第七十五話 元の鞘に納まる双子


グロウの記憶が戻った事が確認された翌日、サンドラは応急で保護されているアイリーンを直ぐに自宅へと呼んだ。
直接の主治医であったわけではないのだが、同じラシェルの医者として意見を聞きたかったのだ。
すると何故かというよりも、当然の事のように何処かで話を聞きつけたレティシアまで来る事になった。
自宅でアイリーンが行ったグロウへの診察は思ったよりもはやく、終わる事となった。
聴診器を胸に当てたり、眼球に光を当てたりと頭に直接触れる事はないままに、アイリーンは一息ついてから振り返った。

「特に異常はみられませんね。腕の骨折以外は健康そのものです」

「あのアイリーン様、見て欲しいのはグロウ様の頭の方なんですけれども」

ユニが言ったのは、誰もが思った事ではあったが特に言い方が悪かった。

「おいこら、人を頭のおかしい奴みたいに言うんじゃねえよ」

「あうッ?!」

ペコンとグロウにでこピンされて、ふらふらと落ちていく。
そのユニを手のひらで受け止めてから、グロウは自分の肩の上に座らせていた。
ユニにでこピンする所なども以前ならではであると思いつつ、カーマインが尋ねた。

「でも元に戻ったのは良いとして、何故記憶を失ってた間の記憶がなくなるんですか? 記憶喪失とはそう言うものなんですか?」

「本当のことを言うと、記憶喪失って何が原因でなるのか殆ど解っていないんです。人の頭は繊細すぎて、医者であろうと容易に触れられない領域なんです。ただ経過を見る限り、グロウさんは記憶を失くしていたというよりも、深い場所に封じられていたみたいですね」

「封じられていたですか?」

「ええ、恐らく元に戻ったのはマクスウェル元学院長の装置のせいだと思われます。あれは元々人のグローシュを取り出す装置なのですが、グローシュと人の記憶は密接な関係があります。無理やりグローシュを引きずり出そうとして、深い場所に封じられていた記憶が戻ったのではと」

アイリーン自身自分の理論に無理を感じていたのか、やや口篭りながらそう説明した。
そもそも病気や怪我のように目に見えるものがない以上、グロウが失くしていた間の事を憶えてないという以上信じるしかない。
疑う必要もないはずではあるのだが。

「封じられていたか、もしかすると本当に封じられていたのかも知れんな。ルイセとミーシャは憶えているな。オリビエ湖へ向かう橋で、一度グロウが記憶を取り戻した時の事を」

「憶えてます。カーマインお兄ちゃんを止めてくれた時のことですよね」

「ああ、そうだ。そして結局二人を止めたのは、遠めで良く見えなかったが突然現れた一人の男だった」

「私よく覚えてる。真っ白な格好が特徴的なお爺さんだったよ。何か言った後にお兄様たちに手をかざして何かするしぐさをしてました」

ウォレスの言う老人の特徴をミーシャが思い出しながら言った。

「話を聞く限り、その老人がグロウをバーンシュタインから救い出したようですね。理由は謎ですが、記憶まで奪い去った上で」

「そんな事はどうでもよろしいではありませんか!」

そんなはずはないのだが、そう言いきったのはコレまで黙って話を聞いていたレティシアであった。
突然の大声に驚いて声も出ない皆の表情を気にする事もなく、なおもレティシアはまくし立てた。

「一番大事なのは、私とお付き合いしていたと言う事実をグロウさんが忘れてしまっている事です!」

お姫様らしからぬ握りこぶしを作って力説されたありもしない事実に、驚きから一転皆の顔がポカンと呆気に取られ始めた。

「レティシア様、それはさすがになりふりかまわなさすぎです。グロウ様はどちらかと言えば、私に傾いてました!」

「そうでしょうか? ユニちゃんも私もグロウさんとキスしてますが、逆に喧嘩したことはありますか」

「グロウ様と喧嘩など……」

「私はあります。一度ですけれど、それだけお互い心が近づいている証拠です」

「それは……でも、私だって。そうだ。私はちゃんと好きだって言葉で言ってもらいました!」

二人の乙女が一進一退の攻防を繰り広げる中、いち早く正気を取り戻したウォレスが呟いた。

「白熱している所すまんが、その当人が眠りこけてるぞ」

言われて二人がハッと気づいてみれば、本当にグロウが興味なさ下にソファーの上で眠りこけていた。
この人はと怒り心頭で睨みつけてようやく目を開けたグロウは、あくびをしながら終わったかと聞きそうな雰囲気であった。

「二人ともがんばってアピールしてるけど、何だかんだでルイセちゃんが一番じゃなかったでしたっけ? 付き合ってくれと言うか、付き合えって強引に言われて」

「ああ、ミーシャってば余計な事を言わないでよ!」

すかさずミーシャの口を閉じたルイセは、ちらりとグロウの方を見ると、珍しくポカンと口を半開きにしていた。
かと思えば、急にブッと噴出すようにして、大笑いを始めた。
お腹を抱えて、急に動かした腕のせいで時折痛みを感じながら、それでも笑っていた。

