第九十四話 完全体ゲヴェル


途切れる事のなく続くカーマインの叫びであったが、徐々に変化が見え出した。
体中から放たれる闇の光が強くなるにつれ叫びが唸り声へと変り始めていた。
時折あげられる顔では瞳が血走りすぎてもはや赤く光ってさえ見える。
体中の筋肉は膨張し、逆立つ髪の毛が天をついたかと思うと、空と自分との間にある天井を見上げて唸り声を上げた。
カーマインはこれまでにないほどにゲヴェルの影響を受けて、変化を遂げようとしていた。

「ねえ……アイツ、大丈夫なの?」

いつもは強気にしっかりしろと怒鳴るはずのティピでさえも、カーマインの様子に心配が先に出る。
周りに確認するように振り向き、誰からも返事がない事にまた心配そうにカーマインを見つめる。

「やはり、勝てなかったか。誰にも勝てぬのだ。あの方には……」

もはや手をくだすまでもないとカーマインに見切りをつけてリシャールは、アーネストから受け取った剣を握りなおす。

「終わりだ」

全てを終わらせるようにリシャールは、グロウを治療しているルイセたちへと振り向いて呟いた。
思いも寄らなかったエリオットの反乱も、ジュリアンたちインペリアル・ナイトの謀反も。
老人と子供二人を斬りふせるだけで終わる。
邪魔者を一掃してしまうことにどこか落胆を感じながら地面を蹴った瞬間、突如として唸り声が止んだ。
今自分が抱える感情もわからぬままに振り向いたリシャールの目の前では、物静かにカーマインが立ち呆けていた。
ぐらりと揺らいだその体を前に出した足がつっかえとなって止めたかと思うと、顔があがる。

「……リシャール」

「そんな馬鹿な。何故、あの方の肉片を喰らってまでも意識を保っていられる? のみ込まれたのではなかったのか?!」

「一度は、のみ込まれたさ。破壊だけを望む圧倒的な衝動に」

「だからこそ、何故?!」

「言っただろ。僕は弱いって」

ゲヴェルの肉片、直に発せられたその波動を押さえ込める人間が弱いはずもなく、リシャールには疑問ばかりが思い浮かぶ。
カーマインの言葉は全てでたらめにしか聞こえないほどに。

「弱いから、僕は負ける。でも立ち上がる。何度も何度だって。弱いけれど、負けることを恐れずに立ち上がる。リシャール、負けたって良いんだよ。諦めさえしなければ」

敗北と諦めは違う、それだけをカーマインは言葉に乗せる。

「さあ決着をつけよう」

カーマインが握り締めたシャドウブレイドから、魔力が漆黒の刃を伸ばしていく。
言いようのない高揚を感じてカーマインの口から覇気の篭った雄叫びがほとばしる。
同時にカーマインの体をあの闇の光が一段濃く包み込むが、本人は何の影響も受けた様子はなく平然としている。
それどころか体中に活力がみなぎっているような様子さえあった。
自然とリシャールの口元にも笑みが浮かび、

「ふ……お前のような男は初めてだ。敗北を許さぬのではなく、敗北を恐れぬ男とは」

賞賛を送ってすぐに床を蹴っていた。
カーマインもまた床を蹴り、二人の剣が刃を重ね合わせるとリシャールの剣が体ごと弾かれた。
一瞬の硬直もなく弾かれたことにリシャールが驚き、カーマインが現在どういう状態なのかを理解し納得する。
カーマインは、ゲヴェルの力をほぼ自分の手中に納め始めているのだ。
ゲヴェル化の象徴である闇の光を発しながら瞳に強い意志を宿しているのがその証拠であり、原因はゲヴェルの肉片を喰らったことであろう。
本物の肉片が放つ高濃度の破壊衝動を耐え抜けば、人と融合する事で薄まった破壊衝動など小さなものにすぎない。
もはやゲヴェル化などではなく、カーマインがゲヴェルの力を引き出していた。
だからリシャールは可笑しくなってくるのだろう、人はゲヴェルに打ち勝てる証拠が目の前に現れたことに。

