第六十一話 グレンガル


シャドウ・ナイトを退けたカーマインたちを待っていたのは、士気の高まった兵士たちとベルナード将軍の手厚い歓迎であった。
どうやら輸送経路を変更してからの初めてのまともな救援物資らしく、そこが戦場にちかい陣とは思えない歓迎振りであった。
もちろんただ浮かれているだけでなく、士気を高めた翌日には一気にバーンシュタイン軍を押し返す気らしい。
適度な食事を取った後に騒ぎを長引かせる事なく、兵士たちは簡易のテントに戻っていった。
カーマインたちも特別に用意されたテントへと足を向け、そこでそれぞれ眠りについた。
その中で、皆が寝入っていくばくもしないうちにテントを抜け出そうとするグロウの姿があった。

「よく寝てやがるな」

雑魚寝状態であったルイセの頬に軽く触れてから、月明かりとグローシュの光がまぶしい夜空の下へと出て行く。
ひんやりとした空気を肌に感じながら、テントを離れただ歩く。
そして自然とテントの群れを離れて、森へと繋がる一歩手前の木の幹へと背を預けて座り込む。
珍しく感情の見えない瞳でじっと空に浮かぶ月を見上げていると、グローシュの光に混じって淡い紫色の光がふわふわ飛んでくる。

「こっちだ」

手を挙げて自分の位置を教えてやると、すぐに寄ってきた。

「グロウ様、どうなされたのですか? 急にテントを抜け出して」

「別に、なんとなくだ」

なんとなくではなく、自分でも解らないと言う方が正解なのは憂いを帯び始めたグロウの瞳が語っていた。
まるで見知らぬ場所に一人残された迷子のような弱々しい瞳の光に胸を締め付けられたユニは、黙ってグロウの肩へと腰を下ろす。
そのままグロウの顔にもたれるように体を傾けて、黙ったまま二人で月を見上げる。

「俺は本当にグロウなのか?」

「え?」

突然の質問に、ユニは戸惑いの声を上げるのが精一杯であった。
記憶をなくした当初でさえ、不安定な時期はあったものの、そんな事を聞かれたことすらなかった。

「周りが俺をグロウと言うから、間違いないんだろうけど。俺自身に俺がグロウだという実感がない。空気みたいに、自分のつかみどころが無い。それどころか、自分がここにいなくてもいいんじゃないかって思う事すらある」

「そんな事……」

「今の俺には大切な何かが欠けてる気がする。俺が俺だって譲れない、大切な何かが」

自分の顔の前へと両手を持ってくるグロウだが、その手が小刻みに震えているのをユニは確かに見た。
とっさにカレンから貰った精神安定剤を差し出そうと、懐に手を伸ばすが、手に持って取り出すことはなかった。
その代わりに小さな体で抱きしめるようにしてグロウの耳元にささやいた。
自分の胸の痛みだけはひたすらに、奥へと押し込み隠しながら。

「大丈夫です、グロウ様。グロウ様はここにいても良いんです。皆ここにいて欲しいと思っています。それでもグロウ様がここでは無い場所に行こうと思ったら、私は着いていきます。ずっとグロウ様のそばにいますから」

「ユニ、お前……」

抱き寄せるようにそっと手のひらを添えてきたグロウが呟く。

「可愛いな」

「はぇ?!」

思わずグロウの顔に抱きついている状態から飛びのきそうになったが、背中にグロウの手が添えてあるためできなかった。
自分でも解るぐらいに顔が熱くなっていき、それが悟られるのが恥ずかしいのにグロウは添えた手に力を込めてもっと抱き寄せてくる。
静まれ静まれと何度も心の中で自分の心臓に念じるユニをおいて、グロウは変わらぬマイペースで言う。

「今夜を過ぎたらもう二度と言わねえ。聞き逃すなよ」

「な、なんでしょうか?」

「お前がいて良かった。俺はお前のこと」

その先を口にする刹那、もたれ掛っていた木の背後にある藪がガサリと不自然な音を発した。
咄嗟にユニを抱き寄せたままグロウは飛びのき、剣を持ってこなかったことを後悔しながら身構えた。

