第九十一話 潜入


街中を強引に突破したカーマインたちは、オスカーに言われるがままにとある場所に隠れていた。
バーンシュタイン城前にあつらえられた植木の奥である。
普通の城ならば、整えられ隠れるには心もとないのであるが、放置に近い状態であったのか木々が多い茂り隠れるにはもってこいであった。
全員が息を殺して身動きせずにいると、街の方角からやってきたバーンシュタイン兵が血相を変えて走ってくる。

「城だ、城の方面に逃げたぞ!」

「応援はまだか?! 俺たちだけでインペリアル・ナイトだったオスカー様を捕まえるなんて無理だぞ!」

数人の兵士が怒鳴りながら通り過ぎたのを確認すると、オスカーがカーマインの肩を指先で突いてきた。
振り向いて過ぐについてこいと言う合図を出され、さらに造園の奥へと入っていく。
奥に入るとますます手入れが行き届いておらず日の光は隠され、ここは森の中かと疑いたくなるほどであった。

「てっきり城門も正面突破かと思ってたんだけど、今度はこっそり行くんだね」

「ティピ、お馬鹿な発言も程ほどにしてください」

サンドラに造られた姉妹だからこそ、ユニは自分はそんな考えはしていなかったとわかるように注意する。

「それでもリシャールのもとまでたどり着く自信はありますが、街中は油断していた支援兵ばかり。近衛兵がいる城の中を突破すれば、体力の消費が激しすぎて戦う所ではなくなってしまう。ご希望なら、そうしますが?」

「失礼しました。遠慮しておきます」

笑顔で返答されてティピは言葉に窮してしまい、カーマインの背中に隠れるように逃げた。

「確かこの辺りに、城内の抜け道があるはずです」

「良いのですか? 同盟中とはいえ、ローランディアの騎士であるカーマインさんたちがいる前でそれを使ってしまって」

「ご心配なく、陛下。非常時ですし、全てが終わった後でこの抜け道は取り壊すつもりですから」

エリオットの疑問に当然の答えをオスカーが返して直ぐに、それは見えてきた。
誰も来ないような茂った木々のなかに、ポツンと用意された古井戸。
明らかに場にそぐわないそれにオスカーが近寄っていくと、井戸の中に持ってきたロープをたらし始めた。
誰がどうみてもこの古井戸以外に進入路は考えられなかったが、あからさま過ぎる外見にグロウが念のため尋ねた。

「まさかとは思うが、このいかにもって奴がそうなのか?」

「カモフラージュについては一考の余地があるけどね。もともとは城の中から王族を逃がす為の通路だが、逆に城内へと侵入することもできる」

仕掛けたロープに不都合がないかを確認すると、まず最初にオスカーが降りていった。
カーマインはすぐさま外壁への侵入順と同じだと悟ると次にエリオットを降ろさせた。
ご丁寧にロープの端々には結び目がつけられており、降りていくだけならエリオットでもさほど危なげはなかった。
問題は、古井戸を覗き込んでその暗さと、深さに怯えているルイセとミーシャである。

「これを、降りるの? ちょっと怖いよぉ」

「ここまで来て、なにを馬鹿な事言ってんの。いらいらする子ね。戦闘に比べたら全然怖くないでしょうが」

「怖いの種類が違うと思うんだけど、アタシもちょっと……」

ミーシャまでもが言い出したことで、ティピがカーマインを指差した。

「アンタ、面倒だからルイセちゃんを背負っておりなさい」

「時間ももったいないし、いいけど。ほら、ルイセおいで」

途端に嬉しそうになったルイセがかけよると、しっかりと背負ってからカーマインはロープを伝って古井戸の中へと降りていった。
次の順番はミーシャなのだが、こちらもルイセと同じように怖がっており、上目遣いでグロウに助けを求めてきている。
そこで求める先がウォレスでないのは、聞かぬが華である。

