ひんやりとした空気の漂う塔の地下階は、今はむせ返るような血の臭いで、息が詰まりそうだった。

 転がっている魔物の死体は、どれも死んで間も無いように見える。未だに腐敗は始まっていないし、飛び散った鮮血も、乾いてはいなかった。つまり自分達がここに来る少し前に、この階に何者かが現れ、魔物達と戦った、と言う事になる。

 それらの死体は刀傷の他に、炎の魔法剣を使ったのだろうか、切断面が焦げた物や、桁外れの力で引きちぎったような物もあり、この部屋全体が、地獄絵図と言っても言い過ぎではないような、そんな有様となっていた。レナが思わず、口に手をやる。

「ゼザ、このトンネルの事を知っていた者は?」

「俺と、後は側近の数名だけだ。情報が漏れていた可能性は無い」

 と、ガラフの疑問に答えるゼザ。この夥しい数の魔物の死体を作った何者かが、事前に自分達の通ってきたトンネルの情報を得て、それを利用した可能性は無いらしい。尤も、それは先程ゼザが剣を使って入り口を開けた、つまりただ一つの入り口が塞がっていた事から考えても、有り得ない話なのだが。

 では一体何者が、どうやってここに入ったのだ? 外にはバリアが張り巡らされていると言うのに。

 不安を覚えるバッツであったが、ゼザが「考えていても仕方が無い」と言うと、状況を説明する。

「ここはバリアの塔の地下一階だ。この塔を壊せばバリアは消える。俺は地下の動力室へ行くから、お前達は最上階のアンテナを破壊してくれ」

「アンテナを?」

 聞き返すガラフ。

「そうだ、俺が動力を止めている間に、アンテナを破壊してくれ」

 頷いて、上の階に向かおうとする4人であったが、ゼザが少し慌てたように制止する。

「忘れていた、これを渡しておく」

 彼は懐から、妙な形をした植物を取り出した。飛竜草とも違う、見た事のない植物に、ガラフ以外は首を捻る。そんな3人を見てか、ゼザが説明を加えた。

「これは”ひそひ草”と言って、これを使って連絡を取り合う事が出来る。それでは頼むぞ!!」

 ゼザはそう言って、下へと続く階段を駆け下りていった。残されたバッツ達も、確かにこの死体の山を作ったのがどんな奴なのか、もしかしたらそいつがこの先にいるかも知れない、等とそんな不安はあるが、だからと言ってこのままここに留まっていても始まらない。そう考えて不安を無理矢理打ち消すと、階段を上っていった。





 ガラフ達と別れたゼザは、この塔の最下層にある動力炉を目指して、階段を駆け下りていた。道を阻む魔物達は全て斬り倒しながら、どんどんと先へ進む。このように万事順調、の筈なのだが、ゼザの心には何かが引っ掛かっていた。

 一度立ち止まり、自分の周囲を見回してみる。

 ここには、自分達が入ってきた階にあったような戦闘の痕跡は無い。だがそれがゼザには納得が行かなかった。

 地下一階にあったのは魔物達の死体だけで、それ以外の、例えば人間の死体などは見つからなかった。

 つまり、あの魔物達を倒した者は、当然だが生存しているという事になる。とすれば、そいつはガラフ達の向かった先か、あるいは自分がこれから向かおうとしている動力炉にいる可能性も、否定出来ない。そいつが味方なら何の問題も無いが、だが敵の敵は味方とも限らない。

 しかし自分の向かっている先にいるとすれば、戦闘の痕跡が無いのは不自然だ。するとガラフ達の方に……?

