それを見たのは本当に偶然であった。 昨晩に、ありがとうと呟いて、カーマインの胸に顔を寄せるように抱きついたルイセを見たのは。 本当に幸せそうなルイセの顔。 ただし抱きしめているのはカーマインであり、グロウ自身ではない。 なのに不思議と嫉妬は浮かばず、安堵する様な落ち着いた不思議な気持ちがあふれてきていた。 むしろその事の方が酷くグロウを苛立たせていた。 「好きじゃなかったって事なのか?」 自室のベッドの上で足を投げ出すように座りながらの、自問。 迷子になった子供が手にしていたヌイグルミに安堵を求めるように、記憶を失い不安な気持ちから手頃な安堵を求めたのか。 だったら自分を良く知っていたユニでも、何かと気にかけてくれたカレンでも良かったはずだ。 あの時迷いの森で偶然会い、急に飛びつかれた時、単純に腕の中の少女を欲しいと思った。 湧き上がった欲求は、欲しい、それだけだった。 そこまで考えてから、不意に上を見上げて今度は首を落としたグロウは深く溜息を吐いていた。 「考えるのも面倒だ」 たった一つの溜息で気分を切り替えると、ベッドのスプリングを利用して勢いをつけて立ち上がる。 そのまま自分の部屋を出て行き向かった先は、ルイセの部屋である。 とりあえず抱きしめてキスの一つでもしてみれば解ると着てみたのだが、ノックをしても返事が無い。 いないのかよと毒づいていると、慌てた様子のユニが飛んでくる。 「グロウ様、まだこんな所にいらしたんですか!」 「別に俺が何処に居ても俺の勝手だろ?」 「それは、そうですけど。お忘れですか、レティシア姫の事!」 何を慌てているのかとピンときている様子のグロウに、ユニがまくし立てるように説明する。 どうやら昨日のルイセの誕生日パーティの間に、騒ぎのドサクサでデートの申し込みを了承してしまったらしい。 全く覚えのないグロウは、それを聞いても生返事であった。 「いいから、早くちゃんとした服に着替えてください。その前に湯浴みを、そんな時間は、だったらせめて顔だけでも」 一人で騒ぎ立てるユニをぼけっと見ながら、ふとグロウが呟く。 「お前、俺がレティシアとデートしても平気なのか?」 予想外の問いかけにユニが慌てるのをやめて、止まったのは数秒。 すぐに気にした様子もなく言ってのけてきた。 「平気も何も、レティシア姫だからです。それに私もついていきますから」 ユニがそう言うからには、レティシアの方も着いて来ることは了承済みなのであろう。 洗面所へとユニに背を押されながら歩くグロウは、わからんとだけポツリと漏らしていた。 急かすユニに連れられていったのは、城ではなく、城下にあるとあるオープンカフェであった。 どの席も同じように人で埋まっている中、一席だけ明らかに雰囲気の違うテーブルがあり、そこにレティシアと何故かエリオットがいた。 恋人同士というよりも、明らかに姉弟のように見えるそこだけ、品のような物がうかがえるために周りから浮いていた。 その為か特に二人のいる周りの席の人たちが肩身が狭そうに、少しずつ遠ざかろうとしていた。 街中での待ち合わせには無理があるなと呆れつつグロウが近づくと、レティシアがいち早く気づいて手を上げてきた。 「あ、グロウさん。こちらですわ」 「いちいち言わなくても、わかるだろ。それでなんでコイツがいるんだ?」 正直グロウはエリオットの事を昨日知ったばかりで、普通に聞いたつもりだったのだが、レティシアには違うように受け取られるだけであった。 「違います。エリオット君には城の抜け出し方を教えてもらって、ここまで案内してもらっただけですわ!」 「レティシア様、突然大声を出されると……」 「あっ、いやですわ」 テーブルを叩くような勢いで手を突いて立ち上がった後、ユニに言われてから自分がどれ程注目を集めたかを知り、顔を赤らめてレティシアが座り込んだ。 元々周りからはどう見てもレティシアとエリオットが恋人などに見えるはずもなく、呆れながらグロウはテーブルについて言った。 「例えそうだとしても、本人の前で言いきるのもな。お前も少し悔しがれよ」 「僕ですか? 本当の事ですし、護衛のつもりで付いてきたのですが、あまり役にもたたなかったですから」 グロウに言われて答えている最中にションボリしだしたエリオット。 どう役にたたなかったのか、グロウとユニが視線でレティシアに問いかけると、少し言いにくそうに語り出した。 元々護衛云々はエリオットが言い出したことらしく、確かにレティシア一人で来ていれば言い寄る男に難儀した事だろう。 だがエリオットが居ても、弟と一緒ですからと言い訳程度にしか使えなかったのが苦しい所であったらしい。 「で、でもお役に立てたのなら、良かったではありませんか」 「そうでしょうか?」 苦しいユニのフォローに、エリオットがもの悲しい笑顔で顔を上げる。 