「痛ぇ、腕も腹も。ありえねえ、俺がこんなのと。馬鹿じゃねえの?!」

「む〜、なによ。言い寄ってきたのはグロウお兄ちゃんなんだから。何度も、何度も可愛いって言ってくれたくせに。笑わなくても?!」

いくら何でも笑われて嬉しいはずもなく、詰め寄りながら言い放ったルイセの言葉が不意に途切れた。
髪の毛が逆立つほどに驚いているわけは、グロウの左手の手のひらがある場所にあった。
ルイセの小さな胸の上に、正面から置かれてふにふにとその大きさを確かめられていた。

「だって、これだぜ。ちっちぇー、めちゃくちゃちっちぇー。あるのかないのかはっきりしろってんだ」

この行動に怒ったのは幾人も居たが、まっさきにキレたのは当然の事ながらルイセであった。
泣きついてカーマインに縋りつくでもなく、その手のひらをグロウへと向けて声ならぬ声を叫んでいた。
それによって生み出されたのは魔法の矢の大群。
一つ一つがグロウに狙いを定めて撃ち放たれていた。

「ちょッ、ダ。痛ェ、ルイセ! やめろ!」

「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿、グロウお兄ちゃんの馬鹿ッ!!」

サンドラそっくりのキレっぷりを披露したルイセが止められたのは、ルイセの胸を触ったグロウが逆に哀れに思えるほどにボロボロになったころであった。
ボロボロになるまで傍観していたともいえるかもしれないが、ようやく泣きついてきたルイセをカーマインがなだめ始める。
だがそれでもまだ、グロウの地獄は始まったばかりであった。

「グロウさん、何か言い逃れはございますか?」

「さすがの私もフォローの言葉一つありません。乙女心をもてあそんだ罪は償ってくださいね、グロウ様」

「何で俺がと言うか、誰か手当て……」

「手当てしてさしあげますわ。じっくりと、お願いしますから付き合ってくださいと懇願するまでずっと」

「では私はそれを阻止するとしましょう。感謝してくださいね、グロウ様」

それはつまり、永遠にネチネチいじめるつもりであるらしく、レティシアとユニの手によってグロウは自室へと拉致されていった。

「えっと、もう王宮に戻ってもよろしいかしら。グロウ君は元気みたいですし」

「ええ、ご苦労さまでした。お礼はまた後日、私の方からさしあげますね」

狙ってやったのかと聞きたい衝動に駆られるほどに、サンドラの爽やかな笑顔に送られアイリーンは王宮へと戻っていった。





人によっては天国かもしれないが、グロウにとっては間違いなくそこは地獄であった。
無理やりレティシアとユニの手によってベッドに寝かされ、ネチネチと言葉攻めされながら治療される。
ようやく治療が終わったと思えば怪我人だからと眠るまでベッドのそばに椅子を寄せて終始監視してくる始末。
時折お互いに本当に寝たのかと小声で意見を交換し合う。
勘弁してくれとばかりに狸寝入りを諦めたグロウが目を開けて、レティシアとその肩にいるユニを睨む。

「おい、怪我人っても腕だけで他は健康体なんだぞ。しかもこんな真昼間から寝られると思うか?」

「思います。普段はこちらが何かしろと言っても、面倒くさがってお昼寝ばかりしていたではありませんか」

「それは……まったくその通りなんだが」

「今日はお止めいたしませんから、思う存分お昼寝なさってください」

知らない間に親密になっていたらしい二人が構ってくる事に、煩わしさを感じていた事から出た言葉に上手く切り返されてグロウが言葉に詰まる。
自分が知っている距離感よりも、容易に深いところへ踏み込んでくるのが対処しにくいのだ。
そんなグロウの心境も知らずに、良い事を思いついたとばかりにレティシアが両手を叩いて提案してきた。

「では私とデートいたしましょう。こうしてグロウさんの寝顔を眺めているのも悪くはありませんが、二人で出かけた方がなお良いに決まってます」

「レティシア様、さりげに私の事を無視しないでいただけますか?」

「さて、なんの事かしら。ユニちゃん、恋人同士の逢瀬の邪魔はさすがにお友達として止めておきなさいと注意を促しますわ」

「グロウ様に恋人はいらっしゃいません。いるのは何時でも何処でも一緒のお目付け役一人です」

「だからこそ、休日ぐらいはお互いに離れているべきではないでしょうか? 何時も何時も一緒で、グロウさんも息が詰まってしまいますわ」

「羨ましいのなら、そう言っていただけますか?」

段々とグロウをそっちのけで、額をくっつけるように眼力で押し合うユニとレティシア。
かなり体格に差はあるものの、攻防は互角に見えた。
もっともグロウがその攻防を大人しく見ているはずもなく、そっとベッドを抜け出して窓枠へと足を掛けようとしていた。
ユニとレティシアが気づいた時にはすでに、二階の窓からグロウが逃走の為に飛び出していた。

