第八十三話 その時は


バーンシュタインが大いに揺れている今、束の間の休日となるであろう二日間をカーマインはアルカディウス王から与えられた。
だが今目の前でソファーに座っているサンドラが差し出した親書は、その束の間をさらに短くするものであった。
まだその事に気づく事のできなかったカーマインは、受け取った親書をしげしげと眺めてからサンドラの言葉を待った。

「重要な事には変わりありませんが、お使いのつもりでたのまれてくれますか? それをバーンシュタインへ戻っているであろうジュリアンへと渡してください」

「ジュリアンに?」

「ええ、恐らく順調に進軍できていれば今頃はクレイン村辺りで駐屯している事でしょう。ルイセと一緒に行ってもらえますか。今ならまだ部屋にいると思います」

「マスターしつもーん、これって何のお手紙なんですか?」

カーマインが受け取った親書は厳重に封が成されており、当然内容を察する事などできない。
ティピが聞かなければ、カーマインが聞いていたことだろう。

「今回のバーンシュタインの内乱、エリオット派へとローランディアが全面的に協力すると言う旨が記されています。特にジュリアンの部隊は、一度ランザックと戦闘を行っていますし、兵が絶対的に足りていない為、援軍を送る旨も記されています」

「確かに、これまで争ってた事を考えると援軍を送ってももめる可能性があるね。先にジュリアンに取り付けて、通達してもらわないと」

「ええ、お願いします。アルカディウス王に、貴方とルイセの外出許可も取り付けてあります。だから親書を渡した後に、コムスプリングスに寄って一泊ぐらいしてきてもかまいませんよ」

お茶を飲みながらサラリと言ってのけたサンドラの台詞の意味に気づいたティピは、ビクリと体を震わせていた。
ドキドキとサンドラとカーマインを見比べるティピとは対照的に、カーマインは短くわかったよと言い放つのみである。
本当にわかったのかと疑うまでもなく、二階の自分の部屋にいるであろうルイセを呼びに行ったカーマインの動きは自然体であった。
これで心配にならない方がおかしい物で、カーマインの姿が部屋から消えて直ぐにサンドラはティピに尋ねていた。

「ティピ、あの二人はどこまで進んでいるの?」

「知らないのなら、ダイレクトに観光地で一泊だなんて言わないでくださいよ。思い切り驚いたじゃないですか」

注意を注意とうけとっていないのか、サンドラは勝手にティピの様子と言葉からその程度でしかない事を悟っていた。

「まったく、四六時中一緒に居てなにをやっているのかしら。グロウは気まぐれすぎるけれど、ちゃんとレティシア姫とやることやってるのに」

「あいかわらず対照的な兄弟。それにしても、ルイセちゃんはなんでアイツなのかな? グロウじゃ……っていじめるからか」

「あら、ルイセが小さい頃はむしろグロウになついていましたよ。五歳か、六歳ぐらいの頃までですけれど」

「意外な事実が、でもそれならどうして変わっちゃったんですか?」

尋ねられたサンドラは、その答えをいくら考えても記憶の中から導き出す事はできなかった。
何かきっかけはあったと思うのだが、自分の知らないところでそれがおきたのか、全くわからなかった。





ガラシールズから移動を始めたジュリアンの軍が本拠地として選んだのは、クレイン村であった。
カーマインがティピとルイセを連れてテレポートした瞬間には、以前のようなひっそりとしたクレイン村は底にはなかった。
大勢の人、その殆どがバーンシュタインの兵士たちであるが、活気にも似た喧騒がそこかしこに見られた。
それが戦争のための慌しさだと思うと、クレイン村にとってはあまり歓迎すべき事柄ではなかったかもしれない。

