一方その頃、グロシアーナ大陸の一角では。

「やれやれ……今日も収穫無し、ですか…”あれ”はこの大陸にはないと、考えるべきなのでしょうね…」

 と、ぼやくようにして、モーグリの村の中を歩くファルの姿があった。

 バッツ達と別れてかれこれ一週間程になるが、その間、彼はこの村を拠点として、自分達の捜し物がこの大陸にあるのではないか、と、捜索を続けていたのである。だが、今の所収穫はゼロ。手がかりすらも掴めてはいない。

 自分の、いや自分達の捜し物はこの大陸にはない。この時点でファルはそう結論していた。

 こんな短時間でそれだけの結論が出せたのも、”あれ”は、簡単に人が入れるような場所に置いておけるような物ではなく、必然、それを安置すべき場所は、人が簡単には立ち入る事の出来ないような場所に限られるからだ。少なくとも、自分が逆に”あれ”を隠す立場になったとしたら、そうするだろうとファルは考えていた。

「クポー、クポー」

「! ああ、こっちの収穫は上々ですよ」

 と、そこまで考えて、自分の足下を並んで歩くモーグリに気付いて、彼は笑顔でそう応じた。そして肩に担いでいた獲物を、地面に降ろす。ズシン、という小さな地響きを立てて、彼の今日の狩り獲物、大型の熊が地面に転がった。

「クポポー」

 そのモーグリは喜んだように飛び跳ねると、そこいらを走り回って、仲間達を呼んだ。樹木をくり抜いた家の扉が開き、次々とモーグリ達が姿を現す。

「クポポポー!!」

「クポーポー!!」

 出て来たモーグリ達も、ファルの持ってきた獲物が大物であった事を知ると、次々と喜びの声を上げ、ある者はその獲物の熊の周りを、またある者はそれを仕留めた功労者であるファルの周りをグルグルと回り、祝福の声を上げ、踊りを踊った。

 そうしてファルの労をねぎらう儀式が終わると、早速モーグリ達は家々から包丁やノコギリを持ってきて、獲物の解体を始めた。それと平行して別の者が焚き火を起こし、解体した熊の肉をその周りに並べて、焼く。ファルや他のモーグリ達は、その火を囲むようにして、その周りに座った。

 徐々に肉が焼け始めたようで、良い匂いが漂ってくる。

 一匹のモーグリ、以前ファルがレナと共に怪我を治療してやったそのモーグリが焚き火の周りに置いてあった、熊の肉を刺した串の一本を抜くと、それをファルに手渡そうとした。ファルはそのモーグリの頭を撫でてやると、串を受け取り、フーフー、と冷ましながら、自分の仕留めた獲物の肉にかぶりついた。

 これがこの一週間の彼の生活だった。

 彼はこのモーグリの村を拠点として、グロシアーナ大陸で捜し物を行っていたのだが、モーグリ達としても、いかに仲間を助けてもらった恩人とは言え、何もしない者を置いておく訳には行かない。そこでファルは捜し物のついでに、そこらの森で狩りをして、そこで仕留めた獲物をこの村に持ち帰っているのである。

 モーグリは元来雑食性で、果物や野菜を食べるように、動物の肉も食べる。その為、彼等は武器を造り、そして狩りも行うのだが、元々が臆病な性格の彼等である。狙う獲物は必然的に自分達より小型の草食獣、ウサギ等に限られ、しかも現在はエクスデスの影響により、村から一歩外に出れば、凶暴なモンスターが徘徊している。

 このような状況では男達も狩りに出かけられる訳もなく、そんな状況で、熊や象といった大型の獲物を事も無げに取ってきてくれるファルの存在は、彼等にとっては貴重な物だった。

