ヴェンツェルの手に集められたグローシュが輝きを強めていく。 手のひらの向けられた先はグロウであり、数秒とたたないうちに魔力が放たれることは間違いない。 砕け散った光の魔剣に目を奪われていたグロウへと、ヴェンツェルが呟く。 「あの娘と違い、お前にはまだ役目が残っている。カーマインと共にゲヴェルを倒すというな」 「役目が残ってるだと」 砕け力を失っていく光の魔剣の柄を、握りつぶすようにグロウが手に力を込めていた。 「いま少しだけ、翼をおさめるがいい。直にその翼の力を解き放つ日が」 「俺にどんな役目が残ってるって言うんだ。あの日、ルイセを守ってやれなかった俺にどんな役目があるって言うんだッ!」 ヴェンツェルの言葉は、真にグロウの逆鱗に触れていた。 怒れるままにグローシュの翼をはためかせ、ヴェンツェルへと向けてありもしない剣を振り上げる。 対してヴェンツェルは冷めた目で一連の動作を眺めた後、言葉をつむぐのをやめてただ手のひらを向けた。 次の瞬間、驚愕にその目を開く事になる。 「まさか!」 ヴェンツェルの目に映ったのは、剣が生まれる瞬間であった。 グロウの右手にグローシュが集まり、形を成していく。 魔法を撃つ時の様に漠然とした光が集まるのではなく、剣に見えなくもない棒状の光へと伸びる。 やがて少しずつ鮮明に形を変え始めた光はあるときを境に弾け、姿を現した。 白銀とも七色ともつかない不思議な刀身を持った剣である。 グロウは自らの右手の中にそれが現れた事も気付かぬままにそれを振り上げ、上段から思い切り振り下ろす。 ヴェンツェルの胸の上を刃が走り抜けた瞬間、刀身から生まれた光が爆発した。 「なに?!」 これにはグロウの方が驚いてしまい、剣を振り切ることなく距離をとってしまう。 一体何があったのか、今自分の手の中にある剣は何なのか。 一気に冷め切った頭でも答えは見つからず、答えが見つかる前に爆煙の中から胸に傷を負ったヴェンツェルの姿が現れる。 「素晴らしい……」 傷を負った胸に手を当てながら、ヴェンツェルが呟いたのは歓喜の言葉であった。 「何処までも想像を越えてくれる。レギンレイヴとはな。レプリカである光の魔剣を与えた事で下地ができていたとはいえ、レギンレイヴの生成まで行って見せるとは!」 「レギンレイヴ?」 「そうだ。グローシュを操る魔法、その中でも最高の魔法。グローシュの物質化。あらゆる属性を内に秘め、あらゆる生物の天敵となりうる最強の剣レギンレイヴ。これが笑わずにいられようか!」 「なんだか知らねえが、あらゆる生物の天敵ならコイツで手前の……って、消える。おい、消えるな!」 馬鹿笑いを続けるヴェンツェルへと斬りかかろうとしたグロウであるが、右手の中のレギンレイヴの姿が突如不安定にぶれだした。 最初は小さなぶれであったが、次第にその姿が溶けるように薄れ、消え始め出した。 手に力を入れても、魔法を使う時のように手に魔力を集めても消えようとするレギンレイヴをとめることは叶わなかった。 そしてレギンレイヴを留めようと焦るばかりに、グロウは目の前の敵の事を一時的に忘れていた。 「どうやら、一時的な生成に成功しただけでまだ安定には至らなかったようだな」 何時の間にと聞こえたヴェンツェルの声は、すぐそばであった。 視線をそちらに向けるよりも早く、ヴェンツェルの手から魔力がほとばしりグロウの腹へとめり込んでいく。 衝撃と共に意識を失ったグロウの背中からグローシュの翼が弾けて消える。 落下を始めたその体をヴェンツェルが見送ろうとすると、叫び声が聞こえた。 「グロウ!」 落ちていくグロウの体目掛けて街中の建物の屋根を走るカーマインである。 