「わぁ……なんだか別の村みたいだね。あの静かだったクレイン村が」

「同感。外出してるのは兵士ばっかりだけどね。ちょっとムサイかも」

ルイセもティピも似たような感想を抱いて姿を変えてしまったクレイン村を眺めて呟いていた。
カーマインも似た感想を抱いていただけに、軽く笑うしかなかった。

「それじゃあ、ジュリアンに書簡を渡しにいこうか。たぶん宿の方に行けば居場所を知っている人がいるだろうけど」

「あ、カーマインお兄ちゃん。私ちょっと別行動していいかな?」

「別って、見て回るような場所なんかないでしょ?」

カーマインの代わりに聞き返したのはティピであったが、すぐにルイセの口からは納得の出来る答えが返ってくることとなった。

「村長さんの、ゼメキスさんのお墓参りに行きたいの。杖も借りっぱなしだったから、息子さんにも会いたいし」

「ああ、そっか。お墓参りがあったっけ。いいんじゃない? ねえ?」

「そうだね。だけどバーンシュタイン兵の人たちも多いし、ルイセ一人じゃ心配だからティピついていってあげてくれない?」

「そうね、迷子になられても困るし」

「もう、私そんな子供じゃないもん。行こう、ティピ」

ちょっと言い方が悪かったのか、子ども扱いしたと思われたルイセはティピを連れて駆けていってしまう。
カーマインは単純に戦争を控えたバーンシュタイン兵が多いからと心配したつもりなのだが、上手く伝わらなかったようだ。
決して子供扱いしたつもりはないのだが。
それでもそれだけはないよなと、あり得ない理由を思い浮かべながらカーマインは宿へと足を向けた。
思ったとおり、クレイン村の宿は一時的にバーンシュタインの仕官兵の宿舎となっていた。
入り口で見張りをしていた兵士に用件を伝えると直ぐにジュリアンの部屋へと案内された。
ジュリアンからしてみればカーマインの訪問は予想外の事であったろうが、忙しい中すぐに部屋に招きいれ椅子を勧めてくれた。
一つのテーブルを挟んで二人で座り込むと、すぐにジュリアンが笑いかけてきた。

「まさか父を頼むと言ったのに、すぐにまたこちらに来るとは思ってもみなかったぞ」

「今日こっちに来る事になったのは、突然の事だったから。僕も知ったのは朝なんだ」

「なるほどな。それでわざわざやってくるからには、個人としてやってきたわけではないのだろう?」

用件を促されたカーマインは懐にしまっていたアルカディウス王からの書簡をテーブルに置いて滑らせた。
ジュリアンの方も書簡を手にとって、カーマインの顔をうかがってから直ぐに中身を軽く眺めた。

「ローランディアが援軍を出してくれると言うのか?」

「僕らはジュリアンに言われたとおり、ダグラス卿の方に駆けつけるけど。たぶんラージン砦に常駐してるブロンソン将軍が援軍に来てくれると思う」

「そうか、ありがたい事はありがたいのだが」

「なにか、まずいことでも?」

素直に喜んでいない様子が気になり、カーマインが尋ねた。

「やはり兵の中には少なからずエリオット陛下の事を疑っている者もいるだろう。そこへローランディア軍があまり優遇してきては、余計な邪推も走るだろう」

「けれど、兵力が足りてないのも事実だろ? ジュリアンなら出来るさ。兵の皆も何が正しいのかちゃんとわかってくれるはずだよ」

「無責任だなと言ってやりたいところだが。お前に言われると、やるしかないと思わされるな。少し時間をくれないか? もうすぐ会議がある。その場でこのことを発表してから返事の書をしたためようと思う」

「わかったよ。それなら少しルイセと時間でも潰してからもう一度来るよ」

「すまない」

カーマインが立ち上がって部屋を出て行こうとすると、何か思い出したようにジュリアンが声をかけてきた。

「ルイセも来ていたのか。一緒に連れてくればよかったものを」

「前村長のゼメキスさんのお墓参りに行ってる。ティピを連れて行かせたし、大丈夫だよ」

「大丈夫かどうかを聞きたかったわけではないのだが。あまりルイセの事を子ども扱いしてやるなよ。たぶん他の者はともかく、お前にそうされるのが一番嫌なはずだ」

「別に僕はそんなつもりは、それにどういう意味?」

「それぐらい自分で考えろ、さてもう私は会議へ向かうぞ。後で部下をよこす」

ジュリアンの言葉の意味を図りかねているカーマインを置いて、ジュリアンの方が先に部屋を出て行ってしまった。
そんなに自分はルイセを子ども扱いしているのか、首を捻りながらカーマインはジュリアンの部屋を、宿を後にした。





ルイセをはっきりと好きだと気づいたのは、自分の異常さにはっきりと気づいた時であった。
初めて自分の中に眠る力が発動した時、何十人もの命を奪った時に、決して明かしてはいけない気持ちとして気づいた。
だが明かしてはいけないと思っても、気持ちは変わらないどころか、返ってますばかり。
それについ先日聞かされた力の正体は、完成型ゲヴェルとしての化け物としての力であった。
ヴェンツェルはゲヴェルを倒す為にと言ったが、理由はどうあれ同質の力であることは間違いない。
皆がカーマインなら大丈夫だと言ってくれても心のどこかでは、恐れは、恐怖はなくなることはない。

「グロウ、僕は本当に僕のままで強くなれるのかな?」

宿を出てあるいながら考え込んでいるうちに飛び出した言葉に、カーマインは首を振った。
頼るわけには行かない、弱音を吐くわけには行かない。
もうすでに自分はグロウに強いと宣言してしまい、理解してくれたかのようにグロウは自分自身のためにレティシア姫の下へと行った。

「僕は一人で強くならなきゃ。一人で……」

言い聞かせる様な言葉の後に顔を上げると、飛び込んできたのはエリオットと談笑するルイセの姿であった。
道端でひょっこり出会ったのか、立ち止まって話し込む二人。
本当はその談笑にティピも混じっているのだが、カーマインにはほとんどティピの姿が映る事はなかった。
ただただ楽しそうに話す同年代の男女にしか見えなかった。

