第六十六話 ゲヴェルの正体


温いお湯に全身を浸からせているような、ふわふわとした寝心地にルイセは気づいた。
だが体はまだまだだるく、この寝心地に身を任せていたくて誰かの胸に顔を押し付けて子猫のように唸る。
誰かが自分を呼ぶ声に揺り起こされながらも、煩いとばかりにさらに顔を押し付けようとしてハッとする。
自分を握りつぶそうと伸ばされた巨大なユングの腕と、その後に刻み付けられた痛み。
一気に意識が覚醒し見上げた直ぐそこには、グロウの顔があった。

「お、ようやく起きやがったな。可愛かったぞ、お前の寝顔」

「き、きゃぁぁぁ!!」

あぐらをかいているグロウにしなだれている自分に気づいて直ぐに悲鳴を上げると、グロウを突き飛ばしていた。
突然の突き飛ばしが予想外すぎて抗えず倒れこんだグロウが付近の瓦礫に頭を打って痛みの声を上げる。

「なんで、なんで抱きしめてるの?!」

「痛ッ…………回復魔法をかけてやってたんだよ。いきなり突き飛ばしやがって」

「普通にやってよ!」

「やだ。抱きしめた方が気持ち良いだろ。俺が」

酷く個人的な意見で笑いかけてきたグロウに、会話にならないとルイセは溜息をついた。
そして隙あらば抱きつきなおそうとするグロウをけん制しながら、辺りを見渡した。
辺り一体の森を見渡せるような高い建物の屋上に、ユングたちの死骸と破壊された瓦礫の山々、そしてまだ一部破壊されていない小屋などもある。
カーマインやウォレス、ミーシャたちは主に破壊された方の小屋を探索しており、おそらく自分が起きてから無事な方の部屋を探索するつもりなのだろう。
ここがグローシアンの遺跡であるのなら、自分が居なければ小屋の扉が開かないはずだ。
大体のことを理解したルイセが再びグロウを見ようとすると、ふいにユニが間に入り込んできた。
目が全く笑っていない笑顔を振りまいて。

「ユニ、怒ってる?」

「全然怒ってなどいませんよ。ルイセ様がグロウ様に抱きしめられたり、ルイセ様が甘えるようにグロウ様の胸に顔をこすり付けても。全然、怒っていません。ええ、怒っていませんとも」

絶対に嘘だと思ったが、とても突っ込めるような気迫ではなかった。
普段から丁寧な口調であるが、丁寧さを超えた気迫に言葉を詰まらせていると、そんなユニの頭をグロウが人差し指で軽く叩いた。

「妬くなよ。お前って俺には普段何も言わないくせに、俺以外には言いたい事をちゃんと伝えるよな」

「私は別に怒ってもいませんし、妬いてもいません!」

「お前がそう言うならいいけど。ちゃんと抱きしめて欲しけりゃ、そう言え。キスして欲しけりゃ、そう言え。相手に気づいてもらおうだなんて甘いぞ。だから俺は抱きしめたかったらそうするし、キスしたけりゃする。もう一度だけ聞くぞ。本当に怒ってもないし、妬いてもないな?」

問い詰めるように言うと、言葉に詰まってユニが後ずさる。
さすがにこれは可哀想かなとルイセが何かを言おうとすると、グロウが手を差し出して止めた。
何度も言いかけては止め、視線をそらしては戻して、俯いて顔を赤らめながらユニがなんとか声を絞り出して呟いた。
とても小さく、消え去りそうなほどであったが。

「抱きしめてください」

ゆっくりと伸ばされたグロウの腕に添うようにユニが身を任せると、グロウは自分の胸元に寄せて少しだけ力を込めてやった。





カーマインたちが探索を続けていた破壊された小屋の前には、瓦礫に混じって様々な物が持ち出されていた。
一番多いのは武器の類であり、その次に書物が多かったがこちらは破損が激しくまともに読めるものは少ないであろう。
めぼしい物はあらかた持ち出したのか、破壊された小屋からカーマインたちが出てくる。