「あッ、グロウ様!」

「グロウさん、どちらへ行かれるつもりですか?!」

慌てて二人が窓枠に駆け寄るのも遅く、一歩先に飛び出したグロウは重力の加速を足で全て受け流し着地して直ぐに、走り出していた。

「たく、面倒な奴らだな。俺は別に一人で静かに寝られればいいのによ」

背中で二人が叫んでいるのを耳にしながら、とにかくグロウは逃げるように走った。
特に目的があるわけでもなく、単純に西へとまっすぐ走り続けるとやがてローザリアを抜け出してしまった。
家以外で昼寝となると、街中でするわけにもいかず、自然とローザリア西の草原へと足が向かっていたらしい。
手ぶらで街の外に出るのはいささか危険であるが、西側ならたいした魔物も居ないだろうとグロウは引き返すことはしなかった。
グロウはまだ知らぬ事だが、いまやカーマインの領地となった草原が見えるにつれ足の速度を落として歩き出す。

「さ〜て、昼寝の続きでもすっか」

適当な日当たりのよい場所を見つけると、ゴロンと草の上に寝転がる。
さわさわと風が草を撫でる音だけが耳に届き、草花の少しだけ青臭い匂いが鼻をくすぐる。
目を閉じるとなおさら耳と鼻が通常以上の働きをはじめ、体全体が草花と一体化するような錯覚さえ起こし始めた頃、その異音は聞こえた。
風が草花を撫で付ける音ではなく、踏みつける、人がやってきた音。

「あ、起こしちゃった?」

「カーマインか、お前こんな所にまで来て何をやってんだ? 馬鹿ルイセの相手でもしてろよ」

「そっちこそ、ちゃんとユニとレティシア姫の相手してあげなよ。探してたよ、二人とも。まあこれを持ってきた僕が言う台詞じゃないけど」

そう言ってカーマインがグロウへと投げてよこしたのは、グロウの光の魔剣であった。
左手でそれを受け取ったグロウは、柄を通して自分の魔力が物質化される現象に少し驚いていた。

「ひさびさに、やらない? グロウが記憶を失くしてる間、あんまり僕ら仲良くなかったから」

「記憶が戻ったら仲良しこよしみたいに言うな。気持ち悪い。まあ、やり合うってのは悪かねえけどな」

「グロウは片手だから、ハンデね」

そう言って自分も左手だけでシャドウブレイドの刃を生成し、構えるカーマイン。

「負けた時の言い訳にするんじゃねえぞ」

「そっちこそ、片手が痛くてってのはなしだよ」

お互いに笑いあった直後、二つの刃がぶつかり合い反発するように明暗の光を放ちあっていた。
逆効きの腕でのつばぜり合いはどちらも苦に思ったのか長続きする事はなく、即座に打ち合って離れあう。
直後につい何時もの癖で魔法を使おうと右腕を上げかけたグロウの動きが硬直する。
その隙を逃さずに踏み込んだカーマインのシャドウブレイドが振り下ろされ、慌てて転がるように逃げ出したグロウは肩から地面に飛び込んで体を一回転させる。
振り向きざまにグロウが光の魔剣を横なぎにすると、見えていたのか追撃に来たカーマインのシャドウブレイドが止められた。

「記憶は失くしても、強さはそのままみたいだね。てっきり弱かったあの頃のままだと思ったのに」

「聞き捨てならねえな。俺にはお前みたいに、弱っちい時なんて一時もなかった、ぜッ!」

語尾に力を入れて、グロウが押し返す。
力の流れに素直に従ったカーマインは一度ひき、お互い構えなおしての再スタートであった。
そんな二人の様子を近場の木陰から覗き込むレティシアとユニ、ついでにルイセとミーシャの姿まであった。
その顔は一様で、やっぱりこうなるのかと諦めにも似た表情を浮かべていた。

「結局、グロウ様はカーマイン様が一番なんですね。悔しいぐらいに、カーマイン様に勝てる気が全くしません」

がっくりうな垂れるようにしたユニの視線が、恨めしそうに剣を振るうカーマインに注がれている。

「同感です。いっそ私も剣術をかじった方が、グロウさんは振り向いてくれますでしょうか」

「レティシア姫、いまさらお兄様たちに追いつくのなんて無理ですよ。むしろ、面白半分で危ない事に手をだすなって怒られるのが落ちです」

危険な思考を伴った意見を言ったレティシアのフォローをしたミーシャは、自分の隣でユニのようにうな垂れるルイセに視線をよこした。
先ほどカーマインが言ったように、確かに明日、カーマインはルイセと出かける約束をしていた。
だが別に今日でも良かったはずだ。
ならなぜかといわれれば、答えは目の前で楽しそうに剣を振るう姿であった。

「あの二人の間には、誰も入れないのかな。妹の私でさえも」

好意を寄せる乙女達が、悩んでいるなどつゆ知らず。
競い合う事に夢中になっているグロウとカーマインは、それぞれの得物を嬉々として振り回していた。
グロウは右腕を負傷し、合わせるようにカーマインも左手一本と不満が全く無いわけではなかった。
それでも十分すぎるほどに二人は力を搾り出す充足感を、高めあう満足感を感じながら二人だけの剣撃の世界に浸りこんでいた。
それこそ日が暮れるまで、グロウは右腕が負傷している事など忘れるぐらいに、浸りこんでいた。

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