若い娘のものらしい綺麗な歌声は、表現力に富んでいてルーチェの気分を悪くした。
この悲しげな歌声を聞くと、何故か泣き虫な妹が泣いている顔が思い出されて嫌になる。

サンドラの薬を探すのはまだ猶予があるし、ルイセ達が動いているのでそう心配をしていなかったルーチェは遺跡に入り込んだ。
弱さからの選択だと頭のどこかが告げたが、それは無視して。

耳が聞こえるというのも時には困るものだと思いながら遺跡へと入っていく。
ここ最近伸びが早く感じられるので、そろそろまた切ろうかと思う黒髪から覗く両耳には歌声が届いていた。
中に入っても、やはりまだ微かに歌声が聞こえた。
もしこの、自ら扉を開きルーチェを招き入れた遺跡がもっと防音に気を配って作られていたなら、そんな事は思わずに済んだのだが…醜いものを作る人間にそんな気の利いたことを期待しても仕方がないと諦める。

幸い、ルーチェの行動を止めてしまうような障害の存在は感じられなかった。
あったのは、邪魔になる多少の魔物やグローシュで動く、障害となる機械だけ。まだ歌声が聞こえる。
この後の予定もつまっているし、誰も見ていない…敵は目の前にいたが、ルーチェは目を閉じた。

ジュリアン相手に試さなかった力を試すのに何の問題も無い。

深く息を吸い、吐いた。覚えている人間の動きは全て吐き出すような気持ちで。
(耳障りな)
歌声がより聞こえ、今までと違う動脈の鼓動も聞こえる。殆ど眠っていた肉体が目覚めていくのを感じた。
目を開く。道を開ける魔物達の間を抜け、階段を上がった。
そのまま床のスイッチを踏む、ルーチェの前にガーディアンが現れる。
宙に浮き、人の数倍はありそうなガーディアンの攻撃が、ルーチェの周りに着弾した。
床を蹴り、ガーディアンに取り付いてルーチェはそれを脆弱と見た。創造主が使った時程度には、肉体は本来の性能を出す準備が済んでいる。
ルーチェは手をガーディアンに差込んだ。火花を上げ、悶える機械にルーチェは淡々と腕を差し込んでいく。
指の先に、ガーディアンの急所と呼べる箇所が当たった。そのまま手を伸ばし、指で引きちぎると機械は動きを止めた。

「今の俺を見て、ルイセ達は何と言うかな」

傷一つなく子供のような色艶を見せる指先を見て言う。
階段を上がり、五つのボタンで閉じられた扉を適当にボタンを押して解除する。
たかが五つ。然程数は多くないのだから余程運が悪くなければいつかは成功するが…運良く一度目でルーチェは成功した。
扉の奥では傷ついた少女が横たわっていた。物音に気づいていたのだろう。怯えを実にうまく隠しながら弱弱しく見上げる少女とルーチェは視線を交わした。


ぐろーらんさー獣道 七話 すれ違い


仲間が助けがこない事は良く分かっていた。
フェザリアン女王に求められるのは大した事ではない。多数の意見が絶対のフェザリアンにおいて女王の専制はありえず、基本的には象徴的な立場が求められる。
だから、彼女の変わりはいくらでもいるのだ。
いくら今の人間達より遥かに優れた武具を持っていたとしても、フェザリアンの肉体と人間の肉体では人間の方が力は強く…何より過去の忌まわしい出来事がある。
自分達の技術の粋を集めたものを奪われる事を恐れて最も良い装備を許可できない…そして初めて自分に向けられた魔法に対する恐怖。

理性的なはずのフェザリアンは、恐怖を心に押し隠し多数の被害が出る可能性が高い為救出は行わないと議会は決めるだろう。
誰だってそう判断する。彼女自身が決める立場におかれたなら迷わず判断を下すだろう。
それを悲しく思っているような気もするが、当然の事で一々うろたえる気にもなれずに彼女は歌を歌った。
殴られて切れた口内が傷んだが、それくらいしかできることは無い。

