

「こんな物か……!! まだ死ねん、ワシはまだ、死ねん!!」

 体のあちこちを、火傷を通り越して焦がしながらも、ガラフはそこに立ち続けていた。だがエクスデスは怯む事無く、次々と、今度はファイガ、ブリザガ、サンダガの上級魔法を、まるで嵐のような勢いでガラフへと浴びせる。だが、それすらもガラフを打ち倒す事は出来なかった。

 体中から血を流し、その傷口から向こう側の景色が見えそうな程の重傷を負っても、ガラフは倒れなかった。どころか、先程エクスデスがクルルにそうしていたように、一歩、一歩と前へ、前へと、エクスデスに向かっていく。

 エクスデスにはそれが理解出来なかった。一体、どういう肉体なのだ? 自分の魔法の威力は生半可な物ではない。常人であれば、最初の一撃で灰に変わっているだろう。そんな威力の攻撃を何発も浴びながら、未だにガラフは立ち続けている。

 ジャリ……

 足下から聞こえる微かな音。エクスデスは足元を見ると、それは自分が後退した音だと分かった。

 後退? クリスタルをも支配したこの私が、たかが人間相手に後退するだと? 有り得ない。その時、はっと気付いた。今、既にガラフに意識は無い。ただ本能だけが体を動かし、前に進ませている。そうまでしてガラフを動かす物は何か? それは、孫娘の命。ならば、それを先に断てばよいだけの事。

 エクスデスは魔法を撃ち出すその手を、ガラフではなく、空中でぐったりとしているクルルへと向ける。ガラフは、本能でその体を動かしているが故の悲劇。その動きに反応出来ない。バッツ達は、未だにダメージによって動けない。そして、魔法が放たれる。

 もう、誰にもクルルの死は、覆す事の出来ない運命だと、一瞬にも満たない永い時間を、絶望が支配する。刹那、

 バキィィィィィ………ン……

 背後から飛んできた一条の光が、エクスデスの放った魔法を弾き、クルルを助けた。

「何者か!!」

 とどめを邪魔された怒りを隠そうともせず、エクスデスは振り返る。

「………わたしの……存在を問うの………?」

 小さな、鈴のような声が響く。

 この長老の樹の、その入り口に一人の少女が立っていた。

 その外見から年齢はクルルよりも、もっと幼い、11、2歳ぐらいに見える。体格はその中でも小柄な方だろう。

 まるでそれ自体が光を放っているかのように輝く、長い黄金の髪を持ち、エメラルドのような透き通った碧眼には、虚ろな透明感を宿している。口も小さく、幼くはあるがそれらのパーツが絶妙な位置に配置され、かなりの美少女と言って良いだろう。

 服装は、豪華さなどとは全く無縁の、ボロ布によるブカブカのマントのような格好。機能性を重視しているにしても、それは些か大きすぎるように見えた。これでは走ったりする時、足を引っかける原因になったりするだろうに。

 しかしそんな物など、彼女を語る上では些末な事に過ぎなかった。その場にいて意識のある者、エクスデス、バッツ、ファリスは、彼女の異常さを、一目見て気付いていた。

 彼女からは何も感じないのだ。本当に何も。空気のように、何も無い。彼女から敢えて感じる物があるとすれば、それは虚無。どこまでも、どこまでも落ちて行く、底の無い暗い穴。それをこの少女から感じる。

 少女は虚ろな瞳をエクスデスに向けたまま、抑揚の無い声で言った。

「……わたしは……ミヤ……暗黒魔導士エクスデス、あなたを……殺す者………」

 ミヤ。そう名乗った少女は静かにエクスデスを見据え、内なる魔力を解放した。

 彼女の体を、漆黒に光り輝くオーラが覆った。









TO BE CONTINUED..

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