レティシア姫救出の報がラージン砦内を駆け抜けてから数時間、今その本人と救出に尽力した者、そしてブロンソン将軍がとある一室に集まっていた。 そこはブロンソン将軍の執務室ではなく、他全てを退室させた医務室であった。 何故そのような場所で集まったのかと言うと、意識がようやく戻ったサンドラの容態にまだ不安があったからだ。 だが何時までも先延ばしに出来るはずもなく、一度話し合わなくてはと皆が集まったのだ。 「これで、全員だな。姫、まずは無事の生還について祝いの言葉を述べさせていただきます」 一番最初に切り出して頭を下げてきたブロンソン将軍にレティシアは静かに首をふる。 「祝いの言葉は要りません。サンドラ様……救出時と砦の前であのような言葉を言いましたが、バーンシュタインから我が身を助けれくれた事に感謝はしています。ありがとうございました」 「いえ、もったいないお言葉です」 そこで言葉が途切れ、室内がシンと静まり返っていった。 次に切り出すべき言葉は皆がわかりきっていたが、誰もがそれを口にしたくはなかったのだ。 今目の前にある現実を認めなければいけないからだ。 グロウの安全を優先してバーンシュタインに残る事を決意したレティシア姫。 レティシアを救出する事を優先したサンドラとウォレス。 どの選択肢も突然の現実の前に選ぶ事の出来なかったカーマインとルイセ。 各々下した決断は違えど、グロウの無事を祈るそれぞれの思いは同じである。 「このまま、黙っているわけには行かないでしょう。グロウ君を送り出したのは私である以上、それなりの行動は起させてもらいます。現在バーンシュタインに潜入中の者にグロウ君の事を調べさせています」 そうは言っても、ブロンソン将軍が何も言わなかったのであれば吉報がない事は歴然であった。 だがそこで落ち込む前に、レティシアが決意を込めて言った。 「私もこのままグロウさんの無事を祈るだけではありません。今回の事で私も学ぶべき事がありました。事の発端が王族や、貴族であるならば、その責任も王族や貴族が取るべきであると。私は城へ戻り次第、戦争の回避策を講じたいと思います」 「お二人とも、我が子の為にありがとうございます。本当に」 「お母さん、本気でそう思ってる?」 静かに流れる大人のやり取りに割って入ったのはルイセであった。 いつもは幼さを隠しきれないはずのその声が、今は逆に望まない大人の声へとなっていた。 「だってあのまま戻ってれば、少なくともグロウお兄ちゃんは無事だったんだよね。レティシア姫だって、監獄に入れられちゃったかもしれないけれど殺されちゃうわけじゃななかった!」 「姫の前でなんと言うことを」 「ルイセ、それは……」 ブロンソン将軍の憤をみてサンドラがなだめようとするが、ルイセは言葉を止めなかった。 「わかんないよ。レティシア姫はお友達だし、無事でいて欲しい。でもどうしてそのためにグロウお兄ちゃんが危ない目をみなきゃいけないの? カーマインお兄ちゃんもそう思うよね!」 怒りで我を忘れながらも、ルイセはカーマインもあの時に迷った事を忘れてはいなかった。 それ故にカーマインも自分と同じ考えであり、賛同してくれる物だとばかり思っていた。 だがカーマインはルイセに見つめられて、そのまま眼をそらしてしまう。 「カーマインお兄ちゃん?」 「ルイセ、僕は……母さんの行動が間違ってたとは思わない。けど」 確かにカーマインはあの時にレティシア姫の監獄行きとグロウの安全を天秤にかけて迷った。 だが今冷静に考えてみれば、必ずしも相手の言い分に従ったとしてグロウの安全が約束されるとは限らない事は理解できていた。 ジュリアンを疑うわけではないが、例えインペリアル・ナイトとはいえ、個人の意見が何処まで国に対して許されるであろうか。 そうは思っても、カーマインはウォレスやサンドラほどは割り切れてもいなかった。 今だ答えを求めて見つけられていないカーマインには、ルイセに答える言葉を持っていなかった。 「カーマインお兄ちゃんまで……もう、いい! もう皆なんて知らないんだから!」 「あ、ルイセちゃん!」 今のルイセにカーマインの葛藤が見抜けるはずもなく、勝手にサンドラと同じ意見なのだと決め付けて部屋を飛び出して行ってしまった。 その後をすぐにティピが追いかけていく。 「待ってくれ、ルイセ!」 「待つのはカーマインさんの方です」 続いてすぐに追いかけようとしたカーマインだが、立ちふさがったレティシアによってその足をとめられてしまう。 立ちふさがったという行為よりも、カーマインはレティシアのその眼によって止められていた。 迷いを持ったカーマインには決して出す事の出来ない眼の光である。 サンドラによって連れてこられたつい数時間前までには、レティシアにもなかった強さであった。 「今の貴方が駆けつけて、一体何を言ってあげられると言うのですか? 私がルイセさんと話します。