第四十八話 ウェーバーとガムラン


ランザックの国境で警備兵から気になる情報を手に入れてから通り抜けると、一番最初に見えてきた街はガラシールズという街であった。
大陸の南に位置するランザックはその気候が灼熱と言わないまでも暑い国であり、比較的乾いた大地が続いている。
そんな場所にあってもガラシールズには大量の湧き水が各所に見られるため、オアシスの街とも呼ばれることがある。
いくら先を急ぐ用事があるとはいえ休みもとらずに強行軍するわけにもいかず、カーマインたちは一度宿へと向かった。
それぞれが宿で取った部屋へと向かう中、一人部屋で休む気にもなれなかったカーマインはロビーにあった椅子に座り込んだ。

「なに? アンタ休まないつもり、疲れてるでしょ?」

「いや、それほどは……疲れてないよ。ティピこそ、休んできても良いんだよ」

「お目付け役のアタシが一人で休んでてどうすんのよ」

なにトンチンカンな事を言っているのだとティピが呆れると、つい先ほど部屋へと向かったはずのルイセがロビーにやってくる。
そしてカーマインが未だ部屋に向かっていなかった事に驚き、なぜか狼狽する。

「あれ、カーマインお兄ちゃん。まだ部屋に、え?」

「ちょっとね。ルイセ、もしよかったら」

何故慌てるのか少し首を傾げてからカーマインが何かを言おうとすると、声が割り込んできた。

「おいルイセ、さっさと行こうぜ。そんな所で……」

その声の主はグロウであり、ルイセの話し相手がカーマインだとわかると一気に不機嫌になった。
あれほどなかの良かった二人の間に奇妙な緊張感が走るが、すぐにグロウがカーマインを無視してルイセの背中を押し始める。

「ちょ、グロウお兄ちゃん」

「んだよ、デートしても良いって言ったのはお前だろ」

「言ったけど、それは!」

事情をカレンから聞いたうえであったのだが、本人を前に言えるわけもない。
さらにカーマインの前で言わなくてもとルイセは目で訴えてるが、グロウに伝わるはずもない。
だからグロウはルイセの意向を無視して、宿を出ていった。
ロビーに残されたカーマインは呆然と見送り、ティピもある意味唖然としていた。

「うっわー、変われば変わるもんだよね。あのグロウがねぇ……ん?」

ルイセがあまり気乗りしていなかったというか、気にしていたのはグロウに構われ過ぎてカーマインにどう思われているかという事だろう。
ほとんどみんな知っているが、ルイセがカーマインを兄としてではなく、一人の男として好きである。
そこでティピが気になったのは当の好かれているカーマインがどう思っているかである。
もちろん兄として以上に好かれていると気づいていないようだが……

(へこんでる?)

そっと覗き込むようにティピが見たカーマインは、へこんでいるのとはまた違っているように見えた。
どうも自分の気持ちをもてあましているような、もしかすると結構脈ありなのではと思う。

(でも、肝心のルイセちゃんがなぁ……間が悪いというか、なんというか)

完全に人事のようにやれやれと肩をすくめていると、今度はティピへとかけられる声があった。

「ティピ、それにカーマイン様まで? そのような所でなにをしているのですか?」

「あ、ユニ……それにカレンさんも。どっか行くの?」

「ええ、実はまだ言ってませんでしたけど、私は兄を探してこちらに来たんです。一人じゃ危ないからってグロウさんがついてきてくれたんですけれど」

「あ〜、グロウならさっきルイセちゃんと出かけちゃったわよ」

一応伝えては見たが、どうも最初から知っているようであった。
その時ユニがちょっと顔を曇らせるような事があったおかげで、ティピはそう言えばとユニの事も思い出していた。
そういう場合ではないのに複雑になってきちゃったわねと、思ってみる。

