クレイン村を出て北へと上っていく道のりは、緩やかな傾斜を描き、右手に広大な森を抱きつつ左手には断崖絶壁の崖があった。 遥か下では濁流が流れており、それを上から覗き込むだけでも背筋をひやりとさせられる。 不測の事態だけは避けるためにできるだけ崖側には近づかないようにして北上を続ける。 時折魔物であるリザードマンなどが現れるものの、苦になるほどの相手でもなく、森の木々に突き当たるまで北上した所で黙々と歩いていたウォレスがその足を止めた。 その目で見えているのか、右手には森が開かれて道が続いている。 「歩いてきた距離を考えると、確かこの辺りのはずなんだが」 「なにがですか?」 小首をかしげながら尋ねるルイセであるが、ここへ来た目的を考えれば答えは一つしかない。 カーマインは辺りを見渡しながら確認するように呟いた。 「ウォレスさんが襲われた場所がですね」 「ああ、そうだ。ここで俺は白づくめの鎧の男たちに襲われた。まずは右腕を、次に目を奪われて、最後にはそこからな」 当時を思い出して腕や目が痛んだのか、義手をおさえながらウォレスは崖方面を顎でさした。 そこから聞こえるのは濁流が生み出す轟音がかすかながらに響いてきている。 皆が一斉に思った事を馬鹿正直にティピが口に出した。 「うっひゃ〜、よく助かったわね。ウォレスさん」 「運が良かった、だけだろうな」 「ウォレスさんが最初の被害者だとゼメキス村長は言っていましたけど、村人の行方不明とウォレスさんが襲われた事は関係あるんでしょうか?」 やや考え込んだ後に言ってきたカーマインに、首を横に振りながらウォレスは答えた。 「奴らは俺を個人的に狙っていたふしがあった。邪魔になったからってな。だから村人の行方不明とは関係ないと思うが、全く無関係とも思えない」 要は情報が少ない今、どちらともとれると言うことである。 ならば確信が得られるだけの情報をつかむしかないと、もう少し先へ進む事に決めた。 森に突き当たったこの場から行ける道のりは、西にある山道であり、ゼメキスの言葉通りならこの先に大きな滝があるはずである。 行方不明者が続出する前は、クレイン村の誰もが気軽に涼みに来ていた滝らしい。 その滝は少し歩くだけで木々の上っ面の向こうに見えてきた。 近づいていくにつれ滝が生み出す霧状の水滴が空気に混じり、冷えた風が生み出され流されてくる。 「うわぁ〜、綺麗な滝」 「本当だ、お兄様もウォレスさんも早くおいでよ」 ピクニックか何かだと勘違いしてしまいそうな台詞ではあるが、自然とウォレスの足でさえ速まっていた。 森がくり取られたようなその場所では、高い崖から勢いよく水が流れ落ち、それによって形成された湖の水が森の中へと流れ込んでいた。 任務でなければ思いっきり楽しみたい状況ではあるなと、辺りを見渡すカーマインの目に、何かが映る。 「え?」 目の錯覚なのか、人影のようなものが滝の裏側に見えたのだ。 瞬きを繰り返してもう一度見てみるとすっかり人影は消えていたが、見間違いとも思えない。 「ちょっとアンタ、何処行くのよ」 「カーマインお兄ちゃん?」 急に湖を迂回するように滝へと近づきだしたカーマインに、ティピとルイセが続く。 すると正面からでは解りにくかったが、上から落ちてくる水流の裏側に深そうな洞窟があることに気づいた。 自然にできたものかどうかはわからないが、奥からは形容し難い生臭い臭いが流れてくる。 「ちょっとなによコレ、まさかこんな所に入るつもりじゃないでしょうね。臭いが染み付いたらどうするのよ。ルイセちゃんもそう思うわよね」 「それは、そうだけど。任務できてるんだし……」 「そういうこと。それにゼメキスさんが洞窟の事を言わなかったって事は知らなかったって事かもしれない。調べないわけには行かないよ」 ウォレスを呼び、ティピをなだめるとカーマインたちはその洞窟へと入っていった。 少しばかり薄暗くはあるが、全く見えないわけではない洞窟内を進んでいくと、臭いのほかにも奇妙な点がいくつもあった。 