第四十二話 それぞれの決断


「来た、来たよ。すっごい数の兵隊が」

「ティピ、あとどれぐらいだ?」

「えっとね、先頭の人たちが通るのが十分後。鉄張りの馬車が見えたけど、多分それにレティシア姫がいて、それは二十分後かな」

バーンシュタインの兵士達が通るであろう時刻間も無くとなり、空へと飛び上がって遠くを見張っていたティピが降りてくる。
ウォレスは大体ではあるが到達予測時間を聞き、それぞれの顔を見た。
すでに何度も作戦は打ち合わせてあり、あとはレティシアが乗った馬車がこの陸の孤島を通るのを待つばかりである。
それぞれがグッと手に持つ武器に力を入れる中、サンドラが言った。

「カーマイン、それにルイセ。作戦の前に一つだけ言っておきます」

「なにお母さん?」

「まだ何か打ち合わせたい事でも残ってた?」

まだ事前に確認したい事でもあるのだろうかと二人はまっすぐサンドラに見つめ返してきた。

「今回、何があっても立ち止まってはいけません。例えどんな現実を突きつけられても、決して立ち止まってはいけません。それだけ、心に刻んでおきなさい」

酷く抽象的な言葉は、二人を困惑させる事しかできなかった。
ただ、自分達の母が何かを決断した事だけは理解する事ができ、二人はコクリと頷いた。

「あ、ほら来たよ」

「馬鹿、隠れろ」

大人数の隊列が織り成す足音が、一定のリズムを刻みながら届いた。
隠れている岩から身を乗り出そうとしたティピをウォレスが引っ込めさせて、息を潜める。
そのままただ目標が通るまでの間を四人は待った。
だが集団の歩みとは事の外遅く、さらに隠れるという行為によって後ろめたさを感じさせられた。
まるで寒さに震えるようにギュッと身を縮こまらせるルイセを前に、カーマインはそっと頭を撫でてやる。

「ルイセ、落ち着いて。大丈夫、僕らならできる」

「うん」

「ちょっと待って、アレ……ジュリアン?」

ルイセを落ち着けようとした傍から、ティピが聞き覚えのある人物の名を呼んだ。
誰もがエッと声を上げてしまいそうなのを呑み込んで、ティピが指差した方を見た。
兵士たちの中に一際異彩を放つ艶やかな衣装、以前あったことのあるアーネスト・ライエルというインペリアル・ナイトが着ていた軍服と似た服装であった。
ジュリアンがそれを着ていた。

「理由はどうあれ、ジュリアンはまずいな。最悪アイツだけは橋を渡りきってからでないと」

「それは問題ないようです。彼の位置は護送車から離れています」

そのジュリアンが敵という現実を前に揺るがぬウォレスとサンドラを、カーマインとルイセが戸惑いながら見ていた。
本当はそれ以上の現実が待ち受けているのだが、二人にとっては今目の前にしているジュリアンの方が驚くべき現実であった。
今はまだその時ではないが、いつかお互いに剣を向け合う日が来るのかと、カーマインは通り過ぎるジュリアンを見送る。

「ビックリした。ジュリアンってばインペリアル・ナイトになれたのかな?」

「ティピ、今は考えるべき事では有りません。来ましたよ、護送の馬車です」

ジュリアンが二つ目の橋を渡り終えた頃、それはやってきた。
通常の馬車を鉄板で強化させ、さらにそれを引く馬でさえ、戦場の馬のように鎧を被せられている。
間違いなく、レティシア姫がいるであろう護送車であった。

「まだ早いな。カーマイン、合図はお前に任せる。仕掛け損じるな」

「解りました。合図をしたらウォレスさんと母さんはバーンシュタイン側、東の橋を、ルイセは僕と一緒に西側の橋を叩くよ」

「うん」

お互い二組となって、隠れている岩陰の両端ににじり寄る。
飛び出すタイミングが速ければ、馬車が反転してしまうし、遅ければ橋の上へと乗り、渡られてしまう。
タイミングとしては、行くか退くかを迷わせる場所。
護送車が陸の孤島の中央に着た時。
その時が近づくにつれ、カーマインの足がジワジワと岩陰から出ようとしていた。

