ダグラス卿が率いる軍隊の行動は、カーマインたちの進言から幾つかに別れる事となった。 まず一つは当然の事ながら、魔物を操っているであろうシャドウ・ナイトを捜索する為の部隊。 カーマインたちもその部隊に加えられ、捜索を行う事となっている。 他にも二つあり、目の前の魔物を追い払うなりなんなりする部隊と、遠征の長期化を見込んでの補給部隊へのてこ入れであった。 シャドウ・ナイトを追い払う事が一番被害も費用もかからないのだが、手間も他に比べ物にならなかった。 裏の実行部隊だけあって姿を隠す事に長けているのだ、その上、カーマインたちだけでなく捜索部隊の誰にも魔物使いに対する知識が足りなかった。 殆ど闇雲にあたり一体を探し回る事数時間、カーマインたちは一旦腰を落ち着けて捜索の方針を考えなおす事になった。 「うへぇ〜……疲れた。これだけ探し回ってもいないんだし、本当にいないんじゃない?」 ティピの言う通りそう言う可能性も全くないわけではないのだが、進言した手前いませんでしたではすまない。 カーマインたちはローザリアからの援軍のようなものでもあるため、なおさらである。 「もう、いるいないではなく。居るものだとして探すしかないだろ。だが当てにしていた魔物を操る粉の匂いが風の中にない」 「それが一番問題ですよね。粉に頼らなくなったのか、あらかじめ仕込んでおいた魔物を使ってるんでしょうか?」 「それは少し考えにくいと思うよ」 ミーシャのあらかじめ仕込んでおいた魔物をという意見を否定したのは、カーマインであった。 「軍の大部隊を足止めするぐらいの量の魔物を、連れて歩けはしないだろうし、この辺りにいる魔物を使わなければ違和感からばれちゃうしね。多分、風を使わずに別の方法で粉をばら撒いているんじゃないかな?」 風ではない別の方法と言われ、ミーシャは辺りを見渡し、ウォレスは耳を研ぎ澄ませていた。 今いる場所は街道から森へと入り込んだ獣道であり、近くには魔物があふれ出している川の上流の流れがあった。 風はそよ風程度であるが、北の大地だけあって昼間でも冷えた温度であった。 魔物を操る粉を風以外でどう放つのか、魔物使いであるプロが考えた方法を素人であるカーマインたちにおいそれと見つけられそうにはなかった。 「あ〜、もう。疲れた、のどか沸いた、お腹すいた!」 「だからと言って叫ぶな。少しそこの川で頭でも冷やしてくる事だ」 「冷たッ! おっさん、冷たい。いいわよ、冷やしてきてあげようじゃない」 一人で勝手に騒いで、勝手に怒り出したティピは、水筒のコップを持って川へと飛んでいった。 何をするつもりか解らないが、川にだけは流されないようにとカーマインが見張っていると、川を覗き込んでいたティピが一瞬嫌な笑みを浮かべていた。 ティピは水筒のコップで川の水を汲むと、わざわざそれを持ってカーマインたちの頭上からばら撒き出した。 「ほら、アンタたちもしっかり頭を冷やして考えなさい。冷たくて気持ち良いでしょ!」 「きゃっ、ティピちゃん。やめて、濡れちゃう!」 「唐突さがたまにグロウと重なるな、コイツは」 「ティピも母さんにつくられたんだから、血が繋がってるようなものですからね」 ティピが水をばら撒いたと言っても、体の大きさから小雨程度であり、数秒で蒸発してしまう。 イタズラがたいしたイタズラにもならずに、カーマインとウォレスはむしろ呆れた顔で水をばらまくティピを見上げていた。 唯一慌てているのはミーシャぐらいであったが、ある時点を境にウォレスの顔色が変わった。 その形相に、やりすぎたかとティピが身を縮こまらせる。 「うッ……そこまで怒んなくても」 「違う、そうじゃねえ。水だ」 そう言ってからすぐに川辺へと向かったウォレスは、川の水の匂いを嗅いでから、口の中に一口含んですぐに吐き捨てた。 「あのウォレスさん、水が飲みたいのなら水筒ありますよ?」 「って、ミーシャあるのなら言いなさいよ。