盗賊達に襲われていた親子を助けた次の日、先日は盗賊達のお陰で予定通りにはいかなかった四人は昼前になりやっと宿を出る。

勿論、今日の予定は決まっているのだから支障ない内に眠りにつき、太陽に暖められ気温が程よく上がる頃には皆目が覚めていた。

だが、他の者…旅の宴の余韻を残した村はまだ浮かれていて、気のいい店主や女将に捕まってしまった為にいつもより出立の準備に手間がかかったのだ。

こんな事には慣れているであろうウォレスまで捕まったのだからしかたがないのかもしれないが、もし先の橋が落ちていなければ…この宿が村の西出口に近いので探しているような不審なものが通ればウォレスは気づくとわかっていなければ少々失礼な対応で宿を後にしていたことだろう。

所で4人が足止めされることとなった原因の一つである親子からはエリオットと名づけられた育ちのよさそうな息子をローザリアまで送ってほしいと請われた。

そして用事のある四人の、帰りなら…という返答を聞いた彼らは急いで村を出てしまった。

また盗賊に襲われていねければよいがとウォレスは気にしたが彼らに祈る神はいなかった。

この大陸の人間は…不思議とこの世界へと移る以前から残っている精霊信仰を除けば基本的に無宗教なのだから。

「さあーて、今日こそマスターの魔道書を取りかえ「待ってくれ!」

昨日はぐっすり眠り機嫌の良かったティピだが、言葉を遮られて不機嫌そうに振り向く。

ルーチェ達も振り向いた先、宿の入り口には昨日盗賊の襲撃から村を共に守った剣士が立っていた。

昨日はいつもよりは眠ったのか幾分顔色が良くなっている剣士の姿にルイセ達は表情を柔らかくした。

目の悪いウォレスも表情を変えた事をルーチェは奇妙に思い、機会があればウォレスはどのように感じ取っているのか聞いてみようと思った。

「少しの間でいい。私を一緒に連れて行ってくれないか?
お前たちと一緒に行動すれば、何かわかる気がするんだ」

「俺はすぐにこいつらと分かれるつもりだ。返答はこいつらに聞け」

年齢、経験的にも当然ウォレスが集団のリーダーだと思っていた剣士に、ウォレスはそっけなくしてルーチェとルイセへと話を振った。

「わ、私はかまわないけど……」

「無駄だが、それでよければ」

二人の答えに剣士は綺麗な笑顔を浮かべた。

今まで見なかった表情は魅力的で、少女二人を少し赤くさせる。

「ありがとう。私の名はジュリアン…ジュリアン・ダグラスだ」





グローランサー獣道 三話 迷いと敗北





ジュリアン・ダグラス。

そう名乗った青年はルーチェとルイセが初めてまともに出会った貴族だった。

母が宮廷魔術師という職にあり、王の片腕的存在をしている以上無関係ではいられないが…ルーチェは外に出ず、ルイセはブラコンに引っ込み思案という性格且つグローシアンという事から今まで接触が皆無だったのだ。

母親のサンドラが10代で宮廷魔術師という要職につき、それ以後ずっと王の信頼が厚い為、ろくでもない貴族から余り良く思われていないというのもあるが。

それらは兎も角、絵に描いたような貴公子…あるいは貴族っぽいという印象をティピにもたれていたジュリアンはティピの予想を裏切らず貴族であり、兄妹に貴族がどういうものかの見本となることになった。

ダグラス家が隣国バーンシュタインにおい代々インペリアルナイトを輩出する名門という程度は知っていたので、良い方の手本に。

ちなみにインペリアルナイトとは隣国バーンシュタインの第一近衛騎士団の騎士を指す名である。

彼らは大陸最強の呼び名も高く(実際は個々の能力では世界最強と言っても問題はない程の実力者のグループらしいが人員が5人程度になる事さえほぼ無い事と実際に戦場に出ることが少ない為そこまでの評価を与えられるには至っていない)、その選考基準の厳しさからメンバーは多くとも数人、不在の時期もあるという。

ジュリアンもそんなインペリアルナイトを目指しているのだろうかと思いながら、ティピは他の面々を観察しながら山道を行くジュリアンを上空から見つめた。

一緒に行動すると言ったジュリアンは特に何か話すというわけでもない。

ルイセが話し相手だったティピが空へと上った為、一人新たな連れに配慮して間を持たせようと話しかけて見たり兄やウォレスとも話すよう促すが、男三名は話を盛り上げるつもりなど欠片もなく無駄に終わっている。

(何かわかるような気がするって言ってたけど、こんなんで何がわかるって言うのよ?)