「三……二…………今だ。行くよ、みんな!」

「ルイセ、行きますよ」

「お母さんこそ、せーの」

「「ファイヤーボールッ!」」

カーマインとウォレスが隠れていた岩の両端から同時に飛び出した。
そして護送中の兵士達が何者だと身構えた瞬間、護送車の近くに二つのファイヤーボールが着弾した。
炎の爆撃に大勢の兵士がなぎ倒される中、必死に馬車の護衛に回る兵士達もいた。
だが彼らが迎えうとうとしたカーマインとウォレスは、馬車になど目もくれずにある地点へと向かって走っていた。

「敵襲、馬車を守れ。近づけッ!」

兵士の一人が護衛を出すが、またしても着弾したファイヤーボールによってその声は掻き消された。
基本的に隊列を整えられた兵士は、号令がない以上各自で考えて動くしかない。
そうした場合に隊列が乱れるのは必死であった。

「敵襲だと、まさか……カーマイン?! 隊列を乱すな、護送車を中心に円陣を組め!」

叫びながら走り戻ろうとするジュリアンだが、進軍と護送のために集めた兵が多すぎた。
人数が多ければ、それだけ命令の伝達が遅く、行動も遅い。
だが例えそうであっても、この人数差では時間との勝負になる。
なのにカーマインとウォレスが検討違いの場所へとひたすらに走っている姿を見て、ようやくジュリアンはその策を知った。
覚えがあったと言っても良い。

「橋に近づけさせるな。奴らは橋を落とす気だ!」

ジュリアンは精一杯の声で叫んだが、その意味を一瞬で悟れる味方が誰もいなかった。
それもそのはずで、誰もテレポートなどと言う高等な呪文を扱える人間がいる事を想像すら出来なかったからだ。
だから自らの退路を断つ橋を落とすという行為に意味を見出せなかった。
何もかもが後手に回ってしまい、ジュリアンはせめて自分がと橋に足をかけたが、遅かった。
丁度向かい側の橋に、クレイモアを掲げたカーマインが居たのだ。

「ジュリアン、レティシア姫は返してもらう!」

「クッ!」

察したとおりカーマインのクレイモアが、橋を支えていたロープを切り裂き、支えを失った木材が深い大地の割れ目へと落ちていく。
その直ぐ後に、ファーヤーボールの爆音の中、反対側からも木材が落ちていく音が聞こえた。

「だが、まだ我々の兵士の数の方が圧倒的に多い。冷静に対処しろ、相手は高々四人だ」

相変わらず動揺を続けている兵士達にジュリアンは叫んだが、なにもただ続々と打ち込まれるファイヤーボールに戸惑っていたわけではなかった。
橋が落ちた事でルイセとサンドラは、それぞれカーマインとウォレスに合流し始め、ファイヤーボールの嵐は収まっている。
なにも動揺しているのは彼らだけではなかった。
奇襲を仕掛け、迅速に行動しなければならないカーマインたちにも少なからず動揺は見えた。
それはどうやったのか、護送車のドアを開けてレティシア姫が逃げ出すそぶりも見せずに、まるでそこが自分の王宮であるかのように胸を張って歩いていたからだ。

「姫、お怪我をしないうちに馬車にお戻りください。無駄な希望は抱かぬ事です」

「私は、逃げ出すつもりなど欠片もありません」

ほうって置く訳にも行かず一人の兵士が声を掛けるが、レティシアは何ものも恐れずにそこで立ち止まる。
いつでも捕らえられるように、身構えているバーンシュタイン兵の気配を感じながら、カーマインたちを見てレティシアは言い放った。

