第三十八話 守ろうとする強さ


ラージン砦の東にある渓谷へラージン砦から先発隊が派遣された。
彼らの使命は渓谷へ橋を架けようとするバーンシュタイン軍の発見と、橋を架ける事の阻止。
もちろん橋が架けられてしまう事態を想定して、バーンシュタイン軍を見つけたら直ぐにのろしを上げ、後から第人数の本隊が訪れる手はずでもある。
そんな十名にも満たない先発隊の中にグロウの姿があった。

「ユニ、風が強い。あまり俺から離れて飛ぶな。肩にでも座ってろ」

「あ、はい。それにしても凄い渓谷ですね。下が見えませんよ」

先発隊が渓谷に沿って上へ上へと登っていく間、グロウの肩から渓谷を除き見たユニが両腕を抱いて震えた。
その時誰かが偶然蹴り上げた小石が崖の壁に当たりながら数度跳ねて、やがて音もなく消えていった。

「気をつけな、落ちたらまず助からねえ。助かったとしてもこの絶壁を登るのは不可能。渓谷が途切れるまで下へと歩こうとしても、数日は掛かる道のりだ。当然そこだけに住み着く獣もいる」

先頭を歩いていた部隊の隊長が振り返り、真剣な顔でグロウとユニだけでなく全員に忠告した。

「だがまあ、落ちる事を心配するのは向こうだけだ。バーンシュタインの奴らが渡ろうとした橋を、こう剣でちょいっと斬ってやればな」

一転ふざけるように剣を抜いて何かをつつくような仕草を隊長が見せた事で、笑いをこらえている者もいる。
ユニまでも少しクスリと笑っているのに対し、グロウだけが笑う事もなく前を見据えていた。
その様子が気になったのか、歩調を落とした隊長がグロウの横に並んだ。

「おう、緊張してんのか坊主。硬くなんのは綺麗な姉ちゃんとベッドに入るときだけにしとけよ」

続いた冗談にさらなる笑いがおき、冗談の意味に気付いたユニが何も言えずに顔を赤くしてうつむいていた。
周りの気がそれた隙をついて、隊長はさらにグロウに近寄るとその首に腕をまわした。

「緊張って顔じゃあねえ。だが本調子って顔でもねえな」

「本調子じゃないって……グロウ様?!」

「引退した方がいいんじゃねえか、おっさん。老婆心出すなんてよ」

思っても見ない言葉に驚いたユニを安心させるような言葉をグロウが発した。

「泣き虫と気弱な奴がいないおかげで、ちょっと気が抜けてるだけだ。それよりも見えてきたようだぜ」

くいっと顎でグロウが指した先に見えたのは、少し小高くなった岩山に膝を着いてあたりを見渡すバーンシュタインの魔法兵であった。
咄嗟に全員が近くの岩陰や地面にある窪みに体を隠して、覗くように伺った。
恐らくこちらを見つけたとたんに、何かしらの方法で仲間へと報告がいく手はずなのだろう。
だが逆にもう少し先へ行ったところで、渓谷に橋を架けようとしているのは間違いない。
隊長が右手を上げると、兵士達はいつでも駆け出せるように構えた。

「のろしの用意。一人が待機で、奇襲後にのろしを上げろ」

確認するように隊長が一人一人の顔を眺め、最後にグロウを見た。

「お前は、振り返るな。橋の出来はわからないがロープの上だろうが駆け抜けろ」

調子が悪かろうという余計な気遣いはない言葉であった。
それだけ敵中を駆け抜けるグロウの任務は軽くないと言う事である。

「一足先にレティシアの無事を確かめてきてやるよ。安心して報告を待ってな」

堂々と不敵に笑ったグロウに懸念を薄れさせ、隊長が叫んだ。

「突撃!」

隊長を先頭に走り始め、グロウはやや遅れて集団の中ごろを走り始めた。
後ろからグロウの頭の上を一本の矢が駆け抜けた。
兵士の誰かが放ったものだろう、こちらに気付きさっそく知らせの魔法を打ち上げようとしていた魔法兵の胸に突き刺さる。
魔法兵が倒れた向こう、渓谷には警備兵と護衛の魔法兵がこちらと同じ数だけ。
だが渓谷にはすでに地面に杭をうちつけ、基盤となる四本のロープがかけられていた。
あとはその上に板をわたし、落下防止の手すりを造るだけであり、それも渓谷の半分ほどまでかけられていた。

