第七十四話 目覚め


涙を流しながら高笑いを続ける様が気に入らなかったのか、それ以前に彼の言う王たる証を持つ事が気に入らなかったのだろう。
激情をそのままぶつけるかのように、学院長は手のひらをグロウへと向けて唱えた。
グロウの翼を否定するために、己が古の王の血族として翼を持つべきだと思いながら。

「我が魔力よ、我が敵を砕け。ソウルフォース!」

魔力の矢どころではない、丸太の杭の様な魔力の柱がグロウの頭上から舞い落ちた。
部屋全体を揺るがすほどの威力を持ったソウルフォースがグロウの姿をかき消してしまったかに見えた。
近くに居たミーシャはソウルフォースの余波から自分を守るのが精一杯で、ニックや副学院長は装置の中に捕らわれたままである。
誰もが直撃を受けてしまったグロウが、もう駄目かと諦めかけた刹那、ソウルフォースが生み出した爆煙が風に流され薄れていった。
その風を生み出していたのは、グロウの翼であった。
グロウを守るように翼がグロウ自身を包み込み、そして振り払うように翼を開いたのだ。

「馬鹿な、直撃のはずが……」

恐れおののき後ずさりしそうになる学院長を捕らえられていた装置の上から見下ろし、笑う。

「なんでこんな所にいるのか知らねえが。すっきり目が覚めて爽快なこの俺を攻撃した爺、てめえは殺す。老い先短い人生だからって、楽に死ねると思うなよ」

「黙れ、黙れ、黙れ! 絶対に許さん。お前たち、こいつらを皆殺しにしろ。それと、おい。あのグローシアンからグローシュを抜き出すんだ」

「了解、ですが一度溜めたグローシュを排出する必要が」

「煩い、それぐらい黙ってやれ!」

錯乱に近いものを見せた学院長は、控えさせていた盗賊に近い身なりの者達に指図し、さらにはアイリーンへの処置を続行させようと秘書に命令した。
盗賊はまだしも、アイリーンに気概を加えられてはと、グロウはまず光の魔剣を手元に呼び寄せてニックと副学院長を捕獲している装置を切り裂いた。
すぐさまアイリーンの元へと駆け寄ろうとしたニックへと、光の魔剣を投げてよこす。

「ニック、これを持ってアイリーンを助け出せ。そこのしょぼくれた爺も手伝え!」

「了解だ、アイリーン!」

「しょぼくれたは余計だが、学院の落ち度はこの副学院長が拭ってみせる!」

まだ装置の作動に秘書が手間取っているために、アイリーンの救出はさほど難しく無いであろう。
そして、ミーシャへと振り返ったグロウは、静かに告げられた。

「グロウさん、私…………人間じゃなかったんです。あの人の盲信によって生み出されたホムンクルスなんです。ルイセちゃんを監視する為だけに作られた、ホムンクルスなんです」

「だから、なんだ。ルイセを監視するためにつくられた? それを知ったお前は、なんて言った? すでに答えがあるのなら、全力で敵をぶっ殺せ。この俺が手伝ってやる」

「はい! 叔父様、私は叔父様を止めて見せます。例え叔父様との思い出の全てが幻でも、嬉しいと感じた私の気持ちは本物だから。狂気に走った叔父様を止めます!」

「あくまでも歯向かうと言うのか道具が、ただの道具が!」

学院長はすでにニックの手によってアイリーンが助け出されてしまったのをチラリと見ると、すぐに秘書を伴って攻撃の構えをとってきた。
対するグロウはミーシャに援護を頼んで、前へと翼を使って文字通り飛び出していた。
光の粒子を残しながら跳ぶグロウへと、学院長が再び手のひらを向けて呪文を唱える。
再び落ちるソウルフォースは、グロウの頭を正確に打ち抜こうと落ちてきていた。
魔法学院の学院長だけあって翼で防御させなければと言う考えは抜け目なかったが、ソウルフォースがグロウに届く事はなかった。
翼によってではなく、ミーシャが唱えたレジストの光がソウルフォースの光を弱めて霧散させる。

