第五十二話 嫉妬と友情


「嬉しそうですね、グロウ様」

それはユニにしては珍しく棘のある言葉であった。
よくよく見てみれば、ほっぺたをぷっくりと膨らませて不満のようなものを強調している。
ただし、それを向けたグロウが気づかなければ何にもならないが。

「なんだよ、お前にも見せただろ手紙。ルイセが来るってよ」

今グロウとユニがいるのはラシェルにあるカレンが勤める病院のロビーである。
他に適度な待ち合わせ場所が見つからずにそこでということになったのだ。
それは置いておいて、ユニが不満なのはもちろんルイセを待ち望んでいるグロウである。
妹としてならそれは見逃すべき事なのだが、グロウは当然のように恋人として待ち望んでいた。

「…………どうせ私はただのお目付け役ですよ。でもグロウ様と一番一緒にいるのは私です」

「ん、なんか言ったか?」

「なんでもありません!」

ちょっとすねて見せても、聞いてもくれない。
泣きが入りそうなため息をついていると、病院の玄関口が荒っぽく開けられた。
グロウとユニだけでなく、ちょっと出歩いていた患者や、忙しく走り回っていた看護婦も足を止めてしまうほどだ。
そこにいた人影は二人の女性であり、グロウを見つけると一目散に駆け寄って抱きついてくる。

「もう、この子は心配ばかりかけて!」

「グロウさん、ご無事で何よりです!」

二人の女性とはサンドラとレティシアであった。
まるで奪い合うように自分へと抱き寄せる二人の間で、グロウはしばらく目を白黒させてからユニに尋ねた。

「ユニ、誰だこいつら。いきなり綺麗な姉ちゃんたちが抱きついてきたぞ!」

「前にも似たような事言ってましたよね……その方たちは」

「綺麗な姉ちゃん?!」

ユニが教えようとした言葉をさえぎり叫んだのは、グロウが発した言葉に過剰に反応したサンドラであった。

「グロウ、もう一度言ってもらえますか?」

「だからいきなり綺麗な姉ちゃんたちが抱き」

「綺麗な姉ちゃん、そう思いますか? そうですよね。グロウ、もう一度」

どうやら綺麗な姉ちゃんと表現された事が余程嬉しかったのだろう。
何度も同じ台詞を言わせようとするサンドラを、ようやく後から現れたルイセが止め、ティピが付け足した。

「お母さん、グロウお兄ちゃん困ってるよ。レティシア姫も、自己紹介しないと忘れられてますよ」

「グロウは思いっきり記憶喪失なんだから」

そう言えばとレティシアが名乗ろうとすると、グロウの方が手でそれをとめてきた。

「ちょっと待った。お母さん? 確か俺とルイセは義理の兄妹で、そのお母さんって事は」

「グロウ様の母君でもあり、私のマスターでもある。ローランディア宮廷魔術師のサンドラ様です」

「げっ、てことは若作りしたおば」

ゴンッとものすごい音を頭とたたき出され、グロウは仰向けに倒れこんだ。
皆が恐ろしげな視線を向けた先では、荒々しく肩で息をしていたサンドラがいた。
次第に息が整っていくと周りの視線に気づいたのか、殴った拳を開いて頬に当てながら、あらやだと可愛らしく呟いていた。
もちろんそれだけでは皆の視線を遠ざけるには弱すぎたが。

「ナイスパンチです。マスター」

「ところでユニ。アンタ、なんでガッツポーズしてるわけ?」

そしてティピに突っ込まれつつ幾分すっきりした顔のユニが、なぜか拳を強く握っていた。





それからサンドラがティピを連れて逃げるようにグロウの主治医へと話を聞きに行き、グロウは皆を自分に与えられた病室へと連れて行った。
以前にカレンが言っていたが、グロウは患者であると同時に、警備員や子供たちの相手などをして日々をすごしている。
病室へと来るまでの間に何人もの子供や、入院患者が声をかけて来る事もあった。
病院関係者には口悪くもきちんと受け答えを返していたグロウだが、病室に入った途端に期限が悪くなったように見える。