「敵襲! 橋を守れ、敵を近づけさせるな!」

「思ったより架けられてやがる。時間との勝負だ、突っ込め!」

バーンシュタイン側にも気付かれたが、隊長の鼓舞に唸り声を上げて突っ込んでいく。

「グロウ様!」

「ユニ、俺から離れて手の届かない上空を飛べ」

まるで守る余裕がないと言いたげな台詞だが、自分が邪魔になってはとユニは従った。
確かにグロウは本調子ではなかった。
だがグロウ自身、その理由は理解できていない。

(チッ、体が重い。なんでだ、家を出たときは何も……一体何時から。まさか本当にカーマインたちを離れてからか)

いつもに比べてスローモーションかと思うような体の動きを感じながら、殺す気で打ち合う剣撃の中を駆け抜ける。
だが一目散へと橋へ向かうグロウが何時までもノーマークなわけは無い。

「易々と通すわけにはいかん。喰らえ、正義の鉄槌!」

「んなもんに興味はねえよ、クソくらえ!」

一際大きな巨躯を持ったバーンシュタイン兵が、重量級の文字通り鉄槌をグロウ目掛けて振り下ろしてきた。
重さに任せて振り下ろしただけの一撃は、鋭いとは言えなかったはずだ。
だが逃げるように転がり、起き上がったグロウの額から血が一筋流れ落ちてきた。
鉄槌のついた無数の棘のどれかがかすったらしい。

「ほう、良くかわしたと褒めたいところだが、相手が悪かったな小僧。次は外さん!」

「らしくねえ……」

「ぬんッ!」

「らしくねえ、なんだこのすっとろい動きはよ。マジックアロー!」

口上を垂れ流して鉄槌を振り上げた兵士目掛けて、至近距離から無詠唱のマジックアローをぶつけた
鎧に弾かれたもののグロウが体勢を整えるには十分な時間ができ、鉄槌を持った兵士の横を駆け抜けた。
数メートル先にはロープが丸見えの架け橋。
敵襲により作業が急がれたのか、すでに板は八割方まで架けられていた。
その距離なら跳べるとロープを支える二本の杭を守る最後の警備兵二人の間をすり抜け、グロウが踏み出そうとしたとき、反対側の渓谷に現れた者がいた。

「敵を前にして、何を悠長に橋が架かるのを待っている。行けると思ったものから向こう側に跳べ!」

戦場にしては小奇麗過ぎる軍服に身を包んだ剣士、彼がクリーム色の長い髪をなびかせながら真っ先に造りかけの橋を渡り始めた。
ロープに板切れを渡しただけの橋を、しかも下から強風吹き荒れる不安定な橋を駆け抜ける。
明らかにその存在感が違う男を、バーンシュタインの兵士達が口々に声に出して叫ぶ。

「ジュリアン様!」

「ジュリアン様!」

「ジュリアン様!」

まるで勝利の女神が現れたかのように、バーンシュタインの兵士達がその名を叫んだ。

「ジュリアン様が何故……グロウ様!」

「今の声は」

走りながら耳に留めた声にやや足を鈍らせたジュリアンは、自らが駆け抜ける橋の先に誰がいるのかに気付いた。
グロウとジュリアンの視線が交わり、僅かに時が止まる。
だがジュリアンとは違い、グロウは敵の真っ只中であり、二本の杭を守ろうとその後ろから二人の兵士が斬りかかった。

「グロウ!」

叫ぶジュリアンの声が届かぬうちにグロウの姿は消え、二人の兵士が振るった剣は空を斬った。
グロウは、助走もなしにまるで空を飛ぶかのように足場の無い橋の上を跳んでいた。
そのまま体を一回転させると、ジュリアンの前に立ちふさがるようにして、ロープに渡された一番端の板の上に降りた。

「馬鹿野朗、立ち止まるな! それにそいつ、その軍服は」

半分戦場の声に掻き消された隊長の声がグロウに届くが、グロウは立ちふさがる事を止めなかった。
その姿はあえて立ちふさがったようにも見えた。

「ああ、良く知ってる顔だよ。コイツがなんなのかも良く知ってるし、無理に通ろうとすればどうなるかも良く分かってる。お前の目標だったな。祝いの言葉なんて言わねえぞ」

「ああ、懸命だ。私は祖国バーンシュタインとその民を守る騎士。インペリアル・ナイトだ」

言葉とは裏腹にお互いに悲しい笑みを見せたのは、二人にしか分からないぐらいに短い間であった。
もしここにカーマインやルイセがいれば、何故だという無意味な問いかけを放った事だろう。
だがジュリアンは元々インペリアル・ナイトを目指していたのだ。
カーマインが仕官をすれば、ジュリアンと本気で剣をぶつけ合う事になってもおかしくなかったのだ。
だからグロウはカーマインがここにいない事をありがたく思った。

