第三十九話 捕らわれの姫君


バーンシュタイン王城には、中から外に出れないように特殊な造りを施された一室があった。
その檻のような部屋は、同時に最高級の客室でもあった。
天蓋つきのベッドに、滑らかな彩色を施されたティーセットをのせたテーブル、そこかしこに最高級という言葉が似合う品々が置かれている。
出入りは不自由なものの、入り口のドアを叩けばすぐに召使いの人たちが駆けつけてくれるはずである。
自国の貴族がしでかした行いを考えれば、この待遇は破格のものであろう事は解っていた。
解ってはいたが、その部屋を与えられたレティシア姫は、不安げに頑丈な窓に手を添えて深い闇の空を見上げた。

「あれから二日、何も知らされず、知ることを許されず。ただ、待つのみ……お父様」

初めて自国を出るという興奮は長くは続かず、段々と自国が恋しくなっていくさなかにそれは起こった。
バーンシュタイン王が即位する戴冠式、それさえ終わればまたあの護衛の者達との楽しいひと時の後、自国へ戻れるはずであった。
なのに、たった一人の過ちが全てを狂わせた。
事もあろうに、グレッグ卿が戴冠式の最中にリシャール王に斬りかかったのだ。
それから先は騒動の中何も出来なかった。
パニックに陥る戴冠式の会場の中で、インペリアル・ナイトの一人に手を取られて避難をさせられた。
この部屋に。

「間違いなく、バーンシュタインは報復に出るはずです。今の私にできる事と言えば、与えられたこの部屋で、与えられた食事をとる。あとは祈るだけ」

父の、国の民の無事を、そして自分の無事を祈る。
戦争中の敵国の王族がどうなるのか、戦争のせの字も知らないレティシアにも容易に想像はついた。
騎士の国だけあって即刻斬首はないであろうが、今のこの部屋は……それまでの単なるつなぎである。
いつの間にか組み合わせた両の手のひらが、汗ばみ、震えていた。

「怖い……お父様、お母様」

一番安心できる二人の顔を思い出しても、震えは、恐怖は止まらなかった。
止まるはずが無い、今その二人は自分の傍にいないのだから。
祈れば祈るほど、父と母を呼べば呼ぶほど、胸を押しつぶすような恐怖が膨れ上がり、レティシアの目じりに光るものが浮かぶ。
その時、夜の蚊帳が降りた空に浮かぶ星々の間を流れる光が見えた。
流れ星だと思う前に、レティシアはお願いをしていた。

「誰か、助けてください。誰か……」

目を閉じ、一心不乱に呟く。
そのためにレティシアには流れ星が、いつまでも流れ続けている事に気付かなかった。
どれ程の長い間レティシアが祈っていたのか、薄目を開けたレティシアの目に光が映り小さく弾けた後、バーンシュタインの王城が揺れた。
レティシアが地震かと思うよりも前に、今度はこの部屋の外に光の塊がぶつかり壁が崩れ落ちる。

「あ…………」

大きな音と揺れに驚いたレティシアはペタンと尻餅をついてしまい、崩れ落ちる瓦礫のなかに人影を見つけた。
大きな光の翼を持った人影を。
ほとんど翼が放つ光が逆行となり、レティシアからその人影の顔は見ることが出来なかった。
だが、声だけは別であった。

「よぉ、助けにきてやったぞ」

忘れるはずも無いその声は、グロウであった。
たった数日であるが、言葉をかわし、体をはって守ってくれたグロウであった。
恐怖がなりを潜め、安堵が胸いっぱいに広がり、嗚咽とともにレティシアは涙を流していた。

「グロウさん、私……私」

「泣くな。抱きしめる以外に慰め方を知らねえし、今はそれができねえんだよ。だから、ユニ。後は頼んだぞ」

崩れた壁の瓦礫の上に立っていたグロウの体から光の翼が消え、グラリと体が揺れた。
そのまま倒れる直前に、その懐から小さなユニが飛び出す。

「グロウ様! レティシア姫、お願いです。手を貸してください」

飛び出して直ぐに駆け寄ったユニの前で倒れるグロウは、ボロボロであった。
顔はすすの様な物で黒く陰り、衣服は焼け落ち、その下の肌が焼け爛れている場所さえあった。
ただ無茶をしたことだけははっきりと理解でき、レティシアは涙をぬぐって駆け寄った。

