第九十三話 ゲヴェルへの誘い


思ったよりも数多く残っていたシャドウ・ナイツに、ウォレスの焦りは極限に達しようとしていた。
倒しても倒しても次のシャドウ・ナイトが現れ、一番倒したいと願うガムランは遠巻きに魔法で攻撃してくるのみ。
いっそ全てのシャドウ・ナイツを無視してガムランに向かいたい衝動に駆られもするが、それは背後に控えるミーシャによって不可能であった。
せめてグロウだけでもこの場に残ってもらうべきだったと、特殊両手剣を握る手に力を込める。

「最初の勢いはどうしたのです、ウォレス。私としては、このまま貴方が力尽きる様を眺められさえすればいいのですけれど」

「くっ、舐めるなよ!」

「ウォレスさん、駄目です!」

焦りがミスを誘い、ミーシャの制止も届く事はなかった。
無謀にも目の前のシャドウ・ナイツを無視してガムラン目掛けて特殊両手剣を放ってしまっていた。

「これを待っていたのです。我が魔力よ、我が力となりて敵を打ち砕け。ソウルフォース!」

「しまッ!」

天井付近へと集められた魔力が、青白い柱となって落ちる。
その先は唸りを上げながらガムランへと向かう、特殊両手剣だ。
特殊両手剣は正面切手のぶつかり合いでは無類の強さを発揮するが、真上からの攻撃に対しては無防備である。
それを証明するかのようにソウルフォールが特殊両手剣を上から押しつぶし、方向を変えさせあらぬ方向の床へと突き刺させる。
ウォレスも普段から、特にこの剣技に詳しいガムランがいるこの場では、投げつける際には最新の注意を払っていたのだ。
なのに安い挑発に乗って最悪の事態、武器を奪われる事となってしまった。

「さあ、お前達。武器をなくした男と、未熟な魔術師。存分にいたぶっておやりなさい」

今までだって楽な戦いではなかったが、些細なミスが大きな危険を呼び込んでしまった。
ウォレスの口から珍しくも謝罪が漏れる。

「すまん。俺とした事が……」

「過ぎた事は仕方ないです。でも、さすがにちょっとやばいですよね」

鋼鉄の右腕があるといっても、特殊両手剣を手にした時と比べればレベルダウンも必死である。
ガムランの笑みを背後に従え、シャドウ・ナイツたちがウォレスとミーシャへと間合いを詰めてくる。
ついミーシャは助けを求めてカーマインたちが消えていった謁見の間の扉を見上げてしまうが、答えはない。
それどころか、言い知れぬ不安感が不思議と沸いてきてしまった。

「ウォレスさん」

「いざとなればお前だけでも逃がす。合図をしたら」

逃げろと言い切る前に、ウォレスの肌が記憶にある気迫を捉えていた。
陰湿なガムランのものでも、気配の希薄なシャドウ・ナイツたちでもない、第三者。
その気迫の主をウォレスが探し出した時には、叫び声がホール一体に広がっていた。
カーマインに良く似た、だが微妙に異なるその気迫の主の声が響くと同時に、風が唸りを上げてホールの中を駆け抜けた。
ウォレスたちへと間合いを詰めに来ていたシャドウ・ナイツたちを跳ね飛ばしていく風、衝撃波。

「この技は」

「いよう、アンタともあろうもんが苦戦してるようだな。横から急に悪いが、アイツに恨みがあるのは俺も一緒でな」

「ゼノスさん?!」

ウォレスが察し、ミーシャが驚きの声を上げたとおり、そこには技を発し終えたゼノスの姿があった。
何故ここに、どうやってバーンシュタイン城の中にまで入り込んだのか、ウォレスたちに駆け寄るとガムランへと向けて大剣を掲げる。

「ぐぬぬ、裏切っただけでなく。邪魔まで、許しませんよ!」

「ほざけ、貴様に裏切り者呼ばわりされる言われはない。カレンを、恩人達を。そして俺を。これまでコケにしてくれた礼をここでしてやるぜ」

「加勢はありがたいが、どうやってここに?」

「ある爺さんに必死に頼み込んでつれてきてもらったのさ。最初は渋られたが、事態が変わったと急につれてこられた」

ゼノスが見上げたのは、先ほどのミーシャのように謁見の間がある扉であった。
その向こう側で一体何が起こっているのか、気にはなるが今はガムランやシャドウ・ナイツを倒すのが先決であった。
駆けつけるのは、それからでも遅くはないからだ。