 ファルはそうして獲物を彼等に提供する見返りとして、この村に雨露をしのげるだけの自分の寝床を用意してもらい、村の一員として迎え入れてもらっていたのである。

 だがいつまでもこうしている訳にも行かない。危機が迫っているのだ。

『今は全てにおいて時間がない……この世界そのものに……一刻も早く、”あれ”を捜し出さねば……』

 と、肉をかじりながら思う。その時、その串をポロッ、と落としてしまった。串は食べかけの肉と一緒に、地面に落ちた。

「………」

 彼は無言で落ちた串を見て、そしてそれから、それを落としてしまった自分の手に、視線を移す。

 その手は、僅かにだが震えていた。

 ファルは指の一本一本を動かそうとする。果たして、彼の意志に従って、それぞれの指が動いた。だがその動きはどこかぎこちない。それを確認すると、彼は深く溜息をついた。

「やれやれ、今は、この程度が限界ですか……情けない…」

 自嘲気味にそう呟くと、「さて、これからどうしたものでしょうか…?」と首を捻る。

 捜し物がこの大陸で見つからなかった以上、捜索範囲を別の場所に移さなければならない。だがどうやって別の大陸に行くか? それが問題だった。バッツ達は飛竜に乗って行ったが、自分は同じ手は使えない。イカダでも組んで、それで海を渡ってみるか…? と、あまり現実的とは言えない手段が頭に浮かぶ。

 そうして彼が思案していた時、急に辺りが薄暗くなった。

 雲でも出てきたのか? と、彼とモーグリ達は上を見上げる。そこには、

「!!」

「「「「クポポポポポポ!?」」」」

 ファルはそれを見て歓喜と驚きが入り混じった表情を浮かべ、モーグリ達は一様に恐怖と混乱の反応を見せて、周囲を叫びながら走り回り、家の中に逃げ込んでいく。

 その中で、ファルに一番なついていた、彼に助けられたモーグリは、ぎゅっ、と彼の服を掴んでいた。それを見たファルは笑顔を浮かべ、もう一度、そっとそのモーグリの頭を、安心させるように撫でてやった。

「大丈夫、心配する必要はありませんよ。あれは私の仲間です」

 そこで一拍置いて立ち上がると、言った。

「お世話になりましたね。私はそろそろ行かなくてはなりません。仲間達にもよろしく言っておいて下さい…」

 彼のその言葉に、そのモーグリは分かった、と言うようにして頷くと、その手を振った。ファルもそれに応じて手を振る。そうして上空の”もの”を見上げると、少しばかり慇懃無礼な、からかうような口調で言った。

「迎えに来てくれるとは誠に重畳。ご苦労様です………アレク」





第5章 闘争の前夜





 テレポの魔法によって、一気にバル城へと飛ばされたバッツ達4人。周囲の空間の揺らぎが止まり、まるで水の中にいたかのようにゆらゆらとしていた世界が、彼等の目にはっきりと映り始める。それはテレポの効力が消え、彼等が目的地へと到着した事を意味していた。

 彼等を包んでいた上も下もないような浮遊感が消え、次に彼等が感じたのは、だがしかし、浮遊感だった。ただし、テレポの効果がもたらした上下左右の感覚の無い浮遊感とは、決定的に異なる点が一つだけあった。それは、

「お、おい!! ここは……」

「城の真上じゃーーーーっ!!」

 その浮遊感には上下の区別がはっきりとあった、と言う事であった。つまりは落下しているのだ。

 テレポによって転送された彼等が出現したのは、バル城の、その上空数十メートルの空間だったのだ。

 それはソフィアが魔法を失敗したのか、あるいは転送した先に壁などがあって、バッツ達がそれに閉じこめられる事になる事態を恐れて、わざと高い所に出現するようにしたのかは分からない。しかし今の彼等には、それを考えている余裕など無かった。

「くそっ!! このままじゃ地面に激突するぅっ!! だから高い所は嫌いなんだ!!」

 高所恐怖症のバッツが泣き叫びながら、手や足に、何か掴まる事の出来る物はないかとまさぐった。だがそんな物は何一つ無い。自分と一緒に落下している仲間達の他には。彼の言う通り、このままでは後数秒で地面と熱烈なキスをする事になってしまう。

 この歓迎すべからざる終わりを受け入れるしか方法はないのか? パニックに陥っているバッツを除く3人が、必死に思考を巡らせる。そしてそれを回避する方法は、一つだけあった。

 それに最初に気付いたのはレナだった。

 彼女はそれを仲間達に告げる事もしない。口にするその時間すら惜しかった。そして自分の中にある、クリスタルの力と知識に呼びかける。彼女の内の、水のクリスタルの最後の一欠片はその呼び声に即座に反応し、レナの体は光に包まれる。