今度は考えに耽りだしたジュリアンに、ティピは頭をかくとルーチェの指示を受け山小屋を偵察に向かった。

後ろでルイセに呼ばれた気がしたが、気にしない気にしない。

別ルートを使い逃れる為には一旦王都に戻るしかなく、そちらへ向かうよりは橋が直るのを待つ方が早いからだろう、サンドラの魔道書を盗んだ者達はまだ山小屋にいた。

「お前は!? こんな所まで追ってきたか!!」

しかも、相手の方が怪しい行動をとってくれたお陰で探りをいれる必要もなく倒すだけでよいという幸運続き。

ジュリアンという彼らではどうにもならない相手を加えたルーチェ達は勿論一人欠ける事無く勝利を収めた。

ただ…このまま王都へ向かっても野宿しなければならないし、村で宿をとってまた女将達に捕まるのは嫌だとその日はそのまま山小屋で過ごす事になった。

「マスター喜んでたよ♪」

ホムンクルスには創造主と意思疎通を行う能力が備わっている。

その能力を使用し、山小屋へと入ってすぐサンドラへ魔道書の奪還成功を報告したティピがXサインをしてみせて、すぐ肩を落とした。

「でもあんまりあぶない事はするなって釘刺されちゃった」

「サンドラ様もお前達が心配なんだろう」

男達が直前まで使っていたのですることも無く壁にもたれていたウォレスが兄妹に言う。

「お前達はどうも危なっかしいからな」

「そうそう。私がついてなかったらどうなることか」

「年寄りらしい言葉だな」

「どーいう意味よ!!」

返事に詰め寄るティピを無視しながらルーチェは山小屋を出ていく。

山小屋では、残ったルイセがウォレスにフォローをしようとして、当のウォレスがガキの言葉など全く気にしていないのにきょとんとしていた。

外に出たルーチェの視界に、すぐにジュリアンが入る。

ジュリアンは何か考える事があるらしく、一人山小屋へは入っていなかったのだ。

小休止を終え、無心になろうと一人剣を振るっていたのだが、扉を閉める音を聞いて振り向きルーチェと視線が交わされる。

ティピに耳を引っ張られた間抜け面にジュリアンはなんともいえない顔をした。

「あ、ジュリアン聞いてよ!!
こいつってばあいかわらず調子に乗って失礼なことばっか言って」

耳を引っ張りながら告げ口しようとするティピの頭を掴んで、ルーチェは放り投げた。

「きゃっ…ちょっとアンタ、何すんのよ!!」

「お前が告げ口する相手はサンドラだけで十分だ」

「アンタが何もしなきゃ言うこともないわよ」

「そう、寝る間も惜しんで告げ口に励んでくれ」

その時、ルーチェ達はそんなはずはないのだが、血管が切れるような音がしたような気がした。

「ティピちゃーんっキィィーック!!」

ティピのキックを手のひらで受け止め、ルーチェはジュリアンへ歩み寄る。

ジュリアンの表情が嫌そうなものに変わると足を止めた。

「騒ぐつもりなら別の場所に行ってくれないか」

視線が気になったわけではない。単にそこがなんとなく座りやすそうに思った位置だったからだ。

ルーチェは草むらに突き出した石にもたれ掛かり空を仰いだ。

青い空が目に移り、少し横へと顔を向けるとジュリアンが少し邪魔だったが、遠くまで連なる山々が見えた。頷く。

「うん…やはりここがいいな。ああ…俺のことはお構いなく。続けてくれ」

「…変な男だな。お前は」

勝手な男の態度にため息をついてジュリアンはまた剣を振るい始めた。

日差しは強いが心地よい風が吹く中、ルーチェは山の間を飛んでゆく大きな鳥や流れていく雲を眺める。

その横でジュリアンは剣を振るい続けた。一度集中すれば横に誰かいる事など気にならない。

悩みも次第に頭から消え、ただ剣を振るい続ける。

次第に汗をかく程に加速してゆくジュリアンの剣舞とそれを全く気に留めず足に根でも生えたようなルーチェを見るのに飽きて、ティピは先に小屋へ戻った。

片付けられたとはいえ、ほんの2、30メートル程先に死体が転がっていた場所でよくもまぁ寛げると少々呆れてもいた。

ルーチェの中途半端に着られたジャケットの上に蝶がとまった。グローシュが風で微かに揺れながら空に上ってゆく。

お目付け役として、放っておくわけにもいかないかとティピが戻ってきてルーチェの頭に乗る。

蝶が逃げてしまい、観察していたルーチェは心の中でため息をついた。頬杖をつく。

次第に日が動き、陽気にティピが寝ぼける頃には夕暮れが迫り…ジュリアンの動きが止まった。

「…いつまで俺達といるつもりなんです?」

剣を収め、息を整えていたジュリアンはふいにかけられた質問にすっかり存在を気にしていなかった男へ顔を向けた。

ティピが突っ込みを忘れあくびをすると…風が吹き、煽られる髪を直しながらジュリアンが答えた。

「できれば答えが見つかるまで、と思っていたが…私と旅をするのは嫌か?」

「アンタねぇ…ジュリアンがいたから今日だって凄く助かったじゃない」

「いいかどうかだ。俺達といるより動き出せば」

こいつは全くどうしようもないといいたげにティピ寝惚け眼をこする。

戦闘で役に立つ能力が全くないティピは、邪魔にならないよう横で見ているしかなくて少し離れた場所を飛んでいる。

だから、見ていてジュリアンがいなかったらやばかったんじゃと先ほど思ってしまったのだ。

魔道書奪還のための戦いで流れた血はまだ雨で流されておらず、ルーチェの座っている場所からは目立たなかったが山小屋の周りは所々が赤く染まっている。

歴戦の兵であるウォレスだって、強力な魔法を扱うルイセだっているのだ。

自分でルーチェ達3人の実力をちゃんと理解できていないとはわかるのだが…戦闘の後視界に入った赤い地面を見てしまえば、ティピはジュリアンがいなかったらここにはコイツの血も流れていたはずだと思わずにいられなかった。

