魔法学院からブローニュ村の方角へ戻り、十字路(といっても多少整備され踏み固められた道が十字に分かれているだけだが)を南へ、道沿いに進んでいった所にグランシルはあった。
3百年以上前、グローシアン支配時代と呼ばれた頃に建設され、その後治める国は何度か変わったものの…コロシアムは歴史を感じさせる重厚な佇まいを見せ、旅人を迎える。
一年に一度の闘技大会に向け集まる人々の内幾らかが露店を開き、今グランシルは一年で最も賑わっていた。
行きかう人々は今年は誰が優勝するか、どんな選手が出るかの話で持ちきりで、中央に彫刻を据えた古い噴水に並んで座る男二人に気づきもしない。
それでも見栄えはいいので極一部の気づいた者達からは見物されていたが、微々たる物だ。
「…ウォレス。誰か心当たりはないか?」
心なしか困った様子の伺えるルーチェの声に、ウォレスも同じような調子で返す。
「ねぇな」
ウォレスは膝に肘をかけ、頬杖をついた。
こんな時期、こんな場所にいそうな知り合いは大抵フレッシュマンに参加済みである。まだ駆け出しだった者が2年も経っているとは思えない。
「…まさか、ルールが変わっているとはな」
アリオストに言われ、優勝賞品のコムスプリングス温泉街旅行券を勝ち取りに来てみたものの…ルーチェが出たいフレッシュマンの部の参加条件は二人一組。
ウォレスは既に何度も参加している為参加資格がなく、一人置いていくのもなんだとティピまで置いてきた。
最悪、街行く人にいきなり闘技大会参加を求める事になりそうだが…報酬無しに参加してくれる者などいそうもない。それ以前に無名で見た目は優男のルーチェのパートナーとして参加してくれる者がいるかどうかが問題だが。
「物好きを探すか」
「…短時間で見つかるとは思えんがな」
二人は揃って肩を落としてそっぽを向いた。
今年はゼノスの優勝で決まりだ!
いや、メディス村のニックってのもすげぇ使い手だって話だぜ?
話しながら歩いてゆく男たちが出した、聞き覚えのある名前にルーチェはウォレスの方を向いた。
「組む相手の交代は認められるのか?」
確か初めて外出した夜に出会った傭兵がゼノスという名だったと思い当たり、可能なら頼みに行くつもりでルーチェは聞いたが、ウォレスは首を振った。
「…ぎりぎり、可能かもしれん。この大会の優勝者は誰か、もうすぐ賭けを始めるだろうが……まだ締め切りまでも時間があるからな。多分、できるだろう」
ウォレスの返事に、ルーチェは並ぶ屋台の間を行きかう人々へと視線を戻す。ウォレスは言う。
「知り合いがいるのか?」
「今話されていたゼノスとは面識がある」
旅行券で行ける人数制限は五名。以前会った印象から思うに、理由を話せば同行させてもらう事は可能だろう。
「ふむ…なら、探してみるか」
ルーチェが頷き返し、腰掛けていた噴水から立ち上がる二人。
二人はコロシアムの方でやってみようと話しながら歩き出し「あの……もしかして、ルーチェさんですか?」だが、控えめにかけられた声を聞き逃さず、二人は足を止める。
振り向くとメイドのような服装、長い金髪と色の白い肌をした年の頃二十歳程の美女が立っている。
淑やかそうな雰囲気を持つ女性に、ルーチェは見覚えがあった。
「やっぱり! お久しぶりです。覚えておられますか? 前に助けていただいた…」
「勿論覚えています…カレンさん、お久しぶりです」
先ほど話したゼノスの妹だとウォレスに紹介し、ウォレスにも紹介しながら男二人は同じ事を考えた。
(俺達は運がいいかもしれん)
グローランサー獣道 五話他人の事情 前編
グランシルで明日より闘技大会が開かれようとする頃、アリオストは故郷であるブローニュ村の自宅を訪れていた。
予定では作品を完成させ、グランシルに向かえばちょうど闘技大会が終了する頃だったのだが…ルイセのテレポートという予想外の魔法が移動時間を大幅に短縮し、飛行装置は今朝完成してしまったのだ。