 一瞬後には、彼女の姿はトンガリ帽子にマントを羽織り、手にはロッドを持った手品師のような姿、時魔導士のそれへと姿を変えていた。

「レビテト!!」

 そしてそのまま、すかさず自分と仲間達に、時魔法を掛ける。

 今彼女の使った魔法はレビテト。反重力を発生させ、大地から浮遊する状態を造り出す時魔法の一つで、本来は地震などの、大地に関係した能力や攻撃手段を持つ相手との戦闘における補助魔法だ。

 しかし、そのレビテトは完全ではなかった。

 理由は二つ。一つは、今にも地面に激突しそうなその状況にあって、一刻一秒の時間すら惜しく、詠唱文を詠み上げる事をしなかった事。そしてもう一つは、これもこの状況が原因なのだが、魔法を使うには、それが短時間とは言え恐ろしい程の集中力を必要とする。だが今回の場合、気が付けば落下中、というとんでもない状況下であった為、集中が十分ではなかったのだ。

 それでも効果はあった。下へ落ちようとする重力に対して、それに抗しうる程ではないとは言え、上へと体を引き上げようとする力がかかる。それは彼等の落下速度を幾分か緩め、そして次の瞬間に襲ってきた、着地の衝撃を抑える役目を果たしてくれた。

「「「「うわああああああああああああっ!!!!」」」」

 ドガガガガガガッ!!

 4人とも、殆ど墜落に近い感じで着地した。ちなみにその順番は、下からバッツ、ガラフ、ファリス、レナの順である。3人分の体重が掛かっているバッツは苦しそうに呻きながら、だがここで下手に「重い」などと言ったが最後、後でレナやファリスから血の粛清を受ける事になるのを本能で理解し、無言で藻掻いていた。

 レナ達もすぐに自分達の状態に気付き、慌てて跳び退いてくれたから良かったものの、後少し遅ければ圧死する所だった。

 そうしてやっと一息ついた彼等を迎えた物は、

「お、おじいちゃん!? それにバッツさんにレナさん、ファリスさんも……」

 突然空から降ってきた祖父とその仲間達を見て、目を丸くして驚いているクルルの顔だった。

 さっきまでは色々あまりにも突然すぎて良く分からなかったが、どうやら彼等が落ちたのは、バル城で飛竜が飛び立つ時、この城に戻ってきて、そしてその羽根を休める時、その為だけに造られた場所、飛竜塔の天守閣である事が分かった。その証拠に、クルルの背後には未だに傷も癒えず、息も絶え絶えの飛竜の痛々しい姿もある。

 結果的にはソフィアのお陰で、いちいち来た道を引き返し、城門を通り、この塔に登ってくるまでの手間が省けた事になるのだが、その為に味わった恐怖を考えると……バッツはあの女性に感謝すれば良いのか、それとも恨めば良いのか、複雑な気分になった。

 だがそんな悠長な思考もクルルの姿を見て、一瞬で掻き消える事になった。

 今の彼女からは、初めて出会った時やこれまでに感じた、その年頃の少女のような明るさが微塵も感じられなかった。クルルは疲れ切っているようだった。ずっと泣いていたのだろう、目は充血し、その下には隈ができ、頬は真っ赤に腫れ上がり、髪にはいつもの艶が無く、気のせいか枝毛も見える。

 恐らくはこの数日間、ろくに眠ってもいないのだ。

 それに良く見ると、その手は酷いあかぎれを起こしていた。彼女はこの数日間、ただガラフ達の帰りを待っていたのではなかったのだ。自分自身も、それで飛竜を救えなくとも、せめてその苦痛を和らげる事が出来るならと、必死の治療をしていたのだ。

 だがこれで、そんな彼女の想いにも応える事が出来る。

「さあ、お食べ……」

 レナがソフィアから受け取った飛竜草を、目の前の、今にも死にそうな飛竜へと差し出した。

 これで大丈夫だ。飛竜草を食べた飛竜は、元通りの元気を取り戻すだろう。そう誰もが思い、そして安堵しかけた。しかしそんな考えを裏切るように、飛竜は差し出された、自分達がかつて常食としていた草に対して、口をつぐみ顔を背け、食べようとしない。何故? そう考えたバッツ達の頭に、ソフィアとの会話が蘇った。