なんで私は川の水で、ウォレスさんが水筒の水なのよ」 「だってティピちゃん、言う前に川に飛んでいっちゃったじゃない」 ティピとミーシャが的外れな会話を行う一方で、カーマインもウォレスに見習って川の水を調べてみた。 さすがにウォレスほど鼻は良くないので匂いはわからなかったが、明らかに川の水の味が妙であった。 普通家屋のない街道近くの川は水が澄んでおり、透明感があるはずである。 なのにこの水は何かが溶け込まされているような違和感がするのだ。 「ウォレスさん、これって」 「ああ、迂闊だったぜ。確か報告では、魔物は水辺のものばかりだったはずだな」 「はい、と言う事はつまり」 カーマインとウォレスが同時に見たのは、さらに川の上流の方であった。 事態を掴むのに一歩も二歩も遅かったミーシャとティピに事情を説明すると、シャドウ・ナイトがいるであろう上流へと向けて歩き出した。 川辺を歩く事で気づいた事であるが、バーンシュタインへと続く橋を占拠したのと同種の魔物が、川下へ、川下へと移動するのが頻繁に目に付いた。 まるで一箇所に終結するようなその姿に、やはり川上の方が怪しいとカーマインたちは足を速めた。 しばらく川に沿って上流を目指すと、この川が山間の洞窟から流れ出しているのが見えた。 そこならば姿を隠すのと同時に、川に薬を流すのもわけがないはずだと、カーマインが後ろを振り返った時驚愕した。 空から滑り落ちるようにしながら、大鷲がカーマインたちに向けて突っ込んできていたからだ。 「ウォレスさん、ミーシャ!」 全てを伝える間もなく、カーマインは咄嗟にミーシャを押し倒すのが精一杯であった。 助け損ねたウォレスのうめく声が倒れこんだカーマインの耳に届く。 急いで起き上がるところに大鷲の鳴き声が当たりに響き、川辺を下流へと下っていたはずの魔物たちが陸へと上がりだした。 「ミーシャはウォレスさんの怪我を見てあげて。その間に雑魚は片付ける」 「いや、爪がかすっただけだ。心配はいらねえ。それに魔物の動きが変わったと言う事は、気づかれたかもしれねえ。急がねえと、逃げられて同じ事の繰り返しだ」 「お兄様、どうしますか?」 目の前のザリガニが巨大化したような魔物へと、ファイヤーボールを投げつけながらミーシャが問いただしてきた。 いつもならばすぐさま二手に分かれるところであるが、あいにくグロウに加えてルイセもこの場にいない。 考えてみれば、常に五人で動いていたチームが三人にへっていたのだから、戦い方を変えなければならない。 それなのにカーマインは、普段どおりに動こうとしていた自分を恥じた。 「最優先で上空の目を潰します。ミーシャは魔物の足止め、無理に倒さなくて良い。合図をしたらウォレスさんは大鷲を攻撃してください」 ファイヤーボールが再び火を噴いたのを肌で感じながら、カーマインは両足をぬかるんでいる足元へとめり込ませていた。 ミーシャに魔物の足止めを頼んだ以上、自分は周りの魔物から完全に意識を外して、はるか上の大鷲を睨む。 普段よりも少しだけ刃の幅を広くさせたシャドウブレイドを構える。 シャドウブレイドが空を裂いた。 見えない斬撃は明らかに大鷲の虚をついていたが、相手は空の王者。 大きくよろめきながらもそれをかわし、動きの止まったカーマインへと向けて再度空を滑り落ちてくる。 「ウォレスさん、今です!」 だが次こそがカーマインの狙いであった。 カーマインを襲うと決め込んだ大鷲へと向けて、二つ目の飛び道具である特殊両手剣が向かっていった。 すでに一撃目をかわし、二撃目がないと思い込んで空から急降下してきていた大鷲に、それをかわす術は存在しなかった。 かろうじて身をよじるも片翼を切り裂かれ無残にも落ちていった。 「ミーシャ、ファイヤーボールで目くらましを。一気に洞窟内部へ突っ込む」 「わかりました。我が魔力よ、我が敵を焼き払え!」 カーマインの言葉に従ってミーシャがファイヤーボールを地面に叩きつけると、泥水が一気に蒸発してあたり一面に不透明な煙が舞い上がる。 