王宮にあるサンドラの研究室、そのテラスにはお茶を飲む為のテーブルが置かれている。 研究や雑務に疲れたサンドラが一時の休憩を取る為に作り上げた空間であるが、今は全く別の使われ方をしていた。 その使われ方はと言うと、恋人たちの憩いの場と言う想定すらしていなかった使われ方である。 「グロウさん、お茶のおかわりはいりますか?」 「もうこれで三杯目だぞ。遅いな、カーマインたちの奴。どうせ任務は決まってるんだから、適当に切り上げてこいよな」 「今度それとなく父上に伝えておきますわ。それと味に飽きられましたのなら、お茶の葉を別の物に変えてみましょうか」 「頼むわ。あとなんか軽くつまめるものあるか?」 お茶のお変わりと、国王への進言を同レベルで頼んだグロウもグロウであるが、サンドラの研究室を勝手知ったると棚をあさるレティシアもレティシアである。 仲が良いどころか、自然に会話しあう二人に嫉妬しながらもそれを見ていたユニは呆れ顔で突っ込んだ。 「お二人とも、くつろぎすぎです。お会いできる場所が少ないとはいえ、ここはマスターの研究室ですよ」 「ユニちゃん、お茶菓子はどこでしたかしら?」 「聞いていらっしゃいませんね? その二つ隣の棚です」 「二つ隣の棚ですじゃないでしょうが」 ユニまで二人の雰囲気に巻き込まれそうに鳴った時に現れたのは、当の部屋の主であるサンドラであった。 自分の研究室の私物化に頭を痛めながら、腰に手を当てて遺憾の意を示していた。 それでもグロウとレティシアにその意図が伝わっていたのかと言えばすこぶる怪しく、二人の態度は変わらなかった。 レティシアは葉を新しくしたお茶をグロウのティーカップに注いでおり、グロウは椅子に崩れた格好で座ったままである。 「貴方達は、本当にもう……」 「まあ、母さんいいじゃない。またしばらく離れ離れになっちゃうんだし。少しぐらい多めにみてあげてもさ」 「そうだよね。折角両想いになれたんだもん」 そうフォローしたのは、サンドラの後ろにいたカーマインとルイセであるが、そちらへ振り返ってもう一度サンドラは溜息をついた。 休日の間に何かあったのはわかるのだが、カーマインたちからもどことなく幸せオーラが放たれている。 「はぁ、わかりました。いいから早く任務に向かいなさい。内容は道中カーマインからでもお聞きなさい。ここは私の研究室ですよ。それだけは憶えておきなさい」 「ほら、お前達。サンドラ様がこれ以上疲弊しないうちに行くぞ。場所はシュッツベルグ。ダグラス卿が行軍した先だ」 「おっさんの手伝いか。気乗りしないけど、行ってやるか」 せかすようにウォレスが先を促したことでようやくグロウが重い腰を上げたが、まだまだ恋人同士の語らいは終わりそうになかった。 「グロウさん、お気をつけて。怪我などされませんように」 「そんなもんするかよ。エリオットを王位につけたら、直ぐ戻ってくる」 両手を胸元で握り合わせて心配するレティシアに軽く答えると、グロウは片手をレティシアの腰に伸ばして引き寄せた。 レティシアも予想していたのか、それとも最初から期待していたのか、驚きもせずに目を閉じていた。 「バカップルだ。どうしようもないほどにバカップルだ」 ティピがうんざりするように呟いたとおり、二人のキスは早く行けとサンドラが堪忍袋の緒が切れるまで続いていた。 サンドラに追い出されるようにしてローランディアの王宮を飛び出した一行は、ひとまずルイセのテレポートでシュッツベルグへと飛んだ。 念のためにと向かったダグラス卿の屋敷では、すでにダグラス卿はバーンシュタイン王都への進軍を始めていると執事から聞かされた。 休暇の間のことを考えると、かなり王都間近に行っているのではと、バーンシュタイン王都へと向けて歩き出したが、思ったよりも進軍は進んではいなかった。 シュッツベルグを出てから数時間もしないうちに、ダグラス卿の軍が設営した本陣を目の当たりにする事になった。 コレは一体どういうことなのか、カーマインたちは本陣の中央にあるはずの本部のテントへと急いだ。 「おお、君達か。ジュリアンの方はどうだった?」 「協力してくれることになりました」 「エリオットの姿が見えませんが、どうしているのですか?」 「エリオット君は、ジュリアンさんと一緒に行動をするそうです」 「そうですか。インペリアルナイトと一緒であれば安全でしょう」 テントの入り口から入ってきたカーマインたちを見るなり、ダグラス卿とアンジェラが矢次に質問をしてきた。 ルイセが一つ一つ答えたが、尋ねたいのはカーマインたちも同じであった。 少々口を挟む形で、ウォレスが尋ねた。 「ところでどうしてこんな所に本陣を設営しているのですか? もっと進んでいてもいいと思うのですが……」 「実は、この先の川でモンスターの集団が暴れており、これ以上進めないのだ」 「モンスターの集団?」 リシャール軍側に妨害でもされたと思いきや、ダグラス卿の返答にティピが素っ頓狂な声をあげた。 「うむ。