「さて…と、アタシの受け持ち区域は、この先の谷までだったか…」
バッツやファル達がモーグリに連れられ、グロシアーナ砂漠を渡っている頃。そこからは遠く離れた人狼族(ウェアウルフ)の村、ケルブの村に、一人の来訪者があった。それは美しい女性だった。彼女は旅人だった。その旅人は、この村の北へと行きたいと村人に言い、北の門を開けてくれるように頼んだのだが……村人達の返事はノー。
現在はただでさえ慌ただしい時。復活した暗黒魔導士エクスデスがこの世界に帰還し、その圧倒的な魔力とモンスターの軍勢を以て、各地に侵攻を始めている戦の時。そんな時に見ず知らずの者を通す訳には行かない、というのが村人達の言い分だった。
ましてや村の北にあるのは凶暴なモンスターの住処だけであり、観光に行くような所でもなければ、それこそ、無闇に人が立ち入って良い場所でもないのだ。
勿論、その言い分自体は旅人にも理解できた。ただしそれだけではないだろうが。
元々彼等のような亜人種は極端に数が少なく、それ故に一部の者を除いては排他的な考えを持っている者も多いのだ。まあこの村に住んでいる者は生来の気質か、あるいは村長の方針かで、問答無用でよそ者に襲いかかったりはしないが、それでも何人かはよそ者である自分に疑いの眼差しを向けている事が、彼女には感じ取れた。
「やれやれ、人間もそうだが人狼も中々面倒くさいねぇ。アタシが怪しいか怪しくないかぐらい、見て分かれっての……」
彼女はぼやくようにそう呟いた後、頭をかきながら、北の門の前に立った。
「でも、アタシだって都合があるし…何より今は時間がないんでね……何もかもに…」
そして右手に持っていた、布で巻いた2メートルを軽く越える棒状の何かを構える。と、同時に、彼女の周囲に何か気流のような物が巻き起こり始めた。それは彼女を中心として、全方位に突風が吹き荒ぶような。それは彼女の内側から溢れ出す、桁外れの闘気が引き起こしている現象なのだ。
「修理代は出せないけど……許してよ!!」
彼女はそう叫ぶと、右手に持った物を振るった。
第3章 飛竜の谷へ
「「「クポークポー」」」
「ここは……」
「モーグリ達の集落、みたいだな」
助けたモーグリに案内され、砂漠を横切る森を歩いて5人が辿り着いた先は、森の中に作られたモーグリ達の村だった。彼等が村に一歩足を踏み入れるやいなや、村の中を歩いていたモーグリ達は腰を抜かさんばかりに飛び上がり、我先にと自分達の家に逃げ込んでしまった。
「少し傷付くのぉ……ワシ等ってそんなに恐ろしく見えるじゃろうか。彼等には」
と、残念そうな表情で呟くガラフ。彼等を連れてきたモーグリも、仲間達の反応に肩を落としている。と、そのモーグリの他に一匹、まだ家に入っていないモーグリがいた。とは言っても警戒していないからここに残ったのではなく、慌てて逃げ出そうとした時に転んでしまったので、家に入る事が出来なかったのだ。
「大丈夫かしら?」
「手当てをしましょう」
そう言ってそのモーグリに近づくレナとファル。その転んだモーグリは近づいてくる二人を見て、彼等がまるで怪物のように見えているのか、慌てて地面を這いずって逃げようとする。が、簡単に追いつかれると、ファルにひょいっと掴まれた。
「クポポポポーーー」
そのモーグリは、洞窟で助けたモーグリがレナにそうしたように、ファルに掴まれた状態で暴れ、精一杯の抵抗を見せるが何分手足が短いので、少し自分の体から離すようにして掴んでいるファルには全く届かなかった。そんなモーグリには全く構わない様子で、怪我をしているのならとその具合を見るファル。右足に擦り傷が出来ていた。この程度なら放っておいても自然に治癒するだろうが、一応、
「ケアル」
を唱える。モーグリの怪我はすぐに治った。そのモーグリは抵抗するのを止め、しばらくそのつぶらな瞳で目の前の青年を見ていたが……すぐに力を振り絞って彼の手を振り解くと、仲間が入っていった、巨木をくり抜いて作った住居の中へと入っていってしまった。