「わかった、わかった。捨てられた子犬みたいな目で人をみるな。ウォレス、悪いがまたしんがり頼むな」

「ああ、わかっている。それと後がつかえているんだ。さっさと降りろ」

ちょっと拗ねたような声なのは気のせいとしておいた方がよい。
グロウはすぐにミーシャを背負ったが、その動きが一瞬にして止まり、背中へ向けて振り返る。

「お前、けっこう胸でかいんだな。背中にもろ当たってるんだが」

「や、やめてください。からかうのは! 恥ずかしい上に、ユニちゃんの目が怖いんです」

「グロウ様、ミーシャ様……さっさと降りましょうね。蹴落としますよ?」

反論すれば噛み付いてくるのは明白で、グロウすらも無駄口一つ叩かずに古井戸を降りていった。
本当に井戸と言う形はカモフラージュの意味しかなく、井戸の底は水気一つなく、むしろ通路として整備されていた。
井戸の底で待っていたカーマインたちにグロウとミーシャがたどり着き最後のウォレスが降りてくるとと、オスカーが無言で先を指差し駆け始めた。
先を走るオスカーが魔力で明かりを作って先導するが、それでも明るいとは言いきれない上に、それぞれの足音が反響を繰り返す。
隠し通路だから仕方のない事なのだが、ルイセやミーシャは井戸を降りる時同様にやや怯えていた。

「う〜……やっぱり正面突破の方が良かったかも」

「ほら、ティピみたいに馬鹿な事言ってないで。手、かして」

「誰が馬鹿よ。悪かったわね」

ティピに愚痴られながらもカーマインは、ルイセの手を取って走り出した。
ルイセと同じように怯えていたミーシャも、井戸を降りてくる時のようにグロウへと視線をよこすが、こちらは頬を膨らませたユニに阻まれていた。
そんな攻防があったりした数秒後、急に通路が途切れた壁の前でオスカーが振り返った。

「さあ、ここだ。ここをあければ、もうそこはバーンシュタイン城内だ。準備はいいか? 陛下もよろしいですか?」

「僕は、大丈夫です。少しドキドキしていますけど……」

「ここまで来て、じゃあそう言うことでって帰るわけにもいかないしな。突入部隊に選ばれたのは不本意だが、ここまで着たからには戦ってやるさ」

エリオットの頭に手を置いてグロウが軽口を叩くと、ルイセの手を一旦離したカーマインが前に進み出た。

「エリオットの王位を取り戻す為に、リシャールを捕らえる為に行きましょう」

「では、開けます」

オスカーが何もなさそうに見えた壁に触れると、四角く切り取られた一部がズズッと音を立てて奥に押された。
直後、奥に押された壁よりも少しずれた位置にある壁が横にスライドし、明かりが暗かった通路へと漏れ始めた。

「廊下を南に下ったつきあたりがホールになっています。ホールから2階に上れば、リシャールがいる謁見の間へ入れます」

言うなり走り出したオスカーへと、街中を突破した時の隊列でついていく。
井戸の底を歩いてきた通路から一変し、光が幾度となく反射しそうな大理石の廊下を走りぬける。
兵の殆どが街の入り口に集まっているせいか、兵と出会うような事はなく、余りの静けさに一切の人が消え去ってしまったようであった。
廊下を抜けた先に待つのは、リシャールとアーネスト両名との死闘。
それぞれの胸に湧き上がる気持ちは、様々であったが大部分は張り詰めた緊張感であった。
つい先ほどまでカーマインに手を取って走ってもらっていたルイセも顔を引き締め、ミーシャに張り合っていたユニも表情が硬い。

「見えてきました。あれがホールです」

オスカーの言う通り、一行が向かう先に大きな空間であるホールが見えてきていた。
部屋の両脇には、黄金の女神像がそれぞれ二体並んでいる。
その奥川には鳥の両翼のように二本の階段が二階へと繋がっており、謁見の間へと続く大きな扉が見えた。
戦争を早期終結させるための戦いが行われる部隊まであと少し、本当にあと少しの所で聞きたくもない声が聞こえた。

「クックックッ、待っていましたよ!」

廊下からホールに飛び出して直ぐに足を止め、声に真っ先に反応しその場所をにらみつけたのはウォレスであった。
謁見の間の入り口へと続く二対の階段、その中央にたたずむ男は相変わらずな笑みを浮かべていた。