 と、考え出すと際限なく、新たな不安が生まれてくる。

 だが戦士として感情をコントロールする術も身に付けているゼザは、首を振って頭を切り換えた。先程自分がガラフ達に言ったように、考えていても仕方が無い。今は、自分の為すべき事を為すだけ。ガラフと、そして彼と共に戦い抜いてきた3人の力を信じて、自分は速やかに、動力炉の破壊を行おう。

 心を落ち着かせて、次々と襲いかかってくる魔物達を返り討ちにしながら、ゼザはあっという間に動力炉のある最下層へと辿り着いた。そして、動力炉の大きく重い扉を、力一杯押す。僅かにきしむような音を立てて、扉は開き始めた。隙間から熱い空気が吹き出し、思わずゼザは顔を覆う。

 吹き出してきた空気をやり過ごして、動力炉内部に足を踏み入れるゼザ。しかし、その歩みは扉から数歩進んだ所で止まった。

「お前は……」

 そこには既に先客がいた。忘れもしない、いや忘れられる筈も無い、白銀の甲冑にその身を包んだ怨敵が。

「エクスデス……」

 仇敵の名を、ゼザはそこにまるで畏敬の念がこもっているかのような声で呼ぶと、剣を構えた。

「………」

 それを受けて”エクスデス”の方も、その右手に持っていた武器、ルビーよりも、炎よりも、鮮血よりも紅く輝く刀身を持った双刃の剣を、半身になって水平に、持つ手を前に突き出すようにして構える。ゼザは魔導士であるはずのエクスデスが剣を構える事に違和感を覚えたが、そんな物はすぐに、死闘の前の緊張と、仇敵を目の前にした高揚によって掻き消される。

「今度は30年前のようには行かない。二度と蘇らぬよう、その首刎ねて闇に還してくれる!!」

「………」

 気合いを込めて叫ぶゼザと、相変わらず無言の”エクスデス”。全く対照的な両者であったが、次の瞬間には走り出し、互いの剣を打ち合わせていた。金属で出来た空間に両者の剣のぶつかり合う音が、不気味に響いた。





第7章 竜と魔と





 ゼザと別れたガラフ達4人は、バリアの塔を最上階へと向かって、駆け上がっていた。階段は螺旋状に、塔の内壁に沿うようにして作られており、彼等はグルグルと回りながら、上へ上へと向かっている。

 このバリアの塔は、エクスデス城を囲むようにして配置された4つの塔から発せられるエネルギーによって、周囲一帯をカバーする結界を創るシステムであり、その性質上塔の内一つでもその機能を停止すると、バリアが消滅してしまうという弱点を持っている。

 この為、バリアの塔の内部には、当然どの塔にも例外無く、塔の番人としてモンスター達が配置されている。

 無論そんな事はバッツ達とて先刻承知の上であったので、心の準備はしてきた。体力と魔力もハイポーションとエーテルによって回復させ、どんな化け物が現れても対応出来る構えだった。

 しかし、彼等が魔物に襲われる事はなかった。ファリスが、近くの壁を見て、呟く。

「一体……これをやったのはどんな奴なんだ…?」

 その声には不安と驚愕が入り交じっていた。バッツやレナも、そこの壁を、正確にはその壁にある物を見て、同感だと言うように頷く。

 そこには数匹のドラゴン系のモンスターが、無数の短剣によって、まるで壁に磔にされるように打ち付けられていた。また階段には、あちらこちらに全身をズタズタに切り裂かれたり、頭部に短剣を突き立てられたりした魔導士の死体が無数に転がっている。

 そしてそれらの死体は、上の階に行く程、死んでから時間が経っていない物になっていた。それはつまり、これだけの魔物達を打ち倒した者は、今、自分達がそうしているように、上に向かっていると言う事だ。しかもドラゴンをも倒すとは、その腕も相当に立つと見ねばなるまい。

 もしそいつと戦う事になったら……?

 そう考えると、ファリスはゾクッとした感覚が、体の中を通り過ぎるのを感じる。

 勝てるだろうか?

