第三十七話 動き出す世界


休日が終り、カーマインたちが城へと任務を授かりに出かけている間、グロウは部屋のベッドの上でごろごろしていた。
ブレーム山での一件から、ミーシャは一時的に魔法学院へと帰省している。
そのため、今家にいるのはグロウとユニの二人だけであった。
グロウがごろごろしているのとは逆に、ユニはどこか落ち着きなくフワフワと飛んでいた。

「そろそろ謁見が終わる時刻ですね。今度の任務は何でしょうか?」

「さあな。結局ステラから歴史書が借りられなかったから、ゲヴェル関係以外なら何でも良い」

どこか投げやりに答えたグロウに対して、ユニは少なからずムッとしていた。
そろそろレティシア姫がバーンシュタインの戴冠式から帰ってくる時期である事はグロウも承知のはずである。
ほぼ間違いなく、今回の任務はレティシア姫の護衛となることであろう。

「そう言えば近衛騎士の件、どうするのですか? 前は断るような事を仰ってましたが」

知っててとぼけてと当て付けるように言い放ったが、グロウの返答はとても予想外なものであった。

「そんなもん、どうでもいい。断るだけだ」

「…………何故、ですか?」

覚えていたのにあっさりと断ると即答してきた言葉に、本気でユニは問い返していた。
すでにあてつけをしようとしたことなど忘れている。

「カーマイン様は、ゲヴェルの事が無かったとしても、いずれ仕官されたでしょう。では、グロウ様は? なにか目標や夢はないのですか?」

ベッドに寝転がったまま、壁に顔を、ユニに背を向けたままのグロウは答えてこなかった。
寝ているのかと思えるほど静かだが、僅かに呼吸する事で上下する体が起きている事を示していた。

「聞いていますか、グロウ様? なにも近衛騎士を薦めているわけではありません。私は」

「……ぇ」

「えっ?」

とても小さな声での返答は、ユニの耳に届かなかったようだ。
グロウは溜息をついて体を起こしてベッドに座りなおすと、ユニを半眼で見つめて言った。

「うるせえ。別に俺はやりたいこともなんにもないんだよ。……やりたい事を探してる途中ってことにしとけ」

「そんないいかげんな」

「じゃあ逆に聞くけどよ、お前のやりたい事ってなんだ?」

「私が、ですか?」

丸ごと追求を投げ返され、考えてみた事もなかったと言うような戸惑いと困惑の声であった。
ずっとグロウのそばにいるものだと思っていたと言えばそうなのだが、本人を前に言えるわけが無い。
適当な答え方が見つからず、唸ってしまったユニを前にして、グロウがそれみたことかと口の端をあげた。

「なにがしたい、どうなりたいかなんて急に答えられないだろ。だから、無いんだよ」

「そう、なのでしょうか?」

はぐらかされている気はしているものの、自分が答えられない為にユニは問い詰める事が出来なかった。

「そうなんだ。もう考えるのはやめろ。カーマインが戻ってくるまでもう少し寝るぞ」

「また寝るのですか? さすがにもう起きてください。カーマイン様が戻るまで、一時間も無いでしょうし」

「一時間はあるかもしれねえだろ」

「ダメです。グロウ様は普段からゴロゴロしすぎです。それではやりたい事が見つかるものも、みつかりません」

「…………」

またベッドに横になろうとしたのを邪魔されて、明からにグロウは不機嫌になっていた。
クドクドと説教臭い言葉を聞いたグロウは、イタズラを思いついた様にして笑った。

「だいたいですね、グ……へっ?」

気がついたことにはユニはグロウの右手に握られており、光が僅かの暗闇へと押し込められていた。

「寝る」

グロウはユニの口を塞ぐように、抱きしめて寝始めたのだ。
急に暗くなったのは抱きしめられた腕が布団の中にあるわけで、ユニの必死の懇願の声もグロウには届かなかった。
それから数分もせずにグロウの寝息がユニの元まで届き、観念して目を閉じようとしたユニだが。

「ね、寝られるわけがないじゃないですか」

グロウの腕の中で、カーマイン達が戻ってきた時の言い訳を考え始めていた。





「だから聞いてください。あれはグロウ様が」

必死に叫ぶユニを見てから、ティピとルイセがヒソヒソとお互いの耳に口を寄せて何かをささやきあう。
それを見てさらにユニが悲鳴のような声を上げるが、それが更に二人のヒソヒソ話を助長していた。
カーマイン達がなかなか出てこないグロウの部屋に入り込んでから、ラージン砦から少し離れた場所に来るまで終始この調子である。

「でも母さんがいなくて良かったよ。あの光景を見たらなんて言うか」

「別に情事の最中ってわ」

「ちょっとグロウ、気をつけてよ」

過激な発言をしたグロウの口を押さえながら、聞こえていなかったよなとユニを苛めるルイセたちを見るカーマイン。
どうやら聞こえていなかったようで、ほっとしたカーマインを振りほどいてグロウが聞く。