「カーマインお兄ちゃん!」

すっかり元通りに元気になったルイセは、探索を続けていたカーマインへと跳びついた。

「ルイセ、急に動いて大丈夫なのかい?」

「うん、グロウお兄ちゃんが魔法で治してくれたから。もうすっかり大丈夫」

「にしては急に元気になりすぎだわ」

確かにティピの言うとおりであり、ルイセは思い切りカーマインへと抱きつきその胸に顔を押し付けていた。
カーマインも少し変だとは思っていたようだが、二人ともグロウのあの言葉を聞いていないのだから予想のしようがない。
相手に気づいてもらおうなど甘いと言う言葉から、ルイセは言葉でいえないまでも行動で表しているだけであった。
思う存分甘えたルイセは、一旦離れてから改めて聞いた。

「なにかゲヴェルに関して見つかった?」

「武器なんかは一応見つかってるけど、ゲヴェルに関しては何も。たぶんそっちの破壊されていない方の小屋にかけるしかないかな」

「いや、考えようによっては武器だけでも結構なもんだぞ。元々お前のクレイモアも、グロウの雷鳴の剣も激戦続きで寿命だったからな。ありあわせにしてはお前らの魔剣は強力すぎる」

漆黒の刃を生み出すカーマインの武器と、金色の刃を生み出すグロウの武器は確かに強力であった。
あれだけ硬いユングの甲殻をいとも容易く切り裂いたのだから、当然である。
そう言うウォレスの手の中にも破壊された小屋の中で見つけたのか、新しい特殊両手剣が握りしめられていた。

「ルイセちゃん、さすがにグローシアンの遺跡だけあって杖もいっぱいあったわよ。後でルイセちゃんも好きな杖選んでみたら?」

「う〜ん……いいのかなぁ。勝手に持って行っちゃって」

「一応後でアルカディウス王に届け出れば問題ないだろう。一番ゲヴェルに近い俺たちが、強力な武器を持つ事に難色は示さないだろう」

「じゃあ、後で選んで見ます。その前に」

ウォレスに言われて納得したルイセは、視線を破壊されていない方の小屋へと移した。
扉には多少ユングの爪あとが残されているが、殆どかすり傷程度で小屋そのものに対する損傷は皆無に近い。
ゲヴェルに関する有力な情報があればと、扉の前に立つと扉が光を放ち始め静かに姿を消していった。
どうぞ通ってくれと言わんばかりに大きく口を開けた小屋へとルイセが進み、カーマインたちも後を追っていった。

「あれ?」

そう言えばと最後に小屋へと入ろうとしたティピがグロウを探すと、何故かユニを抱きしめておりこちらに来る気配を見せていなかった。
邪魔をするのも可哀想だと、ティピも小屋へと入っていった。
外観同様に小屋の屋内も全く無傷で残っていた。
ただしすでに破壊された部屋とは違い、コレといって何か特別そうな物があるわけでもなく、小屋の置くにある机らしき場所に一冊のノートと紙束があるのみであった。
最初それを見たときには、明らかな落胆を誰もが見せたが、手にとって見てそれは直ぐに変わった。

「現行型生態兵器ゲヴェルに関する報告書?!」

手に取った紙束の一番上に目立つ題字を呟くと、カーマインはすぐさまもう一つのノートを開き適当なページを見た。
一体何が書かれていたのか、声を上げないカーマインに対してウォレスが肩を掴みながら言った。

「おい、なんて書いてあるんだ。皆にわかるように声に出して読んでくれ」

「あ、はい。装置は正常に働いている様だ。我々が作り上げたゲヴェルは順調に下民どもを殺しているようだ」

作り上げたと言う一言が一番衝撃的であり、誰かが喉を鳴らしてツバを飲み込んでいた。

「下民ってなんですか?」

「支配者が普通の人々を見下して言う時に使う言葉だ」

現在の王国制は確かに上に立つ者がいる制度であるが、支配者と言われれば少し違ってくる。
ならば支配者とは誰か、そもそもゲヴェルが居たとされる年代を考えると自然とその答えは導かれていく。