「あ、カーマインお兄ちゃん。そんな所にたってないでこっち」

「今エリオットの話聞いてたんだけど、これから仕官クラス以上の会議に出るんだって。凄いと思わない?」

「そんな、僕はその場にいるだけですから」

謙遜と言うよりも事実そうなのであろうが、エリオットが一生懸命なのは間違いない。
何を言ってもエリオットを貶めるような言葉を放ってしまいそうで、カーマインは自分の嫉妬を恥ずかしく思い、落ち込むしかなかった。
黙りこくってしまったカーマインを変に思ったルイセが声をかけるより先に、会議が始まる旨をエリオットに一人の兵士が伝えに着た。

「あ、そろそろ時間なので。また」

ペコリと頭を下げるエリオットにそうだねと答えるのでカーマインは精一杯であった。
自分の矮小さを改めて知り、顔を上げる事がなかなかできなかった。

「ねえ、アンタ一体どうしたの? なんか変なもんでも食べたの?」

「カーマインお兄ちゃん?」

「ルイセ」

自分を見上げる顔を見て、我慢できずにカーマインは力一杯ルイセを抱きしめていた。
力を一杯に搾り出せばルイセが痛がると当たり前のことがわかっていても、力を緩めるどころかなおさら強めてしまっていた。

「い、痛いよ……カーマインお兄ちゃん」

「ごめん、でも。ごめん」

「わかんないよ。何かあったの? カーマインお兄ちゃん?!」

「あ〜あ、聞こえてないわねこれは。ルイセちゃん、耳貸して」

周りが見えていないカーマインを説得する事を早々に諦めたのはティピであった。
かわりに強く抱きしめられる痛みに苦しむルイセの耳元へと飛ぶと、なにやらコソコソと伝え始めた。
それを聞いた途端に、ルイセは即座に無理だと言い始めた。

「無理無理、絶対に無理だよ。できない」

「でもそうでもしないと、放してくれそうにないわよ」

「でもぉ〜」

「いいから、さっさとやる!」

ティピが何を吹き込んだのか、散々まよったあげくにルイセは唯一自由に動く首を伸ばし、自分の直ぐ横にあるカーマインのほっぺたへと近づけた。
ほっぺたに唇が触れたとき、ちいさくチュッと鳴ったのが二人だけの耳に音として残っていた。
何をされたのか理解できなかったカーマインの力が緩んだのを見計らってルイセは、腕の中からわたわたと逃げ出した。
そしてすぐにカーマインに背を向けると、真っ赤に茹で上がった顔を両手で隠してわめいた。

「こっち見ちゃ駄目。カーマインお兄ちゃん向こう向いてて!」

「あ……ルイセ?」

「いいから、向こう!」

「うん」

しばらく背中合わせで、お互いに火照った体を冷ますつもりであったのだが、一人それを許さない者がいた。

「ヒューヒュー、ルイセちゃんやるぅ。自分からキスするなんて大人」

「だってティピがしろって。カーマインお兄ちゃんがそれで正気に戻るって」

「ふ〜ん、じゃあコイツの目を覚まさせるだけで他意は一切合切、これっぽちもないと」

「それは……そうとも言い切れ、って何を言わせるのティピ!」

ルイセがティピと言い合いをしているうちに、とっくにカーマインは背中を向けるのをやめていた。
それに気づかないルイセはまだティピに向かって文句を言っていた。
カーマインはそんなルイセを、今度は優しく包み込むようにして抱きしめていた。

「カ、カーマインお兄ちゃん。あの……さっきのは。えっと」

「ごめん、ルイセ。痛かったろ?」

「正直に言うと、痛かった。抱きしめられるなら、今みたいな方が良いよ」

カーマインは二度と痛い思いはさせないと呟いてから、ルイセの事だけを考えて言った。

「まだ先の事だろうけど、言っておきたいことがあるんだ。エリオットにバーンシュタインを取り戻させて、ゲヴェルを倒す事が出来たら」

「できたら?」

「僕と…………いや、聞いて欲しいことがあるんだ。とても大事な事なんだ。ルイセに伝えたい事がある」

そこまで言ってしまえば伝えたも同然であるのだが、カーマインだけでなくルイセもまだ受け入れる自信はなかったようだ。
今すぐにとは言わずに、自分を抱きしめてくれるカーマインの腕を掴んで了承の意を伝えるのみであった。

「私もカーマインお兄ちゃんに伝えたい事があるの。平和になったら、聞いてね?」

「わかった。その為にも、がんばらないとね。だから励ましてくれたお礼」

そう言うと、カーマンはルイセのほっぺたにそっと唇を押し付けた。

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