歌はフェザリアンには重要なものだ。皆好むし、行事やプライベートな事でも何かの時に歌が求められる事も多く少女も皆の前で歌う事もあった。
聞く者がいないのが残念な事だが若くして選ばれた理由の一つであるから、得意げになれる程度には上手い。
その歌を邪魔するように床が揺れた。
扉が開く音がして、誰かの足が見えた。何故か畏怖を覚えながら―少女が視線を上げると逆光で表情が見えないのに爛々と輝く色の違う両目が見えた。
思わず目を見開き、不吉の象徴の一つであるオッドアイをした男と視線を交わす。
少女は自分を攫った者達の黒幕だと思った。今までは大柄な禿だと思っていたが…禿の様な粗暴さもなく、見るものを惹きつける力があったからだ。
何よりフェザリアンにとっても不吉な両目が、愚かな事だがこの場に合って少女に恐怖を覚えさせるのにこの上なく役立っていた。
爛々と光る目が死を予感させた。

「我に何があろうと我らの技術をそなたらに教える事は無い」

だが、冷たい声でそう言う、この際さっさと殺してくれれば一番なのだと悲観的な事を考えながら少女は背中の羽で自分を包んだ。
男は何も言わずに近寄ると何か小声で呟く。一瞬少女の肉体は光に包まれ、口の中の痛みが消えた。傷が全て癒えていた。
少女は男の真意がわからず頭に疑問符を浮かべたが、すぐに恐怖を覚えて身を引いた。フェザーアイランドから得られないなら少女が持っている情報を得る。また傷つける為に傷を癒した…そんな悪趣味な考えが頭に浮かんだ。

「っ何をされようと、我は協力せぬ。殺すがよい」

男の表情はあいかわらず見えなかったが、どこか不満そうな事がわかった。羽の隙間から見える目は熱く輝いており映像でのみ見たことのある猛獣のように見えた。
羽の隙間から腕が差し込まれ、少女は物でも掴むように持ち上げられた。少女は暴れたが、気にせず男は歩いてく。

「離さ「しぃーー………」

少女は何故か当人にも分からなかったが言われた通り黙った。自分が黙ってしまった事と男の態度に困惑する少女に何も言わず。
階段に向かうかと思われた男は、左の落ちればどこへ行くのかわからない穴へと足を向けた。
穴の向こう側には階段があり、本来は仕掛けによって今は何もない空間に光の橋がかかりわたる事ができるようになっているのだが…今はただの穴だった。
そこで足を止める男に、自分を穴に捨てるつもりかと怖気を感じた少女は男の腕にしがみついた。もう傷も癒えて飛べる事は考えもしなかった。
目を瞑った瞬間に浮遊感がある。少女が目を開くと、先程いた場所が見えた。フェザリアンでは絶対に無理な事だったが、一飛びで穴を越えたのだと理解すると、荒々しい足音が耳に入った。
怒鳴り声も聞こえる。自分を攫った者達の声だった。

「い、いねぇ…」

下っ端が階段を上りきり、唖然として声を上げる。それに続き続々と階段を上ってくる自分を攫ったもの達と男を少女は見比べた。
男は少女を荷物のように持ち上げたまま、その上がる事ができなかった階段を上がっていった。
上った先には、フェザーランドとは少し違うが…グローシュが上っていく美しい青空が広がっていた。
少女と同じように男は空を見上げ、一度足を止めたがまたゆっくりと歩き出した。
縁まで歩き、男はそのまま階段でも下りるように足を踏み出す。落下していく感覚に思わずしがみ付き、少女が広げた羽に視界を奪われながら男は膝を曲げる事もなく着地した。

「少し走るぞ」

返事を待たずに少女を抱えなおして走り出した男に、少女はまたしがみ付いた。
そうしなければならないほど男の足は速かった。少女は目まぐるしく変わる近景を認識しきれないのに驚きながら、自分を抱えて走る男へ顔を向けた。
自分を攫った人間達とは友好的ではないらしいが、自分に何をさせたいのか。

(…もし仮に。救出目的だとしても、それだけではあるまい)

少女が考えている内に二人は遺跡を離れ人家の近くへたどり着く。
人の手でできるだけ自然を残すよう整えられた街はフェザリアンである少女にも悪くない印象だ。
だが遺跡から誘拐した男を警戒するのに忙しく、少女の背中に生えた羽に周りの視線が集まっていることには気づかなかった。
少女を下ろして男は歩き出す。