ティピに一瞬だけ、ルーチェは視線を向けたがすぐにそれは心なしか悲しそうな表情をしてみせたジュリアンに戻された。

暫くして言葉が足りなかったとでも思ったのか、ルーチェは言う。

「……答えはもう出てるんだろう? ジュリアンが助けた人々のお陰で。
俺達といてもお前にしてやれる事はない」

「え?」

言われた言葉に、思わず間の抜けた声を上げるジュリアンを見つめる色の違う双眸には不可解さと少しの情が垣間見られた。

「自分の答えに自信がないか?」

言うと、ルーチェは呆気にとられた顔をしたジュリアンから、遠くに見える山々へと視線をはずした。

すっかり目も覚め、そんなルーチェにどう言えばわかるのかと、自分のいいたい事がまとまらずにティピはいらいらしたが、生まれて間もないティピの口からすぐに言葉は出なかった。

「…話を聞いてもらっても構わないか」

ティピが二人の頭上でいらいらしている間に考えてジュリアンが口を開く。

「日が落ちきるまでまだ時間もある…言えば嫌でも聞こえるさ」

いいながらも視線を戻さず山を眺めるのはルーチェだが、ジュリアンは構わず自分の過去を語りだした。

昨日はよく眠ったし、剣を振るい続けて頭は思ったよりもすっきりとしていた。

ジュリアンの視線は、過去を思って虚空へと向けられる。

「…私の父は長年バーンシュタインでインペリアルナイツを努めた人物だった。
当然私もそうなるものだと幼い頃から厳しくしつけられ、訓練を続けられた」

半分程嘘だなとルーチェは思ったが、遠くに見える見事な山々とその側を飛ぶ立派な鳥を見るのに引かれていた事もあり、口には出さなかった。

「元々素質があったのか、私の剣の腕は父を唸らせるほどであり、礼節、学問も私は父の期待に応える為に必死に学んできた。
私の努力に対する父の喜びようはすさまじかった…それと同時にそんな父が喜ぶ姿を見て私もさらに努力を続けた」

言葉が止まったのを機にルーチェは一瞬だけ盗み見る。

ジュリアンの面は悲しみに包まれていた。

それが嫌な表情だと少しでも思った自分に、ルーチェは奇妙さを感じる。

自分はルイセとサンドラが大事でこんな顔をされて嫌に思うのは二人だけのはずではないのかと…しかし今はジュリアンの話を聞く時ですぐに頭の隅へ疑問を追いやる。

周りに事実上二人しかいない状態から一気に人の数が増え、片時とはいえ他人と行動する。

何気に影響されやすい自分をルーチェが認めるのはまだ先の話だった。

「だがそんな日々も長くは続かなかった。父に……本当の息子が生まれるまでは」

血を吐くように語るジュリアンに言ってやる言葉もなく、二人は大人しく続きを待つ。

もっとも、ルーチェはまた景色を見るのに夢中だったし、単に弟が生まれればしっかりするよう躾けられるのは仕方ない事と、大した事と受け止めなかったからだが…それが思い違いだという事は、ジュリアンが続きを語ればすぐに理解させられる。

「それ以来父の目は私などではなく、常に実の息子へと向けられ…二度と私に向けられる事はなかった。
私のこれまでの努力はなんだったのか。父の期待は。父にとって、私にとってなんだったのか」

きつく握り締められた剣へ移った視線にティピは釣られた。

「…気がつけばこの剣を手に屋敷を飛び出していた」

(子供に比べ、親が無能だったか)