 そんな考えが頭に浮かんだが、彼女は苦笑すると心の中で、弱気になっていた自分を叱った。勝てる勝てないではない。戦う事になったのなら、勝つ。それだけだ。既に自分達の命は、自分達だけの物ではないのだから。そう彼女の心が吹っ切れた時、ちょうど階段が終わり、外へと通じる扉が見えた。

 4人は足を止めると、ガラフが「ブハーッ」と大きく息を付き、膝に手を当てた。バッツが「大丈夫か?」と心配そうに覗き込むと、ガラフは頷き、額の脂汗を拭いながら、答えた。

「年の割には若いと言われるが、これだけ走り回ると流石に息が切れるわい。昔のようには行かんのぉ」

 老戦士は苦笑しながらそう言うと、一度大きく深呼吸して、呼吸を落ち着けた。そして「では行こう」と言うと、3人も頷いて扉を開け、外へ出ようとする。先頭のバッツが用心深く、扉の外側を見渡しながら、塔の外周へ出ようとして、内側から一歩外へと踏み出した瞬間、

 ヒュン!!

 風を切る音がして、バッツの首筋に刃が突き付けられた。

 十分に警戒していた筈なのに、何の気配も感じなかった。それだけで、この剣の使い手が並の相手ではないと、バッツは悟る。レナ達も驚いて武器を構えるが、下手に動けばバッツが斬られる。その為迂闊に飛び出す事が出来ない。バッツは頬を冷たい汗が流れるのを感じつつ、自分の首筋に突き付けられている刃の切っ先を見た。

 海よりも、天空よりも鮮やかで深い、それでいて透き通った蒼が、そこにあった。この輝きは見覚えがある……? バッツがふとそう思った時、蒼い刃が動き、突き付けられた剣は下ろされていた。そして横から、聞き覚えのある声が耳に入ってくる。声の主は彼等を見て、驚いたようだった。

「皆さん……どうしてここに?」

 そしてバッツ達も、そこにいた彼を見て、驚きの声を上げた。

「ファル……お前こそ何でこんな所に!!」







「……そうですか……この塔を破壊に……実は私達も全く同じ目的で、この塔に潜入していたんです」

 バッツ達からおおよその説明を聞き、納得した表情を見せるファル。バッツ達も彼がこの塔の破壊に来たと聞いて、塔の内部にゴロゴロと転がっていたモンスターの死体は、彼等の手による者だと納得する。彼にしてもアレクやソフィアにしても、その強さは自分達が今まで出会った中でも最上級の物。雑魚の魔物達では束になっても敵いはしないだろう。

「私達……という事は、他にも誰か来ているの?」

 レナの問いに対して、頷くファル。

「ええ、ソフィアが私と一緒に。彼女は”壁抜け”の能力が使えますから、その力を使って、地下を通ってこの塔の内部に潜入したんです。彼女は今頃は地下の動力炉に到着している筈ですけど……それより……」

「?」

 ファルは何かを言いかけて、だがそれを口にするのを迷っているかのように、一旦口を噤んでしまう。

「どうしたと言うんじゃ?」

 ガラフに聞かれて、彼は躊躇いがちに、再びその口を開いた。

「……エクスデスに嵌められましたね」

「……何?」

 ガラフは、何を言っているのか分からない、という表情で聞き返す。ファルの方もそんな反応は予想通りだったのだろう、順を追って説明を始めた。

「遅かれ早かれ、あなた達がこの塔を破壊に来る事は、エクスデスは承知の上だったのですよ。バル城の戦力で脅威となり得るのはあなた達クリスタルに選ばれた4人の光の戦士だけ。この塔へとあなた達を誘い出して、手薄になったバル城を一気に攻め落とす。それによってあなた達はこの世界における拠点を一つ失う事になる。それがエクスデスの作戦だったのですよ」