「ゼノス、まずは俺の剣の回収を援護してくれ。ミーシャはゼノスに補助魔法を、行くぞ」

「了解だ。どっちがガムランを倒すかは、また後でな」

「わかりました。気をつけてください、まだ沢山敵はいるんですから」

ゼノスを加え、勢いづいたウォレスたちを止めるようにガムランもまた部下であるシャドウ・ナイツたちへと声を張り上げた。





リシャールが握る剣の冷たく硬い刃の上を、熱く赤い液体が伸びていき、やがて雫を形成して床へと落ちる。
時間が止まってしまったかのような謁見の間の中で、ほとばしっているのはグロウの翼であった。
だがそれも段々と力を失い小さく、光を失っていく。
まるでグロウの命が翼と同じ運命をたどるかのように、先駆けて翼が消えた。

「グロウ様!」

「馬鹿、アンタなんかが近づいたら一瞬で殺されちゃうわよ!」

ユニを後ろから止めたティピの台詞に、放心状態であったルイセが僅かに身じろぐ。

「短距離とはいえ、テレポートを使ってまで。だがその努力も……なに?!」

すぐさま剣を引き抜いてルイセへと向けようとするが、岩にでも突き刺さったように剣が微動だにしない。
どういうことだとリシャールがいぶかしんだ瞬間、グロウの両手が刃を握り締めている事に気づいた。
指は切り裂かれ、骨にまで達しているのではと思えるほどに握り締めているグロウの顔が上げられた。
殆ど光のない瞳を持つ顔から吐き出された声には、血が混じり何を言っているのか解らなかった。
だが次の瞬間、その答えが後ろから迫っていた。

「リシャール!」

床が割れるほどに踏み込んだカーマインが、シャドウブレイドを掲げて迫ってきていたのだ。
すぐにでも避けるか打ち払うかしなければならないのだが、グロウがしっかりと刃を握りこんでいて剣が抜けない。
蹴りどけるしかなかったが、そんな暇もなく、仕方なくリシャールは愛剣をグロウの腹に残したまま避けることを選択した。
跳び退いた直後にシャドウブレイドが振るわれ、無手のままではと声をあげる。

「アーネスト、お前の剣を私に」

「陛下、お受けとりください!」

投げつけられた双剣のうちの一振りを、リシャールが受け取った瞬間には、すぐさまカーマインが間を詰めてきていた。
達人は武器を選ばないとばかりに、手馴れた一振りのようにアーネストの剣で一撃をさばいていく。
グロウに駆け寄らずにすぐさま斬りこんできたのは意外であったが、さすがに気が気でない様子であった。
技巧を上回るリシャールを相手に、一分一秒でも早く倒してしまおうという焦りがカーマインに見て取れた。
カーマインの危惧は、グロウの怪我の深さだけではなかった。
目の前で庇ったグロウが重症を負ったのを見たルイセが、回復魔法を正常に扱えるとも思えなかったからだ。
願わくばそばにいるはずのエリオットがルイセを正気に戻してくれるか、叶うならばすぐにでもリシャールを倒して直ぐに駆けつけたかった。
だがそう上手く行くはずもなく、斬り結びは膠着状態へと入っていった。

「グロウ様、グロウ様。しっかりしてください、私がわかりますか?!」

「ユニ、落ち着いて。喋れるわけないじゃない。ルイセちゃん、はやく回復魔法。ルイセちゃんってば!」

カーマインの危惧したとおり、ユニを押さえつけるティピが呼びかけても、ルイセは放心したままかえってこない。
倒れこんだグロウの体にすがるようにして、返ってくるはずのない言葉を投げかけている。
リシャールに殴り飛ばされたエリオットが戻ってきても、それはかわらなかった。

「一先ずグロウさんに突き刺さった剣を抜きます。いいですか、剣を抜けば出血が一気にはじまります。ルイセさん、そこですかさず回復魔法を。聞いていますか?!」

「やだ、やだよう。起きてよ、グロウお兄ちゃん。何時もみたいに言ってよ。馬鹿ルイセって、呼んでよ」

「ルイセさん、しっかりしてください。貴方にしかグロウさんは救えないんですよ。グロウさんが死んでしまっても良いんですか!」

「そんなのいやだ!」

とうとう泣き出してしまったルイセを正気に戻せる方法は、エリオットにもティピにもわからなかった。
何時もなら冷静に方法を諭してくれるユニも、取り乱しており期待する方が間違っている。
そうしている間にもグロウの腹からは血が流れ出ており、助からないのではと残酷な言葉が脳裏によぎる。
一度頭に浮かんだ言葉が絶望を誘い、エリオットやティピまでもが諦めてしまいそうな時に、謁見の間のドアが僅かに開きとある老人が姿を見せた。
息を切らせて汗を浮かべるその姿に普段の余裕は見られず、全ての説明を省いてグロウへと駆け寄る。

