第九十六話 遅すぎた心


内乱が終わったばかりの、まだ喧騒を失わないバーンシュタインの王宮内をジュリアンは足早にかけていた。
つい先日まで敵将であった者を、今は直属の上司に当たるその人物を探していた。
いくらエリオットが許しの言葉を送ろうとも心や体に傷を負ったものまではそうはいかない。
本人もそれがわかっているのか、編成しなおされた隊の指揮を一通り終えると隠れるようにその場から消えてしまった。
だがこの後の予定が詰まっている以上、何も言わず姿を消すのは探す方の身になって考えて欲しかった。

「気持ちはわからなくもないが……」

すぐ時間が迫っている予定が予定なだけに、苛立たしげな声が漏れてしまう。
どうしたものかと思っていると、中庭の方からやけに明るい笑い声が響いてくる。
笑いが絶えない王宮も和やかではあるが、時期が時期である。
どこの貴族か、女官かと一つ忠告ぐらいはとそちらへ足を向けると、信じられない光景が飛び込んできた。
そこではリシャールがあろうことかグロウ、そして一時的にとはいえ監禁にまでもちこんだレティシアとお茶をしていたのだ。
本人はまだ笑みこそ見せていないものの、まんざらでもない様子で口にティーカップを運んでいる。

「まったく、呆れた姿だな」

それがどちらへと向けた言葉かはジュリアン自身にもわからなかった。
人を探しまわさせておいて暢気にお茶を飲んでいるリシャールか、死んでもおかしくなかった怪我を負わされたはずのグロウへか。
本当は直ぐにでも割って入ってリシャールを連れてきたかったが、ジュリアンはしばし様子を見ることにした。
今はまだ邪魔をしない方がリシャールの為にもなると思ったからだ。

「あれほど落ち込んでいたリシャール様を救い上げるとは、本当にたいした奴だ。お前は」

あちら側から死角となる柱の影で呟いた言葉を向けたのは、グロウであった。
本当に普段何を考えているのか、敵と味方を何処で線引きしているのかわからない。
まだ殺されかけた傷が癒えきらないのに、その傷をつけた相手と面と向かって話すとは。

「本当に……」

本当に、なんだろうとふと頭に浮かびかけた言葉を、ジュリアンは形にする寸前で顔を赤くしてかぶりをふった。
なんだか凄い事を思い描いたような、顔が意味もなく火照って熱い。

「あれ、ジュリアンさん。そんな所で何をしているんですか?」

「へ、陛下。いえ、これはその」

「大丈夫ですか? なんだか顔色が、凄く良いですね。気のせいみたいです」

急に後ろから離しかけてきたエリオットが小首をかしげ、思い直して直ぐに中庭の状況に気付いた。
すると一緒に休憩でもしようと思ったのか、ジュリアンを置いていってしまう。
このまま隠れている事もできたが、すぐさまエリオットの口から名前が持ち上がるのは間違いない。
ならばと軽い深呼吸をしてから、歩み寄っていく。

「ほら、ジュリアンさんが。だから気付いたんです」

「ジュリアン様もいかがですか。こういった場所で飲むお茶も美味しいですわよ?」

案の定エリオットの口から名前が挙がると、レティシア姫がこちらも笑いかけたくなるような笑顔で聞いてくる。

「いえ、申し訳ありませんが私はリシャール様をお迎えに上がったのです。リシャール様、そろそろカーマインたちがローランディアからやってくる時刻です。迎えの準備を」

「そうであったな、彼らに護衛が必要とも思えないが。対面上行かぬわけにもいくまい」

「ほっとけよ、カーマインがそれぐらいで文句言うわけないだろ。レティシア、眠い。膝枕」

グロウの言う通り、確かに迎え一つぐらいでカーマインは文句は言わないだろう。
だが問題なのはカーマインではなく、借りがあるローランディアの者に対してのバーンシュタインの行動である。
理論的な考えがすぐに浮かぶが、ジュリアンはなんだが、軽々しくレティシアの膝に頭を置いたグロウにこそ腹が立っていた。
今日は凄く情緒不安定な自分に気がつき、ボロが出ないうちにリシャールを急かす。