インペリアルナイトを勤めていたのだ。社会的に素晴らしい人物なのだろうが、親としては無能だとルーチェは思った。

そんな感想を求められているわけでもないので言わなかったが。

「終わりか?」

ルーチェも家族二人の為だけに剣を持っていた。

今の自分がもし二人から拒否されれてもこうなるとは思えないが、人の身の上話を聞くと情が移るという。

聞くべきではなかったかなと胸中で言う自分を無視してルーチェはそっけなく言った。

初対面の相手には失礼のないようにと教育されているが、守っていないなとどこかで思いつつ…その表情は消されており、能面のようだった。

ティピとジュリアンが立ち位置の違いか表情を見て別の感想を持ったという点で。

ジュリアンは暗い面持ちではあったが、目には微かに輝くものがあった。

「私の答えはまだ、纏まりきらない…今はお前の考えを聞いてみたい」

「参考にするならウォレスが良いだろう。俺は個人的な理由で剣を持つ」

そっけなく答えるルーチェに対し、ジュリアンはあくまで真剣だった。

「構わん。私はお前の考えが聞きたい。お前はは何の為に剣を持つ。何の為に力を振るう?」

ルーチェは答えに困った。

真剣なジュリアンには返事をしなければならない。

だが…サンドラに筒抜けのティピが頭に乗っているのに真剣に答えるのは少し嫌だった。

思ったところで仕方のないことだが。

「ルイセとサンドラ。二人の為だ。俺は大事なものを守る為にしか戦わない」

一度言葉を切り…昨日のことなどを思い出して付け加える。

「…はず」

こんなことを言う気はなかったはずが、と思うルーチェの頭には二度の戦闘とその後の事が思い出されていた。

(初めて家を出た日の夜と昨日。無視しても構わないはずなのに、俺は戦ってしまった)

昨日の戦いはウォレスに言わて戦ったが、人に言われて嫌々戦うような人間でない事は自分でよくわかっているつもりだ。

ルーチェの言葉に怪訝そうな顔を作っていた二人は能面だった面に、少しの間ハッキリとした嫌悪と不可解さが見た。

ちょっとしか共に行動をしていなかったが、そんな顔をする男とは思っていなかった二人は驚いて目を見開く。

「…俺はもっと、…そう、気軽に剣を持つようになるかもしれない」

(…外に出て、俺は変わってしまうのか?)

いい終えたルーチェにジュリアンはまぶたを閉じ、一度頷いた。

「そうか…私は、どうすればいいと思う?」

真剣な顔で聞いてくるジュリアンにルーチェはため息をつく。そして、家族だけの時、ルイセに言い聞かせる時の様な…ようは地声を出した。

「…俺の愛人は俺に、俺の思うままに振舞えと言った」

「愛人ってアンタ…誰よそれ!?」

騒ぐティピの横で、ジュリアンは驚いた。声はつい先程までとは全く違う印象だった。

とても心地よい、安心させる力があった。自分を駄目にするような危険さがあるとも感じながら、耳を傾けずにいられない。

「ジュリアンもそれでいい…ジュリアンの答えを言ってくれ。俺は祝福する」

そのまま暫く何も言わず。二人も何も言わずにただ空が紫に染まり夜が来るのを眺めていた。

そうしてやっと、ジュリアンが重い口を開く。

「私は…私は人々の為に剣を振るいたい。力ない人々の剣になりたい」

「それでいい」

ルーチェは頷いた。

「…ありがとう。今日は久しぶりにぐっすり眠れそうだ」

ジュリアンは透き通った笑顔を口元に浮かべて、続ける。

「必要ない。俺は何もできていない」

また素っ気無い声にもどしてルーチェはジュリアンに背を向けた。

自分の出した答えに納得し、心に留めていたジュリアンは小さく笑う。

ルーチェはジュリアンに背を向けて小屋へと向かう。先ほどから、小屋からはおいしそうな匂いがしていた。

「もう戻るぞ」

歩いていくルーチェの頭にしがみつきながらティピは言う。

「アンタさぁ…もうちょっと言葉遣いとかどうにかならないの?」

ルーチェは何も言わずに小屋に戻るとウォレスとルイセが作った夕飯を食べた。

自分達で倒した相手の残した食料で食事をするのはウォレス以外初めての経験だったが、特にその事を気にすることも無く食事を終え、何事もなく夜を迎え、山小屋で眠りについたルーチェはすぐに眠りについた。

疲れがあったかと聞かれれば別にないのだが、眠ろうとすればすぐに眠ることができるという無駄な特技を持っていたルーチェはルイセの横で転がると三秒ほどでその状態になる。

