第七十話 学院の異変


ルイセとミーシャが実習終了の証明書を提出しにいっている間、カーマインたちは校舎より少し離れた学生の広場にいた。
本当はルイセたちについていっても良かったのだが、相手も学院長という身分から忙しいだろうからと二人だけでいかせたのだ。
急くような任務は無いために、少々のんびりとベンチに座り込み、周りの学生には聞こえない程度の声でカーマインが今回の任務についてきりだした。

「今回の目的はゲヴェルの居場所を探るので問題ないと思いますが、何処にいると思いますか?」

カーマインが尋ねたのはウォレスであるが、先にグロウが反応してきた。

「考えてわかるなら苦労はないだろ」

「それはそうだけど、ある程度居場所を絞り込まないと無駄が大きくなるだろ? ただでさえ、僕らは人数が少ないんだし」

「そうだな。俺が考えるにゲヴェルは北にいると思う」

「答えるのはや過ぎ。最初から見当がついてたとか?」

四方位で言えばそれは四分の一でしかないのだが、やけに確信めいた言葉にティピがさっそく突っ込んでいた。
ウォレスの方もほぼ間違いないと思っているのか、持論の説明を始めた。

「ゲヴェルが最初に現れたのは水晶鉱山、そこでお前たちもゲヴェルの大きさを見ただろう?」

「ええ、山とは言いすぎですけど、大きな建物ぐらいの大きさはありましたね」

「そうだ。ゲヴェルの姿はあまりにも大きすぎる。おそらく一歩歩くだけで地鳴りさえ起こるかもしれん。そんな目立つゲヴェルが、水晶鉱山から南下するような事はまずありえん。たちまち人の目に止まるか、それなりに噂に残るだろう。水晶鉱山から西も、村が点在するからまず無理だ」

「東にもバーンシュタインがあるから、北と言う事になるんですね」

北と絞り込めてからも、二人は大陸の地図を頭に浮かべながらさらにゲヴェルの居場所を絞り込もうと話し合っていく。
そのなかでグロウは興味なさげに大あくびをしながら、耳に届く二人の声を聞き流していた。
ある意味それも仕方の無いことなのかもしれない。
グロウは今、カーマインたちと一緒に居る意味を失いかけているのだ。
ルイセを守りたいからとラシェルを出た気持ちが薄れ、かと言って正体不明の化け物を倒さなければいけない気持ちも薄い。
詰まらなさそうにグロウが大あくびをしていると、にじんだ涙でぼやけた視界の中を数少ない知り合いが一人歩いていた。
恐ろしく場違いな感じに我が目を疑ったのは一瞬で、すぐにグロウはその人の名を呼んでいた。

「ニック、こんな所で何をしてんだ?」

「グロウ君? それにカーマイン君も」

グロウが呼んだ名に引かれて、話し込んでいた二人も自分達の目の前に傭兵のニックが居た事に気づいた。
学生、子供が多い学院に確かに傭兵である無骨な鎧を着込んだニックは少々浮いており、学生たちも誰だろうと言った視線を時折よこしている。

「もしかしなくても、アイリーンに会いにきたのか?」

「あぁ。彼女が欲しがっていた薬草が手に入ったのでね。差し入れと一緒に、持ってきたんだ」

「相変わらずな奴だな。別にそこまでしなくても、もうアイリーンはお前に惚れてるだろ」

「これだからまともに女と付き合った事の無い奴は……惚れてる女にありがとうって微笑まれたら、最高なんだぞ」

そう言うもんかと、グロウは自分が惚れている相手を思い浮かべようとして、失敗した。
同時に三人の顔を思い浮かべてしまって、三人の特徴がごちゃまぜになった知らない相手になってしまったからだ。
ごちゃ混ぜになった比率的に、ユニが多かったのはこっそりグロウの耳元でユニがささやいていたからだろう。
何やら一人で悩み出したグロウを不審に思いながらも、ニックはそうだと思い出したように足を一歩踏み出した。