 ……飛竜が絶滅したのはこの草が原因……

「食べたくないのも無理はないか……」

 と、ファリス。だがそんな事を言っている場合ではない。最悪力ずくでも食べさせなければ、飛竜の死は不可避なのだ。そこに、レナがそっと飛竜に歩み寄ると、優しく言った。

「大丈夫……私が食べさせてあげる……」

 そして飛竜草を千切り、それを自分の口に入れ、噛み締めた。その行為に、横で見ていたバッツやファリスの顔が蒼くなる。

「レナ、飛竜草は人間には猛毒なんだぞ!!」

「止めろ、今すぐ吐き出せ!! レナ!!」

 バッツは好意を抱いている女性の、ファリスはたった一人の妹の身を案じ、止めさせようとする。しかしレナはそれを止めなかった。だがバッツの言葉通り、徐々に彼女の顔色が蒼白くなり、体が震えだし、遂にはドサリ、と倒れてしまった。慌ててバッツとファリスが駆け寄る。ガラフもクルルと一緒に、城の中に薬を取りに走っていった。

 倒れたレナは、既に自由にならないその体で、それでもなお飛竜草を口に運ぼうとする。

 そんな彼女の想いが通じたのだろうか、飛竜は頑なに閉ざしていた口を開けると、飛竜草を食べた。流石にその効き目は素晴らしい物で、全身の傷はみるみる内に治癒し、虚ろだったその瞳には、生命の輝きが再び宿った。その様子を見て、レナは倒れたまま、微笑んだ。

「良い…子……だ………ね…」

 そう言って彼女は瞳を閉じ、その意識はそこで途切れた。

 バッツとファリスは既に二人とも白魔導士にジョブチェンジし、全力で解毒の魔法、ポイゾナとエスナを唱えていた。

 喪うものか。喪ってたまるか。大切な人を。喪ってたまるか。自分の妹を。たまるものか。

 二人はそれだけを想いながら、レナへと魔法を唱え続ける。どちらも、この魔法に全精力を費やす覚悟でいた。

 その甲斐あってか蒼白だったレナの顔に、ほんの少しだが、命の証である赤みが戻ったように思える。そこにガラフとクルルが戻ってきて、急いで解毒用の万能薬を飲ませた。

「無茶だよレナお姉ちゃん!! 飛竜草を食べるなんて!!」

 レナの無茶を咎める気持ちが半分、そして飛竜を助けてくれた彼女に、どんなに言葉を尽くしても伝えきれない程の感謝の気持ちが半分。それらの気持ちが入り交じった複雑な表情で、クルルは倒れたままのレナに言った。

 結局、バッツとファリスの解毒魔法が効果を発揮したのと、その後の処置が早かった事が幸いして、何とかレナはその一命を取り留める事が出来た。とは言え、今は安静にしていなければならない。レナを寝室に運ぼうとするバッツ達の耳に、

「開門!! 開門!! ガラフ王はおられますか!? ゼザ王からの特使にございます!!」

 城門の方から、開門を求めるサーゲイト城の使者の声が響いていた。







 数刻後、バル城の玉座の間では、自分と同じかつての暁の四戦士が一人、ゼザの統治するサーゲイト城からの使者が持ってきた密書に目を通し、腕を組んで思案しているガラフの姿があった。そこに、バッツとファリスが入ってくる。

「おお、バッツにファリス。レナとクルルの具合はどうじゃ?」

 彼等の姿を認めると、ガラフは即座にそれを聞いた。それが今、一番気がかりな事だ。

「レナはこの城の白魔導士が、一晩休めば元気になるだろうって。クルルの方はここ数日徹夜で飛竜の手当をしていたから、疲労が極限にまで達していたのと、飛竜もレナも助かって、それで緊張の糸が切れたからだと。だからしっかり休めば大丈夫だって…」

 と、ファリス。実はあの後クルルも倒れてしまい、慌てて彼等は二人を寝室に運び込み、手の空いている白魔導士は全員首根っこを引っ掴むようにして連れてきて、彼女達の容態を診させたのである。

 その報告を聞いて、取り敢えずは一安心と、ガラフは深く息をつき、肩の力を抜いた。そこに、今度はバッツが声を掛ける。

「ところでガラフ、あの特使の持ってきた手紙には、一体何が書かれていたんだ?」

 密書の内容は、本来なら国家機密であり、立場上は民間人のバッツやファリスに教えて良い物ではない。だが、ガラフにとってバッツ達は民間人ではなく、今まで苦楽と生死を共にしてきた仲間だ。ガラフは躊躇う様子もなく、書かれていた内容を語った。