「間に合わなかったか。エリオット、剣を抜け。私が処置にあたる」

「は、はい。お願いします、ヴェンツェル様!」

エリオットも無駄な問いかけは省いて、横たわるグロウの腹から伸びるリシャールの剣の柄に手を添えた。
一度柄に手を添えると、躊躇う間もなく一気に剣を引き抜いた。
その瞬間、意識がないはずのグロウが激痛により唸り声を上げて直ぐにまた意識を失った。
腹から噴出した血はすぐさまヴェンツェルが回復魔法で止めに入ったが、顔色から察するに思わしくないようだ。

「しばらく見なかった顔だが、今更どの面下げて舞い戻った、どの面下げて戻った、ヴェンツェル!」

カーマインを打ち合いながらヴェンツェルへとリシャールが侮蔑の言葉を投げかけたが、無視したのが良い証拠であった。
普段の彼ならば冷静に、淡々と言葉を投げ返すからだ。

「ヴェンツェル様、グロウ様はどうなのですか?!」

「いかん、私の魔力だけではとても足らぬ。ルイセ、何をしている。お前も加わるのだ」

ヴェンツェルも当然のようにルイセへと助力を要請するが、答えはエリオットたちに対するのと同じようにないも同然であった。
ただグロウへと縋りつき、血の代わりにこんこんと涙を流す。
治療の邪魔にさえなりそうなルイセを突き飛ばしてでも離れさせるか、ヴェンツェルが実行に移す前に手が伸ばされた。
震えるグロウの手が、ルイセの顔を撫でつけ、親指で涙をふき取っていく。

「馬鹿……泣きつく、相手…………違、う。だろ」

「喋るでない。今は己の体のことだけを案ずるのだ」

「そうよ、後はアイツがなんとかしてくれるから」

ヴェンツェルとティピの意見を無視して、グロウはルイセだけを見つめていた。

「俺の、ことはいい……だから、カーマインのそばに。あいつには…………お前が、ひつよ」

ことりと、涙を拭いていたはずの腕が落ちた。
まるで操っていた糸が切れた人形のように、意思なきもののように落ちた。

「グロウ様、嘘ですよね。何時も見たいに、皆様をからかってるだけですよね? 後でキスしてくれるって、だから起きてキスしてください。起きてください、グロウ様!」

「まさか、ここまで来てグロウを失うとは。私の計画が、計画の要が。何処で間違えた。何処で間違えたというのだ!」

ついにはティピもユニを抑えることをやめ、好きなだけ縋らせてやった。
いつか誰かがこうなっておかしくはなかったのだ。
ただその時がきてしまっただけではあったが、誰がそのような言葉の理屈で感情を納得させられるだろうか。
ヴェンツェルの不可解な取り乱しようも視界の外において皆が唇をかみ締める。
ただ一人を除いて。

「いつも、いつも意地悪なくせに。どうして自分の事は考えられないの? 人のことばかり気にして、もう少し自分に優しくなってよ。私に優しくなんかしなくていいから、もっと自分に優しくなってよ。だから私も意地悪する。グロウお兄ちゃんが自分に優しくなるまで、死なせてなんてあげないんだから!」

ルイセの体から爆発的に放出されたグローシュが、血の気を失ったグロウの体を包み込んでいった。
グロウの体を癒しては消えていくグローシュの光は、次から次へと尽きることなくルイセの体からあふれてくる。
誰もがルイセの魔力量とこれでグロウが助かるかもという安堵する中で、ヴェンツェルだけがそれに気づいていた。

(皆既日食のグローシアンと言うだけではない、これはもはや才能だ。血の力なくして、王たるグローシアンの力に限りなく近い)

言葉にならない驚きをおいて、グロウの体は確実に回復への道をたどっていた。
傷の度合いは見えなくとも、リシャールとカーマインからルイセが生み出すグローシュの光は十分すぎるほどに届いていた。
互いに剣でつばぜり合いを行い、間近で顔を突き合わせながら呟きあう。