既に魔法学院に飛行理論と共に収めてあり教授会で審議中だが、もう一機予備を作っておいたので目的を果たすのに何ら問題はない。
他人が見ても、こうした機械に精通した人間で無い限り研究中の機械とそれを見分ける事は出来ない為、アリオスト本人がばらさなければ捕まる事もないだろう。
今朝からグランシルに向かえば(大会終了後にグランシルにつく予定だったのだが)一回戦から観戦できるのだが、先に墓前で報告をしておきたかった。
村で最も大きな…元々はこの村の創始者である祖父と何十人もの子供が暮らしていた大きな家でアリオストは回想に浸る。
祖父と言っても血は繋がっていない。
一人の青年が孤児達を引き取って生活を始めたのがこの村の始まりだからだ。
だから自宅といっても村の誰もが自由に出入りできるよう鍵はかかっていないし、集まりに使われたり手入れをしてくれていて、そのお陰でこの家は保たれている。
アリオストも暇を見つけては戻っているのだが、研究が忙しく余り頻繁に戻ってこれなかった。
この家に戻ると父の残した言葉を思い出される。
『人は生きている限り諦めず、信念を貫く』
それを証明する為にがむしゃらになって研究を続けてきた。
信念は褒められたものではなかったけど、とアリオストは苦笑して回想を終えた。
「ルイセ君。もう少し待っててもらえるかい? 今父に報告してくるから」
テレポートで一瞬にして魔法学院からブローニュまで自分を移動させてくれた後輩に声をかける。
「はい」
「報告?」
「うん。今から母さんに会いに行くってね」
後輩、ルイセの連れているホムンクルス、ティピに返した返事は驚きをもって受け止められた。
「アリオスト先輩のお母さんが…フェザーランドに?」
「…僕の母は、フェザリアンなんだ」
今まで誰にも言っていなかった事を教えながら、アリオストは父の墓へ向かう。
最初は険悪だったが次第に理解しあったという両親の話しなどしながら。
マザコンと言われるかもと一瞬思ったが、ルイセ達がフェザリアンと交渉するのに少しでも足しになればと思い詳しく話しておく。
母と父は一目惚れではない。
だから母が変わり者でなければ、何度も接していけばフェザリアンに好意的にとられる部分が人間にあるはずなのだ。
最もフェザリアンに強い関心があるのは母がフェザリアンだという理由が大きいのも、小さい頃いなくなってしまった母が父との関係を後悔しているか?自分の事で後悔はないかなど、確かめたくて研究をしていたのも事実なのだ…密かに片思いしているルイセの親友に幻滅されたら凄く困るが。
フェザリアンとの関係は断絶している。だからすぐに母と会えるとは思えないが、アリオストの心臓は普段より高鳴っていた。
「父さん。行ってくるよ」
*
数百年の時を超えて存在する遺跡の中央、外周に行くにつれせり上がる観客席は満員。
円形が草一つ生えないただの土の地面であるのに比べ、所々施された装飾がどの席がよい場所かを如実に語る。
一つの芸術品としてより良くなるようにと趣味で行われた装飾もあれど、高い席や主催者達が座る席、必要な時奏でる楽器を持って控える者達の居場所など、選手の立場に立てば全てが良く見えるだろう。
上部には鳥までもが止まっていて、その上の青空に見える太陽まで観客のように感じられる。コロシアムは独特の雰囲気に包まれていた。
一回戦から観客は満員に近く、ざわめきの中に売り子の声がよく響く。
つい先程、今回のゲストである隣国バーンシュタインの王子リシャールの演説が終わり、今は一回戦の始まりを待つばかり……一人観客席で立ち見する事となったウォレスは軽い興奮の中息を吐いた。
カレンに事情を説明した二人は彼女の姉でありこの大会最有力者のゼノスと出会うことも出来たし条件付ではあったが、快く優勝商品のコムスプリングス旅行券も分けてもらえることになった。
ゼノスが言うには目的はコムスプリングス旅行券ではなくあくまでもこの大会を見に来たスカウトへのアピール…仕官なのだという。
その条件を果たす為ルーチェは子の場にいないのだ。