「あらら……」
「嫌われちゃったかしら?」
苦笑するファルと、そんな彼を見てからかうように笑うレナ。だがどうやらその推理は間違いだったらしい。今し方そのモーグリが入っていった住居の扉が内側から開き、中からたくさんのモーグリ達が出て来たのである。先程と違って向こうから近づいてくるので、どうやら警戒を解いてくれたらしい。モーグリ達は円陣を組むと、そのまま全く同じリズム、動きで踊り始めた。
「……?」
「一体何を…?」
「歓迎の踊り…? ではなさそうですね…?」
当惑する5人を余所に、モーグリ達は一心不乱に踊り続けた。
「おじいちゃん……」
バル城の一室、クルルの部屋で、少女は疲れ切った様子で、窓から空を眺めていた。
祖父とその仲間達が行方不明になってもう数日。彼女自身も参加しての必死の捜索にもかかわらず、いまだにその手がかりすらも掴めない。あの勇猛な祖父に限って、”そんな事”はないとは思うが、心のどこかで、まさか、いやひょっとして、という声が聞こえてくる。
彼女はそんな声を聞くまいと頭を振ると、ベッドにその体を投げ出した。
父や母が行方不明になった時も、こんな感じだった。グロシアーナ砂漠に飛竜を追って入って、何日もしてから戻ってきたのは傷付いた飛竜だけ。その時彼女は、「お前だけでも戻ってきてくれて良かった」心からそう思うと同時に、「どうしてお前だけが?」とも思った自分を覚えている。
そんな自分を認めたくなくて、心の奥底に封印していた記憶だったが、今、何故だかそれが彼女の心の中に蘇ってきていた。
「おじいちゃん……早く戻ってきてよ……」
彼女は所詮は14歳の少女、王女という立場である故、不安そうにしていては兵達にまでそれが伝染する。それを知っていたからこそ、兵士達の前では気丈に振る舞っていたが、今ここにいるのは彼女以外には、ペットとして飼っている一匹のモーグリのみ。弱音の一つを吐いても仕方が無かった。だがその時、そんな彼女を慰めるようにして側に座っていたモーグリが、何かを感じたようにぶるっとその体を震わせた。
「? どうしたの?」
「クポーッ」
モーグリはクルクルと回り、飛び上がって、鳴き声や身振り手振りで彼女に何かを伝えようとしている。普通の人間であればそれを前にしてもチンプンカンプンで、首を捻るだけだろう。だがクルルには彼女のモーグリが何を言いたいのか、それを理解する事が出来た。
彼女は生まれながらに高い魔力を持っており、その影響か、ある程度ではあるが動物たちの声を聞き、心を通わせる事が出来るのだ。
「うん…うん…分かったわ」
幾度か頷くと、クルルはモーグリを連れて屋上へと走った。途中ですれ違った兵士も、王女のただならぬ様子に驚いたのか、彼女の後を追ってくる。
屋上では、飛竜がその羽を休めていた。
この城の飛竜は先のビッグブリッジの戦いで怪我を負い、今はそれを癒している状態だ。クルルはそんな飛竜の傍らに立ち、複雑な表情を見せた。これから自分がやろうとしている事は、飛竜の力がなければ不可能だ。だからこそここへと来たのだが……だがこうして傷付いた飛竜の姿を目の当たりにすると、自分はどんなに残酷な事を考え、それを飛竜に強いろうとしていたのだろうと、自己嫌悪したくなってくる。
そこに、兵士が慌てた様子でやって来た。
「どうしたのですか?」
「おじいちゃんがモーグリの村にいるらしいの!!」
「?」
前後の脈絡無く発せられたクルルの言葉に、兵士は首を捻る。その様子を見たクルルは、自分がその事実を知るに至った過程を、その兵士に説明した。
「モーグリにはテレパシーがあるの。離れていても心で離す事が出来る……それで、モーグリの村のモーグリ達が、おじいちゃん達がそこにいるって、この子に教えてくれたの」
突拍子もない話だが、クルルの能力の事は知っているし、またこの王女が憶測でそんな事を言う人間ではない事も、その兵士だけではなく城中の者が知っている。その兵士は顎に手をやると、頭の中で地図を描き始めた。