「ユニちゃん、一体なにが。とりあえず、ベッドに寝かせれば。お医者さまを」

「また翼が、ジュリアン様を助けようとして。そうですよね、お医者ですね」

レティシアが倒れたグロウに近寄ろうと、混乱する者が増えただけであったかもしれない。
意識のないグロウの体をひ弱なレティシアが運べるはずもないし、ユニはここが何処であるのか忘れていた。
言われるままにここが何処の国なのか忘れたまま医者を呼ぼうとドアにまで飛んでく。
だがユニがドアにたどり着いて直ぐに、そのドアは向こう側から開けられた。

「緊急と言う事で、ノックもせずに入り込んだ無礼をお許しいただきたい。そして出来るなら説明を請いたいのですが……必要ないようですね」

ドアを開けた人物は、レティシア姫はもちろんの事、ユニにも見覚えがあった。
忘れるはずが無い、生まれて初めて出会ったインペリアル・ナイトであるのだから。

「そこで倒れている男の顔は見えないが、お前のような珍しい生き物は忘れがたい。あの時レティシア姫を護衛していた男についていた奴だな。助けにきたのはいいが、王城の結界を破って力尽きたか。さて、聞きたいことがある」

銀髪の髪を持つインペリアル・ナイトのアーネスト・ライエルは双剣の一振りを抜いて、その切っ先を小さなユニの額に突きつけた。

「グロウ様は力尽きてなんかいません。こちらに落ち度があるのならば謝罪いたします。ですからお医者様を呼んでください!」

「言葉は通じているが、理解してもらえていないようだな。質問をするのは私だ。そして答えろ、他にも姫の救出に仲間が入り込んでいるのか?」

「仲間なんていません。お城の結界だって、ただグロウ様とレティシア姫の間にあったから破っただけなんです。翼が強すぎて、グロウ様はただ無我夢中だっただけなんです!」

かすかに額に触れる切っ先に恐怖する事よりも、ユニはこのままグロウが死んでしまうかも知れない事に恐怖していた。
だが相手が悪かった。
か弱く小さなユニの見せた気概に、アーネスト・ライエルが気圧されるはずも無い。

「理解したくないのなら構わないが、あえて言おう。女性に力を振るう事は忌むべき事だが、敵ならば別だ」

ほんの数ミリにも満たない距離を切っ先がすすみ、ユニの額に僅かに埋もれた。
普通のものがそうしたのなら、剣の重みに負けて、そのままユニの頭蓋を割った事だろう。
普通でない相手と理解していても、僅かにユニの口が悲鳴を上げる形をとっていた。

「君は私の敵だろう?」

その言葉に過剰に反応した者がいた。
パシッと空気が弾け、光が生まれる。
初めは小さくだが段々とその者の背中に光が集まり始め、模るのは翼。

「まだ生きて。なんだ、この魔力は……グローシアンか」

「誰だ……」

翼が再び生まれたグロウの声と共に、倒れ伏したままで手が動いた。

「誰だ……ユニを傷つけたのは」

ゆっくりとだが立ち上がり始めたグロウの瞳には、ほとんんど光が見えなかった。
そのまま駆け寄ろうとしたレティシアを覗き込み、違うとばかりに視線を変える。

「俺の敵は…………」

ゆっくりと数少ない部屋内の人間を探し、グロウの目に一人の男がとまった。
ユニに剣を突きつけているアーネスト・ライエルであった。

「グロウさん、動いては!」

「お前かッ!!」

インペリアル・ナイトに無意識のまま向かおうとするグロウを止めようとレティシアが手を伸ばしたが、かする事すらなかった。
光の翼が爆発するようにグロウの背中を押し、無手のままアーネスト・ライエルへと向かっていく。
その姿をしっかりと視認して、理解できていたのはアーネスト・ライエルだけであっただろう。
ユニから剣を離すと、向かってくるグロウを見据えて構えた。
斬り捨てる為に。