「もう私は落ちこぼれなんかじゃない。叔父様が生み出した落ちこぼれは、もう居ないんです!」

「かさねがさね、忌々しい。おい行け!」

「了解、マスター」

何を思ったのか、学院長がただの女性としか見えない秘書セレナを前へと進ませたのは想定外であった。
見かけに反して武術の達人なのか、小ぶりのナイフを手にグロウへと向かってくるその姿を見て、その考えをすぐにグロウは破棄した。
一瞬にして素人だと判断したが、受身一つ取れなさそうな相手の動きに逆に対応が難しく躊躇してしまった。
それが学院長の策だとも思わずに。

「テメェ、ど素人がそんなもん振り回すんじゃ」

まず最初に武器であるナイフを取り上げるべきか、一瞬で気絶させるか迷ったグロウへと体当たりするようにセレナがぶつかり抱きしめてきた。
その瞬間グロウが見たのは、コレまで以上に魔力を練り上げて威力を上げたソウルフォースを作り出していた学院長の姿であった。
目の前で動きを止めているセレナごと打ち砕く気かと、背筋にゾクリと悪寒が走る。
その予感は辛くも当たっており、学院長の手から無常にもそれは放たれた。

「今度こそ終わりだ。ソウルフォース!」

ミーシャもまさかセレナごととは思いもよらず、レジストは到底間に合わないタイミングであった。
頭上より落ちる魔力の柱がセレナを巻き込んでグロウへと落ちた。
コレまで以上の揺れに少しはなれた場所で副学院長と盗賊たちを相手にしていたニックもそれに気づいた。
砕かれた床が四方に飛び散り、さらに細かく砕かれた砂煙がグロウとセレナの居た場所を包み込む。

「ハァハァ…………ふ、翼など手に入れなければ、平民の分際で王たる証を発現させねば生かしておいたものを」

「グロウさんだけじゃなくて、セレナさんまで」

「道具などまた新たに作ればよいだけだ。そして、持ち主に危害を加えた道具は処分するべきだ」

道具と呼ばれる事よりも、命ある者を道具と呼べてしまう学院長にミーシャは戦慄した。
どうすればそこまで歪んでしまえるのか、学院長との思い出が全て幻だと解ってはいても心に重たい杭が突きたてられるようであった。

「アタシも、セレナさんだって。道具なんかじゃない。自分で考えて、自分で動ける!道具なんかじゃないよ!」

「ならばアレは何故言われるままに命を差し出した。それこそ自分で考えていない道具ではないか」

「誰が、命を差し出したって?」

ミーシャと学院長、ちょうどその中間からその声は上がった。
晴れる砂煙の中から現れたのは、セレナを抱きかかえたまま庇い右腕を犠牲にしてソウルフォースをやり過ごしたグロウであった。
セレナには怪我一つないぶん、犠牲となったグロウの腕は曲がってはいけない方へと折れ曲がり、いたるところから血が噴出していた。
激痛に顔を歪めながらも、逆に左手で強くセレナを包み込むように抱きしめていた。
そのセレナが怯えるように呟いた。

「マスター……」

「何を庇われておる。今だ、その男を刺し殺せ!」

学院長の激しい罵声に、セレナが珍しく動揺した表情を見せた事には理由があった。
すでにセレナのナイフは、グロウのわき腹を大きく刺し貫いていたのだ。
ソウルフォースが落ちる直前、刺し貫いたと言うのに、敵だとわかっていたのに庇ってくれた事に動揺していた。

「マスター、私には殺せません。この人を、殺すことができません」

「何故だ、何故ミーシャに続いて貴様までもが。解らん、敵を庇い何の得がある。自ら傷を負ってまで、何の意味がある?!」

人の姿をした化け物を見るかのように、混乱の極みに達した学院長が半狂乱で叫ぶ。
そんな学院長を哀れに、そして少しだけ羨ましそうに見ながら、グロウはわき腹に刺されたナイフを左手で引き抜いた。
砕けた右腕は重力に惹かれるままにたれおろし、今しがた抜いたばかりのナイフを構えて呟く。

「ああ、解んねえだろうな。自分の為だけに、自分の欲望の為だけに生きてきたお前には。だが俺は、そんなアンタが少しだけ羨ましい。しがらみも常識も理性もほっぽり出して、欲望のままに生きられるアンタが」