手を出さずとも間に合うと思ったのか、グロウが受け止められる様を見ることなくヴェンツェルはローザリアの街の上空から姿を消した。 部屋の中は重苦しい空気に包まれていた。 信頼しきっていたヴェンツェルという協力者の裏切り、それによるグロウとルイセという主力二人の欠如。 グロウの方はヴェンツェルとの戦闘から傷が開いた程度であるが、ルイセの方は昏睡したままで現在サンドラが様子を見ている。 カーマインたちはリビングの思い思いの場所で、同じ思いを抱いて顔を伏せていた。 「ルイセちゃん、大丈夫かな?」 ティピが不安げに上を、ルイセの部屋があるであろう場所を見上げてつぶやく。 これがただの怪我や病気であればまだしも、ヴェンツェルはルイセから抜き取った光を手に言っていた。 純粋なグローシュと。 「これじゃ、あの学院長と同じじゃねぇか!」 ウォレスの言うとおり、それはかつて元魔法学院の学院長であったマクスウェルが行ったのと同じ所業である。 グローシアンからグローシュを抜き取り奪う。 手を下された者は、記憶をなくし、いまだ療養中の者さえいる。 「どうして……ヴェンツェルはゲヴェルを倒したがっていたのに。そのゲヴェルを倒すためにもルイセのようなグローシアンが必要なんじゃないのか?」 「いや、必ずしもそうとは言い切れないな。あくまでそれは俺たちの考えだ」 「どういうこと? だってゲヴェルはグローシアンが造ったから、グローシアンに弱いんだよね?」 ウォレスの言葉に新たな疑問をもったティピが、確認するようにしてたずねた。 「考えても見ろ。ゲヴェルが現れた頃は、まだルイセは生まれちゃいなかった。そしてカーマインやグロウが奴につ……生み出されサンドラ様に拾わせてから、ルイセが生まれた」 「まさか、ルイセの存在はあくまで幸運の範囲で、ゲヴェルを倒す計画には含まれていなかった?」 「でも、だったらなんで今になって」 「ここからは俺の予測も入るが、ルイセがいなくともゲヴェルに勝てると確信したのだろう」 口にしずらそうにしながらウォレスが口にした言葉で、カーマインは伏せていた顔を上げた。 ヴェンツェルが勝てると判断したであろう事柄が最近あったばかりだ。 カーマイン自身がゲヴェルの波動を打ち破り、ゲヴェルの力を完全に手中に収めた一件である。 「僕の、せいなんですか?」 「勘違いするな、カーマイン。あくまでこれは奴の考えであって、ルイセのグローシュを奪ったのはヴェンツェルだ。すべての責は奴にある」 普段のカーマインであるならば、指摘されるまでもなく気づいていた事だろう。 目の前でルイセを傷つけられて動揺したのは、なにもグロウだけではない。 カーマインや誰も彼もが、動揺し今もなお心をかき乱されているのだ。 それに加えて、今回のヴェンツェルの動機が見えない事が同様に拍車をかけていた。 裏切りの理由が見えず、何を企んでいるのかという不安が残る。 かつてマクスウェルはグローシアンではない自身をグローシアンとするために、純粋なグローシュを欲していた。 何故協力者であったはずの彼が今頃になって、何故今このタイミングで、それさえも意味があるのか。 「ルイセ、本当に大丈夫なのですか?」 再び静まり返った部屋の中で、うろたえるようなサンドラの言葉が漏れてきた。 皆が一斉にドアへと振り返ると、泣きそうな顔で額を押さえたルイセがサンドラと手をつなぎながら入ってきた。 「かぜひいちゃったのかな……あたまがおもたい」 「だから動いてはいけませんと」 「すぐにねちゃうもん。ただグロウおにいちゃんがいっしょじゃなきゃやだ。いっしょにねるの」 ルイセの口から飛びでた言葉もさることながら、口調がやけに舌足らずで幼い感じを受ける。 