第三話 微妙な距離の二人
 アパートのとある一室へと向けて、ベッドが運び込まれようとしていた。
 前方を支えるのはグレイであり、後方を支えるのは今日からこのベッドに身を預ける事になるヒューイである。
 そのヒューイの方が腕をプルプルと震わせながら、部屋まであともう少しの所で立ち止まってしまう。
「あかん、あかんて。手がもう限界ですわ。グレイはん、リーダーでもいいですから、変わってくれはりませんか?!」
「お前の目は節穴か。どうやって俺に変われと、手伝ってやっただけありがたいと思え。というか、動けよ。俺も辛いだろうが」
「そんな殺生な。リーダーは何処にいてはるんですか!!」
 ヒューイが立ち往生した為自然とグレイも立ち往生せねばならず、顔色が段々と赤くなり始めていた。
「いいか降ろすぞ、いったんここで降ろすぞ」
「駄目ですわ。そんなことしたら、後で足を拭かなあかんくなるやないですか」
「最初に動けなくなったお前が言うな。おら、三、二、一」
 勝手にカウントし始めたグレイが先に手を放してしまい、ベッドの荷重が一気にヒューイに襲い掛かった。
 グキッと腰に嫌な痛みを感じたヒューイは諦めてベッドを地面へと置いた。
 幸いにしてここはレンガが敷き詰められている為、ヒューイが心配するほどには汚れない事だろう。
 ただし、頑なにそれを拒んでいたヒューイのダメージは二つの意味で大きかった。
「こ、腰が……グレイはん、やるならやるで阿吽の呼吸が」
「俺とお前にそんなもんあるはずねえだろ。それにしても、お前はそれでも救世の戦士の一人かよ。力がねえなあ」
「ワイはリーダーやアネットはんのように、パワーファイターやないんです。しかただッ!」
「誰がパワーファイターだって?」
 両膝を付きながら腰に手を当てていたヒューイを後ろから何かで殴りつけたのは、そのアネットであった。
 ヒューイを殴りつけたのは重いものが入ったダンボールであった。
 アネットだけではなく、弥生やモニカも一抱えあるダンボールを手に持ってアネットの後ろにいた。
 何故かスレインも同じように。
「リーダー、何処に行ったかと思えば懐柔されとったとは情けない」
「いや、ちょっと荷物が多そうだったから大丈夫かなって」
「大丈夫に決まってるだろ。何の為にアネットがいると思ってやがる」
「ちょっとアンタたち、さっきから好き勝手言ってくれるじゃない。私だってか弱い女の子なんですからね!」
 今度はグレイの頭をダンボールで殴ってから、怒ってアネットは行ってしまう。
「申し訳ありませんでした。この荷物を届けてもらったら、スレインさんはそちらにお返ししますので」
「別にいいんじゃない。ヒューイさんの方は重い荷物それで最後でしょ?」
「ですが、その……荷物整理の時に色々と殿方には見られたくないものもありますから」
「それもそうね。じゃあスレイン、その荷物私が持つわ」
 そう言ってモニカが顎でさしたのは、自分が持っていたダンボールの上であった。
 しばし躊躇したスレインであったが、慎重にモニカが持っていたダンボールの上に自分が持っていたものを置いた。
「それじゃあ手伝うよ。どっちの代わりをすればいい?」
「重症その一、腰」
「重症その二、頭」
「手伝わなくて良いのなら、そうするけど」
 進んで女性陣の荷物を運んだ男の言葉とは思えないほどの、薄情な言葉にしぶしぶヒューイとグレイが立ち上がった。
 一拍の間を置いて視線で合図を出し合い、同時に片手を前方へと繰り出した。
 じゃんけんである。
 結果は聞くまでも無く、己の腕を見つめて涙で瞳を潤ませたヒューイの負けであった。
 自分の荷物である為に文句も言えず、ヒューイは腰にムチをうってスレインと共に最後の一歩ともいえる距離を重いベッドを運んでいった。
 運び終えると同時にヒューイが力尽きてしまい、休憩の意味も含めて昼飯をとりにいくことになった。





 少し早めの時間だったこともあり、一番近い商店の中にあるレストランは空いていた。
 それぞれが好きなメニューを頼んでから手近なテーブルに固まって座る。
「あー、頭痛え。アネットの奴思い切り殴りやがったな」
「なんやワイのときよりも威力が強かったような気がしますけど。アカン、ワイも腰が本当に重症や」
 痛い痛いと繰り返す二人を前に、苦笑するしかないスレインは話題を変えようと気になっていた事を聞いた。
「でもヒューイも弥生さんも急にこのアパートに戻ってくる事にしたんですか?」
「戻ってくる事にしたというか、元々戻ってくるつもりやったんや。その証拠に、一部の荷物は置きっぱなしやったやろ?」
 ヒューイの言う通り、アパートの部屋の借主はヒューイや弥生のままだったらしい。
 だがスレインは新たな入居希望者を断る為の嘘だと今まで思っていた。
 スレインやモニカなどが居るためか、入居希望者が途切れる事がないそうなのだ。