ゴツゴツとした足元で時折乾いた木を踏んだような感触が何度もするため、拾い上げてみるとそれは白い骨であった。 何の骨かはわからないが、洞窟の奥から猛獣が唸るような低い声も響いてくる。 「結構怖いかも、化け物でも出そうな雰囲気ですよね」 「何馬鹿なことって言いたいけど、骨を見た限りあながち間違いじゃないかも」 ミーシャの震えるような声をティピはいつもの雰囲気で笑い飛ばしてやりたかったが無理であった。 唸り声は一つ二つではなく、幾重にも重なってカーマインたちの耳に届いていたからだ。 「もしかするとこの唸り声の主に村人たちは襲われた可能性もありますね」 「そうだな、折角ここまできたのならゼメキス村長への礼代わりに退治してもいいだろう」 「放浪のウォレス復活ってところですね」 獰猛な獣か化け物がいるとなるとっと少しばかり警戒を強めたカーマインの服の袖をふいに後ろを歩いていたルイセがつかんだ。 「ねえ、カーマインお兄ちゃん。アレ、なにかな? 薄く光ってるように見えるんだけど」 ルイセが恐る恐る指差した場所は、大きく掘り込まれた穴であった。 薄く光っているという表現も間違ってはおらず、入り口からここまでに何度も踏んできた何かの骨であろうか。 穴を覗き込んだカーマインは、それが何の骨であるのかようやく理解した。 大小様々な骨が散乱するその大穴の中で、一際目立つ丸みを帯びた頭蓋骨、人の骨であった。 「ナナナナ、何コレェ。人の、今まで踏んでたのもそうなんですか?!」 「ウヘェ、アタシ飛んでて良かった〜」 「ちょっと待て、このおびただしいほどの人骨。村人たちだけじゃ、とても足りねえぞ」 ウォレスの指摘どおり、数十体以上ありそうな人骨全てがクレイン村の村人であればもっと大騒ぎになっていていいはずだ。 となれば自然とクレイン村だけでなくよその村からもさらわれて来た者がいるのかもしれない。 「そんな、酷い……誰がこんなことを」 口元を押さえて瞳を潤ませ出したルイセの頭に手を置くと、カーマインは何も言わずに抱き寄せてやった。 それは別にルイセに共感したからではなかった。 顔を押し付けながら泣き声を漏らすルイセを見ていられないのと同時に…… そんな自分の薄情な考えを打ち払うように首を横に振っていたカーマインの耳に洞窟の奥から悲鳴が聞こえていた。 思わず顔を上げたルイセにも聞こえたようで、皆で顔を見合わせてすぐに走り出した。 「だ、誰か助けてくれ!」 「誰も助けになどきてはくれん。さあユングよ、餌の時間だ」 声が聞こえてきた場所が最奥なのか、コレまでの道のりよりも広い空間となっていたそこは奇妙な光景が広がっていた。 まるで産卵場であるかのように赤く大人の身長ほどありそうな卵がいくつもあり、それを守るようにあの白づくめの男がいた。 しりもちをついて悲鳴を上げている村人らしき人のすぐ前にいる見た事もない化け物は、その卵からかえった化け物であるのだろう。 いや、正確にはカーマイン以外は見た事のない化け物である。 「いかん!」 「貴様たち、どうしてここに。まあ良い、ユングたちよ。そいつらも喰ってしまえ!」 ウォレスが叫んでしまった事で白づくめの男に気づかれてしまったが、責めるわけには行かなかった。 なぜなら村人へ向けてユングと呼ばれた化け物がその鋭い爪をもった腕を振り上げていたからだ。 他にも二体いたユングが自分たちに向かってくるため誰もが間に合わないと目の前の惨劇から目をそらしそうになった時、洞窟の生ぬるい空気を裂いて駆ける者がいた。 暗がりのせいであろうか、まるで姿がかすんでしまったように錯覚するほどに速く、二体のユングの間を駆け抜けた。 「あの動き、あの時の奴らと重なる。いや、それ以上か?!」 ウォレスの驚きをよそに、わずかに体から黒い光を放つカーマインは両腕を振り上げているユングを上から真っ二つに切り裂いた。 何色なのか判別できないようなユングの血が飛び散っていく。 