「私も……行く。私だって、助けたいの。カレンさんを」 そう言ったルイセの顔色は、明らかにすぐれていなかった。 休息も満足に取らないままに、何度もテレポートを使ったおかげで体力が限界まで磨り減っていたのだ。 副学院長の言う呪いをとく道具を完成させてコムスプリングスまで戻ってきたのを最後として、グロウはカレンの救出に連れて行くつもりはなかった。 だから助けに行くと無理をしようとするルイセを、宿の前まで無理に連れてきたのだ。 「ダメだ。後はカレンの呪いをとくだけなんだ。お前はここで待ってろ。ユニ、お前が責任持って見張ってろ」 「それは、かまいませんが」 「私も教師としての立場から、大人としての意見としてグロウ君の意見に賛成だ。いくらグローシアンでも、魔法を使い続ければ当然疲労する。なあに、呪いをとくだけならば君の力を借りるまでもない。安心して吉報を待っていると良い」 グロウはともかくとして、副学院長にまで言われてしまえばルイセもそう我がままをいえなかったようだ。 諦めるように無言で頷くと、頼りない足取りでユニを連れて宿へと入っていった。 「おい、話が済んだのなら急いでくれないか。妹が心配なのはわかるが、少しでも早くカレンを助けてやりてえ」 「そうだな、すまない。急ごう」 放っておけば一人で先走りそうなゼノスを先頭にして、グロウたちはカレンが捕まっているシャドウ・ナイツの隠れ家へと向けて走り出した。 カレンを呪いから解き放つ道具を使うのに要したのは、ほぼ丸一日。 もはや猶予があるのかないのか微妙な時間に差し掛かっており、確かにゼノスの言う通り急ぐ必要があった。 まだ日が完全に昇りきらない時間の温泉街は閑散としており、グロウたち三人が駆ける足音がやけに響いていた。 人のいない繁華街を通り抜け、別荘地へと足を踏み入れるとそのまま真っ直ぐ隠れ家へと向かう。 一旦近くの路地に隠れて隠れ家を伺うが、特別人がいるような気配も見えないためゆっくり近づいていく。 「こういう時は、ウォレスのおっさんがいれば正確な情報がわかって助かるんだが。ゼノス中の人の気配とか解るか? いないような気はするんだが」 「いない!」 その余りにも早く気合の入った返答は、カレンの救出を前に勇んでいるようでまったく当てにはならなかった。 「私は学者なのでこういう事はよくわからないが。カレンという娘がかけられた呪いは、術者が念じる事で始めて効果が発動する。つまり、ガムランとか言う者がいなければ問題ない」 「確率が成り立ちそうにもないな。単純にガムランがいるか、いないか。解らないのなら、まごついているだけ無駄だな」 「だったら、行くぞ!」 だからと言って即座に踏み込む事もないだろうに、ゼノスはわざわざ扉を蹴破って隠れ家へと突入していった。 慌ててグロウと副学院長が後を追おうとするが、すぐにゼノスが入り口から顔を出してきた。 あやうく出会いがしらにぶつかりかけたグロウは、ゼノスの胸に手を付いて衝突を避けた。 「危ね。勢い欲入っていって戻ってくんなよ」 「悪い、悪い。なんか拍子抜けするほどに、誰もいないぞ。慌ててシャドウ・ナイトが出てくるわけでもなく」 運よく留守であったのか、誰もいなかったことに安心するとグロウたちは以前見つけた隠し階段を下りていった。 温泉の臭いが底で溜まった様な不快な匂いのする場所に、カレンが閉じ込められている事に副学院長は憤慨していた。 階段を折りきる前に駆け下りて行ったゼノスを追い、言葉を交わす兄妹に追いついてすぐに副学院長は準備を始めていた。 「カレン、もうすぐだ。もうすぐ自由にしてやれるからな。このおっさんが呪いを解いてくれる」 「もうすぐ、兄さんも、グロウ君も。