「ウム、実はかつてのワシの戦友であるゼザが船団を率いて、海からエクスデス城を攻める為に出撃したのじゃ。ついてはワシにもその船団に合流して、打倒エクスデスの為、知恵と力を貸して欲しい、と言ってきたのじゃ」

「で、返事は何と?」

「無論、承知したと伝えた。ゼザは戦友だし、何よりもエクスデスの脅威はこの世界に住む者にとって、他人事では有り得ないからの。あの強大な悪魔を倒すには、力を合わせた方が良いに決まっておる」

「「俺達も行くぞ」」

 バッツとファリスの声が重なる。二人の仲間の、そのあまりにも予想通り過ぎる反応にガラフは苦笑し、「そう言うと思っていたわい」とコメントした。彼の返事は当然、イエス。だが今日はもう遅く、またレナの体調の事もある為、一日ゆっくりと休んで、明日、夜明けと共に出発しようという事で話がまとまった。

 そうしてガラフは自分の寝室に、バッツとファリスもそれぞれ用意された客室へと足を向けようとした時、バッツの足が止まった。彼の目は、壁に掛けられている、一枚の大きな絵画に留まっていた。

 その絵は、何かの戦いを描いた物のようだった。

 そこには巨大な体躯を持つ竜が炎のブレスを吐き、それに立ち向かうようにして、漆黒の翼をその背に生やした人型の魔物が、魔法を放っている様子が描かれていた。その様子を見たガラフも足を止め、バッツに近づいてくる。

「どうしたバッツ、その絵が気になるのか?」

「あ、ああ……」

 生返事を返すバッツ。ガラフは頷くと、この巨大な絵について説明した。

「この絵は、この世界に伝わる伝説を元に描かれた物なのじゃ」

「伝説? どんな?」

 流石にクリスタルに探求心を認められているだけあって、好奇心旺盛なバッツの質問に、ガラフは今度は少し困ったような顔になった。

「んー、ワシもあまり詳しい訳じゃあないのだが……それでも良いか?」

 その断りに、バッツは「ああ」と頷いた。ガラフもそれに対して頷いて返し、そして遠い目をしながら、話し始めた。

「ワシ等の生まれる何千年も何万年も前、それこそ気の遠くなるような昔、世界を治めていたのは人間ではなく、竜族と魔族だった。今ではそのどちらもモンスターの一種族でしかないが、かつてはどちらも人間など及びも付かない程の力と叡智を備え、言葉を解する者も多かったと言う……」

「竜族と……魔族…」

「うん。そして竜族と魔族は、お互い自分達こそがこの世界の真なる統治者であるとして、何万年もの永い永い時間、戦争に明け暮れたのじゃ。人間は彼等の力にとても太刀打ち出来ず、ただ怯えて隠れ、逃げるだけで精一杯だった。中には立ち向かおうとする者もいたが、その努力は一切の例外無く、死で報いられた……」

 それはバッツにも理解出来た。クリスタルの力を借りている自分達ですら、竜や魔法を使うモンスターの相手は骨が折れる。ましてや当時の人間は全てが戦士だった訳でもあるまいし、その状況は絶望的な物だったろう。

「だがその戦いによって竜族も魔族も、徐々にその数を減らしていった。本来、彼等の寿命は人間のそれよりもずっと長い。短い者でも軽く数百年。高位の者になると数千年、あるいは自殺や他殺以外では老いも病も知らず、それこそ不滅の命を持っていた者もおったらしい。じゃがそれ故に子供が生まれる事は人間よりもずっと少なく、種族全体の個体数も少なかった。このまま戦いが続けば、敵対種族を滅ぼしたとしても、その時には自分達も生き残っているか分からない。そう考えた二つの種族の生き残りは、互いに一つの提案を持ち掛けたのじゃ」

「一つの提案?」

 鸚鵡返しに返すバッツに、ガラフは頷くと、続ける。

「お互いの種族から、代表として一人の戦士を選び出し、戦わせる。そしてその決闘に勝ち残った戦士を長として、その決定に、二つの種族の生き残りは未来永劫従う事」

「!」

「そうして竜族からも魔族からも、それぞれの種族全体を束ねる長が戦士として、その戦いに赴いた。彼等は人間と違って、純粋に力の強い者が頂点に立つシステムじゃったからな。そうしてその戦士達が雌雄を決する戦いに挑んだのが、今から千年と少し前。この絵はその戦いをモチーフとして描かれているのじゃ」