そして、夢を見始めた。

夢は先日見たサンドラの研究所から始まる。

辺りは暗く、闇夜を昇るグローシュの輝きが美しい。

雲に隠されていた月が一瞬姿を見せ、光の中に銀色の甲冑…創造主の姿を意匠化したような、そんな恐ろしげな印象を与えられる鎧兜に身を包んだ二人の男が照らし出された。

二人は研究所に入ってゆく。見回りの兵は全く気づかず、研究所の門番を勤めていた兵は二人の靴裏を赤くする役割に強制変更されていた。

夢らしく、奇妙に上ってゆく視界は二階へと昇ってテラスで失った文書の作成に夜更けまで狩り出されているサンドラの姿が見えたところで…ルーチェは目を覚ました。

寝ている仲間を起こさないようにする余裕さえ無く、顔に手を当てる。

体には、久しくかいた覚えの無かった汗が噴出している…夢見の悪さに口元が歪む。

先ほどの夢。昔から時折見る、他人を客観的に見ているような夢は今となっては、創造主である獣との関連性もだが現実に今起こっている事なのだと感じていた。

「お兄ちゃん?」

「どうした?」

隣で眠っていたルイセと鋭敏な感覚を持つウォレスが気づき、声をかける。

「ルイセ。今すぐローザリアへ戻るぞ」

「え?」

「サンドラが襲われている」

「ええっ?」

ルイセがルーチェが言い出したあまりの事に理解できずにいる間に、ルーチェはティピを指の先で弾いて叩き起こす。

よだれを垂らして眠っていたところをたたき起こされ、ティピは床を転がった。きょろきょろと叩かれたところを摩りながら見回す。

「痛ったー!! 誰だーっ私にこんな真似するのは!!」

「ティピ、サンドラに連絡を取れ。下に襲撃者がいないかどうかだ」

「アンタね。私を叩き起こすわマスターのことはあいかわ痛ったー!!」

ルーチェにまた弾かれて、ティピは床を少し転がった。

「起きたか? まだ眠いなら次はもう少し強く弾くぞ」

「もうっ!! わかったわよ!! …マスターに言いつけてやる」

「騒がしいぞ」

久しぶりの安眠を邪魔されて不機嫌そうなジュリアンを無視してルーチェはティピからの返信を待った。

「えーっ!?」

ティピが叫んで飛び回るのに、ジュリアンの不機嫌さは更に増したようだが、誰も相手にしない。

「いるって。なんか白っぽい変なのが二人」

「サンドラにすぐ向かうと言ってくれ」

ルーチェは立ち上がり、布団代わりにしていた紅いジャケットに両手を通す。

只ならぬ雰囲気を感じたのか、ウォレスとジュリアンも自分の武器を手に取り、上着と荷物を持った。

特にウォレスは、白っぽい二人組みに自分を襲撃した二人組みを連想したのか、とりわけ早い。

せまい山小屋であった事が幸いした。

皆同じ部屋にいた為起こす手間は省け、本当なのと確かめるルイセのお陰ですぐに救援に迎える。

「ルーチェ。一体どうしたんだ? 俺達にも説明してくれ」

「ローザリアで母が襲撃される夢を見た」

ウォレスが一瞬自分の聞き違いかと思ったのも無理はないが、一応確認も取りそうらしいと言うことで一言聞くに留める。

そうでなければルーチェの頭を疑いつつ寝なおす所だが。

「お前、予知夢が見れるのか?」

「ああ、時々だが」

ジュリアンとウォレスの頭に疑問符が浮かぶ。

ルイセは周りの様子にやっと自分の荷物を持った。

「にわかには信じがたいが、信じるしかないか。
だが、ココがいくら王都から一番近い村だと言っても、王都までどれぐらいかかる?
ここからで間に合うのか?!」

「問題ない。ルイセ、頼む」

「え? な、何を…?」

「テレポートだ」

「ええっ!? わ、私、できないよ!!」

不意打ちで言われたことにルイセは、目を白黒させながら返事を返した。

それもテレポートが現在人が使える最高位の魔法だという事を考えれば当然だった。

テレポートはグローシアンのみが使用でき、特に力の強いものならば数人を一瞬で離れた場所まで送ることができる術だが、残念ながらルイセはまだ覚えていなかった。

というより、確実にできると言えるのは一番簡単な魔法であるマジックアローだけなのだが。

魔法学院は研究が主となる場所。魔法は学生には簡単なものしか教えていない上に、テレポートができる人間自体ほとんどいない。

五人も、となれば皆無だった。

「そう取り乱すな。ルイセには使う力は元々ある…今使えなければサンドラが死ぬのだから、使うしかないだろう?」

後半を、無茶だとルイセを庇いに入ろうとする周りへと言って、ルーチェはルイセの反応を待った。

「む、無理だよ…私まだ、マジックアロー以外の魔法、学校の講義でしか使ったことないし…テレポートなんて」

涙を滲ませて言うルイセに周りが焦りだし…ウォレスの顔にさえ汗が若干出初めても、不思議と焦りはなかった。

ルイセの髪を撫でながらルーチェはその小さな額に自分の額をあわせて言う。

「自信を持て。自信さえ持てば、お前の力は無敵だ。テレポート位容易い…母さんを早く助けないとな」

「………うん。お母、さん…死んじゃやだよ」

泣きだしたルイセからグローシュの動きを感じる。

まだ焦る周りをよそにルーチェは喜んだ。

「お母さん…!!」

テレポート発動の瞬間を見ながら。

意識が途切れる。











再び意識が戻ると、そこは先日入った研究室の中だった。

目が不自由なせいで何が起こったのか気づくのが遅れたウォレスと初めての体験に驚くジュリアンを置いて、ルーチェはルイセを褒めてから急ぎ階段を上がる。

二人もすぐに走り出した。二階には何も異常は無く、ただ凄い量の本が並んでいるだけで勿論テラスにサンドラの姿も無い。4人は屋上に向かう。

屋上から、ぱしゃんっぱしゃんと微かに水音がした。

強い夜風に頬を撫でられ屋上へとあがる。ぱしゃんっ。ルーチェ達の足も水音を立てる。

「gu゛…力が」

襲撃者の内一人が呻き、肩膝をつき、それを一瞥してもう一人は足を止めた。

「お母さん!」

「貴方達どうして…」

水の豊富なローザリアの建築の特色で、町も城も屋上や塀の上、屋根の部分などいたる所に水を流す様式が取られているのだが、この研究所もその例に漏れず…Пの形をした研究所の屋上は、水が張られていた。

