アネットは、胸に抱えた紙袋の中の食材が暴れぬよう、しっかりと抱きかかえて走っていた。 現在走り抜けているのは商店街であり、向かう先はいつものアパートの、グレイの部屋である。 手に持つ食材は、言うまでもなく食べる為のものであり、つまりはコレからご飯でも作ってあげようかと向かう所であった。 何故急に自分がそう思ったかは余り深くは考えずに、商店街の中を駆け抜けようとして立ち止まる。 「アレって、弥生さんと……ヒューイ?」 人ごみの向こうに見かけた見慣れた二人の姿に、僅かに首を傾げる。 二人を別々の場所で見かけたのなら買い物だと思って通り過ぎたが、二人一緒という点が気になり足を止めたのだ。 邪推するまでもなく、二人で商店街に居ればそういう関係なんだと思うのは自然の成り行きである。 なにせ殆ど音沙汰なかった状態から二人そろってアパートに戻ってきたぐらいである。 仲間の間でも口にこそしないが、それとなくそうなのではないかという認識はあった。 「ちょっとぐらい遅れても平気よね。私が作るんだから美味しいに決まってるけれど、空腹は最大の調味料ってね」 勝手に言い訳がましく呟くと、アネットは真偽を確かめるべく並んで歩く弥生とヒューイを追いかけた。 二人を見失わないように、後をつける事数分。 どうもデートと言った甘い表現が出来るような雰囲気でない事が、直ぐに明らかになった。 先を歩く弥生は神経を張り巡らせ、一キロ先で落ちた針一つ見逃さないようにしているように見えた。 そんな弥生の後ろを、気の抜けた表情でヒューイがひょこひょことついていっている。 「何してるの、あの二人?」 あれを見てまでデートと言いきれる人がいたとしたら、病院へ行った方が良い。 連れ添って歩いていると言う表現すら生易しく、全身に緊張感を纏った弥生の後ろをヒューイがついて歩いているだけである。 「馬鹿らしくなっちゃった。グレイの所に行こうかしら」 つまりはヒューイは弥生になんとも思われてないのだと、哀れに思うだけ思って足をアパートの方角へと向けた時にその声は聞こえた。 賑やかな商店街の雰囲気を裂いて行くような怒声である。 それも二つ、つまりは喧嘩か何かの荒事であった。 「あんまり行きたくないけど、止めなきゃダメだよね」 あいにく幼馴染の下へと行くのに愛剣など持ってきているはずがない。 あくまで幼馴染である。 なんとなく耳の辺りを火照らせながら自分に言い訳していたアネットは、つい先ほどまで視線の先にいた二人が声が聞こえてきた方向に向かっている事に気付いた。 狙っての行動なのか、とりあえず自分も弥生とヒューイを追いかける様に荒事が発生している場所へと向かった。 声が聞こえるぐらいであるからして、そこはさほど離れていない場所であった。 喧嘩の始まりは何であったのか知りうる事は出来なかったが、程よい体躯を持った二人の男が互いの胸倉を掴んで視線を絡めあっていた。 「なんだこの手は、やるってのか?」 「そっちこそなんだ、その手は。放しやがて」 「手前こそ放せ」 後は幼稚な言葉の罵りあいで、お前がお前がの繰り返しである。 今はまだ罵りあいで済んでいるが、手が出るまでに時間はかからない事であろう。 あの時弥生とヒューイに気をとられず通り過ぎていればと心で泣きながら、アネットはいさかいを止めようと前へ進み出ようとした。 「このような良い日和に、争いはいけません。どちらが悪いのではなく、どちらも悪かった。それで良いではありませんか」 場の雰囲気に似つかわしくないほど朗らかな笑みを浮かべた弥生が、二人の前へと歩いていく方が早かった。 「ああ、なんだ姉ちゃん。危ねえぞ、さがってろ」 そう一人が弥生を脅しつけている頃、ヒューイと言えばコソコソと身を屈めてなにやら不審な行動をしていた。 普段ならば後をつけていた後ろめたさも忘れて、弥生一人に何をさせているんだと怒鳴り込んだ所だが、アネットはグッと耐えた。 コソコソとしているものの、それは明らかに出番待ちをしているように見えたからだ。 案の定、数秒後にヒューイがいさかいの場へと飛び出していった。 何故か腰を曲げた体勢で、両手を叩きながら。 「はいー、どうもどうも。毎度お馴染みのヒューイですぅ」 弥生以外の誰もが突然の乱入者に目が点となっていた。 アネットも例外ではない。 「弥生はんの言う通りですわ。こんな良い日和に喧嘩はあきまへん。頭に上った血は冷たい氷でも食べて冷やすべきですわ。そうしたら気分も落ち着いて解るはずですわ。