「行くぞ」

言われ、歩き出しそうになったが、少女は踏みとどまった。

「待て! 何が目的かえ? まさか、フェザリアンでもないそなたが我を助けるだけと言う事はなかろう」

男は振り向き、眉間に皺をよせたフェザリアンに言う。男の眉間にも少し皺があった。

「…俺もわからん。アンタ達の助けは欲しいが…」

男はため息をついた。

「多分、気分の問題なのかも…いや、早く来い」

魔法では疲れまでは取れないからなと、また背を向けて、どうやら保養所か宿らしき施設を探しているらしい男に少女は羽ばたいて追いつく。

「気分、だと? おかしな事を」

「…確かに急いでいるが、まだ時間はある…アンタが誰かは知らないが、助けない理由も無い」

歩きながら言い、何か思い出したらしく少女に視線を向けた。

「フェザリアンこそ、どうしてアンタを助けに来ない?」

「…我一人の為に皆を危険にさらす事は出来ぬ」

男が少女を上から下まで見る。自分を観察する視線に少女は不快げに男を観察し返した。

「見た所、大事にされてきたように見えるが」

「女王であろうと変わりはいる。犠牲は、一人で十分であろう?」

二人の歩みが止まった。

「人間には理解できぬかも知れぬな。だが我々はあるがままを受け入れて生きてきた。そしてこれからも……」

淡々と言う少女に男は嘲るような笑みを浮かべた。癇に障る表情だったが、少女は表情を変えない。
木々を揺らす暖かな風を羽に受けながら、少女はゆっくりと移動する。
久しぶりに羽ばたく感触が、心地よかった。

「俺は、人間ではないが」

自分の指先を見つめ、少女に聞こえるかどうかの小声で言って男は歩き出す。周りの目が集まっていたのだ。

「…それがフェザリアンの合理的な考えなのか?」

「そうだ」

「わからないでもない」

自分を追ってきた少女に言う。少女は思いも寄らぬ返事に驚きを見せた。

「ほぅ…人間にも我らの考えを理解するものがいたか」

歩いていく二人を遠巻きに見る人間の視線を無視して、二人を街の奥へ奥へと向かった。
木々が屋根のように頭上で重なり、木漏れ日が二人にかかる。

「理解できるが…俺はフェザリアンより人間が良い。何もしないでアンタを諦めるのがフェザリアンなら」

この話を聞けば、会う予定だったフェザリアン研究者や今は離れているウォレス達もそういうであろう考え。
もし以前の男なら、同じ話を聞いただけなら違う事を言ったかもしれないが、少女の悲しげな歌声を聞き行動した男はそう言った。
少女だが女王のフェザリアンは少しの困惑を見せた。

「諦め、だと…」

「アンタ達の考えを人間はそう言う」

カーマインは遠くに何かを見つけ、話は終わりと狼が羊の着ぐるみでも着るように別のものへ変わりながら保養所へと足を向けた。
その生命力も、存在感もなくしてしまった男に、少女は瞬きをした。




フェザーランド。ルーチェがフェザリアンの少女を救出した数日後。
最初は飛行装置を完成させたもののルーチェの優勝で先にコムスプリングスで話を聞く予定に変更された。
それがカレンの怪我でずれ込み、カレンを運んだ先で聞いた歌声を確かめる為やっと訪れたフェザリアンの住処。
その雲にも触れそうな高度にある人工島でウォレスは顔を顰めた。
本当はラシェルで聞いた歌声の主がアリオストの母親かどうか確かめたいだけだったのだが、事態はもう少し面倒なことになっていた。
聞けば、ラシェルで聞いた美しい歌声はアリオストの母親ではなく、(アリオストの母ジーニは、未だ人間と暮らした罪を認めず独房入りをしている)フェザリアンの女王のものらしいのだ。
ウォレス達がこのフェザーランドを訪れる以前に、このフェザーランドを訪れた人間がいる。
それもアリオストの飛行装置を使ってだ(お陰でたどり着いた時に攻撃を受けそうになったのだが、それは割愛する。フェザリアンは弱かったが、無抵抗な者を問答無用で殺すような輩ではなかった。
そいつらはルイセ達と同じくフェザリアンの技術を得ようと交渉に来たらしいのだが、断られ…交渉をした女王を攫ったという。
そこまでは皆良く分かった。だが…

「それで、どうするの?」

「それでとは?」

「助けないの?」

「何故だ?」

ティピは唖然として言葉に詰まるが、なんとか一言だけ搾り出す。

「何故って……」

(こいつら、頭大丈夫か?)

