男はその日、やっとグランシルへ入った。
名をガムランというその男は、以前は傭兵団に所属していたのだが紆余曲折を経て今はバーンシュタインに雇われている。
今回も残念な事にただの観光ではなく仕事だった。
本当はもっと早くから入りたかったのだが、仕事の引継ぎやらなにやらで思いのほか忙しくて初日と二日目を逃してしまったのだ。
お陰で手が打てなかったのが、残念でならない。なぜなら予定が全く進んでいない状態だった。
「ゼノスが決勝に進出してその妹も無事とは…お前達は今まで何をしていたんですか?」
任せていた者の報告に、男は薄ら笑いを口元に浮かべた。
顔立ちも、身なりも良いのだが、目鼻の効く者ならこの男の下賎さに気づいただろう。男の隠し切れないどす黒さは嫌悪感を人に齎すには十分過ぎた。
「何の為に大会が始まる以前から命じておいたと思ってるんです?」
「その、私もまさかオズワルドがこう何度もしくじるとは…」
言い訳がましく言う部下の喉下に男は杖を差し入れた。
気管の一撃いれられうるさくわめく部下のポケットに小瓶を入れる。
「そんな事だから例の少年にも王都に逃げられるんですよ。それを試合までにゼノスの飲み水に入れなさい…出来なかった時は、そうですねぇ…」
男はふむ、と考え込む。
何を言われるのか、怯えて足を止めた部下に少女がぶつかった。
「ご、ごめんなさい!」
「いえいえ、貴方こそお怪我はありませんか?」
「はい…本当にごめんなさい」
「いいんですよ。もうお行きなさい。急いでいるのでは?」
「あ! はい」
その後も何度も謝った後、ピンク色の髪を靡かせて走り去る少女とその保護者らしい青い髪の男などを見て…男は確かこの部下には可愛らしい奥さんがいたのを思い出した。
「まぁ、部下を余り苛めても仕方ありません。大目に見ましょうか」
余所行きの笑顔を作って少女を見送って、そう言った男に部下は安心から深く息を吐いた。
「所でそれ、妊婦が飲むとお腹の子供に悪い影響を与えるそうですよ…まぁ、その程度の濃さでは母体は無事ですけどね」
少しばかりおなかの大きくなり出した事と一緒に。部下が青ざめるのを笑顔のまま見下ろして男は念を押す。
「ゼノスには浅からぬ縁もありますからね。とても欲しい駒なんですよ。わかりましたか?」
「はい…必ず、必ず、果たして見せます」
過去へと思いを馳せたのか、一瞬だけ遠くを見やり言う男を満足させる覚悟のある言葉が部下の口から出た。男は嫌らしい笑みを浮かべる。
「期待してますよ」
男の肩を軽く叩いてから、男は闘技場へと向かった。
エキスパート部門も一応は見ておかなければと思っての事だった。
大会二日目も天候には恵まれていた。
初日よりも少し雲が少ないほどで、その分強い日差しが更に闘技場を強く照らし、会場は更に熱を帯びていく。
より熱いかいじょうに観客は汗を流し、少し短気になる者。酒量を増やし、心のタガが外れていくもの。
昨日の試合の余韻を引きずりながら、更に激しい試合を期待しているもの…様々な人間が集まっていた。
ルーチェ達もその熱気の中で試合を待っていた。
昨日の試合で噂になったのか、ゼノスだけでなくルーチェにも視線が集まる。
「ほれ、お前も飲めよ」
ゼノスは持参した飲み物をルーチェ達に手渡す。
ウォレス共々あり難く受け取り、少し飲む。ただ、二人とも汗一つかいていなかったが。
それに気づいてゼノスはこいつらどういう感覚してんだ?と思いながら飲み物を口にする。
酒ではなく、果物から作ったジュースだ。
「それで、優勝候補は誰なんだ?」
「…やっぱ知らねぇのか」
呆れたゼノスの目が少し細まるが、ルーチェは気にした風も無く、涼しい顔で試合開始を待つばかりとなっている闘技場中央を見ている。
美貌と表情の無さが、ルーチェのいる席だけ気温が違うんじゃないかと、ゼノスに感じさせた。ゼノスは少し出てきた汗で張り付くシャツの前を引っ張り風を入れようとする。
「姉さんっはしたないわよ」
「いいじゃねぇか。俺なんて誰も見やしないって」
隣に座るカレンがすかさず口うるさく言うが、(男性的な印象とはいえ自分も美人の範疇に入る事を知らぬ)ゼノスはため息をつく。
「ジュリアンっていう奴だ。プラチナブロンドで男の癖に華奢で長髪の野郎だ。背はお前位かな?」
「ほぅ…」
ウォレスが感心したように声を上げる。
先日共に旅し、迷いを吹っ切って分かれた剣士が優勝候補。それも、ゼノスから聞いた話ではマスタークラスだというのだ。
順調に目的に向かっていると聞き、ウォレスは嬉しく思い感情のままに笑みを浮かべた。
「こりゃ、後でルイセ達にも教えてやらないとな」
「ああ」
「なんだ? お前らジュリアンとも知り合いなのか?」
「大した知り合いではないさ」
「…まぁ、そういう事にしておいてくれ」
少し驚いたようにするゼノス達にそう答え、四人は押し黙った。
会場が沸き立っている。選手が入場してきたからだ。
殆どの視線が一人に集まっていた。
近くの入り口から出てきた細身の麗人。少し癖のあるアッシュブロンドの髪。使い込まれた剣、鋭い視線。
ルーチェとウォレスの知るジュリアンだった。
「むぅ…」
だがウォレスは唸り声を上げる。
「どうしたんですか?」