「まだ時間はありますが、急ぎましょうリシャール様。万が一にも遅れるわけにはいきません」

「そうだな。では、失礼する未来のインペリアル・ナイト・マスター殿とそのお妃殿」

頷いた直後にリシャールがからかいを含めていった言葉に、ジュリアンは振り返り目を丸くしていた。
ジュリアンだけではなく、エリオットやユニもである。
例外は意味を正確に察して膝上のグロウにキラキラとした瞳を降らしているレティシアである。

「ばーか、精々インペリアル・ナイト・マスターの最長就任記録でも作ってろ。あとお妃に愛人もつけとけ、俺のいる所にはユニがいるからな」

「グロウ様……愛人より私もお妃の方が良いです。撤回してください!」

喜んだのは一瞬、すぐに撤回を求め出したユニを見てリシャールは忍び笑いをした後に言いなおした。
未来のインペリアル・ナイト・マスターではなく、今世紀最高の女たらしと。





さすがに王宮内に戻ると、リシャールは中庭でのようにはいかなかったようだ。
表情はやや硬くなってしまっていたが、徐々にそれはとけていくだろう。
それはよかったのだが、気になるのは先ほどのリシャールの言葉である。

「リシャール様、先ほどのお言葉は」

「気にするな。ただの戯れから出た言葉だ。それとも、グロウのお妃の方が気になるか?」

「いえ、欠片も」

わざわざ立ち止まって言い放ったリシャールの言葉を受け、冷静に受け答えられた自分にジュリアンは驚いた。
ユニはともかくとして、レティシアとグロウが良い仲なのはかなり前から知っていたことだ。
今更そのような事で驚くもない。
ないのだが、なんだか胸がもやもやとして、ジュリアンは考え込んでしまった。
そばにリシャールがいるのにも関わらず、王宮を出て街に出ても。
ただ一度だけ我に返ったのは、ドレスの仕立て屋の前を通り過ぎたときであった。
今日はエリオットの戴冠式に合わせて、インペリアル・ナイトの制度の変更が発表される。
つまり心技体を兼ね備えた男、だけではなく女もと言うからにはジュリアンが女としてその場に居合わせなければならない。
一度も袖を通した事のないドレスに袖を通さなければならないのだ。

「ジュリアン、何をしている。遅れるわけにはいかないと言ったのはお前だぞ」

「あ、はい。申し訳ありません」

いつの間にか仕立て屋の前で立ち止まっていたジュリアンは、呼ばれて直ぐに遅れを取り戻す為に走った。
その間にも数度後ろを振り返り、自分のドレス姿を思い起こしては溜息をついていた。
今まで一度も着たこともないドレスを纏い自分に似合うのか、制度変更よりも不謹慎な話だがそちらが気になって仕方がなかった。
リシャールに追いつき、街の入り口で時間をつぶす事十数分定刻通りに彼らは現れた。

「リシャール様直々にお出迎え恐れ入ります」

「あまり他人行儀なのは好きではない。私はもう王ではないのだ。気軽に呼び捨ててくれ」

「一応それでも王族だと思うんだけど、リシャールがそうして欲しいのなら。ジュリアンもお迎えありがとう」

「これも仕事だ」

カーマインのお礼に口数少なく答えたものの、ジュリアンは内心穏やかではなかった。
グロウに与えられたイライラとは反対に、カーマインの笑みに安らぐような感情を覚え戸惑ったのだ。

「ねえ、戴冠式って夜なんでしょ? だったらアタシ、バーンシュタインの街を飛んでみたいんだけど」

「あー、アタシも。前に来た時は状況が状況だったし。ゆっくり見てみたい!」

ついてからしばらくキョロキョロあたりを見渡していたティピが声を上げるとすぐにミーシャが賛同の声をあげる。
大きく声出して言わないが、どうやらルイセも同じ気持ちらしく上目遣いでカーマインにお伺いを立てていた。