「ウォレス、別にあれぐらい普通だろ?」

「詳細は見えなかったが、傭兵をやってりゃ女と同じ部屋で雑魚寝も珍しくはないがな」

「だってよ、カーマイン」

傭兵の雑魚寝と一緒にするとはどういう感性か、問題はないと言いたげなグロウの視線をカーマインはあきれた。

「ま、雑魚寝云々は置いておいて。もう砦の門は目の前だぜ」

「そうですね。ティピ、ルイセ、こっちにおいで。砦の門まで行くよ」

「はいは〜いっと。ユーニー、今度詳しく教えてねぇ」

「教える事なんて、なにもなかったわよ!」

「ん〜、さすがにちょっと可哀想になってきたかも……」

門に近づくにつれようやく一行が静かになって行った。
ラージン砦の門の前には、依然と同じく一人の兵士が門番を勤めており、カーマインたちの姿に気付いた。
だがカーマインたちの事を覚えていたのか、警戒はなかった。

「レティシア姫の護衛の方ですね?」

「はい、もうすぐ戴冠式が終わるらしくアルカディウス王から護衛の任務を再度受けました。ブロンソン将軍にお会いできますか?」

丁寧にカーマインが受け答えをすると、兵士が門の上を見上げ開門と叫ぶ。
ギリギリと鉄が擦れる音を響かせながら開いていった扉の奥へと、足を踏み入れる。
門を入って正面に見える砦に入り、ブロンソン将軍に執務室へと向かった。
時折すれ違う兵士の人たちとも軽く挨拶をかわしつつ執務室へとたどり着くと、カーマインが戸を叩いた。

「失礼します。ブロンソン将軍」

「おお、カーマイン君にウォレス君か。そう言えば今日は、レティシア姫がバーンシュタインから戻られる日だったな」

執務室の机で書類に向かってペンを走らせていた将軍は、厳格な顔に笑みを浮かべてカーマインたちを部屋へと招き入れた。

「詳しい時刻はブロンソン将軍にお聞きしろとのことなのですが」

「ああ、少し待っててくれ。この歳になっても書類整理が苦手でね」

何処へやったかと呟きながらブロンソン将軍が一枚の所管を引き出しからとりだして読んだ。

「本日の正午丁度と予定ではなっているな。多少のずれはあるだろうが、今から向かえば少し早く着く位だろう」

「わかりました。それでは後ほどレティシア姫をお連れしてもう一度寄ります」

「そうだな、姫には私もひさしぶりにお会いしたいからな。そうしてくれるとありがたい」

一番最後に部屋に入ったグロウが執務室のドアノブに手を伸ばそうとした時、向こう側から勢い良くドアが開かれた。
入ってきたのはこの砦の兵士のようだが、明らかに様子がおかしかった。
そもそもブロンソン将軍の執務室に挨拶もなしに走りこむ事は、あってはならないことだ。
なのにその兵士は挨拶もなしに、急いで走ってきた事を示すように大量の汗を顔に張り付かせ、乱れた息を必死に整えようとしていた。

「せっ…………す!」

整いきらずに発した言葉は、困惑をさらに呼び込むだけであった。

「落ち着け、一体何があったのだ!」

「戦争です。バーンシュタイン王国が我が国に対して宣戦布告を行いました!」

さすがの将軍も、二の句が継げられなかった。
それも仕方のない事で、走りこんできた兵士に駆け寄ると、震える腕で差し出された書状を受け取る。

「ブロンソン将軍、それにはなんと」

「少し待ってくれウォレス君…………そんな馬鹿な。あのグレッグ卿が戴冠式の最中にリシャール王に斬りかかっただと」

「リシャール王って、まだ殿下だった時に闘技大会で見た。ね、あの人だよねカーマインお兄ちゃん!」

「それじゃあ、戦争が起こる? レティシア姫は」

紙切れ一枚に書かれた世界を動かす言葉に、いち早く回復したのはブロンソン将軍であった。

「カーマイン君、すぐにこの書状を持ってアルカディウス王に援軍の要請を頼んでくれないか。すぐに迎えうち準備をしたいが、この砦の兵だけでは足りない」

「わかりました。ルイセ、テレポートでローザリアへ行くよ!」

「待ってよ、カーマインお兄ちゃん!」

「アンタ、慌てすぎ。書状を、ウォレスさん。書状貰ってきて!」

カーマインに続いてルイセとティピが慌しくテレポートのできる外へと走っていった。
ウォレスがブロンソン将軍から書状を受け取って出て行こうとしたときに、グロウがその腕を掴んで止めた。

