第四十七話 知らない奴ら


慌しかった休日が終わると、カーマインたちは新たなる任務を受ける為に王宮へと呼ばれていた。
もうこれで四度目ともなる任務の拝領に、カーマインやルイセにもやや慣れた感じが見受けられはじめていた。
片膝をついて頭を垂れ、焦れた様子も見せずにじっと王からの任務の説明を待っている。

「では、新たなる任務を授ける。親書をここへ」

アルカディウス王が傍に控えていた文官の一人に視線をよこすと、その文官が一通の親書をアルカディウス王へと差し出した。
親書の表面に書かれた文字を確認すると、アルカディウス王は説明を始めた。

「お前たちには南のランザック王国へとこの親書を届けてもらいたい」

「親書をですか?」

「しかもなんでそんな所にお手紙なんか……」

「あ、馬鹿」

これまでの任務とはまた血色の違う内容に、ついルイセは面を上げて呟いてしまっていた。
それに釣られるようにティピが任務を軽んじた発言をしてしまい、慌てて捕まえると背後に隠して苦笑いを始める。
その様子をみて少し心配になったのか、アルカディウス王が重そうに口を開いた。

「知っての通りこの大陸には我がローランディアと、バーンシュタイン王国、そしてランザック王国の三国がある。現在我が国とバーンシュタインが戦争となったが、今のところランザック王国は静観している」

「味方に引き込めないまでも、介入されない約束が欲しいっと言う事ですね?」

不安になった王を安心させるように、解っているとばかりにカーマインが言われるより先に答えた。

「つまりその親書は、不可侵条約のための物」

「うむ、その通りだ。バーンシュタイン王国に対してさえ手間取りそうな状況で、ランザックにまで介入され、二面戦争に発展してしまえばとても勝ち目は無い」

「ならばこの任務急いだ方がよろしいかと。すでにバーンシュタイン側もランザックへと内通しようとしている可能性もあります」

弱りきったアルカディウス王の発言に対し、ならば尚の事とウォレスが先を促した。
ある程度考えを持って動けると思い不安を払拭したアルカディウス王が、親書を再び文官に手渡してカーマインへと渡させる。
さらに文官からカーマインへともう一つ渡されたものがあった。
それは以前コムスプリングスへと向かう時に魔術学院から借りた通行許可証と似ているプレートであった。

「それはランザック王国への国境を越える通行許可証だ。特別な警備が敷かれていない以上はそれでランザックの王都まで行けるはずだ」

そう言ってはいるが、アルカディウス王自身そう単純に事は進まないだろうと知っている様子である。
だが先にもアルカディウス王が言ったとおり、ランザックの介入はローランディアの存亡にも関わってくる。

「ご安心ください。必ずやこの親書を無事ランザックへと届けてみせます」

「うむ、期待しているぞ」

しり込みすら許されない任務を前に、カーマインは真っ直ぐ王を見据えて頷いた。
その力強い瞳にこの所不安ばかりを抱いていたあるかディス王は、少しだけだが救われた様な気がした。
やがて立ち上がり謁見の間を出て行くカーマインたちの背には、アルカディウス王だけでなく、控えていた文官や宮廷魔術師たちの期待の視線が何時までも注がれていた。





ローランディアからランザックへと向かうには、闘技大会のあったグランシルから南へ下らなければならない。
グランシルの街を南から出てすぐにある橋を渡りしばらく進むと、視界一杯に広がる森が見えてくる。
迷いの森と呼ばれるその森は、一歩踏み込めば昼間ですら太陽の光が微かにしか届かないほどに鬱蒼と木々が茂っている。
だが磁場が狂っていたりするわけでもないので、地図さえあれば人が迷う事は稀であった。
ランザックへの親書を託されたカーマイン達は、今その迷いの森の中を歩いていた。

「うぅ……暗いよぉ」

「だらしないなぁ、ルイセちゃんは。暗いって言っても夜ほどじゃないでしょ?」

「だって……」

カーマインの服の裾をギュッと掴んで話さないルイセに、やれやれと嘆息しながらティピが指摘する。
裾を掴まれているカーマインは歩きにくいと思いながらも、安心させるように頭を二、三度撫で付けた。
普段と全く変わらなさ過ぎるその行動に、大丈夫かとウォレスが尋ねた。

「まあ大丈夫だと思うが、ティピも含めて三人とも、今回の任務の重要性は理解しているよな?」

「大丈夫ですよ、ウォレスさん。ルイセもティピもちゃんと理解してます。それにガチガチに緊張しすぎてヘマやるよりは、この方が良いですよ」

「念の為に聞いただけだ」

やけに落ち着きすぎているカーマインにそう言われては、ウォレスもそれ以上何かを言う気にはなれなかった。
相変わらず暗い森に怯えるルイセと、それをからかうティピの声を聞きながら森を進んでいく。
ようやく森の暗さに目が慣れだし、安心すると共にルイセがカーマインの服の裾を手放した時、森の獣道を外れた場所から茂みを掻き分ける音が聞こえた。
迷いの森に住み着いている魔物の類か、一気に緊張感を高めて各々が武器を構える。

