第六十二話 足りないもの


自ら二対一に持ち込んだオスカー・リーヴスは、実際に二人が向かってきてもまだ余裕の笑みを浮かべていた。
だが体だけは正直に反応し、大振りの鎌を握り締め何時でも繰り出せるように体を引き絞る。

「悪くない踏み込みだ」

落ち着いた声を出しながらも、オスカー・リーヴスの体は嵐の如き激しさを持って動いていた。
カーマインよりも二歩先に踏み込んでいたグロウへと大鎌の刃先が唸る。
これがただの剣で、相手が普通の兵士であれば立ち止まるなり受け止めるなり出来たであろう。
だが初めて相対する大鎌の迂回するような剣先と、オスカー・リーヴスの繰り出す速さに対応しきれずにいた。
立ち止まると同時に掲げた雷鳴剣が悲鳴を上げながらもえぐる様なきっさきを受け流してくれた。

「たった一撃で、殺れると思ってたら大間違いだぜッ!」

腕に伝わる衝撃を叫ぶ事で和らげている間に、大鎌が繰り出されたのとは逆側からカーマインが間をつめていった。
大型の武器だけあって一度振られた大鎌は振り切るまで止まらない。
雷鳴剣とぶつかり勢いがそがれた刃が頭上を流れていくのを感じながら、カーマインがクレイモアを握りこみ切り上げた。

「もらった!」

カーマインが叫んだ直後に、石を破壊する音が響いた。
それは大鎌の刃先が橋の柵に突き刺さった音で、固定された大鎌の柄を利用してオスカー・リーヴスは自分を持ち上げクレイモアをかわした。

「そちらこそ、一撃で殺られうと思ってもらっては困る。インペリアル・ナイトはそれほど甘くない」

通り過ぎていくカーマインを見下ろしながら着地したオスカー・リーヴスだが二人の攻撃はそこで終わりであるはずがない。
腕の痺れを脱したグロウが、すぐに切り返し体を反転させたカーマインが。
二人のちょうど間に降り立ったオスカー・リーヴス目掛けて踏み込んだ。
直後、二人の持つクレイモアと雷鳴剣が大鎌が描いた円の動きによって弾かれ足を止められる。
その隙を突いてオスカー・リーヴスは足元を蹴って二人の包囲から脱すると共にバーンシュタイン側へと降り立った。

「だから言っただろう。甘くはないと」

まるで諭すかのように言い放つオスカー・リーヴスであるが、それで二の足を踏むほど二人はまだ絶望感に浸ってなどいなかった。
むしろ何処か心が躍るような高揚感を感じながら、さらに愛用の剣を握りこむ力を増していた。

(動きも悪くなければ、力の差を垣間見ても失わない覇気。悪くはない、悪くはないが)

さすがにただの兵士とは違う所をオスカー・リーヴスも認めたが、冷めた視線が二人を射抜く。

(それだけだ。大剣を扱う彼はまだ何かを隠し持っているようだが、魔法の剣を持つ彼はむしろ何かが足りない。となると、アーネストが言っていたグロウは大剣の彼か?)

初撃とは裏腹に膠着状態にも見えない状態に陥るが、それはオスカー・リーヴスが手を出さないだけであった。
瞳だけで二人をけん制しつつ、アーネスト・ライエルまでもが楽しみだと言ったグロウがどちらかさぐっていたのだ。
情けない話であるが、二人は本当にオスカー・リーヴスの視線のみに足を止められていた。

「一つ聞きたいことがある。グロウと言う名の、以前バーンシュタイン王国まで入り込んできた剣士は、大剣を持つ君の方かい?」

「僕? 僕の名はカーマイン。グロウは彼の方だ」

突然の質問に驚きつつもカーマインが顎で隣にいるグロウをさすが、グロウはグロウで何の事だと思っていた。

「なんでいきなり俺の名前が出てくるんだよ。それにバーンシュタインになんて行った覚えはないぞ。全部忘れちまってるからな」

「忘れたとはどういうことだ?」

「ユニの話では、大怪我をして軟禁されているときに何者かにさらわれ、以後記憶をなくしたんです。聞きたいことはそれで全部ですか?」

ないのならば行きますよという意味を込めてカーマインがクレイモアの切っ先を構え、グロウもまた仕切りなおすように雷鳴剣を構えた。
いつ跳びだすのか、あの大鎌をどう攻略すべきかを二人が必死に考えている間にも、オスカー・リーヴスはまったく別のことを考えていた。