真剣にその姿を見る姉と違い、確かにグランシルでは余り見ないタイプの線の細い美形の男性だが、カレンとしてはルーチェの方が気になっていたし、見ただけでは実力など分からないからそんなに凄い人なのか?と半信半疑だったカレンは声に気づいてウォレスに聞いた。
「ん?ああ、俺達の知る頃よりかなり腕を上げたと思ってな………俺も、頑張らねぇとな」
「はぁ……?」
カレンは生返事をして視線を戻すが、闘技場の中央に立つジュリアンを見てもカレンの目には相手選手の方が強そうに見える。
「あの、どうして強くなったってわかったんですか?」
「そうだな…色々あるが、一番変わったのは足音だな」
カレンはからかわれているのかと一瞬思った。この喧騒の中で何を言っているのかと。
ウォレスはそれを察して、苦笑した。
「自信に満ちた力強い音だ。これだけの観客を背負って、緊張も無い」
ファンファーレがなり、試合が始まる。
そして、すぐにまたファンファーレが鳴り響いた。
ジュリアンが一瞬で勝負を決めたのだ。観客達の歓声にジュリアンは手を上げてこたえている。
男女比は、さほど酷くない。この街の人間はなんにしろ強い者が好きだという事だ。
「やっぱ強ぇな…」
「ああ。惚れ込みそうだ」
ゼノスの声にルーチェが返した。
*
貴賓席にいたリシャールは微笑んだ。
横を向き、護衛として一人だけ連れてきた兵士の隣、父親が特別に貸してくれた宮廷魔導師へと話しかける。
「カール。ジュリアンがダグラス家の者で、インペリアルナイトを目指していると言うのは本当なのか?」
バーンシュタイン宮廷魔術師のローブに身を包んだ中年は、リシャールの傍に傅くと皺の見え始めた口元を開く。
「はい殿下。間違いありません。何故かダグラス家は否定しておりますが…インペリアルナイトを目指している事は間違いありません」
護衛として連れてきた兵士へと視線を向ける。
王子の護衛がたった一人という事で、主催者を驚かせたが…中身を知ればさぞ納得した事だろう。
バーンシュタインの兵士の格好をさせてはいるが、中身はリシャールの懐刀なのだ。
目元まで隠すように兜を身に着けた兵士が口を開いた。
「ダグラス家の者というのも間違いないでしょう。あの太刀筋、ダグラス卿のものと酷似しております」
「構わぬ、カール。後でスカウトをやるように手配せよ。私の休暇が済み次第、ジュリアンには嫌でも階段を上らせるぞ」
「畏まりました。では、一度王都へ戻り手配してまいります」
カールはそう言うと呪文を唱える。
周囲のグローシュが集まり、徐々にカールの身が光り輝き…一際輝いたかと思えば、姿を消した。
ルイセと同じテレポート。これができるグローシアンだからこそ、カールは宮廷魔術師であるが研究よりも要人と共に行動しているのだ。
*
エキスパートの試合は、流石にどれもレベルが高い。
今年は(ジュリアンと戦う為と皆は予想しているが)ジュリアンの他にも一人、マスタークラスだという女戦士が出ており、その事を事前に知った選手が幾人か消え、エキスパートに出場する選手のレベルを底上げしていたのだ。
観戦を続けていたルーチェ達は買い食いもしていたのだが、皆余り食べてはいない。
闘技場中央で、連続して打ち出される矢を紙一重でかわしながら戦士が前進していく。
射手は更に精度と速度を上げて矢を打ち出し、戦士を下がらせる。
地面に散らばった矢に足を取られぬよう下がる戦士を追い込むように矢が放たれ、戦士は思い通りにはならぬとスピードを上げて射手の思惑を超える。
見ていたゼノスが面白くなさそうにジュースを飲み干し、カップを握りつぶした。
「ッ、体が熱くなってきやがる…二人とも、後で付き合ってもらうぜ」
「俺は構わんぞ」
そう言葉を掛け合ううちに戦士が肩を矢に射抜かれながらも勝ちを拾った。
ルーチェはゼノスには答えずに、姉の様子に困った顔をするカレンの肩に触れた。
「あ、はい…どうぞ」
「ありがとう」
お替りをもらい、礼を言う。
カレンはまだ慣れない、どこか姉と似た作りの美貌に少し心臓を早めながら、何事もない様子で返事を返した。
ルーチェはカレンの後ろ…すし詰めの通路側から罵声を聞きつけそちらを見る。
明日の試合相手と目が合った。
「やっと見つけたぞ!」
「ゼノス」
ルーチェはゼノスの肩を叩き、観客達に怒鳴られながらこちらへ来る対戦相手を指差した。
「…あん?」
「探したぜゼノス!お前こんなとこにいたのかよ!」
ゼノスは不機嫌そうに、元パートナーを見上げた。歯を剥き出しにして、今からでもやる気十分と言った様子。ルーチェは立ち上がろうとさえするゼノスの肩に手を置き、無理やり座らせる。
思いのほかルーチェの力が強いのに驚きながら、ゼノスは口を開いた。
「(細い割りに…)っ…何の用だ? 言っとくけどな。用があるとかいって試合に出てくるような野郎と話すことはこっちにはねぇぞ」
元パートナーの僧侶は人の良さそうな顔を指でかき、視線をそらした。
だがまたゼノスをちらちらと見て、言いにくそうにまた視線を反らしたりを繰り返す。
「仕方ないだろう…その、いい機会だと思ったんだ」
「いい機会だ!? お前、俺がどういう覚悟でこの大会に出てるかわかってんだろうが! 手加減なんかしてやらねぇぞ!」
ゼノスの大声に観客達が明日の決勝で争う選手が顔を合わしている事に気づいた。
試合に集まっていた視線が二人に集まる。僧侶はより一層言いたいことが言いにくくなったのか、元々熱気で赤くなっていた顔を更に赤くした。