「でだ……どうしてお前らついてくるんだ?」

そう言われたのは、ユニとレティシアであった。
意味が解らないとキョトンとしている二人に、勘弁してくれよと言いたげにグロウが言った。

「あのな、彼女であるルイセが俺の部屋……みたいなもんだ。そこに来た。気を利かせようとかないわけ?」

彼女と言う言葉をグロウの口から聞いて、レティシアは壊れたブリキのおもちゃの様に耳障りな音がしそうなほどにぎこちなくルイセへと振り向いた。
そのルイセはと言うと、否定するわけでもなくやや困ったようにするだけである。

「どういうことですか。ルイセちゃん?」

「あはは、どうと言うか。どう言えばいいんでしょうか」

一応レティシアの気持ちを知っていただけに、ルイセは笑うしかなかった。
どう言ってよいのか解らないのは本当であるが、レティシアの目つきが本当に怖かったのだ。
するとルイセがいじめられているとでも思ったのか、それとも言葉で言ってもわからないならと見せ付けるつもりなのか。
グロウがルイセの手を引いて、自分の胸元へと抱き寄せた。

「こう言う事でいいんだよ」

「ちょ、グロウお兄ちゃん。いきなり抱きしめるのはやめてよ」

「別にいいだろ、それぐらい。キスだってした仲だし」

心底嫌がっていないルイセに、そう告げるグロウの言葉を聞いて、レティシアは言い様のない恥ずかしさがこみ上げてきた。
確かに何度も自分はグロウに助けられ、少しずつ気持ちを膨れ上がらせてきた。
だが考えても見れば自分の気持ちなど、グロウからすればまったく関係なく、完璧な独り相撲である。

「そうですわね、私に配慮が足りませんでした。ユニちゃん、行きましょう」

「でも、レティシア様」

「ちょっと待ってください、レティシア姫」

咄嗟にグロウの胸元から離れて言ったルイセだが、逆効果であった。
それは好意を向けられる者の優越にしか、映らなかっただろう。

「それでは、どうぞごゆっくり」

放ってはおけないと同じく出て行ったユニを連れて、レティシアは病室のドアを閉めた。
心配するユニを置いて、気だるそうにドアに背をもたれさせたのは一瞬、すぐに歩き出した。
うつむいて歩くその表情はうかがい知る事はできず、ユニは必死に後を追い始めた。
病院内ではゆっくりと歩いていたレティシアであるが、病院を出て一度立ち止まってからは弾けるように走り始めた。

「レティシア様!」

周りが一体どうしたという視線を送る中でユニが追いかけていると、ふいに冷たいものが頬に触れた。
一瞬雨かと思ったが空は文句なしに晴れ渡っており、なによりもそれは前方から降ってきた。
まさかという思いで追いかけると、やがてレティシアは逃げ込むように患者用のリラクゼーションの為に整えられた花畑へと逃げ込んだ。
それっきり座り込み動かなくなったレティシアへと、ユニは後ろから話しかけた。

「あの……グロウ様の事ですけれど」

「別にグロウさんが悪くない事ぐらい解っています。ただびっくりして」

そんな弱弱しい声を聞かされては、とてもグロウが悪くないとは思えなかった。
だがそれでも誰も悪くない事だけは確かであった。

「私、立場も何も関係なくあれほど必死になって何かをしてくれる人は初めてだったんです。だからグロウさんを好きになったつもりでしたけど……自信がなくなってしまいました」

「大丈夫ですよ、グロウ様が全て思い出せばきっと」

「そうじゃないの。ルイセちゃんはグロウさんに好かれるだけの理由がある。私では到底埋められないぐらい一緒にいた時間。それじゃあ、私が好かれるだけの理由は、あるんでしょうか?」

難しい問題であった。
レティシアは見目麗しいと言えるほどに美人であるし、社会的地位も兼ね備えている。
だがそんな見た目や位に惹かれるようなグロウであれば、そもそもレティシア自身が惹かれる事はなかっただろう。

