第四十一話 究極の選択


真剣な眼差しで頼み込むレティシアを前にして、話があると呼び出されていたジュリアンは深く溜息をついた。
そして溜息と共に一度閉じた眼を再び開けたときには、やや侮蔑の混じった視線へと変化していた。
必死に隠そうと試みようとはしたが、隠しきれずにやや棘のある声が出てしまう。

「お話は承りましたが、了承はできません。理解してください。貴方は今バーンシュタインに捕らえられているのです。この軟禁という状態でさえ甘いという話とてあるのです」

「それは重々承知の上です。ですが私はもう二度と、グロウさんと離れ離れになりたくはないのです」

そう言って、レティシア姫は簡易ベッドの上で昏々と眠り続けるグロウの手を愛おし気にとる。
ジュリアンからグロウへと移した視線は熱っぽく潤み、単身敵地へと乗り込んできた人への恋を語っていた。
だがやはり、ジュリアンから同情を買うには弱かったようだ。
その眼が箱入りで世間知らずを見る眼である事に変わりは見えなかった。

「なんと言われましても、明日ガルアオス監獄には貴方一人を護送します。グロウに関しては、悪いようにするつもりはありませんからご安心を」

「ですが」

「それでは、明日は長時間の移動になりますのでもうお休みください」

食い下がろうとするレティシアを無視して、ジュリアンは背中を向けた。

「それでは、お休みなさいませ」

「ジュリアン様!」

レティシアが名前を叫んでも、ジュリアンの足は露ほども鈍ることなく、部屋の外へと扉を開けて出て行った。
扉がしまりガシャンと厳重な鍵が掛かる音が鳴りジュリアンの足音が遠ざかった後、それまで大人しくしていたユニとレティシアが顔を見合わせた。
お互いにやはり駄目だったと、眼で語り合う。
そしてレティシアは握り占めていたグロウの手を、そっとベッドに戻してから言った。

「すっかり世間知らずなお姫様に見られてしまったようですわね」

「そのような演技を取らせてしまった事はすみません。ですがそうでもしないと、ジュリアン様に明日の作戦のことが知られてしまいますから」

「ですが結局、私が護送されてもグロウさんと貴方はここに。ジュリアン様の言葉を信じるならば、酷い目には合わないとは思いますが」

「私とグロウ様なら……今はレティシア姫の御身の無事が最優先です」

自分達が取り残される事自体はさほどユニは問題としていなかった。
本当の問題はカーマイン達の襲撃時の事であった。
数時間まえに一度ティピと連絡を取ったのはいいが、肝心な事がいくつか教えられずに連絡が途切れてしまったのだ。
おそらくグロウが破った城を守る結界の修復が終わったせいであろうが、肝心なことが伝えられなかったのだ。
一つはジュリアンがインペリアル・ナイトとして護送の指揮を執ることと、グロウの状況である。
前者は襲撃前に動揺を誘うであろうし、後者は緻密な作戦が練られないことである。

「せめてグロウ様の意識がなくとも、ご一緒できれば安全にはなると思ったのですが」

「あれから声一つあげられませんものね」

相変わらずと言っても、まだ一日しかたっていないが、グロウは眠り続けていた。
それだけであの光の翼がどれだけグロウの体に負担を与えていたかは、容易に想像できる。

「兎に角、グロウ様が動けない以上すべてはカーマイン様にかかっています。レティシア姫はただ覚悟を決めて置いてください」

「それだけでよろしいのですか?」

「襲撃の混乱の中で下手に抵抗すれば何をされるか解ったものではありません。できるだけ抵抗は最小限におさえてください」

ユニにはその程度しか、レティシア姫に伝えられることがなかった。
この部屋に地図でもあれば、ある程度襲撃ポイントが絞られるのだが、そんなものを与えられる程甘くなかった。
その夜、淡々とユニから不測の事態に対する行動だけをレティシアは聞かされ続けた。





翌日にはレティシア姫が軟禁されていたバーンシュタイン王城の部屋の近くに、護送用の大部隊が用意されていた。
すこし大げさではと思える大部隊ではあるが、もしかするとローランディアへの進軍が主であり、レティシア姫の護送はついでであったのかもしれない。
自分をエスコートするジュリアンに聞いて答えてもらえるとも思えずに、レティシアは促されるままに護送の馬車へと歩みを進めた。
時折立ち止まって振り返り見上げたのは、自分が軟禁されていた部屋の窓である。
眼を凝らさなければ見えないが、小さなユニが窓に手をついて心配そうにレティシアの方を見ていた。
レティシアは心配しないでと軽く手を振ると、やや遅れた足を速めた。