「な、ならば今からでも遅くはない。我が元へ来るか。お前が実験体となるならば、よりグローシアンの研究が」

「羨ましいってのは、そうなれない事を知ってるから羨ましいって思うんだよ。そうなれない理由の為に、俺はお前を殺す」

翼が大きく羽ばたいて、グロウの体を真っ直ぐ打ち出すように飛び出させた。
完全に動揺した学院長は避ける事も、魔法で迎撃する事も思い浮かばず、伸ばされた左手のナイフが自らの胸に吸い込まれるのを眺めていた。
小さなナイフが突き刺さり、グロウの体が学院長の体を押し倒しなだれ込むように倒れこんだ。
思わず駆け寄ろうとしたミーシャへと、しぶとく息を続ける学院長はかすれた声で助けを求めていた。

「ミーシャ……助け、両親を失ったお前を拾ったのは…………思い出せ、泣いていたお前にクルマユリの花冠を」

もはや、ミーシャの瞳に偽りの記憶をたてに助けをこう哀れな老人は一時もうつる事はなかった。
黙って差し伸べた手は、真っ直ぐグロウへと向けられていた。

「腕と腹が痛ぇ……なんでこう、俺は雑魚相手に毎度、毎度血だらけなんだ」

「単なる無茶のしすぎです。ユニちゃんが見たら大騒ぎですよ。それとユニちゃんは別室で私が預かってますから、安心してください」

「なら、さっさと帰ろうぜ。俺たちの家に」

「私は、帰っても良いんでしょうか? あの家に」

いくら吹っ切れたとはいえ、親友を騙していたという事実は消えず、ミーシャが躊躇うのも無理はなかった。
それに対してグロウは慰めるわけでもなく、ミーシャに答えをゆだねて呟いた。

「自分で決めろ」

長い沈黙の後、ミーシャはグロウの言うとおり自分で決めた。
それからしばらくして、盗賊を掃討したニックと副学院長に助けられたアイリーンが治療に加わってくれた。
グロウの止血が終わり次第、学院へと戻り、カーマインと合流してから後始末のある副学院長を残してローランディアへと飛んだ。





アルカディウス王への事件の報告は、カーマインと当事者のミーシャとアイリーン、付き添いのニックとで行われた。
主にミーシャの口から報告される事件のあらましは、何一つ包み隠すことなく報告されていった。
学院長の狂気にの沙汰から、ミーシャ自身がホムンクルスであり、作られた目的がルイセの監視である事まで。
そのあまりの堂々とした喋り、言葉遣いから誰も口を挟めることなく報告は終わり、最後にミーシャは一つ宮廷魔術師の見習いとなる事を辞退する旨を伝えた。
ホムンクルスだからと言うわけではないであろうが、ミーシャの身元引受人が事件の真犯人である以上、ミーシャが言わなくても辞退させられた事であろう。
それでも一番悔しそうな顔をしていたのはサンドラであり、それだけミーシャを認めていたのだ。

「まさか魔法学院の学院長がグローシアンを……いまだに信じられん」

「研究者としては非常に優秀な人だったのですが。あるいは優秀すぎたからかもしれません」

「そうだな。一先ず、ご苦労であった。保護したグローシアンであるアイリーン殿は、城で預かる事にしよう。元学院長の実験施設から保護したグローシアンも、こちらで面倒を見ることにする。君達はいつも通り、休暇を取ってゆっくり休んでくれ」

ミーシャ自身にはお咎めなしなのか、詳細な報告を待つ後なのか、あっさりと退出を許されカーマインたちは謁見の間を後にした。
アイリーンと別れる事を渋ったニックを、サンドラはアルカディウス王に取りつないでからカーマインたちを追った。
早歩きで追ってきたサンドラと合流したカーマインたちは、何も語ることなく自宅を目指し歩いた。
自宅の居間ではルイセとウォレスが待っており、姿の見えないグロウは大怪我のせいで気を失い二階の自室でユニが看病中であった。
それぞれがソファーに座り、サンドラがお茶を入れるとミーシャから謁見の間での報告内容を簡単にウォレスとルイセに報告した。
親友の知らない、本人でさえつい数時間前まで知らなかった事実に過敏に反応したのは、やはりルイセであった。

