第七話 ビクトルの頼みごと(後編)
 鋼の冷たさを身にまといながら、あたかも人のように動く出来損ないを前にビクトルは溜息をついていた。
 人の魂と言う概念が宿っていようと、意図した働きをしない自動人形は失敗作である。
 今を生きる人のためにも、この自動人形に乗り移った魂を掃うのは急務であった。
「まあつまりはこういうことじゃ。最初は人形を潰して最初から作り直せばと思ったんじゃが作っても作ってもこの女性が宿りよる。もうワシでは手のうちようがない」
 ビクトルの考えは別にして、人の魂が宿った物品を壊して作り直した事に回りは少し引いていた。
「それじゃあ、私がとりあえず説得してみます。まずはお名前を教えてください」
「アウラと申します。私も最初は信じられなかったのですが、死んでしまっているようです。ビクトルさんにはもう話しましたが、ここでこうしている理由はさっぱりわかりません」
 ギリギリと鉄同士をきしませながらアウラと名乗った自動人形は名乗った。
 身振り手振りを加えるたびに嫌な音が部屋の中に響いていた。
 霊こそ見えないものの精霊使いであるヒューイや弥生はともかく、普通の人間であるアネットやグレイは部屋を出て行きたがって移送であった。
「冥界の門を通るべき魂がこの世に留まる理由は一つ、悔いがあるからです。貴方は遣り残した事がありますか?」
「もちろん、それこそ両手一杯に。この姿ではわかりませんが、貴方たちと歳は変わりませんでした。美味しいものも食べたかったですし、色々な場所へも行ってみたかった」
「随分普通の未練やな。そんなの叶えてやる方が難しいで」
 生きているヒューイには全く理解できないといった言葉が放たれるが、アウラが次に放った台詞に何人かが体を硬直させた。
「そして立派な恋もしてみたかった」
 ギリリと自動人形の体とは別の場所から鉄同士がこすれあうような音が鳴った気がした。
 なんだろうとモニカが振り返ると、きょとんとしているスレインの後ろでアネットたちが何故だか胸に手を当てていた。
 グレイやヒューイ、弥生もである。
 知らぬは当人達ばかり、間接的にダメージを与えているとも知らずスレインとモニカはお互いを見合って首を傾げていた。
「き、気にしないでモニカちゃん。はやくその人の話を聞いてあげて。できる事なら叶えて上げましょう」
「アネットの言う通りだ。ここは全員で協力すべきだ」
 何故か急に態度まで変わり、アネットもグレイも協力を申し出てくる始末。
 特に困るわけではないので、モニカは気にしないことにしてアウラを見た。
「それで貴方はどうしたいの?」
「そうね。この体じゃ何かを食べるのは無理だし、何処かで出かけるのも無理だろうし。やっぱり恋かな」
「恋とまではいかんが、一応若い男が雁首そろえて三人もおるんじゃ。それなりの事はできるじゃろう。ほれ、お前ら。そこに並べ」
 ビクトルに促され、妙な話になってきたと思いつつグレイ、ヒューイ、そして最後にスレインが並んで立った。
「選り取り緑とまではいかんが好きなのを選べ。それで早いところ、その体から出て行ってくれんかの」
「ちょっと待ってや。ワイらが、対象なんでっか?!」
「正直かなり嫌だが、少しぐらいなら付き合ってやる。さっさとしろ」
「あの、僕にはちゃんとモニカさんが……」
 一応スレインが自己主張するも、あっさりと無視された。
 アウラが体を軋ませながら三人の前にたって、首を回していく。
 恋の相手を選ぶというよりは、捕食する獲物を選別しているような雰囲気に見えるのは、のり移った体によるものだろう。
 スレインたちも、いつぞや図書館でゴーレムに襲われた過去を思い出していた。
 嫌な空気が部屋に流れいくばくか経った時、アウラがヒューイを指差した。
「彼」
「ワイでっか。まあ姿かたちはどうあれこうも正面きってええ男やと言われて悪い気は」
「どうみても三枚目だわ。遠慮してもらえますか?」
 派手に崩れ落ちるようにヒューイがずっこけた。
 その際ちらりと弥生を見るも、あらあらといった感じで頬に手を当てているだけで、一切のフォローがないことに心で泣いていた。
「次に彼、目つきが悪いわ。絶対何人か女の子を泣かせてる目ね。こんなのに付き合ったら、私の貞操の危機だわ」
「へえ、面白い意見ね。グレイが女の子を泣かせてる?」
「アネット、そこに食いつくな。思い切り第一印象でって、誰の目つきが悪いだ。こいつは生まれつきだ!」
 散々な言われようにアネットまで食いついてきたせいで、グレイは必死に叫んだ。
 だがアネットの疑わしげな視線を回避するには弱く、意味もなく謝ってしまうグレイであった。
 例え想いが成就しても尻にひかれそうなグレイは一先ず置いておいて、残る男はスレイン独りになってしまった。
 アウラにジロジロと見られ、当の本人以上にモニカが戦々恐々としていた。
 仮にも自分の恋人が数分、数時間とは言え誰かのものになるなど考えもしたくなかったのだが、運が悪かった。
「決めたわ。消去法で一番良い人が残ったみたい。優しそうだし、この人にするわ」
 放った言葉以上に好感が持てたようで、無骨な冷たい体のままにアウラがスレインの腕に自分の腕を絡ませた。
 さらに少し体重を預けているようで、青い顔をしたスレインは今にも重いという言葉を放つ寸前であった。