「一応気になる事もありますし、代わりに僕が付き合いますよ。バーンシュタインの兵が来ているとも国境の警備兵から聞きましたし、護衛ぐらいにはなりますよ」

「そうね、お願いできますか? 私も少し不安だったもので」

急にそう言い出したカーマインの言葉を素直に受け取り、カレンは頭を一度下げていた。
カーマインとカレンに、ティピとユニを加えて宿を出て行くと、すぐにローザリアとは違う鋭い日差しが四人を包み込んだ。
じっとしているだけでもジワリと汗をかいてしまいそうな日差しである。
だが湿度はそれほど高いというわけでもなく、地元の人らしき人たちは日差しを避けるように大き目の衣服で全身を包み込んでいた。
国が変わればやはり換わるものだと少し物見遊山を交えながら、ガラシールズの街を歩き、カレンが時折人々にゼノスの事を聞いて回る。

「ねえ、カレンさんっていつもこんな風にゼノスの事を探して回ってるの?」

なかなかゼノスの事を知っている人がおらず、聞きまわるよりも歩く方が多くなったころにふとティピがたずねた。
それも当然の疑問であり、いくら傭兵として名が売れているゼノスといえど何処にいるのかもわからない人間を探すのは一苦労である。

「いいえ、普段は兄の方からやってくるのを待つだけなんですけど、少し気になる手紙をもらったもので。これなんですけれど」

少し休むかと近くにあったお店の軒下へと日差しを避けるために立ち寄ると、カレンが一通の手紙を差し出してきた。
カーマインがそれを受け取って見ると、ティピも覗き込んできた。
手紙は急いでいるのか興奮していたのか、やや殴り書きのような感じで書かれていた。

「良い仕事を見つけた。金の事は心配するな。お前はお前の好きな事をしていればいい」

声に出して短い内容を読んでみたカーマインだが、特に気になるところなどなかった。
言ってみれば妹には好きに生きて欲しいという想いだけは伝わってくる気がするのだが、ティピの方を見てもカーマインと同じ事ぐらいしか感じなかったらしい。

「なんともゼノスらしい手紙としかわかんないけど」

「いえ、いつもの兄なら私に心配させまいとどんな仕事がちゃんと書くんです。だからまさか戦争に参加なんて事になってないか心配になって」

それでランザックへと探しにくるのも見当違いにも思えるが、それよりも戦争に参加というキーワードがカーマインの頭に引っかかった。

「「あっ!」」

どうやらティピも同様の事に気がついたようで、二人そろって声をあげた。

「忘れてた、つい二日程前に僕たちゼノスさんに会ってますよ」

「そうそう、しかも参加する気だったわよ。ただ、まだ始まってないから高く買ってくれないって渋ってたわ」

「そんな!」

本当に戦争に参加するつもりなのかと、カレンの顔が一気に青ざめていく。
唯一の救いは参加したくとも報酬が安いと渋っていた点のみである。
だが高くなりさえすれば参加するかもしれないという事でもあり、見事なほどにカレンが狼狽する。

「そ、そんな兄さんが戦争なんて」

まずい事言ってしまったかと、狼狽するカレンをなだめているカーマインだが一つ気になった点があった。

「あれ? カレンさん、この手紙消印が五日程前になってますけど……変じゃないですか?」

「そんなのがどうしたんですか?!」

「だって僕らがゼノスさんに会ったのは二日前で、仕事が見つかってって手紙が出されたのは五日よりも前。僕らがあったときにはまだ仕事を探してたんですよ?」

そこまで説明されて、ようやくカレンはズレに気づいた。
どう考えても日にちの計算が合わないのだ。

「もしやゼノス様は心配させまいと嘘の手紙を書いてよこしたのではありませんか? それならば仕事の内容が明記されていなかったのにも納得がいきますが」

段々とつじつまが合っていくことで、狼狽していたカレンは深くため息をついた。
それと同時に、単なる勘違いの連続でグロウやユニ、そしてカーマインを引っ張りまわしてしまった事に気づき、顔を真っ赤にして頭を下げてくる。

