第九十七話 老人の陰謀


アルカディウス王に呼ばれたカーマインたちを見送ると、グロウはユニとミーシャをつれてサンドラの研究室へとむかった。
最近は家で待つのではなく研究室で待つ事が多い。
その最たる理由は城嫌いなグロウをレティシアが待っているためである。
サンドラの研究室であればセキュリティもしっかりしており、グロウに甘えてもうっかり城の者に見られることもない。
もっとも夫を亡くしているサンドラや、独り身のミーシャにとってははなはだ迷惑な話である。

「グロウさん、いい加減に覚悟を決めたらどうなんですか? 普通に考えて今のままじゃレティシア姫のお婿さん候補として、審査の前に指先で弾かれちゃうのが落ちですよ?」

「うるせえな、そんな事ぐらい言われなくても解ってる。たく、どいつもこいつも……ッ」

つい先日リシャールにも指摘されたばかりで、グロウは歩きながら振り返りミーシャに答える。
上半身だけをねじり、答えたために塞がったばかりの傷がよじれ激痛が走る。

「グロウ様、やっぱり今回の任務は休みましょう。そんな脂汗かいている状態で無理です」

「くそ、こんなの魔法で無理やり治しゃいいのに……」

「駄目です。サンドラ様からきつく言いつかってます。グロウ様が無理やり魔法で傷を治そうとしたら止めるようにと。無茶はいけません」

もともと魔法は応急処置的な意味があり、設備と道具があるのであれば自然治癒を促す処置が最適だと言われている。
便利だからと言って何でもかんでも魔法に頼れば、かならず無理が生じるのは魔法を習う者が最初に学ぶ事なのだ。
特にどれぐらい解っているのかすら解っていない人体については、この意見が色濃く指摘される事が多い。

「わかったわかった。俺が痛みを我慢すりゃいいんだろ」

「私だって、好きで意地悪してるんじゃありません。グロウ様のお体の事を心配してるからこそ……」

やけくそになって声を大きくするグロウに聞こえないぐらいの大きさでユニは呟いていた。
普段ならその声を耳ざとくグロウは拾うであろうが、腹を押さえながらサンドラの研究室の扉の前へと立っていた。
余程余裕がないらしく、扉を開けてそのまま向こう側へと倒れこんでしまった。

「グロウ様?!」

慌ててユニとミーシャが駆け寄るが、倒れこみながらも運よくグロウは抱きとめられていた。

「えっと、グロウさん。こういった事はまだ心の準備が……いえ、決して嫌がっていると言うわけでは」

「レティシア様、大胆なボケはけっこうですから」

「色々突っ込みどころは満載ですけど、レティシア姫場所ぐらい選びましょうよ」

ユニとミーシャが感想を漏らしたのは、グロウを胸で抱きとめながら押し倒される形となったレティシアである。
顔を両手で挟み紅潮させながらも、何処か幸せそうに色々と言い訳を並べ立てていた。
グロウはグロウで、抱きとめられた胸に顔をうずめて気持ち良さそうに唸っている。
こうなるとユニが怒り出すのに時間は要らず、首筋に噛みつかれたことでグロウが飛び起き、何するんだと喚き出す。

「まったく、毎度毎度。ミーシャ、扉を閉めてくれますか? 誰かに見つかっては大変です。それとレティシア姫もグロウも居住まいを正しなさい。今日はお客人がきていますから」

現れたサンドラが溜息をついていると、その後ろから見覚えのある老人が現れた。

「昔から、若さと色恋は切り離せないものらしいな」

真っ白な衣装に身を包み、相変わらずの好々爺の笑みを浮かべたヴェンツェルであった。
バーンシュタインでの戦いが終わった後に、ランザックへと戻ると言った老人が何故ここにいるのか。
答えを求めて皆がサンドラを見ると、それより先にヴェンツェルが教えてくれた。

「言ったとは思うが、現在行っている研究の手伝いをルイセにして欲しくてな。こうしてサンドラの元で待たせてもらっているところだ」

言われて見れば、リシャールとの戦いが終わった慌しい時に聞いたはずである。

「俺は聞いてねえぞ。危なくねえんだろうな。馬鹿ルイセの事はどうでもいいが、なんかあったら殺すぞ爺」

「マクスウェルの事もあったからな。警戒するのも当然だ。だが安心しろ。私が調査したいのはルイセが持つグローシュの質だ。ゲヴェルのおかげでグローシアンの数は激減してしまったからな。貴重なグローシアンを危険にさらしたいとは思わぬ」