「わかってる! でもな…」
「でもなんなんだ!?」
煮え切らない返事にゼノスは立ち上がる。
そのままここで乱闘を始めろと、無責任な声が聞こえ、僧侶は困った顔をした。
「あーったく! うるさいな!! ゼノス!試合が終わったら話があるんだ! 試合の後時間開けといてくれ!」
「はぁ?」
「わかったな!?」
僧侶はそういうと、余程居心地が悪かったのか、足早に〈勿論また観客達の罵声を浴びながら〉去っていった。
「…分けわかんねぇ。なんなんだあいつは?」
大げさな身振りで肩を竦めるゼノスに、ルーチェは無表情なままで首をひねった。
ウォレスは一人だけ分かったような顔をして頷いた。
「なんだよ。アンタにはわかるのか?」
「さぁな…こればっかりは俺も、経験が多いとは言えんしな」
素っ気無い返事にルーチェは興味なさそうに試合を見続けた。
観客が歓声をあげた。壁際まで追い込まれた戦士が見事な逆転劇を演じて見せたのだ。
続いて、もう一人の優勝候補に上がっている女戦士の試合が始まり、ジュリアンの時のように一瞬で勝負をつけて観客を沸かせた。
ジュリアンとの差を見せようと言うのか、女は魔法を使い仕留めて見せた。
使われたのはマジックアロー。ルイセほどの威力は無いが、一度に数個の光の矢が放たれ一直線に対戦相手の脳天を立て続けに貫いたのだ。
本来ならもっと多様に軌道を描きたりするのだろう…速度を微妙に変えた光の矢からは余裕が窺えた。
「あの女もやるな…」
うむ、とゼノスの言葉にウォレスが相槌を打つ。
ルーチェは何も言わず手をかざす。観客の声にかき消される小さな声で少しばかりの詠唱を行い、マジックアローを唱えた。
輝きはかなり低いが、女がして見せたように複数の矢が弧を描いて空へと向かう。向かう先は太陽、向かう軌道は全てが異なりちょうど通りがかった鳥をかわして雲へと消えた。
「カーマイン!? おまっいきなり何しやがる!」
「成る程…」
ゼノスが危ない真似するなと声を上げたが、ルーチェは見た目何の表情も浮かべずに心なし満足そうに頷いた。
周りの観客も驚いている。だがすぐに応援に戻り、ルーチェは闘技場の入場口に目をやった。
先程勝利した女が不敵な笑みを浮かべて見上げていた。他にも似たような視線があり、ため息が出た。
その日はそのまま、高レベルな戦いの観戦に勤めた。
5話後編
翌日。昼になり、決勝に出る為に少し早めに控え室に入ったルーチェとゼノスは観客が入り始めたのをなんとなく感じていた。
まだざわめきが聞こえる程ではない。だが意識しない程度の振動が控え室に入った二人に試合が近づいて来た事を肌で感じさせる。
闘技場へ向かう間の空の様子を思い出し、今日も暖かくなりそうだとどうでも良い事を考えながら、ルーチェは体を動かすゼノスを見た。
先日と同じように椅子に腰掛けるルーチェと違い、決勝に向けてゼノスは体を温める。
鎧は着込んでいない。体を伸ばすのに少し邪魔だと言ってゼノスは一人筋を伸ばしていた。
「ふぅ…お前、体温めないのか?」
「ゼノスが早いだけだ」
「そうかよ」
返事をしてからゼノスは体操を終え、深く呼吸をする。
「暇なら水でも取ってきてくれないか? なんか、ちょっと喉が渇いてよ」
「わかった」
ルーチェは立ち上がり、水を取りに行く。廊下に出てすぐ近くに選手のため水飲み場程度は用意されていた。
金を出せば甘くして果物を浮かべた飲み物やお茶もあるが、水の方が好まれ、飲み水に事欠かないこの地域では支給されている。三国の一つ、南のランザックでは有料だそうだが。
先日と同くその場所にいた女性がルーチェに気づき、声をかける。
「あの、何かお買いになられますか?」
「水を一つ頂けますか」
「は、はい。少しお待ちください」
ルーチェは慌てて用意してあったコップの一つを取る女性を見て違和感を覚えたが、何も言わず女性が水を入れるのを待つ。
「ど、どうぞ!」
笑顔で手渡そうとする女性をルーチェは少し見た。何か奇妙だと感じての事だった。
女性は、よくここに出入りする男とは違うタイプの顔立ちの良い男に見られて少し顔を赤くした。それだけでもなかったが。
「どうか、されましたか?」
「いや。そのジュースをいただけますか」
「は、はい! 少々お待ちください」
女性は別のコップを取り果実の絞り汁を入れる。
「ど、どうぞ!」
ルーチェは素直に受け取り、廊下を同じように戻る事にした。
店に行くのはこれで二度目。人との付き合いが薄い自分だから変に感じたのかと考えつつ多少模様の施された壁を見ながら控え室に戻る。
部屋に入るとゼノスが鎧を着込み出していた。気づいたゼノスが顔を上げる。
「おう。悪いな」
「やはり気になるな」
「あん?」
手を出すゼノスの目の前でルーチェは水を飲む。
「…どういうつもりだ?」
「売り子が怪しくてな。こちらにしておけ」
青筋を立てるゼノスに、(どうせ、毒物はさほど自分には効かないという、自信があった)ルーチェは水を飲みながらジュースの容器を手渡す。
「お前は飲んでるじゃねぇか。俺にもよこせ!」
「ゼノスがいれば勝てるからな」
「…これはいらねぇ。水以外は飲まない事にしてるんだ」
ゼノスは険悪な表情でルーチェにジュースのコップを渡す。
そうかとルーチェはジュースを受け取り、ゼノスは水の入ったコップをひったくると一息に飲み干した。