だがグロウは容赦なく、顔にありありと落胆の色を見せていた。 「なさけねえ。護衛とか自分から言っておいて、言い訳程度かよ。無礼者とか言って大立ち回りしろとは言わねえけど、何のために腰に剣つけてんだよ」 「すみません。でもこれもまだ一度しか抜いた事なくて」 そう言ってエリオットが触れたのは、自分の腰に下げた安物のレイピアであった。 かつて自分がオズワルドに追い掛け回されていた時であり、あまりの自分の情けなさに自棄になった一度だけ。 本当に情けないやとますます落ち込んでいくエリオットに、ユニとレティシアがなんと声をかければよいかわからない顔をしていた。 「情けないと思うだけなら誰でも思えるぞ。肝心なのは、そこから自分がどうするかだ。そういや、今日はウォレスが暇だとか言ってたな」 さも今思い出したようにウォレスの事を出すと、すぐにエリオットが立ち上がった。 「ありがとうございます。すぐに行ってみます!」 脱兎と言っては行動が魔逆であるが、一度頭を下げてエリオットが駆け出した。 何かと気弱な面がある割には、意外なほどに行動力を見せるものである。 もっとも先ほどのヒントに対して何も行動を起こさなければ、グロウが激しく叱咤したであろうが。 その証拠に、走っていったエリオットの後姿が消えるまで、ニヤつく顔を必死に押し殺すグロウがそこにいた。 「それにしても、グロウ様は何時ウォレス様にお会いしたのですか? 今日はまだ起きてそれ程経っていませんよね」 「ウォレスの予定なんか知るかよ。どうせ予定があろうとなかろうと、頼られたら放っておけないだろ。面倒見が良い奴だし」 「良いんでしょうか?」 「まあ、今日の所はウォレスさんにお任せいたしましょう。エリオット君も心配ですが、今日はこちらの方が大事です」 肩肘をテーブルについて手のひらで顎を支えていたグロウの逆の手を、ふいにレティシアがとって力強く宣言してきた。 少しばかり忘れていたと、グロウも今日ここに来た目的を思い出していた。 目的を思い出してから、ようやくグロウはマジマジと今日のレティシアのいでたちを改めて観察する。 今日はふっくらとしたベージュのワンピースに、ラメ入りのショールを羽織っており、品が良すぎさえしなければ街中にも溶け込める事だろう。 デートの為に自らのレベルを下げるのもおかしな話だが、それでも全く問題はない。 直視されて照れているレティシアに取られていた手を自由にすると、そのままグロウは耳に掛かっていた髪をたくし上げたり、指にからめたりして遊び始める。 「あの、グロウさん?」 「ん……綺麗だな。お前の髪」 からかっている訳ではなく、真面目に呟かれた言葉に一気にレティシアの体温が沸点に達していく。 真っ赤になって言葉もないレティシアを前にしても、未だグロウは髪の毛で遊び続けている。 サラサラではなく、どちらかというとフワフワとした髪を触りながら、ふいにその金髪がグロウの視界の中で桃色を帯びていく。 実際に変わったわけではなく、グロウの頭の中でレティシアが別人と重なった瞬間、グロウは遊んでいた手を思い切り引いた。 あまりの突然の様子にビックリしているレティシアを前に、取り繕うように呟いた。 「わりい、あんまり触らない方がいいよな。そろそろ出ようぜ、込んできてるしよ」 一方的に伝えると伝票を持ってグロウがカウンターへと歩き出した。 込んでいたのは最初からであり、明らかな不自然さを感じながらも、特に何も思うことなくレティシアは席を立ち、ユニを伴って歩き出した。 カフェを出てからは、何も特別な場所に向かうでもなく、レティシアとユニが率先してグロウを連れまわしていた。 主に商店街の服やアクセサリなどが売られている場所ばかりであり、正直グロウにとって面白いと言えるような場所ではなかった。 それでも楽しそうにする二人に無粋につまらんと言えるはずもなく、時折問われる似合うか等の問いかけに答える。 だがそれが何軒、十何軒目ともなるとさすがにグロウの方がへたばり始めていた。 明らかに体力が上のはずのグロウが先にへたばり、レティシアやユニはまだまだ元気一杯で次から次へと店を変えるつもりらしい。 「レティシアはともかく、なんで着れも付けられもしないユニまで楽しそうなんだ」 理解できんとさりげなく同じ店舗の中で距離をとると、グロウは自分のペースで眺め始めた。 と言っても、男が一人で女物の服を見回るのもおかしいので、自然とアクセサリを眺め始める。 それはそれで変な絵面であるが、服よりはプレゼントかと他の人には思われるため、気が楽であった。 ブラブラとそれらを眺めていると様々なリボンが並べられた棚へと行き着き、オレンジ色のそれが目に付き、手にとって見る。 「何処かで……」 見覚えがあるリボンに触れながら、これだけ自分が好きだと言っているのにとふいにルイセのことを思い出した。 