サンドラ自身ルイセの変化に戸惑っているようで、一体どうしたのかカーマインが駆け寄ろうとすると急にルイセが怯える様に体を硬直させた。 何が起こったのかカーマインが足を止めた隙に、サンドラの後ろへと隠れてしまう。 恐る恐るサンドラの後ろから出した顔にうつるのは、明らかな怯えであった。 「ルイセ、どうしたんだい?」 「あ、カーマインおにいちゃんか。なんかおばけみたいなのが、みまちがえちゃった。それよりグロウおにいちゃんは?」 おばけと言う言葉に首をかしげたままカーマインがサンドラの方へと視線をよこす。 「特に身体的に異常はみられません。ただ、皆も感じているとおり違和感は残っています」 「あっ」 違和感とあやふやに答えたとおり、サンドラも何が起こっているのかわかってないようである。 もう少しルイセ本人から色々と聞き出そうとすると、なにかに気づいたようにルイセが声をあげた。 その視線の先にはウォレスとミーシャの二人がいるだけである。 だが次にルイセがとった行動に、違和感の正体があった。 「あの、いらっしゃいませ。おかあさんのおきゃくさん? ルイセ、うえでグロウおにいちゃんと遊んでるね?」 「待って、ルイセ。お客さんって、ミーシャとウォレスさんじゃないか」 「はなしてよ、カーマインおにいちゃん。だからカーマインおにいちゃんきらい!」 つかまれた腕を煩わしそうに振り払うと、信じられない言葉を残してルイセは二階へと駆けていってしまう。 そしてサンドラは違和感の正体を今の言葉で確信していた。 「今ので解りました。おそらくルイセの記憶が幼少期に戻っています」 「どういうことですか、おば様? それに今のでって、ルイセちゃんがお兄様を嫌うってどういうことですか?」 「それにグローシュを奪われた場合、記憶をすべて失くし、自主的な行動は一切とれないはずでは」 「そうだよ。なんかルイセちゃんってば普通に……普通? さっきからグロウ、グロウって。あれ?」 ミーシャ、ウォレス、ティピとやつぎに疑問を飛ばす中、ティピだけが言葉を止めて考え込んでいた。 「ティピ、貴方に以前話した事がありましたね。ルイセが小さな頃は、カーマインよりもむしろグロウに懐いていたと」 初耳となるミーシャやウォレスは本当かとカーマインを見るが、カーマイン自身覚えていないようであった。 ただ親であるサンドラが言うのであれば間違いはなく、カーマインの頭は何も考えられないぐらいに真っ白になっていた。 誰かに怒りをおぼえる時と、怒りをおぼえるまもなく誰かを排除する時とは何が違うのだろうか。 目の前で眠るグロウを前にティピがその事を考えるたびに、嫌な気持ちが胸にたまっていく。 あの時ルイセが床に倒れこんだとき、誰よりも速くヴェンツェルを倒そうとしたのはグロウであった。 思い出されるのは、記憶を失くしている間のグロウである。 自分を偽ることなくバカ正直にルイセへの好意を口にしたグロウ、おそらくそれが嘘偽りのない本心だったのだろう。 「ユニちゃん、グロウさんの事は本当なのですか?」 「え、あの……少々、お待ちください。混乱してます」 隣で自分と同じように眠るグロウを見ていたレティシアの言葉に、必要以上に焦るユニがいた。 レティシアが言っているのは、グロウの体の事であるのは間違いない。 だが自分が考えていた内容が内容なだけに、口にしてはいけないと過剰反応してしまったのだ。 「ユニちゃん、どうかしましたか?」 「いえ、本当になんでもありません。グロウ様のお体のことですよね。マスターの言うとおりで間違いないと思われます」 グロウの体は、疲弊しきっていた。 