「アイリーンに会うには学院長か副学院長の許可が必要なんだ。久しぶりに会って話し込みたいところだが、失礼するよ」

一刻も早く恋人に会いたいと思う相手を長々と引き止めるわけにも行かず、結局たいした話のできなかったカーマインとウォレスが軽く手を上げていた。

「それじゃあ、またな」

「あ、ニックさんだ。一体どうしたんですか?」

そしてニックが二歩目を踏み出したところで、タイミングが悪いと言うのかルイセとミーシャが戻ってきた。

「アイリーンさんに会いに来て、学院長か副学院長の許可を貰いに行くところだってさ」

だからあまり引き止めるなと言外にカーマインが言ったのだが、何故かルイセとミーシャが眉をひそめて口ごもる。
二人も早く会わせてあげたいとは思ったようだが、理由は他にありそうであった。

「学院長も副学院長も今は七階にいないみたいですよ。特に副学院長は自宅のあるメディス村に戻ってるそうです」

「副学院長が私と同じメディス村出身だなんて知らなかったな。そうそうおじさま、学院長も受付のセリアさんが言うには用事で学院を出てるらしいです」

二人が言いたくなさそうにしたのも当たり前で、すぐには会えないと解った時のニックの落ち込み様はすさまじかった。
屈強な傭兵で剛剣の使い手として名をはせた男とは思えないほどに、顔を青ざめよろめいていた。
それを見て学院長と副学院長の不在を告げた二人も、告げてしまったことをすまなそうに顔を伏せていた。

「いや、君達が気にする事はないさ。はは……」

最後の「はは」と言う薄っぺらい笑いさえなければよかったのだが、ニックの慰めには効果が全くみられなかった。

「ねえ、カーマインお兄ちゃん。なんとかできないかな?」

「なんとかって言われても、困ったな」

一応居場所がはっきりしている副学院長がいるメディス村まで、押しかけると言う手もあるがあまりしたくはなかった。
ニックをアイリーンに会わせてはやりたいが、休暇中かもしれない副学院長宅に押しかけるのも迷惑きわまりないだろう。
かと言って居場所のはっきりしていない学院長を探すなど、もっと論外である。
精々、二人が帰ってくる前のニックの滞在先を紹介してあげることぐらいであった。
滞在先とはアリオストの研究室の事であり、それはそれでアリオストに迷惑をかけかねない。
本気で困ったなとカーマインが何も言えずにいると、なんでそんな詰まらない事に考え込んでいるんだとばかりにグロウが言った。

「とりあえず、アイリーンが居る所まで行こうぜ。ニック、お前何度か会いに言った事があるんだろ?」

「ああ、場所は多目的ホールって所だが。もう何度か会いに行ってる」

「なら見張りか誰かに事情を話せば通してくれるんじゃないのか?」

そんなに甘く無いだろうと思いつつも、他に誰にも迷惑をかけない方法も思いつかず、皆で多目的ホールへと向かって歩き出した。





多目的ホールの入り口で立っていたのは、バーンシュタインとローランディアどちらの所属でもなさそうな一人の兵士であった。
どうやら中立と言う意味をそこまで徹底しているようで、魔法学院所属の兵士という事のようだ。
そのあたりは全くの余談であり、その兵士の前でニックは名を名乗り、何度か顔を合わせている事まで思い出してもらえた。
そして本題である、学院長と副学院長の不在を教えた上でなんとか中に入れてくれないかと頼み込んだ。
だがやはり、返答はノーであった。

「君ほど熱心に保護されているグローシアンに会いに来る人も珍しいから、入れてあげたいのは山々なんだけど。すまない、自分の仕事は許可のない者を入れない事なんだ」

「ちぇっ……ケチッ!」

思い切り聞こえるように言ったティピの声にも苦笑で答えられるだけであった。

「ニックさん、良ければ学院長たちが帰ってくるまでの宿泊先、紹介しましょうか?」

「いや実はあまり長いは出来ない状況なんだ。言うまでもないだろうが、今は傭兵の稼ぎ時なんだ。気持ちだけは受け取っておくよ、カーマイン君」

「カーマイン? …………その、少しいいかい?」

あまりにもニックが残念そうにしたからか、見張りの兵士から話しかけてきた。
もしかして合わせてくれるのかと、皆が一斉に振り向いていたがどうやらそう言うわけではないようであった。
カーマインの姿を見てから、もう一度尋ねてきた。