「…普通の水だったぞ」
ふぅと、一息ついてコップを投げ返してからゼノスはまた鎧を身に着ける。
ルーチェはまぁいいか、そんな適当な態度で先程言った手前、コップを置くと少し体を伸ばした。飲んでしまったものは仕方が無いのだ。
「お前、柔らかいな」
「ゼノスと変わりない」
手甲をつけながらゼノスが言うのに、ルーチェは立ったまま片足を耳につけて言う。
「…俺はそんな変なポーズはとらねぇよ」
呆れた声を出すゼノスにルーチェは何も言わず真顔で続けてゼノスの視線を逸らせさせた。
黙々とゼノスは鎧を身につける。金具をはめる音がして、それは終わった。
続けて調子を確かめるように剣を振るって行く。ルーチェは剣がゆっくりと振るわれたり早く振るわれるのを見ながら体を伸ばし、また椅子に腰掛けた。
同時に、ゼノスが落とした剣が甲高い音を部屋に響かせた。ルーチェが顔を向けると、ゼノスが膝をつく。
「どうした?」
「……なんでもねぇ。ちょっと、手が滑っただけだ」
剣を拾い、ゼノスはもう一度振るう。何度か振るい、ゼノスはまた剣を落とした。
「…ははっ、悪い悪い。変だな…なんか」
「座れ。ファインをかける」
「お前魔法使えたのかよ。まぁ…別にいらねぇよ。すぐ治る」
今まで毒を受けたとしてもすぐ直ったと、ファインを拒否するゼノスの肩をルーチェは掴む。
「座れ」
「…ったく、わかったわかった」
ゼノスは億劫そうに床に座り、ルーチェが寄った。
学校に言った事はないが、サンドラはそれなりに教育を施している。その一環として覚えさせられた魔法をルーチェは唱えた。
ファインとは解毒の魔法。ただ万能ではなく…サンドラには効かなかった。
魔力の光がゼノスを包む。ルーチェは眉を寄せた。
(あの魔女め。嘘を教えたのか)
心の中で教えられた知識に関して初めて義母の事を疑いつつルーチェはファインを止めた。また効果が無い。
「…おい、なんかぜんっぜん良くなった気がしないぜ?」
「ああ。全く効かなかった」
ルーチェの返事にゼノスが口元をひくつかせる。
「お前なぁ…」
「すまんな。薬を買ってくる」
「んー…俺、薬って効いた事ねぇんだが」
今まで毒矢を受けようが風邪を引こうが寝たら直ったと言い拒否しようとするゼノスをルーチェは椅子に横にさせた。
二人とも…薬も効果がなくこのまま試合を迎える事になるだろうと思い始めていた。
ゼノスはその予感を信じて断りたいのだが、毒に関して知らず少し神経質になっていたルーチェはそれを否定しようと薬を買いに少しだけ急いだ。
「物は試し。俺もそう言ってよくわけの分からない新薬を飲まされた」
ルーチェは言うと薬を買う為に外に出た。
だが残念な事に効く薬は手に入らなかったしゼノスの症状もよくならないまま開始時刻までただ時間は過ぎていった。
会場がざわついていた。勿論盛り上がっていたし、熱狂的に応援する者も多かった。
最初はパートナーだった二人が決勝で戦うという珍しい組み合わせ。更に地元という事もあり人気があるゼノスの実力と見栄えはファンを作っていたのだ。
だが、盛り上がりを見せる中で大会に出場していた者。見る目のある者は皆、気づいた。ゼノスの不調に。
試合は最初から奇妙だった。ゼノスチームが遅刻した。そうした事をする人間でないと知る者はまずそこでおかしいと首をひねった。
大急ぎで入場してきたゼノスを見て観客席のウォレスとカレン、壇上で見る来賓者リシャール王子やエキスパートに出場する者達は違和感を感じた。
「戦えるのか?」
「うるせぇ。お前一人でどうにかなるわけねぇだろ。決勝まで来て寝てられるか」
額に汗など浮かび上がらせるゼノスの顔をルーチェは見た。
苦しそうにするゼノスから敵へと視線を移す。ルーチェはボウガンを手に取り、矢をセットした。
「前衛は任せた」
「あ…ああ」
てっきり何か言うかと思っていたゼノスは聊か間抜けな声を出し、納得いかないような顔をする。
勿論前にでるつもりだったが、大抵何か理由があれば後ろにいろだのといわれる事が多数あったからだ。
「行くか」
盛大なファンファーレと観客の声で試合が始まり一度彼女が剣を振るうと、彼らは違和感が何か、気づいた。
ゼノスの剣が、掠りもしない。
「ォオオッ!!」
ルーチェなどより余程男らしい雄たけびをあげ、自らを鼓舞するゼノスの後ろ姿をルーチェは普段通り、何の表情も見せずに見つめて援護射撃を行う。
矢はゼノスへ向かった僧兵、ゼノスのパートナーであった男の肩を打つが、ゼノスの攻撃はまたもかわされた。身体強化の魔法を自らに掛けた僧兵が打ちかかり、ゼノスと鍔迫り合いを演じる。
完全な後衛と判断される僧兵がゼノスとやりあっている…珍しい場面に観客は沸いたが、僧兵本人の顔は晴れ晴れとしたものではなかった。
相手のもう一人はルーチェの前に立っている。彼が振るう槍の一撃をルーチェはかわし、矢を放った。
何とか鎧で弾き、相手選手は槍を引き戻す。ルーチェの視界の端で、ゼノスが剣を振り上げた。だが攻撃はうまくかわされる。
僧兵はゼノスの癖を誰よりもよく理解していた。今の動きの悪いゼノス相手なら必死になればかわせない事もなかった。
僧兵としては後衛で回復ばかりして余り印象もよくないだろうと、ちょっと男らしい所の一つも見せて告白でもと思っていたのだが…うまくやれば勝てる!