「おっ、道が見えてきたぞ。これで正規のルートに戻れそうだ」

「も〜……今度こそ、本当ですか?」

「これでその台詞は何度目の事でしょうか。最初から近道などしなければこんな目には……」

聞こえてきた人の声に、カーマインが心配は無いようだと片手で武器を下げるように二人に伝えた。
どうやら言葉尻から近道に失敗した人たちのようである。

「仮にも迷いの森と呼ばれる場所で、無謀な奴らがいたもんだ」

ウォレスが呆れた声で言うが、その後直ぐに何かに引っかかったように首をかしげ始めていた。
それはカーマインやルイセ、ティピも同様であり、この三つの声に聞き覚えがあるような気がしたのだ。
茂みを掻き分ける音と、小さな悲鳴や文句の声がどんどん迫ってくる。
そして目の前の大きな枝を男の手が押し上げた時、その三人がカーマインたちの前に顔を出した。

「グ……」

「嘘ッ!」

一番最初に顔を出した相手を指差しながら、カーマインとティピが言葉を失った。
何がどうなればこんな場所で出会う事が出来るのか、茂みの奥から出てきた三人もカーマインたちに気付いた。
お互いの視線がぶつかり合った瞬間、ルイセが走り出して飛びついた。

「グロウお兄ちゃん!」

「うぉ……な、なんだ?!」

抱きつかれたグロウの方は何がなんだか解っていないようであった。
だがユニやカレンはまだ、落ち着いていたようだ。

「ルイセ様? それにカーマイン様にウォレス様まで、どうしてこのような場所に……」

「ちょっとユニ、なんでアタシの名前が抜けてんのよ。それより、無事ならなんでテレパシーで連絡ぐらい入れないのよ!」

「お久しぶりです、カーマインさん。お元気でしたか?」

「いや……元気じゃなかったのはグロウの方で」

反対にカーマインたちには状況がこれっぽっちも理解できず戸惑うばかりである。
一体何処から状況を整理すればよいのか、ウォレスでさえも何も言えずにいると、突然ルイセが悲鳴を上げた。
今度は何だと皆が見ると、グロウに抱きしめられていたルイセが顔を真っ赤にしてジタバタもがいていた。

「お……おし」

何かを訴えたいが、訴える事すら恥ずかしいようでしきりに「おし」を繰り返している。

「しまった、ルイセ様。グロウ様から離れてください!」

「離れたいけど、グロウお兄ちゃんが離してくれないの!」

ユニが訴えた言葉も謎であるが、ジタバタするルイセをグロウが思いのほか強く抱きしめているようで、離れられないでいるらしい。
するとグロウがルイセを抱きしめたままユニやカレンの方に振り向いて、冷静ながら信じられないように呟いてきた。

「なんか急に見知らぬ女の子が抱きついてきたぞ。しかも結構可愛いから、思わず色々さわってみた」

真顔での呟きに誰もが一瞬あっけにとられ、ルイセはグロウの触ると言う行為と可愛いという言葉にジタバタするのも忘れて顔を真っ赤にして俯いている。

「一体何をしているんですか、すぐに離してあげて下さい!」

「嫌だ、コイツの方から抱きついてきたんだ。それに感触が気に入ったからもっと抱きしめるぞ」

「我侭言わないでください!」

「ちょっとグロウ、いいかげんに」

さすがにルイセが可哀想で、カーマインがグロウへと手を伸ばそうとした時、グロウの雰囲気が一変した。
射抜くような視線でカーマインを睨みつけ、その視線と放ちだした雰囲気が触れるなと言っている。
そして次に放たれた言葉が、グロウの人となりが変わってしまった事を決定付けた。

「なんだ、てめぇ。気安く人の名前呼んでんじゃねえよ」

「グロウ……お兄ちゃん?」

つい先ほどまで顔を真っ赤にしていたルイセも、グロウの変化を不審に思って抱きしめられながらその顔を見上げた。

「おい、これは一体誰なんだ? 一体何があったんだ?」

唯一最後まで冷静に努められたウォレスが、事情を知っていそうなユニに尋ねた。
そのユニは一度カレンの方を見て、了承の頷きを貰ってから皆に伝えた。

「実は……記憶喪失なんです。グロウ様は」

その直後、ユニの言葉を反芻するように、四つの声が記憶喪失と言う単語を揃えて叫んだ。





とりあえず冷静になる時間と、話合うのに安全な場所を求めて合流した合計七人は場所を変えた。
一旦森を抜けると休憩も兼ねて、少し広まった平野にある大きな岩の前で円陣を組んで腰を下ろす。
ルイセとグロウは離れさせて座らせたが、そうでもしなければグロウはずっとルイセにちょっかいをかけ続けていた。
記憶をなくしてここまで変わるものなのか、そもそもどうして記憶をなくしてしまったのか、皆の視線がユニに集まる。

「何処から話すべきと言うか、私自身もほとんど解っていないんです。バーンシュタインでレティシア姫が護送された日、私とグロウ様は軟禁部屋から何者かにさらわれたのです。そこから何も覚えていなくて……」