サンドラはПの字の右下、四人から最も離れた場所にいた。Пの字の左下に出た四人が合流するには異形の甲冑を来た襲撃者を相手にしなければならない位置。呼び合う親娘の間を10mに満たない空間が阻んでいた。

ジュリアンならば十分超えられる距離だったが、ジュリアンは前へ向けて走った。

襲撃者二人はジュリアン以外が相手をするには重い相手だと判断しての事。一人を相手する間にもう一人がサンドラへ向かう事も考えられたが…膝を突いた仲間を気にして足を止めた事からそれはないとジュリアンは考えていた。

「奴らの相手は私がする。お前達は援護してくれ」

どういった理由で膝を突いたのかはジュリアンには知る由も無いし、考慮する気もない。早く倒さなければサンドラへもう一人が向かってしまうのだから。

ゆっくりと立ち上がる仮面の一人へジュリアンは切りかかった。咄嗟に剣で防いだ男へ予定通り胸部を蹴る。

熱病にかかったように足元の覚束無い襲撃者へはそれで十分だった。体勢を崩した仮面の男の肩口を狙い剣を振り下ろし、ジュリアンは途中で飛び退く。もう一人が振るった一撃が描く軌跡が一瞬闇に浮かんだ。

退かなければ確実に負傷しただろう。ジュリアンは気を引き締める。

「親の脛を齧ってばかりいるからこんなことになる」

声は綺麗なソプラノ…女性の声だった。相手を怯ませる凄みも何も無い、場違いな印象を受ける。

「貴様…女か」

ジュリアンは多少の驚きと共に呟いた。ジュリアンの切っ先が鈍ることは無いが。異形を模した甲冑を身に着けた女はジュリアンへ視線を向けようともせず、ルイセとルーチェを見た。

「マジックアロー!!」

屋上に張られた水が飛び散り、頭ほどありそうな光の矢が女へ向かう。

「ふぅん…」

ルイセが放った魔法を無視して女は同時に切りかかったジュリアンへと剣を振るう。マジックアローが放たれる事は、ルーチェを見ていて分かっていた。

「少しだけ相手をしてあげる」

ジュリアンの剣を二度三度と剣、あるいは甲冑で防ぎながら、女は魔法を食らわないようジュリアンへ接近した。

その脇をルーチェとウォレスが抜いた。舌打ちしてもう一人が立ち上がる。切り込んできたルーチェの一撃を防ぐために。

沸きを抜けていくルーチェを眺めながら出された女の剣を弾き、ジュリアンはそのまま突く。

相手の一撃を強引に反らすのと同時に無防備になった敵へと踏み込んでいくその一撃が防がれる事はそうないのだが、女は身を低くして剣をかわした。ジュリアンの懐で女は握りこんだ拳を左わき腹へと叩き込む。

お返しとばかりに目を見開くジュリアンへ向けて出された拳は空を切った。ジュリアンは避けられた時点で更に床を蹴り左前方へと逃れていた。

ぴしゃんとジュリアンの足元で水が跳ねた。立ち位置を変えて、二人は向かい合う。

(捕らえて黒幕を吐かせたかったが、殺さないよう加減できる相手ではないか…)

横からサンドラの魔法が援護に入るが、女はそれを避けるようにジュリアンへと突っ込んだ。

もう一人へ襲い掛かるルーチェ達の方が楽をしていた。ルーチェとウォレスに押される程度の、ジュリアンとやりあうほどの腕は無い相手だからだ。

ウォレスの義手がかわされ、ルーチェの剣は甲冑で守られた肩で防がれる。敵が肩で剣を流す前に、ルーチェは足を踏み顎を殴った。

男の動きが一瞬止まるのを、ウォレスは逃さずドロップキックを入れて吹き飛ばす。

「うわぁ…! ウォレスさんやる〜!」

ドロップキックを叩き込んだ後しっかりと着地するウォレスに、ルーチェの傍を飛ぶティピが口笛を吹いた。

「さっさと片付けてジュリアンの援護に向かうぞ」

ウォレスの言葉にルーチェは頷いた。以前見た夢が、思い出される。

ルーチェは正面から相手の剣目掛けて剣を振るう。相手に止めさせた。これでいいとルーチェは一瞬釘付ける為剣を押し込む。

その間にウォレスが長い髪を振り、相手の右側に踏み込んだ。拳が振るわれ相手が肩当手で受けるのを見るより早く、ルーチェは動いた。

(確か、ウォレスなら…あの男なら)