「私は今はローランディアに戻るわけには行きません」

「そんな、どう言う事ですか!」

聞き返してくるカーマインに、事情を言う事も出来ずレティシアは壊れた橋の向こうにいるジュリアンを見た。

「ジュリアン様、私はこのまま逃げるつもりなど毛頭ありません。ですから此度の事は水に流し、彼らが逃げ戻る事をお許しいただきたいのです」

さすがのジュリアンもそのレティシアの言葉には戸惑いを隠せなかった。
誰もがレティシアの言葉の真意を悟れぬ中、隙をついて動く者たちがいた。

「ウォレス、姫様を頼みます。風よ、わが敵をすべてなぎ払え、トルネード!」

動いたのはサンドラとウォレスであった。
巨大な竜巻が全てを呑み込もうとする中、叫ぶレティシアへとウォレスが唖然とするバーンシュタイン兵を斬り倒しながら駆け寄っていく。

「お止めください、サンドラ様。ウォレスさんも、私は戻るわけにはいかないのです。今私が戻れば、グロウさんが!」

「グロウ? そう言えば、グロウは?」

「私が戻ればグロウさんの命がないんです!」

トルネードの織り成す轟音の中でも、レティシア姫のその言葉はしっかりとカーマインたちへと届いていた。
すでにここが敵の真っ只中という事さえ忘れさせ、ただ呆然とさせられてしまう。

「グロウお兄ちゃんが……嘘、だって! レティシア姫と一緒だって!」

「そうよ、アタシも一緒だってユニから……き、聞いたんだから!」

ルイセとティピ同様に、認めたくないのはカーマインも同じであり、本来なら必死で敵と切り結ぶウォレスへと加勢すべき状況で、その足が止まってしまっていた。

「カーマイン、何をしている!」

「ウォレス、この子たちに構う必要はありません。次が最後のチャンスです。姫を頼みます」

最初のファーやーボールにより相手が手負いの兵士ばかりとはいえ、ウォレス一人ではレティシア姫に近づく事すら出来なかった。
せめてそこにカーマインが加わればという所であるが、レティシア姫の言葉に戦意を喪失してしまっている。
それはルイセも同じであり、動揺した心では肝心のテレポートが成功するかさえ危うい。
だからこそサンドラは最後の手として持ってきていたものを懐から取り出して手に納めた。

「出来れば使いたくありませんでしたが、そうも言っていられません。大地よ、わが声に耳を傾け目覚めよ。アースクエイク!」

直後、サンドラの手にしていた宝玉が光を放ち、大地が大きく揺れた。
例え宮廷魔術師であろうと、おいそれと使えない大地震を引き起こす大魔法。
突如の揺れのなかで動けたのは、事前にそれを知らされていたウォレスだけであった。
バーンシュタイン兵たちがよろめいた一瞬の隙をついて、最低限の人数だけを押しのけ斬り倒す。
そして掴んだのは、倒れこんでいたレティシア姫の手である。

「姫、今しばらくこの揺れは続きます。今のうちに」

「嫌です。私は!」

「御免」

掴まれた腕を振り払おうとするレティシアの首に手刀をいれてを気絶させると、荷物のように姫を抱えて揺れる大地の上を走った。
向かう先はもちろん、今も必死に魔力を制御しているサンドラの下へである。
しだいに大地の揺れは収まり始め、バーンシュタイン兵たちが動きを取り戻すのに時間はかからない。

「カーマイン、ルイセ。もっと私のそばへ。飛びますよ」

「だってお母さん!」

「くっ……ルイセ、来るんだ!」

未だにためらいを見せるルイセの手を引いて、カーマインも走った。
だが今のような乱れた精神状態では到底ルイセにテレポートが唱えられるはずもない事は解っていた。
一体どうするつもりなのか、走り寄ってくるカーマインへと心配無用とばかりにサンドラが微笑んだ。
ウォレス、カーマインの二人と合流したサンドラが、制御するべき魔力の流れを変えて唱えた。