それでは失礼します」 確かに今の自分が追って何を言ってあげることが出来るのか。 寸分たがわぬレティシアの指摘を前に、カーマインは何一つ言い返せず、レティシアはルイセを追って行ってしまった。 それに何もレティシアの言葉や行動に驚いているのはカーマインだけではなかった。 得に幼少の頃からレティシアを知るブロンソン将軍やサンドラは、彼女の変わり様に驚いていた。 レティシアは確かに王族として、特に対人関係においてその人の裏をよんだり、警戒する事になれていた。 なのに今見せた彼女の姿はそれとはかけ離れた、王宮の中だけでは決して身につかぬものであった。 「だが、高い授業料になってしまったか」 つい口を滑らせたブロンソン将軍がハッと口に手を当てる。 だがサンドラも見当はついていたようで、何も言わなかった。 「母さん、ブロンソン将軍……それにウォレスさん。一つ聞いていいですか?」 「なんだ?」 突然のカーマインの言葉に、三人とも黙っていたため、ウォレスが代表で答えた。 「強いってなんですか?」 あまりにも抽象的だが、何を聞きたいかはしっかりと理解する事ができた。 なのにサンドラたち三人の誰もがカーマインに答えず、先の言葉を待った。 「僕はいつも強くなりたいって思ってた。強くなりさえすれば、全てが守れると思った。そのために努力してきたつもりだし、少しずつだけど強くなってきたと思う。だけど、今回何も出来なかった」 震える手で顔を押さえるように掴んだカーマインが呟く。 明らかなのは、カーマインが今まで固めてきた足元が揺らいでいると言う事であった。 だが揺らぐカーマインに対して、支えるのではなく突き放す事を選んだのはブロンソン将軍であった。 静かな怒りを込めて言葉を放つ。 「甘えるのもいい加減にしたまえ」 「甘え?」 オウム返しに問い返したカーマインに、ブロンソン将軍はしっかりと頷いた。 「そうだ。私から見れば君のような考えは甘えでしかない。何処の世界に全てを守れる者がいる? 君はこの世に善と悪、二つしかないと思っているのかね? それは違う。バーンシュタインから見れば、戴冠式に王に斬りかかられ、我々が悪であろう。だが我々にしても、一人の過ちで言いなりになることなど出来ない。それでも相手が向かってくるならば、相手を悪とするしかない」 「それは僕の言っている事とは違います。僕が言いたいのは」 「では聞こう。君は全てと言ったが、現在戦争を行おうとしているローランディアとバーンシュタイン、君はローランディアに属しながらどうバーンシュタインの者を守るのだ? ローランディアを裏切るのか? だがそれではローランディアの者は守れはしない」 何も答えられずに立ち尽くすカーマインに見切りを付けるように、ブロンソン将軍は医務室のドアへと足を向けた。 「君には期待していたのだが……まあ、ここまでなのならそれもいいだろう。サンドラ殿、明日には姫をローザリアまで頼めますか?」 「ええ、宝玉が効力を失った今私には無理ですが……最悪徒歩で向かいます」 「ウォレス君、君もよろしく頼むよ」 「はっ、お任せください」 結局カーマインには何も頼むことなくブロンソン将軍は部屋を出て行ってしまった。 それからどれ程の時間が経っても立ち尽くしたままのカーマインを見て、サンドラがウォレスを見上げた。 このままでは本当にカーマインはつぶれかねない。 サンドラやウォレスはもちろんの事、先ほど出て行ったブロンソン将軍とてそれは望む所ではない。 「カーマイン、お前が常日頃強くありたいと思っているのは俺も知っている。だが今のお前は一つ思い違いをしている。強さとは力ではない」 「強さとは力ではない……でも力がなければ、いや力があっても」 「そうだ。確かに力で守れるものもあれば、そうでないものもある。ならば強さとは何か、それを一番良く知っているのはグロウだ」 思っても見ないところから上がった名前に、カーマインは驚きを見せつつ、どこか納得していた。 確かに自分は常日頃知らず知らずにグロウを基準に、強くなりたいと良く思っていたからだ。 「グロウは自分にできる事の限界を良く知っている。だから自分が守るべきものを限定し、それだけを守り抜く。だが守るべきもの以外を全て見捨てているわけでもない。例え力及ばずとも、手を伸ばそうと努力する。その心の持ちよう、覚悟がアイツの強さだ」 「カーマイン、誰しも己の力量以上の事はできません。だから皆が己のできる範囲で後悔なき道を選ぼうとするのですよ。強さを求めるのに必要なもの、それは心です」 ウォレスに続いてサンドラまでも諭すような言葉を放ったが、カーマインはゆっくりと首を横に振っていた。 「でも……それは理屈だ。僕には、まだわからない」 確かに大切なのは心なのかもしれないが、カーマインにはその答えに至るまでの道のりが理屈であると思えて仕方がなかった。 だからこそ否定の言葉と行動を示したのだが、反対にサンドラは微笑かけて着ていた。 「それでいいのです。