魔法学院の元学院長がグローシアンからグローシュを無理やり取り出していた事件をヴェンツェルが例にあげて言った。
憂いの元を本人が言い出したことに加え、ヴェンツェルが一番ゲヴェルを倒したがっている事。
ゲヴェルの弱点であるグローシアンが減少している事から、ヴェンツェルがルイセに危険なことをさせるとは到底思えなかった。
解ってるならいいがなと一度矛先を納めたグロウは、胸に手を当てて俯こうとしていたミーシャの頭を後ろから叩く。

「痛ッ、急に何するんですかグロウさん」

「なんとなくだ。それとも抱きしめて甘い言葉でも囁いてやろうか?」

「え、遠慮しておきます。後ろから怖い視線が二つ突き刺さっちゃってるんで」

二つの視線とは、もちろんレティシアとユニである。
何時もより若干視線に力がこもっているのは、グロウが甘い言葉と言ったからであろう。
気安く抱きしめたりキスをしてくるグロウも、さすがに恥ずかしいのか甘い言葉をかけるなどまれであった。

「以前ルイセ様が仰ってた通りです。グロウ様ってば、若干ミーシャ様に優しすぎます!」

「それがグロウさんの良いところでもありますが、そのぶん私たちにも甘いお言葉をささやいてください」

落ち込みかけたミーシャを押しのけ、私にもとアピールし出す始末。

「さて、肝心のルイセがおらんでは意味がない。もう少し待たせてもらうとするかな」

「ミーシャ、レティシア姫とユニが落ち着いたらバルコニーに連れてきてください」

「え、私がですか……」

嫌そうに確認したミーシャの視線の先では、グロウの怪我の状況も忘れてユニとレティシアが詰め寄っていた。
加熱した二人の乙女は留まる事を忘れ、数秒後には押し倒したグロウが腹を押さえて悲鳴を挙げるまで止まる事はなかった。






グロウの悲鳴を聞いて駆けつけたサンドラから、またしてもユニとレティシアは怒られる事となった。
しばらくはグロウに甘える事への禁止令まで出てしまい、得に任務の前と後にしか会えないレティシアは不満顔であった。
だが冷静になってグロウの事を考えると、我侭もいえずソワソワと落ち着きなくしていた。
レティシアが数回サンドラから落ち着きなさいと理不尽な注意をされる事数回、カーマインたちが研究所にやってきた。
今回の任務の内容をすると、ついにゲヴェル討伐の任を受けたらしいが行く当てもなくアルカディウス王にヴェンツェルの事を聞いてやってきたらしい。
そして今一度ヴェンツェルから調べてみたい事の内容を伝えられた。

「私が調べているのは水晶鉱山で採れる魔水晶、そのグローシュの波動についてだ。一般敵に魔水晶に含まれているグローシュは燃えカスのようなものに例えられるが、グローシアンの持つそれとどう違うのかは明確にはわかっていない。そこで実際に比較を行ってみたいのだ」

「そっか、グローシアンの殆どはゲヴェルに殺されちゃったもんね。それにルイセちゃんは皆既日食のグローシアンだし。でも……ルイセちゃんはいいの?」

「何を心配してるの、ティピ? ヴェンツェル様わたしでよろしければ、お手伝いします」

ティピがグロウと同じような事を懸念したのか尋ねるが、ルイセはあっさりと了承してしまう。
ヴェンツェルに世話になっている事や、疑うよりも良い方向に考える性格によるものであろう。
似た性格のカーマインも異論はなさそうで、最後の砦にとティピに視線をよこされたグロウはティピにだけ見えるように光の魔剣の柄に手を触れさせていた。

「ではここに来てくれ。波動の検出はすぐに終わる」

一旦集まったバルコニーを離れ、研究室内に移動する。
そこでルイセは奇妙な形をした鉄製の被り物を渡され、重そうにそれを被った。
ヘルメット程度しかないそれを見て、グロウも気を抜くことになった。
何せグローシュを抜き取ってしまうマクスウェルの装置は、一つの部屋を占拠するほどに大掛かりなものであったからだ。
こんなに小さくては本当に検出と調査程度しか出来ないと思ったのだ。