叔父様もありがとうございます」 「まだか、まだなのかおっさん!」 「そう慌てるでない。物には順序というのがあってだな……」 「そんなこと言ってる暇があったらさっさとやってくれ!」 今か今かと急かすゼノスの声に重なるように、この場にいない者の声が下りてきた階段の上の方から響いた。 「クックックッ! やっぱり来ましたね」 その声を聞くやいなや、カレンは喜びに綻ばせていた顔を青ざめ引きつらせていた。 そんなカレンの顔を見るまでもなく、グロウはもとよりゼノスも誰の声なのか思い至っていた。 得物を追い詰める事を楽しむようにゆっくりと階段を下りてくるガムラン。 あまりにもタイミングの良すぎる登場に違和感を感じながらも、グロウとゼノスは持っていた剣を抜いた。 「ガムラン、よくも俺の前におめおめとその面みせられたもんだな。それより、どうして俺たちがここにいるとわかった!」 「お前達がすでにここを突き止めていた事は先刻承知だ。どこかの誰かさんが入りましたよと言わんばかりに、牢屋の前の壁を壊してくれましたからね」 そう言ったガムランがあごで挿したのは、カレンがいる牢屋の直ぐ目の前の壁であった。 他の古ぼけて苔むした壁と違い、えぐられた様にして真新しい壁がむき出しとなっていた。 それを見てすぐにゼノスが呻いたのは、その傷を作ったのがゼノス自身であったからだ。 最初にこの場に来た時に、カレンの状態を知って怒りに任せて破壊した壁であった。 「やはりお前は力はあるのだが、頭が少し足りなかったようだな。その為に、妹が苦しむ事になるのだ。このように」 ガムランが何かを呟こうとすると、カレンの恐怖が怯えと言う形をとって、悲鳴へと変化した。 「きゃああっ!」 「カレン?!」 呪いが発動したのか、体中を両手で押さえつけようとカレンが倒れこんで悶え始めた。 「どうです? 今は痛みだけでしたが、別の言葉でその娘を殺すこともできるのですよ?」 「ガムラン、貴様!」 我慢できないとばかりに、ゼノスが向かっていったが、そもそもガムランが一人で姿を現すわけもなかった。 階段からガムランを守るように数人のシャドウ・ナイツが姿を現しゼノスの猛攻を数人掛かりで止めに入った。 グロウも加勢に入りたかったが、狭い牢獄と言う中に加え、ゼノスのふりまわす大剣に下手をすれば巻き込まれかねなかった。 さらに言うならば援護しようにも魔法は逆にゼノスを巻き込む危険性もあり、せめてと援護魔法をゼノスへと向ける。 「仕方がねえ。ゼノスしばらく時間を稼げ。焦るな、時を待て!」 「待つ必要なんかねえ。今すぐにでもこのクソ野朗を!」 「言葉には気をつけてほしいものだな。それにこの状況で一体何を待つと……まさか、あの老人。魔法学院の副学院長、ブラッドレーか?!」 さすがに呪いを扱うだけあって、とくがわにいる副学院長の顔を知っていたようだ。 同時にこちらが何をしようとしているのかを悟られてしまう。 「おっさん、気づかれた。急いでくれ!」 「だがあと少し、もう少し待ってくれ」 「させません。人質としての価値が薄れると言うのならば、いまここで、殺してあげますよ」 再びガムランが何か言葉にならない言語を口ずさみはじめた。 すでに先ほどの激痛で動く事のできないカレンは、それを聞いても身動き一つしていなかった。 間に合わないのか、グロウが副学院長へと振り返ったとき、ガムランの呟きが終わりを迎えた。 「止めてくれ!」 「今更後悔しても、もう遅い。ギフト・カレン・ダイ!」 「今だ!」 だがガムランが最後の言葉を叫ぶのを待っていたように、副学院長が手に持っていたものを倒れているカレンへと投げつけた。 それは藁でできた人形であった。 