「ジュリアン様、グロウさんの事は」

「それはかならず約束します。私自身、まだ彼とつけなければいけない決着もありますから」

やや冷たい言い方であったのは、昨晩の演技の影響であろう。
あまり好ましく思われていないようだが、レティシアは気にせず、ただジュリアンの言葉を信じた。

「こちらが護送車となっております。通常の馬車より少し居心地は悪いですが、ご容赦ください」

それは鉄の馬車であった。
実際には骨格を木で作り上げた者に鉄板を貼り付けたものなのであろうが、外見上は鉄の馬車であった。
見るからに冷たく重い。
これから自分が送られる場所を、嫌でも再認識させられた。

「一度外から閉めると、決して中からは開かない構造になっています。緊急の場合には業者に一言お願いします。さすがに声までも外に逃がさないというわけではありませんので」

そう言いながらジュリアンが鍵を外して護送車の扉を開いた。
ガラガラと音を立てて扉を開いた護送車に、ドレスのスカートをたくし上げて上りあがる。

「それでは、不自由をおかけしますがお待ちください」

「ご苦労様です」

護送車の中は、普通の馬車とは違い座席は進行方向に向いた座席が一つだけであった。
座席に座ると、再びジュリアンの手によって閉じられた護送車の扉。
狭い護送車の中で、レティシアはまた一人になってしまった事がこれから送られる場所よりも怖かった。
グロウが、ユニが現れた事でどれだけ自分が救われた事か、その二人の安否が自分と同じぐらい心配でもあった。

「どうか、ご無事で」

両手を握り合わせやや頭を下げて、お互いの無事を祈る。

「それは貴方次第ですよ。姫様」

誰の声であったろうか。
たしかに護送車に乗り込んだ時は他に誰もいなかったはずであった。
恐る恐る伏せていた顔を上げたレティシアの目の前に、その男はいた。
真っ白な嫌な笑みを浮かべた仮面を被り、深い闇色に似た色の服を纏った男が一人、レティシアの対面に立っていた。

「何時の間に、貴方は。何時から……」

「私は最初から居ましたよ。見たとおり、影に生きる者ですので、他者が無意識に知覚できなくなる魔法を使いましたがね」

この状況は酷く予想外であり、レティシアの祈る為にあわせた両手が震えていた。
だが下手に弱みなど見せるわけには行かないと、危険を訴えて叫ぶ心臓を押さえつけて言い放った。

「では何の用なのですか? できれば、一人にしておいて欲しいのですが」

「どうやら姫君は不機嫌のようですね」

精一杯の気概を見せたレティシアの台詞も、相手におどけさせるぐらいしかできなかった。

「では、用件だけ。逃げようなどと思わない事です。貴方の大切な人を危険にさらしたくなければ」

「それは一体どういうことなのです?!」

「貴方はローランディアに対する人質のようなものです。では貴方を安全に護送するには、誰を人質にとればよいでしょうか?」

それは言うまでもなく、今もあの軟禁部屋で深い眠りについているグロウをおいて他には居なかった。
相手が得たいの知れない男だと頭ではわかっていても、かっとなったレティシアは立ち上がりながら叫んでいた。

「ですがジュリアン様は!」

「そのような口約束、我々のような影には関係有りません。よくよくお考えください」

それではと最後を締めくくると、自らを影と言った者の姿が護送車の中の景色に滲むように消えていった。
それが影の言った魔法の力であるのだろうが、そんな事はよりも人質という言葉。
襲撃が悟られたのか、単に予想されたのか。
どちらにせよ、レティシアは予期せぬ形でユニの言っていた決断を迫られていた。





レティシアを護衛する部隊と、護衛者が動き出した頃、時を同じくして動き出した者たちがいた。
それは自らを影と言った者と同じ格好で統一されたものたちであった。
つい一時間ほど前までレティシアがいた軟禁部屋へと、鍵を開けて素早く侵入していった。
この軟禁部屋には監視のための兵士がいたはずが、この者たちを咎めようとするどころか、その姿さえない。
当然彼らが鍵を開けたときの音はグロウを看病していたユニも気付いたが、どうして侵入者などを予想できるものか。
開いた扉へと振り向ききる前に、捕まれ捕獲されてしまう。

「何者……その姿は?!」

ユニが驚いたのは突然捕まれたことよりも、その姿にであった。
見覚えがあるのだ。
以前サンドラの魔導書を奪い去ろうとした者と同じ、白い仮面と闇色の服。

「何故貴方達が、見張りの人たちをどうしたのですか!」

「この状況で気の強いものだ。コイツはどうする?」

片手で握られながらも強く聞き返したユニを見て、捕まえた者が薄く笑い仲間に尋ねる。

「連れて行く手はずだ。姿はどうであれ、どんな情報を持っているかわからないからな。ガムラン様がそう仰っていた」

そう言って聞かれた男は、寝ているグロウへと掛けられた布団を剥ぎ、重い荷物を運ぶかのように肩へと担ぎ上げた。
敵同士とはいえ仮にも病人相手に無造作すぎるその扱い、それ以上にグロウへのぞんざいな扱いにユニが胸の憤りを叫ぼうとする。

