豊かな大地があった。
他の星を隠すほど明るい星に照らされ、植物が大地に緑を始め新たな色を加えた。
そこへ何の前触れもなく、人々はやってきた…大地から金色の粒子を舞い上げるものへと変えて、虚空から。
その人々が大地に住み着き千年。
魔法、科学を始め、発達した文化を持っていた人々は内乱も含め何度も争った結果、今は三つの国家に分かれて暮らしている。
その三国家の一つ、肥沃な土地の多い西側半分を国土とするローランディアの、最も西にある大都市であり王都でもあるローザリアで、青紫の長い髪を風に靡かせながら美女がため息をついた。
名はサンドラといい、色白で年齢よりもかなり若く見える美貌とグリーンのローブに金の肩当のついたマントによって隠れている体型にも本人は自信を持っているが、10年以上も宮廷に仕えながらの子育てなどで衰えがいつくるものか最近は気にしていた。
とはいえ、今ついたため息はそれとは全く関係のない理由からである。
宮廷魔導師を務めるサンドラは貴族ではなかったが、役職上魔法的に意味のある箇所に金をかけて作られた屋敷をもたされており…屋敷には一部の者しか通れぬ区画に入れぬ離れが存在した。
屋敷の誰もが、そこに何があるのか知っている。
そこには子供がいる。
艶やかな黒髪と、元々白い肌が日に当たらない為、より白い肌を持つに至った艶めかしい子供が。
子供は元は捨て子だったが、輝く金と銀の目という奇妙な容貌をしている事からなされた占いの結果、世界を救う光あるいは世を滅ぼす元凶となるという相反する運命を持つと出た為、処分の話も出たのだが…様々な約束事をしてサンドラが引き取った。
離れもその一つで、結界まで張り巡らされたその区画に入る事が出きるのは、サンドラ本人と娘のルイセ、信頼のおける者が数名程度。
窓もない代わりに良い調度品を、入ることのできぬ陽の代りに魔力の光が照らす離れにサンドラは今日も訪れる。
今は夜、魔力の光は消え、替わって大地から上がる粒子とランプの灯が幽かに金属扉を浮かび上がらせた。
ぐろーらんさー獣道
少し装飾の施された扉の前に立ち止まり、サンドラは一部の城の者や屋敷の者が噂していたことを考えて、もう一度ため息をついた。
『あの離れから何か出てくるらしいわよ』
『ええっ!? あそこって化け物を閉じ込めてあるんでしょ? なんで出すのよ?』
『化け物って、サンドラ様達に聞かれたら怒られるわよ?
大体それは噂でホントは…』
勿論、言った相手は適当な理由が起きるように仕組んで退職してもらったが。
今頃ろくでもない目にあっているだろうが知ったことではないとして、聞かれているとも知らずに話し込む薪にもならない枯れ木達はどうしたものやら。
『明日、小娘の忌み子が外に出されるらしい』
『・・・?
わしはあの魔女は、実験にでも使って殺す為に引き取ったとばかり思っておったぞ』
『ふん・・・監視と処分する為の用意はするよう言っておいたよ。王達は最後まで反対したがな』
やはり公であの子をぞんざいに扱わなければならないようだ。
弱点だと知られては最近富に王に贔屓にされている自分の事、爺達は何を言い出すことやら。
・・・娘のルイセにも外ではべたべたとしないよう言わなければならないのかもしれない。
(明日は記念日になる予定が厄介な事です)
扉を開き中に入る。金属製の扉は常よりさらに重く感じられた。
そこで、眉をひそめる。
普段よりも廊下が明るい・・・廊下を明るくした火の残りが、微かに廊下を明るくしていた。
この離れ、実際は檻の主はどのような方法を使ったのか、殆ど明かりを必要とはせず。
逆に、常は昼でさえ陽の代わりとなる光を切り、館の中は魔力を秘めた品が微かに光を放つだけであったりする。
そんな離れの館で、廊下を明るくしたという事は今のようにサンドラがくる時かあるいは、ルイセが来たという事だ。
サンドラは少し眉を顰めた。
これならランプは必要でなかったというのが半分。
もう半分は、
(今日も来ていたの・・・私もここ一週間ほどこれなかったのに)
魔法学院…何の後ろ盾もなく入れる上に最高学府の一つであるサンドラの母校は基本的に寮制である為
、そこに通っていたルイセはこの数年間満足に会えなかったとはいえ、まさか毎日毎夜来ていたのではないかと勘ぐる。
それは勘だったが、確信している。サンドラが同じ立場なら多分それに近い行動をとるからだ。
廊下を急ぎ、少し乱暴にこの檻のような館の主の間へと入る為の扉が開かれる。
何箇所か乱雑に積まれた本の山と体を動かす為に空けられた場所、そしてベッドなどの置かれた部屋。
豊富に与える書物はあいかわらず下から戦に関係すること、学問、魔法関係、そして自然に関するものといった順に積まれている。
時折下にあるものも思い出したように読むものの、与えられた本人は外に憧れており写実的な風景画の描かれた画集などが自然上になっていた。
それはいつもの事だからよいのだが…部屋を見回し、寝台へと視線を向けると案の定膨らんでいた。
「ルイセなら、寝台に居るよ」
その声にサンドラは視線を移す。
必要があれば男の様にも女の様にも変わる声音が、本来のもので機嫌がよい事がわかる。
声を発した子は、いつもと同じようにサンドラへ眼も向けずに、描きかけの絵の傍らにある寝椅子に寝そべり、時折果実を頬張っていた。