「ジュリアン、ここを通らせてもらうぞ。お前の国に預けたもんを返してもらう」

「預けた……レティシア姫の事か。だが先に狼藉を働いたのはそちらの国の者だ。と言っても納得するお前でもないな」

ふっと僅かな間だけ気を緩めたジュリアンが、笑った。

「だが戦場でお前に最初に出会ったインペリアル・ナイトが私で安心した。命まで取らずにすむからな!」

一足飛びで上段から打ち下ろされたジュリアンの剣を、グロウは雷鳴剣で受け止めて思いっきり押し返した。
いや、正確には押し返すしかなかった。
従軍を行う為の橋の上とは言っても、大きく横に避けられるほど余裕があるわけではない。
さらにグロウの一歩後ろには渡し板がなく、渓谷が口を開けていた。

「グロウ様、攻めてください。攻めないと……ああ、でも相手はジュリアン様で」

上からだとその場にいるグロウやジュリアン以上に状況が見えるようで、ユニが混乱したまま叫ぶ。

「攻めないと後がないが、ジュリアンなんだよ。それにまだ体が……体?」

一歩踏み出せばお互いに剣が届きそうな位置に有りながら、グロウは僅かに腕と足を動かした。
まるで鉛で出来た装飾品を一気に取り外したような開放感がする。

「自分の事ながら、わけわかんねえ体だな」

自分に呆れると同時に呟くと、グロウは先手を出して雷鳴剣を横に凪いだ。
だが剣が届く前に軌道が見えていたのか、ジュリアンは体勢を低くしてかわしていた。
雷鳴剣がジュリアンの頭上を通り過ぎて直ぐに、しゃがんだ時の反動を利用して切り上げてくる。
その切り上げる剣の軌道には、覚えがあった。
あの日、カーマインと共にジュリアンに挑んだ日に、グロウの手からブロードソードを弾き飛ばした軌道である。

「二度も食うかよ!」

だからあえてグロウは雷鳴剣を手放した。
雷鳴剣が上空へと弾き飛ばされるが、ジュリアンの両腕は下から上へと伸びきっており、懐が空いた。
剣を手放す事で一瞬速く動く事が出来たグロウの拳がジュリアンの胸を打ち、下がらせる。

「見事だと言いたいが、愚策だ。剣もなしにどうやって敵である私を斬るつもりだ?」

「なんで俺がお前を斬らなきゃいけないんだよ。それにお前が俺の敵だなんて勝手に決め付けんな」

まるで敵ではないとも聞こえそうな台詞に、ジュリアンは被りをふった。
そして相手にして時間を掛けるべきではないとも思い、振り向き様に部下たちに向けて叫んだ。

「お前達、この男はすでに抵抗の方法を失った。直ちに捕縛後に向こう岸へと進め。あの距離ならば助走しだいで跳べるはずだ!」

唸り声を上げて大勢の兵士達が、渓谷の対岸から橋を渡り始めた。

「ユニ、おっさんたちは!」

「駄目です、まだ手間取っています。後続部隊もまだ姿が見えません!」

もうすでにジュリアンの直ぐ背後、グロウの直ぐ目の前にまでバーンシュタインの兵士達が迫ってきていた。
このまま捕縛されても、ジュリアンに頼み込めばレティシアへと言付けぐらいはできるかもしれない。
ユニが使うサンドラへのテレパシー能力の事を、ジュリアンは知らないのである。
そう、一番重要なのはレティシアの無事と関する情報をカーマインへと伝える事だ。
バーンシュタインの兵士の腕がグロウの手を取り捕縛しようとした時、何故かグロウの体は勝手に動いてしまっていた。

「悪いな、魔剣なんだよ。これ」

「う、うぉあああぁぁあぁぁ!!」

飛ばされたはずの雷鳴剣を呼び寄せたグロウは、自分へと伸ばされたバーンシュタイン兵の手を斬り、橋の下へとけり落とした。
悲鳴を上げたのは、落ちていった兵士だけではなかった。

「グロウ様、何故!」

「馬鹿な、グロウ。お前は今!」

ユニとジュリアンであった。
すでに多くのバーンシュタイン兵が橋の上におり、ジュリアンとグロウの間だけでも十人以上いる。
つまりグロウを完全な敵と判断した兵士達を止める術は存在しないのだ。
だがグロウの次の行動によって、再び悲鳴を上げさせられた。
グロウは左手で手すりとなるロープを掴むと、ファイアボールを自らの目と鼻の先にいる兵士達に向けて放ったのだ。
殆ど身動きの取れなかった兵士達がファイヤーボールの巻き起こす爆発に巻き込まれてなす術もなく落ちていく。
それに加えてグロウ自身も、爆風の熱をもろに受けていた。