「でもグロウ様は時間が長いとか短いとかを気にする方じゃないと思います。たぶんですけど、レティシア様にだって好かれる理由があると思います。だってそうでなければ、グロウ様だって体を張ってまで助けようとしないはずです」

少しでも自分の言葉で安心させる事はできたのだろうか。
しばらく風が草花を撫で付ける音だけが聞こえる中、レティシアが目元をぬぐうしぐさを見せた。
そして笑いながら振り返って言った。

「ふふっ、ユニちゃんも損な性格ね。ライバルの私なんか放っておけば勝手に脱落したかもしれないのに」

「そうかもしれませんね。それでは今から放っておきましょうか?」

「それはだーめ……ありがとね、ユニちゃん」

レティシアは手を伸ばし、すぐ近くに飛んでいたユニを捕まえて抱きしめた。
それからユニにしか聞こえないぐらいに小さな声でお礼の言葉を述べると、どちらからかともなく笑い出した。

「え?」

その人影に先に気づいたのはユニであった。
つられるようにユニが見ている方向をレティシアが見ると、気まずげに後頭部を手で掻きながらグロウが歩いてくる。
どうやらこちらへ向けて歩いてくるようで、視線をそらしながらただ歩いてくる。
ルイセの姿は見えずにどうしたんだろうと二人が見ていると、ついにはレティシアの横に座り込んできた。

「グロウさん?」

決して顔を合わせようとはしないが、用があって追ってきたことはわかる。
だが何をしたいのか皆目検討がつかずにいると、珍しくぼそぼそとした声で言ってきた。

「悪かったな」

「はい?」

あまりにも小さな声で聞き取りづらかったが、まったく聞こえなかったわけではなかった。
だがグロウの方は聞こえてないと思ったのか、酷く困りだしたようで、そのまま言葉をなくしてしまう。
二つの視線が自分で交差しているために、観念したようにレティシアの膝に頭を乗せるように倒れこんできた。

「あ……えっと」

「寝る」

むすっとしながら目を閉じて、本当に寝息を立て始めたグロウ。
素直になれない子供のような行動に、顔を見合わせたレティシアとユニがクスクスと笑い始めた。
自然とレティシアは自分の膝で眠るグロウの髪をすくように撫で始める。
そのリズムにあわせる様にかすかな寝息が風に混じり聞こえてきた。

「本当に、寝ちゃいましたね。それにしても、急にやってきた一体どうしたんでしょうか?」

「たぶんだけど、ルイセちゃんに何か言われたんでしょうね」

そう思うと追ってきてくれた嬉しさが半減してしまうが、本当に嫌なら追いかけてはきてくれないだろう。
半分になってしまった嬉しさでも、大切にかみ締めつつなんとなく額に掛かる髪を押しのけ、グロウの顔を覗き込む。
何十秒とみつめていただろうか、気が付くと徐々に顔を近づけようとした所に声が掛かる。

「レティシア様、私のこと忘れてませんか?」

「あら、ユニちゃん…………そ、そんなわけないじゃありませんか。嫌ですわ」

かつての自分を棚に上げてしっかり注意してきたユニに対して、正直に狼狽を見せるレティシア。
ユニにとって先ほどまで慰める相手であったのに、今ではグロウを膝に乗せてすっかり羨む相手となってしまっていた。
しばらくの間ユニにジト目でにらまれていたレティシアであるが、急に良い事を思いついたように顔を輝かせてきた。

「そうだ、ユニちゃん」

「はい、なんでしょう」

ちょっとばかり棘の見える声であったが、レティシアはひるまずに耳をかしてくれと手招きをする。
しぶしぶ耳を貸したユニであるが、何かを吹き込まれるにつれその顔が赤くなっていく。