「グロウ様、やめてください!」

だが必死の思いでユニが立ちふさがった事で、両者が交わる事は無かった。
拳を振り上げた格好のままグロウが立ち止まり、やがてその翼が消えると同時に倒れこんでしまう。
そして振り返りアーネスト・ラーエルを見上げたユニは、再度願った。

「お願いです。お医者様を呼んでください。私が知っていることであれば何でもお話いたしますから」

「ユニちゃん……ライエル様、私からもどうかお願いします。この方を、グロウさんを助けてください」

二人の必死の願いが届いたのか、アーネスト・ライエルはその剣を鞘に収めた。

「レティシア姫に頼まれては、むげに断るわけにもいかないか。その言葉に嘘偽りはないと誓うならば、医者を呼んでやろう」

「誓います。グロウ様が助かるのなら、いくらでも誓います!」

終始冷静に努めていたアーネスト・ライエルだが、医者を呼ぶように部屋の外から覗き見をしていた召使いたちに命じた時、自らの頬に流れる一滴の汗に気付いた。
上気したときに出来る熱い汗ではなく、冷たい汗であった。
その事に気付いて、倒れているグロウを見たときに、それが体を張ってレティシア姫を護衛していた男だと気付いた。

「私に汗をかかせる事が出来る者がいるとはな。オスカーか陛下ぐらいなものだと思っていたが」





明らかに疲れていると言う様を見せながら、ユニは王城の廊下を二人の兵士に監視されながら飛んでいた。
たった今、アーネスト・ライエルを相手に質疑応答をしていたのだが、それの疲れること。
ただでさえ自分の言葉が半分は夢物語の様であり、聞いているアーネスト・ライエルは無反応にも近いのだ。

「そりゃ、信じられませんよね。グロウ様がただの一般人で、レティシア姫を助けたいから空を飛んできたなんて」

「おい、あまり無駄口を叩くな」

「あ、はい。すみません」

素直に謝られて逆に驚いている兵士を前に、ユニはあの時の事を思い出していた。
あの光の翼がグロウの背中に発現した時から、グロウはすでに意識が無くなっていた。
だが渓谷の一番深い場所から急上昇したグロウは、高くジュリアンや隊長が見上げるぐらいに高く飛び上がった。
そして誰もが戦闘を忘れてグロウを見上げる中、グロウはとある方向へと一直線に飛んだ。
それがバーンシュタインの王城であった。

(それにしてもあの翼の光……前はわからなかったけど、あれはグローシュ。光の翼ではなくて、グローシュの翼)

以前にサンドラがグローシアンと間違え、今回もまたアーネスト・ライエルがグロウの事をグローシアンかと言っていた。
だが肝心の魔力はグロウ自身ではなく、翼の方から感じていたものなのだ。

(グロウ様にはたぶん、すごく大きな秘密がある)

だがどんな秘密かまでは考えて解るほど、解っていることもなく行き詰まる。
それでも、新たに用意されたレティシア姫の軟禁部屋に丁度辿りついたのだから区切りは良かった。

「それではご苦労様でした。レティシア姫、ただいま戻りました」

またしても礼儀正しくペコリと頭を下げられた事に面食らった兵士二人の前で、開けられたドアにユニが滑り込んでいった。
グロウが壁を壊した部屋は使い物にならず、新たにレティシア姫とけが人であるグロウの為に用意された部屋である。
グロウが寝かされている簡易ベッド以外は、以前の部屋と遜色はなかった。

「おかえりなさいユニちゃん。心配は無いと思いますが、なにもされませんでしたか?」

「はい、ライエル様の質疑応答には少し疲れましたけど。それでグロウ様はどうでしょうか?」

ユニから返された言葉に、レティシアはゆっくりと首を横に振っていた。
その事でまだなのかと沈み込もうとするユニを肩に誘い、レティシアはグロウの寝る簡易ベッドの横に置いた椅子に腰を下ろす。