久しぶりに逢うというのに、挨拶さえせずに上半身を椅子の片側だけに伸びた背にもたれさせているし、椅子の上で伸ばされた足が裸足であるのもいつも変わらない。
少し早足で寄っていき、寝椅子の傍に置かれたテーブルの上、果実の器の横にランプを置くと、いつも通り・・・いや何時もより少し強引に片足をのけて椅子に割り込む。
相手は気にもせず、視線を向けぬままであったので、少しむっとしてサンドラはもう少し近づいた。
「ルーチェ、行儀が悪いですよ」
それでも、変わらずサンドラに視線を向けようともしない不遜な息子にサンドラは声をかけた。
「行儀良くか…嫌だね」
何度目かわからぬ注意に、何時もと同じ返事を返す部屋の主の胸の辺りに、サンドラはため息をついてもたれかかる。
微かなルーチェの香り、聞こえる心音、何度目であってもサンドラの頬が少し紅潮するが他にいるのはルイセだけで、寝ているので気にはしないことにした。
「俺はこの姿勢で食べるの、好きだから…サンドラこそ、はしたないのでは?」
果汁で濡れた指を舐めながら、ルーチェもそっぽを向いて何時もと同じように聞く。
まだ目を向けない相手に、毎夜の様に言う意味のない会話をやめて、サンドラはもたれかかったまま、寝台の方へと眼をやる。
暗がりでよく見えないが、そこではルイセが眠っている。
「ルイセは、また貴方の所に眠りに来たのね」
銜えられたルーチェの手を掴み、濡れた指を丹念に舐めながら言う。
「魔法学院に行って少しは貴方離れするかと思っていたのだけど…」
少しの果汁と混ざって、甘い毒のような唾液を舐めとる。
「ルイセはいい子だよ」
そう告げる男の顔が、少し笑みを浮かべようとしているのがわかって。
サンドラは魔力と少しの暗い感情を込めて指に歯を立てた。
形が整いすぎている人間のように見えるが、実の所違うらしい獣に流れる血も甘く感じられた。
「何を怒っている?」
「怒る?私がルーチェを怒る事なんて、あるわけないでしょう」
痛みを感じていないように聞く相手に、やってしまったと血を舐めて返事を返す。
「嘘ばかり…」
子供は笑みを深めながら、もう片方の手でサンドラの髪を撫でる。
撫でながら、舐められていた手をサンドラから取り上げて頬杖ついた。
「まさか明日外に出られるというのも、嘘だというんじゃないだろうな?」
サンドラの事をわかったような気になってどうでも良くなったのか、ルーチェは別の事を聞いた。
「ルーチェは、明日見る事のできる外の世界の方が重要なのですね」
機嫌を損ねるほどの意味がないとは思いつつ、私よりも、とは付けずにサンドラは聞く。
「愚問だな、何年待たされたと思う。ローザリアの魔女様」
「っ…!目付け役は付けますからね」
思わず手を握り締める。
今夜初めて向けられたその目は少量の嘲りさえ含む金と銀…不遜なそれを向けられるのは、我慢がならない。
それにしても、城で言われる陰口の一つを知っているとはどういうことでしょう?
サンドラは不思議に思ったが聞かずにおいた。今度絶対に驚かせてやるつもりだが。
「その手の物は嫌うよ?お義母さん」
「檻から出たばかりの獣には調教師が必要でしょう」
同じような口調で返した事も、火のでるような視線も気に求めていないように、ルーチェは髪を撫でるのをやめて、新たな果実を頬張る。
「監視しなければご老体は納得しないか」
ルーチェももここにずっといなければならなかった事情は聴かされていた。
拾ったその日、世界を滅亡に導く元凶、世界を救う光という相反する運命を持っているとされて強硬な反応を見せた貴族のお陰だと。
だから、その者達は未だ警戒しているのだろうかと聞いてみた。
「老人達も嘘の報告でもくれてやりましょう」
「宮廷魔術師が裏切るのか?」
ルーチェが瞬きをする。
「残念ですけど、既に裏切りました…私は貴方を世界を救う光にも、世界を滅ぼす闇にもする気はありません」
サンドラは艶やかに微笑んで頬に口付けてから言う。今までは言ってはいなかった事を。
「それは初耳…何時から?一体何のつもりで俺を育てた?」
きょとんと、もう一度瞬きをしてからルーチェも艶やかに微笑んで口付ける。
珍しく大きく驚いているルーチェに気をよくして微笑みながら見つめ続ける。
「何も。勿論…最初は光となるよう育てようと思いましたが」
一瞬苦笑するサンドラ。
「貴方のしたいようになさい。外の世界で見聞きして、自分で選ぶのです」
近くで見る金色の目にサンドラの上気した顔、ランプに照らされる微笑が映っていた。
相手の吐息の熱く甘い事。
それらを見つめながら、本気かと言いたげにルーチェはまた微笑んだ。
誰をも引き込む微笑は、人間ではないように見えた。
「あいかわらず・・・サンドラは、面白い。
ずっとどちらにするつもりなのか、不思議に思っていたんだ」
「皆に魅せつけてやりなさい。そうすればきっと…」
「必要があればそうするが、趣味じゃないな…」
返事を返し、ルーチェは瞼を閉じる。
サンドラを意識からはずして、明日見ることのできるであろうモノを夢見て眠るために。
贅沢を言うなら、それに妹のルイセか一度だけ夢で出会った『あの人』がいれば素晴らしい。
この現実かもわからぬ場所から、ついに、外へ出られる…
悪い夢でなければ、明日よ来い。
見知らぬ誰かの夢も、お呼びもつかぬほどの…明日よ、来い。
その頃、外では時計が明日になったことを告げていた。