「本気、ですか?」

「いやならいいですわよ。私が一人でしますから」

独り占めするようなその笑顔に、ユニは負けるわけにもいかなかった。
レティシアが膝上のグロウの顔を固定して、そのまま体を曲げて、やや横から自分の顔を近づけていく。
その反対方向からはかなり戸惑いながらではあるが、グロウの頬に手をそえたユニがその唇を寄せていた。
刹那とも呼べるぐらいに短い時間、触れさせた唇。
顔を上げたときにはお互いにこれ以上ないほどに真っ赤であったが、同じくこれ以上内ほどに微笑んでいた。





その夜、グロウは自分の病室で不貞寝をしていた。
確かにルイセに言われてレティシアの元へといったのだが、寝心地が良すぎて夕方まで寝てしまったのだ。
起きてみればすでにルイセは王都に帰る時間であったという事だ。

「グロウ様、いい加減機嫌を直してくださいよ」

不貞寝をしているグロウとは対照的に、やけに上機嫌なユニが恨めしく、寝返りついでに恨み言を言ってみる。

「大体なんで起こさないんだよ。解るだろ、こう」

「わかりません。それにまた来るとルイセ様もおっしゃってくださったじゃないですか。それにレティシア様も」

「まあ……いいけどさ」

膝枕の感触でも思い出したのか、少々照れながらそっぽをむく。
そのまましばらく固まったようにグロウは動かなくなってしまった。
どうしたのかと不審に思ってそっぽむいた顔を覗き込むと、少々どころか大いに照れていた。
以前にもレティシアの手にキスをしてから恥ずかしさに叫んでいたなとユニは思い出す。

「だけどさぁ」

「はい?」

照れるのをいったんやめたグロウが、ベッドの上で胡坐をかいて真面目な顔を作り出した。
ユニもつられて姿勢を正したが、放たれた言葉は真面目であるのか怪しかった。

「俺って一応ルイセと付き合ってるつもりだけど……いいのか、他に二人も親しい子がいて」

「他って、レティシア姫のほかにまだ誰かいるんですか!?」

そんな人がまだいたのか叫んだユニであったが、グロウの指先はまっすぐユニへと向いていた。

「いや、だってユニも俺のこと好きだろ?」

「な、な……なんでそうなるんですか!!」

「なんでって解るだろ、キスされたら」

頬を無意味にかきながら呟いたグロウの台詞は、大いにユニを混乱させた。
真っ赤になったり青くなったり、面白いように顔色が変わり、あたふたと飛び回っている。
そして何故寝ていたはずのグロウがそれを知っているのか、当然のことに気が付いた。

「酷い、起きてたんですか。狸寝入りなんて」

「真昼間から一分も経たないうちにで寝られると思うか、普通。さすがにされたときはビックリして目を開けそうになったけどよ」

あまりの恥ずかしさにちょっと涙が出ているユニは、どうにかしてその事を忘れさせられないかと混乱しながら考えていた。
混乱しながら思考された考えは、容易にしてそのタガが外れてしまう。
これって三股になるのか、それとも本命がいるから問題ないのか一生懸命に考え込むグロウの耳にゴトリと重い物を持ち上げる声が聞こえた。
さらにはふと部屋の中に影ができたかと思い上を見上げると、どう見ても持ち上げられそうにない重そうな花瓶を持ち上げているユニがいた。
もちろんそれの落とし先はグロウの頭であろう。

「お願いですからもう一度記憶を失くしてください。このままじゃ恥ずかしくて一緒にいれません!」

「無茶を言うな、無茶を!」

勢いをプラスされて投げ落とされた花瓶は何とかキャッチしたが、それでも諦めずにユニは次なる投擲物を探そうと部屋を飛び回る。
ユニはすぐさまグロウに取り押さえられたが、それでも騒いで止まろうとしなかった。
泣きながら捕まえているグロウの手の指をかんだり、普段の温厚振りが信じられないほどである。
結局カレンが騒ぐ二人を叱りにくるまでユニの暴走は続き、その日はカレンの部屋で寝るという事で決着がついた。
もちろん、表向きには。

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