ルーチェは、左から弧を描くように回り込む。

ちょうど、少し奥…気に入る場所に水面に映る月が見えた。左の手で、ルイセへと合図する。

「ルイセ。マジックアローを」

戸惑ったルイセの返事は、ウォレスの出す打撃音と踏み込みが生み出す水音にまぎれた。

拳に飛ばされ、襲撃者がルーチェが回り込んだ位置に飛び込んでくる。

ルーチェはその場で回転し、遠心力を込めた蹴りを相手の隙だらけの横腹へと突き刺す。

蹴り飛ばされる襲撃者の前には、ウォレスが踏み込んでいた。義手がフェイスガードの上から襲撃者を殴りつける。

受身も取れずに転がって、彼は水の上を滑った。水に映った月が隠れ、脳を揺さぶられ一瞬意識が飛んだ襲撃者がのろのろと動いて…ルイセのマジックアローが襲撃者を冗談のように吹き飛ばした。

勿論、ウォレスとルーチェはゴミのように水面を跳ねるそれを追い、ウォレスは壊れかけたフェイスガードを踏み潰し、ルーチェは剣を突きたてた。

一瞬だけルイセを見ると、ルイセは頷いて駄目押しのマジックアローを放った。

二人はそのままジュリアンを見る。両者に傷は無いが、これで5対1。女はそれを知ってため息をついた。

「観念しなさい!! フフフ、今なら命だけは、助けてあげるわ」

ルーチェの傍を飛ぶティピに言われて、女は剣を納めた。

「もう少し待って欲しかった…やれやれ、困ったわね」

「マスターを狙ったわりに…ああ!!」

ティピが更に言う間に女は走り出す。サンドラとルイセの間にある屋上の隙間へと。「待て!!」気づいたジュリアンが追うが、女は隙間を飛び越えサンドラへと水を跳ね飛ばしながら着地し…サンドラを盾にするかと思われたが。

異形の甲冑女は更に走った。そちらは塀の先には何も無い。ここは城の端の一つでもあったから、すぐに城壁がありその先は堀と森が広がるだけだ。

しかし女は跳躍した。驚く5人の前から素晴らしい跳躍を見せ、城壁を飛び越え、森の木へと着地する。

しなっていく木が折れる前に、甲冑女は次の木へと跳躍し、またしならせて…森の闇に消えた。

「何よ、あれ?」

口元を引きつらせたティピの言葉に皆も呆然とした。ジュリアンでさえ。

「皆ありがとう。助かりました」

だが、怪我をしたのか腕を押さえて礼を言うサンドラに、皆我に返る。ルイセとティピが駆け寄った。

「でも、どうやってここに?」

最もな疑問に、おずおずとルイセが報告する。

「お母さん。あのね、テレポート…できちゃったんだ」

娘の成長に、サンドラの顔に笑顔が広がった。

ウォレスとジュリアンはそれを少し見て、倒した襲撃者へと向かい…ルーチェは、女が去った森を見続けていた。











その数時間後、ルーチェは不機嫌だった。

ルイセがテレポートをするまでは上機嫌だったのだが、最低の気分だ。

あの後、ルーチェ達は負けてしまったのだ。

最初、襲撃者二人の内一人は倒したが、一人は逃がしてしまったが、5人はサンドラを無事守れたと思った。

剣を振るう目的を見出したジュリアンは、更に腕を磨くと共に目標達成に向け行動を起こす為に去ったのも解決したと思ったが故の事だったし、残る四人がジュリアンの目標が達成されるのを願いつつ短い旅の話で盛り上がったのもそう思っていたからだ。

だが、それは彼らの楽観でしかなかった。

特にルーチェは、襲撃者は創造主が送り込んだであろう事も知っていたというのに…軽い怪我ですんだと安心していた。

今、サンドラはジュリアンが去ってすぐ倒れて意識が戻らない。

「安心せんか。今用意できる最高の薬を持ってきてやったんだからな」

「わかったから、さっさとマスターを助けてよっ!!」

ルーチェの目の前。ティピがビシィッとサンドラを指差すと、医師は少し気を悪くしながらサンドラの症状を見て薬に手を加えていく。

医師の気休めは、二人に安心を与える事はできなかった。

「うぅ…お母さん、大丈夫だよね?」

寝台に眠り、夜中に叩き起こされたにもかかわらず文句も言わず診てくれる人の良い医師の背を見ながら、ルイセが聞いた。

ウォレスは席をはずしており、ここには医師と兄妹しかいない為か、その声はよく響いた。

「当たり前でしょ!? マスターがこれくらいで…」

サンドラが倒れてしまってからずっと涙を溜めている妹の肩を抱きながら、ルーチェは無理だろうなと思っていた。

ティピは心配で見ていられないのか、部屋の中を飛び回っていて少し煩わしかった。

ルーチェがそう思う理由は、解毒の魔法やすぐに手に入る解毒薬で治る程度の毒なら、あの襲撃者は逃げたりはしないはずだからだ。

一人はジュリアンが倒した途端溶けてしまったことから、一先ず襲撃者は死体の肉を使って作成するゴーレムの一種、フレッシュゴーレムだと判断したが…フレッシュゴーレムなら、状況を正確に判断する事などできずにサンドラを殺そうとする。