「弱いなどと、謙遜を通り越して嫌味だな。カーマイン、私が認めよう。お前は強い。お前ほどに強い男を私は知らぬ」

「もしかして、君はもう…………ありがとう。リシャールみたいに強い人にそう言ってもらえると、嬉しいよ」

踏みとどまり体勢を立て直したリシャールは、力で負けたばかりなのにその場で身構えた。
向かってくるカーマインを見てもその場を動かず真っ向から剣を打ち合わせる。
剣先から伝わる痺れが腕に伝わるが、自分を叱咤して剣の柄を握り締めると渾身の力で斬り返しては弾かれる。

「勝負あったな」

カーマインとリシャールの切り結びをみて突如呟いたのはヴェンツェルであった。

「え、確かにカーマインさんが優勢みたいですけれど……」

「いや、もはや勝敗すら何処にもない。リシャールを見てみろ、あれがゲヴェルに操られている人間の顔か? 奴は必死にカーマインから学ぼうとしているだけだ。敗北から立ち上がると言う意味を」

言われて見ればリシャールの顔は、刃物を思わせる鋭利な雰囲気が消え去り歳相応の笑みと共にカーマインと刃を合わせていた。
その事にはオスカーやアーネストも気づいていたようで、いつの間にかこちらは刃を向け合う事を中断していた。
時には吹き飛ばされ手から離れた剣が床を滑っていっても、リシャールはゆっくりと立ち上がって剣をとり、またカーマインへと向かっていく。
確かにそこにはヴェンツェルの言う通り勝敗などなく、リシャールはカーマインから学ぼうと必死であった。
だが体力の限界は訪れるものであり、やがてリシャールは投げ出された体を立ち上がらせることが出来なくなり、あお向けで床に寝転んでいた。

「陛下!」

すぐさまアーネストが駆け寄っていくと、その後にオスカーが続く。
アーネストに抱き起こされながら、途切れがちな声でリシャールが呟いた。

「とても……長く悪い夢をみていたようだ。お前達には迷惑をかけたな」

「何をおっしゃるのですか、陛下」

たもとを別ちながらも、昔のように陛下と呼ぶオスカーに苦笑をもらす。

「懐かしい。こうして三人そろうと、まだ仕官学校に入ったばかり……私たちが出会ったばかりの頃に戻ったようだ」

「お怪我にさわります、陛下」

「いいのだ、アーネスト。私はたった一度負けただけで諦め、ゲヴェルによって心を封じられてしまっていた。そして、いままで……」

これまでの行為を悔やみ顔を歪めたリシャールは、すでにゲヴェルの影響を振り切り正気を取り戻していた。
アーネストに抱きかかえられながら顔だけをエリオットへと向け、呟く。

「私は良き家臣に……いや、良き親友に恵まれた。お前もそうなのだな、エリオットとやら。これならば安心してこの国を任せられる」

「勝手に投げ出されては困ります。僕が王座についたあかつきには、リシャール。貴方にも国を治める手伝いをしてもらいます。ここには本当の貴方を待っていた人たちが大勢いるんです。アーネストさんやオスカーさんだけじゃなく、母上や他にも」

「お前もまた強く、厳しいな。改めて己の弱さを知らされッ?!」

エリオットの裁量に目を見張っていたリシャールが突然血を吐いた。
そのまま何度か咳き込んだ様子をみせ、周りが騒然とする。
完全体ゲヴェルの力を制御しきったカーマインとぶつかり合ったのだから、その体へのダメージもはかりしれない。

「細かい話はまた後だ。リシャールとグロウを休ませなければ。それにエリオット、お前の仕事はまだ残っているぞ」

ヴェンツェルに促され、エリオットは手早くリシャールと重症のグロウを休ませるようオスカーに命令を下した。
そして自身は、今もまだ自国民同士で争っている兵たちを止める為に、ヴェンツェルとアーネストを引き連れて謁見の間を後にした。





城壁の上からリシャール派、エリオット派となって争っていた自国民たちへとエリオットが終結の声をあげた。
リシャールと言う頭を叩くまで防戦に徹していたエリオット派はすぐに刃を納め、少しずつだがリシャール派の兵士たちも剣をおろしていった。
エリオットの腕輪に記された本当の王としての証、それと敵対していたはずのアーネストが同行していた事が大きな決め手であった。
ほとんど瓜二つの姿から一目ではどちらが勝ったかはわからなかっただろうが、内戦が終結したのは一目瞭然であった。
それからエリオットは、城壁を開けさせて自軍を街の中へと招き入れるとダグラス卿に兵の処置を任せ、アンジェラを伴いまた城内へと戻っていった。
行く先はもちろんリシャールが休んでいる部屋であり、足を踏み入れると同時にアンジェラはベッドへと駆け寄った。