「おっと、悪い悪い。脅かすつもりはなかったんだがな」

現れたのは大柄な体つきで硬めに眼帯をはめた男であった。

「貴方はオズワルドの」

「そいつは違うぜ。それは俺の弟、俺の名はグレンガル。もう一人の方にもそう伝えといてくれや」

ユニを見ても驚かず、もう一人の方と言うからにはそれがカーマインの事であるには間違いない。
グロウは警戒を解かずに、かといって飛び掛る気はゼロのまま問うた。

「一体そのグレンガルが何のようだ?」

「素手のままじゃ勝てないってわかってるんだろ。そう身構えるな。俺は一銭にもならん戦いはしない主義だ。今日はちょいと忠告にきてやったのさ」

じりじりと距離を取りながらもその忠告に興味を引かれ、グロウは話が出来るギリギリの距離で止まる。

「救援物資を受けてローランディア軍は明日にも一斉攻撃を仕掛けるだろうが、そうすればこの本陣は手薄になる。シャドウ・ナイトがその隙を狙ってくるぞ。奴らは心の隙をつくのが上手い、気をつけろ」

本当に忠告だけをして踵を返したグレンガルを、グロウが止める。

「待て、お前は一銭にもならん戦いはしないと言ったな。だったらその忠告がどういう特になる?」

「今ローランディアがバーンシュタインを押し返せば、戦争が長引く。それが答えだ。信じるか、信じないかはお前の勝手だ。じゃあな」

戦争が長引く事でどんな得があるのか。
普段口が悪いグロウも、本当の悪度さを持たないが故にすぐにはその答えがわかることはなかった。
後でウォレスにでも聞いてみようと思いながら、テントに戻るかとユニを促す。

「邪魔がはいっちまったな。帰るか」

「そうですね」

グロウが何を言おうとしたのか聞きそびれたのは残念だがとグロウの後をついていくユニだが、急にグロウが振りかえる。
なんだろうと首を傾げそうになったユニへと、忘れ物をしたかのように唐突にグロウが言い放つ。

「お前のこと結構好きだ。さっき言いそびれたから、今言っとく」

聞かされた途端、ユニの視界が傾き、顔を真っ赤にしながらポテンと地面に落ちていた。





深夜でありながらも、グロウがウォレスに相談するとすぐにベルナード将軍へと話が通っていった。
その結果、相手側にとっては実に理にかなった作戦であると納得され、本陣を守れるだけの兵を残しておく事になった。
念のためカーマインやグロウたちも本陣に残って様子を見ていると、本当にバーンシュタインの一部隊が現れた。
ただし回り道をしての奇襲と言う事で数はそれ程多くなく、すぐに残っていたローランディア兵によって捕縛される事となった。
早朝に前線へと向かった部隊がバーンシュタイン軍を押し返し始めたと言う知らせが来たのは、それから程なくしての事であった。

「我が軍は優勢でバーンシュタイン軍を押し返しております。ですがあと一歩、橋の上でインペリアル・ナイトが立ちふさがり押し切る事ができません」

「狭い場所で自らが先頭に立って被害を減らし、かつ相手には損害をと言う事か。噂通りのナイトだな」

ベルナード将軍への報告を端で聞きながら、こそっとルイセがカーマインに耳打ちする。

「オリビエ湖には端の向こうからじゃないといけないんだよね?」

「そのはずだけど、インペリアル・ナイトか」

正直まともにぶつかれば、勝てる相手では無いだろうが、軍の先頭に立って戦い続けている今なら勝機は見えてくるかもしれない。
いくら強くても相手は人間である以上、疲労は避けられない。
だからと言ってインペリアル・ナイト相手に普通の考えが何処まで通用するのか。

「実際に相手を見てから考えても良いだろう。とりあえずは、俺たちもその橋へ行くべきだと思うぞ」

「案外思ってたより、弱いかもよ」

ティピのお気楽な意見にふっと息を抜くと、カーマインはベルナード将軍に進言した。

「ベルナード将軍、僕らが行ってみます。このまま策もなしに兵を送り込んでも無駄に損害が出るばかりです」

「君たちだけでインペリアル・ナイトを退けると言うのか?」

言葉ではなく真っ直ぐな眼差しで答えてきたカーマインを見て、ベルナード将軍もしばしの熟考の後了承してくれた。

「恐らく前線では被害を抑えるためにお互い睨み合いになっているはずだ。君たちが前へ出ても、押し戻されるような心配は無い。思いっきりやってくれ」

もちろん当初は輸送隊の護衛としてやってきたカーマインたちの実力を疑問視する声は出た。
しかしながら、初めて輸送隊の護衛を成功させた事などもあり、結局はベルナード将軍の言葉通りに任せてもらえる事となった。
昨日自分たちで運んできた輸送物資の中から、傷薬など数品を受け取ってからカーマインたちは本陣から東へと歩き出した。
しばらく進んで見えてくるのは今朝方に戦場となったばかりのノストリッジ平原である。
折れた槍や剣、それはまだマシな方で血や息耐えたばかりの死体もゴロゴロと転がっている。