大真面目に救出は行わないと言うフェザリアンを見て、ウォレスは仲間達と同じように怒りを覚えた。

「もし我々が救出に向かえば、人間との間に争いが起こるであろう。女王は別の者がなればよいが、もし犠牲が出ればことはそれだけでは済まなくなる」

「それが合理的だというのか?」

行方不明の隊長を探し20年近くにもなるウォレスにすれば、つい先日攫われた女王を被害が大きい可能性が高いから助けには行かないなどという決定が合理的だなどというのは到底納得のいくものではなかった。ただ諦めてるだけじゃねぇかと思うのだ。

「言っただろう。あの方は優秀だが、同じではないにしろ代わりはいる。助け出そうとすれば、他の者まで巻き込むことになる…これ以上損失を被るわけにはいかない。貴様らも早く帰るがいい」

「本当にそれでいいの?」

問いかけるように言うティピの言葉に、フェザリアンは語気荒くこう言った。

「ええい、五月蝿い!! その原因を作った人間が何を言う」

取り付く島も無い彼らに、ウォレスは仲間に声をかけ、特に意気消沈しているアリオストの肩を掴んだ。
もうこんな馬鹿共に付き合うつもりは、ウォレスにはなかった。

「ここでいても始まらん。ルーチェの奴と合流しに、一度戻ろう」

「はい…でもまさか、こんな事になっているなんて」

自分の作った飛行装置を発端に起きたトラブルに嘆くアリオストにウォレスは首を振った。

「別にアリオストが悪いわけじゃねぇ。サンドラ様の為に薬もいるんだ。さっさと助けて話を進めるぞ」

四人はテレポートをした。



四人がフェザリアン相手に憤慨する頃。
宿に止まるルーチェ達がのろのろと起きて少々遅い朝食を愉しんでいる頃、ラシェルの療養施設では大会の日に受けた毒の影響もすっかりと抜けたゼノスが、カレンの治療費を支払いに来ていた。
ゼノス自身の傷はここに来る程の事は無かったのだが、大怪我を負ったカレンの療養の為にゼノス達からすればかなりの額になる治療費を負う事になってしまっていた。
どの程度かというと、かなり大きな借金を負うことになる程度だ。

「ひい、ふう、み…丁度ですね。確かにお受け取りました」

その治療費も今、支払いに頭を悩ませていた事が嘘のように終わった。
ゼノスから受け取ったお金を数え終えた受付の女性の言葉に、ゼノスはほっとしたように息をつく。

「でも、ゼノスさん。大丈夫なんですか?」

「何がだい? 金はこれでいいんだろ」

心配そうに聞いてくる人の、言葉の意味がわからないというように、ゼノスは普段とは違う女性的な雰囲気を匂わせる笑顔を浮かべ聞き返した。カウンターにもたれかかる。

「だって、これ結構なお金ですよ。何もこんなに急いで払っていただかなくても…」

言って、女は視線をゼノスの後ろに向ける。

ゼノスも振り向いてみると、そこにはここに来る前の様子も無くすっかり元気になったカレンが働いていた。

「私は…一体誰なんだ…」

余程恐ろしい目にあったのか…記憶を失い、髪も一部失い、色も白くなってしまったどことなく見覚えのある老人の相手をするカレンは充実しているように見えた。

「カレンさんに働いていただく事になって私たちも大変助かってますし…」

女の言葉に、カレンの様子を見ていたゼノスは、嬉しそうな笑みを浮かべながら首を振った。
女性は恥ずかしながら、こんな時にああゼノスも女性なのだなと思う。
妹を思って笑う彼女には母性的な印象があった。

「いいんだ。ちょっと良い方に出会えてな…詳しい内容はまだ聞いてないけど、仕事の話だって貰ってるんだ」

その相手へ感謝と誇らしいものを抱いているらしく、ゼノスは少し自慢げに白い歯を見せて笑いながら言った。

「だから心配いらねぇって。ああ、カレンの事、よろしくお願いします」

「そうですか…カレンさんの事は任せてください。私たちもできる限り手助けいたしますわ」

丁寧な口調で頭を下げてくるゼノスに、人の良さそうな笑顔で女は返事を返した。
傷を癒したカレンはまだ少し入院が必要だったが、その後ここで勉強がてら働きたいという意志を示していた。
カレンの知識はどこかで教わっていないにも関わらずかなりのもので、療養所は快く迎え入れる事を決めている。