だがモンスターが暴れている以上、リシャール王の差し向けた軍隊も、こちらにはこられないでいる。もう少し詳しくお互いに報告をしようか。報告が終わり次第、一時休息をとってくれてかまわない。そのためのテントも用意させよう」 まずカーマインたちが行ったのは、ジュリアンとエリオットが共に進軍する事となった事や、足りない兵はローランディアからも援軍として送り込む事などであった。 兵の絶対数の事はダグラス卿も心配していたらしく、ローランディアから援軍が出る事を聞いてほっとしていた。 逆にダグラス卿からは自軍の兵の数や、兵糧といった基本情報から、今足止めをくらっている魔物について伝えられた。 魔物を掃討してから再度行軍を行うと言う意見も出なかったわけではないが、魔物の数が多すぎると言う事であった。 下手をすればリシャール軍と戦う前に自軍に被害を出すわけにはいかないと、手を出す事もできないらしい。 だから無理をせずシュッツベルグの近くで本陣を敷くことになったことを伝えられた。 そして一先ず魔物が姿を見せなくなるまでは打つ手がないという消極的な意見のまま、報告と会議は終わりを告げた。 「なぁ、川でモンスターが暴れているって言ってたよな?」 会議が終わり、自分達のために用意されたテントへ向かう途中、そう言い出したのはウォレスであった。 すっかり日も落ちて、お互いの姿が見えにくい中でも、その言葉だけは皆の頭の中にしっかりと届いていた。 「うん、そう言ってたね」 「やっぱり気になる?」 ルイセもティピも同じ事を考えていたようで、確認するようにウォレスへと問い返していた。 「ああ。集団で暴れているってのがな」 「以前の、ローランディアの輸送物資を襲っていた魔物と似たようなものを感じますね」 「あ……っと、そんなことあったのか?」 「グロウは忘れちゃってるだろうけど、バーンシュタインのシャドウナイツに魔物を意のままに操れる人がいるんだ」 「やな奴だけどね」 ティピの吐き捨てるような言い草に、グロウはだいたいの人柄を察したようであった。 細かい事情は後々、ユニから教えると言う事になったところで、ダグラス卿に伝えるだけ伝えようと言う事になった。 ローランディアの者であるカーマインたちが会議の場で堂々と意見を言うわけにはいかなかったが、こっそりと伝えるだけならば問題はないであろう。 すぐにダグラス卿がいるテントへと戻ろうとすると、薄暗闇のなかをフラフラと歩く人影が見えた。 「あら、みなさんこんな所で何をしているのですか?」 「アンジェラ様?」 こんな所とは、そのまま返したいようにルイセが名前を呼びなおしていた。 だがアンジェラはあまり良くわかってなかったようで、ユニが丁寧に聞きなおした。 「あのアンジェラ様のテントはこちらではないはずですが。それにお供もつけずにどうされたのですか?」 「そう言えば……嫌ですね。私は息子のことをぼんやりと考えていたら方向を間違えたようね」 「大丈夫です。きっと上手くいきますよ!」 「あとのことは我々に任せて、アンジェラ様はお休みください」 王位の奪還を心配していたのかとルイセとウォレスがフォローを加えたが、苦笑するような奇妙な笑みをアンジェラが見せていた。 一応口では頼もしいですねと返してくれてはいたが、本心は少し違うようであった。 「少し、散歩でもしながらお話をしませんか?」 その本心を察する事まではできなかったが、カーマインたちは頷いてから歩き出したアンジェラの後を付いて歩き出した。 設営されたいくつものテントから離れるように、黙り込んでしまったアンジェラの足は北へと向かっていた。 おそらくそれも意図したわけではなく、彼女の言う息子のことを考えている為に勝手に向かってしまっただけの事であろう。 あまり本陣から離れるのは良くないと思いつつも、誰もとがめる事はできなかった。 アンジェラの気の向くままに歩いていると、やがて大地の割れ目の中に川の流れが見つかり、そこから向こう側へと一つの橋が掛かっている場所へとたどり着いた。 「あ、こんな所にも川が流れてたんだ」 「けっこう深そうだね。底が真っ暗」 「向こうへ行ってみましょう」 アンジェラが率先して橋を渡ってしまったところで、ここまできてしまったのならと諦めてしまった。 ただ気だけは抜かないようにと、自然とアンジェラの後方を囲うように歩き出した。 そんなカーマインやウォレス、グロウの動きに気づく事もなく、橋の向こう側に広がった光景にルイセが目を輝かせていた。 「うわ、広ぉ〜い…………」 本陣がある場所もだだっ広い草原ではあったが、テントが視界をさえぎっていた為、こちら側の草原が余計に広く見えたのだろう。 「よし、ルイセちゃん。向こうまで競争しよう!」 「アタシも、アタシも。負けないんだから」 ティピが煽り、ミーシャまでもを加えた三人は終わりが見えないぐらいに広い草原の中を走り出した。 まだ十四なのだから子供で間違いないのだが、そんな子供らしい姿をみてアンジェラがそっと昔を思い出すような眼差しを向けていた。 