「ウォレス、しばらくの間カーマインたちの事を頼む」

「頼むってお前、まさか……まかせろ。無茶はするなよ」

「え、どういうことなのですか? グロウ様?!」

グロウの目を見て何をするつもりなのか大体悟ったウォレスは、忠告の言葉だけを残してカーマインの後を追った。
意味が分らなかったユニがオロオロと所在無く飛んでいる。

「ブロンソン将軍」

「君は確かグロウ君だったな。すまないが君の相手をしている暇はないのだ」

ユニの言葉に応えずに、バーンシュタイン王国軍を迎えうつ準備を始めようとした将軍にグロウが言った。

「レティシアを助けるには、どうすればいい?」

「姫を呼び捨てにするとはっと言いたいところだが、時が時だ……」

ブロンソン将軍が腰に下げた剣の柄へと素早く手を伸ばした。
それから剣が鞘から解き放たれるのに、瞬きほどの時間もかかっていないだろう。
剣の刃がグロウの首目掛けて伸びた。
ユニが悲鳴を上げる暇も無いほどの一瞬、執務室の中に剣がぶつかり合う音が響いた。
自分の首へと伸びる剣をグロウが雷鳴剣で受け止めたのだ。

「ふむ、ある程度の腕はあるか。人では多いほうが良い。来なさい」

「爺ぃ……」

受け止めたと言うのは正確ではなかった。
反射的に剣を掲げただけと言う方が近い表現であり、雷鳴剣が鞘に入ったままの状況が全てを語っていた。
呻くグロウに気を止めることなく歩き出したブロンソン将軍の後を追う。

「グロウ様、先ほどのお言葉は」

「そのままの意味だ。レティシアをバーンシュタインから助け出す」

そう言った時のグロウの顔を見て、ユニは納得してしまった。
グロウは自分ではなく、誰かのために足掻こうとする時こそ、本気になるのだと。
それこどグロウらしいと思いつつ、引っかかるようないやな予感も同時に駆け抜けていた。
そんなユニの胸中を知るはずも無いブロンソン将軍が、ある扉の前で立ち止まり、振り返って言った。

「これからこの砦にいる主な者と軍議を行う。その内容次第では、君に働いてもらおう。恐らく二日と掛からず、国境のどこかで前哨戦が起こる。バーンシュタインにもぐりこむのなら、そのどさくさしかないだろう」

「もぐりこんだ後はどうすればいい?」

「平和な時代とはいえ、間者の一人や二人いる。その事については後で伝えよう」

「ああ」

ブロンソン将軍が開けたドアの向こうには、一目で手誰と分る兵士、それも隊長クラスがずらりとそろっていた。
さすがのグロウも立ち込める会議室の雰囲気に気圧されそうになった。
だが気にも留めずに自らの席に着こうとするブロンソン将軍に促されるようにして、グロウはその後ろに立った。

「さて、まずは報告を聞こうか」

「はっ、本来ならばバーンシュタイン王国は砦の南にある迷いの森を通るか、北のノストリッジ平原を進軍するはずです。ですが、どちらも我が軍とぶつかるのは一週間後と我々が準備を行うのに十分とは言えずとも、時間はあります」

「その事について、近辺のパトロール隊が東の渓谷付近で数名の人間を見かけたそうです。その時は冒険者か何かだと気にも留めなかったらしいのですが……」

一人一人と告げられる報告に、ふむとブロンソン将軍が考え込む仕草を見せた。

「奴らめ東の渓谷に橋をかけて、最短距離で進軍。こちらの準備が整う前に勝負を決める気か」

バーンシュタイン王国とローランディア王国の接点は、基本的に二つしかない。
南にある迷いの森と呼ばれる、うっそうとした木々に囲まれた、本当に迷いかねない森。
そしてもう一つは、はるか北にあるノストリッジという平原である。
本来ならばラージン砦の東にある渓谷も接点の一つに加えられるべきだが、そこに掛かるべき橋は存在しない。
理由は、渓谷から吹き上がる強風に長い間耐えられる橋の作成に向いていない事が上げられる。

「ですが、パトロール隊の報告からこちら側に潜入している兵は少数と思われます。それを叩き、橋の作成を阻止するには大部隊は必要ありません。兵をそろえるのに一時間と必要ないでしょう」

「よし、まずは東の渓谷に兵を向ける。残りは南の森へと向ける。少人数の先発部隊がいないとも限らないからな。以上だ、渓谷へと向かう部隊の部隊長は後で選任する。各自準備を怠るな」

会議室に詰めていた隊長クラスの兵士達が、それぞれの準備の為に会議室を出て行った。
その顔は思いつめた者はなくとも、かなりピリピリと緊張が走っていた。
その証拠に、グロウの存在に気付いていたとしても、わざわざブロンソン将軍に尋ねる者がいなかったほどだ。

「さて、グロウ君。君には東の渓谷の橋を壊す部隊へと混ざってもらう。どの程度橋が完成しているのかまではわからないが、逆に最短距離でバーンシュタインへと潜入できるチャンスでもある」

「ですが、橋の向こうにはバーンシュタイン軍が待ち構えているではありませんか」

「そう、恐ろしく分の悪い賭けでもある。それでも、やるかね?」

まるで試すかのようなブロンソン将軍の言葉に、グロウはためらうことなく答えた。
そうする事が当たり前であるかのように。

「分が悪かろうがなんだろうがやってやる」

良い目だと思いつつも、何故彼が今までカーマインの様に表に出てこなかったのか。
その一点だけをブロンソン将軍は不思議に思っていた。

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