ガムランとカレン、その一直線上に割り込むようにして投げ込まれた人形は、爆ぜるように光を放って瞬くと次の瞬間には燃え上がり灰となって床に落ちていた。 成功か、失敗か。 カレンの指がかすかに動いた事で、どちらか聞くまでもなかった。 「馬鹿な。どうして生きているのです。私の呪いは完璧のはず」 「ふむ、どうやら呪いをかけることばかり学んでとく術を学んでいないようだな。呪いの解き方は二つある。呪いそのものをとくか、その身代わりを捧げるのか。お前が使った呪いは後者でしかとけない。しかも相手が呪いを使う瞬間にしかね」 副学院長の逐一強調した言葉を汲み取るのであれば、ガムランはわざわざ自分で呪いをとくチャンスを与えたにすぎないということであった。 「呪いに詳しいが故に、策におぼれたか」 「もっとも、何もかもがギリギリであったのも本当だがな」 「なんでもいいさ、カレンが助かったのなら。これで心置きなく戦えるぜ。覚悟しろ、ガムラン!」 「おのれっ! 皆殺しにしろ!」 ガムランの命ですぐさまシャドウ・ナイツたちが向かってきたが、ゼノスの勢いはそれらを凌駕していた。 カレンを苦しみから救う事ができた喜びと、カレンを苦しめられた辛さ。 相反する二つを剣に込めて思い切り振りぬいていた。 本当にこんな奴にカーマインは勝ったのかと疑うほどに、ゼノスの斬撃は感嘆に値した。 だがゼノスの勢いも部下を見殺しにして逃げに徹したガムランには、あいにく届く事がなかった。 数名のシャドウ・ナイトを切り捨てる間に、ガムランの姿は完全に消えてしまっていた。 カレンが目を開けたとき、まっさきに飛び込んできたのは今だ心配そうに覗き込んできていたゼノスの顔であった。 だがその顔も目が開くと同時に喜びに彩られたと思えば、次の瞬間には体を少し起こされ抱きしめられていた。 なんとなく自分があやす側となってゼノスの背中に手を回してポンポンと叩いてやる事になってしまった。 それからようやく気持ちに余裕が出てくると、ここが何処かの宿らしく、自分がベッドで寝ていた事を思い出した。 「兄さん、私……」 「もう何も心配しなくていいんだ。呪いもおっさんが解いてくれた」 「そう、私もう。あんな痛い思いしなくて良いんだ。もうあんな……」 思い出したように泣き出したカレンを、今度はゼノスがあやすように慰め始めた。 その様子を今は邪魔すまいとグロウと副学院長は、部屋の隅で二人が気のすむまで待っていた。 だが二人の慰めあいが終わったのは、二人の気がすんでからではなく、部屋のドアが開いた為に中断されてしまう。 「ルイセ様、もう少し休まれていた方が」 「カレンさんに会ったら直ぐに休むから」 そう言いながら部屋へと入ってきたルイセは、まずカレンよりも先にグロウの事を睨んでいた。 「グロウお兄ちゃん、カレンさんを助けられたのなら起こしてくれてもいいじゃない。ユニに口止めまでして!」 「青い顔して息巻くな、馬鹿」 「馬鹿でいいもん。カレンさん、呪いとけたんですよね。おめでとうございます」 グロウへと舌を出してからカレンへと挨拶をしたルイセであるが、むしろカレンのほうに驚かれてしまっていた。 カレンも相当体力を減らしていたが、ルイセもまけず劣らずと言う様子であったからだ。 「私はもう大丈夫。ルイセちゃんこそ、大丈夫?」 「すこし体がだるいですけど、全然平気です」 カレンとルイセ、そこにユニをまじえてお喋りがはじまったため、静かに離れるようにしてゼノスがグロウと副学院長へと歩み寄ってきた。 「二人とも、改めてお礼を言わせてくれ。二人のおかげでカレンを無事救い出せる事ができた」 「なあに、学術は本来人を助ける為であるからして、本文を全うしたにすぎんよ」 「お前がシャドウ・ナイツを抜ければ戦力ダウンは必死だからな。