「カーマインと言うのは、あのローランディアの騎士のカーマインかい? 前回の闘技大会で優勝して仕官された」

「はい、そうですけど何か?」

「それを証明できるかい?」

見張りの兵士の意図が見えないが、もしかするとと期待しながらカーマインは騎士の証であるメダルをポケットから取り出した。
勲章とは少し違うが、ローランディアの騎士である事の証明であり、その裏には特殊な方法で名前が刻み込まれている。
本物だと呟いた兵士へと、そんなもんで言いのならとウォレスも自分のメダルを放り投げてよこした。
あまりにもぞんざいな扱いに、放り投げられた見張りの兵士の方が驚いていたが、気は済んだようであった。

「内密にホールへの出入りを許可しますので、お願いを聞いていただけ無いでしょうか?」

「それは願ったり、かなったりですけど内密って良いんですか?」

「ええ、お願いしたいのはこのホールの中に関することですから」

少し話しが奇妙な方向に進み始めたのを感じながら、カーマインはとりあえず理由を聞いてみる事にした。
見張りの兵士が言うには、最近多目的ホールの中が誰も居ないかのように静かになったというのだ。
そこで数が多くは無いとはいえ、幾人ものグローシアンが生活しているのにである。
異変は静かになるだけではなく、それ以前からも少しずつ発生していたらしい。
見張りの兵士もホールの中へ入ることは許されていないが、ある日表に出てきたグローシアンの一人にこう聞かれた事があるらしい。

ここ以外にも保護する場所がるのかと、もちろん見張りの兵士はないと答えたが、人が減っている気がすると言われたのだ。

「もちろんその事はすぐに学院長と副学院長にもお知らせしました。それはつい先日の事なのですが、翌日からぱったりと中の生活音が消えた気がするのです」

「でもそれって……もしかして」

「そんな事ありません!」

ルイセが危惧した声をさえぎる様に叫んだのはミーシャであった。
当然の事ながら彼女は自分の養父である学院長へと疑いの目が向く事が我慢ならなかったのだ。

「だって多目的ホールってすっごい広いんですよ。奥のほうに部屋割りされただけかもしれないじゃないですか」

「だからそれを確かめて欲しいんだ。別に何事もなければそれでいいんだが、保護された理由が理由なだけに安心が欲しいんだ」

話を聞き終わる前に、見張りの兵士を押しのけるようにしてニックがホールの玄関へと足をかけた。
ミーシャが多少嫌がっているようだが、ニックにとってはまさに死活問題であったろう。
安心だと思って恋人を預けた先に少しでも疑いがあるのなら、調べたいと思うのが普通である。

「ちょっと待ってください!」

「ミーシャ?!」

「ちょっと、アンタ自分が何してるかわかってる!」

ルイセとティピが叫んだのも当然で、ミーシャは自分がニックへと杖の先端を突きつけるようにしていることにハッとしていた。
すぐに杖をおろしたものの、自分が何故そこまで止めようとするのか理解できていない様であった。
癇癪とは違うようだが、少し不安定に見えるミーシャを一人置いていくような事はできなかった。
状況が状況なだけに、ルイセ一人に任せるわけにも行かず、カーマインと目配せしてからグロウはウォレスを伴って、先にホールへと入っていったニックを追った。

「…………ミーシャ様、大丈夫でしょうか? 以前から、時折様子がおかしくなる事がありましたが」

何故か頭痛がするように頭をおさえながらユニが言っているのは、主にブレーム火山の事であろう。
グロウはその頃の記憶がないので、代わりにウォレスがうむと相槌をついていた。