「グロウ様をどうするつもりですか! その手を」

「少し黙っていろ」

騒ごうとしたユニの体に痺れる衝撃が走り、気絶させてしまうと、二人は頷きあってから部屋を去っていく。
その間十分と経っておらず、彼らが去った後には、軟禁部屋の入り口に二つの死体が転がっていた。
血を流して倒れているのは見張りであったはずの兵士達。
そして、軟禁状態であるグロウが見張りの兵士を殺害して逃走したという報は瞬く間にバーンシュタインの城の中を駆け抜けた。





更に同時刻、カーマイン達はすでに襲撃ポイントにやっとの事でたどり着いていた。
だが他の村や街から離れているとはいえ一応はバーンシュタインの領土である。
短い時間でそこへたどり着くために、ラージン砦から東にある渓谷に一本のロープを渡して、高低差を利用してフックを掛けたロープをすべり渡ると言う方法を使ったのだ。
もちろんそれはローザリア側の方が高度が高いからこそ使えた手でもある。
渓谷を渡った後、一度ガルアオス監獄の前を通り、襲撃ポイントへとたどり着いたのである。
そして地図ではわからない地形を確認した後、東西にある二つの橋へと平等に近くかつ隠れやすい岩の陰で、二つの組に分けて見張りと休息を行っていた。

「さすがにこの歳であんな方法を実践するとは思いませんでした。研究ばかりとはいえ、少し運動不足でしたね」

だが思ったよりも体力がなくなっていたサンドラは見張りと言うよりも、単に岩に背を預けて息を整え休んでいるだけであった。
その代わりにウォレスがその感覚を研ぎ澄まして見張りに集中していた。

「魔法使いとしては普通です。それに先回りと地形の確認のために急ぎましたから。ルイセだけでなく、カーマインまでもが熟睡しているのが良い証拠です」

「フォローはありがたく受け取っておくけれど、衰えもなくはないのよね」

ようやく整ってきた息を静かにさせると、サンドラはウォレスでは気付きにくい魔力の流れを監視しだした。
ウォレスの聴覚での監視とあわせれば、いかに静かに行動しようと監視の眼を欺く事はできない。
と言っても、丁度今が護送車の出発予定である正午であり、護送の軍が通るのはまだしばらく後である事は解っていた。
だからウォレスはルイセやカーマインが寝入り、時間のある今切り出した。

「サンドラ様、一つお聞きしてもよろしいですか? 確かに今回は人手不足でしたが、今回に限って自らこの場に来る事にしたのですか?」

ルイセとカーマインの前では必死に隠そうとしていたが、さすがに今はそうは行かなかったらしい。
直ぐ傍で眠るルイセの頭に手を伸ばし、柔らかな髪を撫で付けながら言った。

「ティピとユニのテレパシーは私の頭を通して行われます。その時にグロウも姫と一緒に軟禁されていると聞いて不思議に思いました。どう考えても敵国の姫を助けに来た者を一緒に監禁するのは妙です。何時姫を連れ出そうと試みるかわかりませんもの」

「確かにグロウが大人しくしているとも考えにくい。大人しくしているしかない状況に追い込まれていると考えた方が自然ですね」

「私もそう思い、少し占ってみました」

その道具は、グロウとカーマインを占ったあのカードであった。
それを懐から取り出したサンドラは、確認するようにまだ絵柄が残っているカードを捲った。

「離れ離れになった双子の天使。離れた天使は翼をもがれ、深き場所へと閉じ込められる」

ウォレスにサンドラが捲っているカードの絵柄は見えなかったが、意味を解釈されなくてもその言葉だけで十分であった。
翼をもがれというのは、身動きがどれないという意味なのか、問題はその後であった。
ティピが言うにはユニが軟禁と表現したらしい。
であるならば深き場所などと怪しげな場所であるはずがなく、表現が一致しない。

「おそらく姫の護送車にグロウはいません。あまり考えたくありませんが、姫に対する人質にされている可能性すらあります」

本当に考えたくないと唇を噛むサンドラに対し、ウォレスは慰めの言葉が見つからなかった。
宮廷魔術師という立場を考えれば、サンドラがレティシアの救出を行う事は当然である。
なのにその当然の行い、姫の救出を行えば息子の命が危ういかもしれない。
辛い選択しか見つからない状況ではあったが、サンドラはなにも絶望ばかりを見つめていたわけではなかった。
占った時のカードの最後の一枚、その意味に全てをかけて。

(深き場所へと閉じ込められた天使。その天使のもとへと舞い降りる大天使。大天使とは誰?)

らしくもなく奇跡を頼り、サンドラは今この場にいた。

(誰でも良い、どうかグロウを。私の子が助かる奇跡を)

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