「モーグリの村……遠いですね…」
兵士の意見に、クルルも頷いた。途中には凶暴な魔物も生息しているし、バル城の軍は先の戦いでその多くが傷付いており、動かす事は出来ない。クルル一人で行くなど論外、自殺行為以外の何物でもない。
「ええ……飛竜ももう飛べないし……」
彼女がこの屋上へと来たのは、飛竜に何とかモーグリの村まで飛んでもらって、ガラフ達を迎えに行く事だったが……今のこの飛竜の状態を見て、それも不可能だと言う事が分かった。手詰まりだ。せっかくおじいちゃんの居場所が分かっても、今度はそこに行く方法が無いとは……
俯くクルル。彼女だけでなく、傍らの兵士もまた、無力感に苛まれる。だが、
「クオオオオーーン!!」
そんな空気を吹き飛ばそうとするかのように飛竜はその翼を大きく広げると、天を仰ぎ、大きな声でいなないた。そしてその顔をクルルの方に向ける。その両眼には、優しい光が宿っていた。
「お前……」
クルルには、能力など使わなくても今の飛竜が何を自分に伝えようとしているのか、はっきりと分かった。
「ありがとう!! 一度だけ飛ぶわ!!」
そう言ってその小さな体を踊らせ、飛竜の背に飛び乗るクルル。その背中にはナビゲーターとして、彼女のモーグリもしっかりと掴まっている。兵士が「お気を付けて!!」と敬礼の構えをして叫ぶ。クルルはその兵士に笑顔で応えた。そうして全ての準備が整った事を確認した飛竜は翼を動かすと、バル城から飛び立った。目指すはモーグリの村だ。
一方その頃、モーグリの村では、未だにモーグリ達は踊り続けていた。しばらく見ている内に、どうやらこの踊りは、どこかに何かを伝えようとしている、儀式のような物である事が分かってきた。だが一体どこへ? 何の目的で? それが分からなかった。
が、程無くして答えが分かる事となった。巨大な影が、彼等の頭上を横切ったのである。
「あれは……クルルの飛竜!!」
ガラフがそのシルエットを見て、即座に断定する。バッツ達がいた世界では飛竜は戦争や乱獲の為にすっかりその数を減らしてしまったように、こちらの世界でも原因は不明だが飛竜は絶滅の危機に瀕しており、クルルの飛竜はその数少ない一匹なのだ。
「そうか、この踊りは私達の場所を知らせる為に……」
と、レナ。いつの間にか踊りを終えていたモーグリ達が「そうだ」と言うように頷いた。だが飛竜は上空を旋回してはいるものの、中々こちらへ降りてこようとはしない。
「俺達のいる正確な場所が分からないんじゃないのか?」
と、バッツ。その通りだった。モーグリは臆病な種族である為、出来るだけ外敵から発見されないように、色々と工夫をしている。テレパシーの能力も本来は迅速に危機を伝える為に発達した能力だろうし、そしてその住居も、木を直接くり抜いて作っているという構造上、上からではそう簡単には普通の木と見分けられないようになっていた。
「どうする? 狼煙でも上げるか?」
ファリスが提案した。海賊稼業をやっていた時も、仲間とはぐれた時などは手近にある何か燃える物を使って狼煙を上げ、仲間に発見してもらうのを待つ、と、自分を育ててくれた先代のお頭からは教わっていた。その意見を、彼女の傍らに立っていたファルが聞きつけた。
「狼煙、ですか。中々良いアイディアですね。それ、いただきましょう」
そう言って上を見て、出来るだけ樹木の葉がまばらで、空が見える場所を選び、そこに立つとさっと手を天にかざした。
「サンダラ!!」
青白い雷光が彼の指先から放たれ、天空へと消えていく。それは自分達の居場所を知らせる為の即席の狼煙だった。これでちゃんと伝わっただろうか? 必要とあらばと二発目の発射用意をしていたファルであったが、どうやらその必要はなさそうだった。上空を旋回していた飛竜が真っ直ぐこちらに向かってくる。
そして地上すれすれまで降下すると、その背中から可愛らしい少女が飛び降りてきた。勿論クルルである。
「おじいちゃん!!」
「クルル!!」