「さっきのミーシャは何処か、違うな。確かに声や気配はミーシャだったが、上手く言えないな」

ウォレスにも良く解らないようで、会話が途切れたまま多目的ホールの廊下を真っ直ぐ走る。
確かに見張りの兵士が言うように静かすぎ、それだけではなく人の気配が皆無といって良いほどなかった。
特にそういったものに敏感なウォレスが、異変を一番感じ取っていただろう。
奇妙な違和感を感じつつも廊下を走り抜けると、突き当たりに大きな扉が見えてきた。
半開きなのはニックが先に入ったからであろうが、その扉を抜けた先の光景に、思わず息を呑んで立ち止まってしまった。

「ニック様……」

それは立ちすくむニックの足元に転がる、一人の人間であった。
大量に流れ出ていたはずの血は当に乾いており、明らかに死亡しているのは間違いなかった。

「誰も居ない、どう言うことだ。誰も、アイリーンが。ここに転がる死体ぐらいしかないんだ!」

突きつけられた事実が信じられないとばかりに、再びニックはアイリーンを求めてホールの中を探しに走り始めた。
言葉尻から一度は全て捜したのだろうが、諦めきれないようだ。
グロウとウォレスは、とりあえずそこに転がる死体にちかづいた。
年の頃は三十過ぎといったところで、腹部を刺された様で大量の血の跡から失血死に見えた。

「この方は一体誰なのでしょうか?」

「ここに入ることの出来る人間は限られているから、見張りに聞けばわかるだろう」

まずはその見張りを呼ぶべきだと、死体のそばでしゃがみ込んでいたグロウが立ち上がろうとすると視界の端に小さな赤い光が差し込んだ。
小さい割には強烈な光に気を引かれ、もう一度しゃがみ込んでみると死体が何かを握っていることに気づいた。
一体なんだろうと死体に手を伸ばそうとすると、ウォレスの鋭い声が飛んできた。

「グロウ、迂闊に死体に触れるな。下手に触れば、犯人扱いされかねないぞ」

「それは勘弁願いたいな。ウォレス、見張りとカーマインたちを呼んできてくれないか。俺はニックをまず落ち着けさせる」

「ああ、お前の方がニックとは親しそうだからな。頼んだぞ」

そう告げてから、グロウは何処かへ行ってしまったニックの後を追った。
一体ニックはどんな気持ちなのか、想像もできない。
信頼していた学院にたいする裏切られたと言う失望、それよりもアイリーンを心配しているのか。
目に付いた廊下の角を適当に曲がりながらすすむと、ニックは暴れ疲れたように壁に寄りかかってうなだれていた。

「何度探しても、いない。どうなってるんだ!」

「それをコレから調べるんだ。連れ去られたアイリーンを助けるんだ」

「簡単に言うな、どうしてアイリーンが生きていると言える。なんであの男は死んでいた。アイリーンがそうじゃないってなんで言える!」

迂闊に触れればそばにいるグロウにその矛先が向きそうなほど、ニックは取り乱し我を失っていた。
背中に背負った剛健に伸びそうな手を、逆の手で押さえているのがニックの最後の自制心であろう。

「お前こそ、簡単にアイリーンが死んでいるなんて言うな。考えても見ろ、本当に殺すつもりならなんでわざわざ連れ去った。他に理由があるからだろ。だったらまだ間に合うはずだ。剛剣のニック、そんなごったいそうな名前で呼んでもらうためにその剣はあるのかよ。違うだろ、惚れた女を守りたいから重てえ剣を背負ってるんだろ。だったら今その剣を使わなくて何時使うんだよ!」

「グロウ様の言うとおりです、ニック様。あまり考えたくはありませんが、犯人に繋がるお方は学院長か、副学院長のお二人です。そうやってうなだれている間にも、アイリーン様に刻一刻と危険が迫っているのですよ」

「行こうぜ、ニック。ぶっ殺してやろう、犯人を」

ゆっくりとだが、グロウが差し出した手を握り、ニックが立ち上がった。

目次