いないものの話ばかりしても仕方が無いので話は戻るが、目がぼんやりと見えるようになった事は、失った色々なものをウォレスに返した。
以前は別の世界の話だったこの雰囲気を、楽しむ事ができる。目的を忘れたわけではないが。
大会のレベルは変わりない。過去の自分とどれだけの差があるのか確かめる場としては打ってつけだ。
周りの熱気に当てられながら、ウォレスはいつか今の自分の力をこの場で試してみたいと思った。
だが義手で自分の髪を撫で思い出したように中央を見やる。
「今はそんな場合じゃねぇか」
始まった試合を注視しながら言う。もうすぐルーチェの試合。ウォレスは会場の入り口へ視線を向ける。
最有力の女戦士ゼノスと組んでいるのだから勝ちは疑っていないが、今夜今日の試合で悪かった点など注意するつもりだった。
ルイセの高い魔力とジュリアンの剣腕に陰に隠れてルーチェがちゃんと戦っている所さえよく見た事がないが、無様でなければいいなとウォレスは思った。
適性検査としてアイアンゴーレムにある程度の損傷を与えたし、四チームでたかが十にも満たない最下級の魔物、ゲルを倒す数を競う予選も通過した。
だが、参考になりはしなかった。確かに的確にダメージを与え検査合格の最低ラインは満たしたし、他の三チームをうまく利用した試合運びで、首尾よく殆どのゲルを倒した。
今の所はよくやっている。問題はここからだ。皆それだけの事をしてこの場に立つのだから、ルーチェだけやられなければいいのだが…そう考えて、ウォレスは奇妙なことに気づいた。
ウォレスの心に心配が無かったのだ。どうなってもいいというような心積もりではない。ルーチェの実力を信頼しての落ち着きだった。
今の所、大した所を見ていないのにどうしてかは本人にもにもわからなかったが、探している隊長を見ている時もこんな風だったとウォレスは気にもしなかった。
会場を包む熱気などどこ吹く風と言わんばかりの、普段どおりのここでは場違いな雰囲気を持ってルーチェが入場してくる。
黙っていれば儚げにさえ映るのだから、顔がいいのは得である。普段と違うのは、腰に差したグラディウスとこの街で買ったボウガンだけだ。
ウォレスの初任給より高いボウガンがお小遣いで(ルーチェはまだ一銭も稼いだ事がないのだから仕方ないが)購入されるのには内心ちょっと凹んだものだが、ウォレスの手で改良を加えておいたので扱えればそれなりに活躍するはず…これで役に立たなかったら泣きそうだとウォレスは思った。
その隣に立つのは、ルーチェより背が高く、重装備に身を包んだごつい赤茶の髪をした…女性。無論ゼノスだ。
(どっちが女かわかんねぇな…)
観客席に座ったウォレスはそんな感想を持った。
一方、(勿論胸などだけ見れば別だが)自分より男性的…より正確に言えばこれぞ戦士らしいと言える筋肉質な肉体の女性の隣でルーチェはウォレスが二人を見ているのを…周りがもう興奮を抑えきれず騒ぎ出す中、こちらを冷静に観察するいくつもの目の中から探し出していた。
だが見ずに歩き出す。ギリギリで出場にこぎつけたくせにルーチェは他の事で考えていた。
闘技場の様子を見ながら先程見たリシャールの事。リシャールはどういうわけか先日助けたエリオットと言う少年と同じ姿形をしていた。
それも奇妙な事だとは思ったが、それよりも、ジュリアンの目指すインペリアルナイトを纏め上げる実力者でもある少年に…既視感を感じたのは何故か。とても重要な事であるような気がして頭から離れなかった。
「ルー…カーマイン。あんまボケッとすんな。もうすぐ始まるぜ」
まだ幾分気楽そうな声に顔を向けず頷く。ゼノスは金の小手白い鎧に身を包み、肩からバッグの様に提げた一九〇近い自分よりも長い大剣を抜きもせずに突っ立っていた。
母からもらった普段着などというルーチェとは大違いである。
「そう緊張するなよ。見たとこ、どうせ俺一人でもなんとかなる試合だからな」