「今度は逃がさねぇぞ、ガムラン」

「この際だから言いましょう。私はあなたが大嫌いだったのですよ、ウォレス! 隊長の目がなかったらきっと殺していたでしょうね」

「今なら遠慮はいらねぇんだぜ?」

時と場合を忘れてらしくもなく好戦的になるウォレスの前へと、オスカーが割ってはいる。

「ちょっと待ってくれ! こんな所でぐずぐずしている暇はない。急がないと、我々が侵入したことが知れ渡ってしまう!」

「これはこれは、反乱の騎士リーヴス殿。こうして面と向かうのは初めてですな」

「その、人をバカにしたような口調はやめてもらおうか」

どうしてこうも人の神経を逆なでする術に長けているのか、割ってはいったはずのオスカーまでもが口調を強めて睨みつけ始めていた。
放浪のウォレスとインペリアル・ナイトであるオスカーの両者に睨まれてさえ、ガムランの笑みは変わらない。
むしろ一層相手の心をささくれ立たせるように笑みが深くなっていく。

「やれやれ、せっかくあなたを王の待つ謁見の間まで通してあげようと思ったのですが……行きたくないのですか? 親友の待つ場所へ?」

「……くっ!」

先に行かせないために立ちふさがったわけではないのか、ガムランの心情が読めオスカーが唸る。

「先に行くんだ。ガムラン相手に全員でかかる必要もあるまい」

「これは手厳しい」

「ミーシャ、ここでウォレスさんの援護を頼むよ。僕らが戻ってくるまで、耐えてくれさえすれば良い」

「わかりました。お兄様たちもお気をつけて」

ウォレスとミーシャの二人だけを残して行く事に最初難色を示しかけたのは、オスカーであった。
シャドウナイツの多勢に対してという事だろうが、結局は口を挟む事はしなかった。
なぜならば、この先にいるはずである二人は、この場にいるガムランとシャドウナイツ全員を束ねても敵わないほどの強さを秘めているからだ。
むしろどれだけ戦力がいても足りないのは、この先に進む自分達である。
ガムランやシャドウナイツたちが、手を出してこないか注意を払いつつ階段へと駆け寄り上り詰めていく。
その背後では、ガムランが勝ち誇ったようにショータイムだなどと気取った台詞を投げかけていた。

「ふりむくなよ、カーマイン。立ち止まる時間さえも削って、戻ってこればいいだけだ」

「わかってるよ。わかってる」

自分でウォレスとミーシャを残してくる決断をしながら、振り返りそうなカーマインをグロウが叱咤する。
誰もその叱咤を冷たいといわなかったのは、それが正論であり、それ以上にウォレスとミーシャを信じていたからだ。
長く続く階段に沿っていくと、たどり着いたのは謁見の間とホールを隔てる重厚な扉。
多少の事ではビクリともしないような扉を見上げながら、エリオットがゴクリと喉を鳴らした。

「ちょっと緊張しますね」

「エリオット陛下、折り入って、お願いがあります」

「どうしたんですか、あらたまって」

先を急ぎたがっているカーマインたちを制してまで何を言いたかったのか。
少し戸惑いながら問い返したエリオットへと、オスカーは偽らざる気持ちを述べた。

「我々がこの戦いで勝った場合、アーネスト・ライエルを罰しないでいただきたいのです。自分の主を守るのがインペリアル・ナイトとしての当然の義務。本来ならば誓いがありながら、反乱に荷担した私の方が罰せられるべきなのです」

「だけど、それは偽者を倒すために仕方ないことでしょ? アンタはどこも悪くないんじゃない?」

「上手く言えないけれど、称号に誓ったか、人柄に忠誠を誓ったかの違いですね」

「なんとなく、おっしゃりたい事はわかりますね」

ユニだけでなく、オスカーの言わんとしたことは皆が理解できることであった。
オスカーもアーネストも形の違う忠義を示しただけで、どちらも裏切ってなどいないのだ。
それを理解したうえでエリオットは神妙に頷いて、了承の意を述べた。