「で、でも。宮廷魔術師を辞退する必要なんてないじゃない。まさか、一緒に居られないとか言って何処かに行っちゃうなんて事ないよね?!」

ルイセが最も恐れたのは、学院長の陰謀などではなく、それに責任を感じたミーシャが自分の前から居なくなってしまう事であった。
今でこそティピやユニ、レティシアといった友達はいるものの、慣れない魔法学院と言う空間で最初に出来たミーシャは特別であったのだ。

「そんな事しないよ。確かにまだ何もしなかったとはいえ、ルイセちゃんに負い目みたいなものがないわけじゃない。けど、違うの」

「負い目だなんて私は、ミーシャと親友だもん。気にしないよ」

「そうじゃないの、ルイセちゃん。あのね今回のことで私も色々考えたの。グローシアンだから特別な力があるからって妬むのは、何も叔父様一人じゃないと思う。私は、そんな人たちからルイセちゃんを守りたい」

それは、悪い言い方で遊び半分で首を突っ込んできたミーシャが見つけた一つの理由であった。

「もしも世界中の人がルイセちゃんを妬んでも、私だけはルイセちゃんのそばで守っていてあげたい。そんな時、宮廷魔術師と言う肩書きは邪魔になるだけだから辞退したの。私とルイセちゃんが親友だって事実は、これからもかわらないよ」

以前はミーシャになかった心の強さを秘めた微笑に促されるように、ルイセはその胸の中に飛び込んでいた。
優しいはずだった保護者も、心の支えであった思い出さえも失くしたミーシャの方が泣くべきであったかもしれない。
微笑を浮かべながらルイセの髪をすくミーシャの手はよどみなく動き、唯一失わなかった物を確かめるように動いていた。

「貴方がそこまで考えていたのなら、アルカディウス王に成り代わり辞退を正式に受諾しましょう。新しい保護者の件も含め、ミーシャとは後日お話をする事にしましょう。それまではこの家を我が家だと思って使いなさい」

「はい、ありがとうございます。これからも、よろしくお願いします」

「ま、そんな事言われなくてもとっくに我が家みたいにしてたもんね。夜中のつまみ食いなんて、一度や二度じゃないでしょ?」

サンドラに何度も頭を下げていたミーシャにティピが突っ込むと、その動きがピタリと止まっていた。
どうやら図星のようで、こんな時に言わなくてもと一気に落ち着いた微笑みが崩れ、何時ものミーシャの顔となっていた。
すると直ぐにティピちゃんこそとミーシャが反撃の告げ口を始めて直ぐに、ユニの叫びが今へと響いてくる事となった。

「大変です、誰か。誰かと言うか、皆様すぐに。グロウ様が!!」

「グロウが? 容態に変化でもあったのかい?!」

飛び込んできたユニが叫んだ言葉から、カーマインが二階の部屋へと向かおうとしてすぐうに話の中心に居るグロウが居間へと入ってきた。
まるで今回の事件は何事もなかったかのように、起きぬけの寝ぼけ眼でお腹を左手でかきながらキッチンへと向かう。

「腹減った。お袋、なんかねえの?」

ユニの慌てぶりとは天と地ほどの差のある暢気な問いかけであった。
誰もが訳がわからないとユニを見つめる中で、その異変はグロウの口から放たれた。

「それとよ、起きたらすっげえ右腕が痛いでやんの、包帯グルグルだし。これ折れてるんじゃねえのか? って言うか、いつの間に折ったんだ俺?!」

自分で言いながら、首をかしげたグロウの独白は一旦止まり、呆気に取られている皆を奇妙な目で見てからとある人物に歩み寄った。
そしてある意味、何時も通り長い髪の端を掴んで引っ張った。
軽くではあるが多少の痛みをもたらす勢いで、何度も何度も引っ張っていた。

「おいこら、なにぼけっとしてんだよ。馬鹿ルイセ」

「い、痛い。痛いよ、グロウ……お兄ちゃん」

いまいちよくわからない反応に、ますます首を捻るグロウを前にして、ようやく落ち着きを取り戻し始めたユニが伝えた。

「グロウ様の記憶が、戻られてます。失くしていた間の記憶と引き換えに、全て取り戻されています」

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