「おのれ、生まれたばかりとはいえユングを殺した事は褒めてやるが、ここまでだ!」 「貴方は下がっていてください。すぐに済みますから」 「ほざけ!」 村人が目が恐れを抱いたのは、ユングか白づくめの男か、それとも。 一瞬の葛藤の後、カーマインは白づくめの男が振り下ろしてきた剣を受け止めた。 ウォレスの話を聞いたよりも随分軽いその一撃を押し返すと、明らかな狼狽を見せてきた。 「一体コレは、まさか…………貴様か!」 急に辺りを見渡しだした白づくめの男の視線が、ルイセに定まり殺すために跳躍した。 何故そうしようとしたかは不明であったが、その選択は間違いであった。 跳躍してすぐにその足首をカーマインが掴んで止めると、白づくめが跳躍した勢いを無視して壁へと投げつけた。 壁にぶつけられた白づくめの男は、パラパラと砕けた岩の破片が降り注ごうともそれっきり動き出す事はなかった。 人間一体を、しかも進行方向とは逆向きに投げ飛ばす腕力とはいかなるものか。 幸いにして仲間たちには気づかれなかったが、それをしっかり見てしまった村人の目は明らかにカーマインを恐れていた。 「ひ、ひぃ!」 まだ安全であると判断したのか、苦労して二体のユングを倒したウォレスたちの方へと走っていく。 だが間の悪いことに村人の目の前で新たに一つの卵がかえってしまった。 腹の減り具合を示すように産声をあげたそれが目の前を走る獲物へと牙をむいた刹那、爆発するようにその体が弾け飛んだ。 「勝手に動くと、死にますよ」 淡々と述べたカーマインの右手には、今しがた衝撃波を放ったばかりのクレイモアが鈍く光っていた。 村人は言葉をなくしていたが、カーマインが味方である事だけは理解したのかしきりに首を縦に振っていた。 「あ……あり、ありが」 蒼白になりながらもなんとか言おうとしている言葉に微笑み返すと、カーマインは丁度ユングを片付けたウォレスたちへと軽く手を挙げていた。 「アンタ、いつの間にあんなに強くなっちゃったわけ?」 「すごかったですよ、お兄様。風みたいでした」 「カーマインお兄ちゃん、怪我はない?」 「大丈夫だよ、ルイセ。この前の時に切欠みたいなものをつかんでね。ある程度は制御が利くんだ」 制御とあえて言ったカーマインの本心を見抜けたのは、ウォレスぐらいのものであったろう。 壁に叩きつけられた事で絶命し、砂のような者へと姿を変えていった白づくめの男であるが、カーマインはそこまでするつもりはなかったのだ。 倒すつもりではあったが、ルイセへと向かわせまいと足を掴んだ瞬間、想像以上の力が発揮され思わず壁へと叩きつけてしまったのだ。 「あの……あんた達は一体」 「詳しい事は言えませんが、僕らはあの白づくめの者を調べにクレイン村にきたんです。それでこの滝まできたら裏側にこの洞窟があったんです」 「じゃあ、助けだと思っていいんですね?」 「どう見てもアタシたちは助けの方じゃない、失礼しちゃうわね」 黙っていれば愛らしい外見のティピの言葉は効果的であったようだ。 幾分落ち着いた青年は、自分が何者であるかを語りながらさらに洞窟の奥にある牢へと案内してくれた。 「僕はクレイン村の村長の息子なんです。村人が何人も行方知れずになり、解決できずに悩む親父を見ていられなくて……単身乗り込んでみたらこの様です」 「心構えは感心するが、もう少し慎重になるべきだったな」 「その通りです。親父に合わせる顔がありませんよ」 「そんなことありませんよ。村長さん貴方が行方知れずになってすごく落ち込んでましたよ。生きてるってだけで喜んでくれるに決まってます!」 落ち込んでしまった村人にミーシャの言葉は効果的であった。 なにやらミーシャがムキになっているようにも見えたが、視線でカーマインがルイセに尋ねても首を横に振られてしまう。 それからずっとミーシャが村人を慰めつつ、奥へとたどり着くと、岩に埋め込まれた鉄格子の向こうに、何十人という人が押し込められていた。 こちらの姿を見たとたんにおびえを見せたが、顔見知りである村人が姿を見せるとすぐにそれは歓喜の声となった。 