こちらを向かないルーチェの態度を緊張しているのだと取ったゼノスはそう言って豪快な笑みを浮かべた。
「まぁ、それでも約束は約束だからな。少しは男見せろ」
メイドのような服装をした女性。カレン・ラングレー…家から初めて出た日に夜盗に襲われていた人と再開できたのは幸運だった。
偶然再会した彼女のお陰でルーチェはその姉のゼノスと参加する事ができた。
あの日、カレンを助けたのは極個人的な理由であったはずなのに…それがこのような事になるとは奇妙なものだと、ルーチェはゼノスを見やって少し口元を綻ばせた。
自分の顔を見て表情を変えるルーチェにゼノスはやる気は十分と取って、笑みを深めた。
ゼノスは「まさか何もせずに貰えるなんて思っちゃいないよな?」と冗談交じりにコムスプリングス宿泊旅行券をやる条件として
1.自分と共に大会へ参加する事 2.それなりに戦って見せることの二つをあげた。その方が大会も盛り上がるだろうと考えたからだ…まぁ、それもこれもゼノスのパートナーであった弓戦士が快く、(これを機にやる事があるとかないとか言っていた)本当に快く交代してくれたからだし、それなりに戦って見せなくともコムスプリングスへの旅行券はやるつもりだが。
ルーチェは何か誤解した様子のゼノスに何も言わず開始の合図を待った。
所でカーマインとは、公式で使われているルーチェの名前。サンドラが報告をあげる時に使用している名前とも言える。
どうしてそんな面倒な事をするのか理由は聞いていないが、別段困ったこともないのでルーチェもそれに従っている。
それなら何故カレンとゼノスには教えているのかは、本人も何故かわからなかった。
ただ嫌とは思っていないのだからそれでよいと思っている。二人は所定の位置についた。
二人が最も入場口から近い位置に決められていたので他の参加者達はまだ二人から遠ざかっていく。
「…そのボウガン使えるんだろうな?」
「どうかな?」
「おいおい…俺に当てるような事だけはなしにしろよ」
「そんな事はしないさ」
ルーチェは空を見た。少し目を動かせえば円の形に閉じた空は縁に鳥が座っていた。
見ている間は観客達のざわつく音も遠ざかるような気さえする青空から視線を下げればこちらを舐めてかかっているような対戦者達の顔が見えた。
人数を減らす為、最初は4チーム毎に対戦する決まり。ファンファーレが鳴り響き、音に驚いて一部の、初めて観戦に来た観客達が反応する。
右側のチームの射手が左側のチームの男へ矢を放ち、それを防いだ男が悪態をつく。
ルーチェもゆっくりとボウガンに矢をセットし、ゼノスは自分に舐めた顔を見せた対角線上の二人に向かって突撃を始めた。
ルーチェも歩き出す。ゼノスの方を見ればマジックアローが放たれていたが大した威力はないらしく、全く気にした様子もなく向かっていく。
右のチームも魔法を受けても何事もないように向かっていくゼノスに驚いたのか、ゼノスへと矢を放ち、挟み撃ちにしようとしているし、最後の1チームもゼノスへ向かっていく。
全員でたこ殴り。性別は強さに関係ないと言う女兵士はよく言うが、ゼノスはそこまでする評価を得ているようだ。ルーチェも同感だった。
鎧を着けたゼノスの隣に鎧も身に着けずにいたせいか、侮られ一人残されたルーチェは無造作にボウガンを構えた。
観客の一部が笑う。まだ射程には遠い距離でルーチェが構えた為だ。だが、このボウガン…購入時にウォレスのいたずらで弦を変えられていた。
少し上向きに向けられ、放たれた矢がゼノスを追い越して魔法使いの肩に刺さる。
見た目に反して強い力で素早く弦を引き、矢をセットするとルーチェはまた矢を放ちゼノスの背後に迫ろうとしていた男の利き手を射る。
叫び声が上がる中、自分へ飛んで来た矢をかわしながらもう一度矢をセットする。今度は射手を射た。
見れば、ゼノスも向かってきた男三名を剣も抜かず悉く蹴散らしていた。
ゼノスはルーチェの働きに満足していたが…やはり余りする事が無いと、ルーチェはボウガンをベルトに戻した。