こうなるとカーマインたちも前が見えないのだが、そこはウォレスの出番であり、彼の先導に従って洞窟を目指した。 ぬかるみではなく、今度は滑りやすくなった地面を感じながら洞窟を奥へ奥へと進む。 相変わらず川の中では魔物たちが次から次へと下流を目指して泳いでいた。 どうやら洞窟内部では襲ってくる様子もなく、足早に急ぐカーマインたちはやがて洞窟の最奥で広々とした空間に躍り出た。 そこでは見覚えのある男が川の水の中に金色に光る粉を溶かしていたが、こちらに気づくや否や叫んできた。 「誰です!?」 「俺たちを忘れたっていうのか?」 ウォレスの皮肉るような言葉に、魔物使いであるシャドウ・ナイトの顔色が変わった。 どうやら向こうもしっかりと覚えていたようだが、まさか自分を探して現れるとは思っても見なかったようだ。 「お、お前たちはっ……表では私のラファガが目を光らせているはず。お前達がいると言う事は、私のラファガは」 シャドウ・ナイトの青ざめていた顔色が、事実を推測する事で赤く憎悪に彩られていく。 「よくも、我が友を! 許しませんよ!」 「許さないのはこっちよ。毎度毎度、面倒な手を考えて、暗いんだから。アンタたち、やっちゃいなさい!」 「ミーシャ、表面だけで良いから川を凍らせて。ウォレスさんはミーシャの護衛をお願いします」 ティピに言われるまでもなく、カーマインは言えるだけの事を最低限伝えると、シャドウブレイドを構えて突っ込んでいった。 すでに陸に上がっていた魔物はともかくとして、ミーシャが川を凍らせる事さえできれば魔物の足は鈍る。 ミーシャが唱えたらしきフリーズの魔法の冷気を肌で感じながら、カーマインはシャドウ・ナイトを守るべき飛び出した魔物を切り捨てる。 以前もそうであったが、この魔物使いは魔物を操るだけで自分自身は何の力も持っていなかった。 今回だって、見つかった時点で逃げるべきだったのだろう。 だが彼のラファガを殺されたと言う憎悪に狂った瞳がそれを選ぶ事はなく、彼は自分がまともに戦えない人間だと言う事を忘れていた。 「よくも、ラファガを!」 「…………」 あまりの彼の狂い様に、うっかり口を開けば謝罪の言葉が出てしまいそうで、カーマインは真一文字に唇をつなぎ合わせていた。 何の武器もないままに突っ込んでくるシャドウ・ナイトを切り捨てる。 大量の血を体から流して倒れこんでいくシャドウ・ナイトの視線はカーマインを離れ、ここではない場所を見つめ出していた。 「くっ、私は……すまない、ラファガ。お前の敵は。また一緒に…………大空を」 以前道具のように魔物を扱った男が、あの大鷲だけは友達と思っていたようで、その様を見せられたカーマインは胸を押さえていた。 倒すべきを倒しただけであるのに、やけに後味が悪く胸に鉛でも飲み込んだような重さが残る。 そんなカーマインの肩を、魔物を片付けたウォレスが叩く。 「行くぞ。こいつとは敵同士だった。だから戦った。俺たちは俺たちの仕事をするだけだ」 立ち止まるべきでない事は解っており、カーマインはすぐに洞窟の外へと足を向けた。 シャドウ・ナイトを倒した事で、討伐部隊をかき集めてから宿営地に戻ると、討伐に出かけた時とは雰囲気が一変していた。 魔物が射なくなった事で遠征が再開されるとか、そういった類の物ではなく、もっと明確に決戦を前にした殺伐さが見え隠れしていた。 ひとまずダグラス卿のもとへとカーマインたちがする前に、そのダグラス卿とアンジェラが足早に歩いていくのが見えた。 二人の顔色から何かが起こっているのは確かなようで、報告をするついでにとカーマインたちは駆け寄っていった。 「ダグラス卿、皆が殺気だっているように思えますが。何かあったのですか?」 「おお、君達か。どうやらそっちは上手く行ったようだが、また次の問題が出てしまった。説明は歩きながらしよう」 カーマインの言葉に先を急がせる言葉を送ったダグラス卿は、事の次第を話し出した。 