攻撃強化魔法アタックにより威力を増した杖での一撃がゼノスにカウンターを食らわせる。鎧の弱い部分も理解していた。
同じ時、槍がルーチェを襲う。
ルーチェは下がり、ギリギリで槍の届かぬ位置まで退いた。矢をセットする。
「あっちの援護に行かなきゃなんねぇんだ。さっさと倒れな!」
言いながら目の前の男がまた槍を突き出すのを横にかわす。それを追って来る横薙ぎをルーチェはボウガンで受けた。
そのままボウガンを槍の上を滑らせながら前進する。ルーチェの蹴りが男の腹部に入った。浅い。男は少し下がっていた。
今の所良い目のないゼノスへ援護射撃をしてルーチェは男から離れる。男の足がルーチェのいた場所を通った。
また槍がルーチェに襲い掛かる。先程と同じように受け止めるルーチェ。男がニヤリとした。腰のナイフに手がかかっている。
だがルーチェは同じように前進して行く。詰め寄り、蹴りをはなった。男は槍を手放しそれを受け止める。ナイフが陽の光を反射しながらルーチェの足へと向かう。
ルーチェはそれが刺さる前にボウガンを向け終わった。矢が男の肩に突き刺さった。
痛みで彼のナイフと共に足を解放されたルーチェはまだ戦う気のありそうな男を蹴る。
矢が当たった時、なんとか声を上げるのを耐えた男の口から呻き声が漏れるのを聞きながら、ルーチェは足元に落ちている槍を拾った。
くの字に折れた男の頭をそれで殴り…ゼノスを見る。
ゼノスの攻撃が、僧兵に入った。
毒と魔法のハンデがあっても、僧兵一人に負けるゼノスではない。
*
貴賓席で見ていたリシャールはつまらなさそうにため息をついた。
「どう見る?」
主催者に聞いたのではない。たった今、貴賓席に入ってきた兵士に尋ねる。
この兵士、見た目は兵士の鎧を着込んでいるものの、中身はこの後の休暇を楽しむためにこっそり連行した仲間だ。
そのお陰でもう一人の仲間が苦労しているだろうが、先日カードで負けたアイツが悪いのだと思い二人ともこれっぽっちも悪いとは思っていなかった。
わかりきった事ですが、と兵士は前置きして、
「毒を盛られ、パナシアが間に合わなかったのでしょう」
パナシア…全ての毒を消す万能薬はこの街では販売されていないのだ。
製造されているのはローザリアとバーンシュタインの大都市の一つシュッツベルグのみ。
リシャールがつまらなそうにため息をつく間に、試合は終わろうとしていた。
「オスカーが報告しなければならない事ができたと伝令を」
コロシアムの上空を飛ぶ鳥にも聞かせようかと言う程に、観客達の歓声が響く闘技場で試合の終了を告げるラッパが鳴った。
空は青く澄み、雨の降る気配を欠片もさせない晴天…ルーチェは周りから聞こえる祝福よりも、その青さに心奪われていた。
妹との約束を果たしたからか、この次のエキシビジョンで戦うであろう相手のせいか…どちらにせよ少し気分が高揚していて普段より綺麗に見えた。
「ルーチェ…やったな」
傍らに立つゼノスからかけられた言葉に返事を返さず、空を眺めるルーチェにゼノスは首を傾げた。
だが、ゼノスの体はかなり消耗していて頭がうまく回らない。激しく体を動かしたせいで毒が体に回りつつあった。
ゼノスは大剣を地面につきたてる。普段ならこんな事はしないのだが、それ程毒の効果を気にしていた。
「ルーチェ?」
「…ありがとう。ゼノスが居なければ出場すらできずに、無様な姿を晒す事になっていた」
「よせよ。まぁ、お前もよくやったと思うぜ」
空から視線を流して礼を言うルーチェに、少しテレながら彼女は返事を返す。
「これで仕官の道が開ける…!」
担架で運ばれていく僧兵に声をかけるのも忘れてゼノスは達成感に拳を握った。だが、大会は既に次の試合を始めようとしている。
大勢が見ているのだ。主催者にとっても今回は隣国バーンシュタインの王子であり、インペリアルナイツマスターであるリシャールを迎えての開催、興ざめせぬ内に進めなければならないと例年以上に気を引き締め、スムーズな大会運営を心がけていた。
「それでは、続いてエキシビジョンマッチに移ります!!」
司会と周りが2人を置いて大会を進行させて行く。
コムスプリングスへの旅行券を手に入れたルーチェにはさっさと済ませるつもりしかない試合だが。
入場口から癖のあるアッシュブロンドの髪を靡かせてエキスパート部門の優勝者が入場してくる。
それだけで会場の女性や戦いぶりにファンとなった男達がざわついた。
ルーチェとゼノスは視線を向けて中央へ来るのを待った。先日別れたばかりのジュリアンは口元を綻ばせゆっくりと近づいてくる。
「フレッシュマンの部、優勝おめでとう」
ルーチェは、自然体のままジュリアンへ近づく。ゼノスは苦しい事もあり、観察に勤めることにして会釈だけすると大剣にもたれかかった。
「そちらこそおめでとう。腕も上げたようだ」
漏れた吐息には少しの賞賛が籠められている。
それに、ジュリアンは不思議と心臓の鼓動が少し早まるのを自覚した。
「それは私の台詞だ。まさかゼノスと共に出場しているとは思わなかったが…仕官する気か?」
試合の合間に観戦していたのか、ジュリアンの言葉には素直な賞賛が込められていた。
