第七十二話 ランザック攻防戦


ランザック王国の入り口へとテレポートでたどり着いた瞬間、複数の男達の足音と怒号にカーマインはとっさにルイセの手を引いて道の脇にそれた。
突然腕を引かれたことに驚いて悲鳴を上げたルイセに小さく謝りながら、グロウは目の前を通り過ぎようとする男達に目を見張る。
南の強い日差しに焼かれた肉体を鎧に固め、斧や剣といった武器を手に先を急げとこちらに気づいた様子もなく王都の外へと走り抜けていく。
兵士たちの慌てようから、まだ王都を占領されたような事はないだろうが、バーンシュタイン軍は直ぐそこにまで来ているのだろう。
一通りランザック兵が通り過ぎてから、ひとまずカーマインは様々な意味を込めてほっと息をついた。

「危なかった。あのままここでボケっとしてたら突き飛ばされるだけじゃすまなかったかもね」

「カーマインお兄ちゃん、ありがとう」

「どういたしまして。それにしても、ウォレスさん。バーンシュタインの進軍が速過ぎると思いませんか?」

ローランディアへと援軍の要請をしたと言う事は、その時にはまだランザックは援軍が間に合うと思っていたはずだ。
ランザックとローランディアの両軍が協力してバーンシュタインを迎撃しようとしたら、合流地点はガラシールズ辺りになるはずだ。
なのにすでにバーンシュタイン軍がランザック王都目前にまで攻め込んでいるのは、ガラシールズを落としていると言う事でつじつまが合わない。
ラージン砦からの援軍も、恐らくはガラシールズの手前で立ち往生となっていることだろう。

「どうやらランザックの想像以上にバーンシュタイン軍の進軍が速かったのだろう。もしかするとインペリアル・ナイトの誰かが先陣をきっているのかもしれんな。だとすれば急いだ方が良いだろう」

「そうですね、急ぎましょう。できればインペリアル・ナイトは僕らが引き受けたいですね」

「たった三人の援軍に任せてもらえるか難しい所だが、ランザックの大将しだいだろ」

先ほど目の前を駆け抜けていったランザックへいたちを追うように、カーマインたちも戦場を目指して駆け出した。
いくらも行かないうちにランザックの陣営の最後尾が見えてきた。
それだけ深いところにまでバーンシュタインに攻め込まれているのだろうが、カーマインはまず辺りを見渡してランザックの大将らしき人を探した。
もしも大将がウォレスと旧知の仲であるウェーバー将軍であれば、気兼ねなくインペリアル・ナイトへと向けて駆け抜けられるからだ。
だがあまりにも多くの兵士たちが集まりすぎて視界も悪く、闇雲に動けば仲間同士はぐれる危険性さえあった。
走行している間に、ランザック兵士の声が辺りに響き渡った。

「将軍、敵と接触しました!」

「うむ、ガラシールズがおとされた以上、ローザリアの援軍は到着しない。我々の負けはランザック王国の敗北を意味する。ここで食い止めるぞ!」

ウェーバー将軍の鼓舞に続いて、戦闘が開始される時の声が響き渡る。

「戦端が開かれたのか。カーマイン、こっちだ。付いて来い!」

ウォレスの耳は正確にウェーバー将軍の位置を察したのか、いきり立つランザック兵士たちの間を縫って駆け出した。
悪く言えば兵士たちの間をチョロチョロと駆け抜けるカーマインたちは異質に映ったであろうが、始まった戦争を前に小さなことだったのだろう。
誰にも咎められることなく、ウォレスの先導によってカーマインたちはランザックの本陣へとたどり着く事ができた。

「すぐに敵の本隊が到着する。時間はかけてられんぞ! …………お前達は?!」

「助けに来たぜ、ウェーバー」

「ウォレス、しかし一体どうやって」

「アタシ達にはルイセちゃんがいるから、回り込めたんだ」

援軍は来ないと諦めていたからこそ、ウェーバーは少ない数でも、さらにウォレスが居たからこそ本当に喜んでいた。
だがそれも一時の事で、全軍を指揮する総大将ともなると一つのことに掛かりきりにはなれない。
ウォレスやカーマインが何かを言う前に考えをまとめきると、ウェーバーは迷うことなく切り出した。

