普段はカーマインたちの休日にあわせ、アルカディウス王のはからいでサンドラも休日をもらえるはずであった。 だがカーマインたちが持ち帰ったゲヴェルの情報から休日は返上となってしまい、朝も早くからサンドラは城の研究室にこもりきりであった。 ならばせめて早めに切り上げて家に帰ろうと休憩もとらずに書物と格闘している中、研究室のドアが開く音が聞こえた。 誰であろうかと書物から顔を上げたサンドラの目の前には、必死の形相のルイセと、意味もわからずつれてこられたような顔をしているミーシャが居た。 「お母さん!」 「こんな日に一体どうしたのですか? カーマインに何処かへ行こうとさそわれなかったのですか?」 「先約があるからって断ってきたの。それよりも、魔法使いってどうやったら強くなれるの!」 「それよりとは…………あの子も不憫な」 かなり興奮状態の娘に対して言いたいことは色々あったが、まるでカーマインやグロウの様な言葉に興味を惹かれてしまっていた。 とりあえずサンドラは激しく体を上下させるルイセを落ち着かせ、問いかけた。 「まずは落ち着いて話なさい。どうして強くなりたいと思ったのですか?」 「今までカーマインお兄ちゃんたちと色々な任務をしてきたけど、いつも守られてばかりで、私もそれが当然だと思ってた。でもね、私が強くなればカーマインお兄ちゃんたちがもっと楽になる。危ない事をしないですむんじゃないかって思ったの」 「あ、そういうわけだったんだ。急に連れて行かれてなんだと思ったら、それなら私も強くなってお兄様をもっと助けたいです!」 便乗するようにミーシャまでもが同じような事を言い出したのを見て、一人サンドラは嬉しさと寂しさの混じった溜息を漏らしていた。 普段カーマインとグロウの成長ばかりに目が行きがちであるが、愛娘やその友達の成長にまでは目が向いていなかった。 どの子も自分のペースで変わり成長する物だと感心する反面、自分が年をとっていっていることを実感してしまう。 そんなことを感じてしまう方がおばさんくさいと、必死に考えを振り払った。 「理由はわかりました。ただ、本当に今日からでいいんですね?」 「今すぐにでも、焦ってるわけじゃないんだけど」 バタバタと慌てたように付け足したルイセであるが、それを焦っているのだと言う事をあえてサンドラは言わなかった。 「ではついてきなさい。ここで行うには狭すぎますから」 そう言ってサンドラが二人を連れて行った先は、研究室の上にある屋上であった。 ミーシャは始めて訪れる王都での高所から見える光景に目を奪われていたが、二度目であるルイセはそれ程でもなかった。 以前は夜と言う事もあって一応昼間の光景も気にはなっていたが、それよりもと言う様子であった。 「ミーシャ良いですか?」 「あ、はい。オッケーです」 屋上に出た途端に落ち着きのなくなったミーシャに確認をとってから、サンドラは言った。 「よろしい。では地味ではありますが、私の手がかからずかつ、貴方達の底力を上げる特訓を伝えます。ルイセ、私の正面に立ちなさい。そして私と同じようにするのです」 説明不十分のままであり、首をかしげながらであるがルイセはサンドラの正面へと回り込んだ。 するとサンドラは急に体全体から魔法力を、グローシュの放出を始めた。 ぼんやりと金色のグローシュに包まれたサンドラから、体を押されるような圧力を感じたルイセは一歩後ずさった。 「ルイセ、私の話を聞いていましたか?」 言われてハッとしたルイセは、今まで試した事こそないものの、サンドラの見よう見まねでなんとかグローシュの放出を始めた。 途端にルイセの体を荒々しいグローシュの光が覆い、サンドラの放つグローシュの圧力に対抗を始める。 グローシアンだけあってルイセの放出するグローシュの量はサンドラとは段違いに多かった。 だが少しずつ押され始めたのはルイセのほうであった。 じりじりと押され、ふっとルイセが気を抜いた瞬間には軽く体が浮き上がり、そのまましりもちをついてグローシュの放出が止まってしまっていた。 「言うなれば、グローシュの放出による押しくら饅頭です」 「それって……遊んでるだけじゃあないんですか?」 至極当然の声を上げたミーシャであるが、異論を挟んだのは実際にそれを行ったルイセである。 「遊びなんかじゃないよ。私グローシアンなのに、お母さんに負けた。どうして、なんで?」 「なにも難しい事ではありません。ただルイセは自らのグローシュを操りきれていないだけです。良いですか? 確かに宮廷魔術師と言えど私は普通の人間です。ことグローシュの放出量においては、ルイセの足元にも及びません」 喜ぶべき所なのか、難しい顔をしたルイセを見てから、またサンドラは続けた。 「そのルイセに私が勝っているのは、グローシュを操る技術。魔法とはグローシュを使って行うものですが、素質さえあれば誰でもある程度までは使えるものなのです。ですがそこに大きな落とし穴があるのです。