そう言ってユニが見たのはグロウではなく、カレンであった。
確かゼノスの話ではラシェルで看護婦をしているはずが、なぜ迷いの森になどいたのか。

「私が二人に会ったのはラシェルの病院でです。ある日急に二人が病院に運び込まれました。身元の証明するものがありませんでしたが、私が顔見知りだったので担当になったのです。それでお二人が目を覚ましたとき、ユニちゃんはともかくグロウさんはすでに記憶をなくしていました」

つまり、グロウは言うまでもなく、ユニやカレンも何があったのか何も知らないと言う事である。
病院に運び込まれてから二人が眠り続けていたのは数日の間。
グロウの記憶に弊害が出たのと同様に、ユニの方もすこしテレパシーの調子がおかしくなったらしい。
それで二日ほど前に手紙を出したらしいが、どうやら入れ違いになったようだ。

「それも変な話ね、私とユニが一瞬だけ繋がったのはコムスプリングスだと思ったんだけど……」

妙ねえとティピが首をかしげるなか、これまで興味なさそうにしていたグロウが少し体を前に乗り出してきた。
どうしたんだろうと皆の視線が集まると、何度目になるのか当然の事を聞きなおしてきた。

「記憶をなくした経緯なんてどうでもいいが、ルイセは俺の妹なんだな?」

「何度も言った通り、その通りです!」

いい加減嫌になったユニが叫ぶように言うと、グロウが肩を激しく落として溜息をついた。

「なんだよ……折角可愛い彼女ゲットかと思ったのによぉ」

「グロウ様!」

「ま〜ま〜、ユニは押さえて。それにしても、本当に記憶失くしてるのね。こんな事前は死んでも言わなさそうだったのに。あっ、言っておくけどルイセちゃんは義理の妹よ」

付け加え忘れていたとばかりにティピが言うと、グロウの豹変ぶりは凄まじかった。
すぐに立ち上がると、座っているルイセの傍まで駆け寄って後ろから持たれかかる様に抱きついた。

「なら何の問題もねえな。ルイセ、俺と付き合え」

「へっ? え、えーーーーーーッ!」

「なに驚いてんだよ。お前彼氏でもいんのか?」

「それは…………いない、けど」

しどろもどろに呟いてから向けた視線の先には、グロウの付き合え宣言に目を丸くしているカーマインがいた。
驚くだけで必死に止めるわけでもなく、静観するその姿にくすんと心でルイセが泣いている。
だがそんな細かなルイセの心情に気付いたのは第三者であるカレンやユニばかり。
結局いないと言う言葉を全面的に信じたグロウが、ルイセを立たせるとランザック方面へと手を引いて歩いて行ってしまう。

「え、グロウお兄ちゃんひっぱらないで」

「あ、ちょっと勝手に、待ちなさいよ!」

慌ててティピを先頭にしてあとを追おうとするが、その足をカレンとユニが立ちふさがるようにして止めた。
だがそれは先へ行かさないと言う意味ではなく、話を聞いてくれと言う意味であった。

「あのグロウ様が記憶を失くされ戸惑ってらっしゃると思いますが、これだけは知っておいて下さい。今一番戸惑っているのはグロウ様だということです」

「どういうことだ?」

あれで戸惑っているといわれてもピンと来るものが無く、ウォレスが聞き返した。

「記憶喪失の一番怖い所は忘れた事よりも、忘れた事で自己を確立できない所にあります。常に自分は何者なのかと問い続けて、心にかかる負担は計り知れません。だからグロウさんがすがれるモノを見つけた場合、この場合はルイセさんかもしれませんが……そっとさせてあげてください」

カレンと一緒にユニが皆の足を止めて今の説明を聞かせたということは、ユニ自身がそれを知っていたということである。
だから皆は説明を聞くと同時に、ユニがルイセに付き合えと言ったグロウを怒っても止めようとしなかった理由を理解できた。
本当は嫌だけど、でもグロウの事を考えるのなら……そんなユニをいじらしいなと言う視線が幾つも飛んでいる。

「でもさ、本当に心に負担がかかってるのかしら。アタシには軟派な性格に変わっちゃったようにしか見えないけれど」

「それは本当です。最近グロウ様は夜も満足に寝られていないようですから」

「私も今回のラシェルの外出を許された時に、グロウさんの為にと精神安定剤をたくさんお医者様から貰ってきています」

ユニだけでなく、カレンからもそういった事実を突きつけられては信じるしかなかった。

「ならなおさら二人だけで先にいかせるわけにも行くまい。お前ら、追うぞ」

ウォレスの言葉に皆が一斉に頷き、立ち上がって二人を追いかけ始めた。
その先陣を切っていたティピが急に立ち止まると、遅れていた一人に注意を呼びかける。
出遅れたのはカーマインであった。

「なにやってるのよ。急いだ、急いだ」

「ああ、うん。解ってるよ」

答えながら言いようも無いモヤモヤを胸に感じたまま、カーマインは走り出した。

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