もう喧嘩なんてコオリゴオリってな」 目が点どころではなく、確かに商店街の一角が凍りついた。 本心からだろうか、相変わらず笑顔を浮かべた弥生の拍手が寒さに拍車を掛けていた。 滑ったと自覚しているであろうヒューイも、唯一の拍手の前に笑顔を崩せずに居た。 「さあ、これで氷を食べる必要もありませんね。冷静になれましたのなら、一言の謝罪で後は元通りです」 悪気はないのだろうが、その言葉を境についにヒューイの笑顔は途切れ、しゃがみ込んでのの字を指先で描き始めた。 「なんだかわからないが、すまなかった」 「ああ、俺もだ。すっかり頭が冷えた気分だ」 「「だから気にするな。つまらないギャグも使いようだ、兄ちゃん」」 謝罪しあった男たちの声がなおさらヒューイを傷つけていた。 最短の時間でいさかいを納めたからと言って、こういう使い方をされたとしてはヒューイのプライドはずたずたであろう。 次第にもとの流れを取り戻し始めた商店街の中で、弥生が落ち込むヒューイの肩を叩いた。 「さあ、ヒューイさん。次へ行きましょうか。私たちの力を求めている方たちは、まだまだ居るはずです」 「もういやや。堪忍してや、弥生はん。ワイのギャグは人を幸せにする為にあるんや、やけどこれはなんか違うんや」 「先ほどのお二人も無駄な血を流さす平穏に収まりましたわ。さあ、立ってくださいヒューイさん」 「いやや、堪忍してや」 半分泣きそうな声を挙げるヒューイの手を取って、弥生が歩き始めた。 嫌だ嫌だといいつつも、ヒューイはこれと言った抵抗も見せずに連れられていく。 そんな二人を見送りながら、アネットはしばらくの間身動きできないぐらいに哀れんでいた、ヒューイを。 「悪気はないんだろうけど、弥生さんに利用されてるわ」 だがヒューイだって断ろうと思えば断れたはずだ。 だったら何故それをしないのか。 元々あった認識を踏まえればそれはすぐにわかることであった。 二人一緒に戻ってきたからと言って相思相愛というわけではない、そこから導き出せられる答えは一つ。 「ヒューイの片思いなのね。弥生さんが戻ってきたから、自分も戻ってきたと」 元々間違っている認識をさらに間違わせたアネットは、今度こそグレイが待つアパートへと足を向けた。 気味が悪いと正直な気持ち、グレイは思ってしまった。 突然アネットが手料理を食わせてくれると言ってやってきたときは、小躍りしそうなほど喜んだ。 だが料理をするアネットの後姿を眺めているうちに、頭が冷静になれと働きかけてきた。 だからジャブのつもりでアネットの後ろ姿に言葉を投げかける。 「なあ、何で急に飯作ってくれる気になったんだ」 「なんとなくね」 無難な答えではあったが、次の言葉は余計であった。 「あとね、ちょっとは優しくしてあげないとねって」 アネットにしてみれば、先ほどの弥生とヒューイの間柄を見た上での台詞であったのだが、グレイに理解できるはずがなかった。 まだまだ特別な関係となりえていない二人の間で、急に優しくなんていわれたら嬉しいよりも気味が悪いが先にたつ。 あまつさえ、自分がアネットの機嫌を損ねるような事をしてしまったのか自分を疑ってしまう。 部屋の中に美味しそうな匂いと共に、アネットの鼻歌が混じり出した頃、グレイは決断した。 良く解らないが、追い詰められる前に逃げようと。 「グレイの好みが変わってなかったらいいんだけど。そう変わって……なにしてるの?」 窓枠に足をかけ、さあ逃げようと言う所でアネットが振り返ってしまう。 「なに、してるのかな?」 「いや、腹減らそうと。走ってこようと思ってな」 向けられた般若の面に、適当な言い訳を呟いた。 後悔した。 アネットが持っていた菜箸が、瞬く間にメキリと折れ曲がった。 その瞬間、やはり何か裏があったかと思ったグレイは知らなかった。 自ら不幸を呼び寄せている事に。 トントンと軽く飛び跳ねたアネットが、急加速して窓枠に足をかけていたグレイの背中を蹴りつけた。 「グレイの馬鹿。餓死するまで帰ってくるな!」 転げ落ちた窓が割れそうな勢いで閉められた後に投げつけられる罵声。 上下逆さになった視界の中で、今日も良い事をしたと街から帰ってくる弥生と、虚ろな瞳をしたヒューイが帰ってくるのが見えた。 「お互い、上手くいかねえな」 届くとは思えないが、とりあえずグレイはそんな事を口ずさんでみた。
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