仕官という言葉にゼノスがピクリと反応する。だが、エキシビジョンを戦う為の体力を温存しようと、口は開かなかった。
「その予定はない」
「そうか…お前が仕官すれば使える部下ができると思ったのだが」
冗談とも本気ともつかない言葉に、ルーチェは返事を返さなかった。ジュリアンが苦笑する。
「ジュリアンが望んだから仕官できるわけでもなかろう?」
「ふっ、この大会で優勝できる者を捨てておくのはもったいないだろう。何より、私は、お前なら私の志を理解し助けになってくれるだろうと思う…嫌か?」
「別に、スカウトされるほどの事が出来たとも思えないだけだ」
ルーチェの言葉にジュリアンは奇妙な反応を見せた。
「ほぅ…そうか?」
そこで、ファンファーレが高らかに鳴り響く。
「今から戦う相手に聞くことではないが」
しかし剣を抜こうともせず、ジュリアンはゼノスに気遣うような視線を向けた。
「ゼノスは休ませた方が良いのではないか?」
「馬鹿にするな!」
ゼノスが叫び、地面に突き立てていた大剣を引き抜く。上段から振り下ろされた大剣は、ジュリアンにかわされまた地面に突き刺さった。
先ほどの音は試合開始の合図。そろそろ戦わなければならないのは確かだ。
「さて…では、あれからどれ程腕が上がったか見せてもらうぞ!!」
ジュリアンがゼノスから距離を取り、鞘から長剣を抜き、左下からの鋭い斬撃を放つ一部始終を観客の何人が見逃さずにいられたのだろう。この大会に出場した誰よりもジュリアンは素早かった。ルーチェは、動かない。
「ルーチェ!?」
どの程度ならついて来れるのか?その試しでもあったのか斬撃はジャケットを切り裂いて止まる。不満げな表情で、ジュリアンはルーチェを見つめる。
「どういうつもりだ?」
「ゼノスはこの通りで俺も他に用がある。リタイヤさせてもらうぞ」
そう言って、ルーチェは審判にリタイヤする事を告げようと手を上げ、ジュリアンとゼノスを唖然とさせた。
「審」
降参すると言おうとしたルーチェは、険のある目をしたジュリアンの一撃を食らって言葉を詰まらせた。今度は、ルーチェが少し唖然とする。
「野郎っ!!」
ゼノスが切りかかるが毒で鈍くなった大剣を食らうようなジュリアンではなかった。
大剣がジュリアンに届く前に、ジュリアンの剣がゼノスに叩きつけられゼノスの巨体が弾かれる。
理解できないと、不可解さと痛みに少し顔色を変えた相手に、ジュリアンはもう一度撃ちかかった。
今度は腰につけていたグラディウスで防ぎ、食らわない。ジュリアンは剣を押し込み、声をかけようと審判に聞こえない程度の距離まで顔を近づけた。
「馬鹿を言うな。お前も知っての通り、今大会には我が国のリシャール殿下が招かれている。お前に私に一矢報いるだけの力があれば…」
言うジュリアンの目を見て、頭に嫌な考えが浮かんだルーチェは後ろに飛ぼうとした。
「殿下のお呼びがかかるとは思わないか?」
だが、それよりも早く更に剣を押し込んでグラディウスを跳ね除けると、ジュリアンはルーチェの腹に蹴りを入れた。
体を折り曲げながら、ルーチェが後退する。
「遊ぶ暇はないと言った」
抑揚もなく告げるルーチェの目に、ジュリアンは口元に笑みを浮かべた。
くの字に折り曲げ下がった顔は強い太陽の光が濃い影を作って見えない。
だが、砂埃を舞い上げる風が前髪を揺らす度ちらちらと金色の左目が微かに闘志を宿していた。
「お前が嫌じゃないと言ったのだ…リタイヤするにしても、先に殿下の目に留まる程度の力を見せろ」
動かない体に焦りながらまた打ちかかるゼノスの剣をジュリアンはかわし、また同じ様に弾き飛ばす。ゼノスはバランスを崩し、うまく受身を取れずにしりもちをついた。
だが、そうする必要も無かったかもしれない。
直後に、もう言う事はないとでも言うように、剣が振り下ろされたのだ。会場に居る人間の殆どがついて行けぬ程の速度に達した剣が次々とルーチェに襲い掛かる。
所詮お祭り騒ぎと、(真剣で戦っているのに変な話だが)死ぬほどの攻撃は止められるのだが、寸止めをする気など全くないように思えるジュリアンの攻撃に観客は沸いた。
この場にあって数少ない、その全てを見逃さなかった来賓席の少年リシャールが、中々やると感嘆の声を挙げる程の冴えを見せて幾度も、幾度も。
グラディウスが切り裂かれ、ジャケットがボロ切れに変わっていく。
だがルーチェには未だ深い傷は無く、浅い傷のみ。
今まではもっと時間をかけずに倒していたのだろう、観客からはルーチェも中々やると声援が増えて行くが…来賓用の特別席から見下ろすリシャールはルーチェにはさぞ屈辱的だろうと傍らにいる腹心に笑いかけた。
まだ浅い傷だけで済んでいるのは、大陸最強のインペリアルナイトのマスターを務める少年にはジュリアンがそれでも手を抜いている事の証明のように見えた。
追い詰められてゆくのを感じながら、ルーチェは飛び退く。傍にはゼノスがいる。いつの間にか、ゼノスの隣に移動させられていた。
そうすることでジュリアンの背後に改めて見える客席では、距離を取った事で一息つき。