「だったらベッドも他の荷物も全部残して置けよ。おかげで休みの日にとんだ重労働だ」
「ああ、折角の休日を潰してまで手伝ってくれはるグレイはんの熱い友情に感謝感激雨あられですわ」
「ドタバタ煩いから起きたら、いつの間にか巻き込まれてたんだよ。友情だなんて気持ち悪い言い方するな」
「知らない間柄でもないですやん。あの日の夜の事は忘れてなんかいまへん」
「気持ち悪い言い方をするな!」
 グレイが割り込んでしまった為、スレインが聞きたかった何故今になって戻ってきたかを聞く事は出来なかった。
 ヒューイは戻ってくるつもりだったとは言ったものの、戻ってくる事になった理由を喋っていない。
 とは言っても、ヒューイの事だから本当にきまぐれにもどってきたのかもしれない。
「あら、アンタたちもきてたの」
 グレイの喧嘩口調をおどけたヒューイがかわしていると、スレインたちのようにお昼をお盆に載せたアネットたちがやってきていた。
 そのままモニカがスレインの横に座ろうとすると、アネットがそれを止めるしぐさを見せた。
「モニカちゃん、たまには女同士で色々話しましょう。それにあの二人といるとどんな悪口を言われるか解らないし」
 明らかに先ほどのことを根にもったアネットが、名残惜しそうにするモニカを連れて行ってしまう。
 弥生が小さく頭をさげ、そばをふよふよ飛んでいたラミィも迷った末にアネットたちについていった。
 先に怒らせたのはヒューイやグレイなだけに、スレインとモニカには良い迷惑であった。
「まあまあリーダーそんな顔せんといてや。アネットはんの言う通り、たまには女同士男同士や。それに男同士でないとできへん会話もあるしな。っと言うわけで、グレイはん」
「んだよ、妙な言い回ししやがって」
「アネットはんとは何処まですすんどんのや」
 ストレートな言葉に、グレイは口に入れかけていたものを吹き飛ばしていた。
「てめえ、急に何言い出しやがる」
「だって気になるやないですか。リーダーが自分の体を手に入れたことで、グレイはんは晴れて自由の身。大体暗殺者になったのも半分はアネットはんの為なんでっしゃろ」
「知らねえよ。大体アネットはな……くそッ」
 ちらりとスレインを見てから毒づいたグレイは、話題の矛先をまるまる反対向けた。
「お前はどうなんだよ。弥生、だっけか。別々にアパートに出た二人が同時に戻ってきて。なんかあったと思うのが普通だろう。どうなんだ、ああ?」
「ある意味では鋭い」
「ん?」
「そりゃ弥生はんは美人やし、気立ても良いし。できるものならお付き合いしたいと思うのが男の性っちゅう」
 まだヒューイが喋っている途中で急にグレイが立ち上がり、視線でスレインに立てといってきた。
 首をかしげるヒューイをその場に一人置いて、アネットたちの方に歩いていく。
 半分は冗談なんやけどと心の中で思っていたヒューイが止める間もなく、入れ替わるように弥生がヒューイの方にやってきてしまう。
 気を利かせたつもりか、嫌がらせのつもりか溜息をついたヒューイへと弥生が言った。
「何か御用でしょうか、ヒューイさん」
「いや、グレイはんの悪い冗談やから。気にせんといて」
 グレイから冗談の事情を聞いたアネットとモニカが嬉々として視線を向けてくる手前、小さな声でヒューイは言った。
「そうですか。グレイさんと親交を深めるのも結構ですが、目的を忘れないでくださいね。どうですか、スレインさんの様子は」
「いや、まあ……普通というか、相変わらずちびっ子とラブラブのようやし。大きな問題はなく」
 ラブラブといった所で、ほんの僅かだか弥生のまぶたがピクリと動いた。
 本当に小さな動作であったが気付いたヒューイは、やや後ろへと振り向いてうわあっという顔をしていた。
 知ってはいた、アネットだって弥生だって、ポーニア村のミシェールだってスレインが好きな事は知っていた。
 だが改めて弥生にそう言う態度をとられると、驚いてしまう。
(まあリーダーに惚れるなという方が無茶やけど。弥生はんは綺麗なんやし、次の相手を……そうは言ってもワイでは力不足やなぁ)
 何事かを喋っている弥生の言葉ではなく、顔の一挙一動を見ながらヒューイがそう考えていると、ふいに弥生の視線が厳しくなった。
「聞いていますか、ヒューイさん?」
「え、あっ……すんまへん。途中からさっぱり。ほんま堪忍してや」
「安心できる場所に戻ってきたからといって気を抜かれては困ります。使命を持って私達はここに来たのですから」
「忘れてません。ちゃ〜んと覚えてますわ」
 愛想笑いでごまかしたヒューイであったが、内心溜息をついていた。
 先ほどグレイに言った言葉は半分は冗談でも、半分はそうではないのだ。
 けれども、使命を口にする弥生を見て、難しい道のりだと味の解らなくなった昼飯を口に運んだ。

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