「リシャール……ああ、リシャール」

「母上」

端正な顔にある無数の傷をいとおしげに撫でながら名を呼ぶアンジェラへと、ベッドの上から顔を傾けたリシャールが呟く。
この部屋の中にはエリオットやヴェンツェル、三人のインペリアル・ナイトにグロウを除いたカーマインたちと大勢が詰め掛けていた。

「母上、一方的に幽閉などしてしまい申し訳ありませんでした。私の頭の中に、あの声が響き始めてから、私の心は二つになってしまった。ゲヴェルに作られた自分、人としての自分。どちらが本来の自分だかわからなくなり……ゲヴェルの支配はあまりにも強かった。次第に自分が自分でなくなり、完全に自分が消え去る前にと」

「ええ、わかっています。貴方の優しい心はわかっていましたとも。エリオット、それにカーマインさん。約束を守ってくれてありがとうございました。こうしてまたリシャールと言葉を交わせるなんて、どれほどお礼を言ってよいか」

「いえ、僕らは何も。リシャールに恩赦を施し、牢ではなくこの部屋を与えたのはエリオ……エリオット王です」

「エリオット王だなんて……カーマインさんも、みなさんも今まで通りにしてくださいよ。あなた達の前では、ただのエリオットでいたいから」

「なに言ってるのよ、エリオット王。エリオット王、ばんざー〜いってね」

ティピにからかわれ、もうっと軽く憤るエリオット。
アンジェラやリシャールまでもがクスクス笑う中、突然控えていたアーネストがエリオットに向けて膝を折り頭をさげた。

「エリオット陛下。私、アーネスト・ライエルは、陛下を信じず、最後まで反逆を行いました。かくなる上は、インペリアル・ナイトの称号を返上し、刑に服するつもりです」

「ライエル!?」

「いいのだ、ジュリアン。どちらが勝っても、どちらかがこうなることは、覚悟していた。俺のついた側が負けたのだ。だから俺が刑を受ける。それだけのことだ」

「くっ……」

解っていたことだがと、目をそらさずオスカーが耐え難いと声を漏らす。

「エリオット陛下。ご沙汰を」

誰も口を挟めないほどに、即座に新たなる王へと決断を求めるアーネストであったが、当の本人はキョトンとしていた。
突然の事ですぐにはわからなかったようだが、理解を深めると同時に屈託のない笑みを浮かべて言った。

「いいえ。あなたは今のままいてもらいます。もちろん他の兵士たちも罰したりしません」

「陛下?!」

「今回の事で僕は誰も罰するつもりはありません。リシャールはゲヴェルに操られ、貴方や兵たちは自分の愛する国の為に戦った。見事な忠誠心を持った人たちを罰したら、僕が悪者になってしまいます。リシャールには王座こそ下りてもらっても引き続きインペリアル・ナイト・マスターを。貴方や兵に処遇は必要ありません」

「しかし……」

アーネストはエリオットの言葉に従うほかはなかった。
強情を張って罰を求めても、それは自分だけではなくリシャールや罪もない兵にまで向いてしまうからだ。
だが罰を受けなければ自らの気がすまないのも事実であり、頭を下げたまま見えないように唇をかんでいた。
打ち震える姿を見て、わかったとばかりにエリオットは言葉を変えて言いなおした。

「あなたには、大きな罰を与えます。アーネスト・ライエルはゲヴェルの脅威が去るその時まで、全力で民を守りなさい。与えられた職務を放棄することは許しません。多くの民の模範となり、民の生活を守りなさい」

「ふっ、これは、大きな罰だ」

「国王陛下直々の罰、このアーネスト・ライエル、謹んで受けさせていただきます。常に民の模範を示し、民の生活を守ることを誓います」

大きな罰だと言いながらも安心した声をだしたオスカーに続いて、アーネストはさらにエリオットへと頭を下げていた。

「リシャール、この言葉は貴方も同様です。良いですね?」

「謹んで受けさせていただきます。エリオット陛下」

「見事でしたよ、エリオット。それにリシャールも」

エリオットの処遇は、本当に言葉が変っただけで実質罰などありはしなかった。
本人がどう受け取るかしだいであり、人によっては甘いとさえ言わざるを得なかった。
だがこれからはリシャールがそのそばで、アーネストたちインペリアル・ナイツが支えてくれる事だろう。