ジュリアンの圧倒的な強さに歓声をあげながら皆が立ち上がっていた。
「ゼノス。いけるか?」
「難、しい。奴も強いが、思う、ように体が、動かない」
荒い息をつきながら動こうとするゼノスの気配を感じながら、ルーチェはジュリアンを見る。
「ふぅ…意外だった」
未だ無傷で、生き生きと剣を振るうジュリアンに、ため息を吐きながら言う。
「何がだ?」
「もう少し謙虚だと勘違いしていた」
ぼろぼろになったジャケットを捨てながら言うルーチェにジュリアンは一瞬力を抜き、きょとんとした顔を浮かべた。
「残念だが。私は欲しいものを得るのに形振りかまった事などない」
(そういえばコイツ…父親に褒められたいだけでルイセと同じような年の弟を叩きのめしていたか)
ジュリアンの返事にそんな事を思い出しながら、ルーチェはジュリアンから視線を外し、観客席を見る。
対峙する三人に早く続きをやれと野次が飛び始める。ルーチェは息を吐いた。
「俺の剣を避けてからアイツは一撃入れてくる。そこを狙え」
「いや……こちらも少し事情が変わった」
策を告げるゼノスにそんな客達を見て呟かれた少し不機嫌そうなルーチェは言う。ジュリアンは眉をひそめた。
ジャケットを脱いだ下はノースリーブで。露出した肩が妙に…艶かしい姿のまま力を入れたのか、一瞬腕に筋肉が作り出すラインが入った。
「良い所の一つも見せなければ、リタイヤもできない」
「? よくわからないが…何よりだ。行くぞ!」
剣を持ち直し、距離を詰めてくるジュリアンを視界の端にいれて、ルーチェは視線を観客席の一点へ固定したまま言う。
「少し休め。俺が行く」
「馬鹿っ。俺、はまだ、戦える」
ルーチェの言葉に睨みを返し、ルーチェを押しのけてゼノスは走る。
だが、それより早くジュリアンはゼノスの懐に入り込み、大剣を半ばから切り裂いた。
巨大な刀身が飛ばされる。唖然として刀身へ観客の目が集まる中、ジュリアンはすれ違いにゼノスを蹴り飛ばし、完全に動けなくする為に腹へ一撃を入れる。
鎧に使われた金属とゼノスのうめき声があがる。
ゼノスの行動に一瞬戸惑ったルーチェは気を取り直し、ジュリアンへ襲い掛かる。
だが、ジュリアンの剣がルーチェの一撃を防ぐ。そして、ルーチェが返す刃を向けるより先に、ジュリアンの苛烈な攻撃が始まった。
左上から肩へと下ろされる剣を軽傷で済ませながらルーチェは裏技を使うか考え、止めておく事にした。相手の思い通りに動いた上に裏技まで試すなど不愉快だと思ったのだ。
ただ、いつもより早く動くので呼吸の回数を少しだけ増やす。いきなり動いては体に悪いような気がして。お陰でまた繰り出される斬撃の数々を避けきれず、傷が増えてゆく。
ルーチェにまだまだやる気があるようだと観客のルーチェを応援する割合が徐々に増えてゆく。だが、傷は更に増えるし、グラウディウスは削られていった。
ゼノスがまた立ち上がり、加わろうとするのをジュリアンはルーチェを弾き飛ばし、もう一度みぞおちに一撃入れて黙らせる。ゼノスのタフさには驚かされたし、動かれては面倒なことになると思ったのだ。
ジュリアンはルーチェが時折観客席のどこかを見るのを不愉快に思いながら更に剣を振るう速度を速めた。そんな事を知ったこっちゃ無い青空で雲が流れ、鳥が飛ぶ。
ジュリアンとルーチェの声援を受ける割合は、五分にまで変わっていた。まだ持つルーチェの姿に客がついたのだ。
何十度目かの横薙ぎを受け止め、更にグラディウスが壊れていく。二人は少し距離をとった。
「まさか、このまま終わる気か?」
ジュリアンがもう柄しか無くなってしまったグラディウスを見つめて言う間に、ルーチェはキュアを唱えて傷を塞いだ。
ルーチェはやっと心拍数が予定値になったのでまた観客席を見ながら手招きをした。それを見て、不機嫌そうに口元をしめたジュリアンが踏み込み、自分をないがしろにする男を挑発する為に左から打ち込む。
「知ってるか? 以前…共にいた時から思っていた」
少しだけ隙の多かった一撃を完全に避けきり、次の斬撃を放つジュリアンへルーチェもまたいつもよりも素早く踏み込む。ジュリアンの行動を見透かしたように、ジュリアンの腹へ最初にルーチェがされたように膝が吸い込まれるように入った。
ルーチェのこの試合初めての攻撃、しかも直撃に観客から歓声と悲鳴があがる。
「俺に手加減するのもいいが、そのパターン」
剣を振るうには近すぎる距離から少し下がろうとするジュリアンを、より早く追いかける。ルーチェが二の腕を掴んだ。
「アンタはそのパターンを好んで使う」
当然の事だ。相手は倒すもの…得意なパターンを好んで使いさっさと倒すのは。この戦いでも、まだ二度目。
腕を引いて逃さず、いつの間にかグラディウスの柄を捨てた逆の手でジュリアンのジャケットの襟元を掴み、引き寄せる。
声援の中で格闘!?、頭突きだ!と言う速さについてゆけるめざとい者(大方出場者だった者達から)の言葉がかき消され…勿論、ジュリアンもそのようだと覚悟を決めていた。一瞬の内に有利だとさえ考えている。
ジュリアンがしている鉢巻は昔優しかった頃の父に頂いた物で、特殊な繊維で織られている。
(父上…!)