大切なのは、心。貴方の心が私とウォレスの言葉を否定したのなら、それが貴方の心なのです。慌てて心を決める必要はありません。それに私たちの心がグロウを見捨てる事を選択したわけでもありません」 「それは最初から解ってたよ。でも僕の心はまだ定まらないから、時間が欲しい」 そう言ったカーマインの顔からは、幾分迷いが薄れており、医務室をそっと出て行った。 医務室に残されたのは、ウォレスとサンドラだけ。 ウォレスは相変わらず疲れを見せずに立っていたが、サンドラはカーマインが出て行った直後にぐったりと体の力を抜いて、今にも倒れこみそうな雰囲気であった。 「サンドラ様!」 慌ててサンドラを支えようとしたウォレスだが、それはサンドラの方から手で止められた。 「心配はありません…………大切なものは心とは自分でもよく言ったものです。私の心は、グロウを選んでいたと言うのに」 サンドラが握り締めたシーツに、水滴が落ちる。 「ですがあの場面ではグロウを救い出せる可能性は」 「解っています。解っているけれども、それでも私はグロウを選ばなければいけなかった。宮廷魔術師としてではなく、母親として。こんな事を貴方に言っても困らせるだけですよね」 「サンドラ様、今はお休みください。これ以上の無理は体に毒です」 ウォレスはゆっくりとサンドラの体をベッドに横たえさせると、そばに椅子を引き寄せて座り込んだ。 そのまま何も言わず、言わせず、サンドラが涙を止めて寝息を立てるまで傍で座っていた。 それからウォレスが傍に寄せた椅子を立ったのは、すでに夜も更けた頃であった。 「もう、朝か……」 あの後医務室を出て、兵舎の一室に向かったカーマインがベッドで眠る事はなかった。 椅子に腰掛けて膝の上にクレイモアを乗せると、そのままの格好で一晩中考え込んでいたのだ。 それはもちろん、グロウと強さについてであった。 どう楽観視してもグロウが無事などと言う考えは浮んでこない。 少なくともジュリアンは、何かしらの手を打ってくれるかも知れないが、当てに出来るほどでもない。 結局わかった事と言えば、自分の心がグロウを助けたいと願っている、その一点だけであった。 「でも、それは結局皆同じ考えなんだ。誰だって身近な人は大切だし、守りたい。だから僕は今の状況から降りちゃ駄目なんだ。思い上がりだって良い。戦争を一刻でも早く終わらせる」 相手の言いなりにならない為でもなく、相手を打ち負かすためでもない。 戦争を長く続けないためにも、終わらせる立場にならなければならない。 「僕の心がそう、決めた」 胸に手を当ててから呟くと、カーマインはようやく膝に置いたままのクレイモアをどけて立ち上がる。 するとまるで見計らったかのようなタイミングで部屋のドアがノックされた。 「カーマインお兄ちゃん、もう起きてる?」 「起きてるよ、おはようルイセ。それにティピも」 「ありゃ? アンタにしちゃ〜、早起きだったわね。てっきりなかなか寝付けず寝ぼけ眼かと思ってたんだけど」 昨晩はルイセの傍に居たティピが少し開いたドアから部屋理入り込み、すぐに悪態をついた。 本当は一睡もしていないのだが、どうやらクマのようなものは顔に現れていないようだ。 少しその事に安心していると、ルイセが扉を中途半端に開けたまま入ってこない事に気付く。 「ルイセ?」 「うん……あのね、昨日あれから少しレティシア姫とお話したの。やっぱりお母さんやウォレスさんの行動が理解しきれない所もあるけど、アレが間違ってたとは思えなくなったの」 「僕だって気持ちは同じだよ。でも過ぎた事はどうしようもないよ」 「だったら一緒にお母さんやウォレスさんに謝ってくれる?」 「いいよ、僕も色々話したからね。一緒に謝ってあげるよ」 ようやくドアから半分顔を出しながら言ったルイセに苦笑し、構わないと伝えてやる。 すると今まで隠れていたルイセが急に元気を取り戻して部屋に入ってきて、カーマインに抱きついた。 それは良いのだが、さすがに一睡もしていないカーマインに急に抱き疲れるのはきつかったようだ。 そのまま抱きつかれた勢いで倒れこんで、つい先ほどまで座っていた椅子の角にカーマインが頭をぶつけた。 「…………ツッ〜」 「あ〜ぁ、朝から何やってんだか」 「あぅ、ごめんなさい。大丈夫、カーマインお兄ちゃん?」 しばらく声も出なかったカーマインだが、次第に引いていった痛みを抑えて、ルイセを体の上からどかせてから立ち上がる。 その顔は少しだけだ怒っているようにも見え、ルイセが恐る恐る見上げていた。 「元気になったのは良いけど、気をつけてよ。それじゃあ、皆の所に行こうか。レティシア姫の護衛も途中だし、テレポートいけるよね?」 確認しながらルイセへと差し出された手のひら。 それにしがみ付きながらルイセは元気良く答えた。 「うん、もちろん!」
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