「「「「………!!」」」」

 彼の言葉を聞いて、全員、言葉も無く立ち尽くす。真っ先に我に返ったガラフが、ファルの肩を掴み、揺さぶりながら聞き返した。

「そ、それは確かな情報なのか!?」

「間違いありません」

 青年から返ってきたのは、そんな氷よりも冷たい返答だった。ガラフは「くっ」と俯くと、次の瞬間には、たった今出てきた扉から、塔の中へ戻ろうとした。しかし、ファルがそんな彼を呼び止めた。

「何処へ行くつもりです?」

「分かり切った事を聞くな!! バル城へと戻る!!」

「今から戻った所で間に合いません。既にエクスデスの軍勢はビッグブリッジを越えた頃です」

 激昂して叫ぶガラフに対して、あくまでも冷静に返すファル。彼はあくまで事実を述べているに過ぎない。しかし、ガラフは聞き入れようとはしなかった。今上ってきた道を、今度は下ろうと、塔の中へ入っていく。今のガラフの心を占めているのは、唯一の肉親であるクルルと、自分を信じてくれているバル城の民の事だった。自分はバル城の王なのだ。あの地を護らねばならない。例えそれが手遅れだったとしても、何もせずにただ滅びを受け入れるなど、出来る筈がないではないか。

 ファルがバッツ、レナ、ファリスの3人に目を向けると、彼等もガラフと共にバル城を助けに行く、と、言葉にせずともその目が語っていた。幾度も生死を共にしてきた、何物にも断ち切れない、固い絆がそこにあった。そんな彼等を見て、青い髪の青年は優しく微笑み、そして言った。

「……バル城の事なら心配要りませんよ」

「え?」

 彼の口から出たその言葉に、ガラフは目を丸くして聞き返す。

「エクスデスの軍勢は、バル城へと迫っています。ですが、その兵士はただの一人も、バル城へと辿り着く事は出来ないでしょう」

 そう言ってファルは視線を遥か彼方、ビッグブリッジの向こう側へと向ける。

「そこには全てを滅する者が待っている」







 時を同じくして、ビッグブリッジを経て、バル城へと続く道。ファルが言ったように、そこには魔物の群れがひしめき合っていた。エクスデスがガラフ達が留守のバル城を攻め落とさんと差し向けた軍勢である。

 しかしその軍勢は、そこより先へ、バル城へと向けて、進撃する事が出来なかった。

 彼等の進撃を阻む者は、ただ一人の少年、それだけだった。

 だがその少年は、魔物達の理解を越えていた。

 雲霞のような軍勢を前にして、怯えの色の欠片も無く、強い意志に輝く真紅の双眸。人は死を恐れる筈なのに、この少年は自分が死ぬ事など、欠片も考えていないかのようだった。

 その瞳に映るのは、悠然と佇むその姿から感じるのは、自信。それも生半可な物ではない、それこそ圧倒的な。例えそれが何者であろうと、己の前に立つ者ならば、必ず打ち勝てるという絶対の自信。それを裏付けるように、少年の足下には、彼に討ち取られた兵士達の死体が、無数に転がっている。

「う、お、おおおっ!!」

 周囲に立ちこめる緊迫感に耐えられなくなったのだろう、一匹の魔物が少年に向かって走り出し、それを皮切りに数十匹の魔物達が一斉に、少年の周囲から挑み掛かる。それはたった一人の少年を殺すには、十分を通り過ぎて無駄、と断言して良い程の物量だ。

 無論それには、只の少年、という但し書きが付くが。

 この少年は普通ではなかった。

 瞬間、光が輝いた。それはアメジストのような、紫色の美しい輝き。

 ドギュン!!