「くっ……また、忌々しいグローシアンめ。何処までこの私を愚弄すれば気が済むのだ」

「誰も君を愚弄してなんかいない。していると言えば君自身だ。ゲヴェルの意志に負け、支配を受け入れた自分を卑下しているにすぎない」

「知ったような口を。ゲヴェル化を恐れて本気も出せない者がよく言う。ゲヴェルと化す事を誰よりも恐れているのはお前ではないか」

「そうさ、僕は恐れている。破壊の衝動に駆られて全てを破壊してしまう事を。それでも、僕は負けない。破壊の衝動を受け入れなどしない。そのことを彼が、グロウが教えてくれた」

「口の減らない奴め!」

突き放すようにリシャールがカーマインを押し返すと、その首目掛けて剣をないでいく。
その剣をシャドウブレイドで受け、押さえつけるように止める。
すかさずリシャールは片手を放しえカーマインの服の襟首を掴み引き寄せるが、その勢いのままにカーマインが額をリシャールの額にぶつける。
痛みでお互いが後ずさり、痛みを叫ぼうとする口を押さえ込んで再度剣を振るいぶつけあい、また離れる。

「ふざけた真似を。そこまで言うのなら見せてみろ、ゲヴェル化を恐れないと言う貴様の言葉を。貴様の意志を私に見せてみろ」

意志をどう見せればよいのか、言葉以上の方法が見出せないカーマインへとリシャールはあるものを懐から取り出していた。
生物の肉片、と言っても干し肉のようなものではなく、純粋に肉片であった。
どす黒く変色し、強い生命力のなせるわざなのか本体を離れてもまだうごめいている。

「貴様を引き込めると思った時に使えといわれた、あの方の肉片だ。これを口に含む事が出来るか? それでも貴様は負けぬと吼えられるのか?」

投げつけられたそれを手にとって、違った意味で口に含みたくはなくなった。
ただこのままリシャールを打ち倒すだけでは足りないと思っていたのも事実であった。
リシャールは誰よりもゲヴェルを恐れている。
アンジェラ、オスカー、アーネストとリシャールを心配する者たちのためにも、彼にもゲヴェルに立ち向かって貰わなければ助ける事は叶わない。
だから例えそれが罠だと教えられていても、ここは退くわけにはいかなかった。

「ちょっと、グロウを看てる間に、なに変なもん受け取ってんのよ。そんなもん捨てちゃいなさいよ!」

「いかん、奴の口車に乗るでない!」

だからカーマインは、ティピやヴェンツェルの制止を聞きながらもそれを口に含み飲み下していた。

「カーマインお兄ちゃん!」

「ルイセ様、今はグロウ様の治療を、手を止めないでください!」

ルイセに安心するように手を上げるが、その手は直ぐに下げなければならなくなった。
どす黒い肉片の色に反するように、飲み込んでいった喉もとが胃袋が溶岩でも飲み込んだように熱くなり始めていたからだ。
吹き出る汗と一緒に、ゲヴェル化を行う時に現れる闇色の光が体中から意志に反してあふれ出していく。

「愚か者め。これで貴様は私と同じ、あの方の操り人形と化すのだ。先ほどの言葉を撤回するならば、吐き出すのを手伝ってやらんでもないぞ?」

もちろんリシャールにそのつもりはないのであろうが、カーマインが前言を撤回する事だけを願い問うた。
だが湧き上がる闇色の光に体中を支配されたカーマインは言葉を発するどころではなくなっていた。
何もかもを破壊してやりたい欲求、欲望、欲の心があふれ出す。
大切にしていようと、してなかろうと。
愛情が深かろうが、浅かろうが。
全てに関係なく目に映る全てを破壊してしまいたい衝動にかられていく。
何度かゲヴェル化してしまったことがあるが、これまでの比ではなく、耐えるように体を曲げてゲヴェルの肉片がある腹を抱える。

「先ほどまでの意気はどうした。貴様の意志とはその程度のものか?!」

「言った、だろう。僕は負けないって…………」

息も絶え絶えになりながらも、それでもカーマインは自分の言葉を曲げなかった。
倒れこみそうになればシャドウブレイドを床に突き刺し杖にして体を支える。
破壊したいのではなく、今はリシャールを助けたいのだと自分の心に叫ぶ。

「僕は、とても弱い。弱音を吐くことも、膝をつくことも、諦めかける事だってある。それでも僕は、負けたくないと叫ぶ。こんなにも弱い僕を、信じてくれる人たちが、支えてくれる人たちがいるから。だからそんな人たちに応えたい、守りたいと思う。だから!」

ゲヴェルの肉片が放つ波動が臨界に達したように、カーマインの中で鳴動した。
言葉を発する事さえ辛いと思っていたカーマインの口から、苦痛の叫びが耐えることなく放たれていく。

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