「テレポート!」

光がサンドラを中心にカーマインたちを包み込み、そして消えた。





サンドラが生み出したテレポートによる光が弾けた次の瞬間、カーマインは見覚えのある場所に立っていた。
足元にある石畳の橋に、岸壁を利用して造られた砦、その巨大な門。

「やはり……アレを使ってもまだ。私には、この距離が……限界のようですね」

息も絶え絶えに呟いて見上げたサンドラの視線の先には、ラージン砦があった。
いきなりサンドラがテレポートを使った事に言葉を失っているカーマインたちであるが、もっと驚いている者がいた。
それは門の前で番をしていた門番であろう。
いきなり目の前で光がはじけたと思ったら、バーンシュタインにいるはずの姫をつれた一行が現れたのだ。

「ひ、姫様……開門、開門! ブロンソン将軍にお伝えしろ、姫様が戻られた!」

すぐさま門の向こうへと叫び知らせ、レティシアへと駆け寄ろうとするが、その足は一歩目にして止まってしまう。
それはウォレスの腕の中にいるレティシアが気を失っているように見えたからだ。
心配そうにレティシアの顔を覗き込む皆の前でゆっくりと目を開けたかと思うと、今自分がいる場所を認識してすぐに叫びだした。

「どうして……どうして私を連れ帰ったのですか、サンドラ様! 私は戻りたくなど、グロウ様を犠牲にしてまで戻りたくなどありませんでしたのに!」

まだ気絶させられたダメージが残っているのかサンドラに掴みかかる事はなかったが、レティシアの叫びが本心である事は間違いなかった。
彼女は護送車を降りて直ぐにそう言っていたし、ジュリアンに襲撃をなかった事にするようにも頼み込んでいた。
本当にグロウの事を思っていたのだとサンドラはありがたく思いつつも、侘びを述べようとする。
だがその言葉が全て述べられる事はなかった。

「我が息子のためのお言葉、本当にありがたく。同時に申し訳……ありま…………せ」

「いかん、サンドラ様!」

ついに耐え切れずにサンドラは膝をついて、そのままうつ伏せになって倒れこんでしまったからだ。
その前にウォレスが支えたが、それまでサンドラが握っていたらしき宝玉のような物がその手から零れ落ちた。
宝玉が何であるか誰にもわからなかったが、石の置くにわずかに光る光源が消えたように見えた。

「お母さん! お母さん、しっかりして!」

「そういえば母さん、アースクエイクとテレポートなんて大魔法使えるはずないのに。もしかして、これが原因なのか?!」

サンドラの手から零れ落ちた宝玉を手にしてカーマインが尋ねるがサンドラの意識が危うい中、誰にも答えられない。
それに討論すべきはそこではないと、うろたえるカーマインたちを差し置いてウォレスが門番へと叫んだ。

「おい、どこか休める部屋と医者を用意してくれ。この方は宮廷魔術師のサンドラ様だ」

「わ、わかった。開門を急げ」

徐々にしか開いていかない扉に対して叫んだ門番は、やっと通り抜けられる程の隙間が出来ると砦の中へと走っていった。
このままこの場所で医者を待つわけにも行かず、ウォレスはサンドラを抱きかかえた。
もうすでにほとんど意識はないのか、抱きかかえられた拍子に体からずり落ちたサンドラの手が力なく垂れている。

「容態はわからんが、一刻を争うかもしれん。話は後だ、行くぞ!」

珍しいウォレスの狼狽ぶりに、カーマインとルイセ、そしてレティシアも今現在にすべき事を見つける事ができた。
もうすでに、ローランディアの領地へと逃げ帰ってきてしまったのだ。
今更バーンシュタインへと戻る事こそが愚の骨頂であり、過ぎた事を言っても何にもならない。

「レティシア姫、とりあえずは中へ。ウォレスさんは母さんをそのままお願いします。ルイセは走りながら出いいから母さんにキュアを」

今だけは全てを忘れて、カーマインたちはラージン砦へと入っていった。

目次