「クッ、なんて無茶を……お前達下がれ、こいつは私が」

グロウに向けて大丈夫かなどと指揮に影響の出る言葉は出なかったが、心配している事は間違いなかった。
自らの魔法で体を焼け焦がしたグロウは、方膝をついた状態から無理矢理自分を立ち上がらせると叫んだ。

「敵を、心配してんじゃねえよ。俺はお前の敵だろうが!」

グロウの口火とは正反対に迷いを見せたのはジュリアンの方であった。
頭では解っていても、相手から言われる事でショックを受けた自分に気がついたからだ。

「そうだ、敵なのだ。私は!」

叫びながらも、ジュリアンはあくまで斬るのではなく捕らえる為に橋の上を駆け出した。
自軍に被害を出されていてもなお捕縛を選んだのは、まだジュリアンが迷っている証拠でもあった。
もうすでにグロウはインペリアル・ナイトであるジュリアンが弁護をしても……いや、インペリアル・ナイトであるからこそ弁護などできない。
例えその相手が、大切な友であろうと。

「私は、インペリアル・ナイトなのだ!」

駆けながら鋭く突きつけるように剣を突き出してきたジュリアンに対し、グロウの反応は明らかに間に合わないタイミングであった。
比較的軽症ですんだとは言え、かなり近い場所でファイアボールが爆発したのだ。
ロープを握り締めた左手も、石膏で固められたかのように開かない。

「坊主、そのままロープに掴まってろ!」

グロウは背後から飛んできた隊長の声に促されるままに、ロープを掴む手に力を込めた。
次の瞬間、体全体を浮遊感が覆い、目の前で多くのバーンシュタイン兵が谷の底へと投げ出されていった。
当然その中にはジュリアンの姿もあり、伸ばした剣がグロウへと届く事もなく、大勢のバーンシュタイン兵と一緒に落ちていく。
その顔に恐怖はなく、ただ現実が理解しきれておらず恐怖も浮かべずただ無表情であった。

「ジュリアン様!」

「き」

ユニが叫んでジュリアン本来の悲鳴が漏れそうになった時、グロウは無理矢理に左手を開いてロープを手放していた。
その事が少しだけジュリアンに正気を取り戻させた。

「ば、馬鹿。自分が一体何を!」

「黙ってろ。我が魔力よ、堅固なる防壁となりて彼の者を守りたまえ。レジスト!」

「坊主!!」

言葉とは裏腹に伸ばされたジュリアンの手を掴み、グロウは魔法を唱えながら互いの位置を腕の力で無理矢理入れ替えた。
自分をジュリアンよりも下にだ。
そして魔法防壁の呪文をジュリアンにかけつつ、もう一つの魔法を唱えた。

「グロウ、お前だけなら助かる。私を蹴って壁に剣をつきたてろ!」

「助かるのはお前の方だ。吹き飛ばせ、ファイヤーボール!」

そして爆発を利用してジュリアンをバーンシュタイン側の岸へと吹き飛ばした。
計算など何一つ無い、感だけで行う瞬間的な行動である。
ジュリアンが無事に渓谷へと上った事を確認する間も無く、グロウは次は自分をファイヤーボールで吹き飛ばしたかった。
だが正真正銘に至近距離で爆発したファイヤーボールは二つの意味で致命的であった。
一つは体への重度のダメージ。
もう一つは皮肉な事にジュリアンへの上の加速が、そのままグロウが下へと加速されたことであった。
どんどんと遠くなる空に反して、グロウは意識と体が暗い闇の底へと落ちていった。

「グロウ様!」

「ユ…………」

「グロウ様、目を開けてください。グロウ様ッ!」

ユニがその小さな羽根で加速しながらグロウを追うが、追いついた所で何が出来るだろうか。
タダでさえ体格が違うのに加え、グロウはもう落ちる以外にできる事はなかった。

「グロウ様、いつものように何とかしてください。諦めちゃダメです。私を見てください!」

「……ニ」

落ちていく速さとは逆にとても遅く伸ばされたグロウの手に、ユニが追いつき懇願する。

「私を守ってください!」

確かにそう言ったのはユニであった。
見当違いな言葉のようで、グロウの本音を半分だけついていた。
守って欲しいという言葉が、グロウが自覚しながらも押さえ込んでいた本音の感情を揺り動かした。
頭から落ちる体勢のまま僅かに手が動き、ユニを捕まえ抱き寄せる。

「俺に…………」

すでにユニはグロウの腕の中で羽根を動かす事を自らの意志で止めていた。
グロウに全てを託して、同じ道を辿るつもりであった。
だからグロウは、

「……さがあるのなら。俺に、翼があるのなら!」

守る為に叫び、

「開け!!」

谷底を金色の輝きで埋め尽くしていった。
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