(記憶喪失、話から察するにシャドウ・ナイツの仕業か。だからグロウ君から感じる足りなさはそこか)

考えが行き着くと共に、オスカー・リーヴスは一度大鎌を下げてから言った。

「グロウ君、今の君は何かが足りない。恐らく記憶をなくすと共に、アーネストに戦慄を抱かせた理由も失くしてしまったのだろう」

それは昨晩グロウ自身が抱いていた疑惑でもあった。
自分に足りない何か、自分が自分であったはずの理由。

「だから今はさがって見守ると良い。僕とカーマイン君の戦いを」

「俺に黙って見てろって言うのか? 俺だけ……一人で、ふざけんなッ!!」

「グロウ!」

無防備に身構える事も忘れたグロウが跳びだしオスカー・リーヴスへと向かっていく。
その踏み込みの速さは先ほどまでの比ではない。
だがそれでも、まだ足りなかったのは事実であった。

「死に急ぐ必要はない。それにアーネストの楽しみを僕が奪ってしまえば、怒られてしまうからね」

突っ込み踏み出したばかりのグロウの足元に大鎌の刃が突き刺さり、動きが止まった直後にオスカー・リーヴスの拳がカウンターで顔に突き刺さった。
カーマインの真横を吹き飛び、殴り飛ばされた勢いのままに橋の上を転がっていったグロウが起き上がることはなかった。
余程深く攻撃が突き刺さったのか、橋より向こう側で成り行きを見守っていたルイセたちが駆け寄る。

「グロウ様、グロウ様ッ!」

「グロウお兄ちゃん。駄目、完全に意識を失ってる。どうしよう、ミーシャ」

「どうしようって、ウォレスさんお願いします!」

あたふたと気絶したグロウを回収する外野の様を見送りながらオスカー・リーヴスは、先ほど一瞬だが確かにグロウが足りない何かに触れた気がしていた。
もちろんそれを伝えるべき相手は意識を失っているし、むしろオスカー・リーヴスの興味は目の前のカーマインにあった。
明らかに技量の違いを見せ付けられながらも、何かを隠し持っているらしき強い瞳が気になっていたのだ。
今は戦争中であり相手を殺す事こそが最優先されるが、インペリアル・ナイトとして楽しむべき戦いを求めても多少は許される事だろう。
アーネスト・ライエルがグロウに感じた戦慄とは違い、オスカー・リーヴスはカーマインに対して興味以上の高揚感を感じ始めていた。

「邪魔と言っては彼がかわいそうだが、これで一対一だ。依存はあるかい?」

「いいえ、試してみたい事もありますし」

「では思う存分試してくれ。君が隠し持つ力を」

見抜かれた事に驚くよりも先に、グロウは自分が自分でいられる範囲でそれを開放し始めた。
目の前に映りこむインペリアル・ナイトを倒したいと思い、心の中にある破壊の衝動を解き放つ。
喉の奥からほとばしりそうになる獣の咆哮を必死に押さえ、グロウは黒い光を放ち出した力強さだけを求めていった。

「なんだ、これは。魔法? 単純な補助魔法じゃない。威力が桁違いだ」

「色々と手心を加えてもらったお礼です。いきます!」

その合図こそカーマインなりのお礼であった。
次の瞬間にはそのお礼にオスカー・リーヴスが感謝する事となっていた。
言われて身構えていなければ、とてもカーマインの動きについてゆく事はできずに容易く間合いのさらに内に入り込まれていた事だろう。
踏み込みながら振り切られたクレイモアと、やや遅れてなぎ払われた大鎌がぶつかり合い激しくお互いの刃を喰らいあった。
そのまま膠着状態が続くと思いきや、すぐにそれは崩れさった。
カーマインが力任せに大鎌の切っ先を石畳の上へと叩き落したからだ。