飛び降りるなり自分の胸に飛び込んできた孫娘の体を抱き留めた。大好きなおじいちゃんの胸の中で笑っているクルルを見て、彼女が連れてきたモーグリも嬉しそうに飛び跳ねる。
「おじいちゃん、早くバル城に戻らないと!!」
だが感動の再会もそこそこに、自分がここへ来た用件を伝えるクルル。今が緊急時だという事は分かっているし、何より飛竜の状態も心配だ。無駄な時間を浪費している場合ではなかった。ガラフもそれに頷く。
「うむ、分かったぞい。みんな、行こう!!」
バッツ達もそれに頷いて、次々と飛竜の背に乗るが、ファルだけはその場を動かなかった。それに気付いたバッツが声を掛ける。
「どうした? ファル、お前も早く………」
そう言って手を伸ばすが、彼は首を横に振って、言った。
「残念ですが……私は行きません。勝手だとは思いますが、ここでお別れです」
その言葉に、全員が衝撃を受けたようだった。ファルはそれを見て取って、フォローを入れるようにして続ける。
「私……いえ私達には探し求めている物があるのです。あの時、エクスデス城に私とアレクがいたのも、本来はその捜し物の為で……それがこの大陸にあるかも知れませんから……私はそれを捜さねばなりません」
レナが「でも……」と言いかけるが、ファリスがそれを制した。バッツも、もう何も言わなかった。ファルの目には固い決意が浮かんでいたからだ。これは自分達がもう何を言っても無駄だろう、と悟ったから。徐々に上昇を始めていく飛竜の背から乗り出すようにして、彼等は叫んだ。
「ファル、お前には世話になったな!! また一緒に冒険しようぜ!!」
「ありがとう、元気で」
「また一緒に酒でも飲み交わそうぞ。今度はお前の奢りでな!!」
「またな!!」
「じゃあね、お兄ちゃん!!」
「クポーポー!!」
飛竜に乗っている5人と一匹が、それぞれの言葉で別れを告げる。ファルは彼等に手を振って応えて、そして青空の中に消えていく飛竜が見えなくなるまで、モーグリ達と共に、その姿を見送り続けていた。
怪我をしていて本来の速力には程遠いものの、それでも飛竜に乗って移動するのは人間の足で歩くよりもずっと速かった。数十分でバル城へと到着し、中庭へと降下する。5人と一匹が飛び降りて、地面に着地する。
「クオオ……」
飛竜はそれを見届けると弱々しくいななき、グラリと、力無く地に堕ちた。
「飛竜!!」
クルルが顔を真っ青にして倒れた飛竜に駆け寄る。勿論バッツ達も。倒れた飛竜の息は荒く浅く、体中に出来た無数の傷からは、無理をして飛んだ為だろう、塞がりかけていた傷が開き、血が流れ出していた。
「飛竜が……飛竜が死んじゃうよ……」
その目に涙を一杯に溜め、首を横に振りながらうわごとのようにクルルは言う。バッツ達は一度、自分達がいた世界で瀕死の飛竜を見た事がある。だから、今目の前にしているこの飛竜にも、死が刻一刻と迫っているのが分かった。こうなっては回復魔法ではどうにもならない。助ける方法は、一つ。
「飛竜草……」
バッツの呟いたその言葉に、全員が彼の方を振り向く。だが、バッツも確証があって言った訳ではない。彼は助けを求めるように、ガラフの方を見た。この世界について、ここにいる者の中で最も詳しいのはガラフだ。
「うむ……確かに飛竜草はこの世界にも存在する……だがそれが生えるのは北のケルブの村の先、飛竜の谷という所で、そこに行って帰ってきた者は今まで一人もおらんのじゃ。しかも今はエクスデス軍の魔物もうようよしておるし……」
ガラフの言葉は、「それでも行くのか…?」と、仲間達の覚悟を確かめる為の物だった。
「大丈夫さ、俺達なら」
「時間がないわ。来たばかりだけど、すぐに出発しましょう」
「こいつだって俺達の為に命を賭けてくれたんだからな。俺達だってこいつの為に命を賭けないでどうするんだ」
だが、やはり仲間達は自分の思った通りの、愛し、敬うべき者達だった。ガラフはにやりと笑うと、兵士達を呼んで、飛竜草を取りに行くので、その間の守りを万全にするよう指示を出した。兵士達は王が戻ってきてすぐにまた出かける事に不安な表情を見せたが、ガラフが自信たっぷりに決意を語って聞かせ、納得させた。