恐らく同時刻なのであろうが、カーマインたちがシャドウ・ナイトを倒した頃合から、バーンシュタインへと続く橋を占拠していた魔物は退散していった。 幸いにも兵士が襲われるような事もなく、水や魔物の分泌物で多少滑りやすくなった橋上を掃除し始めた時に、彼が現れたらしい。 インペリアル・ナイトであるオスカー・リーヴスがである。 大軍を引き連れてきていたようで、一触即発かと思いきや橋へと近寄ってきたのは彼一人だけであったと言う。 それがなおさら疑惑を呼んで、今の騒ぎに至ったという。 「どう思う、カーマイン?」 「戦う意志はまだないって事なんでしょうね。戦を開始する前の挨拶とも思えませんけど」 まだどうにも情報が少なく判断できない中で、橋までたどり着くと確かにオスカー・リーヴスがそこにいた。 ダグラス卿側の兵たちとにらみ合うような形で相対してはいたが、彼の顔は戦闘を前にした緊張感は微塵も感じられなかった。 穏やかに、春風のような温かみを持った微笑を浮かべていた。 「どうやら、そちらの代表者がやってきたようだね。ダグラス卿、お久しゅうございます」 「挨拶は後にして、手短に用件を済ませようか。部下たちが神経質になっているのでな」 「では単刀直入に伝えましょう」 ダグラス卿の言葉に答えるように、オスカー・リーヴスの微笑が終わりを告げた。 「我が隊は貴殿らと戦う気はございません。逆に貴殿の配下に加えていただきたい」 「なっ」 「信じていただけませんかな?」 本人の言う通り、もっともリシャールの信頼の厚かったインペリアル・ナイトの一人であるオスカー・リーヴスが反乱軍に加わると言うのは信じられなかった。 誰もがオスカー・リーヴスとアーネスト・ライエルの二人だけは、最後までリシャール側につくと思われていたからだ。 何しろ彼らは、臣下の範疇を越えて、士官学校時代からずっとリシャールのそばにいたのだ。 心の奥底では臣下としてだけではなく、古くからの友として接してきた事は間違いはずである。 「私はインペリアル・ナイツとして国王陛下の身近にいた者です。しかし最近の陛下は、すっかり変わってしまわれた。そんな折り、あの陛下は真っ赤な偽者であると貴殿らは反乱を起こされた。それだけならまだしも、アンジェラ様までが貴殿らを支持している。母が実の子を見間違えるはずがありません。私は真実が貴殿らにあると判断し、インペリアル・ナイツとしての使命を果たすべく、ここへ参上しました」 「それでは協力していただけるのですね?」 必死の熱弁にひかれて後ろに控えていたアンジェラが問うが、オスカー・リーヴスの顔色が少しだけ変わった。 「これはアンジェラ様……失礼を承知で、おうかがいしたいことがございます。本当に陛下は偽者なのですね? 世を乱す王を討つため、嘘をおっしゃっているわけではないのですね?」 毅然として自らの選んだ道を進もうとしていたオスカー・リーヴスが、それを問うときだけ、迷いを見せていた。 アンジェラにもその不安はあったのであろう、彼の迷いを断ち切るのを手伝うようによどみのない声で言いきった。 「今王位についている者は幼少の頃すり替えられた偽者。本当の息子は、今ジュリアン将軍と行動を共にしています」 「先ほどの無礼をお許し下さい。私、オスカー・リーヴス。騎士の名に懸けて、忠誠を尽くすのは真の王のみでございます。あなた様の協力をさせていただきたく存じます」 「ダグラス卿、私は彼を信じようと……いえ、信じるに値する忠誠を持った騎士だと思います」 アンジェラの決断によってオスカー・リーヴスは、ダグラス卿が率いるエリオット軍に加わる事になった。 彼が率いてきた軍隊も加えられ、まずは軍の再編成と情報の交換を行う為に、今一度この宿営地に留まる事になった。
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