「さて、私は帰るとするか」

誰一人欠けることなく迎えられて終結にほっとするのも束の間、ヴェンツェルが唐突に呟く皆に背を向けていた。

「えっ? ゲヴェルのせいで城を出たのなら、もう戻られてもいいのではないですか?」

「かも知れんが、今の研究を、早く完成させたいのでな。そうだ、ルイセ」

「えっ、あ、はい」

「今、研究していることで、お前の手伝いが欲しいのだが……」

「わたしでよろしければ、いつでもお手伝いします」

「それはありがたい。では、後日、改めて訪ねさせてもらおう。久々にサンドラの顔も見てみたいしな」

「はい。お待ちしています」

「バイバ〜イ!」

ルイセとティピに言葉を送られ、ヴェンツェルが部屋を後にするとコレまで黙っていたウォレスも腰を上げた。

「さて、俺たちも邪魔にならないうちに帰らねぇか? この国も王が変わって、少し忙しくなるだろう?」

「俺は家で待ってるカレンを安心させてやらなきゃならねえしな」

「いろいろお世話になりました。ウォレスさん、またいつか僕に剣を教えてくださいね」

軽く手を上げて了承の意をウォレスが伝えていると、エリオットが何かに気づいたようにジュリアンの方を見た。
ジュリアンの方も最初はその視線の意味に気づけなかったが、限りなく私事に近い事柄なので今は頭の隅に追いやられていたのだ。
ようやくその事に思い至り、しばらく迷いを見せたジュリアンへとエリオットが言った。

「そう言えば、ジュリアンさん。何かお願いがあるって……聞けるなら、今聞きますけれど」

「え、ええ。その陛下だけでなく皆も聞いてくれ。実は今までみんなに黙っていたことがある。これを言えば、私はインペリアル・ナイトでいられなくなるかも知れない。それどころか、我が家までも取りつぶしになるかも知れないが」

家が潰れるまでとはどういった内容なのか、エリオットが神妙にしながらも促す。

「話してみて下さい」

「私の名はジュリアン・ダグラスではありません。いや、ダグラス家の者であることは間違いないのだが、本当の名はジュリア・ダグラス。ダグラス家の息子ではなく……」

「とうとう言ってしまったか」

一大決心を前に切り出した事実に、驚かれるよりも知っていたかのようなアーネストの台詞にジュリアンの方が驚いていた。
もちろん全く知らなかったエリオットやアンジェラ、ウォレスたちはその限りではない。

「僕たちが気づかないと思ったかい?」

「カーマインたちには確かにばれていたが、それじゃ……」

「君が女であることを必死で隠しているようだから、みんなで気づかないフリをしていようってね、アーネストが」

アーネストがという点に力を込めてオスカーが言うと、アーネストが過剰に反応する。

「お、おい、オスカー!」

結局結論が表立って述べられる事はなかったが、エリオットはどういったことなのかを察した。
もちろんダグラス家の中で何があったかまではわからなかったが。
これからインペリアル・ナイツをまとめるであろうリシャールへと一度確認のために視線を送り、返される事でもう一度ふりかえる。

「ジュリアンさんの言いたいことはわかりました。元々、男のみという規則の方がおかしいのです。だから規則を変えましょう。インペリアル・ナイトは実力があり、皆の認める正しき者ならば男女を問わないものとする」

「あ、ありがとうございます、陛下!」

「良かったね、ジュリアン。一時はどうなるかと思っちゃった」

「おめでとうございます。ジュリアンさん」

「ああ、心配かけたな。それから、もし私の力が必要となったときには、いつでも訪ねてくれ。今まで世話になった恩を返したい」

ティピとルイセからの祝いの言葉を素直に貰い、カーマインとは握手を交わす。
この場にグロウがいない事が少し残念そうであったが、言葉を交わすことなどこれからいくらでもある。

「どうやら話もまとまったようですね。そこで私から提案があります。明日、内々でエリオットのお披露目の宴を開きたいと思います。そこでみなさんにもご出席していただきたいのです。みなさまもお忙しい身ですから無理にとは申し出ません。気が向かれたらぜひいらしてください」

最後にアンジェラから宴の誘いを受けてから、カーマインたちはローランディアへと帰って行った。

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