「うおぉぉぉぉぉッ!」

そのまま大鎌を足で踏みつけながら、カーマインがクレイモアを振り上げた。
渾身の一撃を振り下ろすが、オスカーリーヴスは一足早く大鎌の柄から手を離して身をかわしていた。
橋の石畳に突き刺さるクレイモアを今度はオスカー・リーヴスが足で踏みつけ、彼の拳が唸りをあげていた。
同時にカーマインもクレイモアから手を離して拳を振り上げるが、わずかにオスカー・リーヴスの方が早い。
僅かなずれをもってお互いの拳が顔に突き刺さり、武器から遠ざかる様に後ずさる。

「まさかここまでとは」

「早く、できるだけ早くしないと」

二人同時に、橋に敷き詰められた石畳に突き刺さっている自分の武器へと向けて走り出した。
どちらが先に武器を手にするかでこの先の結果が左右される。
相手よりも一秒でも早くと伸ばした二人の手がそれぞれの武器の柄に触れ、突き刺さった状態から抜き去った。
だがそこからはとても些細な事柄が命運を分けていた。
柄に手をふれて大鎌を抜き去ってから振りかぶったオスカー・リーヴスと、柄に手をふれてクレイモアを抜き去ったまま振り上げるように斬りかかったカーマイン。
武器としての些細な差が、大きな違いとなってカーマインのクレイモアがオスカー・リーヴスの胸元を切り裂いていた。

「油断?! いや、これが彼の強さなのか」

胸元を切り裂かれバランスを崩したオスカー・リーヴスにさらに追撃を試みるカーマインだが、甘くはなかった。
痛みが倍増するであろう事はわかりきっているのにも関わらず、オスカー・リーヴスは足止めのために大鎌を横にないでいたのだ。
確かにそれでカーマインの追撃は止められたが、無理にひねった胸元から血の飛沫が少量飛んでいた。

「朝から戦いずくめとはいえ、こうも簡単に僕が傷つけられるとは思っていなかったよ」

「それがいい訳だとは思いません。ですが」

確かに朝から戦続きであったのは本当であろうが、それを言うならばカーマインも朝一番にシャドウ・ナイトが差し向けた部隊と一戦戦ったばかりである。
だがそんなことよりも、カーマインは勝負を急いていた。
一瞬でも気を抜けばまた破壊の衝動のままに動き出してしまいそうな、荒々しい感情が胸の奥から湧き出してきていた。
それに呑まれまいとお互いに言葉を投げ合っていた途中にも関わらず、カーマインはクレイモアを掲げ向かっていった。
対するオスカー・リーヴスもすぐに大鎌を構えたが、思った以上に胸に受けた傷が深かったのだろう。
彼の片足が彼の意思に反して力を失い崩れてしまっていた。

「しまッ!」

インペリアル・ナイトとしてあるまじき失態に舌を打ちつつ、せめてと大鎌をでクレイモアで防ごうとするが間に合わない。
大鎌の刃が二人の間に入り込むよりも先に、カーマインとクレイモアが迫っていた。
だがさらにカーマインとオスカー・リーヴスの間に入り込もうとする人影があった。

「危ない、さがれカーマイン!」

二人の勝負に見入って誰も気づかなかった中、ウォレスだけがその人物に気づいていた。
彼の目には姿こそ影しか映りこんでいなかったものの、肌で感じる強さだけはしっかりと感じ取っていた。
ウォレスが叫んだすぐ後に、カーマインのクレイモアは交差された双剣によって受け止められていた。
クレイモアの勢いが止まった直後、交差されたうちの一本の剣の柄を無防備であったカーマインの腹へと打ち込み吹き飛ばす。

「アーネスト、どうして君が。今は休暇中のはずじゃ」

「休暇をどう使おうと俺の勝手だ。妙に戦いたくなってここに来た、それだけだ」

オスカー・リーヴスの言うとおり、それはもう一人のインペリアル・ナイトであるアーネスト・ライエルであった。

「そんな怪我でここにいられては足手まといだ。さっさとさがったらどうだ?」

「礼を言っておくよ。アーネスト」

「なんの礼だ。俺は戦いたいから来たと言ったぞ。それに、奴にも興味がある。体から発する黒い光、迷いの森の戦場に現れた黒い悪魔の情報と一致する」

アーネスト・ライエルが黒い悪魔と称したのは、今しがた彼が吹き飛ばしたカーマインの事であった。
柄で腹を強打されたカーマインはしばらく仰向けになって倒れこんでいたが、すぐに立ち上がってきた。
だがカーマインの瞳からすでに自身の意思の光は消え、代わりに体を覆っている黒い光がみなぎっていた。