「もしかして、グローシアンがその支配者? グローシアンがゲヴェルを作り出したの?」

「はやく続きを読みなさいよ」

「我々グローシアンは確かに現存する総数は少ない。だがそれを補ってありあまるほどの力がある。その我々に下民がたてつくなど愚の骨頂。だが気になるのは我々と同種でありながら、下民に味方をする者達の存在だ。奴らが居る限り現行のゲヴェルは完成体とは言えない。急がねばならない完成体を」

完成体という単語からノートを閉じると、カーマインはもう一つの紙束、報告書に目を向けた。
一番上にあった紙に書かれていた現行型生態兵器ゲヴェルに関する報告書となると、その完成体へと向けた欠点や改良点が書かれている可能性が高い。
何故下民である人たちに一部のグローシアンが味方すると現行型のゲヴェルが完成体といえないのか。
すこし報告書をめくる手が荒く動くが、誰もそれを咎めることなくカーマインの手を見守った。

「現行型のゲヴェルの欠点は魔法である」

ついに欠点の書かれている項目へとたどり着いたカーマインが続ける。

「現行型のゲヴェルは自ら魔法を扱う事ができない。それはさほど問題ではないが、魔法抵抗値が想定していた値を遥かに下回っている。下民が扱える程度の魔法であれば十分に耐えられるが、グローシアンを相手にしては魔法に耐えるどころかその新の力すら発揮できない。これはゲヴェルを制御する際の安全装置が働いているせいだと思われる。完成型への一番の問題はそこ。完全に制御を行いかつ、魔法抵抗値をあげることだ」

報告書はそこで終わっており、カーマインは再度ノートを開いたが、それ程重要な情報は載っていなかった。
パタンと音を立ててノートを閉じると、ルイセが呟いた。

「魔法にグローシアンに弱い現行型と、弱点のなくなった完成型。どっちが今居るゲヴェルなんだろう?」

「現行型と思いたいものだな。戦う前から弱点がないだなんて考えたくもない」

考えてもどうしようもないと思いながらも、皆がどちらなんだろうと考え込んでしまう。
だがカーマインだけは、頭の中で引っかかった事実から、答えを導き出そうとしていた。
何か大切な情報をすでに持っている気がしてならないのだ。
グローシアン、なんとなくその単語からルイセを見たときに、その小さな手の中に収められていた杖の存在に気づいた。
クレイン村のゼメキス村長が愛用していた杖、グローシアンだったゼメキス村長、その村長を殺したのは?
白づくめの、ゲヴェルの尖兵。
ピッタリとはまったパズルのピースに、カーマインは思い切り叫んでいた。

「そうか、だからグローシアン狩りなのか!」

突然カーマインが叫んだ事に皆がおののいている中、カーマインは一人で納得し続けていた。

「今居るゲヴェルは現行型だ。間違いない。ゲヴェルはグローシアンの前では力を発揮できない、だか」

「ティピちゃん、キーーーーック!」

ゴスっとあの小さな足から信じられない打撃音がカーマインの後頭部から響いた。
本気で目の前が真っ暗になり星がキラキラと飛ぶような思いをしたカーマインが恨めしそうに見上げる。
だが逆にティピは思い知ったかとばかりにふんぞり返っていた。

「一人で納得してないで、ちゃんと皆にわかるように説明しないさい!」

「だからグローシアン狩りだよ。ゲヴェルはグローシアンの前では真の力を発揮できない。だから部下である白づくめの男にグローシアン狩りを命じたんだ。つまり今いるゲヴェルは現行型。魔法に弱いっていう弱点があるんだ」