「そうだな。夜まで城に篭っているのが窮屈だというのなら、誰か案内役をつけるとしよう」

「リシャール様、それなら私が案内役を勤めます。以降は私用で空けてありましたので」

「そうか、案内役も気が許せる相手の方がよいだろう。ならばジュリアン、心配はいらぬだろうがお客人たちを頼んだぞ」

「了解しました」

リシャールとジュリアンの間で話がつくと、ティピが喜びの声をあげた。

「やったね。ウォレスさんとアンタはどうする?」

「一人ぐらい城に顔を出しておかないとまずいだろう。俺は城へ行く」

「すみませんが、ウォレスさんお願いします。僕はルイセたちについていきます」

「ああ、元々やる事なんて多くはないさ。楽しんでこい」

リシャールとウォレスを見送って直ぐに、ジュリアンはカーマインたちを案内して街を歩き出した。
とは言っても、何処へ行きたいかを主張するのはティピやミーシャ、時折ルイセが言うだけである。
カーマインは引っ張り回されるのがなれているように自分は何処へ行きたいとも言わず、笑顔で答えている。
だがさすがに元気一杯の女の子三人にひっぱりまわされればカーマインとて疲れは出てくる。
休憩がてらに皆を公園に案内すると、一時的に彼らをそこに残してジュリアンはある場所へと駆けた。
とある仕立て屋へと駆け込み頼んでおいたものを伝えるが、奥へ引っ込んだ店員がなかなか出てこない。

「ジュリアン、ここって仕立て屋だよね?」

「カ、カーマイン。どうして」

いらいらとカウンターを指で叩いていると、公園に置いてきたはずの男が何故か自分の後ろにいた。

「ジュリアンの事だから、気を利かせて皆に飲み物でも買ってくるのかなって。違ったみたいだね」

「深読みしすぎだ」

アハハと笑う男に答えると、ようやく出てきた店員から目的のものを受け取る。
できれば直前までは知られたくはなかったが、見られてしまったのは仕方がない。
このまま黙っていてもよいのだが、明らかにカーマインは受け取ったものが何か聞きたがっていた。
店を出て公園へと戻る途中で教える。

「今日の戴冠式の中で、インペリアル・ナイトの制度の変更も発表される。私が陛下にとりつけた約束は憶えているな?」

「実力があれば男も女もって奴だね?」

「そうだ。そして変えるからには、その実証が必要だ。実力のある女がな。そのためのドレスをあの仕立て屋に頼んでおいた」

「大丈夫だよ」

「はっ?」

突然送られた言葉に、戸惑うしかなかった。
と言うよりも、意味が解らず怪訝な顔をして立ち止まってしまった。
にもかかわらず、カーマインは続けた。

「ジュリアンなら皆が認めてくれるよ。それだけの働きをしてきたじゃないか。なんだか今日は少し様子が変だったから、心配してるのかなって。違った?」

いらない心配だったかなと苦笑いするカーマインを見て、気にかけていてくれたことが嬉しかった。
自分に自信のない女に見られていたのは少々問題だが。
カーマインだから仕方がない、許してやれる。
女に見られていた。
そこで、ジュリアンは今日一日ずっと自分が情緒不安定であった意味を察した。
今日は公の場でドレスを着て、自分が女である事実を発表しなければならないのだ。
近しい者たちはその事実をほとんど知っていたが、今日は大勢の事情を知らぬ者たちが自分を女としてみるのだ。
その事を強く意識し、特に自分はグロウやカーマインを意識していたのだ。

「そうか、そうだったのか」

「ジュリアン?」

「いや、と言う事は……」

逆にまた疑問が浮かぶ。
自分の周りにはオスカーやアーネスト、歳は下だがリシャールやエリオットだっている。
なのに何故特にカーマインやグロウの二人なのか。
何故率先してその二人を意識しなければならなかったのか。

「まさかな」

一度は考えを振り払おうとも、意識してしまった以上それは難しかった。
そして何よりもジュリアンを混乱のふちへと落としたのは、意識をする相手が二人と言う点であった。
何度も違うと繰り返しているうちに公園へとついてしまい、ジュリアンに荷物が増えた事もあって城に向かう事になった。
元気に街中をはしゃいで歩くルイセやミーシャの後から、カーマインとジュリアンが並んで追う。
街中を歩いていた時よりも緊張してしまい、駆ける言葉もなくしたジュリアンが黙って歩いているとカーマインがぽつりと漏らす。