「わかりました、約束しましょう」

「ありがとうございます。そしてもう1つ、リシャール王の事ですが……」

「わかっています。彼がゲヴェルという化け物に操られ、意にそぐわぬ行動を強いられているのなら罰する理由もありません。なによりも、彼と僕はそこにいるカーマインさんたちのように双子のようなもの。彼に何かあれば母上が悲しみます。彼は捕らえた後、ゲヴェルを倒すまで、彼の身柄の安全を約束しましょう」

「まことに申し訳ございません」

何処までも寛容な主君に真に頭を下げたオスカーは、顔を上げると同時に扉に手を添えた。
そして一人一人の顔を眺めてから、ゆっくりと扉を押し開いていった。
扉の隙間から覗けた向こう側、正面には王が居座るべき玉座が待ち構え、そこにはエリオットに瓜二つの少年がいた。
顔こそ同一であるが、その瞳が、口元の笑みが、張り詰めた氷山のような凍れる気配が、エリオットとは似ても似つかない。
その少年のそばで控えるのは、一人でも王のそばに残る事を選んだインペリアル・ナイト、アーネスト・ライエルがいた。
オスカーへと射抜くような視線を向けた後に双剣に手を伸ばすが、さえぎるようにリシャールの片手が間に入り込んだ。

「とうとうここまで来たか」

「陛下……」

「まさかお前まで裏切るとはな。お前もそう思うだろ、アーネスト?」

つい以前の呼び方が口をついたオスカーを、リシャールがあざ笑う。
どう答えるべきか、珍しく困惑した様子を見せたアーネストに何も言わせずリシャールは続けた。

「それから、お前が余を偽者呼ばわりする下者」

「偽者も本物もない。僕はエリオットで、君はリシャールだ。だけどゲヴェルに操られたままの君にバーンシュタインの王位は譲れない。王位継承者の一人として、僕はそれを取り戻す」

「ならばこの私から奪い取ってみろ、エリオットとやら。お前が狙う王位は、そう簡単に奪う事は敵わぬと知れ。アーネスト、反逆者オスカー・リーヴスの相手は任せたぞ」

「はっ!」

改めて元主君から下された命に、僅かな怯みを見せたもののオスカーは直ぐに愛用の大鎌を構えた。
ゆっくりと確かめるように歩いて向かってくるアーネストを見据えた。
互いの距離が近づくにつれ、カーマインたちも各々の武器を構えたのだが、振り返ったオスカーにさえぎられる。

「頼みがある。アーネストは……ライエルは僕が引き受ける。手出しをしないでほしい」

「ええ、だけど……アンタとアーネストって」

「頼む。その代わり、君たちはリシャール王を!」

それ以上先は言わせないようにと、有無を言わさない形でオスカーが床を蹴っていた。
長い柄を持つ大鎌の不安定さを感じさせない踏み込みに、アーネストも自らの双剣を両手に持って迎え撃った。
互いの一閃がぶつかりあい、謁見の間という場所に似合わない刃が交わる音が響く。
僅かな交差の後も、息を吸う間もなく第二撃を繰り出しあう。

「オスカー……」

「アーネスト、僕たちは間違えているのかな?」

「さてな」

刃と刃が奏でる音はそのまま両者の心の悲鳴であるように、迷いとも言える呟きがオスカーの口から漏れる。

「どちらが間違えているのか、二人とも間違えたのか。いや、それとも二人とも正しいのか。どちらにしろ、判断するのは後世の連中だ」

「僕は君がうらやましいよ。冷静にそう言切れる君がね」

「人の気も知らずに」

胸のうちこそは放たれる言葉と間逆であるのか、苛立ちとも呼べる呟きがアーネストの口から漏れた。
オスカーの迷いと、アーネストの苛立ち。
そのどちらも発端は、望まぬ対立から生まれていたのは間違いなかった。

「どうやら腕は衰えていないようだな」

「お互いにね」

それでも互いに崇めるべき主君を自らの意志で選んだ両者は、主君の為に刃を手に取り、親友へと振り上げた。

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