「うっへぇ〜、コレが戦場。たまんないよ」

そうは言いつつもティピはまだ元気な方である。
特にルイセやミーシャは腰が砕けそうになっていた。

「ちょっとミーシャ捕まらないでよ。自分で歩いて」

「ル、ルイセちゃんこそ。歩き、ギャーなんか踏んだ。ぐにょって!」

一応ルイセは戦場は迷いの森近くで一度経験しているが、あれは森の中からファイヤーボールを撃っていただけなので実感が薄かったのだろう。
女の子がガタガタと二人震えている中で、一際異彩な雰囲気を放つ二人がいた。

「グロウ様、あの……肩に座っても良いですか?」

「別にすわりゃいいだろ」

「失礼します。あの、すみません。怖くて」

主にユニの方が様子がおかしいのだが。

「ねー、アンタたちなんかあったの? 妙にユニがぎこちないんだけど」

「別に、なに、な……なにもありません!」

「あーやーしーいーなー」

からかう様にティピがグロウの周りを飛び回ると、必死にユニがなにもありませんと主張してくる。
大抵ユニが慌てて何かを否定する時はグロウと何か良いことがあったあとであるのだが。
なにもつい数時間前まで戦場だった場所でする話題ではない。

「うっとおしいぞ、羽虫。カーマイン、しっかり管理してろ」

「ウギャ」

「こらこら、軽々しく投げないの」

本当に羽虫のように掴み挙げると、無造作にカーマインへと投げつける。
だがすぐにカーマインの手のひらの中で起き上がると、グロウめがけて馬鹿だの野蛮人だの罵声を浴びせ始めた。
逐一やかましいティピのおかげで、幾ばくか死体の群れを気にしないで住んだ一行はやがてノストリッジ平原を抜けていった。
ノストリッジ平原を抜けてまたしばらく荒れ果てた大地を東へ向けて歩いていくと、一つの渓谷へとたどり着いた。
ラージン砦の東にある渓谷に良く似た、だが大人数が平気で通れそうな立派な石造りの橋がある渓谷である。
その渓谷の橋を挟んで両側にローランディア軍とバーンシュタイン軍がベルナード将軍の言う通りにらみ合う様に陣を構えていた。

「おお、君たちがベルナード将軍から報告のあった者だね」

カーマインたちが姿を現すとすぐに、前線の指揮官らしき隊長が話しかけてきた。
どうやら一足先に連絡が届いているようであった。

「しかし、本当に君たちだけでインペリアル・ナイトと戦うつもりかね? 奴らは並みの騎士ではないぞ。見てみろ、あんな細身の優男一人に我が部隊の百人はやられている」

隊長が細身の優男と評したインペリアル・ナイトは、橋の上で余裕の笑みを浮かべながら立っていた。
ジュリアンでもアーネスト・ライエルでもない、三人目のインペリアル・ナイトである。

「アーネスト様ではないようですね。初めてお目見えするインペリアル・ナイトの方です」

「だが実力はさほど変わらないだろう。強敵だと言う事には変わりは無い」

ユニとウォレスの発言に、隊長が驚きの表情を見せる。

「君たちは一体、そう何度もインペリアル・ナイツに出会う機会など無いはずだぞ」

「僕らにも色々ありましたから。ここは僕らに任せてもらえますか? 押し返して見せます」

カーマインがそう言うと、隊長はすぐに部下たちを最小限下げ始めた。
最小限とはいえ膠着状態から動き出したローランディア軍を見て、バーンシュタイン軍がざわめいていく。
だがすぐに堂々とインペリアル・ナイトのいる端へと歩き出したカーマインたちを見てそのざわめきは消えていった。
すぐにインペリアル・ナイトの前に歩兵と魔法兵が二人ずつ狭い橋の上で戦える最小限の数だけ出てきた。