例えばマジックアローなどが良い例ですね。アレは単純にグローシュを矢のように放出させる魔法ですが、放出先を一点に絞り込めば当然威力もスピードも上がります。ですがグローシュの操作が未熟であれば、真っ直ぐ飛ばず、酷ければ放出そのものが不可能になってしまいます」 早くもミーシャは頭をくらくらさせて脱落しそうになっていたが、そこはルイセがフォローしてしっかりと聞かさせていた。 サンドラの話を要約すると、グローシュの操作技術を向上させるのが、この押しくら饅頭の意味らしい。 グローシュの放出を前面と言う大雑把な範囲に限定させるのだ。 と言ってもコレはまだまだ初級であるらしく、上級になればマジックアローでりんごを砕かずに射抜く練習などもあるらしい。 まだ二人はその知識を知ったばかりと言う事もあるので、初級から始めさせるつもりらしい。 「と言うわけで、私は仕事に戻りますが二人向かい合って続けること」 言うだけ言って戻っていったサンドラを見送り、二人は聞かされた事柄をなんとなく理解してから向かいあった。 そして目で合図をしてからお互いにグローシュの放出を始めた。 一度やっているだけあって、ルイセはすぐにグローシュの放出を始めたが、なかなかミーシャは苦戦しているようであった。 実際に魔法を使うのではなくグローシュをグローシュのまま放出するコツがつかめないのであろう。 どんどんルイセからの圧力が強くなっていく中、足を踏ん張るという自力だけでミーシャは耐えていた。 「ん〜〜〜、だめ。ルイセちゃん、ストップ。止めて!」 「それが…………」 「本当にころんじゃうよ。意地悪しないで」 「違うの、止まんないの。どうしよぉ」 ちょっとルイセが泣きそうになると、少しずつだがグローシュの放出が収まり始めた。 それからしばらくして徐々に弱まっていったグローシュの放出が、ようやく止まった。 途端に二人はしりもちをついて、ほっと息をついた。 「うぅ、本当に止まらなかったらどうしようかと思ったよ」 「ルイセちゃん。もしかしてグローシュを操るのそうとう下手?」 「放出すら出来なかったミーシャに言われたくないよ。後から後から出てきて、難しいんだから!」 「私だって、送魔線のないここじゃ全然グローシュが集められなくて難しいのよ!」 「私の方が難しいの!」 「私よ!」 う〜っと獣のようににらみ合い唸りあってから、二人は無言で立ち上がった。 何時もは笑いながら顔を向け合う事ばかりの二人であるが、この時ばかりは恨みつらみを持った相手のようにお互いを見詰め合っていた。 そして放出しあったグローシュがお互いを押し合い、少しでも相手を下がらせようと奮闘する。 やはり放出量はミーシャに分が悪かったが、小量な分操る事は比較的容易なのか、ルイセと良い勝負であった。 傍目には立派に修行を行っているように見えるが、すっかり目的はすり替わろうとしていた。 「だいたいルイセちゃん、ずるい。妹だからってお兄様にベタベタ、ベタベタ」 「ベタベタなんてしてないもん。普通だもん。それに、いつもグロウお兄ちゃんが間に入り込んでくるし」 「それこそ、ずるいの。カッコいいお兄ちゃんが二人も、お兄様は私にまかせて、ルイセちゃんはグロウさんとくっつけばいいのよ!」 「そんなことミーシャには関係ないじゃない!」 もうすでに修行の事など頭の中から放り出され、二人の頭には負けたくないという思いだけで頭が一杯であった。 どんどんグローシュの放出量を上げて、明らかなオーバーワーク気味に押し合っていく。 ルイセは放出するグローシュの量をどんどんあげていき、ミーシャはなんとか少ない量でやりくりながら対抗する。 その拮抗が長い時間続けば続くほど、みるみるうちに二人の顔に疲労の色が見え始めた。 まるで睡魔が襲ってきたときのように瞼が落ち始め、すでに口が開いて言葉を発する事はなくなっていった。 それでもグローシュの放出をやめなかったのは、単なる意地であった。 無言のままグローシュの放出で押し合う二人であるが、あまりにもあっけなくその拮抗は敗れる事となる。 グローシュの放出量が多いだけあって、先に疲れの限界に達したルイセの片足がカクッと折れたのが原因であった。 「へ?」 体を支えようともう片方の足を踏ん張るが、何の抵抗も出来ないままルイセは屋上の床に膝を着いていた。 数秒にも満たない間に続けてミーシャの方も似たような状況であった。 それでもまだ少しだけはグローシュの放出を行っていたが、体ごと倒れこんだ時点でようやくそれは終わった。 「やるわね、ルイセちゃん」 「ミーシャこそ、負けないんだから」 倒れこんだまま不適に笑う二人であるが、体はすでに言う事を聞かず、指一本動かす事が出来なかった。 「そうそう、言い忘れていましたが、あまり長時間グローシュを……遅かったようですね」 二人が動かせない体でどうしようと困っていると、見計らったわけではないのだろうが、見計らったかのようなタイミングでサンドラが戻ってきた。 