「おじいちゃん、それに皆さん、飛竜草を、どうかお願いします」
バッツ達は飛竜に寄り添うクルルを安心させるように笑うと、バル城の門をくぐった。
「まずは北にあるケルブの村を目指そう。あそこにはワシの戦友のケルガーがおる。あいつなら何かと助けになってくれるじゃろう」
ガラフの言葉に頷くと、一同は北へと歩き始めた。その彼等の後方で、バル城の門が閉じられる重々しい音が聞こえた。
「ここがケルブの村か……でもやけに静かだな。人っ子一人いないぜ?」
バル城を出て北上し、モンスターの群れを撃破しながらケルブの村へと辿り着いたバッツ達4人であったが、村の中には人影が無く、宿屋や武器屋などにも鍵がかかっている。動く物と言えば放し飼いになっている羊ぐらいの物で、まるでゴーストタウンだ。これは一体どういう事だ? バッツはガラフを見るが、ガラフにも分からないらしい。戸惑ったように首を傾げている。
「うーむ……今はエクスデスの脅威がこの世界中に広がっている時期じゃからのぉ…無闇に出歩かないようにケルガーから指示が出ているのかも知れん。とにかくケルガーの家に行ってみよう。飛竜の谷へ通じる門も、開けるにはあいつの許可がいるのじゃ」
ガラフのその意見に従い、村の中で最も大きな屋敷へと足を踏み入れる一行。この家の扉には鍵はかかっておらず、一応ノックはしてみたものの、返事はない。顔を見合わせた後、屋敷の中に入る。大きな玄関にも、人の気配はなかった。と、その時、
バターン!!
入ってきた扉が勢い良く閉ざされ、屋敷のあちこちにある扉が開いて、そこから人の体に狼の頭を持つ獣人族、ウェアウルフの男達が出て来て、4人を取り囲んだ。
「こいつら!?」
バッツが腰の剣に手をかけるが、ガラフが制止する。
「バッツ、早まるな、仲間じゃ!!」
「仲間!?」
疑念も混じった表情と声で、同じく戦闘態勢を整えていたファリスが聞き返す。ウェアウルフたちもガラフの事は知っているので、お互いにどう出るべきか、膠着状態になっていたそこに、奥にある一番大きな扉が開き、中から一人のウェアウルフが出て来た。だが、今自分達を囲んでいる者達とは違う。バッツにはそれが感じ取れた。
まず、他のウェアウルフに比べて体毛に艶がなく、かなりの年配である事が見て取れる。だがその体躯はそんな年齢を感じさせない程に鍛え上げられており、何よりもその圧倒的な存在感。この男が出て来ただけで、この場の空気が落ち着いたようにも感じられた。
「ケルガー!!」
そのウェアウルフを見て、ガラフが叫んだ。ケルガーもガラフを見ると、その顔を綻ばせて近づいてきた。二人は握手を交わすと、ガラフは後ろで未だに戸惑っている仲間達に、彼を紹介した。
「暁の四戦士の一人じゃ」
「30年前にエクスデスと戦った…?」
バッツの質問に、ガラフはうむっ、と頷く。ケルガーの方は、怪訝な表情でバッツ達を見た。
「ガラフ、この者達は?」
「エクスデスを封印した世界から来た戦士達じゃ」
その紹介は拙いだろう。と、ファリスが思った時にはもう遅かった。それを聞いたケルガーは、突然怒りに顔を歪めた。
「エクスデスの仲間か!!」
「何!!」
かなり強引な誤解をするケルガーもケルガーだが、売り言葉に買い言葉で激昂するバッツもバッツだ。ガラフが何とか止めようとするが、残念ながら無駄な努力に終わった。突き飛ばされて壁に激突する。
「バッツとやらワシと勝負じゃ。つい先日も、何者かが村の門を破って飛竜の谷へと向かった。あれは恐らくエクスデスの仲間に違いない。お前達がそうではないと言うのなら、その力で示してみよ!! お前の心、確かめさせてもらおう」
レナとファリスが心配そうな目で近寄るが、バッツは安心させるように下手くそなウインクをすると、言った。
「大丈夫だ……一対一の勝負だ」
納得した訳ではないが、バッツがそう言うならと、二人は両脇に控える。そうして向かい合うバッツとケルガー。