だがルイセの事をどうこう言う前に、自分も今別の女性とデートしている事に笑う。 普段ルイセに好きだと言いながらも、ユニともレティシアとも仲良く振る舞い、自分にも原因はあったのだ。 リボンに触れる手に自然と力がこもり、 「お客様」 「あ」 シワがついたために、店員に怒られる事となった。 仕方がないのでそのリボンを買ってから逃げるように店を飛び出し、リボンの入った箱をもて遊びながら出入り口のそばで二人を待つ。 「あ、いました。レティシア様、外です。外にいらっしゃいました」 言付けるのを忘れたために、探していたのか結構長い時間の後にユニが先に出てきた。 「グロウ様、お一人で行動するなら先におっしゃってください。探したじゃないですか」 「そのわりには、気づくのが遅かったな。店に入って結構すぐに勝手に動いてたんだけどな」 「う…………それは」 グロウが勝手に動いたせいもあるが、二人がグロウを忘れていた事を指摘するとすぐにユニは言葉に詰まっていた。 ちゃんと俺も悪かったけどなと呟きながら、人差し指でユニの頭をぽんぽんと叩いていると大きな袋を両手で持ったレティシアが出てきた。 どれだけ買い込んだのか、明らかに重量オーバーのそれをグロウが黙って取り上げる。 「無理すんなよ。落としでもしたら、凹むだろ」 「ありがとうございます。あら……グロウさん、それは?」 レティシアが気づいたのは自分が渡した荷物とは別に、グロウが初めから持っていた小箱である。 「ああ、これか。良かったらやるよ」 そんなつもりは全くなかったのだが、どうしようもないのでプレゼントのつもりで小箱を放り投げる。 「本当に、貰ってよろしいのですか?」 「だからやるって言ってるだろ」 慌てる意味が解らずぶっきらぼうに言うグロウであるが、初めて好きな人から何かをプレゼントされたら嬉しさと戸惑いで信じられないものである。 少しうらやましそうな視線を投げるユニの前で、早速小箱の中身を見たレティシアであるが、ユニが覗き込むよりも早くふたを閉めていた。 さっさと次の店へと行こうとするグロウの背中を見つめるレティシアの瞳からは、一気に喜びが消し飛んでいた。 「レティシア様、どうかなさいましたか?」 「いえ…………あの、グロウ様少し疲れましたので、何処かで一休みしませんか?」 当たり前のように、いいんじゃねえかという言葉をグロウが返し、一旦近くのカフェへと寄ることになった。 適当な席につくとすぐにレティシアが失礼と言葉を残して、席を離れていった。 その際にグロウが渡した小箱を持っていたため、グロウもユニも早速付けるのだと大して気にしていなかった。 だがすぐにレティシアが戻ってきたときには、二人とも、特にグロウが言葉もなかった。 レティシアのフワフワした金糸の髪を、頭の両端でオレンジ色のリボンでツインテールにしたその姿は、ルイセと全く同じではないが、似た髪形であった。 そう、リボンを見たときに何かを感じたのは、ルイセが普段付けているリボンと似ていたからだ。 レティシアも貰って直ぐに気づいたのだろう、だからわざわざツインテールにしてきたのはあてつけなのだろう。 怒りをあらわにしていない冷静な顔つきが余計にレティシアの怒りを表現していた。 「グロウさん、今日一日なにを考えていらっしゃいましたか?」 テーブルに着くなり切り出した言葉に、グロウは答えられなかった。 いつもではないが、時折ルイセのことを思い出し、レティシアと比較または重ね合わせようとしていた。 沈黙は肯定の証だとばかりに、レティシアは語気を強めていった。 「グロウさんがルイセさんを好いていることは承知しています。承知していながらのデートの申し込みでしたが、これではあんまりではありませんか?」 静かに瞳に涙を溜めながら酷いと呟いた方が、グロウに訴えられたかもしれない。 あるいは気を引けたのかもしれないが、あえてレティシアは耐えるように冷静に言葉をつむいでいた。 それはルイセを好きな事を承知でのデートだったと言う引け目と、同情で好きになられたくは無いという強い思いからであった。 「これほど不愉快な気持ちになったのも久しぶりです。今日のところはコレで帰ります。ユニちゃん」 「はい!」 緊張から高い声が出てしまったユニを見て、レティシアは言った。 「途中までお願いします。恐らく帰られるとは思いますが、念のため」 「あの、グロウ様」 「行けよ」 それではもさよならも、何の言葉もなくレティシアはユニを連れて行ってしまった。 二人が店を出てから、ようやくグロウは長く胸に溜めていた息を一気に吐き出した。 「知らねえよ。俺にだって、わかんなくなってんだから」
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