何かの任務に赴くたびに大きな怪我をこさえる事が多く、さらにその怪我を短期間の休暇のうちに魔法で無理に回復させる事が続いた。 いままではそれでなんとかやってこれたのはグロウの若さだろうが、そろそろ限界に近くなっていたのだ。 幸いにして長期の療養をとれば問題はないらしく、サンドラがヴェンツェルに向かったグロウを止めたのはそのせいであった。 「そうですか」 聞いた途端にふふふと笑い出したレティシアに、ティピは驚いた。 「あ、ごめんなさい。その……不謹慎なのは承知なのですが、しばらくグロウさんが療養と言う事になれば、一緒にいられる時間も増えるんじゃないかと」 「マスターもしばらくはグロウ様を任務からはずすおつもりでしょうし」 「でも療養と言う事は、デートなどは無理なのでしょうね?」 「おそらく療養と言っても日常生活に支障もないのですから、問題ないのではと」 ルイセが倒れ、グロウがベッドの中で寝ている状態で、確かにレティシアの考えは不謹慎であった。 だがユニは責めると言う考えも浮かばず、不謹慎と自覚しながらもおさえきれない想いに正直なレティシアを羨望の眼差しで見ていた。 確かに以前の自分ならばグロウの体調を武器に、ダメだしを出していた事だろう。 グロウへの想いが揺らいでいる、そう自覚した瞬間にユニは激しく首を横に振っていた。 「なにやってんだ、ユニ?」 「あ、グロウ様お気づきに……よりにもよって見られたくない光景をタイミングよく見ないでください」 「なに怒ってるんだよ」 心配よりも憎まれ口が出てしまい、何をやっているんだと自分を叱咤するユニの横でレティシアが話しかけようとする。 丁度その時になって、部屋のドアが唐突に開いた。 「グロウおにいちゃん、あれ? グロウおにいちゃんにもおきゃく?」 「お客って、なに言ってんだ馬鹿ルイセ」 「むう、馬鹿じゃないもーん」 「あ、ルイセ様いけません!」 幼い喋り方をするルイセは、何を思ったのか走りよってきたままグロウが眠るベッドへと飛び込んだ。 ユニの静止も若干遅かったらしく、どすんとグロウの体に飛び乗ってしまった。 苦悶の表情をしながらも、叫び声が出なかった事が逆に痛みのすごさを物語っていた。 金魚のように口をパクパクさせながら、ルイセを支点として句の字に体をおるグロウ。 グロウの全身からみるみるうちに汗が噴出しはじめていた。 「ル……ど、け」 「あれ、グロウおにいちゃん? ぽんぽんいたいの?」 本当にどうしたのかわかっていない様子で、ルイセに何が起こったのか理解できなかったユニとレティシアは身動きがとれなかった。 グロウの様子から段々と不安になったのか、泣きそうになったルイセの頭にグロウが手をおいて撫で付けた。 叫びそうになる口を無理やり押さえつけて、唇を横に引っ張り笑う。 「な、なんでもねえよ。起きるから、ちょっとどいてくれ」 「起きるってグロウさん、お体の具合の方は……」 「良くはねえが、今のルイセが聞くとも思えねえよ。少し動くくらいなら大丈夫だ」 「ねえグロウお兄ちゃん。なにしてあそぶの?」 期待に胸を膨らませ体つきと言葉がアンバランスなルイセがたずねてくる。 そのようなルイセに戸惑う事もなくグロウが受け入れる理由は何なのか。 不思議そうに見つめる二つの視線に気づいたグロウが、口を滑らして答えてきた。 「よく憶えてる。あの日までは、ルイセが五歳の頃までは俺の方が面倒を見てた。こうなった理由はヴェンツェルだろうな。もう戻れないはずだったのによ」 あの日とグロウが表した日に何があったのか。 口惜しげにグロウが言葉を漏らすのは、とても珍しい事であった。
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