「ワシのルパインアタックを受けてみよ!! はっ!!」
言うが早いか、ケルガーの姿がぶれて、バッツの周囲を取り囲むように5つの幻影が生み出された。高速移動によって生じる残像による物だ。つまりどれか一つが本物で、後はただの虚像なのだが、それを目で見破る事は、出来そうもない。そして見破る事が出来なければ、状況は5人を相手にしているのと大差は無い。
5人になったケルガーは、徐々にバッツを囲む包囲網を狭めていく。
「バッツ……」
レナが心配そうに身を乗り出すが、ファリスがその手を掴んで止めた。振り向いた妹を、彼女は安心させようと深く頷くと、耳元で囁いた。「バッツが大丈夫って言ったんだ。それを信じろ」と。その時、バッツに動きがあった。何を思ったのかその目を閉じたのだ。
目で見ると、どうしても自分の周囲を囲む幻影の姿に惑わされてしまい、死角を突かれてしまう。だが、敢えてその目を閉じ、一切の光の無い暗闇の世界なら。そこなら死角は存在せず、逆にケルガーの動きが気配で、はっきりと分かる。そして遂に、バッツの心眼は自分の眼前に立つケルガーの姿を捕らえた。
「見えた!! そこだ!!」
瞬間、その両眼をカッと見開き、思い切り蹴りを繰り出した。その一撃はケルガーのみぞおちに見事に決まり、一瞬で周囲の分身体が消えると共に、本体のケルガーの体がくの字に折れ曲がり、隣の部屋まで吹き飛んでいった。そして、
グワラガラガシャーン!!
命の危険すら覚えるような凄まじい音が聞こえてくる。ガラフは慌ててバッツに詰め寄った。
「バッツ、やりすぎじゃ!!」
そしてケルガーの吹っ飛んでいった部屋へと入っていく。レナとファリスも、それに続いた。後に残されたバッツは、村長が倒されて呆然としているウェアウルフの若者達に囲まれて、済まなさそうに頭を掻くと、自分も仲間に続いて部屋に入っていった。
「ウーム……そうか…お主はドルガンの息子だったのか。道理でルパインアタックを見切れたはずじゃ」
奥の部屋のベッドで、介抱されたケルガーはバッツと話して、彼がドルガンの息子であるという事実を知った。
そしてガラフとケルガーの口から語られる過去の戦い。
かつてガラフ達『暁の四戦士』は、バッツ達の世界においてエクスデスを追い詰める事に成功した。
だが、不死身に近い肉体を持つエクスデスを完全に滅する事は出来ず、結局その世界に封印する事に。
その時に最後まで封印に反対したのが、後にバッツの父親となる四戦士の一人、ドルガンだった。
封印は成功し、ガラフ達がこの世界へ還った後も、ドルガンだけはその世界に残り続けた。エクスデスの封印を見守り続ける為に。
それは自分達の世界の邪悪を別の世界に封印してしまった事に対する、彼なりの贖罪だったのかも知れない。邪悪を滅ぼす事の出来なかった自分を責め、その代わりに、自分がその世界に留まり続ける事で、エクスデスが二度と復活する事のないように、その世界の人々を護ろうとした事こそが……
「……」
バッツは初めて知った真実に、声が出ないようだった。ケルガーはそんな彼を見ると、先程の殺気立った物ではない、恐らくはこれが彼の本来の物なのだろう、優しい目を向けると、言った。
「ドルガンの息子、バッツよ。ワシに出来る事なら何でも言ってくれ、力になるぞ。北の門は村の者に開けるように言っておこう」
そうして、右手を彼に向けて差し出す。バッツはそれに戸惑っていたようだったが、ガラフに背中をポン、と叩かれると、その手を握り返した。それはウェアウルフの長であるケルガーが、目の前の青年を一人前の男と認めた証でもあった。
「話は終わったのか…?」
村長の館の外で待っていたファリスが、出て来たバッツとガラフに言った。バッツは正直、まだ色々な事を整理して把握が出来ていない状態ではあるようだが、しかし、知らされた真実の重さに潰れる程、彼は弱い人間でもなかった。ファリスと、その傍らに立つレナを強い視線で見返して、言う。