「まだ、寝言一つもらしません。お医者様のお話では、火傷よりも体の衰弱の方が問題だそうですが、ユニちゃんは心辺りがありますか?」

「たぶん、あの翼のせいだとは思うのですが、あれが何なのかグロウ様自信もご存じなくて」

「そうですか……」

そこで会話が途切れ、二人の間に沈黙が降りた。
昨晩医者に見てもらった結果、グロウは衰弱からくる昏睡状態にあると告げられた。
目の前で爆発したファイヤーボールによる火傷よりも、衰弱の方が酷いと言われたほどであった。
そこもまた、解らない事の一つであった。
以前は古代の毒により蝕まれたグロウを守る為に開いた翼は、その進行を押さえ込んだ。
なのに今回は逆に、グロウの体を蝕むように衰弱させたと思える。
その違いも幾つかある解らない事の一つであった。

「すごいのね、ユニちゃんは」

「え?」

唐突なレティシアの言葉に、ユニは思案を中断してその瞳を見た。

「戦争中の敵国の中に捕らわれてるのに、自分がこれからどうなるのか解らないのに、グロウさんの事を一番に考えている」

「それは……レティシア姫にも説明したように、私はマスター、それにティピと繋がってますから。チャンスさえあれば、どうにかなると思ってますから」

「本当にそれだけかしら?」

「それだけど申されましても……」

口ごもるユニをクスリと笑うと、レティシアは珍しくイタズラっぽい笑みを向けて言った。

「私はまだ怖い思いが半分近く残ってますし、まだ自分の気持ちがあやふやですけれど……負けませんわよ」

その言葉の意味を理解するのに、ユニはかなりの時間を労する事となった。
そして理解して直ぐに、言葉をなくしてしまっていた。
知られただけなら、まだよかった。
問題は、負けませんと自分と競うかのような言葉であった。

「え、でもあの……私はただのお目付け役で、体は小さいですし。レティシア姫はお姫様で、グロウ様はただの一般人で」

「あら、グロウさんはサンドラ様の、宮廷魔術師のご子息です。さほど差のある身分とは思いませんが。なにより大事なのはお互いの気持ちではありませんか?」

至極真っ当な意見にぐぅの音もでずにいたユニだったが、意外な形で助けが入ることとなった。
本人に助けに入ったつもりは無いだろうが、部屋の中にまで聞こえる足音で駆け込んできたのはジュリアンであった。
ここがレティシア姫のいる部屋だと言うのにノックも忘れてドアを開けると、荒い息を整えてベッドの上で眠るグロウを見つめた。

「生きて、いた…………よかった。本当に」

今にも座り込みそうな雰囲気のジュリアンに、ユニもその無事を確認してほっとしていた。

「ジュリアン様、ご無事だったんですね? お怪我はありませんでしたか?」

「ああ、あの時グロウのおかげで自軍の兵がいる場所まで吹き飛ばされた。律儀に魔法抵抗のレジストまで掛けられていたから火傷一つ無かった。たった今、王都に戻ってきたばかりだ」

それまでジュリアンにはグロウとユニしか見えていなかったが、ここが誰の部屋かを思い出して身を正した。

「失礼しました。私はインペリアル・ナイツの一人でジュリアン・ダグラスです」

「インペリアル・ナイツ? あなたが?」

何故レティシア姫が疑いの言葉を向けるのか、ジュリアンだけでなくユニも不可解であった。
確かに百人を一度に相手にできるインペリアル・ナイトとして、ジュリアンはあまりにも細身であろう。
だがそういう意味ではもう一人のアーネスト・ライエルも似たようなものである。

「……いえ、なんでもありません。それでジュリアン様が、端にグロウさんの身を案じてここへ来ただけではないでしょう?」

「はい、グロウの無事の確認はついでです。貴方の処遇が決まりました。貴方は明日の正午にここを発ち、ガルアオス監獄へと収監されます」

ガルアオス監獄と言う単語を聞いたレティシア姫とユニの表情は、相反するものであった。
その単語の意味を知るレティシア姫は絶望を、レティシア姫が移送される瞬間をユニは希望として受け取っていた。
だが、まだどちらに転ぶかは、誰にもわからなかった。

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