そして何より、あれはウォレスを襲った者と同じ格好をしていたのだから、自分と同じ顔をしているのではないかと、ルーチェは考えていた。

もし、あの襲撃者もルーチェと同じく創造主から生み出された存在なら…もし自分なら、サンドラが助かるような状態で引くわけが無い。

「痛っ、お兄ちゃん…痛いよ」

「…すまない」

知らず知らずの内に力を入れていた腕から力を抜く。

ルーチェは医師の様子を見て、どうやら予想通りになりそうだなと察した。

「ルイセ、あの医師が使っている薬より良い薬はあるのか?」

「ぐすっ…ううん。
あのお医者さん、この国でも有数のお医者さんらしいから…多分、無いと思う」

ルイセの返事を聞き、ルーチェは一先ずルイセを椅子に座らせた。

自分のジャケットを掴んだままの妹を落ち着かせるように、背を撫でてやりながら考える。

創造主が作り出したであろう毒は今の人間の技術では解毒できない。

では、もっと高い技術をもつものでは…?

サンドラが咳き込む。

「マスター!? ちょっとアンタ、血が出てるじゃない!
なんとかできるなら早くなんとかしてよっ!!」

「止めておけ」

泣きながら医師に詰め寄るティピに釘を刺す。

ルーチェはジャケットをルイセに掴まれたまま、医師に聞いた。

「サンドラは後どのくらい持ちます?」

「一月、倒れる前と同じ状態と言うならこれが精一杯だな」

医師は率直に答えると寝台から離れた。

表情には、隠そうとしていたが不機嫌さがにじみ出ている。

もう初老だろうに、皺がひとつ増えることになりそうな苦々しい顔で医師はルーチェに寄ると言った。

「私の薬が症状を遅らせる効果しかないとは、屈辱的だ。
私はこれからサンドラ様を治療する為に全力を尽くすつもりだが、許可してもらえるかね?」

「構いません。だが、(わかっているとは思いますが)体力を無駄に減らす事は許可しない。
屋敷の者には言っておきます…俺は他の手を捜してみるつもりですから」

ルーチェは後半をティピに向かって言う。

「ふんっ…その前に私が治してやるわい。私は帰るぞ」

今やれる処置は終えたと、一度自分の家に戻ろうとする医師を送り出す為一度ルイセをサンドラの傍につれて行き、屋敷に数人いる召使いの一人を呼んだ。

まだルーチェに馴れず、表面上はともかく及び腰で対応する召使に送り出すよう言って、ルーチェはサンドラの枕元にいるルイセの側へ戻る。

別室で待っているウォレスにちゃんと説明しなければならないが、今ルイセと話すことと先日会ったウォレスと話すことでは比べるまでもなかった。

カーペットに膝を突き、寝台の母を伺うルイセの表情を見て、ルーチェはこれからのことを話すことにした。

あいかわらず涙ぐんではいたが、倒れた直後と比べれば落ち着いたと判断したからだ。

「ルイセ。俺はサンドラを助ける為に少し旅にでようと思う。サンドラについているか俺と共に探しに行くか…どちらにする?」

ルイセの横に膝を着き、聞く。

「うぅ…当てはあるの?」

少し悲観的な目でルーチェを見るルイセとティピ…

「フェザリアンの高い技術と知識ならサンドラを助ける事ができる。
その為に、まずアリオストという男を訪ねるつもりだ」

高い技術を持っているというだけで助けられるとは限らない。

だが、沈んだ二人には確実に助けることができるようにルーチェは言った。

「なぁんだ!
それならあんな医者連れてこないで最初からそうすればいいじゃない!」

ティピはそれにうまく乗って調子を上げたが、魔法学院でその辺りの事もしっかりと習ったルイセはだませなかった。

返事を聞いてすぐ、悲観的だった表情は悲しむだけを通り越して絶望しているように見える。

「でも…フェザリアンが人間を嫌ってフェザーランドに逃げ込んだから、会うこともできないよ?
アリオスト先輩の研究がうまくいったって話も聞かないし…」

西の岬から見えるフェザーランドに行った人間はいない。

アリオストの熱のあげようから、ルーチェもそうだろうなと考えていた。

フェザリアンに対する知識を少なからず持っているがゆえに絶望するルイセを安心させる為、ルーチェは保護者が幼子を落ち着かせる時のように優しく小さな手を包んでやる。お互いの額をくっつけた。

あいかわらずティピにその表情は伺えなかったが、ルーチェのしぐさに横で見ていたティピは一応は兄をしているらしいと妙な感心の仕方をした。

「心配するな。それなら手伝って完成させればいい。一度そこへ行けばルイセのテレポートで行き来できる」

「アンタ…無茶言うわね」

自分に向けられた二つの呆れた顔に、ルーチェは顔色を変えずに答える。

「好きではない。が、無茶をやればサンドラが助かる…ルイセ、お前はどうしたい?」

「行く、お兄ちゃんとなら…なんとか、なるよね?」

少しは元気を取り戻した妹に頷き、肯定することで更に元気付けてから、ルーチェは早く休むようにと言って部屋を出た。

ウォレスにも同じ説明をし、サンドラの信頼を得ている侍女にも伝えて明日の用意がいるのだ。

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