「お前、無事だったのか?! その人たちは?」 「化け物の餌にされそうなところを助けられたんだ。助かるぞ、家に帰れるんだ!」 牢の中で手を取り合って喜ぶ者が大勢で始めたが、どうも先の予想通り全員がクレイン村の出身ではなさそうであった。 なぜなら手を取り合う中にも南のランザックの服装をしている者もいれば、ローランディア地方の服装をしている者もいる。 「でもウォレスさん、この鉄格子どう開けましょうか?」 「コレだけ中に人がいると無理に破壊するのも危ねえな。おい、白づくめの男たちは鍵かなにかで開けていたのか?」 「ええ、そうですが……しまった。先ほどの奴が持っているとは思うのですが、私とってきますね」 急に反転して向かいだした村人をカーマインが引き止めた。 「一人じゃ危ないですから、僕もついていきます。ルイセとミーシャは怪我人がいたら治療を頼めるかな」 「お任せください、お兄様」 「気をつけてね」 もちろん危ないと思ったのは本心であるが、カーマインにも同行を申し出た理由はあった。 それはウォレスたちの姿が見えなくなった途端に、おびえる様にこちらをチラチラと見始めた村人である。 知人でもないのに人外の力を見せられたら誰だっておびえるのは当然だ。 だがそれでもうまくやっていけるものなのか、半分は実験のつもりであった為、それほど躊躇うことなくカーマインは切り出した。 「僕が怖いですか?」 「あ、いえ。そのような事は……」 すぐに否定してきた村人であったが、しばらく無言のまま歩いていると思い切った顔をした村人の方が話してきた。 カーマインの予想だにしない言葉をである。 「すみません、本当のことを言うと貴方が現れたとき、私は単なる仲間割れだと思ったんです」 「仲間? 貴方がおびえたのは僕の力を見たからではないのですか?」 何のことを言っているのだというカーマインに対して、謝りながら村人は続けた。 「貴方の力を見たとき、私は納得していました。彼らなら貴方と同じ芸当ぐらいはできると思いましたから……何より、貴方のその姿。そっくりなんですよ、白づくめの男と」 「僕とあの男が?」 「他の人は知りませんが、僕はたまたまあの男が仮面を取った所を見た事があるんです」 立ち止まった村人は、改めてカーマインの顔を見ても、似ていると言ってきた。 とても冗談を交えるような話ではなかったし、雰囲気でもない。 たまたま見た白づくめの男の顔が、たまたまカーマインに似ていただけなのか。 それともグロウの他にも兄弟がいて、たまたま白づくめの男として行動していたのか。 (また話せないことができちゃったな) そう思いながらも、自分は違うと言い切り村人を安心させてカーマインは白づくめの男の死骸がある場所へとむかった。 すでに砂になってしまい、残った服をあさるとすぐに牢屋の鍵は見つけられた。 その鍵を村人に渡すと、カーマインはなんともなしに白い仮面を手に取ってみた。 あの日夢で見たゲヴェルのそばにはこの仮面と鎧を着た男たちと、ユングが控えるようにそばにいた。 そしてゲヴェルと関係している自分とよく似た白づくめの仮面の男。 「カーマインさん、どうかしましたか? 早く他の皆を助けてあげましょう」 「そうです、ね。今、名前」 「え、嫌でしたか? いつまでも恩人の名を呼ばないのもどうかと思いまして」 当たり前の事かもしれないが、安心するようなうれしさがカーマインの胸にこみ上げてきた。 それと同時に、何度も大丈夫だと繰り返しながらカーマインは鍵を持って牢屋のある場所へと戻っていた。 長い間薄暗い洞窟の中でいたために体調を崩している者はいたが、怪我人は思いのほか少なく彼らを引率してカーマインたちはクレイン村へと戻っていった。 その前に念のため、洞窟内のユングの卵を一つ残らず壊しておくのを忘れなかった。
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