何も無いよりはましだし、未だ捨てきれぬ父への思慕は鉢巻を特殊な守りのようにさえ思わせていて…ジュリアンは歯を食いしばり、自分から額をぶつけに行った。これでルーチェの動きを止め、反撃へ移る…そのつもりだった。
だが、額はぶつかる事は無くかった。胸倉を掴んだ時点でルーチェは腕を掴んでいた手を離していた。
その手は上に注意の行ったジュリアンの腹に添えられ、手のひらに生まれた小さな魔方陣からは魔力が放たれた。
アレンジされ収束、小型化したマジックアローがジュリアンを吹き飛ばす。
ジュリアンが血を吐きながらもしっかりとした足取りで着地した。
直撃させた…当てるまでそう思っていたが、ジュリアンは直撃の瞬間身をひねり急所を避けた上、更に身を守る為集中した。
魔法を受ける上でそれに対する意識を高めておく事、魔力や、気と呼ばれる奇妙な能力で身を守るには意識が重要なのだ。
ルーチェは驚きと共にもう加減など考えていない様子の伺える今までとは別種の真剣な眼差しを受け、少しばかり満足した。
その事を奇妙に思う間に間合いを詰めたジュリアンに剣の腹で一撃され、ルーチェは地面を転がり砂にまみれながら手を突いて踏ん張った。
だが既にルーチェを強い日差しが作るジュリアンの影が覆っている。ジュリアンの剣が迫った。
*
…エキシビジョンマッチが終わろうとする時、カレンは混雑する客席を抜けて人の気配の薄い廊下で壁にもたれ観客達のあげる声援に一々驚きを見せていた。
最初はウォレスと共に観戦していたのだ。だが、今朝会ったばかりのゼノスとは全く違う体調と傷つきながら戦う様が見ていられなかった…
姉が傷つく姿は何度見ても慣れる物ではない…また上がった歓声にカレンは俯いて目をギュッと閉じた。
「奇遇だな。アンタも来てたのかい?」
だが目はその声ですぐ見開かれた。
俯いた顔が上げられ、声をかけた男へと視線が向けられる。大柄な人相の悪い男とその手下らしいごろつきが何人もニヤニヤと口元から歯を覗かせている。
「今日こそは目的を果たさねぇとよォ。俺の身が危ねぇ」
オズワルドは腰に下げていた斧を構えた。カレンは本能的に彼らのいない方へと走り出す。
その方向にゼノスのような選手のいる控え室などに近い場所はなく、試合観戦に皆が夢中で通路に人影はまばらだった。
勿論、オズワルドの予定通りだった。
「てめぇら、絶対に逃がすんじゃねぇぞ!! 死なない程度に甚振ってやれ!!」
男達は総出でカレン一人を追いかける。
時折見かける観客達も、わき目も振らず急ぐカレンの姿に驚き、武器を構えた男達に道を開けてしまう。
徐々に距離が詰まっていく。だが何人目かのカレンに驚き道を開けた男は、カレンの後を追う男達を見て視線を鋭くした。
魔法による治療を受けたとはいえ、まだゼノスにつけられた傷は完全に癒えていなかったが、男には見過ごすという選択肢は無かった。
彼を治療してくれた恋人に会わせる顔がなくなってしまうのだ。
「どけっ!!」腕を横に振り邪魔するなという意思を見せる男達に彼は背負った大剣を鞘に入れたまま構え、突きつけた。
男達が足を止める。
「誰が通すか! こんなとこで物騒な物振り回して女一人追っかけやがって!!」
声を張り上げ振るわれた大剣は男達を確実に戦闘不能にしていく。
「チッなんでこう毎度毎度邪魔が入るんだァ?」
苛立たしげにオズワルドが投げた斧をニックは叩き落し、開いた傷の痛みで顔を歪めた。
「お前らはあいつを追いかけろ!! ヘマすんじゃねぇぞ!?」
それを見て機嫌を直し、またニヤリとしてニックに向かうオズワルドを更に観察する者がいた。
ガムランという名の男はため息をつくと配下の人間へ直接動くよう手配をした。