「ウオォォォォォォォォッ!!」

口から発せられたのは、獣よりも力強く恐怖を抱かせる何かの咆哮であった。

「これは、本当に君の言うとおりさがっていた方が賢明のようだね」

「いや、お前だけじゃない。部隊そのものもさがらせろ。まさか私までもが遅れを取るとは思わないが、同等の力を持っていると仮定して間違いない」

「すまない、頼んだよ。アーネスト」

オスカー・リーヴスがさがり出したのに気づいて、カーマインであるはずのそれがその場から消えた。
実際には消えたように見えただけなのだが、消えたと錯覚してしまうのもおかしくないほどにその動きが早かった。
次の瞬間には振り抜いたクレイモアと、アーネスト・ライエルの双剣が交わりあっていた。
アーネスト・ライエルの武器はやや小ぶりな双剣であり、どうしても一撃の威力よりも手数の方が優先されてしまう。
もっともインペリアル・ナイトの一撃であるからして必殺のと形容がつくものであるが、カーマインは大剣のクレイモアでそれについていっていた。
正確にはアーネスト・ライエルの攻撃の何発かはかすっているのだが、それで勢いが衰えるどころかたちどころに傷が消えていっていた。

「なるほどな、さすがに悪魔と言われただけの事はある。まさに化け物だな」

一進一退の攻防を繰り広げながらアーネスト・ライエルがそう呟いた頃、後方に控えていたルイセたちの方にも動きがあった。
ずっと間に入るべきか迷っていたウォレスがダブルエッジを握り締め、橋へと足をかけようとしていた。

「ウォレスさん、どこに行こうってのよ。あんなのの間に入れるわけないじゃない!」

「俺もそう思う。だがあの状態でいる事がカーマインのためになるとも思えん。だからと言って、見ているだけでいるわけにもいかん。誰かがアイツを」

「ちょっと待ってッ!」

ティピとウォレスの間に割って入った声は、ルイセのものであった。
ルイセとミーシャはずっとオスカー・リーヴスに気絶させられたグロウへと回復魔法をかけていたのである。
そのルイセが声を上げたとなれば、グロウに何かしら変化が見られたと言う事であった。

「もうすぐグロウお兄ちゃんの目が覚めるかも。いま指がちょっとだけ動いたの」

「ですがいくらグロウ様がお気づきになられても、とてもあの二人の間には」

当然の事であるが、誰もグロウがある事に反応して指先を動かしたのだとは気づいていなかった。
それもそのはずで気を失った者が何か反応を見せた場合、普通に意識を取り戻そうと無意味に体を動かしたと思うはずである。
だがグロウは確かに、ある言葉に反応して僅かに指先を動かしていた。
ルイセたちよりもさらに後方にいるローランディア兵たちが、人間じゃないと橋の上の二人に向けた事で。
アーネスト・ライエルが化け物と口にして言葉を向けた事で。
失ったはずの何かが、グロウの中に新しく敷き詰められ、はっきりとその瞳を開いていた。

「グロウお兄ちゃん?! ねえ、カーマインお兄ちゃんを止めてよ。カーマインお兄ちゃんだけど、違うの。いつもなら、戦ってても何処か優しい目をしてるのに!」

「ルイセ様、無理を言わないでください! まだ目覚めたばかりのグロウ様にそのような事、させるわけにはいきません!」

ゆっくりと立ち上がったグロウであるが、そこに意識があるのか怪しく、ゆらゆらと風に揺れる様は酷く危うい。

「グロウお兄ちゃん!」

だがルイセが縋るように名を呼んだ瞬間、はっきりと意識を取り戻していた。

「心配するな。すぐにもとのカーマインに戻してやる。お前の大好きな、カーマインにな」

ルイセの頭に手をのせながら珍しくグロウが微笑んだ刹那、辺りに浮かび上がるグローシュの量が一気に増加していった。
もともとグローシュは南で少なく、北で多いという性質があるがそれにしては以上な増加量である。
そしてそのグローシュがグロウの背中へと徐々に集まって行き、翼の形をかたどっていった。
ルイセにとっては何ヶ月ぶりになる事であろうか、グロウの光の翼が強く輝き出していた。

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