 そしてその輝きと同時に異様な音が響き、大地が、まるで地下に埋めてあった大量の爆薬が一斉に爆発したかのような、それ程までに凄まじい力によって抉り、引き裂かれ、少年に襲いかかった兵士達はその余波で、まるで紙か木の葉のように宙を舞い、雨滴のように堕ちる。

 その死体を踏み締めながら、少年は目の前の軍勢を睨み付け、言った。

「さあ、次だ。どうした腕に覚えのある者はもういないのかい? この僕を打ち倒せる者はいないのかい?」

 少年、アレクは、年相応の少年のような無邪気な笑みを、敵対する者にとっては悪魔の様にも見えるそれを浮かべながら、楽しそうに手招きした。その表情や仕草には、明らかに愉悦が感じられた。彼は戦い、それそのものに心を委ね、楽しんでいるのだ。

 その誘いに応じた訳ではないだろうが、再び、今度は百体近い魔物が前進し、その手の武器や鋭い爪、炎のブレスを用いて、アレクを葬ろうとする。アレクは動かない。彼は攻撃をかわそうとも、防御しようともしなかった。そんな必要など無いからだ。

 再び、彼の体が、剣を持つ右手を中心として、紫色に光り輝く。

 それは彼の斬撃だった。彼にしてみればただ剣を振っただけなのだが、そのスピードがあまりにも速すぎる為、視覚を含めた全ての感覚を超越し、光が輝いたようにしか知覚する事が出来ないのだ。

 ガギン!!

 再び凄まじい衝撃音と共に大地が引き裂かれ、彼に挑んだ兵士達は一切の例外無く、体をズタズタにされ、地面に転がっている者達の仲間入りをする事となった。彼等の繰り出した攻撃は、全てその一撃によって打ち消されてしまった。攻撃は最大の防御、正にそんな言葉を体現したような一撃だった。

 だがそれすらもアレクにとっては、ただ剣を振った、それだけの事に過ぎない。たったそれだけだが、その速度は人智を超越していた。その証拠に、彼が握る剣の刀身には、空気との摩擦熱によって生じた炎がまとわりついている。それは今の攻撃の凄まじさを物語る物だった。

「ここから先はお前達は通行止めだよ。この僕がいる限りはね。今は只でさえ忙しい時だけど、そこは可愛い息子の頼み。この僕が一匹残らず叩き斬ってやるよ」

 そうしてアレクは、初めて彼の方から一歩踏み出す。同時にエクスデスの兵士達は、一歩後退した。

 分からない。自分達はエクスデス様の兵士、エクスデス様によって選ばれた精兵。その自分達がどうして、こうまで倒される!? それもこんな、年端も行かない子供一人に。分からない、分からない、ワカラナイ………

「何をしている」

 その時背後から、低く、重々しい声が響いた。その声を聞いた兵士達が、希望を持って振り向く。そうだ、この御方なら。そう考えて振り向いた瞬間、彼等はその体を真っ二つに切り裂かれていた。

「エクスデス様の軍に後退するような者など、要らぬ!!」

 それを行ったのは、刃渡りが10メートルはある巨大な剣を持った、人間に近い姿をした魔物だった。尤も、その体躯は軽く常人の十倍はあり、人間ではない事は一目瞭然ではあったが。その魔物はアレクを真っ直ぐに見て、そして叫んだ。

「我はエクスデス様の親衛隊副長、剣士ジークフリード!! 我が剣と貴様の剣、どちらが勝っているか!! 勝……」

 その口上も終わらぬ内に、再び紫色の光が輝く。

「ぶっ!!!????」

 決着は一瞬で付いた。

 アレクの放った斬撃が、一刀の元にジークフリードの巨体を両断していたのだ。しかもその一撃で、ジークフリードは痛みさえ感じなかった。アレクの剣の切れ味が、それ程鋭かったのだ。二つになったジークフリードの体が、地面に崩れ落ちる。それを見るアレクの表情には、二つの感情が浮かんでいた。驚きと、失望が。親衛隊副長と言うから期待していたのに。

「何だ、もう終わりなのかい? 折角、久し振りに強い奴と戦えると思ってたのに……」

 心底残念そうに、ひとりごちる。そんな彼を、兵士達はこの上も無い恐怖の眼差しで見ていた。自分達を率いていたジークフリード様は、エクスデス様の配下の中ではギルガメッシュ様に次いで、強い力と権力を持っている。その力は自分達が束になっても到底及ばない程なのだ。その彼が、あれほどあっさりと倒されるとは。