「じゃあ、また来るよ」

ゼノスはそう言うと、カレンに少し声をかけた後に療養施設を出る。
途中でカレンの主治医だったアイリーンにも会い、丁寧に礼を言うと木々が影を作る道を満ち足りた様子で歩いていく。
そこでは、まだ季節的にはかなり早いだろうに、そこそこに高級そうな赤いマフラーまでした金髪の男が立っているのを見つけ、駆け寄っていく。

「来ていらしたのですか」

「ええ。私もバーンシュタインに戻る所でしてね。もう少しした所に馬車を用意してあります。仕事の話はその中でしましょう」

「はい」

ゼノスを連れて、男は歩き出した。
歩き出して少しすると男が言ったように馬車が見えてくる。木陰に目立たぬよう置かれていたが、それなりに上等な馬車である事が装飾などで見受けられた。

「ああ…そうでした。一つ貴方に教えておきたい事がありましたよ」

くっくっと愉しくて仕方ないように笑いながら、男は気づいた御者が馬車の戸を開けるのを待つ。

「? 何でしょうか」

笑う男の様子から、余程良い事なのだろうと考えて、ゼノスは期待して男の言葉を待った。

「貴方に毒をもった相手、しりたくはありませんか?」

「知っているのですか!?」

「ええ。気になって調べてみたんですよ」

一転、驚きに顔を染めて、思わず詰め寄ったゼノスを見た男は笑うのを堪える様にしながら言う。
ゼノスになぜ男が笑っているのか考える余裕は無かった。
毒をもった相手として疑っている男はいたが…如何せん証拠は無く、その男の事を聞くと嬉しそうに答える妹の手前疑うわけにもいかなかったゼノスは、信用できる相手から確かな事が聞ければよかった。

「その相手とは、ゼノス…貴方の相棒だった男。カーマインです」

言うと、男は馬車の中に入る。

「全く私も驚きましたよ。どうしました? バーンシュタインに向かいますよ」

佇むゼノスに愉しそうに言う男の口元には、その男のいやらしさのにじみ出た下衆な笑みが浮かんでいた。

「その、何かの間違いでは? アイツとは知り合ったばかりですけど、そんな真似をするような男では「お父上の傭兵隊で私は副隊長をしていました」

言葉を遮って全く関係のない事を言う男をゼノスは見上げる。

「貴女はその私と彼のどちらを信用するんです?」

御者がさっさと乗れとばかりにゼノスを見てしばらくし…ゼノスは顔を上げると馬車に乗り込んだ。
馬車の戸が閉まる。
長い間踏みしめられ草の無くなった道に揺られながら馬車が走っていく。
何を急いでいるのか、宿の窓から見たルーチェは少し気に留め、目の前にいる鳥の羽を生やした少女に顔を向ける間に気に留めるのを止めた。
二人が席に着いたテーブルには白いクロスがかけられ、その上に遅い朝食をのせた白い食器と少しの慰めに花が活けてあった。

「食べないのか?」

「…考え事をしていただけだ」

偉そうな雰囲気はあるものの、年齢的にはそうは見えないフェザリアン女王は用意された穀物粥に口をつける。
食事はルーチェが宿に注文し、部屋に持ち込んだ。フェザリアンがいるという事はすぐに広まってしまったが、病人けが人などがよく訪れるからか迷惑にならぬようラシェルの人々は扱ってくれている。
それはそれとして、用意された粥を上品な手つきでノロノロと食べる少女から視線をはずし、ルーチェは外を見た。
宿から見える景色は美しい。植物は目立たないが手入れが行き届きすくすくと成長しており緑が良い色を見せていた。
少しずつ強くなる日差しに応じて濃くなっている緑の中に、ルーチェは名前を知らなかったが白い花を見つける。
書物に載っていた白い花をつける木を幾つか思い出し、その何れかだろうかと思うルーチェの横顔を見ながら女王は粥を啜る。

「そういえば、貴方。名はなんというのかえ?」

思い出したように言う女王にルーチェは顔を向ける。アリオストと似た色の髪を見つめた。
救出した日はそのままルーチェが強行的に眠らせ、眠る直前に礼を言うに留まっていた。