「では始める」

グロウが光の魔剣から手を離したところで、ヴェンツェルが呟いた。
するとルイセの体から光が、グローシュが放出され始めたのかぼんやりとした光に包まれ出した。
自分で意図したわけではないようで、ルイセが僅かに動揺を見せる。

「心配する事はない。調査の為に装置が少しだけお前のグローシュを引き出したにすぎない。力む必要はない」

「あ、はい」

胸の前で重ね合わせていた両手を解き、両腕を重力にまかせてたらす。
リラックスの効果が出たのか、ルイセの体から放出されるグローシュの量が増加を始めた。
夜の明かりにすら及ばなかった輝きが、ルイセの体を景色に溶かすほどに強くなる。
一体何処まで強くなるのか、強くなりすぎた光に目をやられ皆が目を庇った時、ヴェンツェルだけは眼を閉じることなくルイセを見ていた。
もしも皆が光の前に眼閉じず、ことに時にヴェンツェルを見ていれば直ちに実験を中止させた事だろう。
だが全ては遅かった。
大きくなった光が瞼を透過するほどに弾けた直後、静まり返った研究室内にごとりと音が響いた。

「ル、イセ?」

ゆっくりとあけた瞼に飛び込んできた光景に、グロウが呆然と呟いていた。
同じように目を開けたカーマインやティピが、意識を失ったように床に倒れこんだルイセに駆け寄っていく。
何が起こったのかわからずルイセを抱き起こしていると、笑い声が研究室に響き渡る。

「クックックッ! ついに手に入れたぞ、純粋なグローシュをな!」

笑いながら叫ぶヴェンツェルの手の中には、太陽のごとき輝きが納められていた。
大きさは空気中のグローシュの大きさと変わらないが、それが何なのか一番に察したサンドラがまさかと叫ぶ。

「御師様?!」

「さすが皆既日食のグローシアン。この装置の限界量まで抽出できるとはな。だが、これだけあれば我が真の力を取り戻すには十分」

「貴様、まさかル」

装置と抽出という言葉からウォレスも察した直後、抽出されたルイセのグローシュに勝るとも劣らない輝きが生まれた。
グロウの背中から生まれたグローシュの翼が、ルイセのグローシュに呼応するように生まれていた。
むしろ生み出す余波は段違いで、机の上の書類や小物、はたまた物が詰め込まれた棚さえガタガタと振るわせる。
踏ん張らなければ立っていられないほどに圧力が強くなり始め、グロウがヴェンツェルの名を叫んだ。
叫びすぎて喉がつぶれ、もはや殆どそれがヴェンツェルの名を呼んだ叫びには聞こえなかった。

「グロウ、待ちなさい。今の貴方の体は!」

グロウの様子に、サンドラが何かを忠告する前にグロウが床を蹴っていた。
真正面からヴェンツェルにぶつかり圧死させる勢いで壁に叩きつけるが、壁の方がもたなかった。
ぶつかり硬直する暇もなくひびが入った壁が砕け、ヴェンツェルともどもグロウは外へと飛び出していった。
やけに風通りの良くなってしまった研究室から見えるのはローザリアの街、その上空では一個の光がまだ空を翔けていた。

「グロウ様が……キレた? 周りの声が聞こえないぐらいに?」

グロウは普段から殺すや死ねと言った言葉を多用するが、先ほどのような姿はユニの記憶する限り見たことがなかった。
標的の名を叫ぶ以外、何も叫ぶことなく行動だけを起こす。
ユニがグロウを気にかけている間にも、レティシアやミーシャたちが倒れこんだルイセへと駆け寄っていた。

「お兄様、ルイセちゃんはどうなっちゃったんですか?!」

「わからない、たださっきのヴェンツェルの言葉を考えると……」

考えたくもない考えにカーマインが被りをふっていると、サンドラがかしなさいとでも言いたげにルイセを奪い取る。

「カーマイン、ルイセは私に預けなさい。貴方たちはグロウを追いなさい。あの子は……」

「私もルイセちゃんについてますから、グロウさんは今はまだ怪我が治りきってないんですよ。危険です!」

「それだけではありません。あの子は戦えない体なんです。あの子自身気付いているはず、自分の体に異変がおき始めていることに」

すぐにグロウが開けた穴から外に出ようとしていたカーマインはその足を止めてしまっていた。
思い浮かぶ事すらなかったサンドラに言葉に。





情報の漏洩を避けるために特別強固な造りをした壁に穴が開くほどに叩きつけられても、ヴェンツケルは余裕を失ってはいなかった。
かなりのダメージを受けてはいるもののルイセのグローシュを手にしたまま、逆の手に光を生み出していく。
それを自分に体当たりしているグロウの目の前で弾けさせ、一時的に視力を失わせる。
グロウが怯んだ隙に距離を取ると、体当たりされた腹部に手を当てて回復を始める。