 最初からこの戦いに勝ち目は無かった。兵士達はこれまで知らなかった恐怖と絶望という二つの感情を、今この時に理解した。

「こんなザコ共と戦っても面白くないし、いちいち剣を交えるのも面倒だな……」

 アレクはそう言うと鞘を取り出し、紫色に輝く刀身を、そこに収めた。魔物達はその行動に疑問を抱くが、だが、同時に希望も芽生えた。どうあれこれで、もしかしたら、生き延びる事が出来るかも知れない。生き残った者達は彼が武器を仕舞ったこの隙に、一目散に逃げようとする。

「!?」

 だが出来なかった。いつの間にか、彼等の中で自由に体が動く者は、一人もいなくなっていた。どこからか、恐ろしい程の殺気が自分達を見詰めている。そう理解した彼等は、再びアレクに目を向ける。大方の予想通り、先程までとは比較にならない程の殺気と重圧が、彼の体から発せられていた。

 そして彼等の体を、突風のような物が吹き抜けていく。それは錯覚などではなく、実際にアレクの体を中心として噴き出ていた。同時に今のアレクの体からは、太陽の輝きにも似た金色の、光の粒子が放出されている。

 光はアレクの全身から、彼の体を包むようにしてどんどん強くなっていく。際限なく強く、そして明るくなるその光を直視出来る者などおらず、魔物達は顔をそむけ、目を覆う。そうしている間にも、アレクの体を包む光は強くなり続け、やがてそれは天空にも達する、巨大な光の柱となった。

 そしてその光の柱の中から、”何か”が姿を現す。

 その者の姿を見て、誰もが一様に、その言葉を失った。

 その姿は、竜。

 その体は空を覆い尽くす程に大きく、黄金色に光り輝く鱗に全身を包み、その背に6対12枚の翼を持った真紅の瞳の竜が、まるで兵士達を睥睨するようにして、遥か上空に浮遊していた。

 その威容を目にして、兵士達は理解していた。知性よりももっと根源的な、動物としての本能が何よりも敏感に、そして正確に、彼等に一つの事を悟らせていた。自分達は確実にここで死ぬ。もう絶対に助からない。

 そしてその予感を裏付けるように、その黄金の竜、アレクが動いた。その大きな口を開くと、その中に、膨大なエネルギーが渦巻いているのが分かる。蓄積されていたそのエネルギー、ブレスが、殆ど光線のようにして放たれ、それは一筋の流星のように、一直線に大地に達する。

 瞬間、世界が白一色に染まった。

 極限まで増幅されていたエネルギーが解き放たれ、それは大地に触れた部分を中心として、その周囲の形ある物全てを巻き込み、そして呑み込んでゆく。それは破壊という言葉すら生温い、爆発的な力の解放。光に呑まれた物全てを、その影すらこの世に残さず、無に還していった。

 そして光が収まったその後にはエクスデスの軍勢の姿はなく、ぽっかりと大地そのものをくり抜いたような、常識外れな程に巨大な穴が口を開けているだけだった。その穴の中央に立つ者が一人。再び人間の姿に戻ったアレクである。

「とんだ期待はずれだったけど……ま、愚痴っても仕方ないか。これでファルの頼みは聞き入れた訳だし」







 こうしてエクスデス軍が壊滅したのと時を同じくして、バリアの塔の地下で繰り広げられる”エクスデス”とゼザとの死闘も、決着が付こうとしていた。

 ギィン!!