 後数秒放って置かれたら離れてくださいと言えただろうが、それよりも先にモニカが珍しく大声をあげていた。
「スレインだけは、駄目!」
 爆発的に膨れ上がり声が消えた後、残ったのは静寂であった。
 誰の目も点となり、急に叫んだモニカをビックリした顔で見つめていた。
 モニカの顔が瞬く間に真っ赤に熟れて、俯いた。
「あら、この人その子の恋人さんなんだ。でも私たちの方がお似合いじゃない?」
「大変申し訳ないのですが、重いので体重は掛けないでくれますか?」
「そんな事言わないで。私これでも生きている時は枯れ木のように軽いってよく言われたのよ」
 調子に乗ってアウラがさらに体重を駆けると、ブチッと何かが切れたような音がした。
「何故、枯れ木。というか、今はたっぷり身がつまった鋼鉄です。激しく重いんです」
「そういわれるとますます寄り添いたくなっちゃう。生きてて良かった」
「死んでます。貴方はとうに死んでいます」
「でも心はまだ生きてるわ。だからこういうことも出来るのよ」
 ビクトルが作った機能重視の自動人形に、まともな顔などついているはずもない。
 だが辛うじて顔と呼べるそれをアウラがスレインの横顔へと押し付けた。
 ゴンッと射たそうな音が鳴ったが見まごうことなきキスであり、もう一度ブチンっと何かが切れた音が響いた。
「痛ッ、骨に響いた。何をするんですか、アウラさん。人にいきなり頭突き……なんか、も……モニカさん?」
 抗議の声を挙げるスレインが見たのは、間近に射たアウラの鋼鉄の面構えではなく、モニカの凍えるような笑顔であった。
 ウェポンリングのナイフでも繰り出してくるかと思わず身構えてしまったスレインであったが、違った。
 何時までもナイフは飛んでこず、顔を庇った両腕を離してみると、モニカの両の瞳からポロポロと雫が零れ落ちていた。
 両手はギュッとスカートを握りこんで話さず、耐えるように声もなく涙を流していた。
「この、アホすけ」
 次の瞬間、スレインは後ろからグレイに殴られていた。
「ちゃんとはっきり意思表示しないアンタが悪い。戦闘中と違って普段のアンタは自己主張がなさすぎ。嫌なら嫌ってちゃんと言いなさい」
「そうですわね。その優柔不断さは、恋人としては怖すぎますわ。例え相手を信じていたとしても」
 アネットと弥生にまで怒られてしまうが、最初に三人並べといわれた時にちゃんとスレインはモニカが居るからといおうとしていた。
 それを黙殺したのは周りのアネットたちであるのだが、ここでそれを主張できるスレインではない。
 腕に回されたアウラの手を丁寧に外し、モニカに駆け寄り自分よりも幾分小さなその体を抱きしめる。
「すみません、モニカさん。ご心配をおかけしました。僕が好きなのはモニカさんですから。それは絶対に変わる事はありません」
 自分のスカートを握り締めていたモニカの手が、スレインの体に回される。
 まだ涙は止まらないようで、ギュッとスレインの体に押し付けたままであった。
「さて、そっちはリーダーに任せておいて、アウラはん。悪いんやけど、三枚目のワイか、目つきの悪いグレイはんで我慢してくれへん?」
「ヒューイ、殴るぞてめえ。だがその話は考えてやらなくもねえ。俺がヒューイか、選んでくれ」
「いいえ、もういいわ。ちょっとした悪ふざけのつもりが泣かれちゃって。今度は別の人に泣かれてもこれ以上冷める興もないしね」
 そう言ってアウラの視線が見つめるのは、アネットと弥生である。
 どこまでその視線が本気かはともかく、とりあえずアネットは狼狽していた。
 アネットのうろたえぶりにアウラは微かに笑うと、泣かすつもりのなかったモニカに歩み寄り謝罪を口にした。
「ごめんなさいね、モニカちゃん。貴方の恋人をとる気はなかったのよ」
 まだ泣き顔は見せられないようで、スレインの体に顔をうずめながら手だけは問題ないとハンドシグナルで答えていた。
「皆さんにも迷惑をお掛けしました。出来るかどうかわかりませんが、成仏しようと思います」
 アウラがそう言った次の瞬間、ビクトルの自動人形が耳障りな音を立てて床に崩れ落ちた。
 魂が抜けて動けなくなった影響なのか、皆がアウラの霊魂が何処へ行ったのか見えもしないのにあたりを見渡す。
 一応見届けなくてはと、モニカがようやくスレインから体を離すとアウラを見つけた。
 見つけて、その姿を見てしまった。
「え゛……」
 これまた珍しいモニカの信じられないといった呟きであった。
 皆がモニカの視線を追ってそちらを見ると、本当にアウラらしき女性は居た。
 何故皆にその霊魂が見えたかは謎であったが、六十はとうに越えたであろう老女がそこに居た。
「ひぇっひぇっひぇ。久しぶりに若い男に触れ合えて蘇った気分じゃったわい。確かに悔いは残さんかった、ありがとうよ。お前さんがた」
 そう言うとアウラらしき老女の姿が霞むように消えていった。
 誰一人、声はあげられなかった。
 そう、確かにアウラは名乗りこそ上げたものの歳が幾つか、若い美空で死んだなどと一言も言っていない。
 ただ今の皆の心境は一つであった。
 もしかするとシオンを倒すべく心を一つに決戦に挑んだ時以上に。
「婆さんかよ!」
 皆の重いが込められた苦渋の叫びが部屋にこだまし、アウラに届く事もなく消えていった。
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