 ガラフの語る神話はそこで終わった。だが、バッツはその説明だけに満足した表情ではない。今の彼の語った話には、重大な要素が一つ、すっぽりと抜け落ちていた。

「それで? その戦いに勝ったのは竜族だったのか? 魔族だったのか?」

 しかしガラフはその質問に首を横に振ると、答えた。

「……残念ながらこの戦いの結末に関しては、記録は残っていないのじゃ。この世界のどこにも。確かな事は、その戦いが終わった時、竜族も魔族も戦争をぷっつりと止め、歴史の闇に消えていったと言う事だけ……記録が無いのは、その十数年後、今からちょうど千年前、伝説の戦いが起こり、それによって膨大な資料が失われた為だとも言われておる。だからその戦いの結末は、今でも学者達の論議の的となっておる」

 そこまで言って一息付くと、ガラフは付け足した。

「一説には相打ちだったのではないか? と言う学者もおる」

 だがバッツはそれを聞きつつ、絵画を見ながら、呟いた。

「気付いたのかもな……途中で、戦いの虚しさに」

 彼の意見を聞いて、ガラフが「ほう」と感心するような口調でバッツを見た。バッツもガラフの方を見ると、更にもう一言、呟く。

「もしそうだとしたら……その”きっかけ”になったのは、一体どんな出来事なんだろう…?」







 そうしてバッツ達が明日の出陣を前に、ゆっくりと体を休めていたのと時を同じくして、エクスデスの居城にほど近い森の中から、もう夜だというのに明かりが零れていた。焚き火の光だ。

 3人の男女が、焚き火を囲むようにして食事を摂っていた。が、その光景は少々異様な物だった。

 ぐびっ……ぐびっ……

 全身に無数の銀の十字架を身に付けた美しい女性、ソフィアが右手にボトルを持ち、そのボトルの中身をラッパ飲みしていた。それだけなら、少々行儀が悪いとは想うが、まあ野営だし、と誰もが納得した事だろう。だが、問題はそれとは別の側面にあった。

「ぷはーーーーっ」

 ソフィアはボトルを口から離すと大きく息を付き、まるで酒を一気飲みしたオヤジのような反応を見せる。今、彼女の手の中にあるボトルは、いつも携帯しているトマトジュースのボトルとは別物で、青く透き通ったクリスタルのような材質で出来ており、少し掠れたラベルには、『Holy Water』と書かれていた。つまりは聖水である。

 聖水とは神の祝福がもたらされるように、司祭によって聖別された水の事で、本来は洗礼や祝福、あるいはミサの時などに使用する物で、この時代にはゾンビ化してすぐの人間を元に戻したり、あるいはアンデッド用の一撃必殺の武器としても需要がある。

 負の生命力によって生きるアンデッドの体にとって、聖水はまるで濃硫酸のように作用するのだ。

 と、そんな神聖なアイテムを、あろう事かソフィアは酒のように、水のように呑んでいた。神の怒りも神罰も気にも留めない行為とは、正にこの事である。

「トマトジュースも良いけど、聖水も悪くないねぇ。この体の内側から焼き尽くされるような感覚。たまらないよ」

 人差し指一本でそのグラスを弄びながら、笑って言うソフィア。その様子を見守っていた他の二人、少年と青年、アレクとファル。彼等の内、彼女の夫だという真紅の瞳の少年が、呆れたような口調で言った。

「それは本当にお前の体の中が焼かれてるんだよ。いつも口を酸っぱくして言ってる事だけど、本当にほどほどにしておきなよ? その内体壊すよ、お前?」

 半分諦め口調で、だがもう半分は本当に心配しているといった様子のアレク。しかし、その忠告にもソフィアは全然堪えた様子は無かった。手近に置いてあった中ぐらいの大きさの皿、そこに一杯に入っていたニンニクを鷲掴みにすると、まとめて口の中に放り込み、ボリボリと食べる。

「そんな事言ったら、人間だって体に悪いとは知りながら、それでも酒や煙草を呑んだり吸ったりしてるじゃないか。あれは空腹を満たす為じゃなく、それがもたらす味や感覚を楽しむ為だろ? なら、アタシが聖水やニンニクを呑み喰いするのもそれと一緒さ」