「す、すみません。私の早とちりみたいで。兄さんがからむといつもこうで、あ〜私の馬鹿」

「それぐらいで誰も攻めませんよ。それにカレンさんがこうしてランザックへ足を向けてくれなければ、僕らもグロウに会えませんでしたし」

「そうそう、怪我の功名みたいなもんよ。それに兄妹を心配するのは当然だよ」

最後のもう一度だけ謝罪するカレンをみんなで許し、それじゃあ帰ろうかと言う時に二人組みの兵士がカーマインたちの前を通り過ぎた。
これがランザックの兵士であるのならばなんら問題ではなかったが、それはバーンシュタイン兵であったのだ。
それも何かひどく慌てたように走り抜ける姿が印象的で、彼らは人通りの多い通りを避けて街の裏路地へと入っていった。

「バーンシュタイン兵でしたね。何をそんなに慌てていたんでしょうか?」

「あっやしぃ。追いかけようよ」

確かに二人の言うとおり気になったカーマインは、カレンに少しだけ付き合ってもらえるように頼み込んでから走り抜けていったバーンシュタイン兵を追いかけていった。





ひどく慌てた様子のバーンシュタイン兵は、ガラシールズの街からどんどんと人気のない場所へと向かっていた。
次第に追いかけるのが難しくなりかける中、完全に街中を離れたバーンシュタイン兵は岩が乱立する街外れの一軒家へと向かっているようであった。
いったいそこで何があるのか、慎重に追いかけていくと、やがて通り道にランザック兵が待ち構えていた。
そして二、三言バーンシュタイン兵と言葉を交わすと、何事もなかったように通してしまう。
その様子を近くの岩陰で見ていたカーマインたちは一斉に顔を見合わせた。

「見張りしてたんじゃなかったのかな?」

「いや、たぶん見張りだろうね」

ティピの疑問を即座にカーマインは否定すると、強い日差しの中でも一軒家への道をふさぐように立つランザック兵を見た。
気を抜いた様子を見せずじっとそうしているのは見張り以外の何物でもなかった。

「僕が一軒家に近づくのは無理だな。ティピ、それにユニあの一軒家で何があるのか見てきてくれないか? もしかすると、かなりまずい状況になってるかもしれない」

「わかったわ。しっかりこの目で見てきてあげるわ」

「カーマイン様とカレン様は、しばらく隠れていてください。では」

小さな二人は見張りのランザック兵に見つかることもなく、その向こうにある一軒家へと近づいていった。
街外れの、しかも岩が乱立するような悪条件の土地であるにもかかわらず、その一軒家は見事な屋敷であった。
家の周りは塀で囲まれこの枯れそうな土地に芝や垣根さえ生やされている。
さらには屋敷の周りを固めるように、幾人ものランザック兵たちが厳重な警備を敷いていた。

「ただ事ではありませんね。あのバーンシュタイン兵たちもここに入っていったようですし」

「見て、ユニ。屋根に煙突があるからそこから入ろうよ」

少々危険だが、外からでは様子さえのぞき見れないため、二人は迂回の連続を行いながら屋敷へと近づいていった。
そして慎重に高度を上げると、屋敷の煙突から中へと入っていった。
どうやら暖炉に続く煙突であるようだが、しばらく使われていないようでススはほとんどなく、あるといえばクモの巣程度であった。
それに引っかからないようにゆっくり降りていくと、渋い男の声が聞こえた。

「ウェーバー、それにしてもお互い年をとったものだな」

「世間話をしに来たわけではあるまい」

「硬い性格も昔のままか」

密会している割には、あまり友好的な雰囲気ではなさそうであった。
一人はニヤニヤと薄ら笑いを浮かべた金髪の男で、人の神経を平気で逆なでしそうな男であった。
もう一人は頑強な鎧に身を包んだ精悍な男で、向かいのテーブルに座る男に硬い性格といわれた男である。
どうやら部屋には、ほかに一人ずつ護衛がついているだけのようであった。