 再び両者の剣がぶつかり合い、金属音が反響する。両者はそこから後ろに跳び、距離を離した。

「ふう……」

 ゼザは出来るだけ疲労を悟られないように一息つくと、額の汗を拭った。拙い。彼は少し前から、そう直感していた。

 自分ももう60歳近い歳だ。まだまだ戦士としては現役のつもりだし、技も衰えてはいないが、それでも体力の衰えだけはどうしようもない。たとえそれが、鍛えに鍛え上げた自分の肉体であっても。30年前はこれぐらいの戦いで、目が霞んだり息が切れたりはしなかったのに。これが老いという物か。

 強敵との死闘において、その為に費やされる集中力には想像を絶する物がある。だからこうして対峙しているだけでも、どんどん体力と精神力は消費されていく。

 ゼザが見た所、この”エクスデス”と自分との力量は、さほど差は無いようだ。30年前は自分達暁の四戦士が全員がかりでも封印するのがやっとだったと言うのに……封印されている中で、力が衰えたのだろうか? だが、それでも力量に大差が無い以上、勝敗を決するのに、スタミナは重要な要素になってくる。体力が切れればそれに従って、判断力や集中力、身のこなしも衰えていくからだ。

 だが”エクスデス”は相変わらず、疲れた素振りも見せない。

 このまま戦いが長引けば、疲労した自分の方が、負ける。確実に負ける。ゼザはそう直感していた。

「次の一撃で勝負を付けなければ……」

 彼はそう決めた。そうしてともすれば先走りがちな心を、上手くコントロールする。

 確かに限界が近づいている自分にとって短期決戦が理想だが、焦ってはならない。焦りは余計な緊張を呼び、動きを鈍らせ、それにそれは敏感に相対している敵にも伝わり、付け入る隙を与える事にもなりかねない。だから彼は努めて心を平静に保つと、”エクスデス”に向けて突進した。

 ”エクスデス”もそれを迎え撃たんと、真紅の双刃を振りかざすが、そこを狙ってゼザは左手をかざすと、素早く詠唱文を唱える。彼の指先から、青白い雷光が走った。サンダラの魔法だ。”エクスデス”はそれを刃を動かして防いだが、それによって一瞬の隙が生まれた。そしてそれを、ゼザは逃さなかった。

「むんっ!!」

 ”エクスデス”の右側に回り込むようにして近づくと、全身の力を使って、剣を横薙ぎに振った。

 僅かな手応えがあって、くるりと一回転したゼザが見ると、そこに立っていたのは首を落とされた”エクスデス”の胴体だった。兜を付けた頭部は、暗がりにでも転がり込んだのだろう、見つからなかった。首と離ればなれになった胴体は、しばらくはそれが認識出来ないように立ち尽くしていたが、やがてゆっくりと、その場に倒れた。

「はぁ……はぁ……やったぞ、30年前からの悲願を、遂に果たした……」

 普段は”氷のゼザ”と呼ばれる程に冷静な彼も、この時ばかりは喜びを隠そうとはしなかった。30年前もエクスデスは不死身に近い体を持っていたが、だが首を切り落とされては、流石にその命は尽きるだろう。不死身などこの世には存在しないが、だが仮に本当に不死身だとしても、首を落とされて生きていられる生物など存在しない。

「だが、まだ終わりではない。ガラフにこの事を伝え、動力炉を破壊せねば……」

 ゼザは自分の置かれている状況を思い出すと、”エクスデス”の死体に背中を向け、懐から”ひそひ草”を取り出した。これから動力炉を破壊する事と、エクスデスを倒した事、この二つを彼に伝える為に。彼がその草に向かって何かを言おうと口を開いたその時、

 チキ……チキ……

 背後から物音が聞こえてきた。

「!?」

 猛烈な悪寒に襲われて振り返ると、やはりそこには”エクスデス”の死体が転がっているだけだった。気のせいか? そんな考えも頭に浮かぶが、次に耳に入ってきた音が、そんな考えを打ち消した。