ガムランにも一泡ふかせられたから、礼はいらん」 「その事なんだが……」 ガムランの事を聞いて息巻くどころか、口ごもるようにしたゼノスは、意を決して頼み込んできた。 「俺も、お前らと一緒に戦わせてくれないか? 礼をしたいのはやまやまなんだが、俺には戦う事ぐらいしかできッ」 グロウはゼノスの言葉を最後まで聞くことなく、頭を叩いて無理やりその口を閉じさせた。 いきなり何をするんだと怒鳴りたい気持ちと恩人だからと我慢するゼノスを前に、グロウはちらりとその後ろにいるカレンを見た。 同じ部屋にいるのだからゼノスが何を言おうとしたのかも聞こえており、耳が完全にこちらに傾いていた。 「本当にお前は馬鹿だろ。馬鹿だな。馬鹿、大馬鹿だ」 「なんでいきなりこき下ろされなきゃならないんだよ。言っただろ、俺には戦うぐらいしか」 「何度でも言ってやるよ。この馬鹿野朗。カレンのそばにいてやれよ。今は良くても、眠れない夜だって。恐怖や痛みを思いだす事だってあるだろ。そんな時、そばにいてやれよ。怖い思いしてる上に、戦場にいる兄を思えってか? お前のお礼ってのはただの自己満足だ。本当にお礼がしたけりゃ、俺たちが助けたいって思った気持ちを考えて、まずカレンを幸せにしてやれよ。お前の自己満足はそれからでいい」 何を言われたのか、余り理解できないままに振り向いたゼノスの視線の先には、ベッドで横になるカレンがいた。 心配かけまいと微笑むその瞳の奥を見つめると、揺れていた。 ゼノスにそばにいて欲しいと願う気持ちと、力になってやってほしいと願う矛盾を抱えた瞳があった。 「カレン、俺は」 「ごめんなさい、兄さん。私も、兄さんがグロウ君たちの力になるってきめたのなら、応援したかった。でも……やっぱりまだ無理みたい」 隠し切れなかった恐怖を示すように、ゼノスへと向けて伸ばされた手のひらは震えていた。 そんなことも解らなかったのかと、後悔したゼノスはその手を取ってもう一度カレンを抱きしめてやっていた。 「グロウお兄ちゃん」 気がつけばグロウの隣へと着ていたルイセが、見上げるように話しかけてきていた。 「少し前に、グロウお兄ちゃんがカーマインお兄ちゃんに自己満足だって言った事が、わかった気がする。私もカーマインお兄ちゃんには、思ったように生きて欲しいけど、たまには振り返って。ううん。隣にいて欲しいことがるもん。時々強すぎてついていけないんじゃないかって、怖い事もあるし」 聞いて考える間もなく直ぐに、グロウはルイセの頭をはたいていた。 痛みよりも突然の事で目をまるくしたルイセに、短く馬鹿野朗と告げる。 「意味わかんない。なんで急に叩くの?! いっつもそう、グロウお兄ちゃん私にだけ冷たいんだから。他の人には優しいくせに。ユニとかレティシア姫とか、あと時々ミーシャ!」 「あ〜、解りやすく言うと、ペチャパイの幼児体形が嫌いだからだ。知ってるか? ああ見えて、ユニって結構胸でかいぞ」 「グロウ様、き……急に何を言い出すんですか! それとルイセ様、じっくり眺めないでください」 抱きしめあう兄妹と、騒ぎあう兄妹がいる部屋の中で、一人取り残された感じのある副学院長は一人納得したように頷いていた。 そしてルイセやユニに届かぬように、こっそりグロウへと話しかけてきた。 「年寄りの忠告だが、君はもう少し素直になった方が良いと思うぞ」 「放っておいてくれ。あと、もう用は済んだから、帰れ」 それは思い切り本心だなと思いつつも、副学院長は自分が傷つかないように言い返さないことにしていた。
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