「カーマイン。貴女は?」

「ステラじゃ」

あっさり嘘…というわけではないが公式でしか使っていない名前を言うルーチェは覚えようとするように女王の名前を言い、また外へ視線を戻す。

「カーマイン聞きたい事がある」

無表情のまま顔を向けるルーチェに、ステラは粥の中に入れたスプーンを止める。

「我々の考えを諦めと言うが、では人間ならどうするというのだ?」

何も言わないことを承諾と取って言う。

「アンタをよく知っているなら何かしただろう」

「何か、かえ?」

返答にルイセに比べ少しだけ長い眉を寄せるステラに、ルーチェは自分の分の粥に手をつける。

わからないという風な様子のステラを見ながら粥を3分の1程食べて、窓から入る暖かな風に揺れた髪を直してから口を開いた。

「納得が行くように行動を起こすという事だ。誰もが自分で助けに行けるとは限らない」

「…それでは、結果的には何も変わらなぬ」

頷くルーチェにステラは眉を寄せたまま馬鹿にしたように口元を緩めた。癒された羽も少し揺らめく。

「何故無駄な事をするのかえ?」

冷淡な口調で無駄な事を愚かというステラにルーチェは言う。

「納得したいからだ」

「納得…」

ルーチェは頷いた。

「アリオストという男が来る。気になるなら彼に聞くといい」

ルーチェは食事を再開する。
女王は不満げにルーチェを見たが、それ以上何も言おうとしないのを察すると同じく食事を再開した。
冷める前に粥を啜り、デザート代わりにルーチェは果物を一つ取りナイフで皮を剥いて行く。
その手つきは中々慣れたもので、皮が徐々に血で真っ赤に染まった包帯のように積み重なっていく。
重なっていくにつれ、女王が感心したようにルーチェの手の中でまわされる林檎を見る。
ルーチェはそれを一つつながりのままきり終えると、皿にのせてステラの前におく。
二人で何も言わずそれを食べ、もう一つとって今度は以前家族が作って見せたのを思い出しながら皮を簡単に切って、ウサギを模してみた。
白くてやわらかい毛に包まれた愛らしい動物だというけれど、その長い耳を赤い皮で作るのだから変わっている。
それをフォークを刺して女王に見せる。女王はそれとルーチェを交互に見た。

「それは?」

「ウサギ」

実物を見た事が無いが、似てはいないルーチェは思っていた。
だから覚えていたのかもしれないが。

「…似ておらぬぞ」

女王も見た事は無かったが、図鑑で見てどんなものかは知っていた。こんな風なものではなかった。
白けた視線を向けながらフォークを刺す女王にルーチェも頷いた。

「それが気に入っている」

サクリとフォークで耳を貫き身へ刺してルーチェは林檎を食べた。
だがそのまま食べて行かずに一つ食べると茶の用意を始める。
茶葉を選んではいなかったが、ルーチェは母親が口をすっぱくして教えたやり方で茶を入れた。
ステラは茶にはそれなりに満足してくれたようではあった。

「落ち着いた所で、一つ頼めるか?」

それ来たかと女王は茶を飲み干してカップを戻す。
先日は変な事を言っていたが、ついに男の目的が聞けるとあって女王は少し心を整理した。
無茶な事を…例えば技術提供などを口にすればすぐに断るつもりで口を開く。

「申してみよ」

「歌を歌ってくれ」

「は?」

ステラの年相応の子供らしい様子で返された返事に、ルーチェは少し間をおいて補足することにした。

「…ただの気まぐれだ。フェザリアンに頼みたい事は確かにあるが、先程言ったアリオストも用があってな。彼には貸しがある。用件は彼が来てからだ」

「ふん……聞いてどうする? 私は、もう公式の場でしか歌っておらぬし、ここ最近は歌う暇も」

「気まぐれと言ったろ。聞きたくなっただけだ。嫌ならいい」

ルーチェは立ち上がり、ベッドに腰掛ける。
ステラは羽を少し動かしてみたり、空になったカップを眺めたりして、窓から入る風がやむのをきっかけに歌いだした。
よく知らない歌をルーチェはベッドに横になり聴いた。先日耳に入ったような気分の悪くなる歌でなく、落ち着く。
窓からまたそよ風が入り、カーテンが揺れて閉じた瞼に振り注ぐ日差しを時折遮る。心地よさを感じてルーチェはそのまま眠った。
久しぶりに夢も見なかった。


そして、ルイセ達が来たのを感じて目を覚ました後、最初にビンタを食らった。
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