「ウォレス、それに君はカーマイン君だったな。君達に頼みがある。バーンシュタインの速すぎる進軍の理由はわかっているな?」

「やはりインペリアル・ナイトがきているのですね?」

「そうだ。今はまだインペリアル・ナイトが現れていないようだが、奴らが一人でも現れれば途端に戦況は見えなくなる。いや、ランザックに不利となるだろう。そこで無理を承知で頼みたい。君達にインペリアル・ナイトを抑える役目を請け負ってもらえないか? ランザックの得意とする先方は兵士と兵士、部隊と部隊の流れるような連携。集団戦は得意なのだが、個人を抑えるのは向かんのだ」

「そいつは願ってもない頼みだ。俺たちも出来れば引き受けたいと思っていたところだ」

無理を承知でといった事から、ウェーバーは自分がどんな無茶を頼んでいるか理解していたつもりであった。
一人で百人を相手にできると言われるインペリアル・ナイト。
それを数人で抑えてこいと言う命令は、死んでこいと言う命令とほぼイコールであるからだ。

「頼んだのはこちらだが、本当にいいのか?」

「ああ、インペリアル・ナイトと戦うのは何も今日が初めてじゃない。それに、コイツは一度インペリアル・ナイトに勝っているしな」

「それは心強い、よし、いっきに敵を倒すぞ!」

カーマインがインペリアル・ナイトに勝ったと聞いて、ウェーバーが本気にしたかどうかは怪しかった。
ただ周りで聞き耳を立てていた部下達の高揚を妨げるのを惜しいと思ったのかもしれなし、ウォレスがいればなんとかなると思ったのかもしれない。
再度ウェーバーが張り上げた声に反応して、ランザック兵たちの声が重なり張り上げられ地鳴りのように響いていく。
カーマインたちの位置から最前線はうかがい知る事はできなかったが、じりじりとランザック兵たちが前進を続けているのはわかった。
ランザックの地元の地の利と、バーンシュタイン軍が速すぎる進軍の為に疲れも見せているからだろう。
少しずつ、だが確実にランザック軍が戦況を押していく中で、一人高い場所から最前線を眺めていたティピが驚きの声を上げた。

「ちょっと、アレって……ジュリアンだ!」

「ウォレスさん、ルイセ行くよ。僕らの出番だ!」

その名を聞いてすぐにカーマインは、前線へと向けて走り出していた。
前へと戦場へと近づくに連れて血や汗、生ぬるくも気分の悪くなる戦場の風が吹き流れてきていた。
その中で、何一つ汚れる事を許されないような存在であるインペリアル・ナイト、ジュリアンの姿が見えた。

「どうした、押されているぞ?」

「はっ、思った以上にランザックの兵は良く訓練されているようです。それに苦手とされた魔法も、つたなくはありますが使用している模様です」

「だが所詮付け焼刃だ。私に続け、一気に蹴散らすぞ!」

ジュリアンが剣を抜き放ち、戦場に躍り出ると見計らったかのようにランザックへいたちが道を開けた。
おそらくウェーバー将軍がそう命令したのだろうが、明らかに異様な陣の変化に戸惑ったジュリアンの前へとカーマインたちがたどり着いた。

「どこかで見た顔かと思えば、ルイセのテレポートを使ったか」

「ジュリアンさん」

「どうしても戦わなくちゃいけないの?」

「それが戦場というものだ。遠慮はいらぬ。かかってこい!」

戸惑うルイセとティピを置いていくように、何も語ることなくカーマインが飛び出していった。
闇の魔剣であるシャドーブレイドの柄を握り締めると、カーマインの魔力を吸い上げるようにして漆黒の刃が大剣程の大きさで形成された。
カーマインの腕によって振り上げられたそれを、当初は受け止めるつもりで剣の腹を盾にしたジュリアンだが、剣がぶつかりあう直前で咄嗟に横へ飛んでその身を引いていた。
その直感は正しかった。
受け止めてくれる相手をなくしたシャドーブレイドの刃は地面へと吸い込まれ、大地を喰らうように切り裂いた。

「たいした剣だが、いくら威力が強くても当たらなければ意味がない!」

大振りに見えた一撃に、ジュリアンはそのまま回り込むようにしてカーマインの背後から切りかかった。
命を奪うのではなく戦闘不能にするための一撃が縦一文字にカーマインを襲う。
だがその一撃が到達するよりも先に、まるで後ろから斬りかかれることを予測していたように振り向いたカーマインがシャドーブレイドで受け止めていた。
確実にとらえたと思った一撃を受け止められ、驚きながらもジュリアンの顔は笑っていた。