「ほう、このごに及んでまだ戦うつもりか。まだローランディア軍にも骨のある奴がいるみたいだ」

そう呟いたインペリアル・ナイトは余裕の笑みを見せて微笑んでいる。
隊長が優男と表現したくなる気持ちもわかるが、彼が軽々と手に持つ大がまをひるがえす様を見ればその実力が並ではない事は明白であった。

「僕とグロウが前に出ます。ウォレスさんは攻めの援護を、ルイセとミーシャは守りの援護を頼むよ」

「やれやれ、最近俺は援護ばかりだな」

「前に出るよりも、攻めの援護の方が余程難しいことは知っているんでしょう? 頼みます」

ウォレスも軽い冗談のつもりだったらしく、前に出ながらグロウが呟く。

「話が決まれば、行くぞ」

二人が飛び出すのと同時に、ウォレスのダブルエッジが曲線を描きながら二人を追い越していく。
大回りをしながらも二人を追い抜き、同じく前に出ようとしていたバーンシュタイン兵の前を横切りその足を止める。
完全に虚を突かれたバーンシュタイン兵の前に真っ先にグロウが間をつめ、遅れるようにしてカーマインもクレイモアを振り上げ突っ込む。
だが向こうもこれ以上引く事はならないと必死に対応し、剣と剣とがぶつかり悲鳴を上げる。
すぐさまルイセとミーシャがプロテクトとアタックを唱えると、バーンシュタイン側からも同じ魔法が唱えられる。
大きな差こそないものの、どちらが優勢であるかは一目でわかることであった。

「思った以上に良い動きをする。それにしてもローランディア兵のわりには、正規の鎧を着ていないし、後ろで詠唱している女の子はまだ子供じゃないか」

一体何者だろうとインペリアル・ナイトが観察する中で、小さな女の子が二人目に入る。

「いっけぇ、やっつけろ!」

「あ、危ない。グロウ様、急ぎすぎです。落ち着いてください!」

対照的な声で応援するティピとユニの姿である。
彼女らの姿を見てすぐにインペリアル・ナイトは頭の中で、以前ジュリアンとアーネスト・ライエルがよく話題にしていた二人組みを思い出していた。
ローランディアのまだ年若い双子の兵士で、小さな妖精をお供に連れている特徴的な者だ。
ジュリアンだけでなく、あのアーネストまでもが楽しみだと口にしていたのでなおさら良く覚えている。

「お前たち、すぐにさがるんだ!」

「しかし、オスカー様」

「命令だ」

突然の後退の命令にバーンシュタイン兵に大きな隙が出来たが、驚いたのはカーマインもグロウも同じであった。
ハッと気づいた時には間を開けられてしまい、仕方なく二人とも一旦息を整えるために下った。
すぐにルイセとミーシャから回復魔法をかけられ、息が整ったのを見計らったかのようにインペリアル・ナイトが前へと一人で進み出る。

「さあ、回復は済んだようだな。我が名はインペリアル・ナイツが一人、オスカー・リーヴスだ」

「一対一でと言う事ですか?」

「いや、一対二で。僕の疲労度を考えれば、それでようやく互角のはずだ」

「言ってくれるじゃねえか。跪かせて後悔させてやるぜ」

相変わらず吸い込まれそうなほどに綺麗な笑みを浮かべるオスカーだが、冗談を言っているようには見えず、カーマインとグロウが身構えながら間をつめていく。

「待て、挑発に乗るな。いくらお前たちでも、インペリアル・ナイトを相手にするのはまだ早い!」

「いいじゃん、いいじゃん。一対二なら囲んでボコボコよ!」

「馬鹿野朗、インペリアル・ナイトを常識で考えるんじゃない! まだ集団戦の方が勝機がある。戻れ、二人とも!」

煽るティピに本気で怒鳴ってから二人を呼び戻すが、もう遅かった。
今背を向ければ一足飛びで斬りつけられるほどに長いオスカーの間合いへと二人は入り込んでいた。
ウォレス自身、二人が手も足も出ないとは思っていないが、それでもあと一年、半年あればと思わずにはいられない。
だが心のどこかであの二人ならばと期待する自分も確かにいた。

(どうする? いざとなったら、卑怯と罵られても俺が割って入るべきか。だがもしかすれば)

それはとても小さな期待ではあったかもしれない。
迷うウォレスを置いて、二人がインペリアル・ナイトであるオスカー・リーヴスへと向けて駆け出した。

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