「では我らバーンシュタイン軍は数日後にはローランディア軍とラージン砦から東の平原でぶつかり合うことになるだろう。その隙にランザック軍が迷いの森を抜けてローランディア軍の後方から」

「作戦の説明など今更良い」

よほど目の前の男が気に食わないのか、鎧を着た男は長々とした話を早々に断ち切った。
両軍がぶつかり合う間どうするのだろうか、火のない暖炉からこそっと顔を出した二人は聞き逃さないように耳を澄ましていた。

「それでバーンシュタインとランザックとの挟撃作戦には賛同してくれるのか?」

「お前たちがランザックに攻め込まないという約束があるのならな」

それを聞いて二人は危うく叫びそうになってしまった。

「おいおい、俺とお前の仲じゃないか。昔の仲間を疑うのか?」

「何が俺とお前の仲だ。団長のいなくなった傭兵団のなかで仲間をおいてガムラン、お前は一人バーンシュタインへと仕官した。残された部下を養うために俺がどんな苦労をしたのか、わかるのか?」

「おいおい、確かに俺がバーンシュタインに仕官したのは本当だが、俺一人に責任を押し付けるのもどうかと思うぞ」

「ウォレスか……だが奴は!」

突然出てきたウォレスの名に、まさかと二人は隠れながら顔を見合わせた。
そう言えば先ほど鎧の男は傭兵団の団長がいなくなったと言っていた。
知り合いなのかと、二人のやり取りを見続ける。

「いや、今はそんなことを話す場ではない」

「そうだな。それで決心がついたのなら、この盟約書にサインを行い。それぞれが王に届ける」

「わかっている!」

憤りながらも、結局ウェーバーという男はそれにサインを行ってしまった。
どうもウォレスの方を目の前の男よりも買っていたようだが、そこに私情がはさまれることはなかった。
ティピとユニは、そのサインが終わるのを見届けてから、こっそりと煙突を上っていった。
煙突を出ると再び見張りの兵士に見つからないように、隠れていたカーマインとカレンの下へと戻り何を見たのか説明する。

「ウォレスさんの元傭兵仲間の二人か……急いで戻ろう。一度ウォレスさんに相談した方が良い」

すぐさま走り始めたカーマインを慌てて三人が追いかける。
必死についていこうとするが、スカートであるカレンはとてもついていける速さではなかった。
しかも石ころだらけと足場が悪く、何度も転びそうになっていた。
カーマインがそれに気づいて足を止めたころには、すでにガラシールズの人通りの多い場所にまで戻ってきてからだ。

「ちょっとカレンさんヘトヘトよ。急ぐのはわかるけど、カレンさんはどちらかというと関係ないんだから」

「あ、すみません。カレンさん」

「いえ、でもカーマインさんが慌てるのもわかりますから」

そういいながらも、カレンはひざに手を置いてうつむくようにして荒い息を整えていた。
さすがにそこまであせることはないかとカーマインがゆっくり歩き出したとき、後ろで小さな悲鳴が起きた。
疲れが足に来てカレンが石ころに躓いたのだ。
カーマインが振り向いたころには、すでにかなり体勢を崩していた。
おかげで吸い込まれるようにカレンがカーマインの胸の中に納まり、まるで二人が抱き合うような格好となってしまう。

「…………」

「…………」

ルイセとは違うより女性らしい体つきのカレンに抱きつかれ、カーマインは頭からすべてが吹き飛んだ。
反対にカレンの方は、抱きとめられたことにびっくりしながらも、ふと頭のなかで駆け抜けた記憶をポツリと呟いた。

「兄さん?」

その単語に本当にゼノスがいたのかと勘違いしたカーマインがカレンを引き離し立たせて、自分の背後へと振り向いた。
何を思ってカレンがそう呟いたのか、ゼノスはそこにはいなかった。
確かに、ゼノスは、いなかった。

「うわちゃー」

ただティピのやってしまったという言葉が示すように、グロウをつれたルイセがいた。

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