「さすがに、一瞬で勝負をつけさせるほど甘くはないか。お前も腕を上げたな」

「…………」

やはり何も答えることなく、カーマインはジュリアンの剣を押し返し、わずかに浮いた体目掛けて横凪ぎにシャドーブレイドを振り抜いた。
無理な体勢から引くことはかなわずジュリアンは自分へと目掛けて迫る刃に向かって自らの剣を斜めに構えた。
ぶつかり合うのではなく刃が舐めあう様にジャッンと音を立ててすべる。
まるで磁石のように吸い付いた刃を基点に、くるりとジュリアンの体が回転して体勢を立て直すと同時にカーマインの懐へと近づいていた。
近距離過ぎて刃を振れない距離であるが、迷わずジュリアンは刃ではなく柄の先端をカーマインの腹部目掛けて突き出した。
鳩尾にでも決まれば致命的な隙を作る事が出来ただろう。
剣の柄がカーマインの腹に吸い込まれる直前、落とすようにして左腕がその間に割り込んでいた。
ダメージがゼロと言うわけにはいかなかったのはカーマインの苦痛に歪んだ顔が示していたが、逆に言えばまだ終わりなどではなかった。
割り込んだ腕とは逆の腕で振るったシャドーブレイドが懐に入り込んだジュリアンの死角である頭上から迫る。

「チッ」

自分に被さる影と気配で気づいたのか、振り下ろされるよりも早くジュリアンがその場を離れた。
骨にでも当たったのか痛みは程なく引いてゆき、たいしたことがないのを確かめるようにカーマインは何度か左手のひらを確かめるように握り、また開いていた。

「もはや、お前相手に手加減などとは言っていられないな……出来ればもっと、別の形で力を競ってみたかったな」

ジュリアンのまぎれもない本心の言葉に、シャドーブレイドを握る手が緩みかける。
それが解ったからこそ、カーマインは自分を叱咤するように、戦場である事を忘れかける自分に言い聞かせるように声を上げた。

「ウォレスさん、ルイセの事を頼みます。僕への援護はいりません、下手に援護されると緊張の糸がきれますから」

「こっちは適当にお前達の露払いでもしてやるさ。ルイセ、俺から離れるんじゃないぞ」

「はい、カーマインお兄ちゃん負けないでね」

もちろん突然とはいえ援護されて緊張の糸が切れるほど、カーマインが場慣れしていないはずがない。

「どこまでも、馬鹿正直な奴だな。かえって私の剣先が鈍る。因果なものだな。戦争などなければ、お前たちとは良い友になれたかもしれん」

「同感だよ。ジュリアンはインペリアル・ナイトである事を、僕はローランディアの騎士である事を選んだ」

「そして、ここは戦場で、お前と私は敵同士だ」

お互いに選んだ末の結果とはいえ、辛くないはずがなかった。
自分だけではなくお互いがそうである事を理解し、同時に思い出したのはそう言った立場を選ばなかったグロウであった。
立場に囚われることなく何時どんな時でも自分で敵と味方を選ぶ、自由な生き様。
カーマインは知らぬ事だが、以前グロウがジュリアンと渓谷で相対した時も、決してジュリアンを敵とは言いはしなかった。
ジュリアンにとってグロウ自身が敵とは言っても、決して自分にとっては敵ではないと叫び続けていた。
羨ましく思えたが、二人とも羨ましいとは口にはしなかった。

「生き残りたければ……私を越えていけ!」

「越えてみせる。僕は今よりも、さらに強くならなければいけないのだから!」

感傷の終わりは、戦闘の始まりであった。
互いに横に凪いだ剣がぶつかり合い、相手の命ごと喰らうが如く刃が吼え猛る。
停滞は一瞬の事で、打ち負けたのはカーマインの方であった。
左腕に受けた一撃の痛みが程なく引いたと思っていたが、後から広がるように痺れをもたらしていたのだ。
あまり握りでジュリアンの剣を受け止める事などかなわず、シャドーブレイドが弾かれた。