「なるほど、そういう風に考える事もできるか。ならば、なおさらグローシアンの警備の強化を頼む必要があるな」

こうしちゃいられないと、ティピが声を大にして言う。

「さっそくローランディアに戻ってマスターとか、アルカディウス王に報告しようよ」

「うん、でもグロウお兄ちゃんが、呼んでくるね」

そう言ったルイセが小屋を出て行き、カーマインたちは出来るだけの資料や武器を持ち帰ろうと発見したものをまとめ始めた。





少し時間はさかのぼるが、ルイセが気を利かせて去った屋上では、ずっとユニを抱きしめ続けるグロウがいた。
微動だにせず、腕に力を込めてユニを抱きしめたまま、やや強めの風に吹かれながら立ち尽くしている。
ユニの方は幸せの絶頂でしばらく呆けていたものの、いつまでも抱きしめられていてはどうして良いか解らず困ってしまった。
なんと声をかければ良いのか迷った末に、何かを言おうと見上げた瞬間、額に一滴の水滴が落ちた。
よくよく見れば、恥ずかしがる自分を意地悪そうな何時もの笑みで見ているわけでもなく、グロウは俯いた影で顔を隠してしまっていた。

「グロウ様?」

オロオロと困惑しながら声をかけても反応が見られない。
その心中は図りきれない物があったが、本当の悩みだけは隠し続け、一人で耐え立ち続けようとするのがグロウである。
せめて自分にだけは打ち明けて欲しいとユニはその小さな体で抱きしめ返すように、グロウの胸に身を寄せた。

「グロウ様、前にも私は言いましたよね。私だけはずっとグロウ様のそばにいますと。だから私にだけは全て打ち明けてください」

ユニの必死の問いかけにもグロウは無反応であったが、しばらくの間辛抱強く待ったユニの前にようやくその重い口を開いた。

「何かあるわけじゃないんだ。ただ予感がしただけだ」

「予感ですか?」

「もしかしたら失くした自分が俺にささやいているだけかもしれない。もう直ぐ夢が終わるって。ルイセに魔法をかけている間ずっと、一時の夢にしがみつく俺に誰かがささやいてきた。悪い、俺が寂しくて誰かに抱きつきたかったのに、ユニを利用した。嘘つきだな、俺は」

「そのようなこと…………」

何が夢なのか、何が終わるのか。
抽象的過ぎる言葉にユニは何を一番否定してあげるべきなのか見つからなかった。
ただ漠然とだが、グロウ自身記憶の完全復活が近づいている事に気づいているのではないのだろうか。
記憶を失くした前と後でどちらが本物なのか。
記憶が戻れば失くした後の記憶は人格と共にまた消えてしまうのか。
おそらくそんな不安が抽象的な言葉をグロウの口から上らせたのだろうが、ユニは一つだけ変わらぬ事実を呟いた。

「気軽に大丈夫だとは申しません。ただ私はグロウ様のことが大好きです。記憶を失くされようが、取り戻されようが、それだけは何も変わりません」

返答はそれでよかったのか、グロウの腕にさらに力がこもっていく。
少々小さなユニにとっては辛い力の入れようであったが、文句一つ言わずじっと耐え呟いた。

「グロウ様、キスがしたいです」

本当は元気付けるためにしてあげたいと言うのが本音であろうが、グロウのことを考えてユニはそうつぶやいていた。
すると力が込められていた腕から力が抜け、ユニは抜け出しグロウの顔へと近づいた。
俯いたグロウの顔を出来るだけ見ないようにしながら、その唇へとそっとだが長い間自分の唇を触れさせた。
離れた時にはすでにグロウは顔をあげており、珍しく少し照れながら言った。

「あ〜、なんだ。また俺が弱気になったら頼むな」

「はい、コレぐらいならよろこんで」

照れる以上に喜びが勝っていたユニがそう答えると、ちょうど戻ってきたルイセが声を張り上げかけてきた。

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