「俺は大丈夫だ。それよりも急いで飛竜の谷に向かおう。時間が惜しい…」
だがその表情はどことなく無理をしているような、いつものバッツと違う物。そんな取り繕った物が感じられた。やはり彼と言えど、心のどこかで色々と引っ掛かっている物があるのだろう。それを感じたレナは、そっとバッツに近づいて、その手を握った。
「レ、レナ!?」
急な事に顔を真っ赤にして、どぎまぎする。レナはそんなバッツに笑いかけた。
「バッツ、あまり無理しないで。あなただけが色んな物を背負い込むなんて……間違ってる」
そこまで言って一度言葉を切ると、周りに立っている姉と、年の離れた戦友を見て、続ける。
「あなたには姉さんもガラフも、そして私もいる。だから……」
もう一度言葉を切ると、今度は次の言葉を考えているように、はにかむようにした後、少しばかり舌足らずな口調で、言った。
「だからくじけそうになったら私を……あ、いや私達を頼って。いつでも……」
「レナ……」
バッツは、先程ケルガーとガラフに真実を打ち明けられた時とは、また違った戸惑ったような表情を見せたが、自分を真っ直ぐに見詰める少女の瞳を見返すと、不思議と心が落ち着くような、そんな感覚を覚えた。そして微笑む。それはいつもの彼と同じ、自然な笑顔だった。
「……ありがとう……レナ……」
レナもそのバッツの笑顔を見て、にっこりと微笑む。そんな二人を見守っていたファリスとガラフも、互いに顔を見合わせ、ガラフは穏やかな笑みを浮かべ、ファリスはにやりと楽しそうに唇を歪めて、笑い合った。
そうして一行は村の北にある、巨大な門の前に立った。ケルガーの話していた通り、その門の中央には何者かによって巨大な穴が開けられたらしく、今は急場凌ぎで木の板を貼り合わせて穴を塞いでいる。だが、バッツ達を驚かせたのは何よりもその穴の大きさだった。
門の大きさはゆうに縦横10メートルはあり、厚さも30センチはある鋼鉄製だ。今は木の板で塞がれた穴は、その門のちょうど真ん中に穿たれていた。それは何か物凄い切れ味の刃物で切り裂いたか、さもなくばとんでもない馬鹿力で叩いて打ち破ったか。とにかく半径3メートル程もの大穴だった。
こんな事をやってしまう存在が、この先の飛竜の谷にいる。もしそれが敵だったら……
そう思うと、冷たい汗が背中を伝うのが分かった。
だが、行くしかない。クルルの飛竜を救うには、他に方法はないのだ。
決意を再確認し、それが鈍らぬ内にウェアウルフの若者に門を開けるように頼む。若者はそれに頷くと、滑車を動かした。巨大な門が上方へとスライドしていく。そうして開かれた道を、バッツ達は通った。背後を振り向くと、今門を開けたウェアウルフの若者が、自分達に手を振っているのが見えた。
ケルブの村を出て数時間程歩くと、飛竜の谷が見えてきた。だがそこは谷と言うよりはむしろ山と言った方が良い地形だった。どうしてこんな場所が谷なのか、と、ガラフに聞いてみると、
「いや、ワシも詳しくは知らないのじゃが……とにかく昔からそう呼ばれていたらしい…」
と、曖昧な返事が返ってくるだけだった。見上げると、その頂には雲がかかっている。飛竜草はかなり標高の高い場所にしか生えない、高嶺の花ならぬ高嶺の草。以前元いた世界の北の山に登った経験から、それを手に入れる為には、この山の頂上、少なくも八合目までは登らねばなるまいと、バッツは見ていた。
言葉にするのは簡単だが、実際にこうして頂上を見上げてみると、それがどれだけ困難な事か、思い知らされる。
しかしここまで来てしまった以上、出来る事は前に進む事だけ。バッツは元より、言葉にせずとも全員がそれを理解していた。そうして、まずは手近に見える洞窟へと入ろうと足を進める4人。が、数歩歩いた所でその足が止まってしまった。
「な……!?」
「これは……」
自分だけかと思いきや、振り返ってみればファリスもレナも、ガラフにも同じ事が起こっているようだ。まるで金縛りにあったように。一体何がどうしたと言うのだ!?