「怒りに我を忘れ、手にした剣を使う事すら忘れたか。こちらとしては幸運だが、傷の回復が遅い。老いたくないものだな」

「くッ……返せ。ルイセのグローシュを」

「ルイセの、か。哀れだな、グロウよ。何故そこまであの娘につくす。あの娘はすでに己の生涯の伴侶を心に決めておるであろう?」

「黙れ、黙れッ!」

まだ我を失っているのか、腰に帯びた光の魔剣をそのままに翼をはためかせグロウが殴りかかる。
いくらスピードが速くても虚さえつかれなければ、直線的な動きにヴェンツェルが遅れをとるはずもない。
闘牛の牛を相手にしたようにグロウの突進をことごとくかわし、言葉をつむぐ余裕さえ見せる。

「本当に哀れすぎて笑いがこみ上げてくる。強靭な肉体、底のない魔力、束縛を持たない翼。言い換えれば人間、グローシアン、フェザリアン」

駆け抜けるグロウを見送りながら、続ける。

「知恵ある三種の種族の全てを持ったお前が、たかだか愛一つで全てを捨て去るか」

「てめえの知った事か!」

「ぬうッ!」

何時までも我を忘れていると思っていたヴェンツェルは油断していた。
体の脇を通り過ぎるグロウが急停止し、振り返ったのだ。
振り向きざまの拳が胸に入り込むのを片腕で留めるが、軋んだ音を立ててあらぬ方向に折れ曲がる。
歯噛みしながら距離をとるヴェンツェルを今度はグロウが笑う。

「ちょっと頭に血が上っちまったか。はっ、ざまあねえな。余裕ぶっこいてるからそんな目にあうんだ。今度はしわがれた首根っこをへし折るぞ。死にたくなけりゃ、ルイセのグローシュを返せ」

「ふっ、少し油断したか。だが返すわけにはいかんな、惚れた女一人手に入れられない哀れなお前に全てを与える為にもな」

「一応借りがあるからって、人が下手に出てりゃいい気になりやがって。てめえ、もう死ねよ」

再びグロウが空を駆け、腰から光の魔剣の柄を抜き去り輝きの刃を生み出す。
それを見てもまだ余裕を失わなかったヴェンツェルは、グロウに見えるようにルイセのグローシュを飲み込んだ。
ならば腹を掻っ捌いてでも取り出してやるとグロウがなおも加速すると、一瞬だけヴェンツェルが苦しむように体を丸めるしぐさを見せた。

「見せてやろう、本家本元の真なる翼を!」

ヴェンツェルが呟いた次の瞬間、もう一対の翼が現れた。

「グローシュの?!」

「そうだ、グローシアンの王たる証。頭が高いぞ、グロウ。同じ血を持つものとはいえ、貴様の前にいるのは真の王であるぞ?」

「一人で妄想ぶっこいてろ。グローシアンの時代なんざ、とうに終わってんだ!」

突然の事で動揺はあるものの怯まず、グロウは光の魔剣を振りかぶっていた。
何もかも関係ない。
例え頭に浮かんだ通り自分が目の前の老人の複製だろうが、グローシアンの王だろうが。
何よりも目の前の老人は知っている。
自分の想いを、これまで誰にも語らず押し殺してきた気持ちを、だから自分自身を保つ為にも殺さなければならない。
混乱も動揺も全て詰め込んでグロウは光の魔剣を振り下ろした。

「王に与えられた玩具で、与えた王を殺せるとでも思ったか?」

剣閃が迫っても怯まなかったヴェンツェルが、素手で刃にふれるように無造作に腕を払った。
ヴェンツェルの腕が斬り飛ばされるはずであった。
なのに刃もろとも砕けたのは、光の魔剣のほうだった。

「言ったであろう。頭が高いと」

光の魔剣を砕いた手が、グロウに狙いを定めていた。

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