「甘いぞ、カーマイン!」

大げさすぎる程に体を回転させながら転倒していくカーマインへと、ジュリアンが大きく剣を振り上げる。
剣を止めるには剣をぶつけるしかないのだが、肝心のシャドーブレイドはカーマインの手にありながら今にも地面に突き刺さりそうであった。
迫るジュリアンを視界の隅に収めながら、あえてカーマインは痛めた左腕を地面につけた。
無理な体勢で手を突いたことで先のとは比べ物にならない痛みが脳髄へと上り詰めたが、さらにそこから左腕を酷使して体を止めるのではなく回転を加速させた。
勢いを失ったコマが息を吹き返したようにカーマインの体が僅かに浮き上がり、体と地面の隙間をシャドーブレイドが駆け抜け駆け上る。
遠心力をプラスした一撃がジュリアンの剣を真横から弾いた。

「なにッ?!」

「まだだ、まだ終われない!」

逆に思いも寄らぬ一撃を受けたジュリアンが戸惑う内に、カーマインは体勢を立て直したがシャドーブレイドに添えた左腕は力なく垂れ落ちていた。
明らかにカーマインが振りに見える中で、振りだからこそかすぐに攻めるような事はせずジュリアンはゆっくりとその顔をあげた。

「どこで……」

「え?」

「どこで運命の歯車がずれてしまったのだろうな。それとも、あの日出会ってしまった事が、そもそもの間違いの始まりだったのか?」

「確かに、僕らが出会わなければ。こんな思いをしなくてすんだのかもしれない」

あの日ジュリアンが剣を捨てなければ、カーマインたちがその剣を拾わなければ。
決してお互いの道が交わる事はなかったのだろう。
そして戦場で苦しみながら剣を向け合う事もなかったのだろう。
悲観、それのみを訴える顔を見せるジュリアンに対して、カーマインはそれ以外のものをしっかりと顔に浮かべていた。
相反する感情を抱きながらも、ジュリアンが、カーマインがその手の中の刃をひるがえす。

「だがここで嘆いた所で、もはやあの時には戻れぬ!」

方や出会いを通して後悔を抱き、

「だけどあの日出会わなければ、今の僕らはここに立つ事さえ出来なかった!」

方や出会いを通して未来の展望を開く。
二つの気持ちの間に、カーマインの左腕に対する不利などとても小さな事だったのであろう。
渾身の力を持っての一撃に明確な差を生み出していた。
振りぬかれるのはカーマインが手にしたシャドーブレイド、弾き飛ばされ宙を舞うのはジュリアンの手を離れた剣。
ただ静かに、カーマインはシャドーブレイドの切っ先をジュリアンの胸へと突きつけた。

「やったか」

「ひやひやさせてくれちゃって、終わりよ、ジュリアン!」

「くっ…………」

戦場の怒号が途切れたように静まり返り、徐々にどよめきと動揺が広がっていった。
どよめくのはランザック兵、動揺するのはバーンシュタイン兵たちである。
一体誰がインペリアル・ナイトの敗北を予想したであろうか、まだ自国以外では名も知られぬ一介の騎士が勝利すると思っただろうか。
ハッと誰もが我に返ったとき、特にバーンシュタインの兵士たちがこう叫ぶのも当然であった。

「将軍、いますぐお助け致します!」

「馬鹿者、戦列を乱すな。私のことは放って」

「皆、俺に続け!」

バーンシュタイン兵士一同が、ジュリアンを助け出すために動き出した。
いくら将軍とはいえたった一人のために相手が戦列を乱すと予想も出来ずに、幸か不幸かランザック軍の動きが遅れていた。
それは道を譲るようにして生まれたカーマインたちの為の戦場への救援が遅れると言う事を意味していた。
だからカーマインはジュリアンへと突きつけていたシャドーブレイドを下げて、叫んだ。

「ジュリアンの確保を諦めます。ウォレスさん、ルイセここは退くよ。インペリアル・ナイトが敗れた以上、バーンシュタインがこれ以上進軍する事はない。ここが退き時だ」

「そうだな、俺たちの目的はあくまでランザックへの助力とバーンシュタイン軍の進軍阻止。十分だ」

「チェッ、つまんないの!」

「ティピ、馬鹿なこと言ってないでこっちにもっと寄って。テレポートで一気にさがるよ」

いさぎよ過ぎるほどにいさぎよく退いたカーマインたちを呆然と見送りながら、駆け寄ってきた部下達に手を引かれ、まだ信じられないといった顔をするジュリアンは戦場を去っていった。

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