そして屋上での二人の姿を見て、遅かったかと首を折って落とした頭を片手で支えた。 「まったく、一朝一夕で強くなれたら誰も苦労はしません。誕生日にまでがんばらなくても良いとは、思うのですが」 「お母さん、今なんて?」 「今日は貴方の誕生日でしょう? だから私は朝早くから仕事をはじめて、早く帰ってお祝いをするつもりだったのですが」 「私の、誕生日?! ミーシャ知ってた?!」 「ごめん、忘れてた。言われて見れば、ルイセちゃんの誕生日って今日だったわね」 どうやら本気で忘れていたようで、ますます頭が痛そうにサンドラは頭に添えた手に力を込めていた。 「ルイセ、その誕生日に誘ってきたカーマインに貴方はなんと言いましたか?」 「先約があるって……」 「ルイセちゃん、それって……まずくない? お兄様の事だから、他に祝ってくれる人と出かけたんだって思ってるかも」 「違うの、忘れてただけなの。約束なんて無いもん。カーマインお兄ちゃん!」 わんわんと泣き出してしまったルイセであるが、相変わらず体に力が入らないようで本当に泣くだけであった。 そんなルイセを見ながら、本当にこの子はと不憫な目を向けるサンドラがいた。 何故ならすでに空は真っ赤に染まり始め、太陽は水平線の向こうへと落ちようとしていたからだ。 なにより、グローシュの放出のし過ぎで疲れ果てたルイセの体は一時間は動けない。 誕生日にカーマインと出かけると言う、一大イベントは露と消えた。 散々泣き喚いたルイセであるが、夜になってからのお誕生日パーティの後にはある程度機嫌は直っていた。 沢山のご馳走と、甘くて美味しいケーキをたっぷりと食べて、さらに皆に祝ってもらえれば直りもするだろう。 ちなみにパーティの参加者は家族以外には、ミーシャとウォレス、さらにレティシアと何故かエリオットもいた。 夜遅くまで続いたパーティが終わると、ルイセは自分の部屋に戻っていた。 ベッドに勢いよく座り込んで楽しかったパーティの余韻を楽しんでいた顔に、ふいに影がかかる。 「うぅ……でもやっぱり、カーマインお兄ちゃんとお出かけしたかった」 あの致命的なミスさえなければと、パーティの余韻さえも食いつぶす後悔が押し寄せる。 楽しい事が終わってしまった寂しさも加え、ジワリと涙が浮かび上がった所に、部屋のドアがノックされる。 「ルイセ、ちょっとだけいいかな?」 「カーマインお兄ちゃん? ちょ、ちょっと待ってて」 ちょうどカーマインの事を考えていた時の訪問に、ルイセは慌てて髪の毛に櫛を通したり姿見を覗き込んだりと短い時間での努力を試みる。 もちろん先ほどのパーティにカーマインの姿もあったが、個人的に来てくれたのならば期待も膨らんでしまう。 ルイセ自身は短いつもりでも、多大な時間を労してからようやくドアを開けた。 そこには、やけに不安げな顔を浮かべたカーマインがいた。 「あの、さっきはグロウが居たから渡せなかったんだけど」 そう言ってカーマインが差し出したのはリボンで可愛くラッピングされた小さな箱であった。 もちろんカーマインからプレゼントされて、嬉しくない物など何一つないのだが、気になる言葉があった。 「あのね、違うの。先約なんて」 「いや、昼間のことはいいんだ。ただ今日渡さないと意味が無いから」 カーマインにしっかりと説明したいのだが、話を切り上げられそうになってしまう。 ルイセは必死さのあまり、言葉ではなく体でカーマインへとぶつかっていた。 それはつまり思い切り抱きついたのだが、あまりにも突然の事にカーマイン耐え切れずにしりもちをついてしまった。 「あ、ごめんなさい。でも聞いて、忘れてたの。誕生日の事。お母さんの所に行ってて。カーマインお兄ちゃん!」 必死さだけは伝わってきたのだが、言葉が支離滅裂でカーマインは困惑するのみであった。 「ルイセ、ごめんよくわからないんだけど」 「だから、お母さんに修行を頼んで、ミーシャと張り合ったら動けなくなって、誕生日だって知ったのはそれからで」 「あ〜っと、落ち着いて。ゆっくりでいいから」 ますます解らなくなってしまったが、カーマインはとりあえず落ち着けとしりもちをついた自分にもたれてくるルイセを抱きしめてやった。 どういう経緯にしろ、それは全くの正解であり、ルイセは落ち着きを取り戻していった。 「あのね、先約って言ったけど、それはお母さんに修行をつけてもらうことで。私自身、今日が誕生日だって事は忘れてたの。だからカーマインお兄ちゃんが考えてるような事はなにもなかったの!」 「そっか、なんだ」 言葉以上にほっと安心したカーマインは、ますますルイセを抱きしめる力を強め呟いた。 「誕生日おめでとう、ルイセ」 「うん、ありがとう。カーマインお兄ちゃん」 ようやく最後の最後でお互いが望む関係が手に入っていた。
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