 そう言って一旦言葉を切り、聖水をもう一度ぐいっと呑む。

「アレク、あんただっていくら栄養があって常食でも、毎食飛竜草の食生活なんて耐えられないだろう? 今となっては。アタシの場合、栄養補給はトマトジュースで十分なんだからさ。それとは別に楽しみも必要だよ」

 と、笑いながら言うソフィア。そして、 

「ねえファル、お前もそう思うでしょ?」

 「それとこれとは全然話が違うと思うが…」というアレクの意見は無視して、彼女は傍らで、こちらは火にかけた干し肉といった、比較的まともな食事を摂っていた青年に同意を求める。ファルは少し考えたように虚空を見上げた後、頬を掻きながら、言った。

「私にはコメントしかねますが……ただ一つ言える事は」

 そこまで言って一旦言葉を切るファル。アレクとソフィアも、「言える事は?」と身を乗り出す。

「聖職者がこの光景を見たら、卒倒するだろうな、と言う事だけです」

 その言葉に一瞬沈黙。そして次の瞬間には、二人とも爆笑していた。確かに聖水を酒のように呑むなど、聖職者からすれば信じられないような行為には違いない。そう言う意味ではファルのコメントは的を射ていたが、残念ながら前後の文脈とイマイチ繋がりが無かった。

「しかしアレクの言う通りでもあります。私としてもソフィア、あなたの体の事は心配ですから……呑んだり食べたりするなとは言いませんが、多少なり量を抑えては頂けませんか?」

 と、ファル。しかしその言葉に、アレクとソフィアは何故か哀しそうな顔になった。そして愚痴るようにアレクが言う。

「ファルぅぅ〜〜〜。僕達の事はパパとママって呼んでくれって、それこそソフィアに注意する以上に、いつもいつも言っているじゃないか。僕達ってそんなに甲斐性の無い親なのかい? そりゃあ血は繋がってないけど、でも……」

 いつの間にか彼の紅い瞳は涙を溜めて、潤んでいた。ソフィアも不機嫌な表情で、皿に残っていたニンニクを掻き込み、一気に口に運んでしまう。ファルはその反応に、こちらもムスッとした表情になった。

「私にとってあなた達は両親も同然の存在です。あなた達を愛しています」

 今口にした事は、一欠片の偽りもないファルの本心だ。アレクとソフィアがいてくれなければ、今の自分などこの世界のどこにも存在しないと言う事は、彼はちゃんと分かっている。だからファルは彼等を誰よりも尊敬し、そして愛している。しかしだからと言って、彼等を父や母と呼ぶには抵抗があった。何故なら。

「でもまずはその姿をどうにかして下さい!! 特にアレク!! あなたその姿形ではどう見ても私の父、じゃなくて弟じゃないですか!! ソフィアももう少し慎ましさという物を身に付けたらどうなんですか!? そんな若い女性が胸元を大きく開けるなんて……」

「仕方ないじゃないか。この姿が一番気に入ってるんだし」

「アタシもこの格好はお気に入りだしねぇ。それにアタシ等にとっては姿形なんて至極無意味な物でもあるし」

 ファルの文句もこんな調子でのれんに腕押し。この二人が改善する可能性はほぼゼロだろう。

 と、こんなトンチンカンなやり取りの後、誰かが「そろそろ寝ようか」と言い出し、他の二人もそれに同意した。そうして彼等は使い捨てのコテージに向かう。

「ねえ」

 自分の部屋に入ろうとするファルとソフィアを、アレクが呼び止めた。

「お前達は明日、バリアの破壊と”あれ”を捜す為に、エクスデス城に行くんだったよね」

 確認するように言うアレクに、ソフィアとファルは頷く。

「……気をつけてね…」

 どこか彼らしくもない心配しているようなその言葉に、彼の妻も、そして息子と思っている青年も、にっこりとした笑顔を浮かべた。

「ああ、分かってるよ。あんたこそ気をつけなよ?」

「大丈夫、任せて下さい」

 二人のその返事を受けて、アレクもそれに笑って返すと、3人はコテージの中に入っていった。

 程無くして、それぞれの部屋の明かりが消えた。







 翌日の早朝、バル城、飛竜塔の天守閣から、その背にバッツ、レナ、ガラフ、ファリスの4人を乗せた飛竜が飛び立った。









TO BE CONTINUED..

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