 キィ……キィ……

 聞こえてきたのは、今度は何か小さな動物の鳴き声。ゼザがよく目を凝らして見てみると、エクスデスの死体が、自分が首を斬り飛ばしたはずの死体が、蠢いていた。いや違う。

「な……!? これはっ……」

 ゼザは己の目が信じられなかった。このような現象は彼も今まで生きてきた中で、一度も目にした事がなかった。

 エクスデスの死体が別の物に、大小無数のコウモリへと、変わりつつあるのだ。今まで聞こえていたのはその変化の際の音や、コウモリの鳴き声だったのだ。そして数秒もしない内にその体が全て、数え切れないほど多くのコウモリへ変化を終えると、それらが一斉に飛び立った。

「うおおおっ!!」

 体を庇いながら、コウモリ達の動きを追うゼザ。無数のコウモリは徐々に一カ所に集まり始める。そして集まったコウモリ達は次々に合体を始め、そこに闇よりもなお黒い、漆黒の影が生まれていく。そうして最後の一匹がその影と合体した時、影は再び形を取った。だがそこにいたのは、白銀の甲冑を纏った巨漢の魔導士ではなく、

「クス……人間にしては中々、やるね。少しハンデを付けすぎたかな?」

 蒼白の肌と透き通るような銀髪を持ち、その体を闇で造ったかのような黒衣で覆い、更に無数の十字架を付けた銀の鎖でもって縛り付けた、美しい女性。ソフィアがそこに立っていた。その瞳は彼女の伴侶と同じく、炎よりもなお紅き真紅に輝いている。まるで彼女の剣のように。

「………」

 ゼザはこの続けざまに起こる怪現象に、言葉を失っていた。完全に倒したはずのエクスデスが蘇り、復活したその姿は、このような女性だとは? 一体、何がどうなっているのだ?

 彼のそんな内面での疑問には関係無く、ソフィアは楽しそうに笑った。

「首を落とされたのは久し振りだよ。あんた、人間で、しかもその年にしては、イイ線行ってるよ。このアタシが保証してあげる。雑魚と戦うのが面倒だからエクスデスに化けてここまで来たら、まさかこんな剛の者と出会えるなんてねぇ……」

 そう言う彼女の表情は、嬉しそうである反面、どこか哀しそうで、名残惜しそうだった。ゼザは今の彼女の言葉にどこか引っ掛かる物を感じていたが、すぐさま、それは襲ってきた衝動に掻き消された。

 逃ゲロ。今スグ逃ゲロ。

 自分の中の、限りなく原初、野生の動物に近い部分が、迫っている危機を教えていた。ゼザには迫り来る危険が何なのかは分からない。だが、自分がこの女性に対して抱いている感情が何か。それを理解する事は出来た。

 それは恐怖。それも理屈とか感情ではない、動物である以上必ず持っている、本能で感じ取る種の物。ちょうど喰われる側の生物が、目前に迫った捕食者に対して抱くであろう感情。それに近い物を、ゼザはソフィアから感じていた。

「自慢して良いよ。アタシも随分永生きしてるけど、人間相手に”こいつ”を使うのは、ファルやあの子以外ではあんたが初めてだ。つまりはそれだけあんたが実力者だって事。誇るんだね………あの世で」

 ソフィアはそう言うと、首にぶら下げている銀のロザリオを鷲掴みにする。ジュウウ……と音がして、肉の焦げる臭いがゼザの鼻をついた。十字架に触れた事によって、ソフィアの掌が焼かれているのだ。だがその痛みすら意に介さないように、彼女は笑いながら、その手に力を込めた。

 ギシッ……

 人間離れした彼女の力に引っ張られ、ロザリオの鎖が軋む。鎖にヒビが入り、今にも断ち切られようとする。

「さあ……心行くまで踊ろうか……二人きりのダンスをね……」

 ソフィアにとっては楽しい一時の、ゼザにとっては彼の命の、その終わりを告げる言葉が今、彼女の口から紡がれた。









TO BE CONTINUED..

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