「彼女、ルイセ、と言いましたね? あなたの妹さん、あの子と同じくらいの歳ですよね」 「それはエリオットのことですか? それとも……」 「私が何を考えていたのか、わかってしまいましたか。リシャールのことです」 リシャールの事を考えていた事を隠すのを止めて、アンジェラは続けた。 「王位についてからの彼は今までとはまったく、変わってしまいました。しかし、それまでの14年間はまぎれもなく親子だったのです。そこへ本当の息子というエリオットが現れ、リシャールを倒すべく、ダグラス卿と兵を起こした。そして自分もそこに身を置いているなんて。誰かに騙されているようにも、長くて悪い夢を見ているように思うときもあります」 今まで押し殺していた感情を全て吐き出すように、アンジェラの口は止まらなかった。 言い終えるまで一度たりとも止まらなかった言葉の中に、カーマインはある点が気に掛かった。 アンジェラは王位についてからリシャールが変わったといったのだ。 ただ一つその点について、カーマインは意を決してアンジェラに伝える事にした。 「アンジェラ様、コレから言う事はご自分の胸にだけとどめておいて貰えると助かります」 「なんでしょうか?」 急にカーマインが何を言い出すつもりなのか、アンジェラだけでなくウォレスもグロウも視線を一点で重ね合わせた。 「僕は、リシャールと同じです。厳密に言うと少し違いますが、ゲヴェルの影響下にある人間なんです」 「馬鹿野朗、何を急に言い出してんだてめえは。軽々しくそんな事」 「軽々しくなんか言ってない。グロウ、頼むよ」 少しだけ見逃してくれと言わんばかりに言ったカーマインを見て、不承不承グロウは口を閉じた。 「アンジェラ様は先ほど言いましたよね、リシャールは王位についてから変わってしまったと。不確かではありますが、ゲヴェルを倒しさえすればリシャールを元に戻せるかもしれません。リシャールを豹変させる原因となったゲヴェルを倒しさえすれば」 「そういう事か、一先ずリシャールを王位から退けさせ生け捕りにすれば、あとはゲヴェルを倒すだけで良い」 賛同したウォレスと違い、グロウはその意見に限りなく否定的であった。 インペリアル・ナイト、それもマスターを生け捕りなど馬鹿げているとしか考えられない。 だがそれでも、今のアンジェラの気持ちを全て否定してしまっては、遠回りに自分達の母親であるサンドラの気持ちを否定してしまう事になる。 本当の息子ではない自分達を、しかも危険因子をはらんだ二人を本当の息子と思ってくれているサンドラの気持ちを。 「本当にそのような事が?」 「僕達の目的は最終的にゲヴェルを倒す事、リシャールには王位を降りてもらうだけで、命をどうこうする事が目的ではありません」 「もしも、私がそれをお願いしては、直に戦うかもしれないあなた方にはより危険を強いる事になるでしょう。それを解った上で、お願いしてよろしいでしょうか? あの子を、リシャールをお願いします。あの子もエリオットと同様に、私の息子なのです」 アンジェラの切なる願いにカーマインもウォレスも即座に頷き、嫌がっていたグロウも最終的には頷いていた。 その頃には競争をしたために息切れをして立ち止まっていたルイセたちに追いついていた。 気がつけば話に夢中になってしまい、かなり本陣から離れた場所まで歩いてきてしまっていた。 「少し冷えてきましたね。そろそろ戻りましょうか」 「そうはいきませんよ」 突然届いたその声の後、全く吹いていなかった風が息を戻したように吹き始めた。 その風に混じるのは、自然には発生しないはずの臭いであった。 「俺としたことが、うかつだったぜ!」 「我が子に弓を引くとは、いけない母上ですね」 「あなたは……」 遠い暗闇の向こう、こちらへ来る時に渡った橋の上に現れたのは一人の男であった。 人を食ったようなニヤついた笑みと、声を持ったその男は何人ものシャドウナイツを引き連れていた。 「忘れもしねぇ、その声は、ガムランか」 「これは、これはウォレス。なんとまぁ変わり果てた姿に」 「相変わらず人をバカにしたような口調だな」 「何とでも言いなさい。しかし、わざわざ人気のないところまで、来てくれたことには礼を言いましょうか。さ、お前たち! 何をするかわかってますね? さっさとその女を殺してしまいなさい!」 ガムランが命令した途端、シャドウナイツが一斉にアンジェラへと向けて走り出した。 「奴らアンジェラ様を狙うつもりよ!」 「そうはさせるか!」 ガムランが現れたことで珍しくいきり立つウォレスを前に、ガムランは嘲る様に笑っていた。 「これを見てもまだそんなことが言えますかね?」 そして片手を持ち上げると二本の指をこすり合わせて音を響かせると、カーマインたちを囲うようにあたり一面に炎が舞い上がった。
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