その時、彼等の体に変化があった。
「つっ………!?」
「な、何じゃこれは!?」
前方から、全く風など吹いていないのに、立っているのもやっとなくらいの突風が吹いてくる。矛盾した表現だが、今のこの状態は、そうとしか言い表せなかった。
何か、とてつもなく強い力と意志を持った何かが、この突風の先にいる。それを自分達の体が敏感に感じ取り、無意識の内に前へと進む事を拒んでいるのだ。今のこの状態を、バッツはそう理解した。
「あ……頭が…」
「大気が震えている……体が締め付けられるような……」
そうして彼等が立ち止まっている間にも、その現象はどんどん力強くなり、とうとう、それは風とか突風とかではなく、最早周囲一帯の大気とさえ言って良いだろう。それ程に膨れ上がり、増幅していた。
だが、そこまで膨れ上がった所で、突如としてその風が止んだ。同時にバッツ達を縛り付けていた力もどこかへ消滅してしまったかのように、彼等の体は自由に動くようになる。
思わず、レナはその場にへたり込んでしまった。バッツやガラフも、突然の事に体が反応し切らず、膝をついてしまう。数秒の間があって、ようやく体に自由が戻ってきた。そうしてふと、彼等が前を見ると、そこには、
「初めまして。アタシはソフィアっていうんだ。どうぞよろしく」
一人の女性が立っていた。
彼女を見て、全員は言葉を失う。彼女のその異様さと、美しさに。
まず、その顔は美しく整っていて、バッツやガラフは勿論の事、女性であるレナやファリスでさえも思わず見惚れてしまいそうだった。顔色は色白、と言うよりは蒼白で、銀色の長い髪は、それと良く合っている。しかし、それ以上にバッツ達に言葉を失わせたのは、彼女の顔に死相が浮かんでいた事だった。
人間であれば当然持っている筈の、エネルギーとか、明るさとか。もっと言うと『熱』と言った物が彼女からは全く感じ取れなかった。
そしてその体へと視線を下げる。
服装は黒一色で統一したロングコートで、素肌の上から直接それを纏い、胸元は大きくはだけさせ、そして体中に銀色の鎖を巻いている。それだけなら、その鎖は何かのアクセサリーだと見る事も出来ただろう。また黒いコートは青白い肌と好対照で、その美しさを際立たせていると見る事も出来たろう。そこに付いている物を見なければ。
彼女の全身に巻き付けられた銀の鎖には、無数の銀の十字架が付けられていた。その数は、肩から膝の部分まで、外から見えるだけで大小合わせて数十個は確認出来る。そして胸元にも、同じく銀の鎖が巻き付けられているのが確認出来た。
何かの御守り、にしてはあまりにも異様だ。その姿は、どちらかと言えば鎖で獄に繋がれた罪人を連想させる。
「あんたは……」
圧倒されながらも、バッツはかろうじてそう口にした。その質問に、ソフィアと名乗ったその女性は答えなかった。彼女は返事の代わりに、こう言ったのだ。
「あんた達が異世界から来た戦士達か……早速で悪いけど、死んでもらおうかな?」
TO BE CONTINUED..