「なんか、いいね。こういうの」

脈絡も何もない呟きにカーマインを見上げると笑いかけられる。
もうすでに大陸随一の剣士にまで成長し、幾多の戦いを潜り抜けて尚失わない無垢な笑みであった。

「まだゲヴェルとの戦いが残っているけれど、戦いの合間にあるこういう時間が好きだな。つい一ヶ月ほど前にはジュリアンと剣を向け合っていたけど、今はこうして共に街の中を歩く事ができる。そんな時間を与えてくれる平和が好きだ」

「何を突然老けたような事を。お前らしいと言えばお前らしいが、止めておけ」

何よりも、好きだ好きだと連呼しないで欲しい。
人が折角意識しないように努めているのにと、ジュリアンは少し恨めしい視線を送る。
カーマインはカーマインで老けたという表現を気にしているようで、それ以上は言わなかった。
ただジュリアンが、何気なく半歩、それ以下の幅でカーマインに近寄った。
その行動に意味がないはずがない。
惹かれたのだ。
文字通り体ごと、カーマインの言葉に。
カーマインと言う存在に。

「あー、駄目ぇ!!」

大通りでの突然の叫びは、随分前を歩いているはずのルイセからであった。
目ざとく見つけて振り返ると、ピコピコと両側で縛った髪を揺らしながら駆けてくる。
なんだ一体とカーマインとジュリアンが突っ立っていると、駆け寄ってきたルイセがカーマインの手だけを引いていく。
ポツンと取り残されたジュリアンは、意味がわからず立ち尽くすのみである。

「ジュリアンさん、ルイセちゃんの言う通りですよ。お兄様はルイセちゃんだけのお兄様ですから」

「何を当たり前の事を」

忠告に似た言葉を送ったのは、ミーシャであった。
ついさっきまでカーマインのいた場所に自分がおさまると、ジュリアンを歩くように促しながら言う。

「隠しても駄目ですよ。ルイセちゃんって、こういうことに結構敏感なんですから。以前も私がお兄様と二人っきりにでもなろうものなら、感よくかぎつけるんですから」

「ジュリアンがそう言う風に考えてたのも驚きだけど、ルイセちゃんからアイツを取り上げる覚悟はある? たぶん、すっごい泣くわよ」

ティピにまで言われてしまっては、素直に自分の気持ちを認めるしかなかった。
すぐに襲い来るのは後悔である。
何故自分はもっとはやく女である事を自覚し、行動しなかったのか。
これからだという頃には、二人の気になる異性の隣にはそれなりの女性がそろっていた。
それは後悔だ。
後悔だが、ジュリアンは俯き気に病んでしまう事はしなかった。
女である事を拒み、隠そうとしたのはあくまで自分の意思である。
誰も女を捨ててまでとは口にしなかった。
むしろ父は、勘当という武器を手にしてまで男のふりを続ける事を止めさせようとしていたのだ。
ならば後悔はしても、俯きそこで立ち止まってしまう理由は何処にもない。

「まあそれでも、惜しい事はしたなぐらいには思っておいてやろう」

「振られた者同士、今度遊びにいきませんか?」

「と言う事はお前もか。アイツらは中々に罪作りな男のようだな」

正確にはミーシャはルイセを守ると決めて自分から身を引いたのだが、結果はジュリアンと殆ど変らない。
二人で見合って笑うと、最後の一人へと視線を寄越す。

「ちょっと、なんでそこでアタシを見るのよ」

「なんだ、お前は違うのか?」

「ティピちゃん、意地張ってもいいことなんてないよ。一緒に失恋食べ歩きツアーに行こうよ」

「アタシは絶対に違う。でも、食べ歩きに行くんならいつでも付き合ってあげる」

明るいミーシャの誘いにも救われ、ジュリアンはそっぽを向きながら付き合うと言ったティピを見て笑った。

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